・01 「最近さー、面白い配信者いるらしいよ」 昼休み。 机にコンビニのホットスナックを広げていたハルカへ、クラスメイトが何気なく声をかけた。 「ふーん。そういうの興味ないや」 気のない返事をしながら、ハルカはふと視線を廊下へ向ける。 ─直後、バン!と大きな音がして、壁に男子生徒が叩きつけられていた。 「や、やりすぎだって杏莉…!」 「しつこいんだよ、おととい来やがれこのやろー!!」 腕を捲り上げた金髪の女子─志岐杏莉が、ナンパまがいの絡み方をしていた男子を睨みつけている。 後ろでは、声を掛けられていた女子生徒が慌てて止めに入っていた。 ハルカは立ち上がると、ポケットから小さなチョコを取り出し、杏莉へ放る。 「おもしろかったよー」 「んだよオマエ…見世物じゃないっつの」 そう言いながらも、杏莉は片手で器用にチョコを受け取った。 「ま、貰うけど」 「気前いいじゃん」 「…いや、なんであんたが言うんだよ」 その場を去っていく杏莉達を見送りもせず、ハルカは席へ戻る。 「まー、井赤っちはああいうヤツのほうが好きそうだけどさ〜」 クラスメイトは呆れたようにため息を吐いた後、にやりと笑った。 「でもでも、その配信者が実は“学校にあんま来ない子”だってウワサを聞いたら…?」 今度はハルカも少しだけ口元を吊り上げる。 「なんかガチっぽくて怖いんだって。わざわざ登記簿とか取ったりさ〜」 差し出されたスマホ画面には、動画サイトのチャンネルページ。 暗い廃墟、 粗いノイズ、不穏なタイトル。 【深夜三時の廃団地】 【誰も入居しないままのビル】 【消えた投稿者の痕跡】 ジャンルは様々だが、ハルカはその動画自体にあまり興味はなかった。 教室の奥の空席へと目を向け、ぽつりと呟いた。 「あんま来てない子っていうと…」 マトモに喋った事すらないが、ここにいるよりは楽しそうだ。 ハルカはスマホをカバンに放り投げ、閉じる。 「秋元かー?」 「え、知ってんの?井赤っち」 「顔くらいは」 クラスメイトは出ていく気満々なハルカに対し、慣れた調子だ。 「どこ行くの?部活はー?」 「しゅざーい」 軽い調子でそう返すと、ハルカはそのまま教室を出ていった。 ・02 部屋の中には、PCのファン音だけが響いていた。 『当時の新聞を調べたと、こ、ろ…』 編集ソフトのタイムラインを睨みながら、秋元柚子は小さく呟く。 「あう。字幕とズレてる…そこじゃなくて…」 指先でつつくようにキーボードへ数値を打ち込む。 画面の端に、いくつものウィンドウが乱雑に散らかっていた。 古い新聞記事、匿名掲示板のログ、地図アプリ…そして自分のアカウントが表示された動画投稿サイト。 『失踪したとされる当時の少年は、事故の直前まであの工事現場にはなにかがいると周囲へ話しており…』 「声ちっちゃ…馬鹿じゃないの…」 自分の録音音声に自分でダメージを受けながら、柚子はヘッドホンを押さえる。 机の端っこには、コンビニ弁当の空き容器と安いエナジードリンクの缶。 床に散らばるのはオカルト雑誌に、薄くなった粘着クリーナー。 そしてベッドには、昨日から脱ぎっぱなしの制服。 薄暗くごちゃついた部屋の中で、モニターの光だけが彼女の顔を照らしていた。 「ここらへんの噂って結構一貫性あるんだよね…」 左耳のピアスをカチカチと弄りながら、誰に聞かせるでもなく柚子はぼそぼそ喋り続ける。 「SNSでバズった時期はあるけど前の建物の時から似たような噂もあって…」 SNSで拡散され、今は削除されてしまった動画。 柚子はその保存データを何度目かも分からない再生数で開いていた。 素人が慌てて撮影したブレブレな画面に、数フレームだけ映り込む丸いノイズ。 停止、巻き戻し、拡大─それを繰り返しながら、柚子は机のエナジードリンクへ手を伸ばす。 指先が缶のフチに触れたその時、背後から声がした。 