西暦2063年。20年前に出現したポータルから出現した多数の人外の影響で、世界は未だ混乱していた。
埼玉県を中心に自警活動を行うサイボーグ、サムライ・アルダと、その相棒ホロウ。
地上最強の波動能力者の一人、No.04。
記憶の神格を保有する神格能力者、東雲佳直。
殉教者の魂を宿す鉄槌を携えた修道女、メリー。
地獄への門を内蔵した少女人形、エリス。
様々な兵器を操る魔法少女、シルビア・アンブラー。
文明保護財団によってポータルを排除する作戦のために集められた彼らはそれぞれ協力し、ポータルを異世界・キョウカイへと転移させた。
しかしその裏には財団会長、マシーフ・ダッジャールの陰謀が隠されていた。
彼は未来予知の邪魔となるポータルを地球上から排除し、アルダと佳直の持つ未来予知を阻害する性質を改変しようと試みた。
その企みに気づいた彼らは再び協力して、ダッジャールの中に潜んでいた未来予知の悪魔を倒し、彼の野望を挫いたのだった。
一方キョウカイでは、魔王討伐以来、一見平穏な時代が続いているかに思われた。
勇者を目指す冒険者、ミリア・ビヨンド。
心優しきエルフ、フィーネ。
シスター見習い、ミナ・グルンシュリフト。
吸血鬼の呪いによって不老となった魔術師、シリル・グレイ。
半人半魔の暗殺者、ヨーコ・ワットエヴァー。
霊剣の意思を受け継ぐ剣士、グリュク・カダン。
フィーネ、ミナと共にパーティーを結成するミリア、聖堂騎士団から何者かが過去改変を行っている可能性について捜査を命じられたシリル、彼に雇われたヨーコ、グリュク。
しかし同時、キョウカイ上空に地球から転移してきたポータルが出現する。
それは千年に渡ってキョウカイの過去を改変してきた聖女、リカーシャ・カインの仕向けたことだった。
特異点であり過去改変の障害となるミリアを抹殺するため、リカーシャが繰り出す多数の刺客。
ミリアたちは協力してこれらを打ち破り、リカーシャの懐に飛び込み、彼女の野望を挫いた――はずだった。
しかし、彼女には娘がいた。
地球のマシーフ・ダッジャールとの間に生まれた、過去を操り、未来を見通す力を持ったハイブリッドだ。
彼女はナハヴェルトと名乗り、それまで地球、キョウカイ、神世を隔てていた宇宙を消滅させてしまう。
地球、キョウカイ、神世が再び同じ世界に戻り、このままでは神世の神々が地球とキョウカイに攻め寄せてくるだろう。
地球とキョウカイの間で待つというナハヴェルトの元に向かって、地球からはアルダたちが、キョウカイからはミリアたちが飛び立った。
未来を見通し、過去を操り、現在をほしいままに導こうとする彼女を、彼らは止めることができるだろうか?
八両編成の電車を思わせる物体が、白い虚空を疾走していた。
正確には、電車らしきものはその進路前方から出現し、後方へと消えるレールの上を走っている。
その奇妙な天翔ける電車は、名を血管鉄道といった。
修道者・瑜伽いのりの所有する祀霊具であり、物質をすり抜けて空中を走行することができる。
その上シャシーに向かって1G相当の引力が発生しており、内部ではキョウカイの通常地域と同様の感覚で歩くことができた。
運転席から後部車両へと、いのりの車内放送が響く。
『血管鉄道はただいま、キョウカイ上空高度1万kmを通過いたしました。目的地までおよそ46時間で到着の予定です』
現在、祀霊具・血管鉄道は、いのりと彼女の指揮する乗員たちによって運行され、地球とキョウカイの中間空間に位置するとされる敵の拠点へと向かっていた。
敵の名は、ナハヴェルト。未来を予知し、過去すら改変する能力を持つという少女だ。
それに立ち向かうのは、客車の中にいるミリア、フィーネ、ミナ、シリル、ヨーコ、グリュク。
そして最後尾の車両に牽引されている大きな方舟、ルセルナだった。
彼らに、いのりが放送を続けた。
『ここで、空閑くんから皆さまへ通信が入っております。繋ぎますので、お聞きください』
すると放送で聞こえてくる声が切り替わり、威勢の良い少年のそれが聞こえてくる。
『さて……出発後になっちまって悪いが、実は言ってなかったことがある』
「何かな」
シリルが尋ねると、少年――空閑勇魚が回線の向こうで答える。
『ナハヴェルトの拠点に向かってるのは、お前らだけじゃねぇ。
地球側からも発進したやつらがいる』
「それって、その人たちと協力して戦えってことかい?」
『まぁ状況次第だが……どの道向こうに着いたら出くわすことになるだろうからな。
