光る海。光る大空。光る資材。軍人たちが資材を運び出し、開封していくのを他所に、あたりを見回す。遠浅の海岸に、白く跳ねる波濤。一見して穏やかに見えるこの場所はその実、魔王国領土でも指折りの危険度を誇る。サカナトル半島、魔海に長く付き出すこの場所は、魔海有数の漁場、と同時に、魔海有数の生物種数を誇る危険域。 「は〜〜めんどくさ」  内から湧き上がる心の叫びを、はっきりと口に出しておく。たとえこの場ではなんの役には立たなくとも、意思を周囲に知らしめておくことは重要だ。 「あ〜〜〜やりたくない」  ここでやりたくなさを表に出しておけば、細かな作業をサボっても見逃されやすくなる。ジャイール・ムタニファニスン。流動する重油の塊にも似た、不定形の怪物。エゴブレイン軍の恐るべきナンバー二であるところの彼は、持ち前の計算高さを既に発揮していた。 「文句が多いな……」  ぼそっと口走ったのは、エビルソード軍、仮面魔侯リャックボー。肌色も髪質も人族によく似た彼は、仮面に隠された上からもわかるほど深く、眉根にシワを寄せている。 「あのねえ、僕は拒否したんだよ。なんか勝手に仕事させられることになっただけでさあ」  ここ数カ月、サカナトル半島では、上陸した魔海生物による人的(魔的)被害が頻発している。ダースリッチ軍主導での被害対策調査は、小規模ながら、四天王軍全てから人員を徴発して行われることとなった。調査班に選択されたジャイールは、ゴネにゴネた。既にサボり倒している業務を更に放置し、自身が調査に相応しくないことを示すあらゆる情報を提示し、四天王ダースリッチ直接の来訪も、倉庫に籠もって無視し、魔王モラレルからの勅命が下りてやっと諦めた。現在彼は、努力の一部がむしろ逆効果だったことを渋々認めつつ、更になんとかサボるための策謀を巡らせている状態である。 「言っとくけど、生態学は完全に僕の専門外なんだよね。エゴブレイン様に配管修理させるようなもんだよ」  ジャイールがサボりたいのが事実であるのと同時に、魔王軍が専門外の人材(魔材)に調査を任せようとしているのも、また事実であった。魔王軍、なまじトップの四天王がマルチな才能の持ち主であるためか、単に何も考えていないのか、各分野の専門性を、重要視していない節がある。 「魔王軍には他にできそうな人員がいないんで、消去法って話ッス。まさか人造生命開発課に頼むわけにもいかないッスから」 「当たり前だろ?軍に基礎研究やってる部署があるわけないじゃん。セントリヴェラ海洋大にでも外部委託すればいいのに。魔海に好きなだけ潜っていいって条件なら、手弁当でやってくれるよ」  今回は記録係として参加している、ダースリッチ軍、ナナナの答弁に、やや喧嘩腰で答えるジャイール。残念ながら、セントリヴェラの危険性を理解している人員はこの場におらず、ジャイールの冗談は誰にも認識されないまま、虚空に消えることとなった。 「まあまあ、決まったことに文句言っても、仕方ないからさ〜」  ダースリッチ軍、水密のパースカル。不機嫌だったジャイールは、そのおっとりとした笑顔を見た途端、黙り込んだ。一流の戦闘員でありながら、穏やかで笑顔を絶やさない彼女は、ギスギスしがちな前線での緩衝役としても有能……とされるが。  ジャイールは初対面の瞬間に、その正体を悟った。てらてらと偏光を放つ表皮の下に、みっちりと圧縮された強烈な圧力。開放されれば街一つ呑み込むであろう、超大型スライムが、人間一人程度の大きさの容器に押し込められている、その危険性。  こいつ絶対やばいやつじゃん。  絶対関わりたくない。 「あの、拠点の設営終わりました」  ヘルノブレス軍兵士が寄ってきて、申し訳なさそうに小声で告げる。やるのやらないのと言っている間に、設営は終わっていた。ジャイールのサボり戦略は、早速功を奏したのだった。  あーめんどくさい。イライラするのもめんどくさい。ジャイールは全身を満たす面倒エネルギーを、遠慮なく発散させながら招集をかける。 「じゃあ地図配るんで。