「聞いたかラーバル!今度は四班が煙の騎士に出会っちまったんだってよ!」  サンク・マスグラード帝国軍訓練兵宿舎、食堂。  恐怖の表情でテーブルの対岸から身を乗り出してくる訓練兵イワンの勢いに、ラーバル・ディ・レンハートは気圧されて思わず仰け反った。 「煙の騎士…?」 「知らねえのか!?最近よく現れるようになったって噂で持ちきりだぜ!?」  煙の騎士…煙あるところに現れる神出鬼没の甲冑騎士。  その剣の腕は恐ろしく強く、帝国軍親衛隊にも魔王軍幹部にも匹敵すると言われている。  そして攻撃を当てようにも煙になって躱されてしまい、熟練の剣士でも捉えることは決して不可能。  誰も見たことのないその中身は絶世の美女であるとも醜い妖魔であるとも、はたまた空洞でリビングメイルの一種だとも…  そう説明したイワンは頭を抱え、テーブルに突っ伏して大袈裟に嘆いた。 「うぉぉぉ…次、輸送訓練なんだよなあ…もし出会っちまったらどうしよう…」 「うーん…そんなに怖がるほどか?確かに不思議だとは思うけどさ…」 「当たり前だろ!オバケだぞオバケ!怖くないはずがねえだろうが!」 「忠死の騎士の方がよっぽどオバケだと思うけど…」 「あいつらは攻撃当てりゃ倒せるだろ!怖さの質が全然違ぇんだよ!」  違いがわからない…  友人のオーバーリアクションを軽く流しながらラーバルは国における価値観の違いを感じる。  サンク・マスグラード帝国にやってきてなんだかんだでおよそ一月、過酷な訓練兵生活にもすっかり馴染んでしまった。  特に他国の王子という身分でありながら訓練初日で遭難し、忠死の騎士を単独撃破したという評判は他の訓練兵との壁を完全に取り払った。  そうして出来た友人の一人が同じ第六班のイワン…元は炭鉱奴隷で筋骨隆々の少年だが変なところで気が小さい。 「ラーバル!もし次の訓練で出会っちまったらお前が煙の騎士倒してくれ!」 「え…?普通に撤退でいいんじゃない?」 「輸送ルートの確保も任務のうちだ!頼むぜ、第六班のエースなんだからよ!」 「任務には忠実なのか…オレはお前のことがわからないよ…」 「はっ…頼る相手が違うぞイワン、そいつは第六班のエースじゃねえ」  話に割り込むようにして少女の声が響く。  パンとスープの乗ったトレーを手に現れたのは訓練兵ジーニャ、そして困ったような笑顔を浮かべる訓練兵ナタリア。どちらも第六班の班員だ。  例の遭難事件の後、ジーニャもまた忠死の騎士の単独撃破に成功した。しかも被ダメージは最低限に抑えている。  そのレベルの訓練兵が二人も現れることは稀であり、帝国の未来は明るいと喜ばれたのだが…どうにもジーニャはラーバルへの対抗心が強いようだ。  不敵な笑みを浮かべた隻眼の少女、ジーニャは横目でラーバルを見ながら宣言する。 「煙の騎士と会ったらあたしが倒す、ラーバルは後ろで指咥えて黙って見てな」 「見てるくらいなら協力するよ、なんで一騎打ち前提なんだ?」 「口答えすんな!あたしより先に行ったら殴るからな!」 「理不尽だろ!任務に私情を持ち込むなよ!」  ぎゃいぎゃいと口喧嘩を始める二人を見、イワンとナタリアは顔を見合わせて肩をすくめた。  ジーニャがラーバルに突っかかってこうなるのは訓練兵第六班の日常的な光景だ。当初こそ仲裁しようとしたものの今では諦めて放置している。  数分後、給食のおばちゃんに怒鳴りつけられるまで二人の口喧嘩の声が食堂に響いていた…。  * * * * * * * 「今回の訓練は実践形式、ボルシティに駐留している第8師団にこの物資を輸送する」  輸送部隊隊長ゾーリンは訓練兵第六班の四名の顔を見回しながら説明する。  ハスキモー族特有の端正で厳格な雰囲気に一同の気が引き締まる中、彼は続けて後方に控える大型犬たちを紹介した。  歴戦の風格を漂わせる犬たちは皆一様に体に頑丈なベルトを装着しており物資の乗ったソリを牽く形となっている。  即ち、犬ぞりである。 「荷を運ぶのはこいつらだ、お前たちは操縦手…マッシャーとなりこいつらを誘導しろ」  国土の大半が雪と氷に覆われているサンク・マスグラードでは馬や荷車といった通常の輸送手段がまるで意味を成さない。  そのため古来より犬ぞりを使った輸送が盛んだ。ソリの速度は最高速60km/hにも到達し10頭立てならば荷重500kgもの物資輸送を可能とする。  特にハスキモー族はソリの操縦技術に長けており、輸送部隊隊長であるゾーリンもそのエキスパートである。  訓練兵は昇格後どこに配属されるかわからない。そのため、皆この輸送訓練を経て犬ぞりの基礎操縦技術を身につけるのだ。 