短めの話

異変の元凶は、クオンタモンが作った巨大なゲートに飲み込まれると、デジコアだけを残し消えた。
「功刀君。借りるね」
血を流し、二度と動かない仲間の鞄から真優美がナイフを取り出した。そのままゆっくりとした足取りで、脈打つようにも見えるデジコアに近づく。
「真優美！あなたがやらなくても……」
「私がやる。そうしないと多分、後悔する」
前髪で隠した目からは、大粒の涙が溢れ続けいた。クオンタモンは真優美の望みを聞き届け、無言でティンカーモンにまで退化する。それを確認した真優美はパートナーにありがとう。とだけ言うと、デジコアの前に座る。
そのまま、金切り声のような叫びと共にナイフを振り上げて、デジコアに突き刺した、
何かが低く叫び、世界が揺れたような気がした。それでも真優美は、すべての元凶の心臓を、ただのナイフでひたすら刺し続ける。
涙も、腕も。止まらない。赤い0と1が、血のように吹き上がり、闇の中と消え続けていく。
やがてデジコアは崩れ落ち、消えていった。


全てが終わった。真優美はナイフを握ったまま、動かない選ばれし子供達……愛した仲間達に向かって、僅かな奇跡に縋り、語りかけた。
「全部終わったよ、功刀君、起きて？」
彼は、答えなかった。
「ねぇ！みんな起きて！！帰るよ！！」
誰も、動かなかった。
「約束だったよね！？みんなで生き抜くって！そして全員で帰るって！！」
誰も約束を、果たせなかった。
「嫌だ！私を一人にしないで！！」


こうして愛甲真優美は、デジタルワールドを救った。


「真優美」
シスタモン・ノワールの声で、愛甲は目が覚めた。
「……おはよう、ティ……シスタモン」
何度も見る、【最初に】失った夢。体に空いている大穴に冷たい風が染みるような痛み。思い返すと、あの時デジコアに突き刺したナイフの触感すら、思い出せそうになる。
ベッドから身体を起こすと洗面台に向かう。薄桃色のケースにいれた金の義眼を洗い、肉の空洞となった左目に取り付ける。【二度目】に失った時、何の変哲もない黒い瞳も失い、おおよそ2年が経った。
人の力を商いに使い、ダークエリアの一大勢力とはなったが、障害はまだ残っている。
（だが、頃合いにはなったはずだ）
コンクリート壁と直貼りした木目調のフローリングの床に、生活に必要なものが最低限だけ置かれている殺風景な私室。義眼を取り付けた愛甲は、小さな冷蔵庫から缶のアイスティーを2つ取り出し、1つはシスタモンに差し出すと、そのまま2人は無言で飲み干し、缶をゴミ袋に捨てる。
「真優美。ファヨンが昨日の夜に戻ってきた」
「そうか、予定通り動くか」
短く言葉を交わすと、愛甲はクローゼットから取り出した黒いスーツに着換え、ピンクの部屋着を無造作に洗濯かごに放り投げ、部屋を出た。



「サジャンニム（社長さん）ごめん！品の確保は失敗した！！表のデジモンに匿われたかも！」
「逃がした奴と唆した奴らは始末はしましたし、記録もこの通り……ったく、金に目が眩んだバカめ」
「分かった。ここから先は他の者の仕事だ。まずはご苦労だったね。ファヨン、ギリードゥモン」
ファヨンと呼ばれた浅葱色のコートを纏ったキツネ目の若い女と、狙撃銃を携えたデジモン、ギリードゥモンは愛甲の言葉に安堵して、一度俯いた。
昨日、近日中にオークションに出すはずだった人間が脱走した。確実にテイマーとなる人間が欲しいデジモンが、金でこちらのデジモンを唆したようだ。
どちらも始末した。品の捜索はじっくりでいい。拉致した時点で、帰る手段は奪っている。そこまで考えると、愛甲は険しくしていた表情を戻した。
「戻ってきて早々だが……また表に行ってもらう」
「ウェ？（なんで？）何かあった？」
首を傾げたファヨンに、愛甲は抑揚と腹の底から湧き上がる熱を抑えながら、口を開いた。
「デジタルワールドへの侵攻準備。並びの片桐篤人達の抹殺だ」


