付喪神記(上) 『陰陽雑記』によると、道具が百年を経るとべけて魂を得、人の心をたぶらかす。  これを付喪神というのだそうだ。  だから、世間では毎年立春に先だって、家にある古い道具類を払い出して道の端に捨てる習慣がある。  煤払いである。  それというのも、百年を経た道具の化け物の災難にあわないためなのだ。  又、新年の始めに新しく火を起こし、水を汲んで、衣装から家具に至るまでみな新しくすることは、  もとは富貴の家から起こったものであるが、あの付喪神を避けるためという意味があるのだと納得されるのである。  さて康保年間(964年~968年)のことであったろうか、煤払いによって洛中洛外の家から捨てられた古道具たちが、  一所に寄り合って相談していた。 「我々は多年家々の家具となって奉公の忠節をつくしたにもかかわらず、  なんのほうびもないばかりか路上に捨てられ牛馬に踏まれるなど、まことに恨めしいことではないか。  そこで考えたのだが、どうにかしてでも化け物になってそのあだを報じようではないか」  そこへ数珠の一蓮入道が口を出して、 「みなみな、このような目にあうのもすべて因果なのだ。  だから、あだを恩で返すがよい」  と言うと、手棒の荒太郎が進み出て、 「なんとお節介な入道だ。  生半可な道心者の言うことなど聞くものか」  と、一蓮入道を砕けんとばかりに打ち据えた。  一蓮は手をすりあわせて逃げまどったが、あまりに強く打たれて息も絶え絶えになったので、  弟子が助け起こして連れていった。  こうして報復のためにみなの意見を聞くと、古文書の古文先生がこう言った。 「天地創造のころは、人間も物も草木も形がなかった。  しかし、陰陽の気によって仮に万物が生まれたのだ。  我等がもし陰陽の気にあえば、必ずただの「物」から魂のある存在になれるはずである。  陰陽によって変化した物の例もあることだ。  だから、今度の節分を待て。  節分とは、陰陽が反転して物が形を改める時である。  我等もその時造化の手に身をゆだねればきっと化け物になれるだろう」  古道具たちは、おのおの古文先生の言ったことを古紙の端に書き付けて帰っていった。  さて、追い出された一蓮はというと、あまりに無念なのでもう一度彼等に説教しようとしたが、  弟子たちが引きとどめるので思いとどまり、一首の歌を詠んだ。   一すじに思いきらない玉の緒が強く   結びついているような我が心である   ことよ  さて、既に節分の夜となったので、古文先生の教えに従い、古道具たちは身を虚にして造化の神に祈った。  彼等は既に百年を経た年の功があり、変化する徳を備えていたので、忽ちに化け物となりおおせた。  ある者は人間の男女・老少の姿となり、またある者は魑魅魍魎の体をなし、あるいは狐狼などの獣の形を表す。  いろいろな化け物の恐ろしい有様は、言うにも及ばないほどである。  化け物たちは住むべき所を決めようとしたが、あまりに人里遠くでは食物を調達する手だてがないので、  京の北西にある船岡山の後ろ、長坂の奥を本拠地と定めた。  そして、常日頃は京・白川へ出ては捨てられた報復をし、人間は言うに及ばず牛馬家畜までもを取って食べたので、  京の人々はみな悲しむこと限りなかった。  けれども、目に見えない化け物なので、退治しようにも手だてがなく、ひとえに神仏に祈ることしか出来なかった。  化け物たちは肉の城を築き、血の泉を湛えて酒盛りをし、遊び狂った。  そして、人間の楽しみや天上の快楽など羨ましくもない、などと豪語しあった。  ある時、化け物のなかにこんなことを言う者があった。 「そもそもわが国は神国であって、みな神道を信じ奉っている。  だから、我等も造化の神をあがめ奉らないのは心ないことだ。  今よりこの造化の神を氏神と定めて祭礼を催せば、我等の運命久しく保たれ、  子孫繁栄することは疑いない」  そこで、この山の奥に社を建て、その名を「変化大明神」と号し奉ることになった。  鳥烏帽子の化け物を神主とし、八乙女、神楽男などを決めて、朝夕神をまつった。  他の社の例にならって祭礼を行うべしと、御輿をあつらえ、四月初めの五日の真夜中、  一条通りを東に向かって祭礼行列は進んで行った。  そのときまさに、時の関白殿下が臨時の除目を行うために、  一条通りを西へ向かって達智門から参内しようとしているところだった。  化け物の祭礼行列に行き会ってしまった関白殿の行列は、妖気に当てられて、  先駆けをしていた人々は落馬して死に、そのほかのお供の人々もみな倒れ伏してしまった。  しかし、関白だけは少しもお騒ぎにならず、御車の中から化け物たちをはったとお睨みになったところ、  不思議なことに肌身につけたお守りが急に火炎を吹いたのである。  その火炎は無量の炎となって化け物たちに襲いかかった。  化け物はみなよろよろと倒れて逃げ失せてしまった。  関白殿下は参内出来ずにお帰りになったが、未明になって、この夜の出来事を天皇に奏上申し上げた。  すると天皇はたいそう驚かれて、陰陽師に占いをさせてところ、厳しい慎みをなさるよう奏したので、  天皇ほ諸社に奉幣し、顕密の寺院での祈祷を始めるよう沙汰なさった。    そもそも、関白のお守りの奇特を尋ねれば、ある僧正が自ら書き供養した尊勝陀羅尼をお守りとして  肌身離さずお持たせになったものである。  火炎はその験力によるものだったのだ。  天皇もそのことをお聞きになり、今度の祈祷はその僧正に任せるようにとの仰せを下された。  僧正は再三辞退申し上げたが、天皇の勅定なので清涼殿において如法尊勝の法を行った。  出座の僧たちはみな一門の秀才で密教に精通した者ばかり。  護摩の煙は禁中に漂い、念珠の声は禁裏に鳴り響いた。  そうしているうち、第六日目の後夜のとき、天皇が御聴聞のためにおいでになろうとすると、  御殿の上にぎらぎらと輝く光明が現れた。  その中には不思議な護法童子七、八人がおり、ある者は剣を持ち、ある者は宝棒をかついで立っていたが、  同時に北の方を指して飛び去った。  彼等は明王の眷属で、化け物を調伏するために出現したのだ、と天皇は感激のあまり衿を涙で潤したのである。  天皇の祈祷の場へおいでになり、本尊を拝みなさって、祈祷が終わった後、お布施の儀式がすんで、  僧正を御前近くへ召され、おっしゃった。 「真言密教の奇特は今に始まったことではないが、このたびの功験は僧正殿の長年の修行によるものです」  天皇が仏法を尊ばれるかたじけなさに僧正は感涙にむせび、御前を退出した。  そうしているうちに、護法童子は化け物たちの城へ飛び、忽ちのうちに降伏せしめてしまった。  仏法の法輪は虚空に転じ、火炎は化け物の身を責める。 「おまえたち、もし今後生命を害さず、人々を悩ますことなく、三宝に帰依し無上の悟りを聞こうとするならば、  命だけは助けてやろう。  そうでなかったら、ことごとく降伏させてしまうぞ」  と護法童子が言うと、化け物たちは深く反省の色をなし、仏門に帰依することを堅く誓ったのである。