「2台が先行してルートの確保、2台が輸送物資を運搬する…何か質問は?」 「はい、ゾーリン隊長。この任務において最も重要視すべき点を教えてください」  質問したのは第六班班長のナタリア。白い肌と長い金髪が目立つ美しい少女だ。  彼女は他三名より少しだけ年上であり、落ち着きがあって聡明なため班長に命じられている。(当初、ジーニャは不満そうだった)  色々と兵士離れした彼女が訓練兵になるまで過去に何があったか…それは決して語ろうとしない。きっと触れられたくないのだろう。  サンク・マスグラード帝国で生きる民たちは皆大なり小なり心に傷を抱えている。本人が語るまで触れないのが暗黙の了解だ。  ナタリアの質問にゾーリンは少しだけ考え、返答した。 「重要視すべき点か…言うなれば“おれはやるぞ”という気持ちを見せることが大事だ」 「気持ち…」 「マッシャーのやる気の有無は必ずこいつらに伝わる、やる気があれば全力で応えてくれるだろう…おれはやるぞ精神で任務を遂行しろ」 (おれはやるぞ精神…?)  急に精神論になった隊長の話もそこそこに、4台の犬ぞりは輸送拠点を出発。  合図を受けたそり犬たちは一斉に駆け出し、マッシャーの四人に急加速の風圧が襲いかかってきた。  予想以上の負荷に思わず手綱を手放し振り落とされかけたラーバル…慌ててソリにしがみつき、なんとか走行姿勢を整える。  並走するソリからそんな様子を見ていたジーニャは短距離通信魔法で彼を煽る。 『はっ、情けねえへっぴり腰だな!それじゃあこの先が思いやられるぞ!』 「何を!このくらい…!」 『あっ、こら!あたしより前に出るな!』  ジーニャとラーバルのソリは競って加速。競争心を受けてそり犬たちもやる気十分に駆けていく。  それを見て焦るのはナタリアとイワンだ。こちらは荷を積んでいる以上、先行の2台に加速されすぎると隊列が分断されてしまう。 『ちょっと二人とも!訓練内容は物資の輸送ってこと忘れないで!』 『そうそう!その辺にしとけよ!夫婦喧嘩は犬も食わねえって言うだろ?』 「『夫婦じゃない(ねえ)!!』」  二人が揃って反論し、ようやく統制を取り戻した第六班はその後順調に輸送任務を遂行していく。  ジーニャとラーバルのソリが前を走り、ルートの警戒に当たりながらこちらに対して敵意を向けてくる魔物を弓矢と魔法弾で牽制する。  追走するイワンとナタリアのソリが物資を輸送、何かあった時に救援要請の信号弾を飛ばすのも二人の役割だ。  道中、何度か危ないポイントがありつつも4台のソリは輸送ルートを走破…目的地のボルシティ間近の崖道まで到達した。  身を切るような冷たい風からようやく解放される安堵に、ラーバルはフード付き防寒着の奥でほっと一息ついた。 「なんとか無事に到着できたな…」 『まだ最後の危険地点が残ってるわ、油断しないでラーバル』 「わかってるよナタリア、でもこの崖道を抜けたらボルシティは目と鼻の先…―――」  そう言いかけたラーバルは思わず目を見開く。  走行する犬たちが上げる雪煙…その中から突如として甲冑の騎士が現れ、剣を大上段に振りかぶったのだ。  ソリの時速はおよそ40km、走って追いつける速度ではない。そもそも今まで気配も魔力も感知できなかった。一体どこから…何故…?  混乱で固まるラーバルの脳天を狙い、鈍色に光る剣は無慈悲に振り下ろされ… 「ラーバル!!ボヤッとしてんじゃねえ!!」  並走するソリから跳躍したジーニャがラーバルに飛びつき、鋭い刃を掠めながら二人は雪の上に転がり落ちる。  空振りした甲冑騎士は逃した獲物に向き直ってソリから跳躍、同じく雪原へと降り立ち二人の方へと歩み寄る。  一連の流れを呆気に取られて見ていたイワンが遅れて恐怖の叫びを上げた。 「け、け、煙の騎士だああーーーーっ!!!!」  響き渡る声とほぼ同時、ナタリアは即座に状況判断し救援要請の信号弾を打ち上げた。  忠死の騎士程度ならばこの四人でなんとかなる。だがこの敵は明らかに格上と確信した…訓練兵四人の手に負える相手ではない。  問答無用で襲いかかってくる煙の騎士…その斬撃を咄嗟に抜き放った剣で受けたジーニャは手応えに獣の如く唸る。 「こいつ…強ぇえ…!」 「ジーニャ、加勢する!いくぞ、イワン!ナタリア!」 「ち…畜生!こうなったらやるしかねえ!」 「救援信号は出したわ!無理に倒そうなんて考えないで時間を稼ぐわよ!」  訓練兵第六班戦闘開始。フォーメーション・C、防戦の陣。  