ファヨンとギリードゥモンは、目を丸くしてしばらく口を開かなかった。愛甲が沈黙したファヨンをじっと見つめると、彼女は肩をビクりと跳ねさせる。
それからファヨンが、ギリードゥモンを小突く。そのまま2人揃って、ぎこちない動きで直立不動の姿勢を取ってから、疑問を口にした。
「チンチャ！？（本当に！？）侵攻はそいつら殺してからやるんじゃなかったの！？」
「ライジンモンが討たれた以上、片桐篤人は刺客を送れば終わる相手では、ない」
愛甲の傍らに無表情で控えるシスタモンは、ライジンモンの名前を出した瞬間、気持ちを堪えるかのように軽く歯を食いしばった。

「勿論、君達だけにはやらせない。鳥谷部さんやマリナスさんもいるし、役立つ物も用意した」
愛甲は机から何かを2つ取り出し、ファヨンに手渡した。それを受け取ったファヨンは、見間違いを疑うかのように、一度目をこすった。
「ギリードゥモン……私、見間違えてないよね？」　「ん……見せてファヨン」
ファヨンがギリードゥモンへ、受け取ったものを手渡す。ギリードゥモンは同じようにじっくりと見て、見間違えではないと言いたげに、ファヨンの方を向き、硬い表情で首を縦に振った。
淡い緑のデジヴァイスと、純真の紋章。それはひと屋が討った、選ばれし子供の所有物であった。

喜びよりも困惑が勝った表情で、ファヨンが心配そうに愛甲に視線を送った。
「犬童三幸が使っている以上、我々も利用しない手はないよ」
「「……あっ！」」
愛甲の言葉に、ファヨンとギリードゥモンは即座に思い出したように素っ頓狂な声を上げ、2人揃って顔を見合わせた。その様子を見て愛甲だけではなくシスタモンも、わずかに顔を緩ませる。
「任務もあり伝えるのは、君が最後になってしまったが……改めて、だ」
そして緩ませた顔をすぐに戻すと、軽く咳払いをして、事務的であろうとする声音でファヨンに命令を下した。
「林花英（イム・ファヨン）とギリードゥモン。君達を六幹部の一人に任命する。
他の幹部と共に、デジタルワールドへの侵攻準備。生き残った選ばれし子供の抹殺を命じる」
「……謹んでお受けいたします」
ファヨンとギリードゥモンが、愛甲の金の義眼をジッと見つめ、身動ぎ一つせずに答えると、愛甲は待た何処か優しさのある声音に戻し、頬を緩めた。
「詳細は、そのデジヴァイスに送った。表に出る準備が終わったら向かってくれ」


ファヨンとギリードゥモンが退出した社長室は、再び愛甲とシスタモンだけの空間に戻った。
「片桐篤人の奇跡は、続いたわね」
「ああ……だが、ライジンモンの敗北は決して無駄にはしないさ」
愛甲は、ライジンモン達かつての六幹部の姿や声を順々に思い出し、小さく拳を震わせた。
「真優美。こっちはどうするの？」
「忙しくなるだけさ。鳥谷部さんに岩瀬も送ったが……アヌビモンや他の奴らに対抗する力は、しっかり残してある」
シスタモンがいつも通りね。返すと、社長室には瞬く間に沈黙が流れた。
「忙しくなる、か、白田社長や大村課長も、こんな思いをしながら働いていたのだろうかな」
かつての勤め先の上司の名を思い出すと、愛甲は瞼を閉じ、デジタルワールド帰還後の自分が送った日々を、脳裏によぎらせた。

　

