S区のはずれ──── 都市から離れた郊外。整備が行き届いておらず荒れ果てたその地に、その店はあった。 寂れた喫茶店に、二人組が訪れる。思い詰めた顔の男女は、重々しい雰囲気でカウンターに座る。 店員のいない狭苦しい、薄暗い店内では、注文を聞くのは店長の役目だ。 店長の恰幅のいい中年男は、努めて親しみやすい雰囲気で二人に近づき、用件を聞いた。 二人が口にした事情に、店長は顔色を一転させる。途端に険しい面持ちに様変わりした店長は、店を施錠して二人を奥の部屋へと案内した。 奥の部屋に待ち構えていたのは、黒いパーカーのフードを目深に被った人物。生地の破れたベルベット革の小さなソファに座っている。体つきからして男であることは、来客の二人からはかろうじてわかった。 「リョウマ、話していたお前の客だ。」 「…。」 店長の言葉に、「リョウマ」と呼ばれたフードの男はぴくりとも動かない。沈黙で物事を語るタイプのようだ。 目の前に座った来客の男女。リョウマの表情は窺い知れない。フードの縁から覗く、この店とこの男の雰囲気に似合わぬ栗毛色の前髪で、目線がわからないのだ。 重々しい沈黙を破ったのは、来客の男の方であった。 「貴方が、クリーナーの三上竜馬?」 「……少なくとも他の奴を、俺は知らない。」 竜馬の返しは煙に巻くような言葉であった。肯定も否定もしない曖昧な言葉に、男は焦れた。 「…僕たちは貴方以外他に頼れるものがないんです!!真面目に答えてもらわなければ困ります!!」 「義和さん!!」 傍にいた女が制した。義和と呼ばれた男は、少々激しやすいようだ。それが生来のものか、それとも事態の趨勢によるものかは、この場ではわからない。 「ご無礼をお許しください。申し遅れました。私は彼…義和さんの婚約者である江藤香織と申します。こちらは武田義和さん。先の通り、私の婚約者です。」 「………俺のことをどこで聞いた。」 女────香織が名乗ったのを聞いているのかいないのか、不意に竜馬はそう尋ねた。 「父の伝手で。私の父は国民保護省で働いていますから。」 「…。」 竜馬は静かに腕を組んだ。 国民保護省、というワードが出た瞬間、部屋の雰囲気が張り詰めた気がした。店長の中年男は、首筋に汗をかいているのを自覚していた。 「デジモン絡みか。」 竜馬の鋭い問いかけに、香織は沈黙を持って肯定する。 ────『花嫁喰らい』、という賞金首の話を、クリーナーである三上竜馬は近頃よく聞く。 結婚式の場に突如として現れ、花嫁のeパルスを吸い尽くしてコールドハートに追い込むデジモン。 幾人かのクリーナー────ソロ、ないしはチームの────が挑んでは、返り討ちにされており、それによって報酬額が吊り上げられている。 そんな相手から、婚約者義和との結婚を控えた香織の元に犯行予告状が届いたのだという。 要約すれば、花嫁である香織を襲う、というもの。 当初は人間による犯罪の線が考えられたが、近辺で頻発している事件傾向から犯人がデジモンであると類推されると、捜査の手は一気に鈍った。 公にはデジモンは明らかになってはいない存在。 そんないるかどうかもわからないものを相手に大っぴらに捜査はできない、というのが捜査機関の言い分だ。 当然それでむざむざ餌食になるのを黙っていられる二人ではない。方々に手を尽くし、伝手を頼りにクリーナーの存在を知り、賞金首の情報を取り扱う喫茶店経由で比較的信頼でき、かつ実力も期待できる(とされる)クリーナー・三上竜馬にコンタクトを取った、という次第である。 S区近辺のクリーナーの層が薄い(それこそ、新参の竜馬がそこそこの立ち位置に居られるくらいには)ことを差し引いても、『花嫁喰らい』はかなりの脅威であった。討伐すればかなりの報酬にありつける。 だが竜馬は、この場に至るまではこの依頼を受けるつもりはなかった。 