剣を構える煙の騎士へと前衛のジーニャとイワンが剣とウォーピックで嵐の如く打ちかかり、手数の差で敵に攻撃の隙を与えない。  後衛のラーバルとナタリアは魔法弾で射撃、じりじりと敵の体力を削りつつ前衛の二人を防護魔法と回復魔法でサポートする。  いくら格上と言えども高度に連携された四人の猛攻の前には無傷でいられる訳もなく… (おかしい…おかしいぞ…!攻撃が当たっていないのか…!?)  一切ダメージを受けていない様子の煙の騎士…魔法弾を撃ち続けるラーバルの心をじわじわと焦燥感が侵食していく。  足止めは成功している。騎士の剣技は凄まじいがジーニャもイワンも火事場の馬鹿力で必死に踏ん張っている。  だが援護の魔法弾は当たっているようでほとんど意味を成していない…よく見ると着弾部分が煙のように霧散、即座に再構築されている。  まさしく煙の騎士…向こうの攻撃は当たるのにこちらの攻撃は一切届かないアンフェアな存在…まさしくオバケという単語が脳裏を過る。  その認識は他三人も持っていたようで、優勢に見えながらも四人の表情からは次第に余裕がなくなっていく。 (逃げるか…!?いやダメだ、煙を立てればどれだけ速く逃げようが追いつかれる…!) 「ゼェ…ゼェ…!ふざけやがって、インチキ野郎が…!」 「ハァ…ハァ…!冗談キツいぜ…救援はまだなのかよ…!」 「もうすぐ来る…はず…!けどこのままじゃ体力も魔力も持たない…!」  焦燥感はやがて絶望感に変わり、無理矢理高揚していた士気も徐々に低下してしまう。  危険な兆候だ…これでは体力や魔力の前に誰かの心が折れる。そうして緻密な連携が崩れれば救援到着まで耐えることすらままならない。  ならば、ここは少し無理をしてでも博打を打つ他ない! (攻撃魔法は効かない…でも補助魔法なら…!)  陣形を崩して飛び出したラーバルは煙の騎士の死角に回り込んで接近、術式を構築する。  いくら達人であろうと前衛二人を相手取りながらこちらに気を配ることはできない…そこへ出の早い補助魔法を叩き込む! 「“転べ”!!」  雪原を小さな闇が奔り、煙の騎士の足元へと迫る。  触れれば闇が足を絡め取り強制的に転倒させる魔法…剣で斬り合えるならば実体もあるはず、この魔法が通用しない道理はない。  転倒させることができれば前衛二人に大きな隙を作ることができるはず。だが… 「なっ!?」  突如、煙の騎士は高く跳躍した。  転倒魔法はそのまま煙の騎士の直下を通過、そのまま何処かへと奔り去っていく。  完全に死角から放った魔法…だというのに煙の騎士は一切見向きすることなく躱した。まるで後ろに目がついているかのようにだ。  驚愕する四人、彼らを空中から睥睨した煙の騎士は剣を大きく振りかぶり…その剣先に膨大な魔力が収束していく。 「あれは…!?」 「まずい!!」  敵の大技が来る。咄嗟に察したラーバルとナタリアは半球型の防護障壁を展開、それぞれジーニャとイワンを格納し衝撃に備える。  しかしその守りは完璧ではない…本来二人がかりの二枚重ねで備えるところ、直前にラーバルが陣形を崩したのが仇となったのだ。  図らずも二手に別れた獲物…煙の騎士はラーバルとジーニャの組に標的を絞り、魔力光で満ちる剣を縦一文字に振り下ろした。  まるで雷光の如く、魔力の波が迸る。 「うわぁぁああっ!!」 「ク、クソぉぉっ!!」  直撃こそ防いだものの魔力波は容易く防護魔法を打ち砕き、衝撃がラーバルとジーニャを吹き飛ばす。  そして宙を舞う二人はその先…道沿いにある崖、その深い闇の中へと転落していくのだった…。  * * * * * * *  デジャヴだ。ついこないだもこんなことがあった気がする。  深い雪のクッションに受け止められたラーバルは仏頂面で身を起こし、奇跡的にダメージが軽微であることに安堵する。  防護魔法は最低限の仕事をしたようだ。あの一太刀をまともに受けていればこんなものでは済まなかっただろう。  そこで彼ははたと気付く。ジーニャは…一緒に吹き飛ばされた彼女はどうなったのだろう。 「おい、いつまで寝てんだ。さっさと起きろ」  こちらはデジャヴではなかったらしい。  同じく軽微なダメージで抑えられた彼女はすでに活動しており、警戒がてら付近の状況を探索していた。  崖下に落ちたのはラーバルとジーニャの二名、そしてボルシティへと輸送するはずだった物資の一部。  どうやらイワンとナタリア、それに犬たちはあの衝撃に巻き込まれなかったようだ。 「…煙の騎士は?」 「いねえ、ここまでは追ってこないみたいだな」  ジーニャの答えにラーバルは一息吐きながら、心配そうに天を仰ぐ。  