【エヴリィ・フラワー・マスト・グロウ・スルー・ダート】#3【後半】 「ンアァーーーッ!無理!もう無理ィ!」「ダイジョブダッテ。ほらガンバレ、ガンバレ」退廃ホテル「オレゴン州」の一室に甲高い嬌声が響く。赤く染まった 顔を枕にうずめ、少女めいてふるふると首を振り四つん這いで悶え震えるのは、背中に見事な双頭のタツノオトシゴのタトゥーを刻んだ筋骨隆々の角刈りヤクザ。 あられもなく開かれたその脚の間。両目を怪しく光らせる金髪ショートボブの女が、水音を立て両手で局部を乳搾りめいて摺り上げる。ベッド上には水風船めいた パステルカラーの湿った物体が散乱。ヤクザ者の当初の野太い声は、その数が増える度に覇気を失っていき、今や足腰立たずシクシクと啜り泣きめいた声を漏らす。 「ひぃひぃ言わせてやるって言ってたよね?アタシ全然なんだけど。これから?」「ゴメンナサイ!ゴメンナサイ!もうヤアッ!キモチいのもうヤーアァーーッ!」 「アハハハハハ!いい歳こいたオジサンが脳ミソ保育園まで戻っちゃった?ママでも保母さんでもないよアタシ?」高速で先端を擦る手を休めず女は囃し立てる。 「気持ち悪い」冷たく呟いた女の赤く長い舌が伸び、パンチングボールめいてブラブラと震えて揺れる根本を這った。「ホアァッ!?」その上の収縮する穴の表面を 弄んだ舌は、先端を尖らせ突き立つと内側に深々と侵入し、蛇めいてのたうち回った。「アッアッアッアッ!」ヤクザ者は涎を垂れ流しガクガクと痙攣、その時だ。 「ンアアアァーーーーーッ!!?スゴーーーーイ!!!」「うわっ!?」スプリンクラーめいて股間から透明な液体を大量に噴出し、ヤクザ者は達した。女の掌の 中で暴れ狂うような勢いが爆ぜ、その髪から顔、身体中に生温かい体液が激しく飛び散った。女の驚きと困惑の表情は次第に不快と嫌悪、そして怒りに染まる。 「……最悪、めっちゃかかったんだんだけど。ファック!」「アバーーッ!?」女が両手に力を籠めると、天にも吹っ飛ぶ激痛にヤクザ者は白目を剥き失神! だらしなく全身を弛緩させ、萎びたボーの先から壊れた蛇口めいてヒクヒクと体液を垂れ流す滑稽な有様。濡れた身体をタオルで拭きながら、女は舌打ちした。 一刻も早くシャワーで全身を洗い流したかったが、その前に仕事だ。女は壁に掛かる客のヤクザジャケットの懐を探り、携帯端末を取り出し自身の端末と直結。 窃取プログラムが立ち上がり端末内の情報をコピーし吸い上げる。戯画化されたウサギと蛙がハネツキに興じる動画が暫し流れたのち作業は完了、内容を検める。 さもない個人情報が殆どだが、暗黒メガコーポのジアゲ計画の工作下請け情報に……海外組織との違法薬物取引のスケジュール。これはなかなか悪くない。敵対 組織やヤクザクラン、或いはキモンの関係者。各方面に有用だろう。こうした賞味期限の短い情報は手元で寝かせず、早急に同業者に売りに出す。 浴室で入念に身体を清めたのち、最後に財布から幾分万札を抜き取る。オイラン遊びにしては高額だが、ツツモタセと呼ぶには迷う額。実際足腰立たず気絶する まで愉しませてやった、適正価格だ。更に欲をかきたかったが、下手に刺激してヤクザに因縁を持たれるのは不味い。女は振袖めいた赤いジャケットを羽織る。 ……端々に妖しげな目配せをするストリート・オイランが立ち、酔漢が行き交うウグイス地区の裏路地。「アワビさん」「おふくろの味、古漬け」「セルフで できるもん」「夏場所(Summer wars)」等の卑猥なネオン看板を掲げる雑居ビルに女はエントリーする。