ここは魔法少女の"あめ"が固有魔法で作り出した近未来的なデザインの作戦会議室。 ホログラムが魔女図鑑やフローチャートを映し出し、天井に吊るされたギロチン刃は振り子のリズムを刻んでいる。 私、暁美ほむらは美術館にありそうなU字型ソファーに腰を下ろし、まどかとの約束を思い出す。 ――キュゥべえに騙される前の、馬鹿な私を助けてあげてくれないかな。 これは魔女になる前に殺して欲しいと頼まれた際の遺言だ。あの震える声と哀切の涙は脳に焼き付いている。だから、私は彼女の魔法少女契約を阻止するために、何度も世界をやり直してきたのだ。 この約束は決して呪縛ではない。私に生きる目的を与えた、まどかの優しさだ。あの時の私はこんな理不尽な世界など滅んでしまえと思っていたのだから。 ただし、私の固有魔法は厳密に言うと、世界をやり直す力ではない。時間遡行した上で新たな世界に渡る、もしくは分岐させる能力に過ぎないのだ。 だから、既に死んだまどかは二度と生き返らない。それでも、飛んだ先でまどかを守り抜ければ、死んだまどか達の無念を晴らせると自分を納得させてきた。 私は約束を果たせていない。確かに、この世界の“まどか”はワルプルギスの夜の脅威を乗り越えた。だが、彼女は私のまどかと連続性がない。私はミラーズで今の世界にやってきたからだ。 これは他人には些細な違いかもしれない。しかし、私にとっては、長年の努力と犠牲に意味を持たせるための譲れない一線なのだ。 本来なら、すぐに盾を回して次の世界へ渡るべきなのだろう。それなのに、戦友の“あめ”を危険に晒したまま別れるのを躊躇してしまった。 できるならば、この世界の彼女と共にタイムリープできる方法を見つけたいと思ってしまった。せめて、柊ねむのパラレル記憶のウワサを利用できれば…いや、そこまでいくとエゴでしかないか。 今の私を、あの世界の‘私’が見たらどう思うのだろうか。 ////////////// すべては、私の60回目の挑戦から始まった。ワルプルギスの夜が見滝原を飛び去った後に、敗北の証として残されるまどかの亡骸。この悲しみと怒りは何度体験しても慣れることはないし、慣れてはいけない。 あたりを見渡せば、豪雨の作り出した湖から、瓦礫と化したビルが岩礁のように突き出ている。復旧には長い時間が掛かるだろう。 今回は他の魔法少女達は戦いの前に死んでしまった。まどかの家族がいる避難所を防衛できたのはせめてもの幸いか。 ミサイルや戦闘機の残骸は、私が軍事基地から奪った兵器のなれの果てだ。今回も時女一族とやらが、誰かを魔法少女にして問題を沈静化させるのだろうか。過去にキュゥべえが聞いてもいないのに説明してきたから、日本の暗部を知ってしまった。 ――鹿目さんとの出会いをやり直したい。 彼女に守られる私じゃなくて、彼女を守る私になりたい。 私は時間遡行するたびに、阿鼻叫喚の見滝原を作り出してきた。それだけでなく、私がループするごとにまどかの因果は強まっていく。そのせいで、あの子はキュゥべぇに狙われやすくなり、魔女化した時には地球ごと滅ぼしてしまうのだ。 そう、私は絶望の世界を生み出し続ける大罪人。たとえ魔女退治で相殺しても、魔法少女になる前よりも、周りに迷惑をかけているだろう。私の願いに意味はあったのだろうか。 それでも、心折れて立ち止まれば、積み上がった屍の山に押し潰され、二度と立ち上がれなくなる。だから、あの日のまどかとの約束というたったひとつの道しるべだけを見つめて、すみやかに新たな世界でやり直すのだ。 ただ、今の私はすぐには時間遡行せず、与えられた機会を有効に使うことにしている。まずは最愛の人の遺体を救助隊に引き渡し、戦力強化のために情報収集をする。 市外へ向かう途中で、これまで一度も見たことのない魔女結界を発見した。漂う瘴気から強大な魔女だと推測できる。私は今後の不確定要素を減らすため、探索を決断した。 内部はキュビズムを思わせる奇妙な洋館だった。特に目立つのは至る所に掛けられ、もしくは浮いている幾つもの鏡だ。そして、合わせ鏡に触れば異なる鏡層へワープできると判明した。 私は使い魔と交戦しながら、奥へ奥へと進んでいく。魔法少女のコピーまでいたものの、後れを取るようなことはない。なにせ、こちらは累計6年のベテラン魔法少女なのだ。 しかし、いくら進んでも主の元にたどり着けない。この迷宮は広大なだけでなく、常に構造を変化させているようなのだ。 これで最後の探索にしようと鏡で飛んだ先は、幅の広い一本道だった。そこに使い魔は一匹もおらず、突き当りに結界の出口があった。 これまでとは何か空気が違う。私は思い切ってそこの出口を使うことにした。 すると、外には困惑の光景が広がっていた。番地標識は見滝原市を示している。だが、破壊の痕跡は一切なく、平穏な日常が広がっていたのだ。 スマホを確認しても日付は変わらない。つまり、時間遡行はしていない。そして、音声通話やモバイルデータ通信はIDエラーで使えない。ここは魔女の作った幻かもしれない。 私は『紫華鬘の種子』を取り出した。市外で手に入れたアーティファクトで、幻術や幻覚の魔法を打ち消す効果を持っている。だが、指でこれを潰してもパチンと音が鳴っただけで、何の変化ももたらさなかった。 もしかすると、あの出口は平行世界に繋がっているのかもしれない。ならば、やることはただひとつ。私はこの世界の‘まどか’の安否を確認するために、彼女の家へと向かった。 ショートカットのために裏路地を走っていると、奇妙な魔力パターンがこちらに急接近してきた。私は咄嗟に物陰に隠れ、盾からベレッタM92FSを取り出す。それを右手で持ち左手で狙えるようにする。