​閉塞した時代の暗雲を断ち切るように、竹刀の鋭い音が虚空を切り裂いた。 ​新選組の道場に響くのは、沖田総司と新米隊員――藤丸立香の竹刀が交わる、心地よい音色だ。沖田は目覚ましい藤丸の成長に目を細めた。最初こそ危なっかしい素振りだったが、今や彼の太刀筋は迷いがない。このまま成長すれば、自身の片腕を担えるのではないか。 ​「見事です、新人くん! ここ最近の成長は目覚ましいものがありますね! 指南役たる沖田、嬉しゅうございます!」 ​竹刀を収め、沖田ははつらつとした笑顔を向ける。汗で額に張り付いた髪を払い、藤丸も息を整える。 ​謙遜しつつも、藤丸の瞳には確かな自信の光が宿っていた。その目線に、沖田の胸は熱くなる。 ​しかし、ふと、違和感が脳裏をかすめた。 ​「ですが新人くん。一つ、お尋ねしてもよろしいでしょうか?」 新人は息を整え、深く頭を下げる。 ​「貴方の太刀筋、どうにも……少し奇妙に感じます。刀の一筋は通っている。洗練されている。ですが、新選組の剣技とは……一線を掛け離れてるように思えるのです」 ​沖田は鋭い視線で新人を見つめた。彼の剣技はおぼつかなくとも、自分の好みではない事を除けば、確かに形にはなっている。 「私が教えたのと違いますよね? 誰から教わったんですか? 」 しかし、その片隅には異質な要素を感じ取る。 「あ!もしかして近藤さんー?実はこっそり土方さんにー?いや〜誰だろ〜〜……あ!斉藤さん!?まさかの永倉さん!?!? 」 ​問われた新人は、一瞬、目を見開いた後、すぐに表情を閉じ、曖昧な笑みを浮かべる。 「………言えないんですか? 」 何度、問いただしても、曖昧な笑顔は、崩れない。 あれはまるで、渾身の一撃に、全てを託す、真を打つ歪な一閃。 ​「いったい誰に教わったのですか」 ​はぐらかされた。 沖田の胸に鋭い痛みが走る。この子は、常に素直で、裏表のない子だったはずだ。彼が何かを隠している。 ​「なるほど、わかりました!」 ​沖田はそれ以上問い詰めなかった。が、懐の刀を握り直す。 ​「今度は、実戦形式で稽古を続けましょう。この沖田、納得いくまで、その太刀筋の根源を、貴方自身から吐き出させてみせます!」 ​それからの稽古は、尋問に近いものとなった。沖田は、新人の刀の異質さを徹底的に攻めた。 ​「なぜ、何度も膝がつきそうなほど屈むのです!?」 初めてとは思えない新人の真剣の馴染み具合に、感心よりも、愛しい弟子が、誰かに汚された。 その事実への怒りが、沸々と怒りで心が歪んでいく。 「その角度では斬れません! なぜ、低姿勢から出す居合に拘るのですか!?」 ​問い詰められるたびに、新人の口は重くなる。しかし、その目には切実な何かが宿っていた。彼は、守らなければならない秘密があるかのように、沖田の追及を刀で受け止めていく。 ​「くっ……!」 ​新人の刃が、沖田の刀を僅かに弾いた。その刹那、沖田の胸に焦燥感が走る。このままでは、彼の秘密は暴けない。彼女の成長の喜びの裏側にある違和感が、沖田の心をかき乱す。 ​「もういい! 答えなさい、藤丸!」 ​沖田は我を忘れた。 ​「その剣、まさか……!」 ​脳裏に、ある恐ろしい可能性がよぎった。 もし、彼が、あの女から構えを教わっていたとしたら?  やけに彼と懇意になりがちな、あのおにぎり屋のあいつが誑かしていたら? あいつが可愛い部下の剣技を染めてしまった? あいつに…取られた? ​衝動的だった。思考が停止した。 ​「ッッ!!」 ​許せない。 無我は全て嫉妬に染まり、沖田は必殺の一撃を繰り出した。 ​ドスッ、と、鈍い音が響き渡る。 ​稽古着の胸元が、朱に染まった。 静寂。 ​愛しの菊一文字は、藤丸の心臓を貫いていた。 ​藤丸の目から、力が失せていく。その顔に浮かんでいたのは、沖田への怒りでも、裏切りでもなく、諦めと、ほんの少しの安堵のような、複雑な表情だった。 『…げん……さ…………た…い…ちょ…う……ご、め……なさ……い……』 ​最後に残されたのは、謝罪の言葉。 ​沖田の刀から、藤丸の体は静かに崩れ落ちた。 ​「……え、あ……」 ​刀が、床に音を立てて落ちる。 ​自分のしたことが、ようやく理解できた。沖田は、自分の手を見た。震えが止まらない。 ​「り……立香……?」 ​名を呼んでも、返事はない。ただ、床に広がる血の赤だけが、真実を突きつける。 ​殺した。 ​この手で、最愛の隊員を殺めてしまった。 ​張り詰めていた心が、糸が切れたように崩壊する。 ​「あ…………あああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!」 ​沖田は、その場に膝から崩れ落ちた。 ​両手で顔を覆い、血の海にひれ伏す。嗚咽が、喉を焼き、訓練場に響き渡った。 ​「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……!沖田さんが……沖田さんが……!」 ​胸の奥底から込み上げるのは、どうしようもない後悔と、止められなかった己への絶望。 ​「ごめんなさい立香…! あなたの剣技の秘密など、どうでもよかった! ただ、ただ……君と、一緒に……!」 ​沖田総司の叫びは、誰にも届くことなく、冷たい道場の壁に吸い込まれて消えていった。 ​彼女の流す涙は、戰場で流された血と、寸分違わぬほど熱く、そして、残酷なものだった。