サカエトル市 カンラークタウン 「ギリセフ侵攻の事は知ってるわね?」 ハイバルを名乗った女の前に、化学実験に使うような細長いグラスが置かれた。淡い色彩の液体の中を微細な泡が列になって上っている。 「欲を出した魔族が、人間の死に物狂いの抵抗に遭って往生してる戦争。私ああいうの好き。死に物狂いになる生命は美しい」 「個性的な見解をお持ちのようね」ヘルマリィは応じた。 「弱いものが適応して生き残る。変化を辞めたものが舞台から去る。普遍的な真理だと思うけど」 ハイバルは、イザベル達の皿からラムの串焼きを抜き取り、美味そうに頬張った。 「18時間前、エビルソード配下の遠征隊が全滅したわ。ギリセフ・ミリシアがハイム・タクティカル・インダストリから派遣された軍事顧問と、大量に供与された次期主力歩兵戦闘装備をすべて投入してね。ハイム株、伸びるわよ。押さえてる?」 「投資の話をしに来たのなら失礼するわ」 ハイバルは可笑しそうに、 「違う違う、面白いのはその後よ」 「要件を話せ」イザベルは身を乗り出してハイバルに迫った。 ヘルマリイは彼女の手にそっと触れ、制した。ハイバルは動じない。雑踏に目を向けたまま、続けた。 「前線の戦闘がほぼ片付いた時、魔族側の後方陣地で大きな爆発が起きた。観測された電磁パルスと閃光スペクトルの分析結果は、軍用エゴブレインドライブの大規模ノヴァ。ギリセフ市政府はこれを集団自決と発表したわね。大衆を喜ばすには格好のネタってわけ」 ハイバルはグラスのシャンパンで唇を塗らし、 「自決の報道はプロパガンダよ。あれは処分。バーティルーンが自軍の先進戦闘部隊を潰したのよ」 「貴女、どうしてそんな事を知ってるの?」 ハイバルは、初めて二人を正面から見た。いや、見ていない、とイザベルは思った。顔と視線がこちらに向いているだけだ。 「なぜって、私はすべて見ているから。この大地に流れているやり取りのすべてを」 指先でテーブルをトントンと叩き、 「私はね、あなたたちが"人工妖精"と呼ぶ道具の親戚みたいなものなの。それもかなり古い。ものすごく。地下30ケトユプシロン、岩盤層の珪素に刻まれたサーキットが演算を開始してから、私はここにいる。 私はあまねく種族がこの大地に満ちるのを見守ってきた。進化を手伝ったり、必要な時は間引きも」 「こいつは狂っている」イザベルが吐き捨てる。 「とんでもない、カンラークの聖騎士イザベル。私は神じゃない。あなたたちより少し目と耳が良いだけ──」 唐突に、ハイバルはイザベルを見据える。「私、あなたが好きよ。ずっとあなたを見てた」 「外院の冬は寒い。特に夜は。毛布を奪われた時の事、覚えてる?誰も助けてくれなかったわね。 初めて剣をを握った日。やっと世界に触れたと思った。嬉しかった。"何かになれる"って」 イザベルが固まる。 「16の春── カンラークにボーリャックがやってきた。勝負を挑んだ。勇者なんかやっつけてやるって。初手で剣を弾き飛ばされた。 新しい右腕を移植してから、自分のものになるまで27日かかった。眠れなかった。神経が繋がるたび、少女のように悲鳴を上げた」 義肢が拳を握る。 「イザベル、あなたは綺麗。女性の騎士である事にも高い価値があるわ。腕を切り落とされた時、その傷ついた身体の価値は下がった?いいえ。むしろ上がった」 イザベルは無表情でハイバルを見つめる。それでも、ヘルマリィにはイザベルの動揺が感じ取れる。 「義肢──マキーナ・サンクタの頭金は決して安くなかった。でも、あなたは剣以外で支払える手段を知っていた。あなたは誰にも泣きつかなかった」 「やめて」ヘルマリィは立ち上がる。その声に明確な怒りが込められていた。 イザベルは、生身の方の手でヘルマリィの袖をそっと引いた。 「構いません」 ハイバルは、そのやり取りを眺め、 「やっぱり好きよ、あなた」その言葉は、慈愛に満ちていた。 「打ち砕かれても、欠けても、それでも剣を取ろうとする。生命の理想型ね」 「私の選択の結果だ」 ハイバルは満足そうに笑い、 「ええ。だから私はあなたたちを選んだ── あ、そうそう、これ言っとかなきゃ。あなたが憎もうとしてる彼。少なくとも、あなたを裏切ってないわ」 イザベルは目を伏せ、「それはいずれ自分で確かめる」と呟いた。 「あなたの目的は?」ヘルマリィが問う。 「私はこの惑星の生命が好きよ。優しいレディ=ヘルマリィ、あなたと私の違いはそこね。個々の生き死には、私にはこの泡のようなもの。生成され、消える。その繰り返し。でも、その連なりはさらに大きなうねりに繋がる」 ハイバルは、グラスの縁をそっとつつく。