次の瞬間、屋根の上から最も身近で、最もありえない声が語りかけてきた。 「姿まで同じとはね。誰かの変身魔法か……それとも新手の魔獣かしら」 ◇ 私と瓜二つの少女が鋭い眼差しを向けてくる。相違点は時間遡行の盾を持っていないこと、銃の代わりに魔法の弓を構えていることか。例の魔法少女もどきは結界から遠くへは移動できない。恐らく、彼女は平行世界の‘私’だ。 私は不要な争いを避けるため、ここに来た経緯を説明する。だが、相手は照準を固定したまま、怪訝な顔をする。 「それはおかしい……魔女は全ての平行世界から消えたはずよ」 「えっ、そっちの方がよっぽど飲み込めないんだけど」 スケールが大きすぎて話の真偽以前の問題だ。だが、相手は戸惑いを無視して言葉を続ける。 「もしも、貴女の話が本当に魔女のいる世界から来たのなら、鹿目まどかの写真を見せてくれないかしら……ええ、そうね、それが一番確実だわ」 「なぜ、まどかの写真を? 結界を直接見た方が――」 「能書きはよいから早く頂戴、1枚でもいいから、いえ、持っている写真をすべて見せて」 彼女は禁断症状に駆られたように急かしてきた。私は勢いに押されて待ち受け画面を提示する。 「ほら、これが私の自慢のまどかよ。好きなだけ堪能しなさい」 「やっぱり、‘まどか’は実在していた……私の妄想じゃなかった」 彼女は今にも泣きそうな顔をしてゆっくりと弓を下ろした。 私はすぐには状況を飲み込めなかった。だが、少女が写真に向ける表情を見て、彼女もまた暁美ほむらだと納得した。 ◇ 都市の喧騒から離れた雑木林へ移動する。この場にいるのは2人だけであり、ただ近くでメジロの鳴き声が響くだけだ。私はローカル通信で‘ほむら’にまどかのデータを送信する。 「これで写真も動画も最後よ。そろそろ、この世界の‘まどか’について話してくれないかしら」 「聞いたら後悔するわよ、確実に」 「情報不足で取り返しのつかない失敗をするよりはマシよ」 「……まずは円環の理の成り立ちから話すわ」 ――全ての魔女を、生まれる前に消し去りたい。全ての宇宙、過去と未来の全ての魔女を、この手で。 30回目のタイムリープにて、‘ほむら’のソウルジェムが濁り切ろうとした時、‘まどか’はこう願ってしまった。 その時、すべての平行世界は再構築された。宇宙の法則が書き換わり、魔法少女は魔女になる前に、円環の理に導かれて消えるようになった。 ――君という存在は、一つ上の領域にシフトして、ただの概念に成り果ててしまった。もう誰も、君を認識できないし、君もまた、誰にも干渉できない。君はこの宇宙の一員ではなくなった。 だが、キュゥべえの警告通りだった。‘まどか’は未来永劫、魔女を滅ぼす概念となり、人としては存在しなくなってしまったのだ。この世界で‘ほむら’以外に‘まどか’を覚えている者はいない。 私はそれを聞いて考えるよりも先に手が動いた。短く鋭い破裂音は囀る小鳥を逃走へと追いやる。 「あなたに一発、平手打ちを食らわせていいかしら?」 「今したじゃない……この仕打ちはあんまりだと思うわ」 「眉間を撃ち抜かれなかっただけ感謝しなさい」 ‘ほむら’は、‘まどか’に魔女化になれば世界を滅ぼすと警告してしまった。その結果、彼女はマクロの視点を得て、魔女という不幸を取り除けば良いと判断してしまった。 ただし、‘まどか’は自己犠牲マシーンではなく、今の家族、友、生活にも未練はある。ただ、自己実現欲求に飢えていて、極端なまでに目の前の困っている人を見過ごせないだけなのだ。 だから、せめて‘まどか’に過去の苦悩を漏らすべきではなかった。戦いで無様に倒れ、己の努力を無意味だったと嘆くべきではなかった。 「痛みは甘んじて受け入れるわ。それでも、悔やんだりしない。あの子が私の努力を無駄にしないと約束してくれたのだから」 ‘ほむら’は腫れた頬を触りながら反論してきた。‘まどか’は魔法少女の願いを絶望に変えたくなくて、誰も魔女にならない世界を作った。ならば、自分は彼女の望んだ世界を守り抜く。それこそが‘まどか’を守る新たな方法であり、この手で果たすべき使命なのだと。 私は冷ややかな視線を向けながら避難する。 「‘まどか’を死より残酷な戦いに追いやりながら、よく開き直れるわね」 「あの子は契約を後悔してなかったし、満足していたわ」 「満足ね……鹿目まどかは生まれながらの救世主じゃなくてただの人間よ。私達のループが彼女に膨大な因果を押し付けただけ。  本人が望むかどうかに関わらず、私達にはあの子を女神にしない責任が――いや、義務があったはずよ」 「あなたもまどかを守れてないのにそれを言うの。終わりの見えないやり直しを続けて、何人ものまどかに報われない願いをさせる方が残酷じゃないかしら」 「悲劇は次の周で終わらせるつもりよ。少なくとも毎回そのつもりで挑んでいるわ」 二人は睨み合う。‘ほむら’はもう一人の私。選ばなかった道に幸せな結末があったかもしれないと、不安になってしまう。だから、己を守るために互いに強い言葉を使うのだ。 言葉の応酬は途絶え、枝葉を揺らす音だけが静寂を無視していた。 先に根負けしたのは‘ほむら’の側だった。 「……もしも、立場が逆だったら、あなたのように反発したでしょうね。今だって、もう過ぎたことだから、‘まどか’の決断を尊重しているだけ」 「あっさり持論を撤回するのね。それはそれで、近いうちに心折れないか心配になるんだけど」 「問題ないわ。私の世界の‘まどか’が幸せなことと、何処かの世界のまどかがで人として長く生きることは、両立できるから」 失敗を受け入れた上で夢を私に託す。