コージン=ミーレンの日記 ──あれからもう何年経ったのであろう。 聖都が魔王軍の奇襲に遭い多くの仲間を亡くしてから…忌まわしき力で蘇り正気を失ったまま祖国と民を蹂躙してから… 自らを縛る忌器を破壊するための旅を続けて長い時間が経ったが、人間とも魔族とも生者とも死者ともつかない体になってから時間の経過に対する意識が希薄になってきている気がしている… 孤独という物は人をこうも変えるというのか… 〇月△日 北方諸国に向かうべくウァリトヒロイ領内の山岳地帯を抜ける。 まさに深山幽谷といった光景の中をダスタブ方面へ向かう。 魔族への反発が残るこの国では俺のような外見で表街道を歩くのは面倒ごとになるので、この地元の猟師ですら足を踏み入れない剣俊を通らざるを得ない。 切り立った岩肌がそびえ立つ崖沿いの道を進んでいた時に事件は起こった。 「ガアアアアアアアアアアア!」 まるで大地が割れるような轟音が響いた後、衝撃波が遥か前方を横切り岩肌を砕き大量の落石が道を塞ぐ。 敵襲?と最初に考えたが、状況や先ほどの轟音から見ておそらく魔獣それもかなりの大型が暴れていると推測した。 崖下を見下ろすと姿は見えないが、樹齢数十年はあろうかという手つかずの巨木がまるで草むしりをするかの如く引き抜かれ宙を舞う。 そして時折岩肌が巨大な大槌で叩き壊されるような炸裂音もする。 本来であれば相手をせず道を急ぐのが筋なのだが、こんな攻撃的な魔獣が仮に人里に出たらと考えるとせめて正体を見届け避難を提案するのが道理というものであろう。 気配遮断を発動させ魔獣を追うことにした。 大型の生物や獰猛な生物には独特の威圧感のようなオーラがある。 (この感覚はワイバーン? いやドラゴンかもしれない) そんな危機感を抱き視界に入る距離まで来た時、意外な物を見ることとなった。 (少年……それも十代半ばぐらい) だが右腕は完全に竜化しており顔面の右半分も浸食の跡が見える。この半端の状態は単なる竜人と人間とのハーフではないだろう。 竜人という種族は確かに竜の因子を持ってはいるが分類的には獣人や魔族に近いものである。 そして何よりその破壊力と醸し出すオーラは、竜人というよりも人の姿に落とし込んだドラゴンと言っても過言ではない。 この森で最大の大きさとなる巨木の前に彼は立ち、右腕から生えている刃(おそらくヒレが変形したものだろう)でロールケーキをナイフで切るかのようにスライスしていく。 それに飽きた頃合いで彼は天空に向かってブレスを放つ。高密度に収束されたエネルギーが雲を突き抜け天へと消える。これがもし水平撃ちをされたなら山の形が変わる程度ではすまないだろう。 (これほどまでの命の危機を感じたのはあのカンラーク以来か…) だが気配を遮断したまま彼を観察しているとあることに気づく。圧倒的な膂力を持つのは右腕を始め竜化の済んだ場所で、それ以外の身体能力はせいぜい戦闘種の魔族レベル(それでも十分人間離れしているが)。 しかも狂化の影響か本能で動いているせいなのかはわからないが、瞬間の判断力に欠ける時が見受けられる。おそらく防御力も身体能力から判断して人間部分は抑えられているはず。 「勝機はあるな…」 気配遮断を最大限に展開、彼が背を向けている間に近づく。まずはとにかく右腕を防ぐことだ…。 拾った小石を彼の背中に投げつける、時計回りで振り向こうとするの見計らい同じく時計回りで死角を保ちながら距離を詰める。 「今だ!」 その瞬間、彼が高速で右腕を振るい真空波が放たれる。 幸い死角に位置していたため真空波は受けずに済んだが、彼の警戒心は最大限まで研ぎ澄まされることとなった。 (なぜ気づかれたんだ…?) 彼は臭いで違和感を感知していた。 土や草木と異なる人の汗や体臭、突然流れ込む大量の情報に本能が的確に反応していたのだった。 「これはプランBで行くしかないか…」 距離を取り気配遮断を解く。彼の唸りの音量が上がる、それは威嚇音のようでもあり嘆きのようにも聞こえた。彼は恐れることなく一気に距離を詰めようと飛び込んでくる、だがそれは俺の狙いでもある。 「聖魔法『ホーリーブライン』」 なんてことはない聖属性由来の光の目つぶしである。だが属性相性的に闇属性、魔族、ゴーストの類にはすこぶる効く。 彼の禍々しいオーラに闇を感じたのでこれを用いたのだが効果は十分だった。 「数秒稼げればそれで十分だ…」 目を抑えながら苦しむ彼の頸椎に手刀を走らせ昏倒させた。 「目は覚めたか?」 目を覚ました彼は正気であり、そして年相応の少年の振る舞いを見せた。そこから彼の事情を聞くことにした。 突然覚醒した力のせいで故郷から追われるように出たこと。 竜を崇める謎の集団に拉致され、拷問紛いの実験の末にこの姿になったこと。 隙を見て逃走したものの外見のせいで故郷にも人里にも帰れないこと。 破壊衝動が抑えられなくなると人のいない場所で衝動が尽きるまで暴れるということ。 かつてがーすけという友がいたこと。 そして故郷はレンハートであったこと… 「で、これからどうするんだ?」 俺からの質問に彼はドラグランドに行くと答えた。 ドラグランドそれは女王龍の治める天空の浮島。常に移動をしており突然現れ突然消える。 仮に移動ルートを見つけることができれば一気にS級冒険者の称号が与えられると言われるぐらいである。 どうやら彼はそこを目指すらしい、いや当てのない旅にも程があるだろ。 「一人で大丈夫なのか?」 心配そうな俺の問いかけに彼は 「友達が、がーすけが導いてくれますから…」 とさみし気に答えた。 確かにドラグランドに行けば迫害はされないだろう、ひょっとしたら元の姿に戻れるかもしれない。 だがそこまでの道のりが平坦であるとは限らない。石もて追われるぐらいならともかく魔族・魔獣として討伐依頼が下るかもしれない。 その前に心折れて本物の闇に飲まれてしまうかもしれない…。 (しょうがねぇな…) 「一つ提案があるんだが俺と一緒に旅をしないか。俺もこんななりだから仲間がいると心強いし、それに元々当てのない旅なんで、幻のドラグランドってやつを一度拝んでみたいからな…」 彼はきょとんとした驚きの顔を見せた後、年相応にはにかみながら了承してくれた。 「まだ名前を名乗ってなかったな俺はコー…、いやミーレンだ。君の名は?」 やらかした過去のせいで本名を名乗る気はしなかった。 彼はブラックライトと照れ臭そうに答えた。多分一生懸命考えた偽名だろう。誰でもそういう時期があるってやつだな。 「名前長いな…言いにくいからライトでいいか?」 目をそむけるように苦笑いしながら彼は了承した。 おそらく本名もしくは由来になった言葉なのだろう… なぜ初対面の少年と共に旅をすることになったのか… 悲惨な境遇の同郷の少年への同情か、それとも歩く災厄のような危険な存在を放っておけなかったのか… ──いや、多分俺は単にさみしかっただけなんだ。そう気付いた。