成り行きでクリーナーになったとはいえそれで名を上げるつもりはなかったし、他の依頼をいくつかこなしているおかげで、今の所蓄えには困っていないのだ。ソロで活動しており養う仲間も特にいないこの男にとって、危険な橋を渡る道理はない。 香織から事情を聞き終えた竜馬は、そのまま黙り込んだ。熟考しているらしい。 やはり焦れたのは義和であった。 「…貴方だけが頼りなんです!!僕は!!命よりも大切な香織を失いたくない!!何とか言ってください!!」 「義和さん、落ち着いて。」 「でも…!」 二人のやりとりを見ていたのかそうでないのか、竜馬はフードを被った顔を少し上げた。 明るい色の前髪の後ろに、暗い三白眼が覗く。二人を値踏みしているような、そんな鋭い眼差しに射られ、香織と義和は何も言えなくなった。 「…ふたつ。言うことがある。」 徐に言葉を発した竜馬に、部屋に居た者全てが気圧された。重々しい口調で、しかししっかりと噛んで含めるように、竜馬は語る。これは彼なりの忠告なのだ。香織はそう察した。 「ひとつ。俺は正義の味方じゃない。俺は生きるためにクリーナーをしている。命懸けの使命でもないし、ボランティアでもない。割に合わないと判断したら俺はすぐに手を引く。」 義和が思わず何か言いそうになったのを、香織が制して続けさせる。 「ひとつ。結果があんた方の思い通りになる保証はない。犠牲が絶対に出ないと確約はできない。…やれるだけのことはやるが。」 後から竜馬が付け加えた言葉に、香織は表情が明るくなった。 「…やるよ。」 竜馬はそう端的に答えた瞬間、フードを脱ぐ。栗毛色の髪をした『少年』は、憮然とした表情で承諾の意を伝えたのだ。 それをもって、部屋の雰囲気は弛緩する。 明らかになった若きクリーナーの顔立ちに、義和と香織は呆気に取られているようだった。「こんな子供が…?」といった顔をしている。 その意を汲んだ竜馬は、微かに笑いながら続けた。 「…珍しいか?クリーナーはこんな手合いは多いぞ。」 ──────── 「それで!?どうやって犯人と戦うんです!?」 依頼を引き受けてもらった喜びと安堵からか、義和がヒートアップして捲し立てる。「戦う」という単語に何か引っかかったのか、眉尻を少しだけピクつかせた後竜馬は静かに答えた。 「詳しい話は追ってする。あんたらは今日は帰れ。」 それは「これ以上話すつもりはない。」という竜馬の意思表示である。あくまでこの依頼話の主導権は自分にある、という意を存分に漂わせていた。 店主は思わずでっぷりとした首筋に浮かぶ汗を手で拭った。 竜馬の言葉にキョトンとしている義和を他所に、察しの良い人物であるらしい香織はすぐさま小さな紙切れを渡す。 「これは私のアドレスです。何かあったらこちらにご連絡ください。義和さん、今日はもうお暇しましょう。」 手短に伝えると、彼女はどこか抜けた婚約者を連れ立って店を後にした。 来客が去り、静寂が訪れる。 その場に残された2人、そして『もう1人』の会話で、場の空気が一気に弛緩した。 「…ぷはぁっ!今日は上手くお話しできたね竜馬!」 竜馬の傍らに置かれていたナップザックの中から、彼の相棒であるエレキモンが姿を現した。いきなり実物のデジモンを見て依頼人が取り乱さぬよう、竜馬から隠れているように言われていたのである。 もっとも、こののんびり屋のデジモンはサポ主からたらふくeパルスを貰い、満腹にかまけてナップザックの中で寝こけていたのが正直なところだが。 「竜馬ぁ〜…客を選り好みするなよ…。俺の店の評判が落ちて情報が集まらなくなったらお前だって困るだろうが。」 「…俺は話を聞きに来ただけだ。受けるかどうかはまた別の話。親爺の店がどうなるかも別の話だ。」 「んな殺生なぁ…。」 気心知れた雰囲気で話すが、内心、この親爺と呼ばれた店主は張り詰めていたのだ。