あれからどれぐらいの月日が経ったのであろう。 カンラークが落ちてその時死んだはずの身が怪物化して、意識のないまま故郷を蹂躙し、敬愛する父の手で瘴気が払われこの醜い魔族のような体になってから。 俺は恥ずかしくてあの場にいることは無理だった。偉大なる勇者の息子が怪物と化し、故郷や身内を衝動のまま手にかけるとは…。 その時身に付いた認識阻害を発動して、俺はとにかく遠く遠くへ当てもなく進んで行った。いつか忌まわしいこの身が朽ち果てることを望んで…。 ◇ ◇   ◇   ◇   ◇ それから何日経ったろう。目的もないままとにかく進んで行ったがそれももはや限界が来た。 寝食もせず進み続ければいつかこうもなろう。 まぁいい…恥の多いこの人生、こんな終わり方がぴったりだ…。 「やっと目が覚めたかい?」 俺が意識を取り戻すとそこにあったのは見知らぬ天井と見知らぬ男の顔だった。 「あんた三日も寝たきりだったんだぜ。水でも飲むかい?」 俺はどうやらこの男に助けられたようだ。 「余計なことを…。放っておいてくれれば良かったのに」 「そうもいかないだろ、村の中で行き倒れなんてされてた日にはさ。死んでたらそこらに埋めるだけの話で済んだんだが」 随分正直な物言いだな…。自分の中の感情がぶり返してくると無性に喉が渇くし腹も空く。そんな心の内をこの男は見透かしていたようだ。 「体は正直なようだな。水と粥でも持ってくるからちょっと待ってな」 ◇ ◇   ◇   ◇   ◇ 久方ぶりの食事を平らげ気持ちが落ち着いたところに男が話しかけてきた。 「あんた名前は?どっから来たんだい?」 男の問いかけに俺は答えられなかった。自ら起こした恥知らずな所業をとにかく知られたくなかったからだ。 「だんまりってことを色々訳アリかい。まぁ今のご時世珍しくもないからな…」 「私の名はショーン=ウィン。行き倒れてたあんたをここまで連れて来てやった男さ。この村で勇者村塾という私塾を開いてる。しばらくはここでゆっくり体を休めるといい」 勇者という言葉の響きに俺は少しカチンときたようだ…。 「勇者村塾か…えらく御大層な名前だな…」 少しトゲのある言い方をしたのだが彼の反応は意外なものだった。 「はははっ!あんたもそう思うかい、実は私もそう思うんだよ。勇者でもないただのおっさんが何を教えるんだってね」 「この塾では様々な学問の他に剣術やら魔法やら、とにかく皆が興味のあることを持ち寄って教え合って高め合っている。そうした中からいずれ勇者と呼ばれるような者が生まれたらいいなと思って、こんな名前をつけたのさ」 勇者の子として生まれ、その言葉の重みを俺は誰よりも知っている。だからこの男の言を正さずにはいられなかった。 「勇者とは混沌の世に救世と平和をもたらす者。そしてそれはかの勇者ユーリンしかいない! 勇者という言葉を軽々しく使ってもらいたくはない! 大体今の世には神託だか国選だか知らんが勇者を名乗るまがい物が多すぎる!」 俺の言葉を聞いた彼は何か腑に落ちた顔をしてこう返した 「なるほどあんたレンハートの人か。あの国は勇者信仰がすごいからみんなそう言うね…」 「もちろん勇者ユーリンの偉業を疑いはしないよ。諸国を巡り数々の魔王と呼ばれる者を討伐して、多くの人を苦しみから救い。さらには今まで争っていたはずの魔族たちと共存しようと国まで興す。まさに本物の勇者なのは間違いない」 「そこで聞きたいんだが、その救世ってのはレンハート限定なのかい? もっと具体的に言えば仮にこの国が今魔王軍に攻められたとして勇者…今はユーリン王か、その人は助けに来てくれるのかい?」 現実的には無理な話であろう。もちろん王自身も助けてやりたいのは山々だろうが国同士のことゆえ、行けば内政干渉だの侵略行為に捉えられることは間違いないからである。 