ヘルノブレス軍の皆さんは集落の記載がある方。エビルソード軍の皆さんは海岸の地形が載ってる方。各軍二名一組で、一枚ずつ持っていって」 「……?」  場がざわつく。その場にいる全員が、突然魔海生物が喋り出したような驚愕を顔に貼り付けて、こちらを見た。 「ヘルノブレス軍の人らは周辺民家回って、魔海生物の出現情報を聞いてきて。時期と場所をできるだけ詳しく聞いて、地図に記入して」 「あ……はい」  ヘルノブレス軍人員たちは、最初のショックを払拭できないまま、圧に流されて地図を受け取った。 「エビルソード軍の人らは夜になる前に海岸に行って、地図の区画通りに線引いて、下見と人員配置の打ち合わせを済ませておいて。その時標本になりそうな魔海生物がいたら、持って帰ってきてくれてもいい。それ終わったら休憩。夜になったら、各組で区画の中で、魔海生物を探して、見つけた地点を地図にプロットしてもらう」 「無理だ」  弾丸を撃ち込むように、リャックボーの一言。 「できないの」 「不可能だ」 「地図に点打つだけだけど」 「できない」  リャックボーはその声に、何らかの深い確信を込め、一言ずつを区切って答えた。 「おまえは、エビルソード軍を、ナメている」 「あそう。じゃあしょうがない。変更。今やる事は変更なし、夜の捜索では、見つけた魔海生物はその場で殺して放置。死体が飛び散らないようにだけ注意して。肉片から増えるやつもいるから。カウントは朝、ヘルノブレス軍とダースリッチ軍でやってもらう」 「……」 「……」  気づけば、先程まで騒がしかった空間は、嘘のように静まり返っていた。 「……有能……」 「褒められても困るんだよね。本当に。学部生レベルだから、これ」  ナナナが三白眼を眇め、眉間に皺を寄せる。 「ジャイールさん、事前準備済ませてきてたんッスか?エゴブレイン軍ッスよね?」 「現地であれがないこれがないってやるの、面倒じゃない?」 「エゴブレイン様は、いつもそんな感じッスけど……」 「それは僕には関係ないので」  ジャイールは、全てにおいてやる気がない。可能ならば何もしたくない。全ての面倒事を、人に押し付けるにはどうすればいいか。面倒事を押し付けるための計画を、先に立てておくことである。 「ダースリッチ軍の君らは、後でデータ整理してもらうから、今は業務なし。はい各自、行った行った」  全員がなんとなく言われるままに、ぞろぞろと動き始める。文句を言いそうな連中を、有無を言わせず業務に追い立てるのが、効率よくサボるコツである。 「ジャイールさんは?」 「本部で待機する重要な仕事」 「作業はしないの?」 「今の段階でやる事ないし」 「堂々おサボり?」 「そうだけど?」 「……あの」  パースカルとジャイールの、無限後退問答を遮る声。ガラスの鈴を鳴らすような、高く静かな声音の主は、ダースリッチ軍、凍海のヘイムニル。ノコギリザメとガラス彫刻を掛け合わせたような、独特の外見を持つシーサーペントである。今回のメンバー中、彼女だけは、ジャイールがわざわざ指名して調査に参加させた人員だった。 「……何か業務は」  彼女はヘビのようにとぐろを巻き、頭をぐっと下ろして聞く。地面すれすれまで頭を下げて、目の位置はなお、立った人間並だ。かなりの威圧感がある。 「君には全員の仕事が終わった後で働いてもらうから、今は適当にやっといて」 「適当に、とは……?」 「陸上にいるなら何しててもいいよ。君ら強いからわかんないかもしれないけど、シーサーペントがウロウロしてると、魔海生物はビビって出てこなくなるんだよ」  ジャイールは話は終わったとポーズで示すと、資材から折り畳み椅子を取り出し、ダースリッチ軍メンバーの視線を完全に無視して寝転がった。一時間もしない間に、三週間分は働いてしまった。もう誰とも口を聞くまいと決心する。少なくとも、二軍のどちらかが戻ってくるまでは。 「おーい」  その目論見は数分後、儚くも霧散した。