・クオンの過去 やめて。お母さまやめて 「なんで貴方はこの程度の事ができないのよッ」 頑張るから わたしもっとちゃんとするから 「あなたは比良坂家の恥さらしです!」 だから私をほめて、許して 「この……出来損ない!!あなたなど、あなたなど」 優しくして 「生まれなければよかったのに!!」 私の命は尽きる 何も成せぬまま誰にも知られぬままこの闇の奥底で潰える 凍土にもたれ動かなくなって久しい身体。右腕に埋め込まれた醜き義手の傷が鈍く痛む 神と戦い敗れこの身体の末端まで焼き尽くし蝕む神の光 その痛みもじきに消える 私は憎む、神の理を 私は憎む、世界の摂理を 私は憎む、無力な己自身を 「それもまた無意味か…ッグゥ、ガアァッ…!!」 「だれ…怪我を、しているの?暗くてよく見えないの」 侵入者か?鈍り切った千里眼を蠢かせると暗闇の向こうに小さな影があった 「…貴様、なぜ人間ごときがコキュートスに。それにその足、それ以上動けば」 「いたっ…待ってておじさま。わたし少しだけなら怪我を治療してあげられるものを持ってて」 「無駄だ……この傷は神と戦い付けられたものだ」 「神様…?」 「貴様にはわかるまい。そしてここからは出られぬ。我らは死ぬほかないのだ…運が無かったな人間―――」 「見つけた」 「ッ!?」 「ええと、初めまして私は《クオン》といいます」 無垢な白いワンピースの裾をつまみ礼をする人間の子供 その足はコキュートスの牢獄に散らばる冷たく鋭いガラス片のような氷に焼かれ、切られ、赤く滲んでいるにも関わらず再び歩み寄らんと動き出す 「人間…だが、まだこれほど幼い女子だと―――そうか、貴様選ばれし子供だな」 「選ばれし子供…?」 「…クク、ならば猶更運が無かったな。世界を救うなどという役割を果たせぬままこの地獄より深い闇の果てで凍え死ぬなど」 「お怪我は痛みますか」 この娘は何を言っている。この期に及んで見ず知らずの怪物に何を 「何故だ、何故貴様は我を気にかけている……それほどの鮮血に塗れたのだ己の怪我に苦悶し泣き叫ぶこともできるはずだ」 「意味のない事だから」 「……何故お前は死を恐れぬ目をしている」 「え…」 「天使だった我にはわかる。お前は幼い、幼くして死に見入られている……何故だ。何故そのような子供が世界を救う者に選ばれた」 「天使………天使様教えてください―――神様は悪い人ですか?死ぬのって苦しいですか?神様は何故私にこんな人生を与えたのですか」 なんなのだこの娘は 「私の居場所なんてありませんでした。生きる意味もわかりません。ずっとずっとお母さまの言うとおりにできなくて、役立たずだって怒られて、出来損ないって叱られて。つらくても怖くても一生懸命頑張って」 薄氷を踏み割り血が凍るような足音 かすかな悲鳴のように聞こえるそれが近づく 「でもどうすればいいのかわからなくて。家を抜け出して雪の中をずっと歩いていたらあなたを見つけました…だから教えてください。死ぬのってどんな感じですか」 冷たく硬い右腕に触れるあかぎれまみれの小さな掌の熱 そこの宿る無機質な壊れた心、目の底に光の消えた眼が視線を重ねる 私は言葉を詰まらせた 「知るだけ無駄だ。お前には」 「そうですか。けど最後に話せる人がいてよかった…」 「ならば何故私を助けようとする」 「せめてものお礼がしたいです。こんな私に話しかけてくれた人だから。貴方には…うまく言えないけれど助かってほしいんです」 無駄なことを。だが…わからぬ この摩耗した心を締め付ける痛みはなんだ 「ここに寄れクオン」 「……?」 「お前の脚も、心も、これ以上傷つく必要はない」 「……っ」 「バグラモン。それが私の名だ……この姿を恐れようと構わぬ、ゆっくり目を閉じ耳を塞ぎ背けるがいい。私の姿は…神の摂理を否定しようと地に堕とされた天使とは、お前にはかくも醜きものだろう」 それで気が済めばいい。所詮この仕草もきっと今際の際の気紛れなのだ それとも我を恐れず献身を尽くしたこの少女の存在こそが、生への執着を手放しきれない私が生み出した幻覚なのかもしれない 「そんなこと、ありません」 「…!」 