二次元裏@ふたば

画像ファイル名:1757069090623.jpg-(28440 B)
28440 B25/09/05(金)19:44:50No.1350249297そうだねx4 20:57頃消えます
 冷凍された牛の大腿骨に、ソワンは包丁を当ててつい、と引いた。
 大人の腕ほどある大きな骨がさくり、さくりと軽やかな音とともに拳大に切り分けられてゆく。戦闘任務にも持っていく愛用の方頭刀である。鉄虫の装甲すら切り裂く超硬ステンレススチール刃にかかれば、牛の骨など大根やにんじんと変わりはない。
 次に牛すね肉の塊。これも大雑把に切っておく。アキレス腱も何本か、これはそのままで構わない。
 ひな鳥を丸ごと開いたもの二羽。脂の多い皮は剥いてよく洗う。丸鶏は肉の隙間に小さな血の塊などが残っていることがよくある。スープが濁る原因になるので、注意深く取りのぞく。
 牛すね肉をもう一種類。これは仔牛のもので、あとで使うのでよけておく。
 にんじん、玉ねぎ、トマト、にんにくにセロリ。セージ、タイム、マジョラムとポロ葱。卵が一パックに黒胡椒、それから隠し味に干した椎茸を少々。
このスレは古いので、もうすぐ消えます。
125/09/05(金)19:45:17No.1350249489+
「全部よし、と」
 忘れたものはないか、もう一度確かめる。何しろこれからほぼ半日の間、厨房を出られないのだ。
 満足したソワンは大きな寸胴鍋に水を張り、骨とすね肉、アキレス腱と鶏ガラを入れてコンロに点火した。

 カラカス大統領府の厨房はさすがに立派で、数百人規模のパーティにも対応できる広さと設備を備えていた。しかしごく一部分を除いては長年手入れもされずに放置されており、オルカが大統領府を仮の本拠としてカラカスの統治を始めるにあたり、ソワンたち炊事班はまず掃除と修理から始めなくてはならなかった。
225/09/05(金)19:45:44No.1350249692+
 食材だけは大量にあったが、それは必ずしも喜ばしいこととは言えない。旧時代に産油国だったベネズエラは、せっかく肥沃な土地を有していながら石油以外の産業基盤をほとんど発展させなかった。レモネード評議会の支配下に入ってもその状況は変わらず、むしろ悪化した。専門のバイオロイドもまともな設備もない素人農場やプラントで作られた乏しい食料はベネズエラ全土からカラカスへ集約され、そのほとんどはカラカス市民の口には入らず大統領府が搾取した。しかしいかにレモネードベータが迂回コードとやらの維持に大量のカロリーを要するといっても、たった8体のバイオロイドが毎日数千人分もの食料を消費するわけもなく、納入された食料のほとんどは使われないまま無為に腐り、廃棄されていたようだ。
 カラカスの統治システムはそもそもが「市民を苦しめる」という歪みきった目的のために構築されたものだそうだから、理にかなっていると言えば言えるが、食材に対するあまりにも無惨な冒涜にソワンは怒りを抱かずにいられない。上陸班に入れてもらえていたら、クワトロとやらの腕一本や二本は切り落としてやったものを。
325/09/05(金)19:46:04No.1350249851+
 もっとも、レモネードベータとの会見の際の晩餐については、
「メニューは豪華でしたが……味は正直、あまり良くなかったですね」
 リリスからそんな話も聞いている。いずれにせよベータたちは食事の喜びには関心がなかったとみえる。

