電車の代替品として走る水上バスは便利だ、しかし運賃は高い。山の手線一回りするだけでも均一料金520円なり。  かつてそうであったように東京は今も潮で満ちている。それだけこの街は不便になった。  でもよくなった事はある。あの3年も振り続けた雨は多摩川上流の土壌を押し流し、そして東京湾を死の海へと変えていたヘドロが流され、排泄物とも言える過激な匂いは一切しない。清涼な水の匂いにかすかに薫る潮の匂い。ここだけはよくなった  前置きが長くなってしまった。今日はそんな事とは関係ない陽菜さんと映画についてのお話。  抱き合った数は数え切れない。キスは数える程した事はない。けど、深いキスはした。互いに愛を知り、繋がりあった回数は…多分片手で数える程度。  その程度の仲になった頃の話だ、それはきっと普通のカップルで。けど陽菜さんとの関係はきっとカップル以上の特別な関係。だから、丁寧に丁寧に過ごしていきたい。 「帆高また映画見にいくの?」 陽菜さんは台所で昨晩炊き過ぎたご飯を”何か”と炒めている、どこか東南アジアを感じる香草の香りがする。 「でもお家デートばっかじゃつまらないだろ?」 「そうだけど…お金続かないじゃん!映画一回1900円ポップコーン500円コーラ400円気に入ったらパンフレット代1000円に帰りにカフェなんて寄ったら―――」 「大丈夫だよ、今度行くのは名画座だから」 「名画座?」 「うん、古い映画だけやってる映画館だよ。まだ沈んでいない映画館が高田馬場の方にあるんだ」 「高田馬場?」 「うん、一人1000円で見れるから安上がりだよ。それにあそこは学生街だから喫茶店ご飯も安いし」 「よく知ってるのね帆高」 陽菜さんは関心していた 「島に住んでたときにさ、憧れていたからね…大きい映画館と大きい本屋。そこでいろんな事吸収して大人になりたいなって…今はこうなっちゃったけど…」 ―――言葉を濁した、陽菜さんがうつむくのがわかった、だから言葉を続けた。 「けど今は後悔してない。だって、こうならないときっと陽菜さんと出会ってない」 「帆高!」 ―――陽菜さんは抱き合うのが好きだ。今日もこうやって二人抱き合っている。こうしていないと、離れ離れになってしまうのではないかと。不安になる時があるのだろう。『俺はある。だから抱き寄せる』そう森嶋帆高は言い切る。 ともかく映画に行くことは決まった。陽菜さんは何かを炒めている間にいそいそとちゃぶだいを用意する。  炒めものの正体は「ナシゴレン」だった、二人手をあわせて 「いただきます」 ナシゴレンなんて初めて食べた。陽菜さんの料理のレパートリーは本当に幅広い。味はチャーハンなのだが程よくスパイシー、食欲をそそる。香草がなんともいえない。海外の食べ物を食べている感じがする。  後片付けも早々に出かける準備をした。外は霧雨に近い雨だが、いつスコールが振るかわからない。傘に某アウトドアブランドのロゴが入ったサンドラジャケットで外へ出る。 田端水上駅から高田馬場水上駅まで40分山の手線なら半分だったはず、外は建築ラッシュで大型クレーンと重機がコンクリートを積み上げている。まるでピラミッドでも建設するかのようだ。  その景色を見る度に陽菜さんはとても悲しい瞳で見つめる。陽菜さんのせいじゃない、悪いのはあの水龍だ、人身御供なんてクソくらえ!…だから、いつも言うんだ。 「陽菜さん、陽菜さん…俺だけを見て」そう小さく囁く。 陽菜さんは俺と瞳をあわせる。「帆高…帆高」陽菜さんは帆高に抱きつく。 こうして、お互いの存在を確かめ合う。たとえ電車の中でも構わない。  