砂塵が晴れるのを待たずに、イザベルは地上に降りた。2年間探し続けた男が目の前にいる。 ボーリャックの顔には見覚えのない深い傷が刻まれていた。傷の周囲は変質し、その漆黒に染まった目でじっとこちらを見据えていた。 イザベルは彼の前まで歩み寄り、間髪入れずに剣を浴びせた。ボーリャックの剣が即座に防いだ。重い金属がぶつかり合う音が響く。ボーリャックの両踵から煙が立ち上る。殺すつもりの斬撃。ボーリャックが弾き飛ばした反動を利用し、イザベルは反対側の中段を斬りつけた。ボーリャックは防ぎ、イザベルに刃を返す。彼女と同じ、戦闘用の軌道。剣先は不規則に踊り、イザベルの首元を狙う。イザベルはそれを予測して剣で受ける。イザベルの義手の肘から火花が散った。 数秒、押し合う2人の剣が空中で硬直した。その両側でイザベルとボーリャックは睨み合った。 イザベルは剣を払い、踵を返す。去り際、 「よくわかった」そう吐き捨てた。 ボーリャックは見た。彼女が纏うぼろぼろの聖騎士団のマントを。その下に鈍く輝く、金属の腕を。 イザベルは見た。ボーリャックの顔には魔槍があった。ボーリャックの顔に傷を負わせる事ができる者はエビルソードを置いて他にいない。彼は戦ったのだ。自分が倒れた後に。 イザベルは確かめた。彼の剣を。 "精神は剣に直結する" かつてボーリャックから受け取った言葉だった。精神に歪みがあれば、それは必ず剣に現れる。だから確かめた。彼の剣は、かつて憧れ、目標としたそれであった。いや、その刃はさらに磨き上げられてさえいた。 ヘルマリィやハイバルが示唆した通りだった。彼は裏切り者ではなかった。それどころか、イザベルは彼の受けた傷──顔の傷は剣士の恥だ──と引き替えに命を繋いでいたのかもしれなかった。 真実はイザベルを救わなかった。費やされた時間がイザベルを責めた。故郷を、仲間を、剣を奪われた。故郷の人びとは、とっくに新しい生活を築き上げていた。彼は、死を賭して仇敵の懐で戦ってきた。自分は都合の良い物語に逃げ込み、虚像を追い続けていた。 「とっくにわかっていたはずなのにね」 「ハイバル──」ヘルマリィが諫める。 「あなただってわかっていたんでしょう、ヘルマリィ。いつかこの時が来るって。そして、あの子があるべき形を取り戻すには必要な事だって」 「剣でわかりあえた所で、そろそろみんな汽車に乗ってくれない?出発したいから」ハイバルがオーニソプターを示す。 「またバーティルーンが襲撃してくるんじゃないのか?」イザベルが問う。 「さっきの襲撃で偽装パターンが組めたからしばらくは大丈夫」 「わかる言葉で話せ」 「とにかく問題ないって事」 イザベルはまだ何か言おうとしたが、こちらに歩いてくるボーリャックに気付くと機内へ急いだ。 「よくわかった」 オーニソプターへ向かって歩きながら、バリスタは人間の女が残した言葉を、皮肉を込めてボーリャックにぶつけた。ボーリャックのすぐ横に並ぶ。 ボーリャックは一瞥を寄越し、バリスタが担いでいた雑嚢を無言で取り上げた。発電所で集めた工具や鉄材、オイルが詰め込まれている。 バリスタは代わりに空いた手で機体の外板を軽く叩き、ボーリャックと共に乗り込んだ。 バルロス近郊 オーニソプターは乾いた泥の大地を低く飛んだ。まだらに枯れ草の残る地面へ降りた頃には、日は沈みかけていた。ハイバルがドアを開くと、イザベルはろくに説明も聞かず機外へ出た。昼の熱をわずかに残しながら、夜へ向けて急速に冷えていく空気が全身を包む。オーニソプターから数十歩の距離に、集落があった。装飾のない直方体や半円筒の建築物がまばらに建っていた。