①ラーバル・ディ・レンハート&サンク・マスグラード訓練兵 ジーニャ  ある日、城内に備えられた礼拝堂で、熱心にピアノを弾く赤毛の少年の姿があった。鍵盤の上を自在に踊り曲を奏でる姿は、少年が極めて高い演奏技術を持っていることを感じさせる。  やがてひと段落ついたのか、ゆっくりと鍵盤の上から指を退いた少年は一息つくと、眉間の汗を拭う。暫く腕を組んで物思いに沈んでいた少年は、やがて深く頷き、また指を鍵盤の上に置こうとした。  ………背後でずっと彼の演奏に聞き入っていた隻眼の少女には気づかないまま。 「──よお、随分と熱のこもった演奏じゃねえか王子様?」 「ジーニャ!?」  赤毛の少年、レンハート勇者王国第二王子、ラーバル・ディ・レンハートが白髪の隻眼の少女、サンク・マスグラード訓練兵、ジーニャの存在に気づき、慌ててピアノ椅子から立ち上がった。羞恥で顔を赤らめる少年にジーニャは”気にしてない”と手を横に振ってラーバルを落ち着かせる。 「どうしてここに?」 「んあ?別に……ぶらりとふらついてたら見かけただけだ」 (嘘だけどな)とジーニャは内心呟く。実は近頃ラーバルはフラリと自由時間中、彼女の前から姿を消すことが多かった。別に訓練や任務に影響は出ているわけではない。ただ、貴重な自由時間に、ジーニャとよくつるんでいた目の前の赤毛の少年が、自分の側から姿を消し、しかも理由を明かしてくれる気配もない。その事が彼女の心をざわつかせ、どうしても彼の姿を探さずにはいられなかった。 「なんつーか、嵐が吹き荒れるような。とてつもなく激しい曲だったな。『月光』だったか?」 「ああ。今のは第三楽章だ」 「ふーん」  相槌を打ちながらジーニャは演奏時のラーバルの姿を思い浮かべる。月光などという大人しい名前には想像できないような激しい曲を、まるで自分の激情を叩きつけるかのように鍵盤を叩いて曲を弾く彼の姿を。  舞台公演について一家言あるジーニャだからこそわかるが、ラーバルの演奏技術はかなりの水準だった。 (様になってた。なんて言ったら調子に乗りそうだしな)  とりあえず抱いた感想は脳内の金庫に厳重に保管することに決めたジーニャは、ふとラーバルが面目なさげな様子で先程から突っ立っていることに気づき、それが妙に彼女の癇に障った。  別にこの国にラーバルが来た時のような、世間知らずで上っ面のカッコよさだけに囚われてた時とは違う。  二人の関係も当時とは違い、所謂よき競争相手であり、好敵手であり、戦友と言えるものではなかったのか。  それに……たとえ尋問に掛けられても口にはできないが、これまで彼女が出会ってきた様々な男性──レストロイカ帝を別として──とは明らかに一線を画す想いを抱く相手にそんな態度をとられるのは、それなりに、きつかった。 「……なんでそんなに申し訳なさそうな顔してんだよ」 「え?」 「別に、そんなに気にするようなことじゃねえだろ。たかがピアノを弾けるくらい」 「弾けるくらい、じゃないんだ」 「?」  訝しむジーニャにラーバルが一気に思いを打ち明ける。まるで教会で懺悔を行うかのように。 「もしかしたら訓練生たちに中には、ピアノを弾けることがたかが、とは思えない大事な意味を持つ人だっているかもしれないだろ」  ラーバルの言葉にジーニャも悩まし気に右目を瞑った。そうだ、確かにこの国には自分も含め心身に様々な傷を抱えながら生活を送っている人が多い。その意味では、彼の懸念も思い過ごしではないかといえる。 「だけどよ、アタシぐらいには言ってもいいんじゃなかったのかよ」 (アタシとお前の仲だろ)と胸の内で呟いた言葉は当然届くはずもなく、ラーバルは頭を掻きながら弁明する。 「ごめんな。でも、音楽を嗜む余裕があって羨ましいと、そういう風に言われないかと思ったらさ…」  それを聞いて思わずジーニャは天を仰ぐ。言うか言わないかでいったら、少なくとも出会った頃の自分たちなら、恐らくラーバルの言う通り嫌味の一つでも言っていた可能性が高い。