「で、結局甘織はなんなの」  美女が眉間に皺を寄せている。  琴紗月さんがそうお尋ねである。  ここは学校の学食で、わたしは大きな口をあけてハンバーグを食べていたところだった。 「がくせいれすけお」 「そういう話ではないと思うよれなちん」  小柳香穂ちゃんがウェットティッシュを取り出して口を拭ってくれる。ありがと。 「なに? ファンタジー世界では赤ちゃんからやり直したいの」  イヤそうな声を出す紗月さんはほとんど音を立てずにうどんを手繰った。どうやってるんだろ、と思って観察したところ口元まで運んだうどんを軽く加えた瞬間、垂れ下がった麺部分を素早くかつ丁寧にたくしあげて口元に運んでいる。器用だと思う。  ちょっと前にお昼休み中の話題出しで「もしここがファンタジー世界だったらあなたはどんな職業?」ってお題を振ったのだ。その話だったか。 「あのとき、瀬名には本人の希望職業を選ばせたのに、私には僧侶を押しつけようとしたのよね」 「でもあのとき紗月さん、特にイメージ浮かんでなかったっぽいし。それともなりたい職業とかあった? 賢者以外に」 「賢者ではなくて、大魔道士よ」  あれ? 気に入ってるのかな。お題の会話で、キャラの台詞を交えるくらいだしな、と思っていたら、面白くもなさそうな声でまた紗月さんが私の思考を盗聴した。 「私は満遍なく読むだけよ。ダイの大冒険ネタもそれ。気にしないで」  紗月さんはほつれはじめた長いもみあげを改めて耳の後ろにかけ直し、最後のひとすすりに備えた。香穂ちゃんは焼きそばパンをちぎっては食べちぎっては食べ。紫陽花さんは今日は別のグループの子たちとランチだ。 「瀬名紫陽花は希望通り武道家。小柳香穂は魔法使い。私が大魔道士で、真唯は王様」 「王様は真唯はいやがってましたけどねぇ!」  セーブポイント用の王様役がいい、と紗月さんに言われて真唯は心底不服そうだった。ちなみに真唯はいま海外の仕事で学校には来ていない。アジアブランドのレセプションとかで、何日も留守にするわけじゃないみたいだけど。  スーパーモデルにしてスーパー才女、文武両道にすぐれたスーパーな王塚真唯は甘織れな子、つまりわたしを大好きなスーパーダーリンな人なのだ。昔はわたしも彼女とどうつきあおうか悩んだけど、いまはスーパーな間柄で……。 「れな子、スーパーが多くてマーケット状態だよ」  心のなかの王塚真唯が語りかけてきます。でも大丈夫だよ真唯。わたしはこの友人グループ、クインテットを守る為スーパーいい人になりつつある……。 「いいのよ。真唯はなりたい職業を自分で見つけられなかったんだから」  あっさり紗月さんは言い放ち、うどんの刻みネギをつまんで口に運んだ。 「自分がなりたいものが口に出せないなら、王様程度がちょうどいいのよ。あれだけ目立つんだから。私は大魔道士が気に入ったから、選択に取り入れさせてもらうわ」  ところであなたのことだけど。と紗月さんはわたしをねめあげる。怖い。 「何になりたいの? ファンタジー世界で」 「なにこれ、圧迫面接だよ!」  ファンタジー世界での冒険の前ってこんな威圧的だっけ!? 「普段なら話題が出たときに全部手札が出揃っておしまい、なのに今回は宙ぶらりんなのが気持ち悪いのよ。  別にあなたがパーティーでなんの役割をしたいのかは興味ないわ」 「ええー? じゃああててみてほしいな。 紗月さんの大親友がどんなサポートキャラになりたいのか」 「生贄と序盤に死んで主人公たちの  みじん切りしたキャベツをハンバーグのソースに絡めて食べていると、香穂ちゃんが間に入ってくれた。昨日の放課後、香穂ちゃんと紫陽花さんには話ししたもんね。 「れなちんは盗賊になりたいんだって」 「盗賊?」  紗月さんは眉をしかめて、丼を傾けてお汁をすこし飲み。 「まあ、あなたは、よくばりだものね。この泥棒」  と評価(?)した。  おい、おまえ、なにがいいたい琴紗月ぃ!  実際盗賊キャラってそこまでゲームに多いわけじゃない。戦う爽快感を味わうゲームが多いなかで、戦闘能力に期待の持てない盗賊のジョブは、スキルで代用されたりすることが多い。 