エイブリーはノースカイラムの出身で技術者を目指す学生である。 幼少の頃から高度な機械に囲まれて育ったため、機械いじりや精密機器の分解は日常的な趣味となっていた。 その探求心は自国の技術だけに留まらず、学生となった今ノースカイラム国立学園の留学制度を利用して遠く離れたレンハートにまで足を延ばすこととなる。 留学先のレンハート勇者学園に到着するやいなやエイブリーは早速自由な時間を使いあらゆるものを調べ始めた。中でも特に興味を惹きつけられたのはノースカイラムでは見ない「ゴーレム」である。 わざわざ巨大な人型にしなくても良さそうなものだが、その緻密な構造と動作原理を解明しどうにかこの技術を習得して母国へ持ち帰れないかと思案した。 居ても立ってもいられなくなったエイブリーはすぐさま留学先の校舎の一部を無許可で改造し、自ら以外は立ち入り禁止とする特別な空間を作り上げたのだ。 それはもはや単なる教室とは言えない、簡易的ながらも必要な設備が整ったエイブリー専用の研究室と呼ぶべき謎めいた空間であった。 そこでまずは小型のゴーレム製作を試みたのだが、結果は当然ながら惨憺たるもの。 手探りで見様見真似で始めた技術開発がそう簡単に成功するはずもなく貴重な時間と、それ以上に多額の資金を無駄に浪費する結果となった。 底をつきかけた研究費を補填するため、エイブリーはアルバイトを始めることを決意する。 ところで、エイブリーの出身地ノースカイラムという国にはある種、異様なまでの特徴があった。 国民の誰もが特段気にかけることもない、極めて当たり前の事実として受け止められていることだがノースカイラムの人間は皆、驚くほど美形が多いのである。 それは「多い」という形容では到底追いつかないレベルで、肌の色や服装などの違いを超越して、ノースカイラム国内では「この人は他国の人間だ」と一目で判断できるほど国民のほとんどが類まれなる美貌を備えている。 もちろんエイブリー自身もその例に漏れず、家族も含めこの事実は揺るぎないと自信を持って断言できた。 留学先のレンハートに来てからは、自国の「美の基準」が世界的に見ていかに特異であるかを、さらに強く認識させられたほど。 とはいえ、自分はノースカイラムに数多いるうちの一人に過ぎないという認識もまた、エイブリーの中に深く根付いていた。 決して特別な存在ではないと重々承知しているため、自分の容姿を誇示するつもりは毛頭ない。 しかしながらやはりこの顔立ちは目立ってしまう。性別すら判別しがたい、超越的な美貌。 レンハートに来て以来、この状況は変わらなかった。迂闊に一人で街を歩けば、そのたびに男女問わず言い寄られ、ナンパされなかった日はないほど。 街中だけでなく、学園内ですら同じように声をかけられた。 人に好かれるのは悪いことではないと頭では理解しているが、その好意が専ら「顔」のみに引きずられていると感じると、なかなか真剣に相手を好きになるのは難しい。 だが、この圧倒的な容姿の「使い方」を理解してからは、状況は一変した。 なにしろ、交渉の初期段階から相手の好感度が高いという、強力なアドバンテージを持っているのだ。 この強力な武器を使わずしてなんとする?エイブリーはそう考えるに至った。 持ち前の美貌を最大限に活かせる給与の比較的良いアルバイトを迷わず探し、即座に採用へと至ったのはもはや必然であったと言えるだろう。 アルバイト先としてエイブリーが選んだのは、レンハート国内でも異彩を放つ一軒の喫茶店であった。 この店の特徴は、遠い東方の国「コト」の着物と呼ばれる衣服にエプロンを組み合わせた、可愛らしい給仕の制服を採用している点にある。 この独特なデザインは、中性的ながらも超絶的な美貌を持つエイブリーの魅力を、さらに際立たせる効果を生んだのは言うまでもない。 たちまち店はエイブリー目当ての客で賑わい、あっという間に店の「顔」として抜きん出た人気店員となった。 その結果、高い給金と引き換えに、エイブリーは多忙な生活に追われることになる。 それは、貴重な放課後の時間を削り、学園内の秘密の研究室に籠もる時間が大幅に減ってしまうほどの忙しさであった。 しかし贅沢は言えない。