2人乗りがせいぜいの狭いエレベーターの行先は最上階。 『ノコータ、ノコータ……』『ドッソ……』ノーレンの合間からエロチック電子オスモウ・チャントとむさくるしい熱気を漏らすオスモウ・サウナ風呂の前を通り 過ぎ、フロアの隅の非常口から外階段を昇る。実際狭い屋上には、ケーブルや配管をビルから無理矢理拝借したプレハブめいた違法建築がぽつんと鎮座している。 元は違法風俗ルポライターの個人事務所兼自宅だったものだ。長らく家主不在の状態で放置されていたのを見出し、勝手に住み着いたものだが特に咎められた事は ない、そもそもビル内のテナントも皆違法入居者だ。物理・電子と数多くの情報が錯綜・混濁した月破砕の動乱のドサクサに紛れたチャメシ・インシデントである。 「タダイマ」女は無人のアジトにアイサツし、灯りをつけてドア横にジャケットを吊るす。申し訳程度の応接チャブとソファーに書類棚。UNIX機材と積まれた書類に 囲まれた事務机がひとつのみの狭く雑多な空間。女は早速先程手にした情報を売りに出そうとUNIXを起動し同業者とのコンタクトを取る、だがその反応は芳しくない。 #PARLOR:ciliegia:安すぎる。増額重点、最低50||| #PARLOR:luxardo:不可。20||| #PARLOR:ciliegia:過冬、イカスミ・メンタイ。需要||| #PARLOR:luxardo:故に危険手当。有事のリスクはこちら負担。高額希望ならそちらで直販||| #PARLOR:ciliegia:30||| #PARLOR:luxardo:25。これがライン||| #PARLOR:luxardo:返答を||| #PARLOR:luxardo:中止?||| #PARLOR:ciliegia:承諾。ASAPで入金||| 女は消沈し、UNIXの電源を落とした。カネは欲しいがリスクと安全を天秤にかければこんなものだ、万が一死んでは元も子もない。こうした臆病風で折角の 機会をみすみす逃す身の振りを鑑みもしたが、以前線引きを誤り、見知らぬニンジャと余計なイクサに発展し死にかけた体験が更に二の足を踏ませていた。 「寝よ」ぼそりと呟くと女は立ち上がった。雑多な仕事場に反して隣の居住部屋には大きく手が加えられている。壁紙や照明をはじめ、家具や調度類もアトモ スフィアが統一され、広くはないが小洒落た印象を与える。カネの代わり手間暇かけコケシマートのセール品やリサイクル品、廃材を集めてはDIYした箱庭だ。 本棚には「あゝ無情」「隅田川ゲイシャナイト」「印象派時代」「筆がカタナを折る」等の文学・芸術関連の書籍がぎっしり並ぶ。チャブ上には大量の付箋で 彩られた「マイナス思考がプラス化する~キンキー・コウイチ」「ガンジー対アナコンダ」等のビジネス書。いずれも女のアトモスフィアと乖離を感じさせる。 サクランボめいたピアスを外し、洗面台で煽情的な赤いリップとアイシャドウを落としてゆるやかな寝巻に着替えると、ようやくこの部屋の住人らしくなった女、 アイデアルはベッドに寝転がった。今日も結局大した稼ぎにはならなかった。情報屋を生業にしているとは言っても所詮はこうした同業者の下請けが大半だ、 むろん、先程IRC上で指摘されたようにリスクを承知し直接自身で取り扱えばずっとカネになる。だが己には有事に対処するだけの立ち回りもワザマエもカラテも 大きく不足している、逃げの一手ばかりで身に着くものでもない。