物心つく前から、私には両親がいなかった。 私の国は里親の制度が充実していたから、そのことで不自由を感じたことはなかったし、会いたいと思うこともなかった。 なにせ、顔も知らない。 なぜ親がいないのかを教えられたのは、私が10歳になった時のことだ。 継親が言うところには、私の本当の両親は重い罪を犯し、二度と外には出られぬ身であるらしい。 私は知りたくなった。人々がなぜ悪人になるのか、なぜ罪を犯すのか。 そこから10年とちょっと。 私が犯罪心理学の修士課程に進んだ頃、滅多にメールのこない私のアドレスに、妙な質問が届いた。 『あなたは心を覗きたいですか?』 スパムか何かにしか思えないそれに、私はなぜか、一切の躊躇なくYESと答えた。 そうして私は、アプリドライヴァーになった。 私はカリスモン達の力を使って、様々な人間の心を観た。 やがて私は考えた。カリスモン達の力を使えば、全ての人間を善人にすることができるのではないか?と。 「ミス・エンゲルハルト。君の研究は倫理を外れている。」 そう何度言われたか。 犯罪者の脳内に干渉する私の研究は、いや、私は異端扱いされた。 私を影で魔女と呼ぶ者もいた。私が赤毛だからだ。 カリスモンたち以外、私に理解者はいなかった。 でも、私は研究を続けた。 孤独には、慣れていた。 ───────── 「本日はお時間を頂けること、感謝します。フラウ・エンゲルハルト。」 私の研究室にやってきた白いスーツの男は、そう言って私に名刺を渡してきた。 〈Estonian Foreign Intelligence Service Artur・Yaginuma〉 エストニアの…情報機関の人間。 国家に命を狙われる様なことはしてないと思うけど…万が一と言うこともある。私は彼から見えないよう、机の下でアプリドライヴを握りしめる。 「それで〜…私にどの様な用事、かなぁ〜?」 「貴女の論文を拝見させていただきました。犯罪者の更生に関わる物です。」 ああ、またいつものパターンか。 「倫理面に文句でもつけにきたのならー、今すぐ帰って欲しいね。」 「…私は今日、私個人として協力を依頼しに参りました。エストニア政府の人間ではなく、平和を望む一個人として。」 彼は私の目をまっすぐ見つめながら、そう言った。 …綺麗な金髪をした男だ。なんだか鼻につく。 「平和?随分と雲を掴む様な事を言うんだねぇ〜。」 「何も、私は今すぐに平和を実現しようとしているわけではありません。」 彼は立ち上がり、手を広げる。 「世界は今、変革の時にあります。容易に振るえる強い力が多くの人間の手に渡ろうとしている。力を手にするものが増えれば悪もまた力を増し、平和はさらに遠のく。だから私は、その力を管理したいのです。」 「力?君は一体…なんのことを言っているのかなー…」 雲を掴む様な事どころか、陰謀論に脳を犯された人間の様な事を言う…こう言うタイプの人間は、妄想に囚われてクーデターを起こそうとしたりする。全く面倒だ。 そんな風に思っていたはずが、彼の次の言葉を聞いて、私は背筋が冷える様な感覚を抱いた。 「貴女だって知っているはずだ、彼らのことを。力を借りたことがあるでしょう?モンスターの」 まるで全ての雲から落ちた様な思い(aus allen Wolken fallen)だった。 この男は知っているのだ、カリスモンやドリーモンのことを、アプモンのことを。 「…君も、アプリドライヴァーなのかな。」 私はあえて、手に持っていたアプリドライヴを彼に見せた。 「私はデジモンテイマー…アプモンと厳密には異なりますが…まぁ似た様な立場です。」 そう言って、彼は懐から妙な形の赤いデバイスを覗かせる。 私のアプリドライヴとは明らかに異なるものだ。 「話を続けますが…あの論文の理論、本当はアプモンを前提としていますね?」 「わかるかい?