泡の列が形を僅かに変える。 「私は、この流れを守りたい。ギリセフの生き残りを保護するのに、力を貸してほしい」 「その流れとやらに、私たちを巻き込むつもり?」 ヘルマリィに、ハイバルは無邪気な笑いを返した。 「巻き込む?あなたたちが流れそのものよ」 魔族領 荒野 乾いた泥の大地を、半ば砂塵に埋もれたアスファルトが真っ直ぐに走っている。その傍らに、大小の建物が建っていた。空から見れば、植物の茎に群がる小虫のように見えるだろう。 錆だらけの貯水タンクが抽象彫刻のように立っている。その足元で、ボーリャックは魔導車の泥を落とした。日光で温められた雨水は藻類の香りがしたが、水圧は申し分ない。 ここは以前給油所だった。民生用エゴブレインセルの電力で水と二酸化炭素から生成したメタンを貯蔵し、旅人に供給していた。何十年も前だ。エゴブレインドライブが普及した今となっては、見捨てられている。 給油スタンドの廃墟からバリスタが戻ってきた。身体と軍服から泥と血を落とし、できる限り身なりを整えているが、まだ脚を引きずっている。貯水タンクの鉄骨に腰掛け、胸ポケットからカフェインを取り出し、咥え、ボーリャックの背中を見つめた。バシャバシャという水の音だけが聞こえる。 「あなた、人間でしょ」 ボーリャックは答えない。 「ルークの攻撃を止めたのは、人間に被害を出さないため。でも魔族は見殺しにした。大したナイトね」 バリスタは鋭い視線を向けた。ボーリャックは水栓を捻り、水を止めた。 「そうだ。俺が殺した、君の仲間を」 バリスタは膝に目を落とす。バーティルーンに撃ち抜かれた大腿の穴を、ピンク色の組織が埋めている。完全な再生にはまだ時間がかかる。 「なぜ身内を…?!」 誰かが泣き出しそうな声でさけんだ。バリスタは自分の声だと気づき、顔を覆う。 「バーティルーン。リャックボー。裏切り者ばかり」 「バーティルーンは敵だ」 「ええそうね── なぜ私を助けたの…」 「そう約束したからだ」 ナイトはルークを守った。 バリスタは、地面を見つめ考えを整理する。 「あなたは裏切り者。でも、あなたの存在の有無が戦術的な観点ではこの結末に殆ど影響していないのは事実。バーティルーンだけじゃない。人間の装備も充実していたもの。いずれにせよ遠征隊は破滅した。 ねえ、あなたは知っていたの?バーティルーンの襲撃を」 「戦闘中に知らされた」 「誰に…」 「わからない。これから確かめに行かないか?」 「いいわ。行くところもないし。その前にひとつだけいい?」 首を傾けるリャックボーに、バリスタは言う。 「そろそろ本当のあなたを教えて」 男は仮面を脱いだ。 「俺はボーリャックだ」 ボーリャックの顔の左側には深い傷跡が走っており、その周囲は魔人化していた。 「よろしく、ボーリャック」 給油所を出発して数時間が経過した。舗装が所々剥がれている道を、魔導車は無灯火で走っている。 バリスタは後部座席にあぐらをかき、小銃弩弓の分解整備をしていた。車内は狭く、明かりは計器の淡い光だけにも関わらず、器用に弦の張力を調整している。 「戦闘中に知らされたって話だけど。どんな状況だったの」バリスタが手を動かしながら訊いた。沈黙の後、ボーリャックは話した。 「予定のポイントで待機していた。通信が死に、代替チャンネルを立ち上げようとしていると、デバイスから声がした。まるでデバイス自身が話しているようだった。 そいつはこう言っていた、『脱出しろ』と。500ユプシロン先の土地の座標を告げた後、デバイスは完全に機能しなくなった。君の陣地の重弩弓が吹き飛ぶのが見えて、俺はこいつに飛び乗った」 バリスタは、窓を見つめる。自分の顔が映っている。 「ボーリャック、あなたやっぱり裏切り者だわ」 「そうだな」 「違う。あなたのゲームにはルークの駒がもうひとつあるって事」 ボーリャックは、バックミラーに映るバリスタを見た。こちらに不機嫌そうな視線が向けられていた。 「意味がわからない」 「助けてくれた事は感謝してる。でもあなたの行動は、義理といより執着。あなたは、本当に私を助けようとしていたの… 前に、守れなかったルークがいたんじゃないの…」 「一体何の話を──」 そう遠くない空を、微かな光が追い越していった。加速している。 「あれは何…」 「バリスタ、君の方が詳しいんじゃないのか?」 「そんなわけないでしょ。…私たちの目的地に向かってる」 ボーリャックはアクセルを踏み込む。バリスタは小銃弩弓を手早く組み上げ、最終調整のために照準を北極星に向けた。 ヘルノーヴィリ 周辺空域 ハイバルがチャーターしたハイムビジネスオーニソプター Mk.11は、秘密裏に魔族国境を越えた。 