追ってこないということはまだ崖上にいる…イワンとナタリアはまだ煙の騎士と戦っているということだ。 「…二人とも大丈夫かな?」 「信じるしかないだろ、そう簡単にくたばる奴らじゃねえ」 「そうか…そうだよな」  救援信号を放ってから時間稼ぎには成功していた…きっと援軍が間に合ったと信じたい。  となると次に心配すべきは自分たちのことだ。訓練初日同様、また遭難してしまったわけである。  幸い前回と違うのは二人とも五体満足なところと物資も一緒に落ちてきたところ、それに数ヶ月でサバイバル技術がかなり鍛えられているところだ。 「救援信号を出した以上無闇に動くのは得策じゃない…ここでキャンプして助けを待とう」 「同感だ優等生、さっき探ってみたが都合がいいことに近くに洞穴があった」 「不幸中の幸いってやつか…もうすぐ日も落ちるし移動しよう」  お互いの意思確認した二人はテキパキと物資を回収し、近くの洞穴へと移動する。  野営準備を終えた頃には既にすっかり日が落ちており、不気味なほどに静かな夜闇が辺りを支配していた。  焚き火を起こした二人はレーションを齧りながら今夜中の救援がないことを薄々察する。夜間救助はミイラ取りがミイラになる危険性が高い。  考えを巡らせている間ふと冷静になり、こんな状況にすっかり慣れてしまった自分にラーバルは思わず溜息を吐いた。 「そういやオレ、王子なんだよなあ…最近忘れてたけど」  その独り言を隣で聞いたジーニャははっと鼻で笑う。 「お前の親父さんはこの状況でも頼れそうだけどな、勇者だし」 「父上の話はするなよ…気が滅入る」 「滅入るな、オレは親父に負けねえくらい言え」 「オレはそういう熱血タイプじゃないんだ」  パチパチと爆ぜる焚き火を見ながら、二人は他愛もない会話をする。  ラーバルは炎に照らされるジーニャの横顔をちらりと窺いながら、正直その意図を測りかねていた。  普段の彼女は対抗意識バチバチで事あるごとに突っかかってくるし、隙を見せればすぐに煽り立ててくる。  だがこうして二人で話せば別に敵意も悪意も感じない、身分の差を感じさせない気さくな友人の一人だ。 「…んだよ、人の顔じろじろ見やがって」 「あっ…」  横目で窺うだけのはずが気がつけば凝視してしまっていたらしい。  不審そうに睨み返してくるジーニャに対しラーバルはバツが悪そうに頬を掻きながら、下手に包み隠さず聞いてみることにした。 「いや…普段あんなに突っかかってくるのは何でかと思ってさ…」 「ああ…そのことか…」  尋ねられたジーニャはフイとそっぽを向いて炎を見つめる。  どこか気まずい沈黙がしばらく続いた後…ジーニャはようやく小さく口を開いた。 「ラーバル…お前は天才だ」 「え…?」  予想だにしない第一声。ラーバルは思わず素っ頓狂な声を上げて目を瞬かせる。  突然の賞賛にテンパった彼は思わず顔の前で手を振った。 「い、いや…何言ってんだよいきなり、そんなことないって」 「謙遜は腹立つからすんな、黙ってあたしの話を聞け」 「あっ、はい…」 「お前は見様見真似で何でもすぐできるようになるしいつだって冷静だ…特に魔法に関しては訓練兵の中に敵う奴はいねえ」  ぽつぽつと語りだすジーニャの言葉に嘘偽り感じられない。それは彼女が最も嫌うものだからだ。  つまり本気で言っている…それを悟ったラーバルは彼女の話に耳を傾ける。   「身分と才能、それを両方持ってるお前はそのうち特別な存在になる…あたしらとは違う世界で生きる存在にな…」 「………」 「そんなことはわかってんだ…わかってるけどそれを簡単に受け入れる気はねえ」  そこでジーニャは視線を隣に座るラーバルに向ける。  じっと見据える眼差しには、決して折れない不屈の意志が宿っていた。 「せめてこの国にいる間は、あたしはお前と対等でいたい」  思いの外素直に語ったジーニャに対し、ラーバルは全てが腑に落ちた。  これまでやたら突っかかってきていたのはすべて彼女なりに自分と対等であろうとする気持ちの表れだったのだ。  そこまで言って今度はジーニャが照れくさそうに頭を掻く。こんなことは本人に言うようなことじゃない。 「喋りすぎた、忘れろ」 「いや…聞けて良かった。じゃあ突っかかってくる時に妙に煽ってくるのも…」 「あ?それはあたしの性格だよ、悪いか?」 「悪いと思う…」  どこかわだかまりの溶けた二人は軽く笑い、こんな状況にも関わらず少しだけ気分が晴れる。  嫌われているわけじゃなかった…それが知れただけで十分だ。きっとこれからも喧嘩しながら仲良くやっていけるだろう。  