『『指揮官―――』』 完全に油断していた。迂闊だった。 一発の狙撃。相手の戦力は不明。こちらはマキアートとスプリングフィールド、そして負傷した指揮官のみ。携行火器はハンドガンだけ。今日会うのは信頼できるブローカーだから、と三人は目立つ長物を置いてきてしまっていた。 人通りのない路地裏とはいえ、白昼堂々グリーンエリアの、たかだか100m程度の区画で襲われるとは思ってもいなかった。それでも備えておくべきだった。咄嗟に隠れて2発目は免れたものの、その一発が指揮官に。 指揮官を引きずって壁へ凭れさせつつスプリングフィールドは歯噛みする。この区画は直線が長い。射手が射程外であることは容易に想像がついた。 「生きてるんでしょうね!?何とか言いなさいよ!」 隣にいるマキアートはしきりに周りを警戒しながら彼の顔色を伺っている。 鉄錆のような血の匂いが鼻をついた。彼は弱弱しく親指を立てて見せたがその直後に苦悶の表情を浮かべ吐血した。スプリングフィールドは首に手を当て心拍と呼吸を確認する。続けてエルモ号へ連絡しようとしたが、ジャミングがかけられており通信は届かなかった。 先ほどの狙撃の際に、同時に別の兵士二人がアンブッシュを仕掛けてきた事も考えると、相手は訓練された部隊としか思えなかった。敵兵の練度は高くないように見えたが、このまま狭い袋小路に潜んでいてはいずれやられるだろう。耳を澄ませば慎重に動く足音、家捜しをしているような音が複数聞こえる。 「マキアートさん、中を」 そう指示を出すと、マキアートは一瞬顔を顰め指揮官が凭れている建物へ一階の窓から突入した。 「聞こえますか指揮官…もう少しの辛抱ですよ」 拳銃を片手に、血の滲む箇所を抑えながら話しかけ意識を持たせようとする。すると間もなく屋内から銃声が三発。連射音。数秒後に二発。そして十秒後に合図がきた。 「クリア!」 指揮官を窓から室内へ引き上げ、ファイアマンキャリーの形で担ぎあげる。建物は二階建てで廃墟同然の個人商店跡に見えたが、中は外観ほど荒れてはいなかった。 一行はそのまま二階へ上がる。薄暗くカビ臭い室内には首を撃たれた兵たちが転がっていた。彼らの装備品は、以前に報告書で見たマグニの物に似ているものの一見して所属を示す刻印は見当たらない。 先導していたマキアートは二階のフロアを数秒確認したかと思うと振り返り、涙目で二人を一瞥し、鹵獲したARを構えてまた階段を引き返し階下へ向かっていった。 スプリングフィールドは比較的綺麗な床の上へ指揮官を寝かせ、血で濡れている服を引きちぎり容態を見る。一発の銃弾は右上から両の肺を貫通したようだった。予想より酷い。出血の多い左肺の傷口を裂いた布で圧迫しつつ、簡易医療キットを取り出していると脂汗を滲ませた指揮官が彼女を見て口を動かしていた。しかし下から響いてくる発砲音のせいで、耳を近づけてもよく聞こえない。 「何もたついてるの!代わりなさい!」 苦心していると、早々に一階を制圧したらしいマキアートが駆け足で戻り、押しのけて彼の体を診る。 「傷は穿透創が一対のみ。両肺を貫通したようです」 「分かってる!」 マキアートは医療キットから粘着テープを取り出し傷をふさごうとしているが、止めどなく溢れる血が邪魔をしてうまく接着出来ていない。 「大丈夫大丈夫よ今止めるから死なないで…お願い死なないでよ……」 傷をふさいだとしても肺へ血が流入することは避けられないだろう。スプリングフィールドは階段と二人両方が見える場所から見張りをしつつ、並行して安全な治療施設を確保しようと思いつく限りの伝手へ連絡する。いつの間にかジャミングは無くなっていた。 「…キ…アート…」 「指揮官!」 か細い声が聞こえ喜んだが、彼女の言葉に応答はなかった。うわごとだった。 マキアートは泣き崩れそうになるのをこらえ、懸命に処置を続けた。アドレナリン注射、フェンタニル投与。だがどれも反応は芳しくない。苦しげな表情は和らいで見えたが、それは虚ろと形容してしまえるようなものだった。 彼の手を握って脈を診る。心拍は乱れ切っていて呼吸がとても浅い。 「むっ胸が苦しいのね!今助けるから!」 マキアートはキットの底から最も太い穿刺針を掴み取った。それから彼の上体を起し、座らせたまま肩を貸す。そして指先で肋骨の隙間を探る。ここしかない。ゆっくりと確実に針を彼の胸にねじ込んだ。鈍い感触と共に、圧迫していた血液が奔出される。 