「あなたは……ひっく……はじめて、私にはじめて……やさしくしてくれました」 涙。今までずっと人形のように張り付いた薄い笑顔に伝う雫 霜に変わり張り付いたそれを拭い抱え込んだ膝に顔をうずめ肩を震わせる少女 これは幻覚などではない 心がざわつく、痛みが増す 私の知らない色と光が世界に刺した気がした その存在に私は心奪われたのかもしれない。違うのかもしれない ただ私はそこにある命を庇おうとした。それがこの瞬間の全てだった 「……そうか。ならば何も考えなくていい、私がお前の傍に居よう」 その時だった 凍土の檻を穿ち光が刺す。舞い降りる 「これはデジヴァイス…クロスローダーだと」 「クロスローダー?」 「そうか彼女を迎えに来たのだな。ゆけクオンお前の役割を果たせ…この世界のためにお前は必要とされている。生きる権利がある」 「バグラモンさん」 「ぬ…手を離せ。私は」 「だったらあなたと一緒がいい」 「…!」 「私は、あなたと一緒に行きたい」 クロスローダーの導きに従いボロボロの身体を引きずりながら幾日も彷徨う そして我々は地上へと逃げ延びることができた 神から受けた傷はクロスローダーの権能を用いても深く深く傷ついた我が体をすぐさま癒すことはできなかった 多くの時間をその中で体を休め、時に眠りながら 私はたった一人の少女に命を救われた。その事実を噛みしめた そして彼女は友に恵まれた 1人の少年に恋をした ……良い。彼女が幸せであるのならば。二度と彼女があの冷たく暗い世界を歩むことがないのなら 癒えぬこの身をじっとひそめながらずっとそう思っていた 彼女たちの旅路を見守ってきた ―――だが、世の理は巡りいつも残酷な結末を授ける 「やめてユウくんワーガルルモン、ティナちゃんたちを傷つけないで!」 「うるさい!気づいてしまったんだ。こうしなきゃまた父さんや母さんに逢えないんだ…また逢えたら一緒に家に帰るんだ、妹もきっと生まれてくるんだ…お兄ちゃんになって、妹たちを護るんだ。それにガブモンも…」 ワーガルルモン・サジタリウスモードが亜空間の空を駆け選ばれし子供たちのパートナーを蹴散らしてゆく 優里は焦りの色を濃くしたまま、ワーガルルモンはまるで意識のない機械のように冷静沈着に攻撃を繰り返す そして彼らは倒すべき諸悪の根源の側近―――《バアルモン》と肩を並べ昨日までの仲間たちへと牙を剥いていた 「一緒にデジタルワールドを救おうって約束したのにユウ君…教えてユウ君!」 「帰れ、今すぐに帰るんだみんな。ぼくの事は放っておいて」 「放っておけるわけないよ、私たちが諦めたらこの世界はどうなるの。どうして倒すべき敵じゃなくて私たち同士で争わなきゃダメなの…?」 口ごもる優里。自ら倒した仲間たちにひどく揺れる目線を泳がせて息が荒くなる 言えない。彼にとって自らを取り巻くただ一つの真実は子供には残酷で自らそれを認め言えるはずもなかったから それでも説得を続けるクオンの言葉は、愛ゆえに彼を止め取り戻したい純粋な一心 そして何よりそれはこの旅を経て強くなった―――強くなってしまった彼女の心が招いた『意地』 「ユウくんを助けてくれた《友達のオボロモン》だってあなたに言ってた。家族に必ず再会してって約束―――」 「だからっ…だからこそ僕は―――どうして…わかってくれないんだ」 「私はこの世界をまもりたいよユウくん……私が決めたの。世界を救うって、こんな出来損ないの私でもはじめて自分の力で何かをやり遂げるんだって、あなたに出会って友達になって……決めたのッ!!」 「クオン…」 「優里くんを止めて…お願い―――バグラモン!!」 傷つきながらも残された力を振り絞り叫んだ少女に呼応し唸る白いクロスローダー 光より現れ、気を失ったクオンの背を支え止める強大な堕天使を前に敵は固唾をのんだ 「ほう、アレがバグラモンですか。随分な隠し玉を持っていたものだ」 「クオンの本当のパートナーだ…でも、クロスローダーの機能でも回復しきれないほどの怪我を負ってたはず。