それがわかってしまう己をジーニャは嫌悪した。  気まずい沈黙が場を支配する中、ジーニャがぽつりとラーバルに問いかけた。 「じゃあ、何で最近ピアノに触れようと思ったんだ…?」  ジーニャの問に一瞬口ごもるが、やがて観念したのか「内密に」と釘を刺した上で語りだした。 「孤児院の子供の中に、音楽の好きな子がいてさ。親がピアノを弾いててそれをよく聞いてたんだって」 「親御さんの代わりにはなれないかもしれないけど、自分はピアノを弾けるから音楽会開こうか。っていったら凄い喜んでくれて、でも腕が訛ってた状態で挑んだら子供たちに申し訳ないし、それで「わかった」……おぉ…?」  途中で話を遮られ、間抜け面晒しているラーバルを放ってジーニャは椅子を取ってくると、ピアノの側に置いてドカッと座った。 「演奏会のリハーサルなら聴衆がいた方がより本番を意識できるだろ」 「いいのか…?」 「それと二つ約束しろ。一つ、これからは1人で抱え込むのやめろ。何か引け目感じそうな時はとりあえずアタシに言え。二つ、今後ピアノを弾きたくなった時はアタシに声を掛けろ」 「ああ。………ジーニャ」 「ああ?」 「ありがとうな」 「…ふんっ」  その言葉にジーニャがそっぽを向くのを見たラーバルは苦笑を浮かべると、再びピアノに向かって座り直す。 「じゃあ次の曲は……『小犬のワルツ』だ。ちゃんと聞けよジーニャ!」 「…言われなくたって聞き漏らさねえよバカ」  じっとラーバルの横顔を眺めるジーニャの頬が微かに赤みがさしていることに、残念ながら練習を再開したラーバルが気づくことはなかった。  その後、ピアノを弾きに来る赤毛の少年と、少年のピアノを聞きに白髪の少女の姿が定期的に城内で見られるようになり、レストロイカ帝をはじめとする城内の人たちを散々やきもきさせることとなるが、それはまた別のお話……。 ********************** ②漆黒の勇者イザベラ&聖盾のクリスト 「~~~~~♪」  ヴァリトヒロイ王国の王都サカエトルのレンタルスタジオの一室で、有名な子守歌のフレーズを口ずさみながら軽妙な指使いで、黒髪長身の女性がピアノを弾いている。  演奏が終わり立派に曲を弾き終えた充実感を感じさせる笑みで横を向くと、その視線の先にある金髪碧眼の美青年が拍手を送る。 「素晴らしい演奏でしたイザベラ様!」 「うう…、ほ、誉めすぎだよ、クリスト」  聖盾のクリストの真心の籠った賛辞に面映ゆそうに、漆黒の勇者イザベラが小さく一礼をする。 「いや、実際に素晴らしい弾きっぷりでしたよ」  もし彼の他にリスナーがいたなら間違いなく今の言葉に頷いていただろう。  誰もが知っている子守歌を変奏したその曲は、一見かわいらしく簡単な曲のように思えるが、その実12もの様々な変奏で構成されたこの曲は、確かな実力が求められるものであり、彼女の腕の確かさを感じさせた。 「小さい時から音楽が好きで、良くピアノを弾いてたの。週末とかは演奏会とかも…」 「それは………家族とですか?」  僅かに顔を曇らせたクリストの質問に、イザベラも寂しげな笑みを浮かべてこくりと頷いた。 「すいません!僕の不用意な言葉から辛い過去を思い出させてしまって!」 「いいの。私も区切りはついてるし、気にしてないから」 「いいえ。僕は謝らないといけません。なぜなら」  ピアノ椅子に腰かけるイザベルに近づき、そっと彼女の右の頬に手を当てる。 「区切りが付いてる方は、そのような辛そうな顔を浮かべません」 「………うん」  小さくクリストの言葉に頷くとイザベラは頬に当てているクリストの手に自らの手を重ねる。 「でも、区切り…自分では付いていたつもりだったのは本当なの。もう、辛い気持ちを押し込めることはできたって」 「…押し込めることはありません」  椅子に腰かけるイザベラの視線に合わせるよう、腰をしゃがめて静かに語りかける。 「辛い気持ち、やるせなさ、悲しみ、怒り…これらを全て内に内に閉じ込めておくことはよくありません。いずれその人の抱えられる限界を迎えて心が、壊れてしまうでしょう。