仲間ってわけじゃねぇが、共通の敵がいるのに潰し合うのもバカバカしい。
概要だけ送っとくから、車内ディスプレイに目を通しとけ』
その言葉の直後、スピーカーからぶっつりと音が鳴った。
勇魚が回線を切ったらしい。
その代わりなのか、車両の扉の上部に設けられた横長のディスプレイに変化があった。
あまり大きくはないが、扉の数だけ設置されていたため、全員が見るのに支障はない。
先ほどまでは「ナハヴェルト本拠地」と行き先を表示していたが、今は何らかの人物のバストアップを表示していた。
バストアップの横には全身を表す像と、簡単な解説が添えられている。
表示は一定時間で切り替わり、七人分――概要によれば人間ではないものも含まれていたが――が終わると最初に戻ってループした。
一通り把握したのか、ミリアが口にする。
「ふーん……いろんな人がいるね」
「うまくやれますかね……なんかけんかっ早い人もいるみたいだけど」
案ずるミナに、フィーネが言葉をかけた。
「きっと大丈夫よ。向こうの世界のために戦おうっていう人たちだもの、協力できるはず」
「まぁ、ナハヴェルトの根拠地で彼らに会っても、敵対する必要はないってことだね。
敵の変身や幻影とかでなければだけど」
懸念材料について補足したのは、シリルだ。
そこに、ヨーコが呟くように口にする。
「懐柔されて敵になるなんてことは有り得るんですかね」
「ナハヴェルトはポータルの向こうから自在に異世界の住民を召喚して、使役するような相手だ。
俺たちもそうされない保証はないけどね」
(そうできるならば、先刻あの場でそうしていた筈)
グリュクがそれに応じると、ミリアの腰に下がったミルフィストラッセが鞘の中から声を発した。
(しかし実際には、そうはならなかった。何らかの理由があって、吾人らを操ることは出来なかったと考えてよいのではないか)
相棒の意見に、グリュクが反論する。
「拠点でなら簡単にできるようになるとか? それで俺たちを誘っているんじゃないのか?」
(いずれにせよ向わねばなるまい。こうしている間に、奴の通史的な両世界の支配が完成することもあり得る。
それを座して待つことはできぬ)
「うん!」
霊剣の言葉に、仮の主となっているミリアが頷く。
「ナハヴェルトちゃんを止められるのは、ボクらと、チキューから向かってる人たちだけってことだからね!」
血管鉄道は彼女たちを乗せて、白い宇宙を疾走し続けた。
一方で、地球から発射された文明保護財団のロケットも、地球の衛星軌道を高度を上げて周回しつつ、ナハヴェルトの拠点に近づきつつあった。
内部では、ダッジャールによる遠隔の追加レクチャーが行われていた。
『先に告げたが、地球とキョウカイとの中間に当たる空間に、巨大な質量集積が生じている。
また電波観測によれば、ポータルもそこに所在している可能性が高い』
「ポータルもか?」
アルダが思わず口にすると、モニターの中のダッジャールが答える。
『そうだ。我々はゲートを発生させてキョウカイに送り込むことしか出来なかったが、私とリカーシャの娘はあちらで、ポータルを操るほどの力を得たらしい。
集積されている質量は恐らく、ポータルを用いて異世界から召喚された様々な資材や建築物であろうと推測されている』
「何だ、ポータルから出てくる物体や生物はランダムって話じゃなかったか? そんな都合よくドバドバモノが出てくんのかよ」
04が、脚を組みながら疑問を発した。
やはりダッジャールは答えて、
『向こうの協力者が入手した情報によれば、彼女はナハヴェルトと名乗っており、祖霊板と呼ばれる強力な十二枚の霊具でポータルを自在に操ることができるようだ。
何をいつ呼ぶか、彼女が決めているのだろう……
また、我々地球側とキョウカイ側とで緊急協議を行った結果、地球-キョウカイ間に発生した質量の集積点を、《堆積点》と呼ぶことになった」
「名前とかどうでもよくない?」
ぼやくエリスだが、ダッジャールは変わらず答える。
『向こうが名乗っているわけではないから、こちらが呼び分けるための固有名詞は必要だ。
それに対する君たち突入部隊にも、暫定ではあるが名称を充てた。
ゼノリスという』
それを聞き、内蔵した量子ライブラリで意味を検索したアルダが呟いた。
「火成岩の中に入り込んで固まった、《異種の岩石》か」
『コングロメレートに向かって入り込む者――という意味だ。
これから宇宙復旧作戦が終了するまでは、君たちはゼノリスと呼ばれる。