立ち去ったばかりのリャックボーが、六本の脚を広げガサガサともがく魔物を、紐にくくってスイカの如くぶら下げ、平然と歩み寄ってくるではないか。 「捕まえてきた」 「ウワ────!!」  ジャイールは絶叫し、絶叫しつつ素早く後退して、パースカルとナナナの後ろに隠れた。 「なんでそんな危険物持ってくるんだよ!!!」 「こいつの攻撃手段は、トゲと脚の爪だけだった。トゲは撃ち尽くしたからもう抵抗手段はない。危険物じゃないぞ」 「危険に決まってるだろ!!生きた魔海生物なんだぞ!!!」 「サンプルがほしいって言ってただろ!」 「生きたまま持ってこいとは言ってない!!これだからエビルソード軍の構成員はさあ!自分が脳みそまで筋肉だからって、他人もそうだと思ってさあ!!」 「落ち着いて落ち着いて」  なだめるパースカル。その向こう側で、仮面の上からもわかるほどの、愕然とした表情を浮かべるリャックボー。 「俺は……エビルソード軍……!?」  今更何?その時、紐に吊り下げられて、暴れていた魔物が、突然拳を握るようにグッと全ての脚を内側に折り曲げた。そしてすぐ、だらりと弛緩した。 「あ、死んだっぽい」 「え?死んだ……?」  リャックボーが死体の状態を確認する様子を、ジャイールはパースカルとナナナの頭越しに、慎重に観察した。魔海生物は油断がならない。死んだふりをしているだけの可能性もある。 「ちょっと切ってみて。腕から腕へ対角で」  リャックボーが刃を振るう。胴体を切断されても、その生き物はぴくりともしなかった。 「溶けてる……?今生きてたよな?」  その体内の組織は、筋肉から内臓まですべてが、溶けかけの雪のように、どろどろに溶解している。 「こういう動物……ってことじゃなくて?」  パースカルがこちらを向いて、にっこりと笑う。 「説明してほしいわけ?」 「うん」 「なんで?」 「役に立つかも」 「何が聞きたいの?」 「全部」  やだよ面倒くさい。反射的に断ろうとしたが、ナナナは既に完全にメモを取る体勢に入っており、リャックボーもまた採集者の権利として、説明を聞かずにはおかんという姿勢だった。ちっ。ジャイールは内心舌打ちをしつつ、精神に鞭を打って説明を始める。 「これはクモアシアクマヒトデ。キラー・スターって別称の方が有名かもね。カニやエビ、死ぬとすぐに傷むじゃん。あれは腐敗してるわけじゃなくて、死ぬと消化酵素が筋肉の中に放出されて、自分自身を消化しちゃうの。こいつも同じ状態だと思う、多分ね」 「だがこいつ、たった今まで生きていたじゃないか」  おっ、エビルソード軍のくせに、推論と反論の機能があるのか。ジャイールは、リャックボーの評価を上方修正した。 「マグロは捕獲後すぐ殺されずに暴れ続けると、体温の上昇や筋肉のpHの変化でホメオスタシスが破綻して、筋肉が茹でたみたいに変質するの。強いストレスが継続的にかかると、本来肉体に想定されてない状況になるわけ」  僕はそういうの嫌だから、極力ストレスのない環境にいるわけ。 「こいつらは、陸地での長時間移動には、適応してないんだろうね。陸地では浮力は働かないし、海水による筋肉の冷却もない。負傷に対する再生力はものすごいんだけど、意外と脆いところもあるんだね」 「そうか……可哀想なことしちまったな」  死体を見つめ、しょげたような口調になるリャックボー。 「魔海生物に同情してるわけ?」 「危険な動物を殺すのは仕方がないけど、無意味に苦しませて死なせるのはかわいそうだろ」  エビルソード軍の人にも、そういう感情あるんだ。珍しいものを見た気持ちになったジャイールであったが、その気持ちは心の内にしまっておいた。面倒くさいからである。 「それで、他には?」  パースカルが笑顔で詰め寄ってくる。 「それでって?」 「他に何かないの?」 「僕さあ、仮説に仮説重ねるの、嫌いなんだよね」 「思いついてはいるんだねえ?後で聞かせてね、ジャイールくん」 「……」  さっきまで「ジャイールさん」じゃなかった?こいつめっちゃめちゃ圧強いじゃん。 「で?