ずっとまともに戦えないからあの中にいたんだ」 「なるほど。ならばアナタの働きに期待してますよユウリくん、せっかく彼女らを裏切って我々についたのですから…ここで勝たねばお父様がたとの再会がどうなるかも……貴方のパートナーの命運もね?」 「くぅ…」 「伊名城優里」 「ッ!!」 「答えろ。貴様はクオンの想いを踏みにじるのだな」 「……ワーガルルモン、究極進化」 「それが貴様の答えか」 「いけ…《クーレスガルルモン》っっ!!」 「―――"アストラルスナッチャー"」 バキリ。刹那の間にバグラモンの背を捉えたクーレスガルルモンの一閃―――より速く、胴体をバグラモンの腕が呆気なく穿つ 宙吊りのまま四肢をたれ下げ悲鳴もなく、当代の選ばれし子供たちの仲間を引っ張ってきた優里の相棒が散る 爪先に魂の光を握り捉えたまま抜け殻を振り払い優里の足元に叩きつけ、顔色一つ変えず佇むバグラモン 「そ、んな…ガブモン…ガブモン返事をして、ガブモン!!」 「お前には失望したぞ伊名城優里」 「…ッ!!」 「貴様には今すぐに咎める価値もないだろう。だが…」 この子(クオン)の世界に貴様は欠けてはならないもののはずだった 「……すべてが終わるまでそこで見ていろ」 「おやおやこれは…万事休すかもしれませんね」 「バアルモン、その祭壇の向こうにいるのが諸悪の根源だな」 「さすがバグラモン千里眼の前に隠し立ては出来ぬよう。さてさて……負け戦は趣味ではございませんが。かつて神に仕えし天使が人の子の眷属に成り下がり甘んじるとは醜く堕ちたものです」 「それだけか」 「あら?…あらあらま…ぁ、一撃、ですか」 「構わぬ。我が護るべきはただ1人―――この下らぬ戦いを終わらせようではないか」 ―――間もなく、諸悪の根源が滅びた バグラモンに蹂躙された闇の存在が塵へと還り、形成していたこの亜空間が崩壊し始める 「嫌だ、嫌だ嫌だ嫌だ僕は…ぼくは!」 「ユウくん…はやく逃げなきゃ。ここが崩れちゃう危ないよ」 「君のせいだ…」 「え…」 「嘘でもよかった。まがい物の希望でもよかった。それをよくも……よくも"奪った"……ぼくに残ったものはもう何にもないんだぞ……」 ゲートが開く 倒れた子供たちとパートナーデジモンを飲み込んで世界の境界を越えて行く バグラモンに抱きかかえられたまま途切れゆく意識の中でクオンは遠くに蹲る優里へ手を伸ばす 「クオン…ぼくは…僕はッ……君が憎いッッ…!!」 「―――っ!?」 現実世界にたどり着き満身創痍で帰還した子供たちの中に優里の姿はなかった やがて彼女は彼の行方を知る。絶望と共に全てを知ることとなる 「彼が伊名城優里くんです」 信じたくなかった。赤黒く滲んだ包帯が人の輪郭を保っているに過ぎないそれが優里の末路であり真実だったなどと 「つい先ほど亡くなられました。相手のわき見運転の信号無視による重傷。彼のご両親は搬送された段階で"即死"、母体の方には臨月の女の子がいましたがその子も…」 嘘だ。彼はDWであんなに元気に私たちと冒険していたはずなのに 最期のバアルモンの言葉が蘇る 『何も知らない選ばれし子供。現実世界で彼らがどのような末路を辿り、どのような覚悟で私たちに縋りついたか…実に悲しいですねぇ。悲しいですねぇ…ヒハハハハ』 『大切な殿方の最後の希望を手ずから摘み取った気分はいかがでしたかお嬢さん』 『せっかくですから全てが終わった暁にはあなたに見せてあげましょう。真実の記憶を…そのクロスローダーに全てを宿させていただきました。どうぞごゆるりと…』 クロスローダー。起動する 動画ファイルがある 震える指で再生 最終決戦の前、罠にかかって壊滅しかけた私たちを助けるために優里とガブモンは戦い行方をくらました それを乗り越えて再会したあの時から裏切りは仕組まれていた 違う。もっとずっと前のはじまり…伊名城優里がDWに呼ばれた瞬間から全て決まっていたシナリオだったのかもしれない ……彼の死の真実。彼が何故裏切ったのか。