今から表示する、キョウカイ側から向かっている面々も含めてだ』
すると、モニターに6人分の顔写真が映し出された。
正確には写真と呼ぶにはやや絵画めいていたが、恐らくキョウカイ側の技術で撮影された像なのだろう。
ダッジャールによる簡単な紹介を交え、顔写真が切り替わっていく。
それが終わるとキョウカイ側の面々6人分の顔の画像が縮小され、画面の端に寄せられた。
『以上だ。つまり君たちはコングロメレートで彼らと遭遇しても、交戦する必要はない。
むしろ可能な限り協調して、敵を――ナハヴェルトを撃滅して欲しい』
レクチャーを受けるアルダたちには知る由もないが、ダッジャールがナハヴェルトの名を知っているのは勇魚を通じてのことだ。
『これで私からの連絡は、予定していた分を完了した。ゼノリス諸君の健闘を祈る。
そして願わくば、勝利と生還を』
彼がそう告げると通信は終了し、ロケットに設置されているカメラの映像に切り替わった。
そこには、茫洋とした白い空間が写っている。
そして遠くに地球に似た姿のキョウカイと、紫がかった色をしたコングロメレートが見える。
シートベルトで座席に固定されたまま、アルダが疑問を発した。
「魔法か……シルビアの扱うものと同じだろうか?」
紹介されたキョウカイの面々には、魔法や魔術といった技を扱うとされる者が多かった。
アルダに応えて、名を呼ばれたシルビアが答える。
「私の装備する魔法少女コアのエナジーソースは、人造神格と呼ばれています。
ボレアスからもたらされた技術を元に、カナオさんの持つような神格能力を参考にして生まれたのが、ユーロ・ボレアス同盟発祥の魔法少女体系ですが……
実際のところ、運用としては元来地球文明で育まれた工業的軍事技術の延長線上にあります。
キョウカイのそれと似ている可能性は低いでしょうね。
私はどちらかといえば、メリーさんのエウラリアやエリスさんの炎に近いだろうと感じました」
その感想を受けて、隣の座席に固定されていたメリーとエリスが、それぞれ反応した。
「まぁ、メイス持ってる人はいたけど……」
「足を引っ張らないなら誰でもいいわぁ、私の炎は別に魔法とかそういうのじゃないけど」
一方で、座席からじっと動かず考え事をしているらしきは、少年たちだ。
(つーか……向こうは女所帯ってカンジだな……こっちも女は少なくねぇが)
No.04は声の聞こえる方に意識を向けつつも、そうしたことを考えていた。
佳直はその隣で目を腕で覆い隠し、冷静さを取り戻すよう努めていた。
(十二枚の祖霊板と、それを使った儀式をする敵……そんな相手に、僕たちは勝てるんだろうか……?)
祖霊板は強力な霊具だ。
神格能力が発現するほどの希少な人材が、命と引き換えに遺すもの。
その上、死ねば必ず遺せるというものでもなく、失敗する事例も多いと聞いている。
それが、十二枚。つまりその所有者は十二階梯という、未曾有の規模・強度の儀式を行使できるということだ。
その気になれば、地球やキョウカイを粉々にしてしまうことさえできるだろう。
敵とするには、あまりに巨大ではないか?
正直に言えば、佳直は不安だった。
「オイ」
「な、なに、04くん……?」
「怨念が駄々洩れになってんぞ。何があったか知らねえが、バトルの前に雑念で目ェ曇らせてんじゃねえ」
「あ……そういうの見えるんだっけ、ごめん……」
意識の焦点がずれて、佳直は少々救われるような気持ちと共に、04に陳謝した。
04がヘアバンドを深く被り直して視線を閉ざすと、人工音声がアナウンスを行った。
『まもなく本船はコングロメレートへの着陸シーケンスに入ります。
乗員は衝撃に備えてください』
「だとよ」
04が鼻を鳴らして腕を組む。
佳直が頷こうとすると、急に彼らを、漆黒の暗闇が包み込んだ。
不意に襲い来た暗闇と落下感。
我に返ると、フィーネは自分が草木に囲まれていることに気づいた。
「ここは……?」
少なくとも、先ほどまで彼女がいた血管鉄道の車内ではない。
重力に抗って立ち上がると、そこが鬱蒼とした森らしいことが分かる。
ただ、故郷の森とは趣が違った。
暗いというだけでなく、生い茂る草木の全てが黒々としている。
そしてそこからは心身を蝕む有害な気体――即ち瘴気が立ち上っていた。
(すぐにここから離れないと……)
吸い続ければ健康を損なう以上の害があると、彼女は直感した。
マントの端で口元を覆い、フィーネは辺りを見回す。
どこか安全な、瘴気のない場所に繋がりそうな手掛かりはないか?