私の半分の周回で終わったくせに、こちらよりも大人かもしれない。 これ以上、彼女を糾弾する必要はないだろう。仮に、この世界の‘まどか’が契約しなくても、他の世界のまどかが同じ願いをしたことだろうから。 「それで満足できるなら好きにしなさい。それよりも聞きたいことがあるわ。‘まどか’の願いは全ての時代と平行世界に及ぶって言ったわよね」 「ええ、私とキュゥべえはすべての宇宙が改変されるのを見ているわ」 ‘まどか’が願った直後、‘ほむら’は超時空間に飛ばされた。そこでは無数の宇宙が光球の形で漂っており、次々と書き換わっていったそうだ。 「そこは一旦受け入れるけど、私の世界にまどかや魔女がいることはどう説明するのかしら」 「その疑問はあなたに会った時からずっと考えていた。おそらく、鹿目まどかの契約が、魔法少女達の祈りを無駄にしないために行われたものだからよ」 ‘ほむら’は顎に手を当てて説明を続ける。過去の魔女達を消せば、魔法少女どころか、人類全体の歴史が大幅に変化してもおかしくない。 確かに、色の名前や商品名など微妙に変わっているものもある。だが、誤差のレベルだ。見滝原は健在で魔法少女達は以前と同じ願いをしていた。 おそらく、円環の理はそれぞれの世界を終わりまで俯瞰した上で、魔法少女達の変化を最小限に留める形で改変しているのではないかと。 「言うなれば、願いの変分原理ってところかしら……いえ、ただのSF用語だから気にせず話を続けて頂戴」 「それで裏を返せば、まどかが未来を見通せなかった世界、もしくは実際に時を経過させる必要のある世界は、改変の例外になるんじゃないかって思ったのよ」 彼女は例を挙げる。それは暁美ほむらが鹿目まどかを守り抜いて天寿を全うした場合である。 その場合、普通に改変すると、ほむらの願いと成果を踏みにじることになる。たとえ、ほむらの死後に改変しても、歴史の初めからまどかのいない宇宙になってしまうからだ。 これを避けるには、その世界を最後まで終わらせた上で、魔女のいない2周目として複製するしかないだろうと。 その場合、魔女のいない世界の住人が魔女のいる世界を観測する可能性も出てくるのだ。 「要するに、私の世界には、まどかを救える未来もあると言いたいわけね。ありがたいけど、かなり楽観的で論理の飛躍も多いわ」 「どうせ、裏取りは不可能なんだから、都合よく想像させて貰うだけ。  それに自惚れになってしまうけど、鹿目まどかは暁美ほむらのためにそれだけのことはする。あの子は私を最高の友達と言ってくれたもの」 この世界の‘キュゥべえ’は‘ほむら’が契約した日を知らない。世界の再編後、分岐した世界はひとつに収束し、時間遡行はなかったことになったはずなのに。 あたかも改変前の世界からこの世界に来たかのような扱いだ。 「あなたが‘まどか’のことを覚えていられる理由……もしかすると、あの子と新たに魔法少女契約をしたからかもしれないわよ」 それなら、今の武器がまどかの弓と似ている説明がつく。‘ほむら’は軽く目を瞑って物思いに耽り、言葉を続けた。 「望外の喜びね。今度はそっちが説明責任を果たす番よ。あなたにワルプルギスの夜を倒せる見込みはあるの?」 ◇ 相手の開かれた目には、こちらを試すような色があった。いいだろう、答えはもう出ている。私は向こうの倍はタイムリープしてきたのだ。 「正直に言うわ。普通に戦っても勝率はほぼ確実にゼロでしょうね」 あれの最大出力は文明圏を壊滅させる程のもの。普段はこちらの力量に合わせて、手を抜いて遊んでいるだけなのだ。 中途半端に戦力増強したところで、その分、やる気を出されて返り討ちに遭うだけだろう。下手すると町の犠牲が増えてしまうかもしれない。 だから、殆ど全ての世界において、ほむらは何処かで諦めてしまうとまで考えている。‘ほむら’の世界がやらかさなくても、どこかの世界から円環の理が生まれただろう。 「はっきりと言ってくれるじゃない。その割に余裕のある口振りだけど、正攻法以外で挑むつもりかしら?」 「ええ、別にあれを倒さなくても構わないのよ。まどかを危険から遠ざけさえすれば」 「それだとあの子は契約してしまう……まさか、眠らせて拉致監禁?」 「そこまで堕ちちゃいないわ。舞台装置の魔女が街を飛び去るまで、あれに本気を出させないように戦うだけよ」 暁美ほむらが善戦してる間は、鹿目まどかが契約する確率は低い。ならば、最後まで膠着状態で終われば良いという逆転の発想。 何十周もの戦いを通して、ワルプルギスの夜の行動パターンを把握してるからこそ可能な戦術である。 ただし、まどか達の避難所は魔女の針路にあるため、攻撃の直撃する可能性が高い。なので、私は爆撃などで魔女の動きをコントロールしたり、現場にあらかじめテロ予告をして、人々を別の避難所に誘導したりもする。 もちろん、終戦後、まどかが復興のために願いを使う可能性はある。それでも、私は時間遡行せず、彼女と共に生きるだろう。 まどかが先に契約しており、ワルプルギスの夜から生き延びた場合も、同じようにするからだ。 ‘ほむら’は感心したように目を細める。だが、すぐに小さく首を振り、残念そうな表情を浮かべた。 「発想は悪くないわ。だけど、固有魔法の制約を忘れたわけじゃないでしょうね」 暁美ほむらは盾を傾けて砂の落下を止めることで時間停止する。だから、時間遡行から1ヶ月経つと、砂が尽きて魔法を利用できなくなるのだ。 そのタイミングは、よりにもよってあの魔女との戦闘中である。そのため、ほむらが持久戦の選択肢を取るのは困難なのだ。 「それは十も承知よ。でも、固定観念に囚われていたらまどかは救えない。