エビルソード軍の方は済んだの?」 「いやまったく。軍の中でも大人しい人員を選定して連れてきたが、それでもバタついてる。まあそれとは別にだが……」  リャックボーはそこで言葉を切り、意味ありげな表情を作った。 「ちょっと一緒に来てみろ」 「やだ」 「ぐっ」  即断られるとは思っていなかったのだろう、リャックボーの喉の奥から、奇妙な音が漏れた。ダースリッチ軍構成員から矢の追求が入る。 「やだってジャイールさん、今めっちゃくちゃヒマしてたッスよね?寝てたじゃないッスか」 「やだってのはやだって意味だよ。運動はキライなんだ」 「散歩ぐらいしないと体に悪いよ?ボクも一緒に行ってあげるから」 「やだってば。大体君が一緒に行って何になるの?」  パースカルは、唇に人差し指を当て、一瞬考えた。 「死にかけた時に膝枕で送ってあげたりとか?」 「僕、死ぬ時はゲームしながら寝落ちでポックリって決めてんのよ」 「ゴチャゴチャ言ってないでいいから来い。エゴブレインに言いつけるぞ」  リャックボーが凶悪な顔で睨む。ジャイールは馬耳東風、斜めに上体を傾げて聞き流す。 「いいよ言ったら?エゴブレイン様に言ったって、何がどうなるもんでもないし」 「ダメッスリャックボーさん。こういう時は、ダースリッチ様の名前出すッス」 「なんでみんなして僕を働かせようとするわけ?ジャイールさんがかわいそうとは思わないの?」 「全然。今死んだヒトデの方がよっぽどかわいそうだ」 「種差別だよねえ?アクマヒトデより僕のがか弱いけど?」 「……私が居れば大丈夫……」  ヘイムニルが頭をぐいと近づけてきた。静かに、確信を持って言い切る。 「……危険は、ありません」  揺るぎない眼差し。全身の刃物のような鰭が冴えざえとした光を放つ。ぎらぎら光る吻の突起を突きつけられ、ジャイールはスライムらしく、変形して仰け反った。 「ちょっとそれ以上寄らないで。僕繊細なんだよ、半分になったら死ぬの」 「ほらほら、ヘムちゃんもだいじょぶだって言ってるし、行こ」  パースカルは、生ける刃物の如きヘイムニルの体表を、あろうことか、平手でぺちぺちと叩く。 「ベタベタ触らんといて!?危険すぎるでしょ!?」 「え〜?どうしよっかなぁ〜」  パースカルは、ヘイムニルの鰭をつつきながら、ニタリと笑う。危険物と危険物の接触。その行為の意味を理解している者は、おそらくこの場には、ジャイールしかいない。 「ジャイくんが行くなら止めてあげてもいいけど〜」  こ、こいつ……。ジャイールは勝ち負けに拘る感情を持たない。サボりたい気持ちがあるのみだ。しかしこの衆人環視の前で折れてしまえば、押し負けることのある存在として、今後何か起きる度に駆り出されうる。それは何としても避けたい。 「ねぇ〜ジャイくんってばさあ〜」  ジャイールは見てないふりを継続する。今破裂したらどうするんだよ。仲間巻き込む気満々かよ。 「ねーえー!!」 「やめろっての!!」  パースカルは、ヘイムニルの鋭く尖った鼻先に、掌をめり込ませようとする。なんでそんなことするの?  クモアシアクマヒトデが何個体か、陸上を歩き回っている。その存在に頓着することなく、エビルソード軍人員たちが、解体した巨大な魚類の肉を焚き火で炙りつつ、むっしゃむっしゃと貪っていた。 「あ。リャックさん、ども」  中の一人が会釈する。 「おまえら待てができないのか」 「ウス。生モノなんでつい」 「この魚は生きた状態で、陸地で跳ねていたんだ。さっきまではもっと色々な種類がいた」  説明するリャックボーの後ろで、兵士の一人が、歩き回っているクモアシアクマヒトデめがけ、魚肉片を投げる。ヒトデは飛んできた肉片には反応しない。落ちて転がった肉が、その体にぶつかって、ようやく存在に気づき、襲いかかって貪り始める。 「うーん……うーん……?」  魔海生物の多くは夜行性である。といって昼間の海が危険でないわけでもないが、とにかく昼は活性が低いはずだ。本来生活圏ではない陸地を、昼間から歩き回っているのはおかしい。 