いっぽう身体を売るかツツモタセした方が余程危険が少なく、実際楽で実入りが良かった。 だが屈辱だった。女である事、若さに外見、ジツを含めた猥褻で卑屈な手管。自分にはそれ以外の価値も、出来る事も無いと思い知らされるようだった。『お似合 いのどうしようもない生き方』ニューロンにこびり付く蔑むような眼と冷たい声音。(そんなもの受け入れてたまるか)……だが実際にはどうか。 カネ、成功、抜け出すための糸口、チャンスの一手を探しては、結局理由をつけて楽で安全なラットレースに自ら陥っている。自販機の下を探ってコーベインが 見つかる筈も無し、安いトークンがせいぜいだ。何もかも理想に程遠い己の有様にアイデアルは嘆息する。「ムカつく。アイツの言った通りじゃんアタシ」 ニンジャでありながら安いマイコに甘んじる、身を持ち崩した上流階級の出の同じ年頃の娘……自分に近い存在を見出し抱いたシンパシーと期待。より暗く煩悶を 抱える様に覚えたイニシアチブと嗜虐心。呆気なく関わりが終わった落胆或いは後悔。最後に撫でた艶やかな黒髪の感触を思い出し、アイデアルは眠りに就く。 ◆◆◆ 『凄いピンク!まるでサーモンとイクラ!』『未成年いません※本当です』『アポロ計画を、超えろ』猥雑な街頭広告音声、ギラつくネオン看板の光と喧騒に沸き 立つストリート。その様相をビルの屋上からシャチホコ・ガーゴイルめいて不動で見下ろす、生々しい返り血に染まるコートを羽織った女ニンジャ。 ガラス玉めいて見開いた瞳は、雑踏の流れを目で追う。酔いどれた中年サラリマン、鼻の下を伸ばした肉体労働者、挙動不審な肥満体ギーク、軽薄な客引き店員。 肢体を猥褻に晒すストリート・オイラン……「醜い欲望。醜い街」メンポから洩れるくぐもった声には冷たい嫌悪に侮蔑。やがてその視線が一点に止まる。 泥酔した客にしなだれかかり、暗い路地裏に消えていく金髪ショートヘアのオイランの後ろ姿を凝視する。カタナを握る黒い手袋にぎり、と力が籠り、ゆらりと 立ち上がる。そのバストは平坦である。「……醜い女」強烈なキリング・オーラを眉間と声音に滲ませ、結った長い黒髪をなびかせて色つきの影が跳んだ。 ◆◆◆ ……「はいコレ」「ドーモ!潜伏工作員の情報提供感謝する!案ずることなかれ!戦争の終結は近い!」電子戦争めいた仰々しい旧式軍用テックアーマーを 着込んだ老人の眼はギラギラと危険に輝いている。「そう……」アイデアルは困惑の愛想笑いを浮かべた。素子の中身は実際安い薬物密売ギャングの情報だ。 「よもや前線より遠く国内に潜り込み市民に薬物を蔓延させ戦意減退を図るとは、なんと迂遠で度し難い!一人残らず誅戮してくれるわ!」「……頑張ってね」 「ではシツレイ!」力強く敬礼し、回れ右して行進めいて去るテックアーマーの背中には中古ミリタリーショップの値札が張り付いたままだ。「うわぁ」 ……「6、7……」「悪い、今何時だ?」「は?8時だけど?8、9……ん?1枚足りなくない?」くたびれたガイジンのニンジャは押し黙る。「……イヤーッ!」 「アイエッ!?」信号弾めいた緑色のカラテ光球に目を眩ますと路地は既に無人、アイデアルは唖然とした。「……チクショ!ふざけんなドロボー!」 口座入金ではなく直接現金取引の時点で警戒すべきだった。今のようなガイジンのアウトローめいたニンジャが近頃増えてきている。