「あの、雲龍みかんシェイク8つ」
夕方の街の中、屋台のユキダルモンが一瞬驚いた表情を見せたが、片桐篤人からbitを受け取ると、オーダー通り作り始める。それからしばらく待つと、プラスチック容器が8つ入った袋を手渡され、2人は小さく礼を言って屋台から立ち去る。
シェイクを受け取った篤人は、そのまますぐ近くのベンチに座って何かを話していた様子の三幸やファングモン、そしてたまたま一緒に依頼を受けてから、一時的に行動を共にしているテイマー達に買ってきたシェイクを手渡した。
「みんなお疲れ様。はいこれ」
「ありがと……なんだけど片桐、あんたも飽きないわねコレ」
「デビドラモンはこれ好き！光は？」
「……ま、私もこれは嫌いじゃないけど」
光と呼ばれた黒い服を着た白髪の少女が、やや呆れ気味にシェイクを2つ受け取る。パートナーであるデビドラモンは、ストローが差されたシェイクを受け取ると、ウキウキとした様子で飲み始めた。その様子と言葉に光は、肩は竦めたが頬を緩めて自分も飲み始めた。

「篤人さん、それ好きですわね……いや、私もこの柑橘系の酸味とアイスの甘みの組み合わせは、中々抗いがたいと思ってますが……」
「ミユキお前、アツトより気に入ってないか？」
苦笑いを浮かべながら勢い良くシェイクを啜る三幸の言葉に、ファングモンも同じ勢いで啜りながら訝しんだ言葉を向けると、三幸はこれ以上喋るなと言わんはがりの目でファングモンに目を向けてから、わざとらしく咳払いをした。
「ふぅ……毎回ありがとうございます片桐さん」
「でも……なんで毎回？」
赤髪の少年の日野勇太が一息をつくと、パートナーの鉱石の体を持つ竜、ヴォーボモンが篤人に疑問を投げかけた。篤人は言葉を選ぶために間を置き、自身のシェイクを飲み干してから、口を開いた。
「現実もデジタルワールドも苦くて渋くて厳しいから、甘い物くらい食べなよと思ってさ」
「えぇ……」
「ユウタ。こいつ、ただ年上らしく振る舞いたいだけだぞ」
「いま言わないでよジャンクモン……」

篤人が三幸と出会い1週間、目的地に行くために北上を続ける最中、このデジタルワールドでは比較的大きな、この街に到着した。そこで三幸と話し合い、しばらくは路銀を稼ぐことに決めた。
日野勇太と鬼塚光、この2人とは同じ街で同じ依頼を受けたのが始まりで、すぐに終わる関係かと思ったが、いつしか3日も行動を共にしていた。
「まぁ……年下にそう振る舞いたい篤人さん。私の弟もそうでしたもの」
「犬童さん、せめて例は君のお兄さんにして」
家族のことを思い出した様子の三幸が、少し懐かしげに語った言葉に、篤人は声音こそ変えなかったが、露骨に嫌がり顔を顰めた。
「ぷぷっ。最初は頑固眼鏡だと思ってたけど……どこにでもいるような奴だったわね」
「光、笑うのはダメだよ……俺も最初は固い人だと思ってけど……」
篤人は少し恨めしそうな目をジャンクモンに向けた後に、ため息をつく。後は他愛の無い話をして、夕食を取り、風呂に入り眠る。こうして一日を終えるはずであった。

「ん？なんの音だ？」
何かが聞こえたらしいファングモンが訝しんだ顔で、あたりを見渡し始めた。その様子を見て皆も、首を動かす。
その直後に、一番最初に坂の方見ていたヴォーボモンが、アレだと声を上げて指を指す。全員が一斉にそこを振り向くと、大量のペットボトルや缶ジュースが、雪崩のように坂を転がり落ちている。
……自販機の業者が転んだか？と目を細めた篤人の目の前で、勇太とヴォーボモンが駆け出す。それを見て、小声で不満か何かをぼそりと呟いてから光達もそれについて行った。
「出遅れたな、年上共」
「つい呆気に……でも、行けば同じですわよ！」
ファングモンの茶化すように笑いに渋面で応えてから駆け出す三幸を見て、ため息をついてから篤人とジャンクモンも、ゆっくりと歩きはじめた。