「ちょっとそこのやつ、凍らせてみてくれる?」 「はい」  ヘイムニルは小さく頷くと、口から冷凍光線を放った。アクマヒトデは、歩き回っていたその形のまま、氷の像と化す。 「はいじゃあこのラインで切って」  ジャイールは、凍りついた体表に、マジックで線を描いた。リャックボーが剣を振ると、マジックの線にぴたりと沿って、切断面が生じる。 「きれいな切り口じゃん。こっちに転職したら?」 「こっちってどっちだ」 「標本作成。ま、でも、これだけで食えるほどの需要はないかな」  断面にはっきりと目的組織が見えていることを確認し、ジャイールはナナナを呼び寄せる。 「はいこの断面写真撮って。そんでここ。この組織スケッチして。技法はこっちの図を手本にして、輪郭だけ一本線で描いて。線は重ねない。色素の濃淡は点描。影はつけないで」 「ッス。写真とスケッチ両方取るのなんでッスか」 「今欲しいの、ここ、水管系の部分の図だけなわけ。写真は余計な情報が映り込むし、白黒にすると見づらい。後から確認するために写真も残しておきたいけど、情報としては絵の方がいいの」 「へー?理由があるッスね?」  ナナナはスケッチを描き始める。描きなれない標本画の技法のはずだが、入り組んだ構造を見事に捉えている。 「そうそう、この部分。内側に嵌入してるここ。大事だからちゃんと描いてね」  ジャイールは、ヒトデの切断面とナナナのスケッチを見ながら、先行研究の資料を思い出し、考え込んだ。 「うーん?うーん……」 「どしたの」 「仮説棄却だなあ……」 「仮説を!?エゴブレイン軍なのに!?」 「一々驚くのやめて。鬱陶しいから。僕ねえ、今回の事案、こいつらの仕業だと思ってたんだよ。『キラー・スター・アウトブレイク』って聞いたことない?」  聞いていた全員が首を横に振る。 「ないの?じゃあいいか……説明してほしい?そう……基本的に動物は、『たくさん食べてよく動く』か『あまり食べないしあまり動かない』の二つの生き方のうち、どっちか選ぶことになるの。人族やほとんどの魔族は前者。ヒトデとその仲間、棘皮動物は後者。エネルギー消費の激しい、中枢神経系や筋肉をほとんど持ってない。活発に動かない代わりに、あまり食べなくても済む進化なわけ。ところがクモアシアクマヒトデは、走り回って獲物に襲いかかる。魔海生物はそもそも異常なものだけど、棘皮動物の本流からすると、すごく変なデザイン」 「賢いスライムみたいな?」  パースカルが、自分とジャイールを交互に指差した。 「まあそう」  一緒にするなよ。若干不快に思ったものの、放置する。 「で、そんな変なデザインしてると、何が起きるか。よく動くからカロリー消費が激しい一方で、内臓の方は、普通のヒトデとあんまり差がない。消化に時間をかける前提の構造なのに、消化に時間をかけてたらカロリーが追いつかないから、すごい量の食事を詰め込んで帳尻を合わせてる。体サイズからはありえない量のエサ食うんだよ。近年こいつらが陸上適応した事例が報告されてて、もういくつか村が滅ぼされてる」  リャックボーが、仮面の向こうで目を剥いた。 「ウソだろ!?」 「ホントだよ。で、魔海生物は魔海にしかいないって思われてるけど、実は逆。魔海生物にはなぜか、一定の海域から出ない性質がある。魔海生物がいる場所が、魔海って呼ばれてるんだよね。でも陸上移動するようになったこいつらは、その海域の外に出ていく恐れが出てきたわけ。ヒトデは幼生期にプランクトン生活してて、海流に乗って分布を広げるから、一回漏れたら全世界に広がる可能性がある」 「ウソだろ!!??」 「ホントだって。だから僕、そういう緊急性の高い事案なんだと思ってたんだよね。でも呼吸器を見ると、陸上適応してるわけじゃないんだ。なんか他の要因があるんだよ」 「見に行きましょうか?」  ヘイムニルの申し出に、ジャイールはやや考えた。 「うーん……今はやめとこう」 「面倒だからじゃないッスよね?」  