 鍋が沸騰してきたら中火に落とし、泡と一緒にふつふつと湧き上がってくる灰褐色のあくをすくっては捨てる。
 ふだんの厨房では助手の仕事で自分でやることはないが、あく取りは好きな作業だ。湯面から目を離さず、無心にエキュモワール(穴あきおたま)を動かしながら、ソワンはぼんやりと思考を遊ばせる。
 オルカは本当に豊かになった。ほんの数年前まで、牛肉も鶏肉も貴重品だった。司令官でさえ好きな時に食べられるわけではなく、ましてバイオロイドの口に入ることなど滅多になかった。使う時もまるごと一頭分が入ってきて、まず解体して各部位の使い道を考えるところから始めなくてはならなかったものだ。
 それが今や、すね肉が欲しければすね肉が、ひな鶏が欲しければひな鶏が、必要なだけすぐに手に入る。この南米を傘下に収めた今、オルカはますます豊かになっていくだろう。
425/09/05(金)19:46:22No.1350249960+
「……ふふ」
 鍋のふちに貼りついた細いあくの線をこそげながら、ソワンはふと笑った。旧時代、裕福な人間に仕えていたあの頃、食材が必要な時に必要なだけ手に入るなどというのは当然の前提で、それが豊かだとかありがたいとか感じたことはなかった。メニューとは美意識で組み立てるものであり、その日使える食材、使い切らねばならない食材が何であるかなどという俗事に束縛されるものでは断じてなかった。
 俗事に振り回される料理も、意外と創意が試されて楽しいものだ……と、当時の自分が知っていたら何かが変わっただろうか。ソワンは自問して、頭を振った。あの頃の自分にそんな楽しみを受け入れる度量はなかったし、何より主人がそんなことを許さなかっただろう。

 あくをおおむね取り終え、透明な湯の底で肉がコトコト動くだけになったら野菜を入れる。玉ねぎと干し椎茸は丸ごと、にんじんは一口大、セロリはざく切りに。およそ三時間の煮込みが終わった時、ちょうど煮崩れて味をすべて出し切るよう計算した大きさに切る。
525/09/05(金)19:46:43No.1350250090+
 にんにくは香りを出したいのでフライパンで少しだけ焼き焦がす。ついでに切り落とした玉ねぎの頭の部分も一緒に焦がしておく。これを入れるとスープがきれいなきつね色になる。
 最後に香草を細く切って糸で縛ったブーケガルニを放り込む。ここからは火の様子を見ながら、時々かき回して野菜のあくを取るだけでいい。ソワンはキッチンのすみからスツールを出してきて、読みかけだった食料備蓄リストを開いた。