磁気嵐が消失して以来、 最新テックの坩堝たるネオサイタマに海を渡り訪れる者は後を絶たない、或いは海外メガコーポかヤクザ組織の尖兵か。ケチな額だが腹立たしい損失だった。 ……「ARRRRRRRGH!!」「「「イアーッ」」」「アイエエエーーッ!?」ジャンクの塊、或いは違法増築工場めいた異形の金属装甲から炎と圧縮蒸気を吹出し、 巨大赤熱ハンマーを振るう災害の如きニンジャ。それに群がるボロボロの無個性な黒スーツを一様に纏う、異常痩身長躯の無貌のヨーカイめいたニンジャ達! 「イヤーッ!」「アバーッ!」「イアーッ」「グワーッ!」異常熱量を纏い空間一帯に蜃気楼の如き陽炎を揺らがせるハンマーと、焼き千切られてはまた生え 繰り出されるおぞましき無数の触手が乱れるイクサ!アイデアルは頭を低くし死に物狂いで逃げ惑う!「ヤバイヤバイヤバイ!こいつらおかしい!」 ……「毎度のことだが順番が逆だ。必要がありゃこっちから尋ねるもんだろ?売り込まれても何も無いぜ」「そうだけどさぁ」頬杖を突き嘆息するアイデアル は、チェリーの刺さったピックでマンハッタンのグラスの水面を弄んでいる。隣には白いヤクザコートを羽織る男。その顔には痛ましい火傷の痕が残る。 この男はアイデアルと縁の長いヤクザ者……今はフリーランス傭兵だ、だが上客とは言い難い。実のあるビズが無かった日の終わり、行きつけのこの酒場で クダを巻き、共に常連のこの男にあれこれ話を持ち掛け適当にあしらわれる。いつもの光景だ。「ハァ」今宵もアイデアルはカウンターに突っ伏し消沈した。 「話は変わるが。お前今ウグイス区に居るんだったな?」「そうだよ。それが?」珍しく男の側から話を振られたがアイデアルは顔を伏せたまま、声だけで 返答する。「酔ってンのかお前?ここ何日か、立て続けにストリート・オイラン狙いのツジギリが話題だとな」アイデアルは億劫に顔を向けた。 「なんだ、珍しくもない。よくある話じゃんファック&サヨナラなんて」「目的は身体でも物取りでもなく殺しそのもの。それもよくある話だな」男は煙草 を取り出し一服、紫煙の中に軍用サイバネアイの赤い光がゆらぐ。「ニンジャの仕業だ」重みを増す声色に、アイデアルはピクリと反応し再び頬杖を突く。 「派手なセプクじみて腹を裂き、顔を削ぎ、余程の恨みかそれとも趣味か。現代版切り裂きジャックかサンダイメ・フィッシュモンガー事件ってところか」 灰皿に灰を落とした男は横目でアイデアルの頭を見る。「……なによ」「やられたのは全員誰かみたいな金髪のショートのオイランときた」 「まさかアタシ狙いって?ひょっとして心配してくれてるワケ?もしかして"アブナイから泊まってけ"ってお持ち帰り企んでる?うわあ、やらしい」軽口を 叩きつつアイデアルは明らかに動揺する。「"も"じゃなくて自分狙いと来た。心当たりがごまんとある訳だ。多方からしょうもない恨み買ってるもんなお前」 「ないない。しょうもないって自分で今言ったじゃン、実際その通り。そんなんでいちいちそこまで必死になるってどんな暇人よ」アイデアルはパタパタと 片手を振りながらマンハッタンの残りを呷った。アルコールの熱が一気に回る「どうだろうな。世の中多いもんだぜ。そういう割に合わん事に必死な暇人は」 しばしの沈黙。酔漢の喧騒とカウンター上のディスプレイをループするオスモウ・アメフトリーグ名場面集の喝采ののち、カウンターを見つめるアイデアルは 恐る恐る口を開いた。「……それ、どんな奴」「どっちが情報屋か分からんなこりゃ」男は苦笑し、カミカゼのロックグラスを傾けたのち手を組んだ。 