方位も分からない状態で闇雲に動くのも危険だが、ここは賭けに出るほかあるまい。
そう考えて歩き始めた彼女の背後から、何かが飛びかかった。
「っ!?」
押し倒されたフィーネが後ろを振り向くと、背中に取り付いた大きく醜怪な虫らしき生物が、顎を横に開くのが見える。
「――!!」
思わず目を閉じてしまうが、彼女が顔面を食い破られる直前、助けが訪れた。
「きゃっ!?」
浮遊感と共に彼女の身体はふわりと空中に持ち上げられ、組み付いていた巨大な虫の頭部が爆裂する。
飛散した体液の臭いに吐き気を覚えつつ視線を上げると、薄暗い空を背景に飛ぶ木造船の巨体が目に入った。
「ルセルナさん!」
(遅くなってすまない)
意思を持つ空飛ぶ船が、空中からアームを伸ばして彼女を持ち上げ、虫を排除したのだ。
フィーネはルセルナのアームによって甲板に引き上げられつつ、感謝を述べる。
「ありがとうルセルナさん……! 他のみんなは?」
(不明だ。血管鉄道全体が、突如として黒い空間に飲み込まれたところまでは覚えているが……む!)
「ひゃ!」
ルセルナの船体ががくりと揺れて、フィーネは思わずバランスを崩す。
「これは……!」
見れば、ルセルナの船体に漆黒の蔦のようなものが幾重にも絡みついていた。
(逃がさん……!)
フィーネの脳に直接、呪詛めいた言葉が響く。聞こえ方は似ているが、ルセルナの声ではない。
ルセルナがアームを伸ばし、彼女に方角を指し示した。
(あれだ)
「あの黒い木が……?」
そこには、樹皮も枝葉もどす黒い巨木が屹立していた。
高さにして数百メートルはあるだろうか? 黒いことを除けば、印象としては伝承の世界樹さえ思わせる。
(この樹海の主なのだろう。動植物を操り、我々に怨念を向けている……逃がす気はないようだ)
「っ、土の! 剣よ!」
フィーネが呪文を唱えると、ルセルナの船体――木造船のような外見だが、土で出来ている――から、無数の土の刃が飛び出し、黒い蔦を断ち切った。
(助かった)
「ひとまず逃げましょう!」
(いや……難しそうだ)
ルセルナはフィーネの意見を否定すると、アームを振り回した。
森から上昇してきた黒い大型の虫や鳥を、それで追い払っているのだ。
「私たちだけで応戦は厳しそう、逃げるべきじゃないかしら?」
(君の強化の魔法がある。それを私に掛けて、君はしっかり掴まっていて欲しい)
「わかったわ……強き、腕よ!」
(助かる、フィーネ)
そう言うとルセルナは旋回させていた船体を、樹海中心の巨木に向けた。
そして加速が始まると同時、甲板のフィーネは違和感に気づく。
甲板が、どんどんと広がっているのだ。
縁の手すりも、高さを増している。
(え……ルセルナさんが大きくなってる……? それとも私が小さく……?)
真相は、前者だった。
異世界の空飛ぶ帆船は、今や元の十倍以上の大きさとなり、漆黒の巨木に向かって突進している。
巨大化した索具の端にしがみつきながら、フィーネが不安を口にする。
「えっ、えっ!? もしかして体当たり!?」
(近いが、そうではない!)
突進するルセルナはその船体を上昇させ、漆黒の巨木の上空へ――そして船首を下に向けて急降下をかける。
「いやぁあああああ、落ちるぅうううううっ!?」
悲鳴を上げるフィーネ、船体前部を顎のように開くルセルナ。
ルセルナはそのまま直上からかぶりつくように落下し、漆黒の巨木を船体の内部に深々と飲み込む。
落着の衝撃で放り出されていたフィーネは、ルセルナの伸ばしたアームによってキャッチされていた。
「ル、ルセルナさん……?」
(迷惑をかけた。今からこの巨木に宿る瘴気を、取り除く……!)