「落としたのあの人！」
全員で缶やペットボトルを集める最中、デビドラモンが指を指した方向を向くと、底が破れたビニール袋と、何かが一杯に詰まったリュックを背負った女が、右腕にカラスの乗った案山子のようなデジモン、ノヘモンと共に必死の形相で坂を下っている。
「あいつかぁ！袋破れてるとかどんだけ買ってんだあの女！！」
「その話は後だよ光！」
元凶の姿を見て吐き捨てた光を勇太が宥めると、とりあえず一旦、拾ったものを一箇所に集める。たまたま缶を拾い顔を上げた篤人が、女と目が合った。暗い緑色の髪をポニーテールに束ね、浅葱色のコートを纏い双眼鏡を首から下げた女。多分、日本人ではない。篤人がそう反射で思った瞬間に、女が髪と同じ色の瞳で、篤人を射殺そうとするような目を向けていることに気付いた。
鳩尾が冷たくなり、小さな穴が開けられるような感覚。思わず軽く歯を食いしばったが、坂を下り終え、肩で息を始めた女の目はいつの間にか、にこやかな物になっていた。



「カムサハムニダ（ありがとうございます）」
「え？えーと……どう、いたしまして？」
「っと、いけない。日本語なら分かるよアタシ。ありがとうございます」
予期せぬ言葉に勇太が戸惑いを見せたが、緑髪の女はそれを見て口元を手で押さえると、すぐに流暢な日本語で話し始めた。
「全くよホント……っていうかその荷物どんだけ買ってんのよアンタ……」
「ミアーン（ごめーん）……っと、アタシはイム・ファヨン。韓国からこっちに飛ばされたクチ。この子はパートナーのノヘモン」
光の言葉に、ファヨンという名の女はこやかに笑いながら小さく頭を下げると、それと同時にノヘモンの本体であるカラスも小さく頭を下げた。
それから各々が名乗った後、篤人はファヨンが自分に向けてきた、混じり気のない殺意だけがある冷たい目が、今この場でにこやかに笑う彼女と、結びつかなくなった。
「お礼に2リットルのやつを2本上げる。後は袋買いなお……し…て……」
ファヨンが濃紺のデジヴァイスを取り出して操作するうちに、徐々に顔が青くなり始めた。やがて、棒立ちのまま顔を真っ青に変わった所で、不審に思ったノヘモンが肩越しにデジヴァイスを覗くと、今にも目玉が飛び出しそうな表情へと変わり、そこから少しずつ、体が震え始めた。
「ファヨン！あんたまた！！」
「あるからちゃんと！忘れただけだから！」



「えっとつまり……お金が入ったデジヴァイスを忘れて、無一文？」
「……はい」
「……呆れてモノが言えないんだけど」
光はため意をつくと、地面に手をつき項垂れるファヨンのノヘモン、呆れ顔で見つめた。これには流石の勇太も、光を宥めることはしなかった。
「仕方無いですわね……あの、お住まいはどちらで？持っていきますよ」
「えっ！？あ……と、ここからじゃ大分遠くて……」
「遠いのかい……アツト、俺様は大して疲れてねェし、デストロモンに進化しても……」
「と……遠い上に空中から入れない所にあって……」
三幸やジャンクモンの善意からの提案を、ファヨン慌てて立ち上がって拒絶し、ノヘモンと向き合い何かを話し始めた。