暁美ほむらの無限の可能性を見せてあげるわ」 私は小石を高く蹴り上げ、すぐに盾を傾けて時間停止を行った。そして、‘ほむら’の肩に触れて時間を同期する。すると、彼女は虚空に静止した石を目にし、虚を突かれた様子を見せる。 「これはどういうカラクリ? とっくに1ヶ月過ぎたんじゃなかったの」 「やっぱり、調整のことは知らないようね」 私は少し口角を吊り上げて盾を戻す。すると、堰き止められた時間が動き出す。今の私は調整したお陰で、砂が落ち切った後でも1日に合計10分間だけ、時間を止められるのだ。もっとも、この規模の調整となると大量のレア素材が必要となるが。 私がお世話になった調整屋はリヴィア・メディロス。彼女は低確率でワルプルギスの夜襲来から1週間後、見滝原の惨状を見かねてやってくるのだ。その腕前は確かな上に、こちらと一定の心理的距離を保ってくれるのでかなり都合が良かった。今ではループの数日以内にリヴィアの元へ訪れている。 ‘ほむら’は私が市外遠征時に発見したアーティファクトを手に取りながら納得した様子を見せる。 「読心のリスクはあるにせよ、魔獣退治にも役立ちそうね……私も一歩踏み出せていれば、別の道が拓けたのかしら」 「気に病む必要はないわ。私も彼女に出会えたのは55周目からだから。調整なしにワルプルギスの夜を生き残るのは、ほぼ不可能だもの」 事実、巴マミや佐倉杏子のような猛者でさえ、消耗の末に被弾して生き残ることはない。 だから、私も時止めできなくなった時点でタイムリープしていた。魔法少女のまどかがまだ戦っていてもだ。あれなしにあの子を守る術はなく、ほぼ確実に死ぬのが分かっているから。私はつくづく冷たい女だと思う。 「じゃあ、どうやって……まさか初めから戦いを避けた?」 「いえ、捨て周を作るつもりはないわ。私はいつだって、これが最後の周になると思って全力で挑んでいる」 そうでなければ、私は人間性を失ってしまう。初めからの世界を見捨てるつもりでいたら、これまでよりも気軽に、人や地球を見捨てるようになるだろう。 価値観の狂った怪物がヒーローごっこをしたところで、ハッピーエンドはおぞましいものにしかならない。 それに演技力に乏しい暁美ほむらでは、人を手段としか見ない生き方をした時点で、他者に傲慢な性根を見透かされ、協力を得ることに失敗するだろう。 「そうなると…生き残れるのはまどかが願いでワルプルギスを倒した時くらいしかないんじゃ」 「ええ、そうよ。その後にあの子は反動で魔女になるから、何度もまどかのジェムを割る羽目になったわ」 私は無意識に拳を強く握りしめる。まどかが撃破の代わりに浄化や封印などを願っても同じ結末になった。理屈は不明だが、無敗の魔女ならそれくらいの罠があってもおかしくない。抜け道もありそうだが、そのために捨て周は作れない。 なんにせよ、殺害後の私のメンタルはボロボロで、新たな魔女を狩るリソースは底を突いている。だから、生き延びても大して滞在できず、成果はあってないようなものだった。 それでも私は見えない活路を求めて、何回も挑戦を続けていた。そして、たまたま調整屋がやってくる世界線に辿り着けた訳だ。私は我武者羅に突き進んで賭けに勝ったのだ。 「あのトラウマ行為をよく繰り返せるわね。私なんて魔女化を放置して盾を回していたわ」 「辛いのは同意する。初めは私もそうしてたもの。それでも、袋小路の地獄に陥ったら、立ち止まる訳にも行かなかった」 やり直しでまどかの因果が増えるにつれ、彼女の魔法少女としての力も少しずつ増していった。 そしてついには、他の仲間たち全員を合わせた以上の力を持つ存在になってしまう。すると、舞台装置の魔女も、それに応じて本気を出してくる。その結果、まどか以外の魔法少女は戦いの足手まといになってしまった。 そして、あの子は私たちをかばって戦いの先頭に立ち、やがて命を落とすのだ。何度も、何度でも??。 「よく絶望せずに前に進めたわね。称賛に値するわ」 彼女は指先だけを伸ばしてこちらの肩を軽く叩いた。たとえ、もうひとりの私からでも、労いの言葉はクリーンヒットした。 無意識に飲み込んだ息が喉でつかえて、ワンテンポ言葉が遅れてしまう。 「……まどかのためなら何だってできるだけよ。それより、生存に余裕ができたら、別の問題が浮かび上がってきたの。それは時間遡行するタイミングよ」 この状態だとかなり長い期間、まどかの死んだ世界に滞在できる。つまり、周りが未来に向かって進んでいる間、自分だけが今をなかったことにする前提で生きることになる。 「そう言われてみると、これも人の道から外れた生き方ね。捨て周が捨て時間に変わっただけかもしれない」 「だから、人であり続けるために、自分なりにルールを決めておいたわ」 1.自分の手の届く範囲で人助けはする。最低でも見殺しはしない。 2.全ての行動がまどかの救済に結びつくように心がける。 3.もう盾を回したくなくなったら、できるだけ早く盾を回す。 ルールの適応に柔軟性はあってよい。だが、言い訳できない一線を越えてはいけない。それなりに困難なハードルだが、今のところは達成できていると思う。‘ほむら’は納得した様子で頷いた。 「ベストよりもベターを目指した基準ね。悪くはないわ。それで、この世界でも情報収集するつもりかしら?」 「いえ、すぐに立ち去って、通った鏡を破壊するつもりよ」 たとえ、本体の魔女を倒さなくとも、異世界からの魔力の供給が途絶えた時点で、すぐに結界は消滅するはずだ。 「気が早いのね。せめて1日くらい休んで行きなさい。明日になれば、巴マミ達の応援も呼べるわよ」 「甘いわね、本当に私かしら。その間に魔女結界をインキュベーターに悪用されたらどうするの。