「クラゲ、見れるかなぁ」少女はつぶやく。 「いるよ、きっといるよマチュ」少年は答える。  少年の澄んだ瞳の中には少女の染色されたビビットレッドの髪。染めたてといった具合の髪はどこか栄養素が足りない。しかし艶は失われてはいなかった。 「マチュの髪は綺麗だね」 「そうかな、この間染めたばっかりだから、傷んでるよ」 「そんなことない、いい匂いがする。おひさまの匂い」  少年は彼女を軽く抱きしめ、つむじに鼻先を寄せる。彼らを乗せる車窓には客はおらず、いかにもといった『運転手さん』がハンドルを握っている。宇宙世紀においても交通インフラの完全無人化はできていない。  彼が少女のつむじを嗅ぐその行為。これは愛情表現であった。彼は愛情を確認する事に場所も時間も選ばなかった。白昼堂々と彼女の愛を伝えていた。 「今はわたしより、おそとを見ようよシュウジ。ほら、海だよ海」 「そうだね、海は綺麗だね。でもボクは海もマチュの事を見ていたいなぁ」 「///」少女赤面する。赤面こそしているが、彼の愛情に慣れている様子もあった。  港町、市街地を走っていたバスは、郊外を抜ける。喧騒とした都市郡が消え失せ、次第に建築物すらなくなる。海岸線に沿って敷かれた道路からは車窓からは海が覗ける。 「海だね」 「うん、地球の海。綺麗だねマチュ」  どこか飲み込まれてしまいそうな深青色の海は日本海と呼ぶにふさわしい。遠くから、白波が絶っているのが見える。  水槽の街へ向かうバスは穏やかに揺れる。クッションが萎びたベンチシートに二人。肩をあわせる。  静かな丘に水槽の街は存在した。入口でテケット(切符)を購め。住人達にご挨拶。  水槽の街の住人は人類ではない。海に生きる生き物たち。無脊椎動物からお魚、海洋性哺乳類まで海に生きるすべての生き物が住人である。  彼らは広い広い海を捨て、水槽の街へたどり着いた。食べ物にも困ることなく。捕食動物に食べられる事無く、今日も元気に暮らしている。  きっと飼育員さんが飼いるわけではない、きっとお魚さん達が飼育員さんを管理しているのだ。そうに違いないと、マチュ曰く。  丘の上には水槽の街。自然界に、すこし間借りしている人間のお遊びの街。 「旧世紀、そのまんまって感じだね」  ところどころ宇宙世紀相応に造作されているが、建物自体は旧世紀に建てられた。百年前のビルジングであった。コンクリート造り。目立たぬ所には錆やひび割れが見える。浜風にあてられて、入口に鎮座するマスコットもどこか錆びついていた。 「おさかなさんだね」タンパクにシュウジは答える。 「ほんとだ、おさかなさん」 巨大な水槽では、どことなく茶色い魚達が来場者にニコヤカに迎えてくれる。 「今泳いでいるお魚は?」 「ホッケだね、飛び出たエラと顔がかわいいね。あとすごく美味しい」 「へぇ…ホッケ食べたことあるけどこんな顔しているんだ。どこかマヌケ」  眼の前の少女に「マヌケ」と言われているが、ホッケさんは『我、関せず』といった様子で遊泳する。 「このお魚は?」 「ソイだね、お刺身がおいしい」 「お隣のお魚は?」 「アブラコだよ。お刺身がおいしい。煮付けにしてもいいね」 「これは?」 「スケソウタラだよ。魚卵。タラコがおいしいね」 「さっきからおいしいばかりじゃん!食べることしか考えてないの?」  マチュは怒ったふりをしながらシュウジの問う。本当に怒ってはいない。ただツッコミを入れる程度の問答であった。 「だって、ここにいるおさかなさん、みんなおいしいんだもん。おさかな、おいしいよねマチュ」  シュウジは淡々と答える。 「おさかなは美味しいよ…うん、おいしいけどさ…なんか違うじゃん」 「何が違うの?」 「雰囲気とかあるじゃん。今日はデートじゃんデート」  今日という日は、マチュにとって大事な日であった。なぜならシュウジとマチュ。二人きりのお出かけだった。ニャアンはハロやコンチとお留守番。  二人っきりの特別でデリシャスな一日をあじわいたかった。フィジカルもバッチリな一日にしたかった。生理明けの爽やかな肉体。染めたての髪。普段はあまりしない化粧まで完璧にこさえてきたのだ。しかし、眼の前の男は常にマイペースであった。 「でもおさかなおいしいよマチュ」 「それはそうだけど…まぁいいや。シュウジらしくて、それがシュウジなんだね」    アマテ・ユズリハ、17歳の少女には水槽の街、水族館は憧れであった。コロニーに水族館はない。人間を生存させる事だけで精一杯なシリンダー型コロニーに、人工的な海を作り出す余力は存在しない。コロニーに水族館はない。故に憧れであった。  