 ソワンが来る前のオルカは、料理人の目から見れば悲惨そのものだった。たぶんあの頃、抵抗軍のバイオロイド達は鉄虫との戦いで疲れ果て、食に楽しみや美味を見出すという発想そのものを失っていたのだろう。自分たちだけならまだしも、人間である司令官にまで毎日ツナ缶だけの食事をさせて誰も疑問に思わなかったというのだから恐れ入る。司令官を美食で籠絡するのは、卵を割るより簡単だった。
 もっともそんなことをしたせいで大変な目にもあったのだが……今思えば恐ろしいことをしたものだ。
625/09/05(金)19:47:10No.1350250280+
 それよりさらに前、オルカにたどり着く以前のことはもうよく思い出せない。仕えていた主人がどんな人間だったのかさえ曖昧だ。大金持ちで美食家で、長年の飽食により生白く肥満した……要するに、ソワンの所有者として典型的なタイプの老人だったこと以外は。その主人が滅亡戦争で財産もろとも灰になった後は、鉄虫と戦ってその日その日を生き延びながらどこかに料理のできる場所、料理を食べてくれる人間が残ってはいないかとさまよい続けた。長さだけでいえばソワンの人生の大半をこの放浪時代が占めていることになるが、あまりに空虚だったその年月にはほとんど何の思い出もなく、密度としてはオルカでの数年間に遠く及ばない。
 そういえば近ごろオルカでは「旧時代」と言ったら人類が生きていた時代のことではなく、司令官とオルカが現れる以前までを指すことがあるそうだ。誰もが同じ気持ちなのかもしれないと、ソワンは柔らかく思った。
725/09/05(金)19:47:26No.1350250379+
 それにしてもやはり大統領府の食料備蓄は多すぎる。駐留しているスタッフの分を十分に確保しても、まだ相当量が余る。市民の栄養状態を考えれば早急に放出すべきだが、たとえば炊き出しをやるなら人手がいる。どこから引っ張ってくるか……リストに目を走らせてぼんやり思考を回しつつ、何度目かに寸胴鍋の中をさっと混ぜかえしてふと目を上げるともう三時間が過ぎていた。
 鍋の中身は半分ほどまで煮詰まり、野菜は計算通りクタクタに煮崩れて跡形もない。ソワンはパネルを置いて立ち上がり、ひとつ伸びをした。
 シノワ(円錐形の漉し器)に布をかぶせて二重にし、鍋の中身を流し込んで漉していく。こうしてできた褐色のスープ……ブイヨンは、さまざまなスープやソースの素材になるフランス料理の基本中の基本だ。このまま味付けして飲んでもそれなりに美味しいが、今回作りたいのはそんな単純な料理ではない。
825/09/05(金)19:47:49No.1350250564+
 熱々のブイヨンが入った鍋を、氷を張ったバットに置いて冷ましておく間に、一回目の煮込みで使わなかった仔牛のすね肉、にんじん、玉ねぎ、セロリ、トマトをすべてみじん切りにする。ソワンにかかればフードプロセッサーなど使うより包丁の方が早い。細かなミンチになった材料をボウルに入れ、卵白を加えて粘りが出るまでよく練る。これを鍋の底に置いて、人肌くらいまで冷ましたブイヨンを注き、火にかける。
 かき混ぜながら弱火でゆっくり温めるにつれ、よく練ったミンチがスープの中に拡散して、木べらが立つくらいドロッとした粥状の液体になる。それをさらにかき混ぜ続けると、ミンチに混ぜた卵白が熱で固まり上面に浮いてくる。この卵白がブイヨンの濁りを吸い取ってくれる。ブイヨンに肉を加えて再度スープを取ると同時に卵白で濁りを除く、「クラリフェ」と呼ばれる技法だ。
925/09/05(金)19:48:10No.1350250739+
 卵白が凝固を始めたら火をごく細くし、鍋の中央部だけが微笑む程度にクツクツ沸いている状態にする。その中央部だけを少しすくって周囲にかけ回す。それを繰り返していくと中央部の卵白とミンチの層にだけ穴が開き、澄んだスープがたまってくる。それをさらにすくっては、周囲にかけることを繰り返す。重要なのは中身をかき回さないことだ。卵白が崩れ、濁りが戻ってしまう。あくまでもスープだけを対流させ、濁りを吸い、味を出す。
 おっと、忘れるところだった。最初に煮込んだ肉と骨が入ったままの寸胴鍋に水を入れ、別のコンロで強火にかける。上等の肉だからまだまだスープが取れる。あとでまかないの材料にでも使おう。こちらはもう繊細さなどいらないので、ひたすら豪快にグラグラ煮立てる。

「……長。……料理長」

 二つの鍋を交互に見るのに集中していたソワンの背後から、遠慮がちに声がかけられた。振り向くと、ポルティーヤがバスケットを抱えてキッチンの入り口に立っていた。
「何かトラブルですか?」
「いえ、あの、お夜食でもどうかと思って」
1025/09/05(金)19:48:34No.1350250911+
「夜食?」時計を見ると、もう明け方が近かった。
 大統領府に滞在している人員は多くはないが、ポルティーヤと二人だけで全員分の食事を用意するのはそれなりに忙しい。夕食の後片付けと明日の仕込みが済めばもう夜更けで、そこから始めたのだから確かにそれくらいになる計算だ。そういえば小腹がすいていることに、ソワンはようやく気づいた。
 どこで作ってきたのか、ポルティーヤがバスケットから出したのは小ぶりのサンドイッチだった。鍋から目を離さず立ったまま片手で受け取り、一口かじる。イギリスの伝統的な軽食、きゅうりのサンドイッチだ。ポリポリと軽い歯応えが楽しい。
 食べている自分の横顔をポルティーヤがみょうに深刻な眼差しで見つめてくるので、ソワンは可笑しくなってしまった。きゅうりは透けて見えるほど薄く、水切りも十分。調理中の舌の邪魔をしないようマスタードもこしょうも使わず、代わりにマヨネーズが塗ってある。差し入れの、それもこんな出張先で食べる軽食としては申し分ない品だ。しかしあえて、客に出すならどうかという観点でソワンはもう一度味わってみる。
1125/09/05(金)19:48:51No.1350251052+
「……押しが少し長すぎたようですわ。きゅうりにマヨネーズが染みてしまっています。せっかく薄く切ったのですから、全体のバランスを考えて」
「……! ありがとうございます!」
 ポルティーヤがぱっと笑顔になる。ソワンは料理の品評をする時、調理の手順まで考えてその順番でコメントをつけるようにしている。最後の工程である「押し」を注意されたということは、そこまでは全部合格ということだ。
「私も一品作りましょうか。そこの棚にチーズがあったでしょう、出してくださいな」
 ソワンはグラグラ煮立っている二番出汁の鍋からひとすくい小鉢にとり、塩とこしょうで下味をつけた。先ほど卵白を使った時に余った卵黄と少量のチーズを加え、ハーブをちぎってもみ落としたのを、熱した小型フライパンにさっと流してくるりと丸めて皿に落とす。山吹色に輝くオムレツがあっという間にできあがった。
 一さじ口に入れたポルティーヤが目を丸くする。「卵黄だけのオムレツってこんなに味が濃いんですね……! ブイヨンの味と合わさって、シチューを食べてるみたい」
1225/09/05(金)19:49:24No.1350251265+
「卵にブイヨンを加えたオムレツは日本料理などにありますわ。フレンチではあまりしませんが、変化を付けるのにいいでしょう」ソワンも微笑んで一口食べた。悪くない出来だ。
「スープは、まだかかるんですか?」
 二口目を頬張ってもぐもぐ口を動かしながら、ポルティーヤが鍋をちらりとのぞき込む。
「もう少しですわね。朝のアミューズにはちょうど間に合うでしょう」
「……頑張ってください。もし大変でしたら、朝食は私のほうでな、なんとかしてみますので……!」
 明らかに不安そうな顔で請け合うポルティーヤが可笑しくて、ソワンはまた笑った。「この程度でダウンするようでは料理長は務まりませんわ。貴女こそ、朝まで少し寝ておいてください」

