【これまでのあらすじ】 ストリート・オイランを兼業とし情報屋を営む女ニンジャ・アイデアル。マケグミめいた人生を抜け出すため、情報屋としての一本立ちを目指しながらも、安い 下請け仕事とオイラン業やツツモタセで日銭を稼ぐ出口のない堂々巡りの日々に彼女は鬱屈していた。 ビッグ・ディールを求めて今日も街を駆けまわるも収穫は無し、行きつけのバーで嘆息するアイデアルは不穏な情報を耳にする。彼女が根城としているウグイス 地区で立て続けに巻き起こる、ストリート・オイランを標的にした切り裂きジャックめいた惨たらしい連続猟奇ツジギリ事件。 犠牲になったオイランはいずれもアイデアルに近い外見的特徴の持ち主だった。サラリマンにアウトロー、ヤクザにニンジャ……自身を怨む者の無数の心当たり 。そしてツジギリの特徴は一時の交流から諍い、そして手酷く手籠めにして別れた女ニンジャ・スイセンと符合し、アイデアルの背筋は冷えた。 その直後、周囲を警戒しながら家路を歩くアイデアルを背後から追跡する者……スイセンが現れた。恐慌し必死に逃げ回ったアイデアルの前に、別のニンジャが 立ち塞がった。狂気を宿した返り血塗れの赤い女ニンジャ・カーディナル、それこそがアイデアルを目当てに次々とオイランを惨殺したツジギリであった! カーディナルはアイデアルにツツモタセの客から奪った「手帳」を差し出すよう問答無用に詰め寄りながら、凄惨なインタビューに血濡れのカタナを振り上げる。 無残に斬りつけられる寸前、それを庇ったのはスイセンのインターラプトだった。 【ウグイス地区 トエ・ラインの跨線橋:スイセン、アイデアル、カーディナル】 「ドーモ、スイセン=サン。カーディナルです」カーディナルはオジギを返すと、血濡れのカタナの切っ先でアイデアルを指し示した。「貴様もこのオイラン崩れが 目当てだと?こちらが先だ。用が済んだら首か手足ぐらいはくれてやる」「アイエエ……」鼻先に迫った澱んだ赤褐色と酸鼻な臭気にアイデアルは慄いた。 「イヤーッ!」スイセンは返答の代わりに跳躍し、カーディナルの首筋めがけカタナめいた右チョップを突き出す!「イヤーッ!」同時に回転ジャンプで宙に躍り出た カーディナル!ワン・インチ距離ですれ違った両者は立ち位置を入れ替えるように着地、シシオドシめいた一瞬の静寂を破りカーディナルは鼻で笑った。「弱敵」 「……ンアーッ!」思い出したかのようにスイセンのレインコートの右袖が裂け、血が噴き出す!斬られた事に数瞬身体が気付かぬような、撫でる如きイアイだった。 「組織か傭兵の類か検めようと思ったがただの野良ニンジャか。ならいい、死ね」小手調べのつもりでなければ更に深手を負っていた筈だ、スイセンは歯噛みした。 「く……」今の交錯で感じたカーディナルのワザマエ、自身の長きブランク。忘れていた筈のニンジャとしての、己のカラテに滾る怒りと煩悶がざわめいていた。 「あンた、どうして」アイデアルは茫然と呟く。カーディナルから庇うように立つスイセンの背中、袖の裂けた構えた右腕からは足元の水溜まりに血が滴っている。 「行って」スイセンはカラテ警戒を解かずに肩越しに言った。「早くして!!」「アイエッ!?」激しい怒声に弾けるようにアイデアルは駆けだした。「逃がすか! イヤーッ!」「イヤーッ!」間髪入れず突撃するカーディナルにスイセンは負傷した右腕を宙に振り抜き、目潰しめいてその顔めがけ己の血を浴びせかける! 「ヌゥッ!」ニンジャ第六感がざわめき、カーディナルは咄嗟に顔面をガード!新旧大小の無数の返り血の滲むコートの二の腕に新たな染みが加わった、その瞬間。 「グワーッ!?経皮毒!」血の降りかかった箇所がブスブスと有毒の煙を上げる!網膜を苛み、浸透した皮膚への焼けるような感覚にカーディナルは苦悶した。 スイセンが先の斬撃を受けたのはウカツではなくこのための布石だ。かつてのベーシック・メソッド、だがもはや一撃で終わらせない。死ぬまで打ち込み毒に沈める。 「おのれドク使いか!」「イヤーッ!」腕を抑え急停止したカーディナルの頸動脈めがけ、チドクを纏ったチョップが襲い掛かる!「ムテキ!」「ンアーッ!?」 全身に波打つ赤い発光を纏い、瞬間的に硬化したカーディナルの首筋がチョップを弾き返す!降りかかる毒の血も体表を侵す前に蒸発し消失する。「イヤーッ!」 「ンアーッ!」