最悪、魔女システムに似たものを再構築するかもしれないわ」 「ああ、感覚がマヒしてたけど、アレはそういうやつだった……気を許して世界改変前のことまでベラベラ話していたわ」 ‘ほむら’は己の迂闊さに、しばらく頭を抱えていた。 「しっかりしなさい。あなたは‘まどか’の世界を守るんでしょ」 「ええ、今後はキュゥべぇに1ミリも心を許さないと堅く誓ったから大丈夫よ」 「私は自分に降りかかる火の粉を払いたいだけで、責めるつもりはないから。それにあなたはまどかの実在すら不安視する程に追い詰められていたんだから、情状酌量の余地はあると思うわ」 「私もその結界に興味があるから、同行しても良いかしら」 「構わないけど、先に近くのショッピングモールで物資を調達してくるわ」 「分かったわ。私はここで待ってる」 裏路地を抜ける際に、後ろから微かに独り言が聞こえた。 「……無理し過ぎよ」 ◇ 「こいつら、魔女より貧弱だけど、数はごまんといるわね」 私は袈裟を纏う石膏の巨人にヘッドショットを決める。 魔獣達が感情エネルギーを吸い上げているせいで、結界が穴開きチーズのようにスカスカになっていた。 奴らのせいでキュゥべえが近づけないのは好都合。だが、このままだと合わせ鏡まで喰われかねない。 私は相方をちらりと見る。彼女は眉を顰めて動かない。 「貴女でも手に負えないなら、時を止めて一気に駆け抜けるわよ」 「……いえ、その必要はないわ。少し考え事をしていただけだから」 ‘ほむら’が片手を掲げると頭上に光の魔法陣が展開される。彼女がそこに向かって矢を放つと、鋭い紫電が敵陣へ雨のように降り注いだ。光は魔獣たちを次々と貫き、その肉体を一瞬で霧散させる。 魔獣の瘴気は晴れ、後に残されたのは幾つもの小さな白い立方体――グリーフキューブだけだった。 「とんでもない魔力係数ね」 私は指でキューブの確かめながら称賛する。巴マミの全力ティロ・フィナーレを上回っている。私の世界のまどかよりは下だが、あれは比較対象にしてはいけない。 すると、‘ほむら’は頭のリボンを指差しながら、自信に満ちた笑みを浮かべた。 「これが私とまどかの絆の力よ」 それから、合わせ鏡の無事を確認。私は胸をなで下ろした。私が別れの挨拶をしようと口を開いた時、‘ほむら’が爆弾発言をしてきた。 「もしかすると、この結界の魔女の出身世界が分かったかもしれない」 「どういうことかしら。さっきまでまどかの実在さえ疑っていたわよね」 「ついさっき思い出したのよ。超時空間の中にひとつだけ、改変できない宇宙があったの」 それは不安定な光を放ち、改変される様子のない泡だった。キュゥべえはその世界を「何からのバタフライエフェクトによって唯一無二の事件が起きた特異点」と分析したらしい。 その泡に触れると、脳内にここの鏡屋敷そっくりの後継が映し出された。その中心には暁美ほむらと同じデザインのソウルジェムが置かれていて、急にその世界の"ほむら"の記憶がたっぷりと流れ込んできたそうだ。 「……その世界の“まどか”はどうなったの?」 「悪いけど、結末までは分からないわ……成功続きの展開を観るのが嫌になって強制遮断したから。今まで忘れていたのも、その反動のせいだと思う」 彼女は居心地悪そうに目を逸らした。確かに、すべての世界が改変されると思っていたなら、別の可能性を見続けるのは時間の無駄である。もしも、それがハッピーエンドだったとしたら、永遠に後悔することになろう。 「そんな失態は‘まどか’の喪失に比べれば些事よ。分かっている情報だけでも価値があるから話してくれーー」 会話を遮るように、空間がゆらめき始め、瘴気が濃霧のように空間を満たしていく。次の瞬間、大量の魔獣が舞台の背景のように唐突に生えてきた。 人型の雑兵だけではない。炎のシュゲン魔獣や腐食のサトリ魔獣、おまけに最上位である幾何学型の怪物ーー氷のゲダツ魔獣まで混じっている。私は先手必勝で対戦車ロケットを撃ち込む。 「もう増援って……魔獣は感情エネルギーに強い敵意を抱いてるようね」 「要点だけ話すわ。特異点の神浜市には、魔女化を防ぐ自動浄化システムがあるの」 「そんなものがあるなんて初耳よ」 私は周辺都市の情報収集も行っている。だが、神浜で把握できたのは、東西対立が激しいことやリヴィアの弟子がいること、悪名高き四大魔女が倒されたことくらいだ。 「だからこそ、特異点なんでしょうね」 「まあ、あすなろ市で似た試みがあったのは知ってるし、ありえなくはないのかしら。あっちは失敗に終わったみたいだけど」 だが、もしも、成功例を私の世界に持ち込めれば、たとえ、まどかが魔法少女になったとしても、天寿を全うさせられるかもしれない――希望が胸に灯る。 「とにかく、私も詳しいことは分からないから、直接、確かめてきなさい」 「この魔女が特異点出身という保証はあるの?」 「あの時に記憶が流れ込んできたのと、今回、思い出した時の感覚が少し似てるの。なんというか、水道の蛇口に残っていた水のような」 ‘ほむら’は魔法の翼で周囲の霧を吹き飛ばす。それは漆黒に輝く宇宙空間であり、幾多の星々が煌めいていた。 間を置かずに射られた閃光はゲダツ魔獣の冷気を相殺し、その余波だけで数体の下級魔獣が霧散する。 「つまり、直感ってこと?」 「勿論それだけじゃないわ。魔女の結界がこの世界で存在できるのは、円環の理が大元の魔女に干渉できないせいじゃないかしら。不安定な世界ごと壊しかねないから」 「単に理は魔女になる瞬間に干渉するだけだから、魔女そのものはノーマークなだけかもしれないわよ」 しかし、倒した魔獣よりも多くの数が補充される。奴らの侵攻は止まらない。