星というものがある。 途方もなく巨大なガスの塊が、自分の重力で原子を押し潰して核融合の力で燃え盛ってる。無間の暗闇を貫く無数の光。 それは想像するだけで圧倒され、胸を高鳴らさせて。けれど、こうしてちっぽけな岩石の上、ちっぽけな眼にはただのちっぽけな光の点にしか見えない。 それでも、確かに空の向こうに星はあるんだって? 残念だけどそうじゃない。だってここは電子の飛び交うデジタルの世界。夜空に浮かぶちっぽけな光は、そう出力された0と1の羅列でしかないんだ。 「……なにコレ?」 黄色い頭が眉を顰める。三本の爪で摘まみ上げた"コレ"は、凍結したファイルの結晶の中に閉じ込められた緑色だか黒色だかの板切れに見えた。 まだ成長期らしい、体格に比して大きな頭を横に傾けながら、大きな緑の眼を細めて板切れを睨んだが、それで何かが理解できるわけでもない。 「廃サーバーの滝壺から拾った掘り出しモンだよ。名前はゲーム……ナントカだ。それ以上は読めねぇ」 「わかんないの?じゃこれゴミじゃん」 「はー待て待てお前はせっかちなんだからよ。こういうのが高い値が付くって言われてんだよ。よくわかんねえけどよ」 対するは大型の鉄の塊……訂正、ロボットが箱がちな機械の身体を揺らす。どちらも現実的には気さくに話し合う姿を目にすることのないが、 それらはごく一般的な風景の一つでしかない―――無秩序な建築、文法、手つかずの青い空、ほったらかしの海。ごくありふれた、デジタルワールドに築かれたデジモン達の港市だった。 「ねえガードロモンのおっちゃん。こういうのってどこからやってくるの」 「どこも何もさっき言って……あぁいや、廃サーバーの滝壺ってのは元々人間の持ちモンだったんだ」 「見えるか?あの上にある奴がデジタルワールドに落っこちそうになって、んで山に引っかかった。そんで流れ出したデータが滝になってるって寸法よ」 錆ついた指が示す先、不自然に海岸線に近い山の天辺にそれがあった。真っ黒な直方体が斜めに山頂に突き刺さり、溢れた水が激流となって海に目掛けて流れ落ちている。 その直方体こそが人間が廃棄してデジタル世界を彷徨い、デジタルワールドへと落下したサーバーという、のだが。 「ニンゲンて何?」 「あー…そっからか。そうだよなー」 ガードロモンが頭を振る。確かに目の前の成長期のデジモン―――名をパルスモンという―――にとって、あまりにも昔の事だったから。 「つっても俺も詳しいことは知らねえ。だいーぶ昔、デジタルワールドがヤバいことになったら、人間て奴らがやってきてデジモンと一緒に世界を救ったんだとよ」 「デジタルワールドの危機……?そんなのあったの!?どんな奴らだったの!?どうやって解決したの!?」 一転して、パルスモンが瞳を輝かせてガードロモンに詰め寄ってきた。胸板に激突しそうだが、これ以上後退すると商品とぶつかりそうになった機械の身体が呻く。 「待て待て、待てったら。だから俺は細かいこと知らねぇんだって……他所にいきゃあもっと詳しいヤツいるかもな」 「そっか、あんがとおっちゃん!じゃあオレ行ってくるね!!」 そう叫ぶや否や、パルスモンは脱兎の如く飛び出していった。海と反対にある森の方角は、手つかずの自然と形容すべき鬱蒼とした木々で覆われている。 「ったく、ホントせっかちな野郎だ。一体聞きに行くアテなんてどこに……ん?」 「おっちゃん!!このゲームナントカっていくら!!?」 そして脱兎の如く忘れ物に戻ってきた。中量不明データ、1個6800bitなり。 「そんでな、そのテントモンがえろう活躍してデジタルワールドの危機を救ったってわけや。ウチらこの辺のカブテリモンは代々そのテントモンをレジェンドオブテントモン様いうて……」 「なんか合体?