 ポルティーヤが帰ったあと、ソワンはふたたびスープに集中する。
 たしか少し前に、ポルティーヤモデルの解析が進んで昇級の目処が立った、というニュースがあった。正式にに副料理長に任命する前に、処置を受けてもらうことにしようか。集中した頭の片隅でソワンは考える。
1325/09/05(金)19:50:02No.1350251494+
 現在のオルカには、自分以外にも複数のソワンモデルがいる。これまでは各地の拠点で働いていたが、ヨーロッパを手に入れて以降外部拠点は縮小に向かっている。南米を手に入れた今、その傾向は加速するだろう。ソワンモデルも大半がヨーロッパに呼び集められ、何人かは中央官舎のスタッフとして働くことになるかもしれない。
 ソワンは同型機が新たに復元や合流するたび、必ず直接面談することにしている。どちらが料理人として上かわからせないと、ソワンモデルは絶対にこちらの言うことをきかないからだ。自分で言うのも何だが彼女たちはとにかく自尊心と猜疑心が強く、他人のやり方に合わせることを知らない。正面から反抗するのでなく、表向き従うような顔をしておいて裏でいろいろ画策するから厄介だ。
(オルカに来た頃の私も、あんな風だったのでしょうね……)
1425/09/05(金)19:50:23No.1350251599+
 面談のたび、ソワンは昔の恥を鏡で見せられるような気分になる。あの連中をまとめようと思ったら、ポルティーヤもSS級相当に昇級くらいはしていないと格負けするだろう。いや昇級しても厳しいかもしれないが、料理長の手間をはぶくのも副料理長の仕事のうちなのだから、そこは頑張ってもらうしかない。

 音と香りがほんのわずかに変わった。意識をもどして時計を見ると、クラリフェを始めてから三時間と少しが経過していた。
 さあ、仕上げだ。粒こしょうを数粒、包丁の柄でつぶして鍋に投げ入れ、ほんの一瞬だけ沸騰させて最後の臭み取りをする。鍋の中央、肉がよけられてスープだまりができたところにレードルを沈め、上澄みをすくい取る。雑味を残さないために漉し器は使わない。ひたすら慎重に、スープだけをすくい取って別の鍋に移す。
 最後の一滴まですくい終えたらごく弱火で保温しながら、スープに浮いた油を取り除く。一回り小ぶりなレードルを慎重にスープの面にすべらせ、最後は薄紙を一枚落として、わずかな油も残さず吸い取る。
「…………ふう」
 完成だ。小皿にとって味見をする。うん、いい味だ。
1525/09/05(金)19:50:40No.1350251686+
 透きとおった深い紅玉色のスープ。あれだけあった肉と野菜が片手鍋一杯程度にまで減ってしまったが、この一杯にはそれだけの価値がある。
 ソワンはスープをポットにうつし、温めた食器とともにバスケットに入れて厨房を出た。