後は…――― 「後は抱くだけだな」  いつのまにか焚き火を挟んで目の前にいた魔族の少女が腕組みして頷く。 「何っ…!?」 「こいつは…!?」  突然の闖入者、ラーバルとジーニャは目を白黒させて即座に武器を手に取る。  一切気付かなかった…だがそれはおかしい。こんなに目の前にいるのに気付かないはずがない…つまり相手は認識阻害の類を使っている。  その事実だけで厄介な強敵と察した二人に緊張が走るも、魔族の少女は気にした風もなく話を続ける。 「男女二人で遭難…洞穴で過ごす夜…くっつかないと失われていく体温…これ以上ないシチュエーションだ、遠慮せずしっぽりやるがよい」 「な、何を言って…」 「我は心が読める、お前たち二人が互いに好意を持っていることもお見通しだぞ」  ラーバルは思わず隣のジーニャを見、ジーニャの頭からはポンと音を立てて蒸気が上がった。  耳まで真っ赤になった彼女は衝動的に剣を抜き放って魔族の少女へと襲いかかり、慌ててラーバルが制止する。 「殺ス!!」 「ちょっ…待っ…落ち着けってジーニャ!この子、敵対する意思はないっぽいぞ!」 「知らん!!ブッ殺ス!!」 「なんだ、抱かんのか?ロマンスにはあまり時間が残されてないぞ、早くしろ」 「君もちょっと黙って!…って、時間がない…?」  そこで二人は何処からか等間隔に響く金属音の音を聞く。  耳を澄ませ、その金属音が全身甲冑の足音だと気付いた時…二人は背筋が凍りつく感覚を覚えた。  その様子に、魔族の少女が心底つまらなさそうにフンと鼻を鳴らす。 「あーあ…来てしまったではないか」  固まるラーバルとジーニャの眼前、小さな焚き火から上がる煙から一つの影がぬうっと出現した。  炎に照らされるその姿はあの忌まわしき煙の騎士であり…二人は死を覚悟する。  * * * * * * *  それからしばらくの後… 「ピーッ ピピーッ (訳:米だ米だ米だ!!つべこべ言わずに米を食えーっ!!)」 「カタカタ カタカタカタ (訳:パンもあるぞ!!パンも食えパンも!!パン!!)」 「プシューッ プシューッ (訳:麺を疎かにするな!!麺もたらふく食えーっ!!)」 「なんでさっきから炭水化物ばっかなんだよ!!」  煙の騎士はラーバルとジーニャを襲うことはなかった。それどころか無言でついてくるよう促し、二人をこの謎の村に導いてくれた。  そこで二人はこの調理器具に手足の生えた謎の存在たちにひたすら飯を食わされることとなった。それが現在の状況である。  昼には殺し合っていた相手に今度は命を救われる…不可解この上ない状況にジーニャはパンを齧りながら呟く。 「あの煙野郎…一体何を企んでやがる」 「それだけど…ジーニャ、あの煙の騎士は昼間の奴とは違うんじゃないか?」  麺を啜りながら冷静に話すラーバル、その口調にはどこか確信があった。 「その根拠は?」 「兜のデザインが微妙に違う、あと肩と腰のフォルムが丸い」 「間違い探し得意かよ…つまり昼のとは別個体ってわけか」 「多分な…信じたくないけど煙の騎士ってのはそういう種族の魔物なのかも…」  あの強さの魔物が他に何体もいるのか…  ゾッとしない想像に二人が身震いした時、話を聞いていた一人の男が豪快に笑う。 「半分正解で半分外れだ。別個体ではあるが、煙の騎士はただ一人しかいない」 「あんたは…?」 「俺の名はノスト、この巡らずの霧の村に住む村人だ」  巡らずの霧の村…話は聞いたことがあった。  常に濃霧が立ち込め静寂に包まれた森、巡らずの霧の地…その近くにある人と魔族が共存する村のことだ。  帝国では行方不明になった者がこの村に招かれ、歓待を受けて帰ってくることが度々ある。不思議現象の一つだ。  どうやら煙の騎士はここを拠点に活動しているらしい… 「煙の騎士は一人しかいない…だとすればオレたちが昼間に会ったのは…」 「煙の騎士ではなかった…ということだな」 「ならアイツは何なんだよ、信じられねえくらい強かったぞ」 「それは俺よりも詳しい者がいる…アヴァ!」  ノストが誰かの名を呼んだ瞬間、空間から溶け出すように洞穴で会った魔族の少女が出現する。  ラーバルたちよりも幼く見えるその姿はおそらく夢魔族のもの…しかしどこか高貴な雰囲気を纏っている。  アヴァと呼ばれたその少女は不機嫌そうにじろりとノストを睨み返した。 「我を呼び出して説明を求めるか、無礼者」 「お前の不始末がこの子たちに迷惑をかけているんだ、せめて説明するのが筋だと思うが?」 「チッ…貴様の言えたことか」  文句を垂れながらもアヴァはラーバルとジーニャへ向き、溜息を吐く。  