「獲物はカタナ、真っ赤なコートに黒い手袋。長い黒髪。男か女かはハッキリしない、女だったらだいぶ平坦。てところだ」「……そう」いくつかの要素に、 アイデアルの脳裏には先日手酷く弄んだ女ニンジャの姿がよぎった。(まさかアイツが?)逡巡したのち、アイデアルはちらりと隣の男を上目で見た。 「ヨージンボなら他を当たれ、俺も忙しい。ついでにガキは守備範囲外だ」当てが外れたアイデアルは憮然としながら鼻を鳴らす。「何も言ってないし。 あとアタシもうガキじゃないよスガキ=サン、いつの話よ。そういうのオッサンって感じ」「そういうのがガキなんだよお前は」 ◆◆◆ 重金属酸性雨降りしきるウグイス区のストリート、店を後にしたアイデアルは足早に家路を歩く。ただし今夜は随分遠回りだ。雑踏を行き交う人影にくまなく 目配せし、傘、PVCレインコート、ブルゾン、ジャケット……視界の中に赤い服や雨具が写るとアイデアルはびくりと震えた。 その度に隠れるように右に曲がり、左に曲がり、無意味に建物や地下道に入っては出てルートを変更し……ふいに時刻を確認すると、既に小一時間は経過して いた。(何してんだろアタシ)バリキ自販機の影に寄り掛かかり、周囲を見渡していたアイデアルは不安を振り払うように頭を振り、再び歩き出す。 考え過ぎだ。小カネモチにサラリマンにヤクザにアウトロー、時にニンジャ。確かに今まで数々の相手にツツモタセ行為を働き、時にジツを用いて篭絡しカネ や売り物になる情報に物種を得てきた。しかし相手と内容は選んできたつもりだ、わざわざ血眼になって報復されるほどの恨みは買っていない……筈だ。 (とっくに泥まみれの安マイコが一回無理矢理前後されたぐらいで今更なんだってのよ)何度も心当たりを探っては数々の顔が浮かんでは消え、最後に残るの はやはりあの女……スイセンの顔だった。フートンの上で子供めいて泣き悶える様……その時である。アイデアルのニンジャ聴力がふいに足音を捕らえた。 雑踏の無数の足音の中で、明らかにアイデアルと歩調を合わせているものがひとつ。心拍数が上がる。どうせ偶然だろうと己に言い聞かせながら、アイデアル は先程までと同じように横道に逸れる。二度、三度……角を曲がる度に足跡はなおも後をついてきた。気付けば人通りのまばらな裏路地に入り込んでいる。 背中を粟立たせながら歩調を上げると、足跡も同じく歩調を上げる。偶然ではない、追跡されている。(……ウソでしょ)スガキに聞かされたオイランたち の無残な死に様がよぎり、呼吸が上ずり始める。アイデアルはできる限り自然を装い、向かいの角に立つカーブミラーをちらりと見え上げる。 タタミ5枚分ほどの距離の背後に真っ赤なレインコート……フードを目深に被り顔は判然としないが、体格は女だった。そして手には長いボー状の物体…… 件のツジギリの特徴。やがてフードの女はミラー越しに自分を見る視線に気付き、ぴくりと顔を上げた。その瞬間、アイデアルは全力で走り出した! …………「アイエエエ!コワイ!コワイよ!」バチバチと「ぴち桃」のネオン看板が明滅する無人のストリートを、振袖めいた赤いジャケットを振り乱し ほうぼうの体で逃げる女。アイデアルである。彼女は何度も後ろを気にしながら必死に走っていた。その胸は標準的だった。 「コッチ!コッチだ!」アイデアルは左右を見渡し、そのまま真っ直ぐ暗い路地へと逃げ込む。「ハァーッ!ハァーッ!」