『あじさいさんとじゃんけんと』 「ねえー、紫陽花さんどう思うー?」  わたし、甘織れな子は放課後の教室の机に突っ伏していた。  スーパーモデルでありクラスメイト、クィンテットの中心人物である王塚真唯は急な国外撮影ということで、事前休暇の届出のため職員室に行っている。  折角だから帰りにクレープでも食べよーよ、という小柳香穂ちゃんの誘いに真唯も乗ってきたのは、このためかもしれない。国外に行く前に友情をはぐくんでってやつ。  しばしの真唯待ち状態。  クインテットのもう一柱である紗月さんは今日はバイトだからと帰ってしまった。  今話してたのは、そういえばれなちんの職業ってなに? という香穂ちゃんからの質問だ。  今日のランチタイムの話題は「みんながファンタジー世界の仕事をしたらなにをやる?」だったんだけど、そういえばみんなのジョブを聞いておいて、わたしのは話してなかったねーって。  あれはねえ、と説明していたらですね。急に思い出したわけですよ。紗月さんからパー呼ばわりされたこと。  「真唯は勇者なんかじゃない」って言った紗月さんがなかなか自分の意見を口に出さないから、後出しじゃんけんみたい、と思ったのがきっかけだ。思ッタダケダヨ?  いつもの通り心を読み取った紗月さんが「私はいつもチョキで勝利よ甘織」と言ったのだった。  読み取れる普通!? 大魔道士、琴紗月ぃ!  まあそれは置いておいて。チョキで負けるってことはつまりそれってわたしの頭がパーってことでしょ?  教室の机の上を拳でバンバンと(音がしない程度に)叩いてわたしは紫陽花さんに訴えた。 「ひどくないですか? そもそもあの人って自分がチョキのつもりだけど、ほんとはグーでしょ、頑固なグー! いや、強い意志の石! ダイヤとかかも。綺麗だし強いしね。  でもグーなら絶対パーの方が強いじゃん!」 「れなちんそんなこと言ってると、さーちゃんにグーで殴られるよぉ」  ブツクサいうわたしに、香穂ちゃんがこわそげな声を出した。 「甘織、私のグーは紙も貫くのって」  それは怖い。  救いを求めるような気持ちで、わたしは側に立つアークエンジェルこと瀬名紫陽花さんを見る。  彼女は慈愛に満ちた笑みで、ふうん、と興味津々な声を出した。 「紗月ちゃんって、そんなにれなちゃんのこと理解できちゃうんだ」  ん?  おかしいぞ。話題が違う気がする。紫陽花さんがなんか言ってる。  いえ、わたしの心を読むのは、それはきっと紗月さんが大魔道士の魔法的な力で……。それともわたしがパーだからかもはっはっっはー、とかふにゃふにゃ誤魔化そうとしたら。 「でもれなちゃんも、ちょっとした言葉だけで、紗月ちゃんの本心を読み取ったんでしょ?  れなちゃんって紗月ちゃんが考えてることすぐわかっちゃうんだねー。  へー。  すごいねえー」  紫陽花さんはにこにこしているのに、なぜか私のアンテナがビビって反応する。これ以上この話題を引っ張るのは危ないレナ郎! 話題を変えるんじゃ! わかったよ父さん!(父さんって誰?)  けれどわたしにとって、紫陽花さんの次の言葉の方がショックだった。 「わたしもれなちゃんはパーだと思うな」  ガーン!!  あわわわ。紫陽花さんがわたしをパーだってパーだってパーだって……。  いや、別にわたしは自分が紗月さんから言われるまでもなく、頭がパーだと思ってますよ? 罵倒とか侮蔑とかいう話ではなく、能天気とかそういう意味でね? そもそも紗月さんは知識不足を罵倒するようなことはしない人だし。  でも能天気で無駄に自己肯定感高くて考えなしにおしゃべりしちゃうわたしは、たしかにそう呼ばれても仕方ないわけで。なんだか中学の頃の陰キャだったわたしが鬼になって闇から這いだしてくる。  そうだよ謝れ、パーれな子。中学の失敗忘れたかー? 真唯や紫陽花さんにかけた迷惑は? 賢いつもりかパーれな子。おまえも陰キャに戻らないか。あーだまれ過去のわたし!  とくに紫陽花さんにパーって呼ばれたのがショックで。  爆発しろわたし!!  くう、と心の産屋敷邸を爆破しようとしたわたしの背中を、苦笑した香穂ちゃんがぽんぽんたたく。 「れなちんちょっと感受性高すぎじゃね? 言葉通り受け取りすぎていうかー」  慌てた紫陽花さんが、あの、ちがくて、と手をぐっぱぐっぱと握ったり開いたりした。 「あのね、じゃんけんで例えるなら、わたしもグーだと思うから。ほらグー。  で、香穂ちゃん」  紫陽花さんが言うと、はいはーい、香穂ちゃんの笑顔がフルーツテイストの炭酸みたいに弾けた。 「あたしはパーだせばいいのね」  と紫陽花さんの手を両手で握り込む。おい、おいこら香穂ちゃん。じゃんけんって両手でするっけ?   香穂ちゃんが瞳をきらめかせて紫陽花さんの目を覗き込んだ。 「あははー、あーちゃんの手の甲、すべすべしてる」 「うふふ。香穂ちゃんの手は、ひんやり。きもちいい」  紫陽花さんがはにかむと、ぱっと香穂ちゃんが手を離した。