初めは想定通りに見えた。だが量が多すぎる。胸腔から流れ出す血は、まるで蛇口が壊れたように止まらない。しかも、その色はどす黒いものではなく、脈打つような鮮血だった。 このままでは全身の血が流れ出てしまう。これを止めれば、再び肺が潰れてしまう。ジレンマが彼女のメンタルを焼く。 「やだ……やだやだやだだめやめてとまって!」 刺した針の口を抑えるものの、みるみるうちに彼の顔色は青ざめていき、肌からは急速に熱が失われていく。対照的に赤い血だまりは床に広がり続け、やがて脈が止まった。 「指゛揮゛官゛!な゛ん゛て゛よ゛!」 マキアートは彼をまた寝かせ、喉が潰れそうなほどの大声で繰り返し嘆き呼びかけ胸骨圧迫を始める。処置が不完全な傷からは空気が漏れ、圧迫の度に赤い飛沫が飛ぶ。彼女は人工呼吸へ切り替える。 大粒の涙が零れ、二人の頬を伝い落ちる。 「いかないでよ……!」 彼の唇は、血の味がした。 程なくしてエルモ号の面々が救援に駆け付けた。各々が盾を持ち、囲い、通りに停めてある軍用車まで随行した。 追っ手どころか銃撃一つなかった。指揮官を軍用車に乗せた後はコルフェンが手当を引き継ぎ輸血と電気ショックを実行し、一度は蘇生したものの意識不明、スプリングフィールドが提示した病院へ辿りつく直前で心肺停止。その後病院で死亡が確認された。死因は空気塞栓症だった。 多くの人形たちは状況を受け入れられず混乱していたが、マキアートの強い要望により即刻遺体を引き取ることに決まった。 エルモ号へ到着するとマキアートは真っ先に遺体袋を抱え、手術室へ向かった。それに気づいた人形たちが数人、追いかけ入室した。ある者はただ事ではないと焦り、ある者は彼女の凶行を止めなければという使命感に駆られ、またある者は、ただ指揮官の亡骸にもう一度会いたいという一心で。 マキアートは手術台へ乗せるとジッパーを全開にして、彼を眺めた。傷は縫われ、血は洗われている。死化粧はされていなかったが、とても死人には見えない穏やかな表情をしていて、今にも起き上がって冗談を言うのではないかとさえ思えた。 「何をするつもりですか」 ついてきたコルフェンが隣に立ち彼女の顔をまっすぐ見る。コルフェンには彼女の表情が読めなかった。 マキアートはそれを無視し、彼の胸に両手で触れた。すると彼女は態度を急変させ一心不乱と言った様子で応急処置のパントマイムを始めた。 「大丈夫大丈夫よ今止めるから死なないで…お願い死なないでよ……」 彼女はメンタルで当時の記憶を再生し、その光景を遺体と重ね、テープを張る動作をしていた。そこにはまだ彼の温もりと脈拍が残っていた。 コルフェンは一瞬たじろいだがすぐにその行為の意図を察した。 「お気持ちは痛いほどわかります……でももうやめましょう…マキアートさん」 コルフェンが制止をしても聞き入れない。聞かない。 周囲では他の人形たちが思い思いの反応をしながらその様子を見つめていた。 マキアートは慟哭し、慌てふためいた。泣いていることは確かだったが、涙は出ていなかった。補給していないからだ。 そして彼女の再演は胸骨圧迫へ移行する。 「これ以上やったらご遺体が壊れ―――」 「死んでない!!!」 機械的なリズムで圧迫を続けるマキアートの視界で、指揮官の体が無機質に揺れる。薄らと開いた瞼の奥、その瞳には光が戻ることはなく。とうに昏く、濁りきっていた。 マキアートの絶叫は、他の人形たちが半ば力ずくで彼女を部屋から連れ出したことでようやく途絶えた。残響だけが、この無菌室の壁に染みついている。 静寂が戻った手術室で、スプリングフィールドは彼の体にそっと触れた。 指先で閉ざされた瞼をなぞり、次いで脈のない首筋に触れ、そして力なく下ろす。ただ、彼の亡骸があるだけだった。 それから指揮官の頬に手を添えた。その手は微動だにせず、ただ低い室温を確かめるようにそこに留まっていた。やがて、ほとんど音にならないほどの声で、彼女は囁いた。 「おやすみなさい、指揮官……またのご来店を…心よりお待ちしています……」 言い終えると同時に、一筋の涙が彼女の頬を伝い、彼の額にぽつりと落ちた。 彼女はそっとそれを指で拭うと、今度は彼の髪を優しく撫でる。 一粒、また一粒と彼の上に落ちていく。一度流れ始めた涙は、もう止まらなかった。 彼女はその場に崩れるようにしゃがみ込んだ。 押し殺したような嗚咽が、静かな部屋に小さく響き続けていた。