ルセルナはそう告げると、巨木を咥えこむために展開した船体を天へと後退させる。
轟音が響き、巨木の根元がわずかに浮く。
するとルセルナは再び船体を開き、巨木をより深く呑み込んでいく。
蛇が獲物をそうするかのように、巨船が巨木を、枝先から根まで完全に飲み込んでいく。
アームに捕まれて浮いた状態のフィーネにも――甲板に下ろすと危険があるのだろう――、アームを通して激しい振動が伝わってきた。
そして、漆黒の巨木を完全に飲み込んだルセルナは空中へと浮かび上がり、巨木を完全に引き抜いてしまった。
巨船が水平を回復すると、その船体の隙間から黒い気体が猛烈な勢いで噴き出し始める。
(これは……あの巨木から出ていた瘴気……?)
ルセルナか、ルセルナを構成する土のどちらかに、瘴気を吸い出し排出する能力があったのだろう。
巨木という主を失ったためか、樹海からは追撃の蔦が伸びてくることも、鳥や虫が襲ってくることもなくなっていた。
数分も経つと噴出していた気体の勢いが弱まり、ついには途絶える。
ルセルナが沈黙を破り、フィーネに伝えてきた。
(“彼”はどうやら、異世界の世界樹の若木のようだ)
「世界樹の若木……?」
(この世界に呼び出されて、瘴気を取り込まされた……と、伝令係の小動物が言っている)
「あなたのようにあのポータルから召喚されて、使役されていたのね……」
(ナハヴェルト、恐ろしい敵だが……味方も増えた)
「……味方って、チキュウからの人たちよね?」
(それ以外にも、だ)
すると、ルセルナの甲板中央のグレーチングを轟音と共に押しのけて、青々とした樹木が凄まじい勢いで伸びてきた。
「!?」
それはルセルナのマストほどの高さまで伸びたかと思うと、今度は幹からフィーネに向かって枝を伸ばしてくる。
めきめきと音を立てて延びた枝は、驚くフィーネの目の前で成長を停止し、変形した。
そうして静かに垂れ下がったそれを見ると、植物の一部でありながら人工物を思わせる形状をしている。
「これは……杖?」
(世界樹の若木の枝。君に使って欲しいそうだ)
(すごい魔力……)
フィーネは気後れを感じつつも、それを受け取ることにした。
この状況では、足手まといにならないために少しでも強い力が必要だ。
「なら、ありがたく使わせてもらうわ」
フィーネは枝を握り、腕に力を込める。
ぷちりと繊維の切れる音がすると同時、彼女は流れ込んでくる膨大な魔力に震えた。
そして横――ルセルナの左舷の側へと向き直り、そこから離れた虚空に凝集しつつあった漆黒の塊を睨む。
黒い気体のようなものが渦を巻き、巨大な竜巻のようにゆっくりとうねっている。
「あれが、世界樹さんを蝕んで漆黒の樹海を作っていた瘴気……!」
(霊ですらなく、怨念や敵意といったものの積み重なったもの……どうする、フィーネ?)
「今なら……できる気がする!」
フィーネは自前の杖と世界樹の若木の枝とを、自らの豊満な胸の前で交差させた。
一方瘴気の塊は虚空を猛烈な速度で突進し、ルセルナを飲み込もうとしている。
「ルセルナさん、世界樹さん――」
フィーネは念じ、口にした。
「――二人の力、お借りします!」
すると彼女の持つ二本の杖から、それぞれ光の帯が空中へと流れだし、こちらも渦を巻いた。
「光の、螺旋よ!!」
光の渦が矢のように鋭く迸り、一直線に瘴気の塊へと殺到する。
光条の直撃を受けた瘴気は、轟くような断末魔を上げた。
「うごあぁああああああああああッ!!?」
「――っ!」
軽い爆風で周囲を舐めたあと、瘴気は一塊として残さずに消え去っていた。
それを見て、安堵と共にフィーネの口から出たのは、後悔だった。
「……ごめんなさい。せめてあなたたちを慰めてあげたかった」
(あれは慰められ得ぬ猖獗の極み。これが救いだ、フィーネ)
「ありがとう、ルセルナさん」
(それよりも、他の面々が気になる。どうやら我々は道中、敵の手によって分断されたように思える)
「そうね……高度を上げて、周囲を探してみましょう」
(そうしてみよう)
ルセルナは帆を広げ、少しでも遠くまで周囲を見渡せるよう高度を上げた。
世界樹の若木が甲板の中央から生えている点が、見る者によっては不恰好に映ったかもしれないが。
視界が一瞬暗転したのち、04の周囲は明るくなった。
(何だ……!?)