図星をつかれたが、すまして言い返す。 「僕を何だと思ってるの?」 「ジャイールさんッスけど……」 「無駄なことしたくないの。今急に呼び出されたから、カメラ持ってきてないじゃない。普段見慣れないシーサーペントが入ったら、魔海生物は警戒するよね。自然な条件を確認したい。もうじきヘルノブレス軍の連中も帰ってくるから、その結果も突き合わせて検討したいわけ。わかる?」 「べらべらとまあ、サボることにかけてはよく口が回る」  呆れ顔のリャックボーの向こうで、ヘイムニルが勝手に海へ滑り込んでいく。 「ところでこの魚何だったの?魔カジキ?」 「いや、滅カジキだ」 「滅カジキ……?」  ジャイールは首を傾げる(ジャイールに首はないので、これは比喩的表現である)。滅カジキは魔カジキと近い種だが、魔カジキのように積極的に陸に上がってくることはない。 「あれ?ヘムちゃん上がってきたの?」  今海に入っていったばかりのヘイムニルが、即座に上陸してくる。問いかけるパースカルに向けて、ヘイムニルは狼狽した様子で訴えた。 「なぜか……行けないんです」 「行けない?壁でもあるの?」 「何もないんです……ただ……怖い」 「怖い……?」  ガラスの彫像に似た、表情のわかりにくい顔に、はっきりと恐怖の色が浮かんでいる。陸地適応していない、クモアシアクマヒトデ。本来陸に上がらない種である、滅カジキの上陸。恐怖に駆られ、進めなくなるシーサーペント。 「なんかわかった顔してるね?ジャイくん」 「は?わかってませんけど???」  パースカルに横合いから覗き込まれ、ジャイールはむっつりとした。 「ジャイールさん、こちら本日分の聞き取り調査の結果です」  ヘルノブレス軍の人員たちが持ってきた紙束を一瞥し、次の指示を出す。 「どうも。じゃあこれ、集計方法のプリント。表の指示に従って、集計して一枚にまとめて。できたら呼んで」 「え!!?」 「じゃお願い」  困惑した顔の前でぴしゃりと扉を閉め、ノイズを遮断した。これでかなり時間が稼げる。やかましいリャックボーは、エビルソード軍の調査の監視として追い出したのでいない。ジャイールは簡易ベッドにでろんと寝転がると、波打つような寝返りを打った。サボるのもラクじゃないよね、ホント。 「ヤッホ!」 「帰れよ」  閉じたばかりの扉を開けて、パースカルが顔を出した。 「ジャイールさん、さっきのヘイムニルさんについて聞きたいんッスけどー」 「やだ」  一緒にやってきたナナナが、ずいずいと部屋の中に入ってくる。パースカルがどっかとベッドに腰を下ろした。 「そう言わずにさあー」 「僕になんか恨みとかある?」 「あるなしで言うとあるッス。事務関連でのダースリッチ様の爆発四散、四分の一はエゴブレイン様が原因ッス」 「それ僕関係ないよね?」 「ジャイールさんが見てあげれば、ミスや混乱は減ると思うッス」 「あのさあ。お互い大人だよ?なんで僕が赤ちゃんのおしりふきやんなきゃなんないの」 「あの……集計できました」  開きっぱなしの扉から覗き込むヘルノブレス軍兵を、ジャイールはギッと睨みつけた。 「休み時間なくなっちゃったけど!?」 「なんでみんなが働いてる時に、休み時間取ってるッスか?」 「僕が一番エライからだけど?」  ジャイールは四天王ナンバー二。実は今回集められたメンバーの中で、地位は一番上なのだ。 「はー……だるい……だる……」  ぶつぶつ言いながらむくりと起き上がったジャイールは、集計結果を受け取る。 「あー……」 「どうでしょうか」 「うー……」 「マリちゃん……?」 「まー……概ね予想通り」  ジャイールはぺっと結果を突き返し、再びベッドに寝そべる。 「……我々の努力は無駄だった……ということですか?」 「いや?予想が当たってるかの検証は重要だよ。あとエビルソード軍側の調査結果を見て、同じ調査を三日ぐらい続けてから結果を」 「サボる気ッスね」 「うるさいなあ。調査って本来、短くても一週間ぐらいは継続するもんなんだよ」  靴の踵を鳴らし、開いたままの扉から、リャックボーが入ってきた。 