「へー」 「ンひぅっ゙!!?」 柚子は椅子ごと跳ねた。 バチバチに打ち込まれたピアスがしゃりんと音を鳴らす。 反射的に振り向くと、知らない女が編集画面を覗いていた。 「おっす」 「え…えっ?え゙っ!?」 「秋元ってこういう動画作るんだ〜」 柚子の思考が止まり、女の上から下までを何度も見る。 青髪、赤い目、知らない顔─だが、同じ学校の制服だった。 「な…なんでいるんですか…?」 「井赤晴夏。クラスメイト」 「いっ、そういう問題じゃなくて…なんでいるの…ですかって聞いてるんです!」 「窓開いてた」 「だからって入ります!?」 「入ったけど」 ハルカは土足じゃないよ、とローファーをぷらぷらと振った。 まずい、会話にならない─柚子は壁際まで後退る。 だがハルカは気にした様子もなく、【N区廃ホテルの怪】と書かれた編集画面を指差した。 「あ、最近そこ行ったよ」 「…へ?」 その瞬間、柚子の顔色が変わった。 「い、行ったんですか!?」 「学校サボってね」 さっきまで怯えていた人間とは思えない食いつきだった。 「じゃあ昼か…いや、それよりも入れるんですか!?今はフェンスが増設されてるはずじゃ…いや、そもそもあそこは歓楽街に近くて人通りが…」 急に早口になる柚子に、ハルカは少しだけ目を細めた。 「好きなんだ、こういうの」 「す、好きというか…興味というか…えっと、実際に行ったりとかは……………えと、はい」 柚子は我に返ったように口を押さえると、観念したように肯定した。 「いいと思うよ」 なぜかしょぼくれる柚子を他所に、ハルカは窓際へ腰掛ける。 「んで、秋元的には本物っぽい?」 柚子は一瞬黙り、背後の画面をチラっと見る。 画面の中には、先程から大量に展開された動画の参考資料がずらっと並んでいる。 「…普通なら、作り物って言うんですけど」 柚子は前のめりに椅子へ座りなおすと、小さく呟きながら動画のウインドウをど真ん中に引っ張る。 「これだけ、ちょっと変なんです」 やがて先程の動画…屋上に浮かぶ丸いノイズを移したものを拡大した。 画質の荒れ、圧縮ノイズ…そう言われればそう見える程度の異常。 「こーゆーのってさ、加工じゃないの?」 「当然調べました」 柚子は被せるように小さく頷く。 「投稿者の元データも確認しましたけど圧縮前から映ってて…あと、この位置だけ音声波形も妙なんです」 「へー」 いくつもデータが載ったスクショを見せてくるが、ハルカはよくわからなかった。 「じゃ、今から行ってみよ」 「…はい?」 ハルカは無言で画面を指差す。 「い、今から!?」 「こういうの、やっぱ夜のほうが面白そうだし」 絶対に行くぞと顔に書いてあるハルカを前に、柚子は絶句した。 なんでか彼女は怖がっている様子がまるで無い。 「っていうか、えっ、いや、危ないよ!?あそこ今は封鎖されてるし、普通に不法侵入ですし、三階より上は特に壊れてて…その…あと…変な人とかいるかもしれませんし!?」 柚子は手を上に伸ばし、上は危ないぞとアピールして見せる。 さらに、件の廃ホテルは本当にヤクザたちの所有する物件だという疑惑がある。 「その変なのを探しに行くんだよ?」 わかってるじゃーんと、ほとんど真顔のままケタケタ笑うハルカ。 会話にならない…そう思ってる間にも、ハルカは窓枠へ足を掛ける。 「じゃ、情報ありがと秋元」 「えっ、待っ─」 「なんか撮れたら見せるね」 そのまま、ハルカは窓から外へ消えた。 「な、なんだったの…」 ・03 崩れたフェンス、散乱した空き缶、夜風に揺れる工事シート─ここは、人気のない廃ホテルの屋上。 既に夕方と言うには厳しい空の元、テントモンは慎重に歩いていた。 「反応はこの辺りでござるな…」 歪んだノイズを認識して僅かに身構えた時、ぱしゃりと彼の背後でシャッター音が鳴った。 「お〜まじでなんかいた」 「なんだお主は!?」 