どれも果物のような鮮やかな色をしていたが、風雪に汚れ褪色が始まっている。人の気配はなかった。 地平線の向こうに、バルロスのゴーレムが見えた。 蜃気楼に揺らぐ山岳地帯を背に、視界の半分以上を塞ぐ巨大な塊。岩山にも見えるが、表面は夕陽を鈍く返して金属光沢を帯びている。その内外には黴のように街が貼りつき、さらに地表には油膜のように居住区が広がっていた。闇が降りるにつれ、そこかしこに灯がともり、それがただの遺物ではなく、人間の営みを抱えた都市であることを示していた。 「バルロスのゴーレム。こうして正面から眺めるのは、私も初めてよ」 横に並んだヘルマリィが言った。 「ゴーレムと言っても、人の形をしていないのですね」 「ええ。巨人というより、何かの構造物。あれを調べるために新しい学問がいくつも生まれたそうだけど、調べるほど未知が増えてしまう。いつからあそこにあったのかさえ定かではないそうよ。人は理解できないものを、畏れと敬意を込めてゴーレムと呼んだ──」 イザベルはしばらく黙ってその巨塊を見ていた。 「私たちをここへ連れてきたあの女なら、答えを知っているのでしょうね」 「知っているでしょうね」 ヘルマリィはそう言ってから、隣のイザベルを見た。 「イザベル。貴女が抱いていた目的のひとつは、もう果たされたと言っていい。私のここからの旅は、貴女が残す目的と、もう交わらない」 夕陽がイザベルの横顔を細く照らしていた。彼女はすぐには答えない。 「確認しておきたいの。もしそうなら、私は少し寂しいけれど──もう貴女は自由に道を選べる」 イザベルはヘルマリィの顔を見た。視線を留め、それから再びゴーレムへ向き直る。 「レディ、私は最後まで貴女にお供いたします」 イザベルはゴーレムを眺めながら続けた。 「ヴェルナで貴女に出会うまで、私は過去を生きていた。いや、過去ですらなく、幻だったのか── エビルソードとの決着はいずれ付けます。ですが、今はあの女の正体を見極めなければならない」 ヘルマリィはわずかに口元を和らげた。 「ハイバルが何をしようとしているのか──ね」 イザベルは頷く。 「ハイバルは依然私たちを必要としている。しかしまだ手の内を明かしていない。この戦争より深いところで、人類にも魔族にも関わる何かを動かしているはずです」 ヘルマリィは前方の巨大な遺物都市を見上げた。 ハイバルは、イザベルとボーリャックに魚獲りに使うような網を渡し、オーニソプター全体に被せさせた。 バリスタはエンジンの整備を行っていた。バーティルーンに破壊された機関へ応急処置を施し、残ったエンジン出力のパワーバランスを調整している。バリスタは機関部から顔を上げ、網をかけるふたりを見た。口も利かないくせに、手順だけは妙に噛み合っている。彼女は工具を持ち直し、ボルトを締める力を少しだけ強めた。 作業を眺めながら、ヘルマリィがハイバルに問う。 「これも姉君から隠れるため?」 「そうよ。姉さんはいつも空から地上を見ている。でも、地上にいる分には私の方が融通が効く」 「貴女は自分を地上の管理者と言ったわね。サリーハは空を管理しているの?」 「空、ね。それも含まれるわ。あれよ」 そう言って、ハイバルは黄道を横切る銀色の線を指した。 「姉さんはリングなの。ゴーレムも、もとはあれの一部だった。バルロスの学者たちは何世代にもわたってあれを解析してきたから、地上ではおそらく最も知識を蓄えている。けれど、まだ蟻がジェットエンジンの上を這い回っているようなものよ。それでも、ときおりほんの少しだけ真理に近づく者が現れる」 ハイバルはそこで言葉を切り、バルロスの灯を見た。 「今夜、そのひとりがバルロスから亡命してくる」