研究資金調達のためと割り切り、エイブリーは日々持ち前の愛想の良さと計算された笑顔で接客をこなしていた。 ある日、いつもと変わらずフロアを回っていたエイブリーは一人の面倒な客に執拗に絡まれることになった。 エイブリーは男女という性差はあれど、人間の本質的な部分はそう変わらないと考えている。 だが、ことこのような特殊な接客を要する店において厄介な、あるいは悪質な客というのは残念ながら圧倒的に男性に偏っている。 これもまた、ノースカイラムではまず見られない状況であった。 この手の客はやけに馴れ馴れしく絡んだり、時には制服の上から触れようとしてくる。 もちろん店では客による店員への接触は厳しく禁止されているし、そもそも見ず知らずの人間に許可なく触られて嬉しい人間などいない。 普段、こうした客には巧みな話術と冷ややかな視線で対処していたのだが、この日の相手は粘着質でどうやらエイブリーをターゲットとして定めてしまったようだった。 エイブリーがいつものように笑顔の裏で警戒心を張り巡らせながら客をあしらおうとした、その瞬間だった。 客の男性は突然、エイブリーの華奢な手首を乱暴に掴み、強引に立たせようと上へと引き上げた。 エイブリーはまだ学生であり、同年代の者たちと比べてもどちらかといえば細身で華奢な体つきである。肉体的な力は、訓練を積んだり体格の大きな大人の男性には到底及ばない。 今回のように力で押されてはどうすることもできないのだ。 予想外の強い力と、手首に走る鋭い痛みに、エイブリーは思わず顔を歪ませた。頭の中では「どう対処すべきか」「このままでは不味い」と機械的に思考が巡っていたその時。 突如、掴まれた腕に掛かっていた拘束が解き放たれた。 何が起こったのかと、エイブリーは痛む手首を庇いながら救世主の姿を仰ぎ見た。 そこにいたのはクラスメイトのボリックであった。学園内ではお互いにほとんど関わりのない、友人とも呼べないような、極めて薄い間柄であったはずだ。 その彼がなぜこの特殊な喫茶店にいるのか。そして、なぜ自分を助けてくれたのか。 呆然とするエイブリーの視界の隅でいつの間にか駆けつけた店の警備員が先ほどの客をあっという間に連行していくのが見えた。 気を利かせた店長の配慮によりエイブリーはその日の早退を許可され、図らずも救世主となったボリックと共に店を後にすることになった。 帰り道、エイブリーの頭の中には、「なぜあの店に?」「なぜ助けてくれた?」といった疑問符が渦巻いており、その思考を察したかのかボリックがぽつりぽつりと話し始めた。 「お前が放課後コソコソと何かをしているのは、まあ、知ってた」 ボリックの口から語られたのは、目立つ留学生が可愛い制服と噂の店でアルバイトをしているという噂がひっそり広まりつつあること。 あの店は給金は良いが、制服や客層ゆえに質の悪いトラブルが起きやすい店として一部で知られていること。 そして、何よりもエイブリーの顔と接客中の愛想の良さを勘違いした男が、いずれ現れるだろうと懸念したまたま様子を見に来てみたらまさにその場面に遭遇したということらしい。 面倒見のいい奴だとエイブリーはそう思いながら、無意識にボリックの腕を掴んだ。その腕は鍛えられているのか硬く太い。 なるほど、まるで棒切れのように華奢な自分と比べれば、こいつの腕は鉄の棍棒のようだ。 力に訴えかけるような真似はしないが、もし、この「棍棒」を傍に置いておけば、余計な声掛けや絡まれ事案は大幅に減るのではないか。 加えて、ボリックはエイブリーの顔にさほど興味がないように見えた。初めて会った時から他の人間のような熱狂的な視線を向けられた覚えがない。 これはノースカイラムでは当たり前でも、レンハートでは極めて貴重な存在である。 これを使わない手はない。即座にそう判断したエイブリーはそれからというもの、ボリックと意図的につるむようになった。 自己保身という打算的な理由が勿論最優先ではあったが、それ以上にお互いに容姿という表面的なものに関係なく、気兼ねなく絡める相手というのはエイブリーにとって替えの利かない貴重な存在であった。 ボリックという男は、レンハートにありながら、エイブリーがノースカイラムでの「当たり前」の人間関係をそのまま享受できる、数少ない人物となったのだ。