自分の店に集まるクリーナーの中で一際気難しいこの少年が、いつ依頼人たちに牙を剥くか読めなかったからだ。 そんな2人に割って入るように、エレキモンが意気揚々と宣う。 「でもオイラ知ってるぜ!こういう時の竜馬は頼まれごとは断らないって!」 「…余計なことを言うなエレキモン。」 「でへへ〜。」 「頼むぜ竜馬…本当によ…。」 渋々といった様子で店番に戻っていく店主を見送りつつ、エレキモンは胸中でごちる。 ───そうだ。竜馬は困った人を無碍にしない。そうでなきゃ、自分と共にクリーナーなどという職に身をやつすこともなかった。決して目の前の相手を見捨てないと、誰よりも知っている。だからこそ、自分は竜馬のそばにいるのだ。 ──────── 依頼を引き受けてもらったとはいえ、香織と義和のもとに、三上竜馬から連絡が来ることはなかった。 刻一刻と時は過ぎ、結婚式の期日まで近づいてくる。 結婚式を予定通り行うべきなのか、それとも日程をずらすべきなのか、その指示すらもなかった。 日に日に焦れて若きクリーナーへの罵詈雑言を喚き散らす義和に辟易しながらも、きっと考えがあるはずだと彼を宥めすかす香織だったが、それでも彼女のサポタマがうんともすんとも言わないことについては懸念していた。 果たして自分たちの願いは聞き届けられたのだろうか。 竜馬からの連絡のために通知音を変えてすらいたが、彼だけの通知音は結局、結婚式当日に至るまで音を奏でることは無かったのである。 「もういい!もうたくさんだ!あんなやくざ者に話を持ちかけた僕らが間違ってたんだ!父に相談して式場の警備を固めている!!何がデジモンだ!!僕の香織を奪わせはしない!!」 息巻いて結婚式場の新郎控室から飛び出していく義和を見送りながら、見た目麗しい花嫁衣装に身を包んだ香織は、沈痛な面持ちで腰掛けていた。 誰も助けてくれない状況の中で、藁にもすがる思いで頼った相手。果たして本当に正しかったのだろうか。義和ほどではないにしろ、日に日に不安は大きくなっていく。 ──────── 「病めるときも、健やかなる時も…」 ヴァージンロードを父に引かれながら歩き、参列客の前を進みながら、香織は義和の隣にたどり着き、神父からの誓いの言葉を受ける。 襲撃者の姿はない。竜馬の姿もない。 「それでは指輪の交換を…。」 互いの手に指輪をはめる。 襲撃者の姿はない。竜馬の姿もない。 「それでは、誓いのキスを。」 誓いのキスさえも済ませてしまった。 襲撃者の姿はない。竜馬の姿もない。 いよいよ何も起きていない。香織どころか、鈍感なところすらある義和でさえ戸惑いを隠せない。 だが。 「この婚礼に異議のある者は…この私だッ!!!」 神父は徐にローブを脱ぎ捨てて、その異形の姿を晒した。あまりに人間離れしたその怪物の威容に、2人の新婚夫婦は悲鳴を上げる暇すら与えられなかった。 これがデジモンか。なんと恐ろしい生き物だろうか。こんな想像を絶する生き物がこの世界に存在していたなんて。 恐怖で声が出ないまま、香織は襲撃者に羽交締めにされてしまった。恐るべき怪力だ。決して振り解けない。 「…香織を放せッ!!」 我を取り戻した様子の新郎義和が、果敢に怪物に取り掛かったが、雑草をむしり取るようにこともなげに怪物は彼を振い落とした。 「ンッン〜!やはり婚礼の日の花嫁からは格別なeパルスの香りが漂うものだ…特に君は一際素晴らしい…。"カオリ"だけにな!あーっはっはっはっはっ!!!!!」 強張る香織を押さえつけ、怪物はその大きく裂けた口から、鋭い牙を覗かせ下卑た笑い声を上げる。鋭い牙が自らの身体にたどり着く時、その先にあるのはコールドハート。すなわち己の死である。そう確信した香織は、思わず目をつぶった。 だが、その牙が香織の身を傷つけることは無かった。 