蝶屋敷での邂逅からしばらく経った。 上弦の壱から参は様々な検査を行われた後、人間に戻る薬を使って元の姿へと戻り、各々やりたい事をやってから罪を償わせる運びとなった。 三人は罪人として死を待つには有り余る屋敷に一人ずつ軟禁されていた。 ある新月の夜。 用意された褥も敷かず、男はただ、広い部屋に座しているだけだった。 日が沈んでからもう何刻経ったかわからないほどの夜更け、静寂の中に1つの足音が近づいてきた。 「巌勝さん。入りますね」 「………」 返事を待たずして元上弦の壱──今はもうただの人間となった男の臥所へ、一人の女が訪れた。 「……何用だ」 「巌勝さん……お身体の調子は如何ですか?」 「……戯言を。私の身を案じたところで意味などない。どうせ明日にはこの世にいないのだ」 「……それでも、案じずにはいられませんよ。あなたは継国巌勝なんですから」 「……勝手にすれば良い」 「もちろんそのつもりですよ」 そう言うと女は静かに男へ歩み寄り、並ぶように腰を下ろした。 「……」 「……」 「…………」 「…………」 「………………」 「………………はぁ〜…巌勝さん」 「…なんだ」 「それでも男ですか?意気地がなさすぎですよ」 「何を…言っているのだ」 「女が夜中に1人で男を訪ねているのですよ?その意味も覚悟も預かり知らぬと?」 「…そんな事は…」 「だったら黙ってないで何か言うとかなにかしらあるんじゃないですか?大体童磨から助けに来てくれた時だって蝶屋敷に来た時だって!なぜ巌勝と名乗らず縁壱様を名乗ったのですか?私は巌勝さんにそうして欲しかったんですよ!?」 「…それは…今更合わせる顔などないと──」 「そんなの鬼殺隊を裏切った時からなんですからそれこそ今更です!あげくなんですか?会ったら会ったで私の事妹みたいなものなどと!前は犬で今度は妹ですか!?」 「自分には…夫も子もいると…言っていたではないか…」 「…………ええ確かにそうです。夫もあの子も愛してます。ですが──」 女は男に自らの手を重ね、まっすぐに瞳を捉えていた。 「──あなたの事は片時も忘れたことなどありません。憎んだことだってありました。嫌いになろうとしたことだって。なんなら死んだって。頭の中にはあなたとの思い出がありました」 男の手に、何か冷たいものが滴り落ちていた。 「お慕い申しております……巌勝さん」 絞り出すように告げられたその言葉を男はしばらくの間ただ黙って聞いていた。 「落ち着いたか……少し…良いか?」 空が白み始めた頃、男はようやく泣き止んだ女の手を避け、ゆっくりと庭へ出た。 「……碌な稽古も…付けてやらなかったが…今一度…見せてやろう…」 そう言うと素手のまま構えをとった。 「月の呼吸──」 それは、懐かしさすら覚える光景だった。 記憶と違うのは、ゆっくりと、慈しむように型を見せてくれたこと。素手であるにも関わらず、鮮明に太刀筋が浮かぶようなそれは、美しい舞のようだった。 「何も…残せないと…思っていた…。だが…これだけは…お前に…継いでほしい…」 「……はい」 朝日に照らされた庭に立つ二人の影が一つに溶け合っていた。