「さらに、もし助けを求めるのならこの救世の傘下に入れば良いなんて言い出したら、そいつはもう覇者覇王の類だよ。だから自分たちの国は自分たちで守れるように各々の勇者を求めるってことは当然じゃないのかい。これはちょっと意地悪な質問だったかな…」 ◇ ◇   ◇   ◇   ◇ 「意地悪ついでにもう一つ質問だ。レンハートって国は後30年、いや50年国が保てばいいってみんな思ってるのかい? 「それはどういう意味だ?」 愚弄とも取られるような質問に語気もつい荒くなる。 「レンハートの国は勇者が救世と平和をもたらしているんだろ。ユーリン王が自ら剣を振るって外敵を倒せるのも後30年、50年も経てばさすがに寿命だ。そこから先はどうするんだい? まさか都合良く次の勇者が生えてきたら、それこそあんたの言っている神託や国選の勇者と何ら変わらないぜ」 揚げ足取りのような屁理屈を…と思ったが、レンハートという国は新興だけに地固めに必死で先々のことを考えている者は少なかった。 良くも悪くも王のカリスマ性を原動力に動いているといっても過言ではなかった…。 「だがそれでも、勇者足りえぬ有象無象が勇者を名乗る現状を俺は許せないんだ!」 俺のどうしても譲れない一線を吐露すると、彼はあっさりとした物言いで答えた。 「それは私も賛成だ。というかこの国がその有象無象を生み出している原因でもあるからな」 「この国の王は自分に逆らう者や邪魔な者を勇者ということにして、はした金渡して成果を上げるまで帰ってくるなと放り出しちまうんだ。要は体のいい国外追放だな。民からは勇者刑だなんて呼ばれているよ」 「だから私は王にそんなことはやめろ。せめて勇者と名乗るにふさわしい者を行かせろと窘めたんだが、そのせいで宮仕えをクビになって田舎暮らしをする羽目になったわけさ。最も私も危うく勇者刑にされるとこだったんだが、クビで済んだのは人徳ってやつかもしれないね…」 「だからこそ私はこの国の地に落ちた勇者と言う称号を再び名誉とするために、勇者足りえる人間を育てるべく塾を開いたというわけさ」 「あんたは勇者の条件って何だと思うかい…?」 勇者の条件?そういえばそんなことは考えたこともなかった。 もちろんソアラ=ツキーヌの伝承等は知ってはいるが、自分に取って勇者とは父ユーリンということに当然ながら疑いは持っていない。 しかしながら強さ、実績、カリスマ性…言葉でそれを表現するにはいささかピンとこないものである。 「これについては少し脱線しちまうが、私がこの条件について考えるようになったある出来事について聞いてくれ…」 ◇ ◇   ◇   ◇   ◇ 「あれは3年前、私が下野してこの田舎で燻っていた頃さ。村に一人の女がやって来た。デカい図体に長い黒髪と全身を纏う黒衣、笑顔なのか睨んでいるのかわからないような表情でこっちを見てくる。ガキどもはあれは絵本で見た魔女だなんて言ってたよ…」 「あまりにも不気味だから叩き出すか?いや呪われちまうぞなんて喧々諤々してた時に、裏山に魔獣が現れて遊びに行ってた子供がはぐれたという話が舞い込んだ」 「急な話でそっちの方の対策に追われていると、ふと気づいたら黒衣の魔女の姿はいなくなっていた。面倒ごとが一つ減って助かったなんて思っていたら、その魔女が迷子になった子供と魔獣の首を持って帰ってきたのさ」 「私らは驚いたよ。自分とは関係ない、むしろ追い出そうとしていた連中のために危険を顧みず飛び込んで行ったことをね。するとその魔女は『良かったです。皆さんにお怪我がなくて…』と言って去って行ったよ」 「しばらくは皆あっけに取られていたが、ふと誰かがあれは勇者だ…つぶやいたら、そこにいた全員が疑いなく賛同した。そんな件もあって私は勇者の条件について考えるようになったのさ…」 「随分調子のいい掌返しだな…」 「そりゃ私もそう思ったよ。