突き飛ばされたと気づいたのは、数瞬ののち。 突如として怪物はもんどり打って倒れた。 「何者だ!!」 ありきたりなそんなセリフを叫んだのは果たして怪物だったかそれとも義和だったか。 倒れ伏した怪物の前に立ち塞がったのは、紛れもなくあの男─────! 「────竜馬さん!!」 香織は思わず叫んだ。 若きクリーナーが、数ヶ所凹んだ錆だらけの金属バットを片手にそこにいた。 (…完全体か。厄介だな。) 恐慌渦巻く周りの雰囲気と違い、竜馬の内心は冷静そのものだった。 相手のデジモン─────マタドゥルモンが怒り心頭で喚き散らすも、その言葉は右から左で、頭に染み入ることもない。ただ相手の様子を伺い、最適な行動を起こすのみ。そこまで彼の脳内は最適化されている。 クリーナーとなって数ヶ月。何も考えずに生きられるようになった彼の処世術である。 完全体であれば、他のクリーナーたちが返り討ちにされていたのも頷ける。ミラーワールドに逃げ込まれるのも面倒だ。早めに決着をつけねばならない。 「…エレキモン!」 「合点!スパークリングサンダァァァーーーーッ!!!!!!」 体制を立て直そうとするマタドゥルモンに、飛び出したエレキモンが電撃を浴びせた。 「ぐうっ…!?何かと思えば…!!そんな攻撃が私に通用するものかッ!!!」 マタドゥルモンは長大な爪を振るい、電撃をかき消す。 成長期の攻撃など、完全体にはほとんど通用しない、気休めである。だが、竜馬の狙いは別にあった。 「今のうちに逃げろ!!こいつは俺たちで始末する!!」 すかさずマタドゥルモンの頭を横殴りにバットで殴打する。 新婚夫婦と参列客が逃げる時間稼ぎである。人の多い場所で派手に戦うなど不可能。犠牲者を最小限に抑えるために行動している。 (やはり、この子は…。) 香織は竜馬とその相棒の戦いぶりを見て、彼の意図を理解した。やはり、自分たちの目に狂いはなかったのだ。感動すら覚えた。 「…香織!早く逃げよう!!」 婚約者の声にようやく我を取り戻した香織は、義和に手を引かれ足早に逃げ出す。 ドレスの裾で蹴躓きそうになりながらも、新婦は必死に走った。自分たちのために命懸けで戦ってくれている少年のために。 ──────── そんな香織の内心とは裏腹に、バットを振るいながら竜馬はひとり胸中でごちる。 (…しんどい。何でこの話受けたんだっけな。) 受ける義理のない話。花嫁喰らいなど放っておけば誰かが始末するだろう。不慣れな格闘なんてしなくて良かったはずだ。 なぜ自分がこんなことをしなければならないのか。自問自答を繰り返しながら、目の前の敵に挑みかかっていく。 ────社会から排斥されて、自分からも社会を見捨てた身だった。 元々好きではなかったサポタマ─────自分が兄に劣る成績しか告げない機械────から生まれたエレキモンを、国民保護省に引き渡す選択肢もあった。 そうしなかったのは、エレキモンの姿に自分がダブったからだ。 社会に居場所のない生き物。自分とエレキモンに何の違いがあるのか。 エレキモンを連れてクリーナーとなったのは、自分を見捨てたくなかったからだ。あくまでそのせいだ。 クリーナーとなって、何にも縛られずに生きられるようになった。社会からも、家族からも。 元々居場所のなかった自分にはおあつらえ向きの生き方ではないか。それならばとことんその道を歩んでみよう。 気ままに仕事を受け、気ままに生きる。そんな日々を送ってきた竜馬は、生来の真面目さはなりを顰め、すっかりルーズになった。 香織たちに連絡をよこさなかったのは、犯行予告を出している以上結婚式当日に敵を叩くのが早いと彼なりに判断したのもあるが、何より面倒だったからである。 サポタマは普段エレキモンの体内にあるし、それを差し引いてもいちいち人に話しかけるのが億劫だ。