海の中に自分がいるかのような幻想的な雰囲気がする水族館にトキメキを感じていた。  しかし、眼の前のハラヘリムシは食べる事しか考えていない。シュウジはそういうおとこのこなんだと納得するしかなかった。 「これは?」顎の張った銀色の鱗にマチュは指さす。 「鮭だね。毎日おいしく食べているんだから鮭くらいしっておかないとダメだよマチュ」  人口の大地であるコロニーでも水産物はよく口にした。切り身で売られている姿しか見たことがないので全体像が把握できていないマチュであった。  焼き鮭は出てくるし生サーモンも食べる、しかしすべて加工されたものであり、姿形はしらなかった。 「となりのは鱒だねトラウトサーモンも一緒にいるね」 「みんな鮭じゃないの?」 「違うんだよマチュ。似ているけど、ちょっと違う」 「へぇ…」 「川から生まれて海を出て再び川へ戻る。同じだけど小さな違いがあるんだ」 「おいしくいただいているから、鮭さんと鱒さんにありがとうを言おうねマチュ」 「うん、ありがとう鮭さん!」  銀鱗達は「こちらこそどうも」と言わんばかりに瞳で答えている。双りにはそう感じた。  無機質なように感じる魚類の瞳であるが。今のシュウジとマチュにとってはとても暖かく迎えてくれているように思えた。ニュータイプ故の感性なのか?または原始の時代に戻る人類の魂からくるものなのか。それはわからない。  シュウジによるおさかな豆知識はつづく。マチュも饒舌に話すシュウジの姿が珍しく。質問を繰り返す。楽しそうに語る彼の姿がどこか、少年めいたかわいげがあって。マチュは好きになっていった。 「これはなんておさかな?」 「ヒラメだね」 「ヒラメとカレイの違いは?」  マチュは鰈と鮃の違いを知っている。正確にはこの水族館デートの1日前までは知らなかった。が聞いてみる。会話というのはこうして作り上げていくものである。 「目の位置だね、カレイはのんびりやさんでヒラメは元気さんなんだ。どっちもおいしいよ、ヒラメのお刺身は海の傍じゃないと食べられない」 「どうして?」 これは知らなかった。聞いてみる。 「アシが早いんだ」 「あし?」 「鮮度がすぐに落ちるっていう意味だよ」  再三ではあるが、さっきから食べることばかり話している。 「シュウジはおさかな博士だね」 「うん、ボクはおさかな博士さ。お寿司だいすきだからね、それに」 「それに?」 「ボクは港町で生まれたんだ。お魚さんと触れ合って育った」 「前におはなししてたニイガタって所?」  マシュ疑問符。ここでニイガタについて少々。軽くではあるが、シュウジの出生地。褥の場での夜伽話の中で聞いていた。 「そう、ここと同じ日本海に面した海辺の街だよ。僕はそこで美味しいお魚さんを食べて、おおきくなったんだ、ずっといたかったんだけどなぁ」 「いたかった?」マチュは伺う。 「戦争があった、それで僕も駆り出された。ニイガタから離れないといけなくなったんだ。」 ―――アマテ・ユズリハ。シュウジと寝食を共にして随分と時が経つ。しかしシュウジの過去に触れる事はなかった、彼のミステリアスな人生については。あまり触れないでいようと考えていたからだ。シュウジはマチュがいう所の「スゴイ存在」なのだが。きっと苦労の連続であった事に違いない。 「本当はニイガタでおいしいお刺身。お寿司を食べて暮らしていたかったけど、宇宙に出ないといけなくなった。そして宇宙を彷徨うにようなったんだ」  シュウジ、過去を大まかだが淡々と語る。明るいデートという雰囲気ではない。翳りのあるトーク話題であった。繰り返しになるが、終始マイペースな男である。 「シュウジ、辛かったらおはなししなくてもいいんだよ?」マチュはやさしいおんなのこであった。 「ううん、辛くなってもいいんだ。マチュにおはなししたい。それだけなんだ」 「そっか、ありがとうね。自分のの事。教えてくれて」 「ボクときみはとても長い時間。一緒に暮らすことになる。一生って捉え方はしたくない。肉体が滅んでもキラキラの中でずっと生きていくのさ」 少年らしい細躯から赤い頭を見下ろしてシュウジは煽る。いつものアングルである。 「重たい話するじゃーん」 「否(いや)?」 「いいよ、つづけて?泳いでいるヒラメさんとカレイさんにも聞かせて上げて、シュウジのおはなし」 「ヒラメさんやカレイさんを困らせるわけにはいかなよ。もうちょっと先にベンチがあるから、そこでおはなししよう」 「そっか、じゃあねヒラメさん。次に合う時はお刺身だね」 「じゃあねカレイさん、煮付けになってまた会おう。僕たちは食物連鎖でつながっている」 『北の魚たち』と題された一角から抜け出す。  途中オオカミウオさんがいた。 