その間も何度も後ろを確認しながら 逃げ続ける……一体何が?その時だ! 「バハァーッ!」ナムサン!前方の暗がりから出現したのは、「↓ニダイメ御披露目↓」とディスプレイ表示されるサイバーサングラスを着用し、下卑た笑い と共にロングコートを蛾めいて広げ、でっぷりした裸体と硬直した局部を見せつけるヘンタイ露出魔だ!「邪魔ッ!」「アバーッ!?」 股間を蹴り飛ばしたヘンタイ露出魔を後にアイデアルは再び必死に走る!「アバッ……バハァーッ!」「邪魔ッ!」「アバーッ!?」ほどなくし、背後から再び 露出魔の悲鳴と女の声。「ナンデ逃げるの!」もはや振り向く余裕もないが見知った声。やはりスイセンだ!「逃げるに決まってるだろ!バカ!」 再び角を曲がると、狭い路地には隣接するビル工事資材の束が固定もなく高く立てかけられていた、危険!「イヤーッ!」走り過ぎかけたアイデアルは振り返り ケリ・キック!CRAAAAAAAAAAAASH!!アンバランスな鉄柱は呆気なく傾き、作りかけの足場を巻き込み路地を塞ぐように盛大に崩壊!安請合だ! 「ンアーッ!?」想像以上の派手な被害に目をしばたかせつつ、スイセンの悲鳴を置き去りにアイデアルは狭い路地を走り抜け、トエ・ラインの線路上を跨ぐ橋 に出た。ここを渡れば再び酔客でごった返す大通りだ。再び背後を繰り返し確認するが、追ってくる気配はない。轟音を立てて足下を電車が通過していく。 「ハァーッ!ハァーッ!」もはや息を切らすアイデアルは、小休止めいて橋の欄干によろよろと手を着く。「なんだってンだよもう……」欄干に書かれた「真ん 中を渡らないと死ぬ」の不穏なグラフィティに舌打ちし、再び駆けようとしたその時。「痛った!」ゆらりと現れた人影にぶつかりアイデアルは尻餅をついた。 「クソが!どこ見て歩いて」毒づき顔を上げたアイデアルは硬直した。赤。夜闇と重金属酸性雨の帳の中でもけばけばしく際立つ色が目の前に立ち塞がっていた。 古典歌劇の舞台から現れたような仰々しい西欧貴族めいた深紅のフロックコート、その生地は無数の返り血でいびつな濃淡を生じている。更に黒い皮手袋とカタナ。 震える事も忘れて目を点にしたアイデアルの焦点は上へ。一見男と見間違えかねない、平坦なバストの長身の女、後ろで結われた長い黒髪が風に揺れる。ガイジン めいた白い肌、青い瞳には汚物を見るような侮蔑或いは憤怒が浮かぶ。そして……おお、見よ!口元はメンポで覆われている!ニンジャである! 「貴様ニンジャだな?ドーモ、カーディナルです。名乗れ下郎」アイサツは神聖不可避の掟。アイデアルは遅れてやってきた震えと共に、尻餅をついたまま覚束 なく手を合わせた。「ド、ドーモ……アイデアル……です」「そうか、お前がそうか。ようやく見つけたぞアイデアル=サン。随分手間を取らせてくれたな」 嘲笑、安堵、苛立ち……複数が混ざったくぐもった嘆息を漏らす赤い女ニンジャ。只ならぬ狂気じみたアトモスフィアにアイデアルは慄いた。「なに、何なの、 アタシ、あンたの事なんて知ら」「当然だ、私も名前と安い金髪のオイランという以外貴様の事など知らん。興味もない。必要なのは貴様が持っている物だ」 カーディナルは屈み、アイデアルにずいと顔を寄せた。大きく見開かれたガラス玉めいた青い瞳。虹彩の周囲は血走っている。「アイエエ……!」「手帳はどこだ」 「エ」「ナカヌキ・トランスポート元重役シメジ・トシトキ。以前貴様がツツモタセした客から盗み取った手帳だ。