気づけば、胴を締め付けていたシートベルトや、背中を覆っていたシート、温かかったロケット機内の空気の感覚は消え失せている。
代わりに彼を包んでいるのは、ひんやりとしたそよ風の感覚と――落下感だった。
暗闇は消えて、周囲は明るい。しかし周囲にいた仲間などは、誰一人としていない。
いつの間にか、彼は一人で虚空へと投げ出され、どこかへと落ちているようだった。
さしもの04も、一瞬混乱した。
(どこだここ!?)
首を振り回すようにして周囲を確認するも、すぐさま彼は背後からの強烈な衝撃と、激痛とに襲われる。
その痛みは落下の衝撃に対してのものではないと、すぐに判った。
肌と肉に噛みついてくるかのような、鋭く、しかし染み渡るような痛み。
(こいつは……!!)
04は落着し、そこに半ば埋もれていた。
彼が落ちたのは、銀灰色の砂の海――いや、銀そのもので出来ているらしい砂の海原だった。
銀は彼の弱点となる元素だった。
立ち上がろうと試みつつ、焼けるような激痛に胸中で毒づく。
(ナハヴェルトとかって女の、手品か何かか……!)
このままいれば、程なくして04は骨の芯まで溶けることだろう。
仰向けの姿勢から立ち上がりかけたその時、彼の周囲に波が立った。
「うぉ!?」
銀の砂が、まるで意思でも持っているかのように巻き上げられて、反逆者を飲み込もうとしていた。
間一髪、04は大黒を漆黒の絨毯のように足元に広げ、そこを蹴って空中へと飛び出す。
銀の砂はジャンプの反動で蹴散らされ、彼は脱出に成功した。
手元にはハンドル状の黒い円柱が残っており、それは足場にして蹴った黒い円盤と、黒い索で繋がっていた。
彼の想像に応じて形や物性を変える、“神”より与えられし想像可変武器「大黒」だ。
飛び上がった彼は、大黒を普段の形状である筒状に戻しつつ、重力を感じながら状況を分析した。
(……転移させられたってところか。
弱みもお見通し、ここがお前の墓場ですとでも言いたげだが、まさか他の連中も同じ目に遭ってんだろうかね……)
眼下には、見渡す限り銀の輝きが広がっている。
この全てが、銀の粉――その上意思か何かを備えているらしく、彼の直下で待ち構えるように渦巻いていた。
04は舌打ちして、大黒を再度変形させる。
「大黒・塔!!」
今度は、手のひらに収まるサイズだった漆黒の筒が、巨大な台形の円柱へと変わる。
底部からは何本もの円柱が伸びて銀砂の海へと突き立ち、銀の砂たちが昇ってくるのを防いでいた。
黒い富士山の頂上に立ち、彼は叫ぶ。
「おいナハヴェルトとかっての! 見てやがるんだろが、聞けぇッ!!」
「ナハヴェルトです。何のご用ですか」
「うおっマジで出た!?」
前髪を編んだドレス姿の少女が虚空に姿を現して返事をすると、04はやや鼻白んだ。
(ナハヴェルト……こいつが……!?)