「グループのサポートをしたいらしいよ」  そう香穂ちゃんが野菜ジュースにストローをさす。紗月さんは食べ終わったうどんの器を返してきた。制服にはシミ汚れなんて一つもない。さすがは紗月さん! 「鍵開けとか罠解除とか、そういう地味な仕事でお役に立ちたいんです。いひひひ」 卑屈に笑って見せると「そういうの香穂が得意そうじゃない」と紗月さんが言う。 「そだねー。じゃああたしが盗賊スキル持った魔法使いってことで」  香穂ちゃんが安請け合いをするのでわたしは焦る。ちょっとぉ! わたしの役割を取るのやめてよ! 「だいたい精彩に欠けてるのよ。あなたがやりたい仕事というより、見捨てられない処世術みたいだわ」  紗月さんはそう決めつけて、まああなたには似合ってるけど、と呆れたような声を出す。うぐう、反論できない。  いや、それは話題の土台が違うからって気もする。確かにグループサポートのスキル職は地味でいまいち派手さに欠ける。でもそれは職業よりそのキャラクターによるわけで。 「じゃあ真唯が盗賊だったらどう?」  と尋ねていた。 「もし王塚真唯が盗賊だったら、派手じゃないって言える!」  あ、いや、ダメだ。真唯はそこにいるだけで派手な人だ。あの長い脚を折り曲げて謎の扉の前に座り、よくわかんない長い針金で鍵穴をコリコリ開けるんだ。 「大丈夫。罠はないし開いたよ」  盗賊真唯からそんなふうに微笑されたらどうしよう!! まあ扉を開けて先に進むしか手はないんだけどね! 「あまいわ甘織」  わたしの妄想を紗月さんが真っ向から否定する。 「あの女が迷宮をクリアするとしたら、地味な鍵開けや罠解除とか、そんなありきたりのことをするわけないじゃない」 「じゃあ何をするの」 「まずは挑戦状を送るわね。迷宮に」 「挑戦状を!?」  紗月さんはたまにわけのわからないことをいう。冗談か本気かわからない。どうも今回は割と本気みたいだ。ネタみたいな話題でも本気を出せる女、琴紗月。 「例えば高い塔のある城塞に、白い燕尾服と赤い薔薇を胸に飾って高笑いして現れるに違いないわ。そして宝箱の中身を奪取するのよ」 「わかった! さーちゃんそのネタ! ぶーらぶらーってマイマイが逆さにぶら下がってきてさ!」 「真唯は逆さまになってぶらぶらしたりしないわ。あくまで怪盗イメージよ」  鋭い否定に香穂ちゃんが静かになってしまう! あの、紗月さん。ちがくてそれは。ネットミームってのがあって、タキシードで仮面をつけたキャラがいてそれは。説明しようとするわたしをスッと香穂ちゃんが止める。 「甘織さんやめて。すべったジョークに……フォロー不要だから……」  ああ! ちょっと自信ない香穂ちゃんになってる! それをフォローするってわけじゃないんだろうけど「香穂ならどうするの」と紗月さんが尋ねてきた。 「あ、あたしはねえ、女盗賊のボスになりたい!」  くるっと表情を変えて、紗月さんに相貌をゆるめる香穂ちゃん。うーん、さすがの立ち直り。 「腕に蛇のタトゥーとか入れてさあ。さーちゃん知ってるでしょ? 江戸川乱歩の黒蜥蜴みたいに、あまりに見事な刺青だから蛇が生きてるように見えるんだよ。  〝蛇毒《じゃどく》の女賊《じょぞく》〟とか呼ばれてさあ」 「え? なに?」  うまく漢字に変換できなくてわたしが尋ねると、香穂ちゃん曰く、蛇の毒の女の賊で蛇毒の女賊だって。へえ。 「香穂ちゃんはじゃじょくのじょじょくになりたいの?」 「え? なに、なんて?」  紗月さんがわたしの言葉を訊き返す。  あれ、いやちょっと違くてぇ。  これなんか言いづらくてぇ。香穂ちゃんが繰り返す。 「蛇毒の女賊」 「じゃどくのじょじょちゅ」 「蛇毒の女賊」 「じゃだくのじょじょちゅ!」 「蛇毒の、女賊」 「じゃどくの、じょじょちゅ!」 「全然言えてないわ」  感心したように紗月さんが言う。これどっちに? 見事に間違えているわたしに? それともこんな言いづらい単語を探し出した香穂ちゃんに!?  ああ、これいい材料見つけたとばかりににやっとした紗月さんが言った。 