振り向いたテントモンの視界いっぱいに、スマホのカメラが向けられていた。 帽子を被った青髪の少女は、興味津々といった様子で何枚も連写する。 「秋元大正解じゃんね」 「勝手に納得するでない!」 少女─ハルカは、テントモンの抗議など気にも留めず屋上を見回した。 「現代の忍者は廃ビルに実在した、っと」 「勝手に変なタイトルをつけるのもやめてほしいでござる…」 ハルカは勝手にメモを取り、勝手に写真を撮り、やがて「おなかすいた」とだけ言い残して勝手に消えた。 …それから数日、テントモンの元に毎日ハルカは現れた。 「普段ここで何してるの」 「ま〜〜たおぬしか!」 「好きな食べ物とかある?」 「だから邪魔でござると言っておる!!」 「そういえば名前は何て言うの」 「ここは危険でござる…ほら、早く帰って…」 どれだけ追い払おうとしても、ハルカは面白そうな顔でついてくる。 いや、表情そのものはほとんど変わっていないのだが、声だけは妙に楽しそうだった。 当然のように今日もハルカは現れるが、いつもとホテルの様子が違った。 豪華だったであろうホールに、低い唸り声が響く。 「うっ…なんか嫌な音」 「やはり潜んでおったか……!」 空間がノイズ混じりに歪み、巨大な獣型デジモン・グリズモンが現れた。 荒熊の四肢が唸りを上げ、コンクリートの地面に亀裂を走らせながら迫る。 「下がれ!!」 咄嗟に飛び出したテントモンが、ハルカを突き飛ばす。 その直後にグリズモンから激突され、小さく赤い身体を吹き飛ばしてしまう。 「ぐっ…おのれ!」 硬い両腕を地面に突き立て、無理矢理吹き飛ぶ体を押さえる。 コンクリートからは硬い音が鳴り、火花が散る。 テントモンはそのまま体に力を込めると、翼を震わせて電撃を放った。 稲光はグリズモンの眼前で強く弾け、電流の閃光が夜の廃ビルを照らす。 怯んだ隙に飛びかかり、上空─いや背後を取る。 視界を取り戻したグリズモンは敵を見失っている。 テントモンは電気を纏いながら回転をかけると、力強く背中にぶつかった。 【ダイナモスピン】 その戦いを、ハルカは撮影も忘れて見つめていた。 「…本当に戦ってるんだ」 グリズモンは咆哮を響かせ、暴れるように振り向く。 攻撃はその巨体によって押し切られ、地面に叩きつけられる。 「ぐるおおおっ!!」 無防備な姿を晒すテントモンに、風を切るような速度で爪が突き出された。 【しっぷうのツメ】 再び吹き飛ばされたテントモンは勢いよくフェンスにぶつかる。 ひしゃげたパイプが外れると、やがて地上に落下して高音を夜に響かせた。 トドメを刺そうと、グリズモンが鼻息を上げながら近づく。 (やられる…) そう思った次の瞬間─グリズモンの頭上へ、突然ドラム缶が落下した。 「おー。命中するもんだ」 上階から顔を出したハルカが、感心したように呟く。 そのまま彼女は崩れかけた階段をトントン駆け下りると、倒れたテントモンの隣へしゃがみ込んだ。 「生きてる?」 「逃げろ…」 震える体をなんとか立ち上がらせる。 「んー、それもう無理」 「拙者が時間を稼ぐ故…」 「アンタもう、あーしの友達だし」 「……は?」 テントモンが間の抜けた声を漏らしたその時。 ドラム缶を押し退けたグリズモンが、怒声のような咆哮を上げた。 ハルカは近くに転がっていた木材を片手で拾い上げ、適当に構える。 「何してるのか知らないけどさ、こりゃもう見てるだけじゃつまんないよね?」 突如、ハルカのスマートフォンが眩い光を放った。 「それは…進化の光!」 テントモンの身体を、新たな光が包み込む。 ・04 「ンだそれ。わけわかんないけど─喧嘩上等!テントさん、進化しろ!」 帽子を被り直して口元を少し吊り上げると、ハルカはスマートフォンを掲げる。 「テントモン進化ッ!!」 迸る光が、テントモンの身体を包み込んだ。 小さな身体が球状に丸まり、まるで卵のようなシルエットへ変わっていく。 