両者は飛びかかれば届くほどの距離で数秒ほど視線を交わすが、少女が先に口を開いた。
「用がないなら消えますよ」
「いやいや、待て待て」
半眼でうめく彼女を呼び止め、04は訊ねた。
「テメーのことは聞いてんぜ……ゲートを開いてオレらを分断しやがったって所か。
ここがテメーの本拠地か? 回りくでぇことしてねーで、オレと勝負しやがれ!」
「あなたでは私に勝てませんよ」
「大層な自信じゃねぇか、だったら今すぐオレを仕留めてみろっての」
構えて鼻を鳴らす04に対し、ナハヴェルトはつまらなさそうに肩をすくめる。
「あなたは私が召喚した銀の砂に勝てません。もしあなたが勝って私の予知を覆せたなら、その時に改めてお相手します」
「あっテメッ、一方的に消えんじゃね――うおっ!?」
04は大黒で作った足場を這い上がってきた銀の砂の一群を、跳躍して回避する。
散弾のように飛散してこられたら厄介だったが、大黒同様、粒子が個々に分離して気体のようにこちらを追尾してくることは出来ないようだ。
彼は長大に伸ばした大黒をしならせ、棒高跳びのようにして銀の砂の海の襲撃をかわした。
着地すら満足にできない状態では、如何に最強の反逆者とはいえ大きく機動力を殺されてしまう。
「ちなみに、この銀の砂はただの粒子ではなく、全ての粒が小さな十字型をしています。
ただの動く銀粉ではないので、飲み込まれればあなたは骨も残さず消え去るでしょう」
「ざッけんなてめ……!」
声だけを届けてきたらしいナハヴェルトを罵りつつ、04は回避を続ける。
だが、
「がッ!?」
棒状になった大黒の表面を登ってきていた銀の砂が、彼の左手を蝕んだ。
微小な銀十字の大群は04の肉体の波動結合を容易に破壊し、細胞を崩壊させていく。
「クソッ!?」
肉食の蟻の群れが獲物を覆い尽くすように、彼の身体は銀粉で覆われていった。
集中が乱れ、大黒が手から離れ、銀砂の海へと落ち、飲み込まれる04。
その肉体を巡る波動は急速に減衰し、虚しく消え去ろうとしていた。
しかし、そこに。
「世界樹の、木立の息吹よ!」
訪れたのは、莫大な質量の銀の砂を吹き散らすほどの、凄まじい颶風だった。
「!?」
微小な銀十字に侵食され、感覚器官も含めた全身が激しく損傷した04には、自身が風に飲まれて巻き上げられていることが理解できない。
そして間を置かず、彼は程よく硬い平面の上に打ち上げられた。
(……何だ……!?)
眼球も侵食されていたため、視界がゼロだった。
理解が追い付かず、反逆者は困惑するばかりだ。
「大丈夫!? 今回復するわ!」
左右の鼓膜も破壊されていたため聞こえなかったが、しかしそれは、04に呼びかける声だった。
「世界樹の、癒しの風よ!」
治癒の魔法の力が、04の全身の細胞を修復し、体内の波動循環を活性化させる。
銀十字の作用で弱まっていた彼の肉体は、雨で潤った大地のごとく、急速に復旧していった。
「うぉ!?」
04は跳ね起きて、再生した五感で周囲を確認した。
そこは木造の大型船の甲板と思える。
きわどい服装をした金髪の美女がおり、彼女はやや驚いたような様子で彼を見ていた。
「……ナンバー・ゼロフォーくんね? 私はフィーネ、あなたのことは勇魚くんから聞いているわ。チキュウの戦士だって」
「あ、あんたが助けてくれたのか……?」
何かの拍子にはだけてしまいそうな彼女のいでたちから視線を逸らしつつ、04。
だが、ロケットの中で紹介された面々の図像にあったとおり、金髪に透き通るような肌、そして長くとがった耳。
神秘すら感じるその姿に、彼はやや動揺していた。
それを知ってか知らずか、フィーネが両手に二本の杖を構えて呼びかける。
「それより今は――」
「あ、あぁ。あのクソ砂を何とかしねぇとオレがヤベぇ……
アンタにはさほど害はねぇと思うが、吸い込まねぇように気を付けろ!」
「えぇ、わかったわ!」
同時、渦を巻いて巻き上がった銀の砂の塊が、空を飛ぶ船の甲板に押し寄せた。
「やっぱダメだ、大黒・球!」
04は防御しつつの反撃が不可能と悟り、大黒を自身を覆う球殻と化して完全に守りに入った。
「世界樹の、風の腕よ!」
漆黒の球殻を飲み込む銀の砂は、フィーネの放った強力な風の魔法で吹き払われた。
「もう大丈夫よゼロフォーくん! 船の周囲は風で覆っておいたわ!」
「………………」
そう言われて大黒の変形を解除しながら、04は周囲を見回した。
あれほど手に負えなかった銀の砂の群れが、見えない壁で虚空に押しとどめられている。
「……………………」
何かもやもやしたものが、04の胸中で揺らめいていた。
一方、フィーネが再び呪文を唱える。
「世界樹の、風の拳よ!」
船の周囲に渦巻いていた銀の砂の群れが、凄まじい威力の爆風で吹き散らされていく。
「…………………………」
「世界樹の、木漏れ日の熱撃よ!」
黒い雲のかかった白い空から到来した青白い光の柱が、銀の砂の群れに無数に突き刺さった。
熱線か、それが当たった銀の砂は融解し、昆虫の群れのごとくに振る舞えなくなるようだった。
「………………………………」
「ゼロフォーくん、あなたは重傷だったわ、今は休んでいて!」
後ろを振り向きながら告げるフィーネに対し、
「……やだ……」
「え?」
「俺も何かしてぇ……」
「大丈夫だと思うけど……」
「正直言うとあいつらにやられっぱなしは嫌でよ……
仕返しに一発どうにかしてぶち込みてぇ!」
「そ、そんなこと言われても……」
主張する04に、困惑するフィーネ。
そこに、また別の声が届いた。
(その少年からは不思議な息吹を感じる……フィーネ、彼に強化を施してみてはどうだろうか)
「何だ、この船が喋ってんのか?」
「わかったわ、やってみる」
フィーネは攻撃魔法を中断して、04へと向き直った。
そして二本の杖を掲げ、呪文を唱える。
「世界樹の……祝福の息吹よ!」
すると、04は恐るべき――不遜な彼がそう感じるほどの力が、己の骨肉の内部から噴き出してくるような感覚を覚えた。
手に握っていた大黒すら、焼けるような熱を帯びているように思える。
(こいつは……!?)