「アツト。あいつ…ちょっと怪しいぞ」
「……そうかもだけど、何かするのはまだ早いよファングモン」
疑いの目をファヨンに向けるファヨンの言葉と、篤人は自身に向けられたあの目を振り返ったが、いま目の前で何かを言い合うファヨンとノヘモンを眺め、少し呆れた気持ちとなった。
やがて、2人の話し合いは終わったらしく、ファヨンが左頬を掻きながら、気恥ずかしそうに口を開く。
「ねぇ君達、もういいからそれ全部持って……あっ」
その矢先、腹が鳴った。ノヘモンが鬼の形相でファヨンを睨んだが、直後に同じ音が聞こえてノヘモンも俯くと、気まずい沈黙が訪れた。
「どうしようね、勇太」
「流石に今の音聞いたら、放っておけない��ヴォーボモン。でもどうしようかな……」
ヴォーボモンと目を合わせた後、考え始めた様子を見せた勇太を見て、篤人はゆっくりと近づいた。
「すればいいよ。君が考えてること」
「えっ、でも……」
「なァに、余程のことするなら止めるぜ。その前にヒカリちゃんにドヤされるだろうがな」
ジャンクモンがニヤリと笑って光の方を見ると、光は何か言いたげに片眉をあげて、こちらを見るだけであった。
「じゃあ……ええと、ファヨンさん。もし、嫌じゃなかったらなんですが」


シャリの実が詰め込まれた使い捨ての容器に、とろみのついたカレーがかけられる。スパイスの刺激と甘さを感じる香りが鼻を通り脳に届くと、ファヨンは目を開いてチャルモッケッスムニダ（いただきます）と声を上げ、すぐに口に入れた。
煮込むうちに幾らか溶けた野菜の、優しい甘み。大きめに切られた人参の歯ごたえやシャリの実の食感。町で売られているルーや野菜で作られた、どこででも作られるようなカレーライス。ファヨンの記憶には無いが、家で食べたことがあるはずの、口に入れると何かが胸に染み込んでいく味。
隣に座るノヘモンを見ると、精一杯啄んでいる。更に周りを見渡す。片桐篤人や犬童三幸、そのパートナー達も笑みを浮かべて、口に運んでいる。中心となって作った日野勇太が、その様子を見てにこりと笑った後、白い三角巾を外して自らも食べ始めた。
（……何でアタシ、殺すはずの邪魔者とカレー食べてるの……？）
やっと出てきた戸惑いの感情も、二口目を口にした際に思わず出たマシッタ（美味しい）という言葉と共に、また頭の隅に追いやられた。


「……いやぁ！カレー食べたのなんて何年ぶりだっけ！ほんとアリガト勇ちゃん」
「いきなり気安くなったわねコイツ」
「ま、まぁまぁ光……でも年単位ですか……」
もうすぐ闇に包まれる森の中。焚火を囲いながらファヨンは勢い良くカレーライスを口に運ぶ。その最中で気安い呼び方をした事に対し、光がジトッとした目をファヨンに向けるが、勇太はそれを宥めながらも、顔を引き攣らせていた。
野外用のテーブルに置かれた2つの鍋からも漂う同じ香り。それを見ると、目の前で残り僅かとなったカレーをどうすべきか、ファヨンは考えてしまいそうになっていた。

「私からも礼を言わせて。このアホが本当に迷惑をかけた」
「礼なら日野君に。僕は何もしていません」
「まぁ、篤人さんもお肉を分けたと思いますが……間が良かったのは本当ですわよファヨンさん」
一足先に食べ終えたノヘモンが、本来ならば殺すべき対象である片桐篤人と犬童三幸に、自然を装って礼を言うと、片桐は表情も動かさず、犬童は苦笑いを浮かべながら、既に二杯目のカレーにあらためて手を付け始めた。
「こうやって大人数で食べたの初めてだよアタシ。向こうに居た時は、家族はいた、けど……」
最後の一口を飲み込んだ後、自然な流れで口にした言葉でファヨンは体が内側から抉られるような感覚が、掌には、刃物を押し込んだ感覚が、漏れるように広がり始めた。
「……何があったかは聞かないけど、食べて忘れられそうなら、まだ残ってるわよ」
光がファヨンに、暗い気持ちを感じ取った目を向け話すと、ファヨンの掌からは、感覚が抜けていった。その様子を見て勇太やデビドラモン達が誇らしげに笑うと、光は彼らを無言で睨みつけた。