この空間が完全に崩壊するのも時間の問題だろう。彼女は新たな矢を番えながら、私に行動を促す。 「判断は後で良いから次の鏡層へ行きなさい。そうしたら、私も結界から脱出する」 「あなたは一緒に来なくてよいの?」 「狂おしいほどに魅力的な提案ね。でも、私が去ったら、この世界に‘まどか’を覚えている人がいなくなる」 「志は立派だけど……まどかのいない日々に耐えられる?」 「正直、自信はないわ。でも、これはできるできないの問題じゃないの。私と約束した‘まどか’はあの子だけだから」 ‘ほむら’は再び頭上に魔法陣を展開する。私が最後に見た彼女に悲壮感はなかった。ただ、ひたむきな意志の光だけが宿っていた。 鹿目まどかの言葉はいつだって暁美ほむらに希望を灯す。その光が尽きる日がいつか来るとしても、今はただ、彼女を支え続けるだろう。 ◇ 私は‘ほむら’の世界と繋がる鏡を壊した後、特異点世界への探索を続けていた。十数枚回目かの合わせ鏡に触れた時、光りに包まれて白昼夢を見た。 ――見滝原と異なる街を荒らして去っていくワルプルギスの夜。   次に映し出されたのは、瓦礫の前で泣き崩れる小学生らしき少女。   そこにキュゥべえが現れると、彼女は契約を結ぶ。時空が歪み、何かがずれて接続されるような感覚が、私を飲み込んだ。 視力が戻ると現実が返ってくる。それから、数時間ほど彷徨い、迷宮の出口を見つけた。結界の外は古びた洋館。傷だらけの木製の床に朝日が差し込み、埃が光を帯びて浮かんでいる。 「スマホの時刻と太陽の傾きが噛み合ってないわね」 モバイルデータ接続はこの世界でも無効。そこで、キャリア通信に依存しない衛星電波を利用する。すると、電波時計は日付表示がほぼ1か月前に巻き戻り、GPSセンサーは神浜を示していた。 平行世界移動でこの位のズレは想定の範囲内だ。欲を言えば、まどかの最短契約日よりも前に戻りたかったが。 「あらぁ、朝早くからミラーズの探索なんて、熱心な子ね〜」 ギィと軋む音を立てながら両開き戸が開き、燕尾服をまとった魔法少女が姿を見せた。それは白昼夢の少女を高校生まで成長させたかのようだった。 彼女の魔力パターンは幾分か魔女に似ている。おそらく、呪いに近いろくな願いをしたのだろう。 相手はこちらを見て表情を強張らせた。私が黒い仮面を被っていたからだろう。これは古物商から購入した名も知らぬ魔法少女の遺品である。装備すると、こちらを仮面の人としか認識できなくなり、魔力パターンも記憶できなくなる。以前から、まどかに迷惑を掛けたくない時は、これを利用していた。 「わたしは八雲みたま、プリティキュートな調整屋さんよぉ♪  あなたの素敵な素顔がこわいお面で台無しじゃない。こっそり外して見せてくれないかしら??」 彼女は先程の感情を飲み込んで、おどけた調子で語りかけてきた。 やはり、リヴィアの弟子だったか。この平行世界でも廃映画館を拠点にしているのだろうか。まあ、今はどうでもよいことだ。 「断るわ」 「つれないわねえ。調整屋さんは中立だから仲良くした方がお得よ?」 「自動浄化システム……いえ、魔法少女の宿命から逃れる方法について何か知らないかしら」 「さあ、調整屋さんには見当もつかないわねぇ。だけど、裏路地で時々見かける怪しいローブ姿の集団なら、何か知ってるかもしれないわ」 「接触する価値はありそうね、それと報酬は弾むから――」 正解を引き当てた安堵から、これまでの疲労が一気に押し寄せてきた。足に力が入らず、くすんだ絨毯の上に膝をつく。 「大丈夫? 調整屋ならベッドがあるし、特製の手料理もご馳走できるわよ」 「結構よ」 魔力で無理やり立ち上がりながら、拒絶する。ここはやり直しの利かない世界。よく知らない相手に信用リスクを冒す余裕はないのだ。 それに下手に絆を結んで、依存先になってしまえば、自分の決めた滞在ルールに抵触する。 「それよりも傭兵をやれそうな魔法少女がいたら、紹介してくれないかしら。できれば、情に左右されずに利害関係で動ける子が良いわ」 ◇ 私は八雲みたまに指定された住宅街へ向かう。この先にベテラン魔法少女の“あめ”――通称、亡者騎士がいるらしい。彼女は金次第で過去の仲間にも剣を突き立てる冷血な傭兵だとか。 「……本当にここで良いのかしら」 塗装の剥がれた一軒家の戸を叩く。バタバタと走る音。次の瞬間、扉が勢いよく開く。家主はかなり小柄で顔つきも幼かった。この女は本当に、噂通りの人物なのだろうか。 私はここに来た目的を話し、彼女の固有魔法、亜空間創造について質問する。 「ーーそういう魔法なら使える。なにが欲しいんだ?」 「そうね、武器を管理する場所が欲しいの」 私はデザートイーグルを半回転させながら取り出す。彼女の魔法を拡大解釈すれば、銃弾を補充しメンテナンスを行う施設すら作れることになる。 少女は銃を物珍しそうに見つめた後、片手で感触を確かめる。 「………報酬は?」 「幾ら欲しいかしら」 「戦うんじゃないなら100円で良い」 “あめ”は黄金の剣を具現化し、雑草だらけの庭に突き刺した。その刹那、亜空間が周囲を包み込み、先ほどの大型ハンドガンが整然と陳列される武器庫に変貌した。 私は彼女の魔法の無法さに、思わず息を呑む。だが、それ以上に経済観念のなさに目眩がした。そのせいで衝動的に週1万円で雇ってしまった。 それ以降も、何度も彼女にペースを崩された。仮面を外し、同行を許可し、専属契約に切り替え、さらには最終目的まで話す羽目になった。 あの子の精神はまるで赤ん坊であり、目を離せば、余計なことをしかねない。当初の方針だったドライな契約は、完全に形骸化してしまった。 