ボコ・マニアーズ 「みほが去ってから、もう半年になるのか……」  そう西住まほは独りごちると、手に持ったDVDメディアに目を落とした。 『選り抜きボコシリーズ No.1』  主のいない実家のみほの部屋。机の上に置かれていた手書きのタイトルが少し気になり、黙って持って来てしまった。 (……すぐ、返そう)  みほの部屋に戻ろう──として、ふとその歩みを止める。そして、自分の部屋のプレイヤーの電源を入れる。 (……良き姉でいるためには、少しは歩み寄ることも必要だろうか) 「そうだな」 自問自答、小さな声でつぶやくと、白いケースを開けて取り出したメディアを、ドライブの中に押し込んだ。 ◆◇◆◇  最初の1時間は、とても退屈だった。お決まりのパターンで、ボコられ熊のボコが、威勢よく──負けていく。  たとえ勝ちそうになったとしても、判断を誤り、図に乗り、相手を侮って──負けていく。 「こんなものの、なにがいいんだ」  思わず本音が、口をついた。  次の1時間は、疑問が浮かんでは消えていく。──みほは、なぜボコを愛するのか。  その偏愛っぷりは、みほが大洗に去った後に届く、メールや動画でいやというほど見せられたことが、浮かんでは消えていく。 「みほは、なぜ……」  見つめる画面で、ボコが20回目の、負けを喫していた。 「……」  3時間が経った。何かが分かろうとしていた。何かが。みほが溺愛する──何かが。  口の中が渇く。自分の脈拍が聞こえる。 「何かが、何かがある」  外は陽が傾きかけ、庭の木々の影法師が長くなっていく。  ユリイカ。 4時間を過ぎ、夕食の支度ができたと呼ばわる声に、まほははっとした。 自分の両の眼から、瞳いっぱいに溢れ落ちる涙に。 ぐしゅっと目鼻をティッシュでぬぐい、乱れたメイクを軽く直して食卓に向かう。 「まほ、どうしたの、目が赤いわよ」 「…ってやる…ってやる…ってやーるぜ」 「まほ?」 「は? はいお母様、単なる花粉症です」 「この季節に?」 「はいお母様、今はイネ科の花粉が飛んでいるのです」 「──菊代さん、空気清浄機をたのめーるで、もちろん法人の方で」 「ありがとうございます。お母様。…ボーコボコにー…」 「まほ!?」  食事も早々に切り上げて、まほは部屋に戻る。 ◆◇◆◇  まほは悟った。  分かってしまった。みほがたどり着いた、ボコの境地に。 「そうか……。そういう事か」  何度でも何度でも負けるこの熊は、負けることの許されないみほの──いや、西住の一族の、たったひとつの「希望」なのだと。  負けることが許されないからこそ、負けられないからこそ、何度負けても、何度負けても立ち上がってくるボコに、心打たれるのだと。 ◆◇◆◇ 「ん--……っ」 「あら隊長、珍しいですね。欠伸なんて」  エリカの両手には2つのマグカップ。 「どうぞ」 「ありがとう」  エリカから受け取ったコーヒーを、ブラックのままで一口飲む。 「隊長も留学の準備や私たちへの引継ぎでお忙しいから、仕方ないですね」 「ん」  いけない。  睡眠時間を削ってまで、みほの部屋から持ち出してきたボコられ熊のボコシリーズのTVアニメ、シーズン1~3・計156話を見続けているとはとても言えない。 「どうしたんですか隊長、お体の調子でも……」 「いや、大丈夫……ファーーっ」 「わ、初めて見た、隊長の大欠伸……可愛いv(大丈夫ですか? 少し横になりますか?)」 「エリカ、心の声が漏れてるぞ」 「キャっ!?……失礼しました」 「確かに疲れているのかも知れない。今日の訓練は、赤星と小島に任せて早退する……エリカもついてきて欲しいのだが」 「隊長、まだ陽が沈んでないうちからですか!?」 「何を言っている。実はお前に見せたいものがあるんだ」 「キャーっ💛💛(キャーっ💛💛)」  なにかを勘違いしているエリカを引き連れて、まほは寮へと急ぐ。  まほに手を引かれてテレテレしていたエリカは、まほの部屋のTVの前にに積まれているDVDメディアをチラ見しながら、次に起こる事を妄想して艶めいていた。 「これを一緒に見てくれ」 「ダメですよぉ隊長! 未成年にそんなもの見せちゃ──」 ユリイカ。  逸見エリカは泣いていた。  負けられない西住姉妹の背負うものの重たさと、勝たないボコに救いを求めた、二人のありさまに。  そして──焦がれるほど憧れた隊長と副隊長と、同じ高みに立てた嬉しさに。 「隊長!」 「エリカっ!」 「……せーのっ」 『ボコ、最高ぅぅっ!!!!』 ◆◇◆◇ 「ねぇ見た? 昨日のボコ!?」 「見たよ! あとちょっとで勝てるところまで来て、油断して負けちゃうところが特に可愛いかった!!」 「鎖骨骨折と頭蓋骨陥没骨折しても激痛に耐えながら『明日は負けないからなー!!』って手を上げるところが最高だったよ!!」  うん、うんと壁にもたれ腕を組みながらしずかにうなづくまほとエリカ。 「やっぱり私のみほだ、すべて分かっている」 「あの子も島田流の子も、よくわかっていますね、隊長」 「ああ」  少し世界線のゆがんだ無限軌道杯の抽選会会場。  再会を喜ぶいとまもなくボコ談義に明け暮れるみほと愛里寿を、少し離れた場所で見守る黒森峰の2人がいた。 「あっお姉ちゃん! 久しぶり!!」 「ああ、みほも元気にしてたか」 「うん! お姉ちゃんこそ……あれっ?」 「どうした、みほ」 「お姉ちゃん……なんかすごくうれしそう」 「そうか?」 「あのね? 昨日のボコなんだけどね、あとちょっとで勝てる……」  うん、うん、と妹の言葉にうなづくまほから離れて、エリカがダージリンのもとに向かう。 「ごきげんよう、黒森峰の新隊長さん」 「こんにちわ、ダージリンさん。お互い、良い試合が出来るよう頑張りましょう」 「あら有り難う……、?」  ダージリンは小首を傾げる。  憑き物が取れたかのようなエリカを見て、すこし疑問符の付いたアルカイック・スマイルを浮かべた。 「実はダージリンさんに見てもらいたいものがありまして……抽選会が終わったら、ふたりでお茶でもいかがですか?」 「構わなくてよ」  黒森峰からお茶に誘う? 何があった?  密談の香り漂う不思議な出来事に、ダージリンは身を堅くするが……エリカの素直な表情を見るに、悪いことではなさそうだ。  背中に隠したエリカの左手には……1枚のDVDメディアが握られていた。