でもね他人に下す評価なんてそんなもんじゃないのかい。どんな聖人君子であろうと自分が困っている時に手を貸してくれないのはクソ野郎って思うし、逆に自分が困っている時に手を貸してくれたらクズみたいなチンピラでも恩人だ」 「誰かの行いが別の誰かの助けになって、その感謝した者の輪が千人万人と増えて行けば、その者は自然と英雄勇者と呼ばれるんじゃないのかなってね」 「勇者ユーリンだってそうやって皆の信頼を掴んで行ったんだと私は思うんだがね…」 「まぁ勇者の条件!なんて御大層に言うが、これは私が勇者はこうあって欲しいという願望だから適当に聞き流してくれたらいい」 「一つ、志を持ち! 私利私欲のために活動している奴は尊敬できんわな。少なくとも世のため人のために働いて欲しくはある」 「二つ、弱き者のために強き者へと立ち向かう! 強い奴にこびへつらって弱い者いじめをする奴は人としても論外だな」 「三つ、そして勇気を持って実際に行動する! 思うだけなら誰でもできる。でもそれを実行する勇気が勇者たる所以さ」 「最後、それを評価する者は神でも王でもなく救われた人々である! この条件が満たされてるなら私は勇者なんて何人いてもいいと思うし、誰だって勇者になるチャンスはあるのさ」 この男の語る熱弁を特に興味も持たず俺は聞き流した。所詮相いれない価値基準である。長話を聞かされたせいかひどく疲れた気分になった…。 ◇ ◇   ◇   ◇   ◇ 翌日調子を取り戻した俺はこの家を出ようとした。 この家の家主であるショーンが見送ろうと玄関に来た時に血相を変えた男がやって来た。 「た、大変だ!魔獣が…今度はミノタウロスが現れやがった…!」 「先生、あれは俺たちじゃ手も足も出ねぇ。シンサックやズイーゲンなら何とかできねぇかい?」 「あいつらは先週旅に出ちまったんだよ。今いるルオカやロブヒミじゃ見す見す殺されに行くようなもんだ…。街の衛兵隊に山狩りの要請をするから、それまでの間みんなは安全なところに避難しててくれ」 「話は聞かせてもらった。俺にやらせてもらえないか…」 二人の会話に口を挟む。 「馬鹿なことを言うんじゃない! ゴブリンやオーク相手にするのと訳が違うんだぞ。死にたいのか?」 「腕には多少は自身がある。少なくとも援軍が来るまでは持たせるつもりだ…」 彼は俺の目を見据えながら聞く。 「あんた死にに行くつもりじゃないだろうな? しょうがない…応援が来るまで持ちこたえろ。絶対死ぬんじゃねぇぞ!」 俺は剣を一振り借り、ミノタウロスがいるという山中の沢まで行った…。 ◇ ◇   ◇   ◇   ◇ ミノタウロス。ショーンの奴が言うようにパワー、耐久力ともにオークやゴブリンの比ではなく強い。 聖騎士時代も一部の腕の立つ者を除けば、複数名でのフォーメーションで当たることを義務付けられるほどであった。 沢にて水を飲んでいるミノタウロスを発見する。俺は剣を鞘から抜き、右手で無造作に持ち近づいていく。 死ぬつもりはない、あれは嘘だ。この忌まわしき醜い身が戦いで果てるなら、むしろちょうどいい。 しかしケダモノ相手にただ無駄死にするつもりはない。この強敵を道連れに全てを無に帰してやる…。 奴が気づく前に風のように近づく、気づいた時には奴の背中に一太刀を浴びせた。 大して手入れもされてない町売りの剣なのに思ったよりも手ごたえがある。 理由は分からんが鉄は熱い内に打てとばかり、奴が反撃体勢に移る前に二撃三撃加える。 このまま行けるか!と思った矢先、突然刀身が欠けて砕ける。何て安物だこいつ! 致命傷を与える前に得物を失い、さらに敵は手負いとなり殺意は増すばかり。 奴は角を俺に向けダッシュをするように俺へと向かってくる、まるで闘牛士を狙う猛牛のように。 俺は無意識に奴の突進に合わせるように身を低くかがめ全身でぶつかる。