「ど、どうしてこんなことに……」  和葉の呆然とした呟きはすぐ真横で轟いた銃声で掻き消えた。銃というより砲である。  遮蔽にしている街中のオブジェから銃口を突き出している銃はそれくらい長大な大きさを誇っていた。  片膝をついての射撃で遠くの目標を狙っている射手は確かに小柄だったけれども、それでもその身長を超すほどに巨大なライフルだった。 「ちゃんと頭を低く保ってください。でないと当たりますよ」  落ち着き払った態度の射手が和葉へ伝える。同時に自らがエフェクトで生み出した真っ白なライフルを抱きかかえるようにして素早く遮蔽へ隠れた瞬間、耳をつんざく轟音。 「きゃあっ!?」  真っ白な光が和葉たちが隠れているあたりを一瞬眩く照らす。雷撃の投射が遮蔽のオブジェに直撃したのだ。  思わず耳をふさいで縮こまった和葉の横で射手は即座に遮蔽から再び銃口を覗かせ、見事な膝射を披露していた。  〈エンジェルハィロゥ〉のレネゲイドの力で生み出された青白い弾丸が超高速で街中を疾駆し、目標がいるあたりへ突き刺さる。たった一射で分厚いコンクリートが破砕音と共に粉々に砕け散った。 「……どうしてこんなことにぃ……」  空を見上げる。空はまるで和葉の心境そのものを表現しているように厚い雲がかかってねずみ色だ。  なんでこんなことになっているのか。和葉だって思考能力が著しく増幅する〈ノイマン〉のエフェクトを発現しているとUGNで検査済みなのに全く答えが導き出せない。  朝からの出来事を思い出す。そう───最初はうまくいっていたのだ。  今まさに心なしか活き活きとした雰囲気で長距離射撃を敢行しているこの鮎川瑞という子を“デート”に誘ったのがきっかけだった。  UGN日本支部付きのUGNエージェントであり、UGNチルドレン。和葉が生きてきた常識的な表側の日常こそが彼女の非日常であり、彼女が身を置いてきた訓練と生死の遣り取りの現場こそが和葉の非日常。そんな関係。  たまたま和葉は先日瑞と話をする機会を得た。その中で彼女は自分が戦力として『使用』されることに一切の迷いや葛藤を感じていないようだった。  瑞のそんな有り様は少なくともオーヴァードとして覚醒するまでは一般人の範疇にいた和葉にとって、どこか歪に感じられた。  だから和葉は瑞へ同じ年頃の普通に生きている子ならごく当たり前に経験する楽しみを教えてあげたかった。それだけだったのだ。  レネゲイドウィルスやらUGNやらの事情とは無関係の親しい友人と共に瑞と待ち合わせした。さてどんな格好でやってくるかと思いきや……意外にも瑞は普通だった。  シャツの上からジャケットを羽織り、下はやや緩めのパンツ。身動きしやすい甘辛めな組み合わせ。とてもよく似合っているとまでは言わないが、友人と遊びに行くならごく自然な格好だ。  友人たちからの評判も悪くなかった。もともと瑞はちっちゃい上に愛嬌ある顔をしている。  愛想は相変わらず全く無くにこりともしないが、見ようによってはとぼけた表情だ。可愛い子だね、と和葉はこっそり耳打ちされた。  ならばその後にすぐボロが出たのかといえばそれも違う。午前中は新作の冬物を見てみようかとブティックを回ったが、瑞は買い物こそしなかったものの特に嫌がる気配もなかった。  友人から似合いそうな服を次々見繕われて困惑気味な態度だったもののそれだけだ。和葉たちが通うブティックの服は確かに少々値段が張るし、購入を躊躇うのも無理はない。  お昼はちょっとオシャレな喫茶店へ。瑞は友人たちの話題に積極的には加わろうとはせず、しかし聞かれればちゃんと自分のことを話していた。  好きな食べ物は何? と聞かれて「加工糧食でしたらローストビーフ味ですね」と答えるなど危ういところはあったが、まだセーフの範囲内だったろう。  問題が起こったのは午後からだった。カラオケにでも行こうか、と楽しく相談していたところ、瑞は急に雰囲気を変えて人混みに逆らい歩き始めた。  突然そばからいなくなった瑞を探して友人と共に後を追ったところ───人通りが途絶えた路地に入ったところで大の大人を蹴転がして上から伸し掛かっている瑞を発見したのである。  何やってるの、と聞く暇もなかった。「クソッ、UGNの犬めっ!」とかなんとか。そんなことを抑え込まれた男が吠えた直後に〈ワーディング〉が展開され……今に至る。 「過激な行動により広域で各支部に手配されている、勢力を拡大中だったテロリストです。現場に残っていた“匂い”が一致したので偶然見つけられました。行幸だった」  瑞が和葉へ語りながら遮蔽から少し身を乗り出し、四方へ向けて連続射撃を行う。引き金を引くたびにこちらを攻撃する気配がひとつずつ消える。  後から支部のオフィスで耳にした話だが“少なくとも腕前については”瑞は結構な腕利きで有名らしい。今披露している狙撃だって凄腕の技術によるものなのだろう。  それでもげんなりとした気持ちで和葉は自らの傍らに視線を落とした。〈ワーディング〉の影響ですっかり夢の中へ旅立った友人たちが仲良く眠っていた。 「そ、それにしたって何も今じゃなくてもよかったんじゃない!? こんな街中だし!! 私の友達だっているし!?」 「あなたのご友人には申し訳ありませんが、奴らは逃がせば逃がした先で誰かを傷つけるかもしれません。こういう時は迷う前に撃つと決めています」  ダメだ。何を言っても全く取り付く島もない。瑞ちゃんは完全にデートモードからターミネーターモードに切り替わってしまいました。  瑞は十字照準を見つめながら満足気に頷き呟いた。 「さすがです長月。手ぶらで行けというのはこのことだったのですね。〈ブラックドッグ〉のシンドローム持ちが向こうにいる以上、鉄製の副装は不意をうたれる危険があった。  このことまで見越しての助言だったのか。まるで未来を見通しているみたいです。あなたの言うことに従って正解だった……今度改めて礼を伝えなくては……」  すっかり感心したという口調の瑞が躊躇うことなく静まり返った街中に銃声を轟かせる。和葉はせめて友人たちが怪我したりしないようそっと自分の方へと抱き寄せた。  ───その後〈ワーディング〉を察知した付近の支部から応援が駆けつけてきてテロリストたちはあえなくお縄になった。  和葉の友人たちには記憶処理が施されたが、その際に何をどう間違えたのか「鮎川さんって……格好いいよね……」と友人のひとりが夢見るような瞳で呟くのを和葉は後日耳にすることになったのだった。