ジョグレス?とかやってたらしーよ。あ、俺はこれアーマーじゃなくて普通にライドラモンに進化しただけだから。ややこしい?ま、要するに人間がいると色々できたってわけなんだろーな」 「……人がデジタルワールドにやってきただけでなく、人間の世界をデジモンが訪れることもあった。もちろんモーマンタイ……なわけなくて、つまりはだ。人とデジモンのあるべき姿とは……」 「っっっっダメだ〜〜〜〜〜!!人間全然わかんねーっ!!」 「まー、なんだ。昔な上に実際に人間と会って話したヤツって殆どいねえからな……伝聞に伝聞重なって適当になっちまうんだわ……」 空は真っ暗な夜に落ち、再びガードロモンのジャンク屋の前に戻ってきたパルスモンが呻き散らすのを見て溜息を吐いた。元々この街並みにしたって、人間が作ったネットワーク上に流れる情報の、断片のそのまた断片を繋ぎ合わせたようなものだ。 元々の正解を知らない以上、どう組み合わせても元通りに復元することはできない。それは噂話も同じことが言える。というか適当言ってた奴らの最後のはなんだ、あのロップイヤーでしわがれた老人の声で話すのはナイだろ。 「にしても、なんだ。今日はまあ随分せっかちじゃねえか。いつもだけどよ。人間がそんな気になんのか?」 「だって、聞いたよ。人間と一緒に戦ったデジモンって進化したんだろ?おっちゃんらと違って、人と力を合わせて進化したって……オレ、人間に会ったら進化したいんだ!」 「ああ、まあそういう話らしいが……別に進化なんて、時間を待ってりゃいつかはなるもんだろ?俺ぁもう若い成長期だった頃のが羨ましいがね。一体、何故そんな生き急いでんだ?」 それはガードロモンも聞いたことがある話だった。人とのつながりがデジモンに急速な、あるいは特別な進化を齎したという昔話。けれど、元々進化というのはデジモン自身が行うもの。 何も急ぐことはない、パルスモンも時間が経てば否応なく何かしらの成熟期デジモンに育っていくはずだ。 だけど、 「でもオレ、もっと変わってみたいんだよ。なんだかわかんないけど、ずっと昨日と同じ繰り返しでいたくない。―――それに理由をつけなきゃいけないの?」 「……さぁな」 パルスモンの眼の光が、ぱちりと音を立てて閃いた。ガードロモンはその様をどこか懐かしそうに目を細めている。 ―――もしかしたら、人間は知ってるかもしれないな。その、じっとできない気持ちの名前を。 「もう閉店だ、またな」 夜空に浮かぶちっぽけな光は、そう出力された0と1の羅列でしかない。 何度も何度も繰り返してきた。本物の星がどんなに輝いていても、頭の上の光はそんなものじゃないって無為に落ち込んで。 なのに何度も、この夜空が良く見える丘の上にパルスモンは足を運んできた。 何もない虚空には、駆け出しようもないと諦められるから? いいや、それは半分、もう半分は。 「―――」 きっと見えると信じているから……今この瞬間まで、信じていたから。 光 光、光、光。黄金の炎を纏って光が空から落ちてくる。一つ、二つ、十より遥かに多く、ひょっとしたら百に届くほどに。 夜を幾重にも斬り裂く光条の弧、星を覆い隠す燐光の波が、高らかに天上を彩って、その果てが地平線の彼方に消えていった。 ―――そうだ、せっかくの流れ星だから。若いデジモンは両手を合わせて、その輝く眼を軽く閉じた。 きっと出会えますように。 目が覚めた時、そこには何もなかった。 月日を刻んだ教会の壁も陽光を分けるステンドグラスも。そこにあったのは、無限に吹き抜けた青い空と、暖かな太陽、柔らかな草の香り。 そして、 「いた!!」 ぱちりと、光が閃いた。