「サボりの人来たけど?何も言わないの?」 「中間報告だ」  リャックボーはジャイールの真正面に回り込むと、目を見つめ、ゆっくりと、区切りながら伝えた。 「ちゅうかん・ほうこく・だ。わかるか?」 「二回言わなくても聞こえてるから。状況は?」 「何も出ていない」 「何も?」 「解ダツの報告が少しある。後は何も」  ジャイールはぬるんと寝返りを打った。 「ふーん……でも継続だな、やっぱり」 「サボる気ッスね」 「違うよ」  本当にサボるためではないのだが、誰も納得していなかった。そりゃ……サボりたい気持ちも、勿論あるんだけど。 「じゃー……調査行こうか」  その日、ジャイールの発言に、その場にいた全員が驚愕した。 「おまえ……何か……病気か?」 「見た感じ大丈夫そうだけどねえ〜」 「心配ならやめとこうか?」 「いや……やる気があったんだなと思って……」  あれから三日間、調査は継続された。三日の間、ジャイールはありとあらゆる作業の穴を抜けてサボろうとし続け、他のメンバーはありとあらゆる手段を講じてそれを阻止しようとし続けた。サボりたい気持ちはあるのだ……ただ、ここはWi-fiが遅すぎる。早く帰りたい。 「じゃー……この地点に行くから。荷物、メモ渡すから用意してよ。一時間後出発」  ジャイールは即座に、細かい作業もサボっていく姿勢を見せた。こいつにやらせずに、自分でやった方が早いと諦めさせることこそが、上手な怠惰への道である。 「うまいな」 「そう?」  ドローンの操作はゲームとそう変わらない。ジャイールの飛ばすカメラドローンは、エゴブレインの溜め込んだジャンクから、無断拝借したものだ。本人も把握してないし、バレないでしょどうせ。 「どこまで行ける?」  先を行っているヘイムニル、彼女に持たせたカメラが海底を映している。 『まだ平気です』  画面に映る海底、波に揺られる海藻が、不自然に一列に途切れる。 「待った。そこだ。それ追っかけて」  ヘイムニルが向きを変え、海藻を辿り始める。 『不安になってきました』 「行けるとこまで行って」  それから少しの間、ヘイムニルは泳ぎ続けたが、やがてゆっくりと止まった。 『これ以上は……行けません』 「行ける範囲回ってみてよ」 「流石に残酷だろう。やめてやれ」 「センサーとして優秀だろ……ま、仕方ない。そこで待機ね。なんか起きたら言って」  ドローンが高く舞い上がる。広がった視野の中、ヘイムニルを目印に、周辺の海面を探索する。と、白っぽいものが画面に写った。 「やっぱりだ」  近寄ってみれば、それは一頭の大きな海獣だった。丸みを帯びた背を水中に漂わせ、一心に海藻を食んでいる。 「テラーカイギュウだ」 「なんだそれ」  なんで一々聞いてくるかな。ジャイールは不機嫌に答えた。 「テラーカイギュウは、特殊なフェロモンをばら撒いて、他の魔海生物に本能的な恐怖を感じさせる能力を持ってる。昔は沿岸にこの種が群れでいたことで、魔海生物の上陸が防がれてたっていう、そこそこ信憑性の高い学説があるよ」 「じゃあ今はなぜ、魔海生物が上陸してくる?」 「今ここでって意味なら、テラーカイギュウが来たから。突然危険が迫ったと思って、びっくりして上がってきてるんだろ。今魔海全体でって意味なら、テラーカイギュウがほぼ絶滅したからだよ。恐怖のフェロモンは、魔海生物以外にはなんの効果もないし、それ以外の防御手段は何もない。一昔前、テラーカイギュウ料理が流行ったらしいんだよね」  テラーカイギュウがゆっくりと浮上し、息継ぎをする。水面に鼻の穴がぷくんと開いた。体に比べてとても小さな目、丸みを帯びた口元、短い髭。 「かわいい……」  誰かが呟いた。テラーカイギュウは、ドローンが近寄っても逃げる様子もなく、しばらく水面に顔を出していたが、再び潜っていった。おとなしい海獣は、海藻を食べるのに夢中なようだった。 「この子が最後の生き残りってことッスか?」 