機内の調度の豪華さは、ヘルマリィが泊まっていたヒルトンのスイートほどではなかったが、余白の取り方は傲慢さを感じるほどだった。これに比べたら、サカエトル警察のオーニソプターは馬小屋だ。 イザベルは、手元に用意されたチャイを啜る。むせるように甘い。彼女の好みを把握したもてなしが、むしろ腹立たしい。 「神のくせに、人間の乗り物を使うんだな」 イザベルは向かいのソファーでくつろぐハイバルに皮肉を言った。 「空を飛ぶ?やろうと思えばできるけどね。好きなのよ。みんなが造ったものがね」 イザベルの横でヘルマリィは窓の外を見ながら言った。 「この潤沢な資金も惑星規模の情報と膨大な時間があれば ──にわかには信じ難いけど── お手のものって事ね。私に接触してきたシンクタンクもそうだったけど、既存のシステムの中で生きているものを利用した方が都合がいい」 「財閥規模はクストディーレとヘル家を基準にしたわ。世界を変えるための活動を持続可能な体力を持つのに、必要十分な資産を持っている──レディ=ヘルマリィ、特にあなたは大いに参考になった」 「光栄ね。でも、あなたは何から隠れてるの…」 ドン と機体が揺れた。 イザベルは反射的に剣を取る。 「何かが乗った」 ハイバルは一瞬、探るように天を仰ぎ、 「来ちゃったか。…姉さん、やっぱり空は貴女の方が一枚上手ね」 「姉さん?」イザベルが問う。ハイバルはソファーの端を強く掴んでいる。 「サリーハよ。私の姉」 別の衝撃。機体が傾くがすぐに持ち直した。 「エンジンがやられたようね」そう言うヘルマリィが手に持つカップのティーは波ひとつ立っていない。イザベルはハイバルに問う。 「姉がなぜ攻撃してくるんだ」 「姉さんはいつも正しいの」いつもの笑顔に、動揺が混じっている。 「上に出られるか?」 「化粧室の天井に点検口があるわ」 「気をつけて」とヘルマリィ。 「レディ、できるだけ中央にいてください」イザベルは天井から引きちぎった酸素マスクを装着すると、機体後部に向かった。 ハッチは気圧差に押され爆ぜるように開いた。降り注いだ陽光に目を眇める。機内からの突風がやんだ後、流れ込んできた大気は身を切るように冷たい。イザベルは剣を突き出し、刃に映った鏡像を確認した。機首に人影。マスクからハイバルの声。 『緊急用のチャンネルよ。少し有利にしてあげた。敵がエンジンのひとつを破壊するのに使ったレールガンは、たった今ゴミになったわ。敵は特別仕様の強襲型バーティルーン。強いわよ』 「バーティルーンとはなんだ」 『目の前にいるでしょ。確かめてみれば?』 イザベルはオーニソプターの濃紺の屋根に飛び出す。数億のハチの大群に囲まれているような轟音。 視界の中央に、真っ白な甲冑が立っている。ここに辿り着くのに使ったのだろう、何かの機械が敵の背中から足元に落ち、遥か下方へ落下していった。 イザベルは剣を構える。敵の右手首から白銀の刃が飛び出す。 騒音がイザベルの意識から遠のく。熊のようにデカいが、敏捷。重心が前に偏っている。突撃を好むタイプだ。刃は長い。動作の幅は狭まる── 一気に間合を詰めてやる。敵の肩の筋肉が動いた。 (上段振り下ろし) イザベルは軸を僅かに左に移動。敵の剣が予測軌道に入った瞬間、敵の膝に刃を打ち付けていた。敵はバランスを崩したが、耐えた。 (なるほど。軌道変更)振り抜く予定であった右腕の運動量を右脚に移動。敵が全荷重を乗せている左脚を蹴り飛ばした。 ("万物は物理法則の奴隷")聖騎士団で叩き込まれた言葉が脳裏をよぎる。 義手の手首を回転させ、剣を天に向けた。敵は、自らの攻撃のモーメントから逃げられない。その首はイザベルの剣に串刺しになった。 周囲の騒音が、イザベルの意識に戻ってくる。 イザベルは動かなくなった敵を蹴り落とした。発電所の冷却塔は山のように大きいが、まだかなり下にある。 狼ほどの大きさの機械が、機体を取り囲んだ。 「増援だ」イザベルが報告する。さっきよりは弱そうだが、ここからでは手が出ない。 『いえ、もう大丈夫』 地上から杭のような物が猛烈な勢いで飛来し、すべて撃ち落とした。 イザベルはそのまま機体の上で着陸を待った。着陸場所はリアクター建屋横の開けた場所。砂塵が舞う中で、建物の影から人影が現れた。 ひとりは魔族の女。位の高そうな軍装。手にしている複雑な機械を、地面に向けている。もうひとりは── イザベルはマスクを外す。彼は目を逸らさず、こちらを見据えている。 「ボーリャック」事実をただ確認するように、その名を言った。 (終わり)