高田馬場水上駅につく、高架が船着き場だ、水底にかつてゲーセンだった跡が見える。そこから少しあるいた所に名画座はあった。  錆び錆びの建物に窓枠だけは新しく、そこに映画のポスターが貼ってある。もぎりのおばちゃんがいる。よくある古い映画館だ。 「大人と高校生二枚」 「カップル割で1200円でいいよ」もぎりのおばちゃんが優しく言う 「一人ですか?」 「二人で1200円にきまってるじゃない」照れくさそうにおばちゃんが言う (やったね帆高)陽菜さんが小声で言う  売店コーナーは寂しいものでポップコーンがありそうな雰囲気はなかった 「コーラー2つ」 「クラウンコーラしかないけどいいかい?800円ね」 謎のコーラを2つ渡され銀幕へと向かう、嘘。映画の前にちょっと二人トイレに寄った 催すのも恥ずかしいので  ギリギリ席についた、自由席だったので真ん中に陣取った。というか自分たち以外客はまばらにしかいない。予告なしで映画は始まった。 ―――予習した通り、角川映画だった。物語は王道だが、しかし背景が美しい。美しい瀬戸内海の海と島々。島の風景なんてもう見たくないと思っていたがこれは違う、美しい 陽菜さんは、食い入るように見入っている。連れてきて正解だった。 三本立てだったが一気に見てしまった。エンドロール中陽菜さんに小声で「帰る?」と聞くと首を横に振った 外を出たら、もう夕暮れ前になっていた。  学生街の真ん中にあるので喫茶店で帆高はアイスコーヒー陽菜さんはカフェオレを飲んで二人、話し合った。  女優――今はマルチタレントでおばちゃん姿で出ている女優さんが、まだ16歳とかだった頃の映画。王道だけど少し不思議な内容の話、そして尾道。海のある街のお話。今の東京を見るとどこか親近感が 「海、綺麗だった」 「うん、俺はもう島へは戻らないけどああいう所ならいってもいいかな」 「あの島はどこにあるの?」 「広島だよ尾道っていうんだ」 「お金があれば旅行にでもいきたいね」 「そうだよ、センパイも連れてさ!」 「凪もいいけど…私は帆高と行きたいかな」 「えっ?!」思わず聞いてしまった 「私は…帆高と行きたい…凪と3人にで旅行もいいけど、あの景色は帆高とみたいな」 ――その瞬間であった、外の雨がさっと、そう軽く。止んだのは  まるでワイパーが雨を跳ねるかのように、瞬間。雨が止んだのだ 「陽菜さん!?」 「えっ!?」 誰しもが外へ飛び出した!「晴れた!?」晴れた!?」 驚いてみな外で立ち尽くしていた。 「陽菜さん…これって」 「帆高わからない…気まぐれじゃないかな…」 「気まぐれでもいいよ、歩こう。久しぶりに『晴れた空を』」 ―――その後、マスターにお勘定を済ませた後、二人。高田馬場水上駅まで歩いていった。 傘なんか喫茶店に忘れちゃって、時々軽いスコールは振ったけど。晴れてはお日様は何回も顔を見せてくれた。3年ぶりの東京の晴れを二人楽しんだ。 「陽菜さん、身体の調子は?」帆高は心配したこの天気は陽菜さんが無理したのでは?! 「ううん、大丈夫。あの時とは違う」  水上山手線のデッキ席で陽菜さんは答える。これは人身御供じゃない。 ―――神様がくれた、ほんのささやかな気まぐれなんだって。全身で感じた。  デッキの先頭に立つ陽菜さん、その横顔に光が差し込むように夕暮れが東京湾に沈む。  その潮の匂いに帆高は今日の映画の景色を重ねる。  尾道と東京ではまるで違うかもしれないが、今日はこの陽のあたる街だけは重ねてしまいたいと思う帆高の姿がいた。  そして陽菜さんの手を握る。 「帆高」 「陽菜さん!」 「俺たちは」「私達は」 「「きっと大丈夫」」 差し込む光に2つの影が重なり合う。