…そうなる前に、辛くても外に出す方がいいのです」  そう語りかけるクリストの目に浮かぶのは、自分と同じ聖都の生き残りのイザベルや、サーヴァインといった、復讐心を心に宿し、自分自身も憎しみの炎で焼き尽くそうという同胞たち。そして、仮面魔侯リャックボー……幾度の戦闘を経て、疑問はほぼ確信に至ったが、恐らく、あの人は、あの方は! (【あなたがたの会った試錬で、世の常でないものはない。神は真実である。あなたがたを耐えられないような試錬に会わせることはないばかりか、試錬と同時に、それに耐えられるように、のがれる道も備えて下さるのである】) (神の教えを記した書にそう記されているが、果たしてこの世に起こっている悲劇は神の与えし試練なのですか?)  クリストは彼等のことを思うたびに疑問を覚える。聖都を追われ、散り散りとなりとなった難民たちや同胞の前でこの言葉を唱えられるか?血を分けし家族を、理不尽にも全て奪われた彼女の悲劇は耐えられる試練なのか!?  自分の非力さゆえに、彼等の力になりきれてない己を思うと、胸を掻きむしりたくなるような無力感に駆られる。せめて、せめて目の前のこの悲運の女性は、何としてもあの人たちのように心を擦り減らすような道を歩ませたくない。 「……うん、ありがとうクリスト」  イザベラは自信の悲しみが落ち着いていくのを感じながらも疑問に思う。どうして、この人は自分でも気づいていない、自分の求めている言葉に気づいてくれるのだろう。私の頬を、心を暖めてくれるこの人までいなくなってしまったら、私は一体どうなってしまうのだろう。  目を瞑ってクリストの手を握っていたイザベラが名残惜し気に手を離すと、「あのね」と過去を話し始めた。 「この曲、『きらきら星変奏曲』は、妹のイザベルが特に好きだった曲なの。…小さいころから、私の弾くピアノが大好きで、よく弾かされたかな」  でも、と俯いてイザベラが言葉を続ける。 「私の家族、みんないなくなっちゃったから、もう、私のピアノを聞いてくれる家族はいない」 「貴女なら、また幸せな家庭をきっと築けます」  驚いて顔を上げるイザベラの目を見据えて、真剣な顔でクリストが語りかける。 「イザベラ様は、勇者としてだけでなく、1人の女性としても素晴らしい人だと神に誓って僕は言えます」 「……でも、こんな怖い雰囲気だし、私」 「それは皆上辺だけの印象でイザベラ様を判断されてるだけです!」  イザベラの言葉にキッとなってクリストは反論する。 「深く関わってみればわかります!ジュダさんも!ヴリッグズも!ギルさんも!アズライールさんも!えっと…イザベル先輩も!ユイリアさんも!あ~、マーリンも!きっと僕たちの周りの人たちなら貴女を素晴らしい女性だと断言するはずです」 「ク、クリスト…」  イザベラの手を固く握りしめ断言するクリストに、自分の顔の体温がどんどん上昇しているのをイザベラは実感する。だが、これを機に是非ともこれだけは彼に聞かなければならない。 「あの、ク、クリ、あああう…」 「?」  だが、非常時なら瞬時に情報を処理する脳が、今は茹ってまるで使い物にならない。戦闘時に高速で呪文を詠唱する舌が、緊張でロクに動かない。  イザベラは純情乙女だった。 (言え、言えっ、言うの私ッ!貴方にとって私はお嫁さんにしたい女性ですかって!!)  だが、彼女も勇者の1人。ありったけの勇気を振り絞ってクリストにやっとのことで言葉を発する。 「ク、ククククリストにとっても、わっ私はおよ」 ガチャッ 「ふぇあ?!?!」 「ん?」 「あれ?あっし、失礼しました!」 バタンッ 「…………………………」 「…どうやら、部屋を間違えたそうですね。ところでイザベラ様、先程言いかけた言葉は?」 「…ウウン、ヤッパリイイノ」 「?そうですか」  好機、去る。イザベラの脳内に自身の勇気が音を立ててへし折れていくイメージがハッキリと具現化できた。 「あ、あと残り10分ほどですね。