「……家族と離れて年単位で経過したから寂しくなっただけ！変な空気にしてゴメンね！」
「大丈夫ですわよファヨンさん。その気持ちは誰にでもありますから」
後頭部に左手を回して申し訳なさそうに苦笑いをするファヨンに、三幸は少し寂しそうに笑った。
「それにさ、ここに居る間はノヘモンが妹……家族みたいなものだしね」
「何を言ってるのファヨン。姉は私だ」
「ウェ？」
「似たものではあるな……」
パートナーからの思わぬ即答に面を食らったファヨンは思わずノヘモンに顔を向けると、その様子を見たファングモンが、ぼそりと呟いた。


「家族かぁ……そうだ勇ちゃん？ちょっとアタシのこと、お姉ちゃんって言ってみてくれない？」
「はい？なんて？？」
突然のファヨンの言葉に、勇太は目を白黒させて、そのまま固まった。それに構わずファヨンは立ち上がり近づくと、両肩に手を置いて勇太の顔をジッと見つめる。橙の瞳から幾らかの照れと困惑を伝わらせながら、勇太は顔を仰け反らす。
クィヨプタ（可愛らしい）。ファヨンがそう思った直後に、肩を掴まれる……いや、肩に少し、爪が食い込んだ感覚がした。むず痒い物を感じ恐る恐る後ろを振り返ると、光が必死に、悪鬼のような形相を作りながらファヨンを睨み、デビドラモンは申し訳なさそうファヨンを見て、光を腕を押さえていた。

「おい片桐！見てないでこの姉になろうとしてる不審者をつまみ出すのを手伝え！！」
「落ち着きなよ鬼塚さん。あと爪はダメだよ」
光が片桐に向けて声を張り上げるが、片桐は抑揚の無い声音で返すのみであった。
「ミアーン（ごめーん）光ちゃん。ちょっと昔にね、弟欲しかったこと思い出しちゃってつい……」
「何がついよ……ったく！」
止められた事と謝られたのもあり、光に渋々ながらファヨンの肩から手を離すと、ファヨンも勇太に小さく謝り、手を離した。その際の勇太は、解放された安心感から、ホッとした様子であった。
「まぁ、可愛げある弟はいいのは分かります」
「片桐さん、弟が居るんですか？」
「僕が弟。それも可愛げ無くて反抗的な奴」
勇太の問いに片桐が、自分が言ったように可愛げの欠片もなく即答すると、手もとにあったコップの水を一気に飲み干した。

「……っと、勇ちゃん。お姉ちゃんおかわりもらうね。小さめの鍋のほうはどうなってるの？」
「あー……そっちは光の……」
「あっごめん……アレルギーか何か？」
「いや、野菜が苦手なだけだよ……」
苦手なだけ。言いたいことを堪えたようなヴォーボモンの言葉に、ファヨンに冷たいものが芽生えると、しばらく光の方を見続けた。
「そっか、苦手なんだ」
どこか言い切るような声音で話した後、ファヨンは大きな鍋のほうへ向かった。





「チャルモゴッスムニダ（ごちそうさまでした）」
結局、10名分のカレーは、全て空になった。それを見て勇太は、とても嬉しそうに笑う。
しかしその直後に、何かを思い出したように、ファヨンがとてもバツが悪そうに、口を開いた。
「本当にありがとうなんだけど……すごく申し訳ないこと言っていい？」
「え？何か……問題とか嫌いなもの、ありました？」
「……テントあるから一日くらいどうにかなった」
ファヨンのその言葉に、全員がガクリと肩を落とした。光に至っては、若干苛立ちを感じさせる視線で、ファヨンを見ている。
「……空腹や焦りは、こうなるって事ですわね」
「だから本当にごめん！」
自戒混ざりにも見える三幸の苦笑いを見て、ファヨンは眼前で両手を合わせて謝る仕草を見せると、そのまま2リットルのペットボトルを何本か、テーブルの上に置いた。
「これお礼代わりに、持ってって。私はこの辺でテント張って過ごすよ。明日には、何とかなるから」
「このアホが本当に迷惑をかけた。これ以上、迷惑はかけられないよ」
ファヨンとノヘモンの言葉に、片桐達は少し話し合った後、一言二言ファヨンに別れを告げ、森から去って行く。
ファヨンは彼らを手を振りながら見送ると、ある程度離れた所で、今度は双眼鏡越しに、見送った。