内部では赤い装甲が軋むように引き伸ばされ、細かった四肢が鋭く変化する。 だが、その姿からはテントモン特有の俊敏さは失われていない。 そして、上空に生成されたヘルメットを新たな腕が力強く掴み取る。 叩きつけるように頭へ装着し、内側に沈んだ目が光を宿す。 割れた光の中から現れた新たな姿は、大きく腕を振り払うと、歌舞伎役者のように仰々しく見得を切った。 「─フライビーモン!!」 先程よりも重い音を立てて着地すると、床が軋んで瓦礫が小さく跳ねた。 増した重量、伸びた四肢、鋭く変化した装甲。 だがその立ち姿には、忍びめいたしなやかさが残っている。 ゆっくりと拳を握り、身体へ満ちる力を確かめる。 「これが…ニンゲンの力による進化…!」 「おー、かっこいー」 ハルカは感心したように呟く。 対するグリズモンは低く唸りながら地面を踏み砕き、一気に突進した。 ─その全身は空を切っていた。 フライビーモンの姿は既にそこに無い。 「遅いでござる」 低い声が背後から響く…振り向いた瞬間、フライビーモンの羽が高速振動を始めた。 【フライスパーク】 先程よりも激しい電撃がグリズモンの全身へ炸裂する。 火花が爆ぜ、巨体が苦悶の声を上げた。 だが、それでも強引に腕を振り抜いて電撃を弾く。 グリズモンの足元にあった瓦礫の一つが吹き飛び、ハルカの頭上へ激突した。 「わ。こりゃすごい」 その直後、銀色の閃光が空気を裂いた。 鋭い針が空気を裂き、落下してきた瓦礫を弾き飛ばす。 「余所見は危険でござる!!」 そのままフライビーモンは空中で回転すると壁を蹴り、反転─加速してグリズモンの頭部へ拳を叩き込む。 巨体が大きく揺らいだ。 「すげー!もう一回、もう一回!」 ハルカはほとんど真顔のまま、楽しそうに騒ぐ。 グリズモンが苦悶の唸りを漏らしながら後退する。 その瞬間、フライビーモンの視線が獣の腹部で止まった。 そこには脈動するように赤い光を点滅させ、肉へ食い込むように固定されている黒い金属装置があった。 グリズモンは苦しげに吠えると、頭を振り回しながら壁へ身体を叩きつけた。 距離を取るように後方へ跳び、そのままハルカの隣へ着地した。 「様子がおかしいと思ったら、やはりそういうことでござったか…」 「知り合い?」 「ヤツは、同じ森の住人でござる」 珍しく、フライビーモンの声に僅かな迷いが混じる。 「最近、デジタルワールドから突然消える者が増えていたのでござる。拙者は、その原因を追っていた」 暴れるグリズモンを見つめながら、フライビーモンはゆっくり拳を握る。 「あのからくりは、恐らく無理矢理に戦闘衝動を増幅されている」 「なるほどね」 ハルカは特に驚いた様子もなく頷くと、少し微笑んでみせた。 「連れて帰りたいわけだ」 「…そういうことでござる」 数秒だけ沈黙が落ちる。 ハルカはぐっと伸びをして、いつもの調子でぽつりと言った。 「じゃーーー…んっ、助けないとね」 フライビーモンは、僅かに目を見開いた。 「…お主が嫌な奴でないことはわかった」 「失礼じゃない?」 「かなり譲歩した評価でござる」 彼は照れているのか視線を逸らすと、地面を蹴ってグリズモンへ接近する。 「こっちでござる!!」 グリズモンは続けざまに暴力的な爪撃を振るう。 飛び散る唾液、砕けるコンクリート。 それでもフライビーモンは紙一重で回避を続ける─まるで巨大な獣を弄ぶ忍びのように。 「とはいえ…避けてばかりでは話にならん。だが、これ以上の攻撃も厳しいでござる」 フライビーモンは壁面を蹴りながら苦い声を漏らす。 グリズモンの巨腕が唸りを上げ、数秒前までいた空間を粉砕した。 直撃すれば、進化した身でも厳しいだろう。 だが、下手に攻撃すれば腹部の装置ごと本体を傷つけかねない。 「…そうだ」 突然、ハルカがぽんと手を叩いた。 「なんだっけ。