僕はこの後サカエトルの教会に足を運ぼうかと思いますけど、イザベラ様はどうなされますか?」 「私ハ、モウチョット弾キタイカナ」 「では、延長ができるか聞いてきますね」 「ウン、アリガトウ」  その後、スタジオのレンタル時間を延長し、クリストが先にスタジオを出た後、鬼気迫る顔で『革命のエチュード』を弾くイザベラの姿があったとか。 ********************** ③魔術師マーリン&聖盾のクリスト  レンハート勇者王国のとある宿で魔術師がピアノを、騎士がヴァイオリンを熱心に弾いている。二人の周囲には宿泊客たちによって輪ができ、二人の熱演に聞き入り、時折喝采を送る。  魔術師の名は魔術師マーリン、騎士の名は聖盾のクリスト。性格も生業も対照的な、犬猿の仲と言えるこの二人が、なぜセッションを行っているのか。  話は数十分前に遡る………。  爆弾の材料の購入を済ませて宿に戻ってきたマーリンは、ロビーに設置されたピアノの側で、何かを手に佇んでるクリストの姿を見つけた。  あまりマーリンにとって愉快な相手ではないが、普段温和な笑みを浮かべているあいつが何やら考え込んでる姿が気にかかり、一つちょっかいかけてやろうかと思わずにはいられなかった。 「よーよーどした騎士様?そんな神妙な顔してよ」 「ああ、マーリンですか…いや、ちょっと…」  やはりおかしい、とマーリンは自分の直感を確信する。  普段なら自分の顔を見た時に苦虫を噛み潰したような顔の一つでも見せるもんだが、今はその気配すら見られない。むしろ何やら悪戯でも見つかったような、そんな恥ずかし気な笑みすら浮かべている。  妙に好奇心を刺激されたマーリンはクリストの手に持っているものを注視する。少なくとも手にしているものが原因に違いない。そう判断しての行動だった。 「?楽譜か。これは」 「ええ、この曲は知ってますか?」 「まあ、聞いたことは」 「そうですか」  薄く笑ったクリストは楽譜をピアノにセットし、ピアノを弾き始める。相変わらず嫌に動作一つ一つが絵になる男だと思いながらも、その意図がわからず演奏が終わるまでクリストのピアノをじっと聞き続けた。 「いい曲ですよね。『メヌエット ト長調』」 「ああ」 「僕、この歌が大好きなんですよね」  楽譜を撫でながらクリストが語りだす。それは、マーリンに、というよりは、まるで自分自身に話しかけるように。 「理由はわかりますか?」 「わかるわけねえだろ」 「ヒント。僕と貴方に共通しているテーマですよ」  クリストの出したヒントにマーリンは首を傾げる。少なくとも品行方正な騎士様で人望も厚いのこいつと、詐欺師で借金取りとヒュドラから熱烈なラブコール(殺意)を向けられる自分に共通点がどこにあるだろうか? (ん?まてよ?詐欺師……虚名…そういえばこの曲の作者は…)  そして漸く彼の問にたどり着き手を叩く。 「偽作か!」 「正解」  微笑みながらクリストは頷く。 「この曲の作者は【音楽の父】と呼ばれた作曲家、と言われてたな」  ええ、とマーリンの言葉に頷いたクリストは相槌をうつ。 「この曲はその方の代表的な曲でした。その後の研究で本人の曲でないことが判明してからも人気は一切衰えていません。大作曲家という肩書がなくなっても、自らの曲の素晴らしさで人気を今日まで保ち続けてきたんです」  そこまで話すと、にへっとクリストが相貌を崩す。 「なんか、カッコいいなって、思っちゃうんですよねえ」 「なんだそりゃ」  はっ、とマーリンは思わず笑い声をあげる。 「だがよ、今までの表層的な評判にウダウダ悩んでいた頃のおめーに比べれば、今のお前はちっとはマシな顔してるぜ」   マーリンからまさか評価の言葉を頂くとは思ってなかったクリストは目を見開き、そして破顔した。 「詐欺師に評価されるとは、騎士失格ですね」 「ヘッ、全くだ」 「──ただ、ト長調だけで終えたとこだけはいただけねえ」 「え?」  貸しな、とマーリンはクリストから楽譜を取り上げ、ピアノにセットする。 「俺もこの曲は気に入っててな。