「逢ふことの 絶えてしなくば なかなかに 人をも身をも 恨みざらまし、か……」 レンハートの実家でベッドで物憂げに詩集のあった一節を読み上げたハナコは、ため息をつきながら本を放り投げ、先ほど呟いた一節を繰り替えし呟く。この詩集は、ギルの後輩、クリストと関わりを持った際、彼のPTの1人、ジュダからお近づきの印にと貰った本である。 始めのころは恋愛、それも悲恋の歌や後ろ向きな歌ばっかりなことに辟易し、直ぐに本棚にしまって長いこと埃を被らせてしまったが、年を取るにつれて妙に手に取って読みたくなるように感じられるのは私の精神が成熟してきたからだろうか。それとも……。 詩の意味は単純だ。とある男性と恋に落ちた女性が、その男性の女性への恋が冷めてしまったことを怨み嘆き、こんなことなら出会わなかった方が良かったと嘆く詩である。 だが、全く共感しているというかと言えばそういうわけではない。なぜなら彼女は───恋を自覚すると同時に実らないことを半ば悟ってしまったのだから。 目をつぶりながらこれまでの彼との思い出を思い返す。 ハナコが意中のその男──サーヴァイン・ヴァーズギルドに出会ったのは数年前、反抗期真っ盛り(しかも思春期特有の持病つき)に陥ってた彼女はよくあることながら母親に反発し(母の服装センスだけは今でも勘弁してくれと思ってはいる)、その支配を逃れる一心で家を、国を飛び出した。 そして旅を続ける中であの男──ギルに出会ったのだった。 その時の記憶は今でも鮮明に覚えている。というか、忘れたくても忘れられない。 『我こそは†天逆の魔戦士 アズライール†だ!』そう高らかに名乗りを上げたのだ、あの時の私は!よりによって彼に!その時のあの人の目と言ったら!あの時の「ワシらには救えないものじゃ」というどこかのじいさんの声が聞こえてきそうな、死んだ魚のような目でじっと見られたあの時を思い出すと、今でも奇声を上げて頭を掻きむしりたくなる。 初めはこんなに表情筋が死んでる人は他にはいないという感覚だった。そのくせ一々私の言動にツッコミや指摘を入れて、お前は私の兄か!って何度も叫びそうになったっけ。 …でも、今思うとあの時の私は旅の大変さの中で、確かにギルに対しては兄のように甘えている部分があったんじゃないかって思う。 それから、彼との付き合いが始まった。最初の頃は彼の言うことにしょっちゅう反発した。『物事を判断するときはためらうな、そして決断したことを迷うな』『命のやりとりは遊びじゃない』『全力以上の力を尽くしても、全てを救えないような局面は必ずある』、あの頃の私は正直全能感に酔ってたから、悲しいことに酔えるだけの才能があったから。 世界は私が思ってたよりずっと過酷で、残酷だった。どんなに個人の才能に優れてても、独りでできることは決して限りがある──そんな当たり前の結論に、私が早くに気づくことができたのも、きっと彼のお陰なんだと思う。 彼が聖騎士の1人だと知った時はそりゃあ大騒ぎしたものだった。まるで目の前にアイドルが登場したような騒ぎようだったと思う。特にあの頃の年代特有の持病にかかってた私なら特に。………あの時の苦渋に満ちたような顔を、なんて私はもっと気にしなかったんだう。 ………カンラークで起こった現実を彼の口から耳にした時は心からショックだった。なぜ彼が棺を背負っているか、なぜ全ての罪を背負ったかのような辛そうな顔を常に見せていたのかようやく知った。エビルソードによる聖騎士1000人斬りの話を聞いたときは心の底から魔王軍を憎んだ。英霊たちの無念を思い泣きじゃくることしかできなかった私は、とてもちっぽけな存在だったのだろう。 そんな私にあの人は皆のために涙を流してくれて感謝する。って初めて微かな笑みを見せて、涙の止まらない私の頭をそっと手を置いて撫でてくれた。 