あれ?? いま見えてたかほあじの幻影は? 「それはそっと心のなかにしまっておくがいいさ。甘織れな子」  香穂ちゃんがかっこいい声を出す。「次はれなちゃんの番ね」と紫陽花さんが頬を染めた。 「れなちゃんは、パーだして」  誘われるままに手を開く。紫陽花さんの拳から、人差し指と中指が立った。ピースサインはハサミの形。じゃんけんならここで負けだ。でも紫陽花さんは左手でいきなりわたしの右肘を掴んだ。  あ。これってひょっとして。 「はい、れなちゃん、チョキチョキ」  んぎゃああああ!  あ、紫陽花さんの人差し指と中指が、上下しつつわたしの広げた指の間を切り開いていく。あああ、なんか、指の間に紫陽花さんの指がはいるときもちいい……変な感じ。耳まで熱い。  思わず紫陽花さんのハサミをぎゅっと握り込む。にぎりこんでいた薬指と小指をこじあけて、2人で手を握り合う。あー、紫陽花さんのチョキがパーになっちゃったぁ。ふっしぎー。 「ね? レナちゃんのパーって強いでしょ?」  恥ずかしそうに言う紫陽花さん。わたしは側にいる香穂ちゃんに顔を向ける。多分真っ赤になってるに違いないわたしの顔を見て、なにやってんだこいつら、って目をしてる香穂ちゃん。  香穂先生こういうとき、わたしだけにそういう顔見せますよね!  なんとなくしっとりしてきた握手と言えない握りあいの手。すると紫陽花さんが、まだあいている左手を大きくかかげて「真唯ちゃーん」と呼んだ。振り返ると、真唯が教室の入り口できょとんとしていた。紫陽花さんに呼ばれたと気づくと、ちょっとウキウキした声で校内……いや日本一のイケメンが尋ねる。 「なにしてるんだい?」 「いいからこっちきて。じゃんけんの話してるの」  楽しそうな紫陽花さんの声に誘い込まれてぽてぽてぽてとニコニコ顔で真唯がやってくる。 「じゃんけんでって、なんで手をにぎって?」  笑顔のまま小首を傾げる真唯に香穂ちゃんが「マイマイはじゃんけんだとグーチョキパーだとなに? ってはなしー」と明るく話をついでくれた。真唯は自信満々のドヤ顔で。 「通常のじゃんけんなら、勝てる手、だが。  私を示すじゃんけんの手とするならこれだな!」  とフレミングの法則の手みたいなのをする。  いや、これは右手だから違う。  親指が立って、人差し指はピンと伸び、中指が手のひら側に伸びていて、薬指と小指は曲がっている。  すごい得意げに真唯が説明した。 「知らないかい? これはぐっちょっぱーだ。一度に3つの手を出すことで、グーにもチョキにもパーにも勝てる最強の手。  紗月が教えてくれた!」  小学生か! と普段なら突っ込むところだけど、わたしの手を優しく握り続ける紫陽花さんの感触がそれを許さない。かわりに香穂ちゃんが「んー! 小学生かよ!」と突っ込んでくれた。  っていうか真唯はやっぱ真唯じゃん! これ絶対勝てる手じゃん! ねえ香穂ちゃん!  そう思って香穂ちゃんを見ると、いつものムードメーカーな香穂ちゃんとちがう表情があった。なにか考え込むような顔。  どしたの? 香穂ちゃん憧れの、真唯がアホすぎて呆れちゃった? 「真唯ちゃんが最強の手でも勝てないよ、ね、れなちゃん」  幸せそうな紫陽花さんの声で目が覚める。じゃんけん必勝の法則を右手でつくった真唯の右手を、紫陽花さんの左手、パーの形が包み込んだ。  真唯の顔がぽっと明るくなる。  わたしの心が一瞬ずきっとする。  でも違う、そうじゃなくて! わたしは左手を真唯の右手に重ねた。  腕と腕が交差し合って星みたいになって、いつのまにかパーとパーが重なり合って、指を絡めて、真唯、紫陽花さん、わたし甘織れな子の3人で握りあってる。  とっておきの戦術を披露するみたい顔で、紫陽花さんが高らかに宣言した。 「れなちゃんのパーでね? わたしたちさんにんともパーになっちゃった」  午後の影が覆う9月の教室で、紫陽花さんの白い肌が輝く。  それがほんとうに天使みたいだったから、胸の奥から温かい気持ちが流れ込んできた。温かい日だまりのなかで、ふと胸がいっぱいになって、泣きたくなるような感じ。  なんだか香穂ちゃんを置き去りにしたような気がして、視線を向けると、さっきの難しい表情はどこへやら。いつも顔をした香穂ちゃんがガッツポーズをしてみせた。 「仲良きことは美しきかなってね! さ、クレープ食べにいこ!」  ちょっと名残惜しげに離れていくわたしたちの手の、腕に香穂ちゃんが絡みつく。  あ、そういえば。 「香穂ちゃんは、じゃんけんだったらぐーちょきぱーのどれ?」  わたしの質問に「あたしはマイマイとおんなじ、絶対に勝てる手」と即答した。 「あたしは魔法使いだから、勝利に手を選ぶんだ。  パーにはできない芸当かにゃー」  そう言ってわたしに。  からかうみたいなピースサインを突き出すから。  なにおってもみあうように彼女の手をつなぐと。  香穂ちゃんの手のひら、びっくりするほど熱いの。 その2 fu5640826.txt