こいつらはメヌエットの代表曲の一つとして、他のたくさんのメヌエットと競い合い、生き残ってきた。偽作と知られる前も、知られてからも……まさに、俺のためにあるような曲だ」 「いや、どんだけ自己評価高いんですか貴方」  クリストのツッコミをスルーして一呼吸すると、指を鍵盤にの上に置き、ピアノを弾き始める。  マーリンの指によって奏でられる音楽は、ト長調とは対とも言える曲──『メヌエット ト短調』だった。 「ト長調、ト短調揃っての曲だろこいつらは」  演奏を終えマーリンがクリストの方を振り向きながら言うと、あんぐりと口を開けて立ち尽くす彼の姿がそこにあった。 (計画通り!あえて自分がピアノ弾けないよう振舞っておいて、ここぞという場面で俺の演奏技術を見せつける。まさに俺の描いた通りの展開!ざまあ見ろコノヤロー!)  勝利感を味わいながら立とうとしたマーリンは、目の前の聖騎士が俯いてプルプルと震えていることに気が付く。 「おい、どうしたクリス「ピアノ弾けたんですか!?」トおお!!??」   ガシッと両肩を掴まれマーリンは思わず仰け反った。明らかにクリストのテンションがおかしい。目が爛々と輝いてるように見え恐怖すら覚える。 「うわー!うわー!まさか貴方も音楽を嗜んでいるとは!」 「おい」 「得意な曲はなんですか!?ひとつセッションしませんかセッション!」 「落着け」 「はっそうでした!この場にはピアノ一台しかありませんね!僕ちょっとスタッフにお願いしてヴァイオリン借りてきます!」 「違う、そうじゃねえ!」 ********************** ④偽勇者ユイリア&魔術師マーリン  レンハート勇者王国のとある公園において───  偽勇者ユイリアがゆっくりとヴァイオリンを顎と肩で挟んで安定させ、左手の親指と人差し指の根元でネックを挟むようにして持ち、 右手には弓を持って構える。弓の持ち方には微妙な力加減が求められるが、 彼女の動きには一切の余計な力がこもってはいない。  これがあの鉄板を素手で折りたたむゴリラ女だと言っても誰が信じようか、と聴衆の中に紛れ込んだ魔術師マーリンは失礼だがそう思わざるを得なかった。  弓を構え、精神を集中させたあと、ユイリアは弓を滑らせ始める。うら若き乙女が愛の言葉を囁くような、優美で可憐な愛らしさを感じさせる美しい旋律。  2分半ほどの小品でありながら、それは奏者の美しさも加わり聴衆の心を掴むには充分であった。  拍手で迎えられる中、ユイリアは何度も頭を下げて退いていく。  ヴァイオリンケースを手に公園を後にしようとした彼女は突如自分の名を呼ぶ、彼女にとって馴染の声に慌てて振り向き、そして驚きの声をあげた。 「マーリン!?あの場にいたのですか!?」 「お恥ずかしいところをお見せしました」 「いや、立派な演奏だったぜ。なんの曲だったか?」 「『愛の挨拶』です」  恐縮するユイリアにマーリンが手をひらひらと振って応える。実際、彼女のバイオリン演奏は素晴らしい技量だったからだ。 「でもどこでヴァイオリンなんか手に出来たんだ」 「いえ、これは借り物でして。今泊ってる宿の店長さんの私物でして」  ふとヴァイオリンを目にし、かつて父の下で勇者として恥ずかしくないよう、社交マナーと共に音楽のレッスンも受けていた頃を思い浮かべ、感慨深い思いに浸っていたところ、それに気づいた宿屋の店長が快く貸してくださったのだった。 「それで公園で弾いていたところ…」 「気づいた市民たちが群がって、一気に場は即席の演奏会になったってわけか」 「そ、そうです!」  さすがはマーリンと感嘆しているユイリアにマーリンも自慢げに笑い声をあげる。実際のところユイリアのような美女がヴァイオリンを、それもかなりの技量で弾いているのだから注目されない筈がないのだから、答えに辿り着くのは簡単なはずなのだが、それに気づかないのがなんともユイリアらしい。 「そんな謙遜することじゃねえし、もっと自由に弾けばいいだろうに」  マーリンの薦めにユイリアはそっと首を横に振る。 