「こっちが命拾いしたよ……まさかこんなに早く、片桐と遭遇するなんて……」
「ま、街中で四人とやりあったら、究極体になっても流石に厳しいしね……よし、角を取った」
夕食を共にした場所から少し離れた所でテントを張ったファヨンは、ノヘモンをギリードゥモンに進化させると、そのままランプだけを灯したテントの中で、オセロに興じ始めた。
「……それにしてもファヨン、あんた赤髪の子のほう、随分と気に入ったね」
「あの時言った通り、ああいう可愛げある弟が欲しいだけ……よし、こっちも角取った」
「……あっちの白髪のほうの子は？」
ギリードゥモンの言葉に、ファヨンは一瞬手を止め、近くに置いた缶ジュースを飲み干してから、口を開いた。
「んー……何かあった子だし悪い子じゃないと思うけど……弟の彼女にはちょっと……アタシには、学校の委員長とかのほうが勇ちゃんにはいいと思う」
「アンタ、理不尽な姉よそれ……よし、勝った」
負けた事に小さく悪態をつくと、ファヨンは立ち上がってギリードゥモンの隣に移動し、2本の缶の麦茶に手を伸ばすと、そのまま両方プルタブを引き、1本をギリードゥモンに手渡した。

「多分だけどさ、あの2人、どっちも……ほら、たまにあるアレ。よそのデジタルワールドの子だよ。調べたけど、ひと屋の記録になかった」
「別レイヤーのデジタルワールドと混ざったなら……【仕入れ】の時間だな」
ギリードゥモンが麦茶に口につけると、側に立て掛けた狙撃銃に手を伸ばした。
「鬼塚光はすごく素質あるよ。オークションに出せば5000万超えるかもしれないけど……それにこだわって痛い目見るくらいなら、殺しは止むなし。かな」
「……日野勇太の方は？」
「捕まえたらサジャンニムに頼み込んで、私の弟にする」
拳をグッと握りしめて強い声音で話すファヨンに対し、ギリードゥモンはため息をつくと、麦茶を一気に飲み干した。
「……まぁ、ああいう可愛げあって甲斐甲斐しいのは、値段結構上がるしね」
「売りに出す前提にしないでよ……ただ、なんかあの子テイマーとしては変な違和感あるけど……サジャンニムに見てもらったほうが早いしね」
「で、一番大事なのは……片桐と犬童の抹殺ね」
ギリードゥモンの言葉を受け、ファヨンも麦茶を飲み干すと、ダークグリーンの瞳を、殺意で黒く濁らせた。

「朝になったらすぐ動く。向こうは今日、間抜けな女と会った日くらいしか、思ってないはず」
先ほどまでのにこやかな声音は消え去り、ファヨンの声と目は、冷たいものへと変貌した。
「サジャンニムは、両親を殺した私を拾って、アンタにも引き合わせてくれた……そして、こうして重用もしてくれている」
ギリードゥモンが無言で、どこか嬉しそうに鼻を鳴らしたのを聞いた後、ファヨンは片桐篤人と犬童三幸の写真を床に並べると、手に取ったサバイバルナイフで、突き刺した。
「だから、あの人が望む世界への復讐のためにも、奇跡に縋って悪あがきをしてるこいつらは、殺す」
そのまま写真をナイフで真っ二つに切り裂いてしばらく沈黙すると、ファヨンの目はまた、にこやかな物へと変わり、鞄をあさり始めた
「ってことでギリードゥモン。寝るまで今度は……流行ってるっぽいしジョグモン、やるよ！」
「これ、本当に流行ってるの？ファヨン……」