「魔海生物の出現パターンからすると、ここにはこの一個体じゃないかと思うね。いきなり無から湧くわけないし、どこかに個体群が残ってる可能性は否定できないけど」 「話はわかった。これからどうする」  うーん。リャックボーの問いかけに、ジャイールはちょっと考えた。 「殺すかな」 「本気か?」  リャックボーの目が、一瞬殺意を帯びた気がした。 「冗談はあんまり言わないの僕」 「魔海生物の上陸を、止める手段になるかもしれないのにか?」 「言っとくけど、魔王軍本部も大学教授も同じ判断するよ。魔王軍は異常事態の解消だけが目的だし、生物学の観点からすると、一個体しかいないなら繁殖は不可能だ。自然死して死骸が消滅するより、標本化した方が後世の役に立つよね」 「標本だの科学だのの話はしてない。これから役に立つかもしれないのに、なぜいきなり殺そうとする」 「だからこの種はこれ以上増えないってば。魔王軍に報告しようがどっかの大学に報告しようが、ちょっと死ぬまで時間が延びるだけだし、僕は片付けて帰りたいし」 「本音が出たな」  言い争いを聞いていたパースカルが、にっこりと笑みを浮かべた。 「要はこの子がここにいなきゃいいんだよね?」 「そう」 「ボクに任せてよ」  パースカルの朗らかな笑みが、更に明るくなる。 「いくよーっ」  遠くでパースカルが、腕をぶんぶんと振った。 「いいよ、出して」  ぱちん。彼女の姿が破裂する。と同時に、体積が何百倍何千倍にも膨れ上がる。 「うわぁ……」  水密のパースカル、ダースリッチ軍前線要員。普段は人型を装う彼女のその本質は、街一つ呑み込むほどの巨大なスライムだ。膨大な体積が、水中に仮足を伸ばし、重量を分散しながら、帯状になって水面を滑っていく。 「これは……危険だな……」 「引くわ」  リャックボーは唸り、ジャイールは一言で片付けた。 『パースカルさんが通り過ぎます』 「一応追いかけて」  ヘイムニルが送ってくる映像の中で、パースカルの帯がぐんぐんと長く伸びていく。ほどなくして、ドローンの映像もパースカルを確認する。ドローンの真下にいたテラーカイギュウが、スライムの波に捕まって沖の方へと押し出された。 「すごいッスね……」  パースカルは次第に帯の幅を縮めながら、長く長く伸びていく。オレンジ色の帯の先に、ちょこんとテラーカイギュウが引っかかっている。  なにも殺す必要はない。魔族のいない無人島へと送ってしまえばいい。それがパースカルの提案だった。リャックボーは賛成したし、ジャイールも特に異存はなかった。サボりたいだけで、積極的に殺したいわけではないのだ。  誰も声一つ立てなかった。皆が画面に釘付けだった。テラーカイギュウの行き先ではなく、パースカルの巨大さに圧倒されて。ほら、こいつはヤバいって、最初からわかってたんだよ僕は。  ジャイールの隠れ家の扉が開く。死神めいた黒い影がそこに立っていた。 「見つけたぞ、ジャイール・ムタニファニスン」  ジャイールはゲームのモニターを切った。この場所をエゴブレインは知らない。普段の彼は、自分の発明で頭がいっぱいで、ジャイールの存在を認識していないからだ。つまり。 「裏切ったなメイドール」 「アタシがオメェの味方だったことは一度もねーぞ、ジャイ公」  小柄な少女の姿のゴーレムは、ジャイールの発言を鼻で笑った。ダースリッチが迫る。 「ジャイール・ムタニファニスン。報告書を提出しろ」 「ナナナさんが記録やってましたよね。ナナナさんが出してないなら彼女の責任ですよ」 「受け取った。報告書を提出しろ」 「いやです」  ジャイールは歯切れよく答えた。 「いやだと?」 「四天王とはいえ、ダースリッチ様は直属の上司ではないですよね。指示はエゴブレイン様を通していただかないと」 「国民の命がかかっているんだぞ」 「大丈夫ですよ多分」  ダースリッチの殺意の篭もった視線を、ジャイールはどこ吹く風と受け流した。ていうか、命があるとかないとか、アンデッドに言われたくないんだけど。ヘンでしょ。