「いえ、いいんです。だって」 「かつて、お父様に勧められて覚えたにすぎませんから、勇者として活躍する時に楽器の一つも仕えた方が社交界で便利だろうと」  ユイリアの言葉に思わずマーリンは顔をしかめる。それに気づかずにユイリアは言葉を続ける。 「ですが、私は勇者の剣に選ばれなかった。私の努力は、意味をなさなかったのです。つい、そう考えが及んでしまうので、中々ヴァイオリンを持とうという勇気が持てなかったのですが」  そこまで言ってヴァイオリンケースを抱えて黙り込むユイリアに、マーリンはひとつため息を吐いた。 「なぁにをくだらねえことで迷ってんだお前は」 「…え?」 「あの聴衆の反応を見たか?皆お前の演奏に拍手喝采だったじゃねえか」  今までユイリア達がいた方向──公園を指さしながらマーリンはユイリアの考えを咎める。その気迫に思わず彼女は息をのんだ。 「ヴァイオリンを始めた動機も経緯も関係ねえ。大事なのは今、お前の演奏によって喜んでいた奴がいるってことだ」  険しい顔でそこまで一気に弁じたマーリンは、一転柔和な顔をして公園の方角に首を向けた。ユイリアも釣られてマーリンと同じ方向を見ると、先程までユイリアの演奏を聴いていたと思わしき親子の姿があった。  母親と手を繋いで歩く幼き少女がユイリアを見つけて勢いよく手を振ってきた。それを優し気な目つきで見ていた母親も、ユイリア達に小さく頭を下げて立ち去っていく。 「これまでの努力がなきゃあいつらの笑顔と拍手はなかった……それで十分じゃねえか」 「マーリン……ありがとうございます」  万感の思いを込めて、ユイリアはマーリンに感謝の言葉を伝える。 「やはり貴方は……偉大な、私の大魔術師です!」 「そ、そうか?やっぱ俺って偉大な魔術師様だからよー!そういう他所の困りごととかすぐ気づいちまうもんでさー!」 「流石ですマーリン!」  彼女の心からの賛辞に急に照れくさくなってきたのか、マーリンは「ちょっと野暮用があるから」とそそくさと立ち去ることに決める。 (あれ?でもじゃあ何で今になってヴァイオリンを持とうと思ったんだあいつは)  ふと疑問が湧いたマーリンだが、今更戻って聞きに行くのも何やら気恥ずかしく、深くは考えないことに決めた。 「まあ、別に気にすることでもねえか」  マーリンの姿が見えなくなるまで見続けていたユイリアは、やがて天を見上げながら1人独白する。 「マーリン、貴方は気づいてると思いますが、『愛の挨拶』はヴァイオリンだけでは不完全なのです」 貴方           私 「ピアノが必要なのです。ヴァイオリンとピアノ。二つ揃ってこの曲は本来の魅力を引き出せます」  目に浮かぶのは、大盾使いの聖騎士、クリストと楽し気にセッションを行うマーリンの姿。長く共に旅をしてきた自分もまだ知らなかった、彼の新たな一面。  恐らくマーリンは『愛の挨拶』を知っているはず。だって『威風堂々』のセッションをあの人はクリストと弾いていたのだから。  共に同じ作曲者の代表作、知っている可能性が高い。 「マーリン、貴方なら……私のこの愛を完成させてくれると信じていますよ」 ********************** ⑤必中のスナイプ&サーヴァイン・ヴァーズギルト 「ひゅー!やっぱダスタブの首都は違うね!」  近代的な街の中を必中のスナイプは1人上機嫌で歩いていく。近代的な街並みに通り過ぎてゆく洗練したファッションのレディたちを眺めながら、スナイプは目の保養に勤しんでいた。 (なんせ、うちのお嬢様たちじゃこういう大人の色気は期待できないからねぇ)  ホテルにチェックインし、荷物を預けて各々自由時間を宣言した後、ショッピングへと†天逆の魔戦士 アズライール†ことハナコはメトリを連れて一目散に繁華街へと向かって行った。常識外の戦闘能力の持ち主の彼女だが、こういう処はやはり年頃の女の子。今頃あの仏頂面の聖騎士のことを想いながらメトリと衣装コーナーでも物色してるかと思うと、思わず苦笑いが浮かんでくる。 (そういや、旦那はこの都市でどうやって時間を潰してるんだろうか)と、ふと頭に疑問が湧いてきてスナイプは足を止める。 「カフェ?いや、旦那は口の入ればなんでもいいとか言うタイプだしなぁ。教会…はあり得ないか。旦那は」 (もしや、そっちの店とか?)とも一瞬思ったが即座にスナイプはその可能性を否定する。自分とは違い、彼はそういう個人の楽しみとか、欲望とかそういう方面とは全く縁のない男だ。  それも、ギルの経歴を思えば無理もない、とスナイプは同情する。滅ぼされし聖都カンラークの聖騎士だった彼は、復讐と聖都の奪還意外に殆ど生きている価値を見出していない。PTに入って日の浅いスナイプにもそこだけはわかった。 「ま、旦那のことだからどっかで瞑想してるか、それか稽古でもしてるのか、かな」  独り言ちて半ば強引に結論を下したスナイプは、散策を再開する。そう、時間は有限なのだ。考えても分からない事に時間を費やし、貴重な自由時間を台無しにするなんて馬鹿のすることだ。あくまで彼は彼、自分は自分なのだから。 「あれは、楽器屋か…」  繁華街の中に一点の楽器店を見つけてスナイプは足を止めた。店頭に並んだ楽器は恐らく店長直々に選び抜かれたのだろう"渋い"物が多い。そう思いながら店の外観を眺めると、通好みの派手さはないが"わかっている"感が漂ってきてそこも好感が持てる。 「久々に、ギターでも弾いてみますか」  ニヤリと笑ってスナイプは店内に入店する。自慢ではないが彼はギターに関しては中々の腕前であった。旅の先々で無聊を慰めるいい気分転換になるし、何より音楽にも長けていた方がレディに受けがいい。  ギターコーナーはどこかと、店内を見渡したスナイプは、信じられないものを見て思わず目を丸くした。  つい先ほどまで彼が考えていた正にその人物──サーヴァイン・ヴァーズギルトが楽譜コーナーの前で佇んでいたのだから。 「よっ、旦那!まさかこんなとこで会うとは奇遇だな」  PTの仲間の声が聞こえてギルは物思いから醒めたかのようにバッとこちらを振り向く。その勢いの良さに声を掛けたスナイプの方が驚いた。 「ど、どした?」 「……いや、なんでもない」  小さく呟くとギルは急いで楽譜を棚に戻す。そして「邪魔したな」とだけ告げると店から出ようと踵を返した。 「──ちょっと待ってくれ、旦那」 「ッ!」  背後から腕を掴まれ、鬱陶しそうにギルは後ろを振り向くが、普段の飄々とした態度ではない、真剣なスナイプの目つきに苦情を飲み込む。 「…なんだ?」 「旦那が見てたのってこれ」  そういいながらスナイプの指さした先には一冊の楽譜。 「宗教曲じゃないのか?これ」  急いでギルが仕舞おうとしたため、完全には棚に戻っていなかったその楽譜は、教会音楽集だった。 「話してみな、旦那。女の子には言いにくいことでも俺相手なら多少は口に出しやすいんじゃないか?」 「………わかった」 「といっても、特に深い理由があったわけじゃない……。ただ、題名を見てつい聖都を思い出しただけだ」 「それは、充分深い理由に当てはまるんじゃないの?旦那」  スナイプの指摘に緩慢とした動きでギルは楽譜へと視線を移す。 「なんていう曲を眺めてなんだい?」 「…『主よ、人の望みの喜びよ』という」 「…わりい、もう一度いいか?」 「『主よ、人の望みの喜びよ』」  ムッとした顔をするギルに両手を合わせて詫びながら、スナイプは口の中で先程彼が言った題名を復唱する。 「その、『主よ、人の望みの喜びよ』はよく弾いてたのか?」 「……ああ」  もはや隠すこともできないと観念したのか、ギルは意外と素直にスナイプの疑問を肯定した。 「聖都に居た頃は、俺はよくこの曲を弾いていた」 「周りにいた同胞によくピアノの演奏を強請られたものだった…、ヒルムナー殿には、「お前はピアニストとしてもやっていける」と言われ、その都度そんな器ではないと否定してたな…」  黙って聞いていたスナイプは、ギルが語り終えるのを待って一つの提案をした。 