アレはどこにある」 思いもよらぬ言葉にアイデアルは困惑した。ツツモタセ?手帳?記憶を辿るが心当たりは無数、何より恐怖と混乱により全く焦点が定まらない。目を泳がせながら なんとか言葉を絞り出す。「なに、そんなの」「イヤーッ!」カーディナルは瞬時に腰のサーベルめいたカタナを抜き、振り上げた! 「ンアーッ!?」胸元から頭頂部まで、走り抜けるような鋭い痛みにアイデアルは叫んだ!チューブトップと下着が中央で両断され標準的なバストがまろび出る! ……だがその下の肌には傷一つついていない。マンジュウの薄皮一枚のみを斬るかの如き、対象に斬られた錯覚すら覚えさせるイアイのワザマエである! 「答えろ。次は耳を削ぎ落す。その次は瞼、頬の肉だ。適当な返答もシラを切るのも時間稼ぎも許さん、その度に薄造りめいて少しずつ削いで刻んでやる。手帳を 渡すか隠し場所を素直に吐けば一太刀で終わらせてやろう」モンドムヨーに捲し立て見下ろすカーディナルのギラついた眼光が突き刺さる。「アイエエ……!」 両手で胸を隠し震えるアイデアルは顔面蒼白。この女が例の猟奇ツジギリと確信し、再び脳裏によぎった腹を裂かれ顔を削がれたオイラン達の惨殺死体。そこに 己の姿が重なった。「早く言え。10秒以内だ。10……9」「ま、待って」「8……7……6」瞬き一つせぬ見開いた眼のままカウントを続けるカーディナル。 アイデアルは口をパクパクさせながら必死に記憶を呼び起こそうとする。(ナカヌキ・トランスポート、暗黒メガコーポ?重役?そんなの相手になんて)「5…… 4……」ニューロンをフル回転させ、主観時間が鈍化したアイデアルはやがて1カ月程前の客を思い起こした。延々と過去の自慢話と加齢臭が鼻につく、弛んだ老人。 金払いも良く、物の良いカチグミスーツを着ていたが、クリーニングもアイロンも行き届いていない一張羅の使い廻しとすぐにわかった。なけなしのカネを叩いて 安いオイラン相手に更に安いプライドと虚勢を満たそうとする典型的な落伍者。栄光の象徴めいて意味もなく自慢げにパラパラとめくっていた黒革の手帳…… 「……マッテ!思い出した!言うから!」「3……2……」カーディナルはカウントを止めない。アイデアルがどう答えたところで、元より生かすつもりもなければ 楽にカイシャクしてやるつもりないのだ。フロックコート同様に血のこびりつくカタナの切っ先が、サクランボめいたピアスの揺れる左耳に向いた。 「アイエエエエエーーーッ!」完全に腰を抜かしたアイデアルは逃げる事も出来ず、咄嗟に頭を抱えてうずくまる。無意味だ。「1」「イヤーッ!」「イヤーッ!」 空を切る音とカラテシャウトにアイデアルはびくりと震えたが、カタナは振り下ろされなかった。寸前に聞こえた別のシャウト。 「エ……?」アイデアルは恐る恐る目を開ける。ボーめいた張り替え用フスマ紙のロールが両断され、重金属酸性雨に塗れながら足元をはらはらと転がっていた。 端にはコケシマートの会計済シール。「なんだ貴様は」舌打ちするカーディナルの視線はアイデアルの背後、フスマ紙を投げつけた主を睨みつけている。 アイデアルが振り向くと、橋の対岸には乱れた赤いレインコートを羽織った少女の面影を残す女ニンジャ。メディテーションめいて深く息を吐き、フードを取ると 艶やかな長い黒髪がまろび出た。女ニンジャは流麗に手を合わせ、オジギした。「……ドーモ、初めまして。スイセンです。その人に用があります」 【NJSLYER】