尊大に話すもののどうやら彼女は基本的にノストに頭が上がらないらしい。過去に何かがあったのだろう。 「お前たちを襲ったのはテラーメア…かつての夢魔王の配下である」 「夢魔王…って父上と陛下が倒したというあの…」 「そうだ、お前の父と現皇帝のボウヤは実に見事な戦いぶりであった。あれらは賞賛に値する心の持ち主だ」 「なんでお前が偉そうなんだよ…しかもボウヤって不敬すぎんだろ」  ジーニャのツッコミも軽く流しアヴァは話を続ける。  テラーメア…高位の夢魔の一種であり変幻自在に姿を変えて人を襲い魂を喰らう。  その夢魔は化けた姿の能力を模倣することができ、そして相対する者の恐怖が大きければ大きいほど力を増すという特性を持つ。  現在、煙の騎士の姿を模倣しているのも神出鬼没の騎士の噂が広がって恐れる者が多くなったからこそだろう。  そうして煙の騎士が恐れられれば恐れられるほどにテラーメアは強大な存在になっていくのだ。 「つまりあたしらが出会ったのがメチャクチャ強かったのは…」 「お前たちの中に過剰に煙の騎士を恐れる者がいたのだろう」 「イ…イワン~~~ッ!!」  ラーバルとジーニャの脳裏に爽やかな笑顔の同僚の顔が浮かぶ。  アイツがあんなに怖がってなければこんなことになっていなかった…帰ったらとりあえずぶん殴っておかねばなるまい。  やり場のない怒りを覚える二人にアヴァは軽く肩をすくめて続ける。 「まぁ、それ抜きにしても恐怖を持たない生物は存在しない…お前らのようなヒヨッコが奴に出会ったら逃げの一手しかあるまいよ」  その一言に二人はぴくりと反応する。  テラーメアは他者の恐怖を借りて人を襲う卑怯者、そんな奴に負けっぱなしで逃げを打つなど真っ平ごめんだ。  それに奴の行動が自分たちの恩人である煙の騎士の悪評を広めている…そんな状況許していていいはずがない。  二人はどちらともなく顔を見合わせて互いに頷くと、ジーニャは話を聞いていたノストに向き直った。 「おっさん、あんたかなり強いだろ?…奴に勝てるようあたしに剣を教えてくれ」 「ほう…分かるのか?」  出会った時からノストの立ち振る舞いは一切の隙がない。脱力しているようで洗練されている剣士の動きだ。  こんな男がただの村人であるはずがない…ジーニャはそう確信していた。 「頼む!これ以上煙の騎士の悪評を広めたくないんだ!」  ノストはしばらく考えた後、少女の右目に宿る真っ直ぐな意志に根負けしたかのように笑ってその頭に手を置いた。 「フッ…いいだろう、短い修行になるがお前に技を授けよう」 「感謝する!おっさん!」 「おっさんはやめろ、ノストさんもしくはおじさまと呼べ」  言うが早いか剣技を教わり始めたジーニャを横目に、これまで得た情報をまとめながらラーバルは思考する。  恐怖が薄れたとは言えテラーメアが煙の騎士の能力を持っているのは変わらない…こちらが煙を上げればその時点で敵は先手が取れるのだ。  負傷すれば否が応でも恐怖が生まれる。アヴァの言う通り生き物である以上完全に恐怖を消すことはできない。  ならば、こちらが先手を取るしかない…しかしどうやって…? 「フム…着眼点はいい、お前は父親と違って頭がいいな」  いつのまにか傍に来ていたアヴァがニヤニヤと笑いながら言う。どうやら心が読めるというのは本当らしい。 「勝手に人の思考を読まないでくれよ…」 「許せ、見たくなくても見えるのだ。で、テラーメアから先手を取る方法だったな」 「…何か方法があるのか?」  ラーバルの問いに、アヴァはピッと人差し指を立てる。  その先に小さく揺らめく紫色の火が宿った。見続けていると意識が吸い込まれていきそうな不気味な火だ。 「お前に魔法を授けてやろう…魔王の催眠魔法をな」 「…魔…王…?」 「フフフ…父親や皇帝陛下には内緒にするのだぞ」  かくして巡らずの霧の村での修行が始まった。  おそらく捜索部隊も出されている以上、許されているのは長くて半日だ。その間に剣技と魔法を身につけねばならない。  しかし、おれはやるぜ精神に燃える二人の若者はまるでスポンジの如く技術を吸収していく…。  * * * * * * *  数時間後、村の入り口に立ったラーバルとジーニャは見送りに来た数名に振り返る。   「皆、色々とありがとう。助かった」 「ああ…帰る時は余所見をせずに煙の騎士の背を追え。望んだ場所に出られるだろう」  まるで二人を待つかのように佇んでいる煙の騎士を指したノストは、次にジーニャへと目を向ける。 「ジーニャ、短時間だが奴に勝つのに必要な技は全て教えた。