硬化を解除し、カタナの柄頭でスイセンの鳩尾を強打!タタミ3枚分の距離を弾き飛ばされるも、スイセンは空中ウケミしかろうじて回転着地。 カーディナルは辟易した顔でカタナを納め、素手のカラテに切り替える。「血まで腐っているとは、街も街なら巣くうニンジャも卑しき下賤か。汚らわしい!社会秩序 を乱す不穏分子め!私が浄化してくれる!」「訳の分からない事を!イヤーッ!」スイセンは再びチドクを振り撒き、カーディナルのワン・インチ距離に迫る! カーディナルはピーカブー・スタイルめいた構えで顔面と首筋をガードし、チドクの飛沫はブレーサーと織り交ぜた瞬間的なムテキ・アティチュードで防ぐ。スイセン は弾かれるのも構わず、叩きつけるように一心不乱に打ち込み続ける。鉄塊を殴るような感覚に更に右手は傷つき悲鳴を上げるが問題はない、とうに価値を失った手だ。 「アイエエ……!」アイデアルは対岸までたどり着き振り向くと、両者のカラテ応報に慄いた。自分と同等かそれ以下と踏んでいた筈のスイセンの激しいカラテは、 狂った赤い女ニンジャに食らいついていた。スイセンがその気になれば、自分を叩き伏せ殺す事も容易かった事に今更の恐怖を覚える。しかし。 「イヤーッ!」「イヤーッ!」「イヤーッ!」「イヤーッ」「イヤーッ!」「ンアーッ!」スイセンのドクの右手の機先を潰すように短打が次々打ち込まれ、均衡 は崩れていく。当初はヤバレカバレじみた捨て身の攻めと強力なドクへの警戒に守りの後手に回っていたが、カーディナルは次第にイクサを掌握しつつあった。 新たな出血によるチドクのフーリンカザンを避けるため、重さの代わり早さを重点した短打を胸部、腹部狙いでカーディナルは防御の合間に着実に打ち込み続けた。 手数で蓄積したダメージにより攻め手が削がれた僅かな隙から一気にこじ開け畳みかけ、攻守は逆転。このままではスイセンがジリー・プアー(徐々に不利)だ。 アイデアルが足を止める僅か数秒間でイクサは一気に傾いた。気力だけでは埋めがたいカラテの差が浮き彫りになった形である、長くは保つまい。スイセンと目が 合う。「そのまま行け」と言わんばかりに大通りを目線で示し、苦悶を浮かべカラテを継続する。(なにしてンのよ)恐怖と困惑の中アイデアルは立ちすくんだ。 ――逃げねば。あの狂ったニンジャから逃げ切れるのか?せっかくの時間稼ぎだ。あとどれだけ保つ?行きずりの安マイコがどうなろうと知った事か。なぜ自分を 助ける?早く動け。何を迷っている?――プアアアアアアン!ニューロンに反響する無数の声をかき消す、トエ・ラインの警笛。震える足元に電車の振動。 アイデアルは咄嗟に何かを閃き、懐を探る。(……クソが!)己に言い聞かせるように頭の中で叫ぶ。(あンたがやられたら次はすぐアタシの番じゃないの!) 「おい!」張り上げた声に水を差され、カーディナルとスイセンのカラテ応報が止まり、視線が集う。「こんな薄汚いモン!欲しけりゃくれてやる!」 アイデアルは懐から黒革製の長方形の物体を取り出し、見せつけるように掲げた。「なんだと!?」カーディナルは目を剥き驚愕した。「イヤーッ!」即座に投擲 されたそれは橋の下を通過する長い電車の屋根にぽとりと落下。そのまま轟音と共にトンネルの迷宮めいた地下鉄網に潜っていった。「貴様ァーーーーッ!?」 「ンアーッ!」激昂したカーディナルはスイセンを突き飛ばすと、オニめいた形相でカタナを抜きアイデアルに突撃!「アイエエエエエッ!」「ッ……イヤーッ!」 だが遠ざかる電車の音にすんでの所で踏み留まり、凄まじい殺意の一瞥を残してカーディナルは線路に飛び降り、色付きの風めいてトンネル内へ駆けて行った。 ……辺りに静寂が戻った。「…………」目を点にして震えながら、緊張の糸が切れたように水溜りの上にアイデアルは力なくへたり込んだ。大通りから漏れ出る 猥雑な広告音声と喧騒、重金属酸性雨の雨音が遅れて耳に響き渡る。やがて裂けたレインコートの袖で右腕を止血処置しながら、スイセンが歩み寄った。 チドクは既に消失している。胸部と腹部にも鈍痛が残るが、右腕ともにスシと適切なメディテーションを取れば問題なく回復する域だ。「その……大丈夫?」 おずおずと声をかけるスイセンにアイデアルは俯いたままだ。「……ダイジョブじゃない」雨音に混じる別の小さな水音に、スイセンは気付かないフリをした。 ◆◆◆