後日、調整屋をこっそり覗いて見ると、“あめ”は問題の多い傭兵という注意書きが貼られていた。あの女は舐め腐っている。 ◇ 自動浄化システムの調査は、順調に進行していた。所詮、マギウスの翼は未成年の集まりに過ぎない。どれほど堅牢なセキュリティを敷いていても、ヒューマンエラーを突けば脆さは露呈する。私は、伊達に何度も軍事基地から兵器を奪ってきたわけではない。 諜報の結果、あのシステムは三人の幹部と半魔女のエンブリオ・イブによって構成されていると判明した。 私はこれ以上、マギウスに踏み込むと足がつくと考え、別のアプローチをとる。いったん元の世界に戻り、状況の差異を照らし合わせたのだ。 その結果、イブの元になったのは環ういだと予想がついた。そして、彼女とマギウスの三人は半年ほど前に命を落としているとわかってしまった。 要するに、私の周回世界では、あのシステムの再現は不可能だった。期待させておいて、この仕打ちとは。一瞬だけ、まどかなら願いで同じことをできるのではないかとも考えた。だが、下手するとその直後に、本人が概念化しかねないので却下する。 そして、もうひとつ判明したことがある。それはワルプルギスの夜はマギウスの翼に誘引されて、見滝原ではなく神浜に襲来するというものだ。 あの“まどか”は私のまどかではないが、まどかに優劣は存在しない。彼女が間違って神浜に来る要因は残してはいけない。 だから、私は行方不明の巴マミを探し出し、ウワサを剥がして見滝原に帰したのだ。 だが、これは束の間の安息に過ぎなかった。まどか達は神浜の友人達と共闘するために、戦地へ赴いてしまったのである。こうなると私が避難を勧めても、あの子は聞きはしないだろう。 これは、私の後半スケジュールが過密で、まどかの監視が行き届かなかったせいだ。いや、本当はこの世界の“ほむら”の恵まれた光景を直視したくなかっただけかもしれない。私は場違いな存在だと痛感させられるから。あの“ほむら”はまだメガネっ子で酸いも甘いも知ってはいない。だが、私が諦めたその道を、自然体のまま歩いている。見滝原の仲間たち、そして神浜の魔法少女たちに全面の信頼を置き、多くの困難も乗り越えていた。 きっと、魔獣世界の‘ほむら’も居たたまれない思いで特異点世界を見ていたのだろう。 それでも、それでも私は、神浜を守るために全力を尽くすと決めた。それが自分自身に課した規律であり、この"まどか"ためにできる唯一のことだ。 私は、“あめ”の城塞で重火器を設置しながら考えていた。今回のワルプルギスの夜に、どれほどの勝算があるのかと。 ここの“まどか”の魔力係数はせいぜい上澄みレベルだ。だが、大勢の魔法少女が戦闘に参加するだろう。舞台装置の魔女の出力は、これまでにないほど高まるだろう。 一方、神浜の少女たちは玉石混交で、おまけにマギウスの翼との連戦で疲労困憊していた。戦力としてはそこまで期待できない。はっきり言って、彼女たちが勝てる見込みは難易度ルナティックである。 唯一の勝機はエンブリオイブをぶつけることくらいだ。だが、その前に解体されるだろう。好きな人を取り戻すために街を犠牲にすることがあっても、私は責めない。そもそも資格もない。 だから、こちらはこちらで好きに戦わせて貰う。“あめ”のお陰で過去よりも兵器は充実している。 向こうから協力要請があればその時に考える。打つ手がないなら避難を忠告するし、他の奥の手があるというなら大船に乗ろう。どのような結果になるにせよ、私はこの世界から去るつもりだ。本来の戦場に赴き、まどかとの約束を果たすために。 だが、"あめ"が小賢しい思惑をひっくり返してしまった。ぶつけ本番、彼女が星のエネルギーを集約して解き放った必殺の一撃。溢れんばかりの閃光が滅びの運命もねじ伏せて、ワルプルギスの夜を一刀両断する。正位置にする機会さえ与えなかった。 その瞬間、私にとって、彼女は物語の中の英雄そのものと化した。運命の閉塞感を打ち砕く、大きな光明だった。 もしも、私が恩人さえ見捨てるなら、“まどか”に顔向けできなくなってしまう。だから、私は彼女がまともに独り立ちできるまで、少なくとも、神浜の騒動が解決するまでは、共に暮らそうと決めた。 ////////////// それから、何か月か時が流れた。私はその間、ずっと迷い続けていた。本当にまどかとの約束を後回しにして良いのかを。 確かに、時間遡行しない限りは新しい世界は分岐しない。守るべきまどかも生まれてはこない。ならば、この特異点世界でぎりぎりまで有用な情報を集める方が重要だ。そんな理屈は、結局もっともらしい言い訳にすぎなかった。 3.もう盾を回したくなくなったら、できるだけ早く盾を回す。 私は己の定めた滞在ルールに抵触している。この世界の“まどか”が生きているという事実に満足して、元の世界での孤独な戦いに戻るのが嫌になってしまったのだ。などと、私の心は常に責め立てられている。 私はウォールラックに視線を向ける。クレーンゲームで手に入れたぷちウサグッズと、数枚の画用紙が置かれている。これは私がぷちウサを模写した絵と、“あめ”がそれを手本に描写したものだ。 “あめ”は絵本が大好きだ。その割に彼女が絵を描いているところを見たことはない。固有魔法で自在に空間を創造できるせいだろうか。いや、これも実用に迫られて使うだけで、遊び目的で用いることはない。 彼女に理由を尋ねても要領を得なかった。だが、お絵描きに苦手意識を抱いていることだけは分かった。 “あめ”に才能はあるはずなのだ。なにせ、映像やイラストを眺めただけで、固有魔法で実物を想像して具現化できてしまうのだから。 私に相談できる相手はいない。