健闘を祈る」 「ああ…ノストさん、絶対勝っていつか報告に来るよ」 「それは楽しみだ…手土産はオサケスキーの地酒で頼む」  短い期間だが師弟関係を結んだ二人はがっちりと握手を交わす。  一方で、ラーバルはアヴァと向き合って言葉を交わした。 「その…今更だがオレたちに手を貸して良かったのか?テラーメアは昔の仲間だったみたいだけど…」 「構わん、我は昔から嘘つきなあいつが嫌いだった」 「そ、そうなんだ…」 「また来て確実に始末したことを報告しろ。手土産は二人の子供の顔を見せるだけでいいぞ」 「作らないよ!?」  そうして交流のあった村人数名と別れを済ませた二人は村を出発する。  最後、思い出したかのようにその背にノストの声がかけられた。 「…そういえば、皇帝陛下はお元気か?」  二人は半身で振り返り、訝しげに言葉を返す。 「ああ、陛下なら元気にやってるよ」 「相変わらず目は死んでるけど」  一体ノストさんと陛下に何の関係があるのだろう…  頭に疑問符を浮かべる二人…その言葉を聞いたノストは軽く笑って踵を返した。 「そうか…それならいい」 「「…?」」  ともあれ先に歩く煙の騎士の背を見失うわけにはいかない。  二人は甲冑の背と規則的に響く金属音を追って深い霧の中へと入っていった。  * * * * * * * 「まさか生きているとは…悪運の強い子供たちですねぇ」  突如発生した霧から元の崖道に戻ってきたラーバルとジーニャ…それを陰から窺いながらテラーメアは独りごちる。  あの後、救援部隊が駆けつけたことによってもう二人の子供…イワンとナタリアは仕留め損ねてしまった。  その上で崖下に落とした二人までも生きている…彼にとってそれは著しく想定外の事態だった。 「それに“本物の”煙の騎士に会いましたか…これは良くないですねぇ…」  煙の騎士は神出鬼没で無差別に人を襲う災厄…その噂こそが恐怖を生みテラーメアの力を強大にする。  だが“本物の”煙の騎士に出会った二人が生還し、本物は善良な騎士で人を襲うのは偽物と触れ回ればどうか…  せっかく蓄えた恐怖は薄れ、力は弱まってしまうだろう。そうなるのは非常に都合が悪い。 「ですので…今度は確実に消えてもらうとしましょうか…!」  何か術式を発動し紫色の火を起こしたラーバルの傍、木の枝から落ちた雪が小さく雪煙を上げる。  テラーメアはその煙を介して彼の背後に音もなく出現…手にした剣で背中から胸まで一突きに貫いた。  「がッ…!!」  「ラーバル!?」  ジーニャの悲鳴じみた声が上がる。  鮮血が真っ白な雪原を真っ赤に染め上げ、剣で串刺しにされた細身がぐったりと項垂れた。  あまりにも容易い…剣から伝わって籠手を濡らす温かい血に、テラーメアは勝ち誇って笑う。 「アハハハハ!!残念でしたねぇ!!君たちを無事に帰すわけにはいかないんですよぉ!!」 「おい、いつまで寝てんだ。さっさと起きろ」  衝撃。  兜を思い切り蹴り飛ばされたテラーメアはもんどり打って倒れ、状況を全く把握できず混乱が思考を支配する。 「………は?」  徐々に意識がクリアになり、先ほどまでの現実が夢となって霧散する。  私は…眠っていた…?一体いつから…?どこからどこまでが夢なのだ…?  見れば剣と籠手は血に濡れてなどいないし、標的の二人の子供は一切の無傷だ。こちらを認識して既に戦闘態勢を整えている。  そのうちの一人…ラーバルは脂汗をかきながら手元に展開した紫の火の術式を解除、息切れしながら片膝をついた。 「な…なんて魔法だ…一回使っただけで魔力全部持っていかれたぞ…!」  《幻日》…  標的を眠りに落とし白昼夢を見せる魔法。  白昼夢の内容は現実と地続きの夢であり、受けた者は自分が眠ったことにも気付くことができない。  紫の火を見るだけで発動し、極めて防ぐことが難しい凶悪な魔法だが…相応に魔力の消費もとても大きい。  かつて夢魔王アヴァリメアがこの魔法を得意とし、直接戦闘でも猛威を奮ったという… 「その魔法は…夢魔王様の…!?」 「ジーニャ!悪いが援護はできそうにない!いけるか!?」 「問題ねえ!下がってな!」  驚愕する間に剣を抜き放ったジーニャが斬りかかり、テラーメアは間一髪転がり避ける。  追って冬の嵐のように激しく襲い来る連続斬りをなんとか防御しながら、彼は鉛のように重くなった身体に歯噛みする。  敵はまったく自分を恐れていない…それどころか最初戦った時よりも数段剣技が冴えている。この短時間で一体何があったのか…  兜越しに困惑と焦燥の色を露わにするテラーメアに、ジーニャは意地悪そうにニヤリと笑った。 