ほら、あれ」 「どれでござる!?」 フライビーモンは回避しながら叫ぶ。 ハルカは両腕で大きく円を描いた。 「シュシュってこう…飛んでくやつ」 「説明を放棄するでない!!」 僅かに攻撃をカスらせながら、あいまいな言葉に叫ぶ。 さらにハルカは手と手を擦り合わせる。 「なんかこう、回るやつ。忍者っぽいアレ」 「…!」 瞬間─フライビーモンの目が細く光ると、グリズモンの爪撃を紙一重で潜り抜け、その腕を掴んだ。 「ぬおおおおっ!」 勢いを利用し、そのままグリズモンを背負い投げで吹き飛ばした。 轟音と共に床を砕いて転がり落ちた巨体は、機械の埋められた腹をむき出しに呻いている。 ゆっくり、力を込めてフライビーモンは両翅を大きく震わせる。 【フライスパーク】…ハルカのスマートフォンに文字が表示される。 だが、迸った電撃は周囲へ放たれない。 フライビーモンは両手へ電流を流し込み、そのまま掌同士を擦り合わせた。 弾けた火花はやがて圧縮・収束─練り上げられた電撃は、やがて高速回転する刃へ形を変えた。 まるで巨大な手裏剣のように。 フライビーモンはぐっと身体を捻り、勢いそのままに電撃の刃を投げ放った。 ─バキュンッ!! 雷鳴を伴いながら突き進んだ刃は、鋭い音を夜の廃ホテルに響かせる。 高速回転する雷の手裏剣は、グリズモンの腹部へ一直線に突き刺さった。 だが、切り裂いたのは肉体ではない。 埋め込まれていた黒い機械だけを、正確に両断する。 火花、破裂音、砕ける金属音─機械の赤いランプが明滅しながら砕け散った。 起き上がったグリズモンからは、先程までの狂暴さは消えていた。 「ほげ…?」 目をぱちぱちと瞬かせ、自分でも状況が分かっていないように周囲を見回す。 「どうやら成功でござるな…」 フライビーモンは安堵したように息を吐く。 その身体が淡い光に包まれ、ゆっくりとテントモンへ退化していく。 「大丈夫でござるか、グリズモン殿!」 駆け寄るテントモン。 グリズモンはまだ混乱した様子のまま、小さく唸った。 「クマちゃん、もう大丈夫そうだね」 テントモンが振り向いた時…既に少女の姿はなく、夜風だけが崩れたフェンスを揺らしていた。 「…ハルカ?」 ・05 「とはいえ、どのようにデジタルワールドに帰ったものか…」 翌日、廃ホテルの屋上で朝日を浴びながらテントモンは途方に暮れていた。 勝手にリアルワールドに行き、勝手に操られて暴れまわった当の本人は朝に弱いのか熟睡中だ。 「おっす」 テントモンは思わずずっこける。 現れたハルカは、相変わらず昨日のままのボロボロな制服姿だった。 「この流れは何も言わず消えて、二度と会わぬのがお約束ではないのか!?」 「やること忘れててさー」 「お主は余韻というものを知らんのでござるか」 ハルカは適当に相槌を打ちながら、寝起きのグリズモンへコンビニ袋を差し出した。 「はい肉まん。抹茶まんはあーしの朝飯だからだめだよ」 「へへっ…姉御ありがてぇ…」 「簡単に手懐けられてるでござる…!」 同日の昼下がり…秋元柚子は、大きな溜め息をつきながらぼんやりと窓を見つめていた。 「なんだったんだろアレ…幻覚だったりしたのかな…」 あの日から、一週間。 N区廃ホテルで大きな騒ぎがあったという話もないし、ネットの変な話も増えていない。 あの青髪の少女も、噂の“なにか”も、それ以来一切現れていなかった。 「いや知らないしあんな人…急に部屋入ってくるし…意味わかんないし…」 左耳のピアスを弄りながら、ぶつぶつと一人で唇を尖らせる 「明日くらいは、学校行ってみても…」 柚子はチラっとベッドの端へ置いてあった制服を見る。 相変わらずぐちゃぐちゃではあるが、洗濯はされてある。 あの“井赤晴夏”という存在のせいで、ほんの少しだけ外に意識を向けさせられていた。 「ちゃんとお風呂浸からないと…お湯溜まったかな…」 柚子は、窓から空を見ながら立ち上がる。 