そこで自力で育児資料等を漁りつつ、何日もかけて原因を探り当てた。 “あめ”は脳内に精密な立体図形を描くことができる。実物どころか映像を見ただけで、それを魔法で量産できてしまう。だが、その精密な立体イメージを、平面に落とし込む方法が分からないようだった。 私は試行錯誤で指導を行い、生まれたのがあのイラストだ。初めて描いたにしては、驚くほど特徴を捉えていた。私にあまり絵心がないのは自覚しているが、一瞬で追い抜かれてしまったのは複雑な心境である。 ただの“お絵かき”に、こんなにも苦労するとは思わなかった。けれど、ワルプルギスの夜を倒したときとも違う、静かな達成感が私の心を満たしていた。 自惚れるつもりはないが、あの子を守り、育てられるのは私だけだろう。 「……むら、ほむら! 返事をしてくれないか」 不安と苛立ちの入り混じった声。振り向くと、“あめ”は心配そうに顔を覗き込んでいた。 「……ごめんなさい、ちょっと考え事をしていたの」 「元気がないなら、見滝原に行ってまどかを見てきたら」 「前も言ったけど、それは無理よ。他の魔法少女に気付かれてしまうわ。勿論、貴女が行くのも禁止よ」 “あめ”は神浜の盤面をひっくり返すジョーカーだ。どの勢力が彼女を利用しようと目論んでいてもおかしくない。 事実、私は数日前に、見滝原で何者かがこちらの痕跡を探っていることに気が付いた。いっそ、ストーカーどものこめかみに銃を突きつけてやろうか──。だが、感情のままに動けば、かえって相手の興味を煽るだけだ。 そんなことを考えていると、“あめ”が唐突に魔法少女に変身し、黄金の剣を高々と掲げた。 「私がユニオンに雇われれば大丈夫だ。まどかはユニオンのリーダーと友達なんでしょ」 「……そういう単純な話じゃないのよ」 私はため息をついた。“あめ”が一度でも、表立って規格外の力を誇示したら、平穏な暮らしには戻れなくなる。 そもそも、神浜の魔法少女たちは、彼女が成人するまで何もしてこなかった。その理由が無関心にせよ力不足にせよ、手放しで信用できる相手とは思えない。 「ほむらはまだ子供なんだから、私に頼れ」 「髪も満足に洗えないあなたに、言われる筋合いはないわ。それに、私だって累計すれば、あなたと同じくらいの年数は生きてるのよ」 「私にとっては、ほむらは幾つになっても子供だよ」 「……それって、昨日見たドラマのセリフよね」 “あめ”は特に気にするわけでもなく、トレーニングルームへと戻っていった。恐らく、新技の隕石落としの強化訓練だろう。あれの火力を上げ過ぎても、火力過剰で使い道に乏しいと思うが。 彼女は、成熟の機会を逃してきた“大きな子供”だ。他人の感情を読もうとしないし、読めもしない。ストレートな言葉を投げても、深く考えることはない。そんな子がこれまで、悪人に騙されず、違法風俗に売られなかったのは──奇跡としか言いようがない。 まあ、私も実際は“大人”には程遠い。永遠の中学生──そう言われても仕方のない存在だ。リヴィア・メディロスの忠告が、頭の中でふと蘇る。 ――せやかて、人の精神年齢っちゅうもんは、生きた長さだけで決まるんやない。肉体年齢や社会的な立場に、嫌でも引っ張られるもんや。あんたは何度やり直しても、青春真っ盛りの女子中学生やってこと、忘れたらあかんで。 年齢とは、本来なら時間をまっすぐに進む人間のための尺度だ。けれど、その流れから外れた、繰り返し続ける6年間を、誰が正しく値踏みできよう。 その経験は決して無価値ではない。だが、私の心を人間らしさから遠ざけていく。だからこそ、14歳の中学生という肩書で、社会と結びついている必要があったのだ。 病弱だった頃から私を支えてくれた医者の定期診察。 学校関係者が提供してくれたまどかとの同級生ライフ。 別居中の両親とスマホ越しに交わした、ぎこちないやりとり。 確かに、ループの中の彼らは、毎回同じ行動を繰り返すだけだった。それが、私の孤独を一層深めることになった。それでも、その光景は私を包んでくれる日常そのものだった。 これを捨ててしまったなら、まどかに顔向けできる程度の人間性も保てなかっただろう。 だが、今の私は名前のない根無し草だ。風に吹かれるまま、ただ、立ち尽くす――悩んでも誰も手を差し伸べてくれない、私という存在が椅子取りゲームからはじき出された世界で。 「ほむら、ちょっとこっち」 “あめ”が、隠しきれない笑顔で戻ってきた。そのまま駆け寄ると、私の裾をぐいと掴む。私はされるがままにトレーニングルームに連れていかれた。 そこは魔法で造られた偽りの青空と人工芝の見慣れた景色だ。だが、普段と違うところもあった。 人工の木々に雑に取り付けられた三角旗、レジャーシートに養生テープで固定されたヘリウム入りの風船、そして、組み立て途中で放置された青いテント。これらの拙い飾りつけは逆に温かい生命感を感じさせた。 だが、私はテーブルにケーキの箱が置いてあるのを見つけ、怪訝な顔をする。それにはレコンパンスのロゴが入っている。あの子は早々に禁を破って見滝原に足を踏み入れていたのだ。本当に、少しは私の苦労も理解して欲しい。 「“あめ”、これはいったい何? ホームパーティーでもしたいの」 「ハッピーバースデー、ほむら!」 無邪気な声と共に不揃いの紙吹雪が私の肩に舞い落ちた。それは暁美ほむらの生を無条件に祝福する。誕生日などもはや無意味だと思っていたのに。 「もう……勝手にして……でも、うん」 声にならない言葉を、私は喉の奥でかき消した。叱るべきか、感謝すべきか。それさえもわからない。ただ――胸の奥に押し込めていた何かが、音もなく溢れ出した。気づけば、頬を伝う熱い涙が、止まらなかった。