相撲で言うところのぶちかましのような形だ。 重量級のパワーに跳ね返されるが奴の方も同様にはじき返されダメージを受けている。 逆に俺の方はさほどのダメージはない。普通なら骨が砕けるばかりの衝撃だったというのに。 先ほどの剣戟といい、想定外のまさかが起こっていた。 忌器の影響によって魔族のような姿になっただけでなく、身体能力も魔族のような強靭さを持つようになったのである。 手足に魔力を込める…レンハート流剣術の隠し技である。イメージは刃だ、魔力により強化させ己が手足を四振りの剣と化させるのだ。 敵は再び角をこちらに向けダッシュしてくる。俺は慌てず二つの角の間の頭頂部を狙い手刀を振り下ろす。ミノタウロスは上半身を二つに割かれ絶命した。 ◇ ◇   ◇   ◇   ◇ 俺はミノタウロスの死骸を引きずりから村へと向かう。 重たいことは重たいが持っていけない重さではない。やはり俺の体は人間離れしてしまったということだろう。 村に戻ると衛兵を二人ほど連れたショーンが血相を変えて俺の元に来る。 「あんた大丈夫か?! ケガはないか?!」 いや大丈夫だよ。それよりも急いでいたとはいえ、そんな頼りない衛兵二人だけでミノタウロスを相手しようとしてたのか無謀すぎるぞ…。 始末した獲物を確認しようと村中の人間がやって来る。そして俺を称賛する。何とも歯がゆい気分だ。 ショーンが俺に話しかける。 「あんた本当は死ぬつもりだったんだろ。だから急いで帰ってきたんだよ」 「お見通しだったか…」 「目つきがなんとなくな…。戦場やダンジョンみたいな死地から戻って来て、何もかも失ってからっぽになった奴がよくそういう目をしていたよ」 「結局生き残っちまったがな…」 「なぁどうせ死ぬつもりなら、その命を誰かを助けるために使いなよ。それに悪くないだろ? こうして人から感謝されるというのも…」 「あぁ悪くはない…」 ◇ ◇   ◇   ◇   ◇ 「と、まぁこんなことがあったんだ…」 と俺はライトに自身の勇者観の変化について思い出話をしていた。 「でもそのショーン先生って人の言葉通りなら、ミレーンさんは僕にとっては勇者ですよ。他の人に迷惑がかからないように暴走する僕を体張って止めてくれたんですから。下手したら死ぬかもしれないぐらいの暴れっぷりなのにそれを実行したのは、間違いなく勇気があったからだと思いますよ。志は…うーんよくわかんないけど何かあるんでしょうね」 志か…俺の旅の真の目的を言ったら、ライトの奴どんな顔をするんだろうか…。 「それにしてもミレーンさんの勇者観ってレンハートの人みたいですね。ウチの父さん母さんと同じようこと言ってる」 「そ、そうか? 割と珍しくはないと思うぞ…。そういえばライトにとって勇者ってどんなものだと思うんだ?」 「親とか学校とかで散々教わるから勇者様はとにかく偉い人なんだってのは知ってますよ。でもどう凄いのかは見たことないから、僕らぐらいの世代だとステージで歌ってるおじさんって印象ですね」 俺は少しあっけに取られたが、勇者の強さを知らないというのは裏を返せばそれだけ平和を積み重ねたということの証明とも言えよう。 父上、あなたはやはり偉大な勇者です…。 ◇   ◇   ◇   ◇   ◇ ※今回登場のキャラクター ショーン=ウィン先生 某国の官僚であったが、国王の勇者政策に異を唱え罷免される。 下野後は地元で勇者村塾を開校し、その薫陶を受けた生徒たちは勇気を実践すべく旅に出る者が多い。 モットーは「志を持ち!弱き者のために強き者に立ち向かい!勇気を持ってそれを実行すること」である。 後に訪れる混沌の時代においては、彼の教え子たちが様々な国を支える人材となっている。 ちなみに彼を捕縛したり処すると憂国の志士と呼ばれるテロリストが多数popする。