「すごい顔だね」「けどオイシクはないかな」と笑いながら通り過ぎた。年季の入った階段を登り。水族館の見どころと呼ばれるその一角へ足を運ばせる。足取りは軽い。 次の水槽の街には小さい小魚が群をなして泳いでいた。 「このお魚はわかるよねマチュ?」 「イワシさん、すごいね」  群れを成し、円柱状に作られた水槽をひたすら廻り続ける。その様子をベンチに座りながら見れるのがこのイワシコーナーであった。 「イワシさんをみながら、ボクのおはなしをしてもいい?」 シュウジ、マチュをベンチへ誘導する。チョコンと座るマチュ。二人の重なる影を魚群が見守る。 「マチュ、おはなし聞いてほしいな」 「いいよ。イワシさん、聞いて上げて。シュウジのおはなし」 「うん、いいよ」イワシの群れがそう答えた。 「おはなしするね。地球という生け簀から、ぼくは追い出されちゃったんだ。宇宙という海に放り出されて。僕は随分と泳いだ」 「もっと自由になっていい―――」マチュが言葉を重ねる。 「―――海を泳ぐ、魚のように」シュウジがマチュの掌を強く握る。  はじめてキラキラの海をシュウジと泳いだその夜。シュウジが授けてくれた言葉であった。 「そう、宇宙という海を泳いだ。けど、けど泳いでも泳いでもちっとたどり着かないんだ」 「たどり着かないって何処に?」マチュは聞く。 「還る場所さ、ボクは旅に出たけど旅からは帰らないといけない。ずっと旅をして生きていく訳にはいかないからな。どこかで巣を作って。とどまらないといけない」 「そうだね」 「それを、見つけてくれたのが。マチュ、キミなんだ」 「がんばったんだね…シュウジ」  小さい躰が彼を抱きしめる。 「うん、ようやく還る事ができた宇宙。それがマチュであり、この地球なんだ、なんだか随分と大きい話をしているようだけど、マチュ、キミに出会えてよかった。それだけの事なんだ」  シュウジ、その青き頭を少女に許す。小さな腕につつまれる。 「つめたい海だった。悲しいことをたくさんした。けどマチュ、キミに出会えたから今のボクがいる」 「この世界にボクも見つけてくれてありがとう。ボクは水族館のおさかなさんでいいんだ」 「どういうこと?」抽象的すぎる表現にマチュは戸惑う。シュウジ 「この水槽にはね、海を泳ぐ事に疲れたお魚さんが集められたんだ。食い殺す事、逃げる事。果てなき海を海流に身を任せ泳ぐ事に」 「そうなんだ」マチュは聞いてくれる。やさしい子だ。 「ここでは誰も食い殺さなくていいんだ。イワシさんの水槽にはイワシさんしかいない。だからのんびり泳いでいられる」 「そうなんだ」「イワシさん同士平和に暮らしている。平和が大事だよ」 「さっきのカレイとヒラメがいた水槽あったよね」 「うん」 「あそこには本来カレイやヒラメさんの餌になる小魚さんも一緒に泳いでいた。けど飼育員さんがご飯をくれるから、その小魚をヒラメさんは食べようとしない。共存できているんだ」 「そうなんだ」 「そうだよ、飢えてさえいなければ狩り殺さない。満腹のライオンさんは人を襲わない。おさかなさんも同じ」 マチュ、話の要点はしっかりと掴んでいる様子。 「ボクはマチュという水槽の中で生きる事を選んだよ。自由ではないかもしれない。けど安心できるからね。ボクの魂が還るべき場所はきっとマチュだったんだ」 「…」マチュ黙っている。 「ありがとう、マチュ。この世界にボクを見つけてくれて、キミが好きだよ」 シュウジの長い手足がマチュを抱きしめる。煌々の場でも愛情表現に躊躇しないのがシュウジであった。 「いいよ」「かわいいね」「しあわせにね」  見守るイワシの魚群もあたたかな目線を向けている。 「シュウジ―――おかえり」  マチュはそう、呟いただけであった。  抱擁だけが、答えであった。 ―――この水族館はトドの繁殖地に建てられたんだ。この場所はトドさんの愛の巣を借りているんだよ。 ―――トドいるの!? ―――いるよ、浜へ下った先、海獣公園にいる。見に行こうね。  やさしい会話が繰り広げられていた。  その後赤と青のつがいはトドやアザラシ。ペンギンさんと挨拶を交わし。お土産コーナーでニャンに頼まれたメンダコのぬいぐるみを購め。帰りのバスを待つ。 「そういえば、クラゲさんいなかったね」 「…忘れてた!?」マチュ、うっかりさん 「見たかったんじゃなの?クラゲ」 「うん、見たかったよ…クラゲ」 「今度はクラゲさんのいる水族館に行こうね。ニイガタの水族館にもいつかいこう」 「そうだね。いっぱい行こうね。水族館」  バスの後部座席。二つのキラキラはヂーデルエンジンの鼓動に揺られながら夕凪をみつめながら夕凪の街を過ぎていく。