だが脳だけは、冷涼な風が吹き抜けるようにすっきりとしていた。
そこに到来した、閃き。
04はそれを実行に移すべく、甲板を蹴って飛び出した。
「ゼロフォーくん!?」
「大黒――」
遠ざかるフィーネの悲鳴を背後に、彼は手に握った大黒を口に咥えた。
想像可変武器「大黒」は、主である04の想念に従って、形態と物性、質量すら自由に変える。
流体になれない、分割できない、色だけは変えられないといった制限があるが、それらを除けば正しく、変幻自在といっていい。
だが彼が今回選んだ大黒の形態は、今まで形作ったいずれのものとも異なっていた。
今までと同じでは、今までと違う相手には通用しない。
その新たな形を思い描き、名付ける。
(――顎!!!)
彼の口の中の大黒が変形し、04の上下の顎を覆う。
前方に伸びた、犬の鼻づらのような形状だ。
ただしその内側には、犬とは似ても似つかない、危険な剣のごとき牙が無数に並んでいる。
また外側からはうかがい知れないが、マスク状に変形した大黒は、彼の口腔の中や喉の奥へも刃を伸ばし、深々と突き刺していた。
04の体内を循環する――しかもフィーネの魔法で出力を増した波動エネルギーが、そこを通して大黒へと流れ込む。
そしてその波動は、彼の口から炎となって吐き出された。
本来であれば04には不可能なはずの、波動の『変容』『放出』行為であった。
轟、と噴射された炎は、下方の銀の砂の海へと流れ込み、これを大きく融解させる。
「おぉおおおおおおおおおおッ!!」
04はそのまま融解した銀の液溜まりに突っこむが、彼の口に装着された大黒からの火炎の噴射はまだ止まらない。
大黒を通して噴出する04の膨大な波動が、銀の持つ熱と波動分解作用から彼を保護しているのだ。
しかも、炎の温度は上がり続けている。
周囲の融解した銀の温度は更に上昇し、遂には一部が沸点に達して蒸発を始めた。
上空を飛ぶルセルナの船底に、上昇して温度が下がり固化した銀が、メッキのように付着し始めてさえいる。
高熱の上昇気流は魔法で防御していたが、フィーネは戦慄していた。
「何て熱量……!」
反射率の高い元素である銀が高熱で融解すると、それは溶鉱炉の中で液化した鉄よりも明るく輝く。
04の周囲は融解した銀自体が発する光とその反射で、まばゆく輝く光の湖のようになっていた。
一方でまだ無事な銀の砂の群れは、危険な熱源と化した反逆者から距離を取ろうと遠ざかり始める。
しかし。
「逃がすわきゃねぇだろがッ!!!」
吠えると、04は再び口に装着した大黒から火炎を吐いた。
その勢いは更に増し、もはや炎ではなく収束した光線とさえ呼びうる代物と化している。
さしずめ、波動熱線といったところか。
青白い波動の激流を振り回すように頭を旋回させて、彼はなおも逃げる銀たちを薙ぎ払った。
強化の魔法一つで、恐るべき威力だ。
フィーネはやや気後れしながらも、少年に呼びかけるために高度を落とすよう、ルセルナに頼んだ。
お読みいただきありがとうございます。
大変長らくお待たせしてしまいましたが、第21回終了です。第22回に続きます。
以下、注釈です。
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次回もよろしくお願いいたします。