今思えばその時に私の中で彼に対する恋心が芽生えていたのだ。 その後、彼と共に各地を彷徨う中で様々な経験をしたし、色んな修羅場も潜った。堕ちたカンラークの英雄ボーリャックとの戦い、そして彼の身に起こった真相と和解。カンラークの仇・エビルソードとの決着。そして───魔王モラレルの滅亡。 全てが終わった後、彼は私に解散を告げた。カンラークの復興のためにかの地にとどまりたいというのだ。確かに彼の言う通り、もう旅を続ける必要がなくなるのならとる選択肢は解散しかない。だが、その時の私はみっともない程に彼の発言に動揺した。情けなくも翻意を迫り、それが叶わないとなると癇癪を爆発させ『バカ!』と叫んでしまい、涙を流す私に彼は困ったような笑みを浮かべてながら頭を撫でてくれていた。それが彼との何とも言えない別れの記憶である。 私が彼に恋をしていたことを自覚したのは、私がレンハートに戻ってほどなくしてのことであった。 そして今、私は再び彼と再会を果たしている。 カンラークの復興のために勧進に来ていたギルがレンハート城に訪れたのだ。王妃親衛隊のメイドとして新たな職を得ていた私は彼の姿を見た時、文字通り心臓が胸から飛び出るほどの驚愕を覚えた(後で王妃に問いただしたら、なんと自分がどんな反応に関心があってわざと黙ってたのだあの方は!あの時怒りに任せて城内で暴れださなかった私の自制心を誰か誉めてほしい)。 私はためらわず半ば強引にギルを実家に招待し、この地に逗留の間この家に住まわせることに成功した。陛下がカンラークからの来訪者を民家に泊まらせるのは…とか渋ってたようだが、王妃に頼んで『交渉』してもらった結果、容易く裁可を貰えた。 久々に見た彼の顔は、旅をしていた当時とは違い随分柔和になっていた。ただ、私のことをアズライールと揶揄ってくるのいは閉口した。果たして余裕が出てきたと喜べばいいのか…。 でも、この日々もあと数日で終わりが来る。要件を終えたギルはカンラークに戻るだろう。その後は次に会える機会は永久に来ないかもしれない。それでよいのか?私は私の想いには全く気付きもせず、カンラークの復興のために奮闘する彼を、このまま送り返すことしかできないのか?胸から溢れそうなこの痛みに対して、彼と会わなければ良かったと封をする日々を過ごせと? 「──ふざけるな」 ベッドから飛び起き、そのまま机へと向かう。ペンとノートをひっつかみ、半ば眠りかけてた脳の細胞を根性で活性化させる。 『ギルがレンハートから帰る必要は現在殆ど感じられない。カンラークに留まるより経済、政治両面で大国であるレンハートを拠点にした方が効率的だと考えられる。その際、彼が罪悪感を覚えるなら復興活動に有効な立場が取れるよう、彼の才を評価し教育機関の臨時講師、若しくは教会の牧師、或いは兵士として雇用し、レンハートでの生計の道も建てられるようにすることも考えられる』 絶対に逃がさない。 『もしギルがカンラークに帰還する場合、レンハートから人(指導者、技術者、単純労働力)、物(復興資材や食料など)、金(復興費、人件費)を援助するよう私からも王女に進言する。その際自分を派遣隊の一員として潜り込ませてもらえるよう王女に要求する。恐らく王女なら自分の想いを正直に伝えれば叶えてくれると思う。根拠はないが確信がある。』 絶対に離れない。 『もしギルが勧進のため世界各国も回るというのなら自分をもう一度パートナーにしてもらえるよう進言する。私のこれまでの旅の中で培ってきた経験、人脈がギルの活動のために大いに益となるはずである。上記の案が駄目だった場合は意趣返しに辞表を王門に打ち付けて旅立ってやるのも小気味いい』 ギル。私は男のつれなさを嘆くだけの弱い女なんて絶対になってやんないんだから。