 廊下には早朝のうす白い光が霧のように立ちこめていた。
 人の姿はないが、見えない所でメイドたちが立ち働いている気配がする。屋敷が目覚め、朝の身じろぎを始める時間だ。
 階段のところでハチコに出会った。夜勤の終わり際なのだろう、眠そうな顔をして鼻をひこひこ動かしている。
「ご主人様は、もう上に?」
 小声で聞くと、ハチコが少し悲しそうにうなずいた。
「シエテさんも?」もう一度、うなずく。
 階段を上って左へ折れると、突き当たりが大統領執務室……今は司令官の執務室だ。そっとノックしてドアを開ける。
「ソワンか……おはよう。早いね」
「おはようございます」
 司令官はすでに机についていた。すぐ後ろにレモネードアルファが控え、傍らのソファにはレモネードベータ・シエテがじっとうつむいている。
1625/09/05(金)19:51:05No.1350251896+
 司令官の顔色は悪い。ほとんど寝ていないに違いない。目を合わせたアルファが、形のいい眉のあいだに沈痛さをにじませて微かにうなずいた。

 一昨日、レモネードベータ・ウノが死んだ。
 ドクターや医療班も手を尽くしたものの、とうに限界を越えていた肉体と脳はどうしようもなかったという。安らかな死に顔だったそうだ。
 バイオロイドの死など、今の時代では珍しくもなんともない、ありふれた日常の出来事にすぎない。慣れていない者などいない。
 ただ一人、目の前のこの人を除いては。
 神がかった指揮能力を持つこの人は、戦いで味方を死なせたことがただの一度もない。ソワンの知る限り、司令官がバイオロイドの死に直面したのはこれまで三度。レモネードデルタは明確に敵だった。カゴシマのアザゼルは敵とは言いがたかったが、味方でもなかった。エヴァ・プロトタイプは敵か味方かわからない上、死んだはずなのにどうやってか何度も接触してきているらしい。
 だから彼にとっては、生まれて初めてなのだ。オルカに合流し、自分に従う「仲間」の死を看取るのは。
「朝食前の軽いアミューズをお持ちしました」
1725/09/05(金)19:51:28No.1350252073+
 執務机に手際よくカップを並べるソワンを司令官が何か言いたげに見て、すぐ目を伏せた。食欲はないが、断るのも悪い……そんなところだろう。
「すぐに召し上がれるものをと思いまして、ビーフコンソメスープですわ。熱いうちにどうぞ」
 熱いスープを注ぐとふわりと香りが立って、司令官の頬がわずかに動いた。差し出されたカップをとって、顔の前に持ってくる。
「いい匂いだ」
「ありがとうございます」アルファとシエテにも、それぞれカップを渡す。
 ひと口、カップを傾けた司令官の目が丸くなった。ごくり、と喉が動く。
「なんだこれ……!」
「ふわああああ……!」ほとんど同時に、シエテも感極まったように声を上げた。
「いかがですか?」
「肉の味がする……」呆然とつぶやいてから、いくらなんでも馬鹿みたいなことを言ったと思ったのだろう、司令官は顔を赤らめた。
「……肉の味しかしない。ものすごく美味い肉を液体にして飲んでるみたいだ」
「それがビーフコンソメスープですわ」ソワンは艶然と微笑む。
1825/09/05(金)19:51:51No.1350252222+
「で、でもでも」シエテがカップを抱えたまま腰を浮かせた。「いくら私でもコンソメスープくらい知ってます。粉のとか飲んだことがありますけど、これとは全然……」
「これが、ビーフコンソメスープです」ソワンはもう一度、念を押すように繰り返した。「コンソメとは『完璧』という意味ですわ」
「秘書をやっていてよかったと思うことの一つは」カップを半分ほど空にしたアルファがほう、と満足のため息をついた。「ソワンさんの渾身の料理を口にできる機会が増えることですね」
「あの、あの」シエテが遠慮がちに、「もう一杯、いただくわけには……」
「ええ、どうぞ」
 二杯目のスープが注がれたカップをシエテは両手でくるみ、大事そうに何度にも分けてちびちびとすすった。その頬はゆるみ、もう涙の跡は見えない。
「俺も……もらおうかな」
 差し出されたカップに、ソワンは頬をほころばせた。「もちろんですわ」
 極上の料理には人の心を操る力がある。かつて、ソワン自身が実証してみせたことだ。
1925/09/05(金)19:52:07No.1350252333+
 いくらか元気を取り戻した司令官と、まだカップを手に幸せそうに呆けているシエテをあとに、ソワンは執務室を出た。ドアを閉める間際、アルファがそっと目配せをして頭を下げた。
 廊下を歩きながら両腕を伸ばすと、肩のあたりの筋肉がみしみしと鳴る。久々に会心の仕事ができた気がする。
「……さて、と」
 まもなく朝食の準備の時間だ。どんな料理でも食べればなくなる。いい仕事をした証は自分と客の胸の中にのみ残り、料理人にはいつでも次の仕事が待っている。ソワンは自分の頬をひとつ、ぴしゃりと叩いた。急いでシャワーを浴びて、たしか地下のワインセラーにレミー・マルタンの悪くないのがあったから拝借しよう。
 一杯のブランデーを一晩の眠りの代わりにできないようでは、オルカの料理長は務まらない。