「弾いてみたらどうだ?もしかしたら、何かの踏ん切りがつくかもしれんぜ?」 「…いや、いい」  スナイプの提案をギルは静かに首を横に否定して断る。 「今の俺に、宗教曲を弾く資格なんて、ないからな…」 「理由は、言えるか?」 「………」 (無理か)  まだ、言える段階ではないと判断したスナイプは「すまん、踏み込みすぎた」と謝罪する。 (恐らく、生き残ったことへの罪悪感か、聖都が滅んで神様とやらを信じられなくなったか。或いは今の復讐者のような自分を本来正しくはないもの、と捉えてるか…)  若しくは、複数の要素が複雑に絡んでるかと考えたところで、訝し気にこちらを見るギルの存在に気づき、慌てて詫びる。 「悪い、考えこんじまった」 「いや、こちらこそつまらん話を聞かせた」  そう言って棚に楽譜を戻そうとするギルに声を掛けて、代わりにもう一つスナイプは提案を行った。 「じゃあ、俺に一つ弾かせてくれないか?」 「…お前、ピアノが弾けるのか?」 「ピアノは弾けないけどよ、ちょっと待ってな!」  サーヴァインの疑問に笑って横に首を振ると、スナイプはとある場所へと向かっていった。 「…ギター?」 「そ、これが俺の特技さ」  クラシックギターの調弦を終えると、ギターを構え、楽譜を注意深く読み込む。そして「行くぜ」と一言ギルに声をかけ、ギターを弾き出す。  彼の手によって生み出される旋律に思わずギルは目を瞑る。ギターによって生み出される音はピアノとも、オルガンとも全く違うもので、ギターを聞いたことの殆どないギルに戸惑いを覚えさせる。  それでも、確かにその音は、まさしくかつて彼が聖都で弾いていた『主よ、人の望みの喜びよ』だった。 「…いいんじゃねえか?神様とやらに疑問持っちまっても」  演奏を終えたスナイプがギルに静かに語りかける。 「俺も、正直信仰心なんてそんなにないしな、第一、姿も見たことがないものを信じろってもなあ。でも、こうやって弾くことはできる」 「そういう風に、考えることはできないか?」  悩まし気に考えていたギルだったが、やがて首をゆっくりと横に振った。 「……すまん、俺にはそういう風に考えるのは無理だ」 「……そっか」 (まだ早かったか)スナイプは多少の落胆を覚えながらも、表情には出さずに頷く。まだ、出会ってから時間が浅すぎる。今の時点では、これだけでも上出来だろう。  そう判断を下したスナイプは、そろそろ戻る頃合かと、ギターを元あった場所に戻すため立ち上がった。 「どこに行く?」 「……んん?」  ギルの声がした方向に顔を向けると、なんと、ピアノに向かって歩いていくギルの姿がそこにあった。 「マジかよ」 「宗教曲が無理とは言ったが、別にピアノが弾けなくなったといった覚えはない」  ピアノの確認を終えたサーヴァインが、椅子に座る。 「興味深い演奏を聴かせてもらった礼だ。お返しに俺も一曲弾いてやる。そこの棚から好きな楽譜を持ってくるといい」  その後、集合時間を遅れてきた二人にお冠で遅延の理由を尋ね、スナイプがギルのピアノを聴いたことを知ったハナコが「私もギルの演奏は聴いたことないのに!」と憤慨。大いにへそを曲げたハナコの機嫌を直すために、やむなく彼女の彼女による彼女のためのコンサートをギルは開くこととなるのであった。 ********************** 作中に登場した曲 月光第三楽章/ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン 小犬のワルツ/フレデリック・ショパン きらきら星変奏曲/ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト 革命のエチュード/フレデリック・ショパン メヌエットト長調/クリスティアン・ペツォールト(バッハ伝) メヌエットト短調/       〃 愛の挨拶/エドワード・エルガー 威風堂々/    〃 主よ、人の望みの喜びよ/ヨハン・ゼバスティアン・バッハ