アプモンなんかをを論文に載せて査読が通るはずもないからねぇ〜…あくまでも逆行催眠を利用したセラピープログラムというテイさ。」 「デジモン犯罪者は、否が応でも今後増えていくでしょう。貴女のその理論の様な多少過激な手段を使ってでもデジモンによる世界の変化を押し留め、平和を守らなければならない。フラウ・エンゲルハルト、貴女が必要なのです。」 そう言って、彼は私の手を両手で包み込む。 …悪い気はしない。 「………すぅ……はぁ…。最初から言おうと思っていたんだがー、私はドクトルだ。ドクトルと呼んでほしい。」 ミスやらフラウやら、いちいちそうやって呼ばれるのは、女扱いされているようで気に食わない。 「それと…エルフリーデで良い。」 「ドクトル・エルフリーデ。ご協力、いただけますね?」 「私の研究を実用できる機会があるんだ。こんな機会…滅多にないよねぇ〜…協力、するよ。」 ───────── そこからは、目紛しい速度で事が運んだ。 アルトゥールは各国の国連大使に瞬く間に話をつけて根回しをし、『デジタルモンスター問題に関するパリ条約』を採択させてしまった。 しかも我が国ドイツも日本もアメリカも中国もロシアも批准している。とても信じられない。 私はUNDOの立ち上げメンバーの一人となり、パノプティコンでデジモン犯罪者に施す更生プログラム『Traum』のシステムを完成させ、ついでにゲンゴーモンを利用した翻訳システムも作った。 私はさまざまな人間がなぜ悪に落ちたのかを分析し、そしてプログラムを施していった。 あまり褒められた感情ではないが、正直なところ、私はこれがとても楽しかった。 デジモン犯罪に手を出す様な人間がすることは、大抵スケールが大きいのだ。 なぜそんな行動に陥ったのかを分析する行為が、私の心を満たしてくれる。 それはまさに、私にとっての天職だった。 そんなある日、アルトゥール”局長”から私に、Traumを応用した記憶の抽出システムを構築するよう命令が下った。 人間の記憶を抜き出して再生するなんて、記憶に手を加えるよりよっぽど簡単だ。 しかし、何に使用するのかは少し引っかかる。 聞いてみると、局長は私に、セクター0というものの存在を明かした。 彼に向けて日本の警察からリークされた、八重練・H・鏡華なる”特別な囚人”を収容するためのセクターなのだという。 「いくら特別とは言え、その女一人のためだけに専用のセクターを?」 そう聞いた私に、彼はこう言った。 「彼女は相応の危険性と、相応の価値を持っていますから。」 ───────── そして、抽出システムが完成してから数週間後。 局長は例の”特別な囚人”を連行してきた。 その囚人は確かに興味深く、記憶からはデータベースに無いデジモン使役装置や、対デジモン兵器のデータが断片的に抽出できた。 そう、断片的。 いくら負荷を高めても断片的な記憶しか取れず、丸ごとの記憶が抽出できないのだ。まるで記憶にプロテクトでもかかっているかの様に。 こんなことは普通の人間ではありえない。 つまりこの女は、普通の人間では無い。 そんなことは精神構造を見れば歴然だ。人間のそれでは無く、むしろデジモンに近い。だからそんなことができるのだろう。 この女は、一体自分の体に何をした? 「君は一体…自分に何をしたのかなぁ〜」 そう呟きながら、私は彼女が望んでいる夢のモニタリングデータを見る。 そこに映し出されているのは、彼女が幼い子供と楽しそうに遊ぶ姿だった。 「家族ごっこね…。」 私は手元にある、端がクリップで止められた彼女についての資料を開く。(UNDOに関わって初めて知ったが、デジモン案件の場合は古臭い紙資料の方が秘匿性が高い。) 八重練・H・鏡華、本名出海鏡花。 独身、両親はすでに死亡。親しい親戚もおらず、大学卒業以降の彼女の足取りははほぼ掴めず。 FE社なる企業の裏部門に関わり、人体実験を繰り返し大量殺人を犯したとされているが、本人の証言以外の証拠はない。 