なぜDWに意識のみが召喚されたのか。そして探し追い求めた両親たちがどうなったのか あの時すべてを優里は敵から教わってしまった クオンたちを助けるため囮となり、相棒を洗脳され人質に取られて 絶望してしまった それでも両親に逢えるかもしれない希望がDWを脅かした敵の手の中にあった だから彼は そしてそんな事情を打ち明けられぬまま、何も知らないまま、私たちは袂を分かって戦って 彼は失意の中に死んだ 私のせいで彼が死んだんだ 私が彼の全てを奪ったんだ 「あ、あぁ……ぅあぁあああああああああああああああああああああ………」 「ユウ君…ユウ君ごめんなさい…ごめんなさいっ…ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい!!!」 「一体今までどこに消えていたのですか!」 「おかあ…さま。わたし」 「何ですか!」 「わたし、ちゃんとできました。自分で決めて自分でやり遂げるって…ちゃんとできたの。いっぱいいっぱい亡くしたけどそれでも……だから、だから褒―――」 「何を訳の分からないことを!このグズ……」 『何様のつもりだ貴様』 「…!?だ、誰―――あがァ!!」 「アストラルスナッチャー……貴様にクオンの何がわかる。消えろ下郎」 「た、助け…ば、化け物…ォ!!」 「二度とその魂、日の下に晒さぬ」 悲鳴 母の魂を封じ込んだ抜け殻が転がる ふざけるな人間。貴様にこの子の何がわかるのだ 化け物か…笑わせる "貴様が次に目覚めたとき"その魂を閉じ込めるに相応しい《牢獄》を用意しよう。そこに貴様は堕ちるのだ 憤りに拳を震わせていた矢先 「バグラモン、クオンがいない!」 「何…!?」 母親の凶行を食い止めた一瞬クオンの姿がどこにも無かった マリンエンジェモンに急かされもぬけの殻となったはずの屋敷に飛び込み目にしたのは、鮮血 「クオン!?」 ナイフを自らの胸に突き立てようとしたのか、床や手や胴体を血で汚しながら彼女は倒れかろうじて生きていた だがそれは子供が至るにはあまりにも惨い所業だ だのに怯えることも痛みに涙することもなく、また出会ったころの虚ろな表情を張り付けたまま彼女の口元を忌まわしい赤色が汚していく 「死ぬな。死ぬなクオン!お前が怯える必要はもうない、あの女は私が」 「ユウ君に逢わなきゃ」 「……あの男は」 ―――お前を裏切ったのだぞ。などと口にしてしまえばそれまでだろう だがそれでも"あの男も"また"この子を愛した者"だ その結果がこれか…? 「ユウ君に逢うためには私が死ねばいいのに…はじめから私なんかが生きてたせいで、全部…ぜんぶ」 「それは違う!!お前は…クオンは私を救ったのだ。私はクオンに救われたのだ。それを否定などさせるものか……お前の優しさを否定する運命も、弄んだこの世界も歪んでいるのだ!」 「バグラモン…」 「私が償う……私が正す。私が変える、この世界の理を。神の定めた下らぬ生と死などに引き裂かれぬ未来を」 「バグラモンの願う世界が来たなら、私は……私はまたユウ君に逢えるかな」 「ああ」 「ちゃんとごめんなさいって言えるかな。きっといっぱい、いっぱいいっぱい怒られて恨まれて……それでもいいの。ユウ君に謝りたいよ…謝りたいよぉ…」 この醜い腕は彼女をただ強く抱きしめることも とめどなく溢れる涙を拭うことさえも躊躇わせる だから今一度揺ぎ無く誓う 「クオン、お前は私が護る。お前の心と共に…お前の内に私は居よう」 クロスローダーを胸に抱き眠るように目を閉じる少女 バグラモンに掛けられた催眠を受けたクオンの口から、発した言葉に起動する 「お前の苦痛の記憶はすべて我が払い請け負う。お前の壊れた心を我が繋ぎとめる。お前の往く道に、選んだ選択の先に何があろうと私が居る。そしてお前に立ちはだかる者が現れたのならば…私が潰す」 「バグラモン……"デジクロス"」 堕天使の意識がクオンに溶けゆく 身体の傷が癒え、見開かれた少女の瞳が冷たい真紅の濁りを増す 「共に叶えましょう―――"私たち"の願いを」