End
2025/09/05(金)19:53:04No.1350252746そうだねx6
思ったより長くなってレスを食ってしまいましたごめん
まとめ
fu5538936.txt
ベータが太るほど食いしん坊になったのにはこんなきっかけがあったらいいな…と思って書いた
2125/09/05(金)19:53:29No.1350252929そうだねx2
思わず喉が鳴る描写流石だ
2225/09/05(金)20:03:06No.1350256981+
ガチのコンソメスープってどれくらい旨いんだろう…
2325/09/05(金)20:08:44No.1350259259+
昔お高いステーキ屋で飲んだコンソメスープは
本当に肉の味しかしなくてうおおおおってなった
2425/09/05(金)20:09:10No.1350259446+
俺も飲んでみたいが時間も予算もありゃしねぇ…
2525/09/05(金)20:13:22No.1350261237+
相変わらず描写がうまくて羨ましい…
2625/09/05(金)20:13:58No.1350261455そうだねx2
良い食材があっても適切な保存管理と良い調理に落ち着いて食える場所そして良い精神状態での食事が揃わないと美味くないよね…
2725/09/05(金)20:16:29No.1350262358+
>俺も飲んでみたいが時間も予算もありゃしねぇ…
自分で作れば材料費とガス代だけやぞ
2825/09/05(金)20:22:27No.1350264652+
>>俺も飲んでみたいが時間も予算もありゃしねぇ…
>自分で作れば材料費とガス代だけやぞ
じ か ん !
飯にしましょうでの調理工程見ても気が狂ってるとしか思えねえくらいはちゃめちゃに時間かけてる……
2925/09/05(金)20:25:00No.1350265659そうだねx1
ソワン好き
お嫁さんになってほしい
3025/09/05(金)20:32:42No.1350268843そうだねx1
ポルティーヤが副料理長になってヒラソワンに指示出すとか
ポルティーヤの胃が死なない?
3125/09/05(金)20:43:01No.1350273179そうだねx1
料理といえばだいぶ前のノームのやつも良かった…
食べてみたいともっと食えが同時に来る…心が2つある…
3225/09/05(金)20:48:08No.1350275254+
>飯にしましょうでの調理工程見ても気が狂ってるとしか思えねえくらいはちゃめちゃに時間かけてる……
ある動画だと半日掛けてスープ作ってたな…
3325/09/05(金)20:49:21No.1350275857+
>料理といえばだいぶ前のノームのやつも良かった…
>食べてみたいともっと食えが同時に来る…心が2つある…
牛一頭丸々食うのすげぇ美味そうだったよな
3425/09/05(金)20:49:44No.1350276029+
リアルタイムで見れてラッキー


fu5538936.txt 1757069090623.jpg