抽出された記憶には確かに当該企業の情報が含まれており、現実の情報とは矛盾する。 次にページを一気にめくり、最近新たに追加された一番下の資料に目を移す。 出海ほむら。 独身、戸籍に両親の記載はなし。公的な記録は一切見つからなかったが、抽出された記憶などから、八重練・H・鏡華の娘に相当すると考えられる。 幼少期は出海鏡花の親戚筋を転々として育つが、高校生時に一人暮らしを始める。 …彼女は私と同じ、大罪人の娘というわけか。 八重練・H・鏡華は相変わらず、娘の形をした夢と遊んでいる。 彼女が見ている夢は、その願望が反映されたものだ。 カリスモン達に勝ってしまうかもしれない強い力を持つ彼女であっても、居心地の良い夢からは覚めようなどとは思わない。 こうしておけば、抽出を比較的安定して続けることができるだろうという私の目論見は、見事的中していた。 娘と暮らすことが願望だというのなら、なぜ最初から母親として関わらなかった?なぜ悪に手を染めた? …いけない。自分を重ねすぎた。 私の良くないクセだ。思考を理解しようとしすぎる余りに、余計な感情までも持ってしまう。 一度シュプルーデルでも飲んでリフレッシュすべきだね。 「………あれ?」 椅子から立ち上がれない。おかしいな… 『エルフィ、君が最後に寝たのは43時間前だ。もう許容範囲を超えている。』 そう、アプリドライヴから声がした。 「カリスモン、きみのせいか…マスターに勝手に催眠をかけるのは…感心しないなぁ〜。」 もう丸二日近く研究し続けていたのか。言われてみると、急に眠くなってくる気がした。 「勝手に眠らせるのも…感心しないかなぁ〜…」 『それには私は関与していない。君の体が眠りたがっている、それだけだ。』 ああ、眠い。 もうどこでも良いか…。 そうして私はいつものように椅子のリクライニングを最大まで下げ、予備の白衣をブランケットがわりに被って眠りについたのだった。 ━━━━━━━━━ 2時間後。 「ドクトル、ドクトル?…ドクトル・エルフリーデ!」 エルフリーデが根城としている、パノプティコンセクター2に姿を現したのは、UNDO事務局長 アルトゥール・夜城沼だった。 「…ドクトル、お眠りでしたか。」 椅子の上で丸まっている白衣の塊を見て、彼はそう理解した。これが初めてのことではないからだ。 「カリスモン、ドリーモン。ドクトルを起こしていただけますか?」 『断る。エルフリーデはまだ2時間しか睡眠をとっていない。43時間の稼働を考えれば、最低でもあと10時間の休息を必要とする。』 「そうですか…では、彼女が目を覚ました時に、この資料に目を通すように伝えてください。新たな囚人の身辺情報です。」 そう言って彼は、近くのデスクに紙の束を置いた。 『了解。』 「それで、コード442の様子は如何ですか?」 『抽出の進捗は芳しくない。対象の精神は私の能力でも中身を探り辛い。新たに抽出できた情報は『死者、錬成、人体』の単語3つだ。』 「そうですか。既存のアプローチではそろそろ限界かもしれませんね。」 『エルフリーデもそれは感じているようだ。何か策を見つけるだろう。』 「期待していますと、伝えておいてください。」 『了解。』 「…それと、ドクトルに『たまには家に帰ってシャワーを浴びるように』とも、伝えてください。」 そう言うとアルトゥールは踵を返し、セクター2を後にしたのだった。 ━━━━━━━━━ 更生プログラム『Traum』 ドクトル・エルフリーデ・エンゲルハルト考案による犯罪者更生プログラム。 カリスモン、ドリーモン、スリープモンの三体のアプモンチップを使い対象者の精神へ干渉、夢という形で当該人物の人生を改変した形で追体験させることにより、 悪人になった原因となる出来事の記憶ごと脳内を書き換える。 これにより、元の人格を比較的保ったまま、善良な人間へと生まれ変わらせることが可能。 プログラム名はドイツ語で夢を意味する。