「途中で区切っても言えないなんて、いつも早口な甘織らしいわ」 「じゃあ紗月さんもチャレンジしてくださいよ」  わたしがぶーっと唇を突き出すと、紗月さんはすうっと息を吸って言った。 「じゃーどーくーのーじょーぞーく」 「ながい! 引っ張り過ぎ。ゆっくりよむなぁ!」  思わず突っ込んだよ! 紗月さん鬱陶しそうな顔してるけどね! 大きく息を吸っていまいましげに言う。 「蛇毒のじょじょ……」  紗月さんがピタッと口を閉じた。言い間違いを言い切らなければ間違ってはいない、と言いたいのかもしれない。勝った。  いや勝ったのかなあこれって?   でもこれたしかに言いにくい。早口言葉で10回言えっていわれても困るくらい。さすが香穂ちゃん天才かな。 「なんの話してるの?」 「ひゃ!」  後ろから呼びかけられて思わず変な声を上げてしまう。すぐ側に天の御使いが顕現されたかと思ったら瀬戸紫陽花さんだった。紗月さんが厳かに返す。 「今、私たちがファンタジーキャラの盗賊の役割だったらどうなる? という話題をしていたのよ。甘織のアイデアに便乗してね」  よどみなく説明して、先ほどの言い間違いをなかったことにしようとしている! ズルい! 紫陽花さんがわたしの隣に腰掛ける。 「あのね。ご飯食べ終わったらね、自販機で紅茶ほしくなってね? そういえばまだみんないるかなって思って顔出したの」  うそ。ほんとはれなちゃんに会いたかったから。って声が聞こえた気がする。ね?  ……いや、うかれるなれな子。これってかつて紗月さんが言っていた「優しい紫陽花さん」そのままでしょ。  自分のお昼ごはんが終わっても、友達と話しをするために偶然を装って来てくれる善の具現者……。陰キャにも優しい陽キャ。優しくていい子だなあ。わたしに会いたくて来たわけじゃなくても癒されるよ。  そんな紫陽花さんに蛇毒の女賊のネタを振ってみようかと思ったら、香穂ちゃんが死角から人差し指を交差させて×を出している。表情は笑顔のままだ。早口言葉で、紗月さんを刺激したくないのかもしれない。そういえば紗月さん、耳たぶが赤い。 「私はどんな盗賊さんになっちゃうのかなあ」  と紫陽花さんがわたしの目を覗き込んできた。うう……なんて興味津々な表情。こんな顔されたら、わたしはきっぱりいうしかない。 「紫陽花さんは盗賊になんてなりません」 「え?」 「紫陽花さんは善性の塊ですよ? かわいくて賢くて優しくて。そんな人は盗賊にならなくても、自然と宝が集まるのです。宝箱は開き、ドアの罠は罠をかけることを恥じ、草木は生い茂り花は咲き乱れ鳥たちは歌い舞い踊り、皆が紫陽花さんにプレゼントをするのですよ」  熱烈に語るわたしに、紫陽花さんは「いやあ」と困ったように小首を傾げた。 「れなちゃんに褒められるのは嬉しいけど、わたしも盗賊で活躍したいな」 「それならやはり瀬名は教授系がいいのではないかしら。インディ・ジョーンズのような」  お、紗月さんから意外な選択肢の提示だ。パッと思い浮かんだのはツバ広帽子をかっこよく被って、革のジャケットとジーンズを履いて、伸縮自在の鞭を操る紫陽花さんだ。  ふんわりした笑顔だけど、鞭をつかうときや罠をかいくぐるときは凜々しい顔して。  キャラクターのイメージとはたしかにちょっと違うかもだけど、これは紗月さんが紫陽花さんを喜ばせるために選んだ盗賊のイメージだ。  フィールドワークをしながら世界の謎を解き明かす冒険系教授キャラと、おっとりした紫陽花さんとのギャップに心臓ドキーンってした。まずい。いやなにがまずいの? いってみろ! まずくない! 美味しい!  れなちゃん、って甘えてくる紫陽花さんが、ピンチのときに助けてくれたら、そんなの恋に落ちちゃうよ! もう落ちてるけど! 「でもそういうのって紗月ちゃんの方がぴったりな気がする。紗月ちゃんはきっとすっごいかっこよくなると思うよ」  一所懸命に褒める紫陽花さんがいじらしい。でもね、紫陽花さん、それはたしかに似合うけど、そういうことじゃなくて。それを満更でもなさそうに聞いてる紗月さんにちょっと、なんていうか、こう、言い様のない感情がわき上がる。 「そういう紗月さんは、マシンガンもって銀行襲う系の盗賊ですよね。