「どうした?たった数時間で随分鈍っちまったようだが」 「このガキ…!」  煽りに激昂するも形成不利は依然変わらず。  テラーメアは高速で思考を巡らせ、打開の一手を探る。剣技で正面から勝つのは不可能だ…ならば不意打ちしかない!  彼はバックステップで距離を離しながら地面の雪を派手に蹴り上げ、再び雪煙を巻き起こした。  力が弱まろうと煙の騎士の能力は健在…煙の中に溶け込んだテラーメアは転移、ジーニャの背後を取る。 「死ね!恐怖して死ねーッ!!」  気迫と共に煙を突き破り、鋭い剣の切先が彼女の背を襲う。しかし… 「読めてんだよ、ヌケサク野郎」  背負うような形で後方に回された剣、それが強襲する刃を受け止める。  受けた勢いそのままにくるりと回転したジーニャは刃を閃かせ…テラーメアの頭上、何もない空間を切り裂いた。  一拍遅れて空間が歪み、どろりと黒い液体が溢れ出す…夢魔族の血液である。 「バ…カ…な…!!」 「やっぱりここか…仕留めたぞ」  どしゃりと崩れ落ちる音が響き渡り、絶命して透明化が解けた魔族の姿が露わになる。  遅れて偽物の煙の騎士もまるで糸が切れたかのように崩れ落ち、どろりと影に溶けていった。  即ち、戦っていた煙の騎士はただの操り人形…テラーメアの本体はずっと頭上で隠れて糸を引いていたのである。  ようやく息を整えたラーバルが血糊を拭いて剣を納めるジーニャへと駆け寄る。 「さすがだジーニャ!…よく本体が上に隠れてるってわかったな?」 「ああ、前に戦った時から違和感があってな。やけに視野が広すぎると思ってさ」  思い返すは最初の戦い…ラーバルが死角から放った転倒魔法を煙の騎士は見向きもせず回避した。  どんな達人であってもそんな芸当は不可能だ。だとすれば、敵の視界はどこか別のところにあると推測できる。  ならばあらゆる角度から攻撃を打ち込み、反応が遅れる角度…つまり煙の騎士の身体に遮られ本体から見えない複数の角度を探る。  その複数の角度の延長線上…交わる一点が本体の潜伏場所というわけだ。 「…まあ、敵の居場所の割り出し方はノストさんが教えてくれたんだけどな」 「い…いや、教えられても普通できないだろ…戦いの中でだぞ」 「余裕だろ、敵かなり弱っちくなってたし」  天才はどっちだよ…  ラーバルは内心ツッコミながら懐にしまっていた信号弾を打ち上げる。  自分たちの居場所を伝える信号を辿ってやがて二人の下へと救援部隊と共にイワンとナタリアが到着する。  死んだと思っていた二人が生きていた…半泣きの二人に強く抱きしめられながら、ラーバルとジーニャはようやく安堵の一息を吐いたのだった。  * * * * * * *  サンク・マスグラード帝国、帝城。 「…というわけで、帝国を騒がせていたテラーメアは排除しました」 「よくやってくれた、訓練兵とは思えない活躍…見事である」  玉座に座る若き皇帝、レストロイカに報告したジーニャとラーバルの二人。  一生の忠義を誓う皇帝に称賛の言葉を貰ったジーニャは特に嬉しそうであり、ラーバルは彼女があるはずのない尻尾を振っている光景を幻視した。  しかし…と、レストロイカは言葉を続ける。 「巡らずの霧の地か…我が国には皇帝である俺も知らん土地がまだあるのだな…」 「帝国領…ではないかも知れません、なにぶん空間転移のような現象が起こっていますから…」 「フ…存外死んだと思われている人間はその地に招かれていたりするのかもな…」  レストロイカにしては珍しく願うようなその言葉にジーニャは思わず問いかける。 「陛下…もしかして生きていてほしい人がいるんですか?」  その言葉に、彼は自分でも驚いたように口を押さえ…小さく笑って首を横に振った。 「いや…ただの世迷言だ、気にするな」  それ以上、二人はそのことに言及することはやめた。  この国では誰もが大なり小なり心に傷を負って生きている…それは皇帝陛下とて同じことだ。  その傷に他人が無闇矢鱈に触れることは決して許されない。  誤魔化すように咳払いしたレストロイカは、不意にニヤリと笑って問いかける。 「それより…また二人で遭難し一晩過ごしたようだが、何か進展はあったのか?」  急な話題転換だ。ラーバルとジーニャは顔を見合わせ、それぞれ返答する。 「村のおっさんに剣技を教わりました」 「使い勝手の悪い新しい魔法を覚えました」 「……そう…」  思ってたのとは違う答えにスン…と落ち着いた皇帝は深く溜息を吐く。  彼の意気消沈に思い当たる節のない二人は、揃って首を傾げるのであった。