風呂に入るし、部屋も最低限は片付ける。 だから、自分はインターネットでよく見る残念な引きこもり勢よりはマシだ…そう言い聞かせていた。 薄暗い部屋の中、柚子はサイズが少し合っていない部屋着に手をかける。 ゆっくりと腰から服を下ろ「おっす」した。 「んぎゃっオアーーッ!!?」 柚子は脱ぎかけた服に足を取られ、その場で盛大にひっくり返った。 窓際には、いつもの無表情な青髪の少女が立っていた。 「なにやってんの?ウケる」 ハルカは真顔のまま、窓枠を跨いで部屋へ入ってくる。 「うわ、またエナドリばっか飲んで。体に悪いよ〜」 「い、いやいやいやいや!!なんでいるの!?」 「ほら、なんか撮れたら見せるねって」 ハルカは影に隠れるテントモンを無理矢理引っ張りだした。 「んひいいいっ!?」 「やっぱりこうなったでござるか…」 巨大な虫がいきなり眼前に飛び出し、再び絶叫する少女を見てテントモンは申し訳なさそうにする。 「こ、これって…都市伝説に聞くデジモン…?」 「テントさんはテントさんだよ。ねー」 半泣きで叫ぶ柚子を前に、テントモンの腕を掴んでぐにょーっと伸ばすハルカ。 心配するんじゃなかった…柚子は既にだいぶ後悔している。 「ていうか汚い…」 ボロボロのハルカと野生そのもののテントモンを改めて見た柚子は、しかめっ面になる。 破れた袖、煤けたスカート、ところどころに乾いた泥。 ハルカは自分の制服を見下ろすと、今更ながら確かに汚いかも…と思った。 「昨日は帰ろうとしたけど飽きてホテルで寝ちゃってさー」 「飽きても廃墟で寝ないでしょ…」 柚子は、目の前の生き物が改めて自分の考えとはまるで違う存在だと思いしらされる。 「廃ホテルだしベッドはいっぱい!お得だねぇ」 ピースサインをかざすハルカに、柚子は思わず頭を抱える。 「そ、そういう問題じゃなくて…」 テントモンは申し訳なさそうに小さく手を上げた。 「すまぬご友人…ハルカはこんな感じで…」 「ごゆ…」 友人という言葉に柚子はしばらく唸ったあと、大きく溜め息を吐く。 「…お湯、まだ冷めてないから」 「お?」 「お風呂に入ってきて」 数秒の沈黙から、ハルカは瞬きをした。 「あ〜。意外と優しいんだ〜」 へっへっへ…と笑うハルカに対し、むすっとした顔の柚子は手当たり次第にバスタオルを投げつける。 ハルカはテントモンを放り捨てると、そのまま三枚のバスタオルを全部キャッチして見せる。 得意げなのかどうかも分からない真顔の姿は、妙に画になっていた。 「明日学校行く気なくなるから、せめて人類レベルの衛生にはなってて!ほら!」 「全く、デジモンは投げ捨てるものではござらんぞ…あ、いや。お邪魔しているでござる…」 テントモンは翅をぱたぱたと揺らし、その場に浮遊する。 柚子は部屋からハルカを押し出すと、このテントさんとやらも苦労してるんだなと少し親近感を覚えた。 知らない女子を家へ上げて、巨大な虫に風呂待ちをさせている。 冷静に考えると意味がわからず、なんともなしにまた外に視線を向けた。 すると、はす向かいの建物に取り付けられた非常階段の踊り場に、球体から四肢の生えたようなシルエットが浮かんでいた。 「くっそ〜最近の若いモンは廃棄弁当もくれへんのか…」 ソレはくたびれた全裸の中年男性といった風貌で、とてもではないが関わりたくない姿をしていた。 彼はコンビニ袋を漁りながら、ぶつぶつと独り言を言っている。 柚子は無言でカーテンを閉めた。 「どうしたでござる?」 「うん、見なかったことにしようかなって」 思ってるより未知の生物はそこらへんにいるんだな…なるべく冷静になろうと考えていたら、扉がガチャっと開く。 「秋元、敬語じゃなくなったね」 ハルカはそう言うと、扉をまた閉じた。 柚子はなんだか体が痒くなり、ピアスを強く触りながらベッドに座った。 おわり