攻撃特化系」 「そのときは甘織も一連託生よ。一緒に破滅への道のりを進みましょう」 「進みませんよ、なんで!?」 「だってあなた射撃系のゲーム上手じゃない。あんなに一緒に戦ったでしょ? ね?」  しれっとわたしに微笑みかける蛇毒……いや邪毒の女賊!  「え? 一緒に戦った?」  目をぱちぱちさせる紫陽花さんの顔を見て紗月さんは、冗談よ、と肩をすくめた。香穂ちゃんが会話をつないでくれる。 「というかれなちんの盗賊ってどんな感じ?」 「え? その、標的のドアの鍵穴にオイルスプレーを吹き込んで針金でガチャガチャする系の……」  肩を小さくすぼめて針金をガチャガチャする仕草をしてみせると、紗月さんが呆れた声を出す。 「リアル犯罪者ね」 「れなちん、自首して」 「れなちゃん……警察いこ。怖かったら一緒に行ってあげる」  みんな口々にひどいよ! ちなみに家に帰って、ねー遥奈、盗賊キャラってこんな感じだよねって妹に尋ねたら「お姉ちゃん親しい友達の前でもやらない方がいいよ。リアル過ぎて怖い」っていわれたよやった――。(やってない) 「まあ、甘織は多分、予告状が必要なタイプよ。盗みに入るにしても」  そう紗月さんが言う。  へー。これ誉め言葉みたいな? あ、なるほど、真唯みたいな? 今夜あなたの大切な何かを盗みに行きますみたいな?  わたしの顔からなにかを読み取ったのか、紗月さんが嫌そうな顔をして付け加えた。 「真唯は挑戦状よ。持ち主や警察機構に正々堂々と戦いを挑むタイプね。盗んでやるから盗まれないように頑張りたまえ、みたいな。  でも甘織はそんなタイプじゃないわ。盗みに行かせて下さいってお願いするタイプね。  見つかっても許してくださいね、って保険付き。  だから予告状」  なんだそれぇ!  そんなみっともない盗賊いやだよう、って言おうとしたら香穂ちゃんからなにかはじまった。 「私は怪盗コアラ子。あなたの大切なものがなにか、私にはよくわかっています」  即興劇だ。落ち着いた声で聞きやすい。手紙を読み上げるみたいに、自分のハンカチを広げてる。もちろん読む振りだ。 「冷たい輝きの奥に熱を秘めた美しい宝石に、わたしは魅せられているのです。  琴紗月さん、わたしはそれを頂戴したい」  さすが香穂ちゃん、蛇毒の女賊ってすんなり口に出せる人は違う。本当に盗みに入る前の挑戦……いや予告状みたいになってる!  名前を出された紗月さんは、気分を害するでもなく黙って聞いている。  そして香穂ちゃんはオチまで全部言い切った。 「美しいもの、それはあなたの胸の奥に、深く隠されたもの。  ほしいのは紗月さん、あなたの心です!  だからまずはお友達から始めてよろしいでしょうか。今夜伺います。  甘織れな子」 「途中からラブレターになってるじゃん! 差出人本人になってるし!」  わたしがぎゃーっと叫ぶと、紫陽花さんと香穂ちゃんが頬を染めてクスクスッと笑ってくれた。笑ってないのは紗月さんだけだ。彼女は軽く首を横に振って。 「私の心だったら、おあいにくさま。  私の心は私だけのものだわ。誰のものにもならないのよ」  軽く突き放すように言われて、わたしは一瞬ひるんだ。それはなんだかいつも言ってる言葉に近いんだけど、膝小僧の擦り傷みたいにどこかが血で滲んでいるように思える。うまく言葉がでない。そのときだった。  香穂ちゃんがすかさず「れなちん!」と声をかける。 「いまだ! サーちゃんの胸にオイルスプレー! 針金突っ込んでがちゃがちゃやって!」 「いややんねえよ!? それで紗月さんの心は開かねえよ!」  わたしの言葉に紫陽花さんが、そ、そうだよ香穂ちゃん、強引なのはいけないよ、って慌てて言ってる。香穂ちゃんは、チャンスは狙ってかないとさー、と紫陽花さんにもたれかかる。  それで肝心の。ねえ。そっぽ向いたあなた。  笑ってくれた? 紗月さん。    このあとだけど、二人きりになったとき紫陽花さんに『蛇毒の女賊』チャレンジをしてみた。  真っ赤になりながら何度も挑戦する紫陽花さんがメチャかわでな?  すばらしいよ香穂くん!  君は天才だ!