デートと言うにはあまりにも素気が無かった。仮にも初デートになる日だというのに、飾り気もない、デジタルワールドの帰りにただ2人で歩くだけだというのにやけに鼓動を早く感じる。  今、自分は男と一緒にいる。年上の、それもある種戦友のような中の男と一緒に道を歩く。時間にすればすでによると言ってよい時間帯だ、しかし季節柄か明るい。横並びに歩く隣を見た。まじまじと顔を見るのは初めての事だ、特段極まったイケメンと言った顔つきではない、しかし端正だ。色々言葉を浮かべてみたがちょうどいい語彙が無い、強いて言うなら男前というのが良子としての評だ。 「そういえばどこ行くの?」  唐突なデートだ、プランも何もなければ色気もない。ただ歩くのもいいがそれではデートではなくただの散歩だ、世間ではそういったことも散歩デートなどと称すこともあるがそれはもっと時間を重ねた男女の物だろう。 「んー…?とりあえず駅前」  向こうも本当にただ口に出しただけだったらしい、なんの計画性もないことに少し笑みがこぼれた。らしいと言えばらしい。声を掛ける、ねえ、と。 「ん?」 「次、デートするならさ、ちゃんとプラン考えてよ?」  その言葉を告げる自分に良子は少し驚いた。デートをねだる普通の女の子のようで、自分とは縁遠い言葉に思えたからだ。まだそんな感性が残っているのだな、と思うとまだ自分が人間の少女に思えた、デジモンではなく、あるいは人とデジモンのはざまの存在ではなく。ただ、まだ私と言えるかけらが残っている。 「んー…?そうだな、次か…ああ、考えとく」  左手で頭をかきながらクロウは言う。本当にこの男は、と思いつつも結局はこれがクロウなのだと心のどこかで納得する。そして最終的に心の中でこれでいいと思ってしまう。 「ってか、良子は行きたいところとかないのかよ」 「それ、今女の子に聞くー?プラン考えとくって言ったばっかりじゃん」 「バッカおめー、野郎の考える女の子の行きたいところとかぜってー白けるだけだろ!」 「そこはリサーチしなって!」 「こ、献立なら簡単に組み立てれっけどよぉ、そう言うのはニガテ…」 「じゃ、克服しときなよ」 「へーい」  どうにも締まらないのもまたクロウらしい。  歩き続けて10分程度で駅前に着く、普段あまり歩かない道を少しだけ歩いたら後は見知った道だ。迷うことなどない、しかし少しばかり名護惜しい気がした、その歩いた瞬間が。  駅前はにわかに騒がしかった。帰宅途中の労働者、ある意味未来の自分たちのような人々が顔色様々に人込みを形成している。少し前の時間なら別の高校に行った高校生などの帰宅時間だったから気にならなかったのだろうが、流石にこの中にいるのは気が引けた。それは自分が中学生だというのもあるのだろう、明るくはあるが出歩いて良い時間帯ではない。そんな中を堂々としてるクロウはやはり年上で高校生だ。 「さて、こっち来たら少しくらい悪い事でもしてみるかー?」 「わ、悪いこと?」 「そ……つっても、別にオクスリとかケンカじゃねーからそこは安心して良いぜ」  言いながら人込みの中を突き進んでいこうとする。 「あ、ちょっとまってよー!」  不満をぶつけるように叫ぶ。クロウは慣れてるかもしれないがこちらはこの人の波に慣れているわけではない。 「ん、おー、わりぃ」  バツが悪そうに謝りつつ、左手を出してきた。 「手」  本当に短い一言で告げてくる。言葉だけなら意味が分からない、しかし状況を合わせれば手をつなごうと言っていると推測できた。こういう時はもっと言葉にするべきだろうと思うが言われた通り手を握る、男の手だった、大きく硬く節ばっている。肌触りという点で言うならまったくもってよくはないが安心感を感じる。幼いころの父と握った手を思い出すからだろうか、だがそれとは少し違う気がする。もっと別の感覚を覚えていた。  手を引かれながら向かった先は大通りから少し外れたところにある。人通りが少なくやや不気味さを感じさせた、夜のランニングで走る住宅街の暗さとはまた違った暗さがある。握る手ににわかに力が入った、緊張している、究極体にすら一歩も引かない自信があるのになぜかこの雰囲気には飲まれてしまいそうになる。戦う事とは別種の怖さかもしれない。  路地裏に入る歩いて十数分程度のところに目的の場所はあった、地下に続く階段がありそこを下っていく。足音がやけに大きく響く。入口は暗くてよく見えないが看板がかかっていた、開く。 「ここ……」 「まあ馴染みないよな、クラブってやつ」  薄暗く広い空間と掻き鳴らされる音がそこには広がっていた。  広さは普段通う中学の教室よりやや大きいくらいか、階段を下りたすぐ先に6人掛けのカウンターがあり、反対側部屋の奥にはステージが見えていてそこだけが明るくライトアップされていた。 「ん?おお、クロウじゃねぇか、久しぶりだな」  声が来た。男の、しゃがれたものだ。見れば手を振っている男性が見えた。実生活ではあまり見ない派手な色使いの長髪に耳がちぎれるんじゃないかと思えるほどのピアス、半そで半ズボンのいたるところにはタトゥー、いかにもと言った風貌。 「お、マスター生きてるじゃん、ヤニふかし過ぎて肺ぶっ壊して寝込んでるかと思ったぜ」 「ばーか、ガラム吸っても平気だっつーの」 「なんちゅーもん吸おうとしてんだか…」 「いいだろ?最強だからな……ん?そこの嬢ちゃんは?……もしかしてお前のコレ?」  小指をまげて見せるジェスチャー、ドラマか何かで見たから知っている、恋人か何かを示唆するときの物だ。 「違うけど似たようなもん」  言いながらクロウが苦笑する。 「おいおい…良いのかぁ?こんな所連れてきちゃって」 「自分のハコこんな扱いかよ!?」 「いやでもよぉ…流石にどう見てもソッチのには見えねーよ」 「普通のとこのだよ」 「悪いやつー、硬派気取ってたお前がこっすい手管使うようになっちゃって!」 「うっせー…それより値段変わってない?」 「なんとかな…で、昔の顔だからって負けたりはしねーぞ?」 「んなこと分かってるよ、2人分な」 「ヒュゥ、おごりってか、イカスゥ」  わざとらしく両手の指を銃のようにしてクロウに向けておどけた、クロウはうっとうし気に手を振って早くしろと促せばつれないなどと言いつつも足早にカウンターに戻ってから何かを持ってくる。紙束だ、イラストと『本日限り ドリンク1杯』と書かれた紙片が5枚程度綴られている。 「これは…?」  手の中に入る程度のそれを軽く握りながら問う。 「ここの入場チケット兼そこのカウンターで飲み物貰う時に使うんだ、1枚に付き1杯…酒はダメかんな、ソフトドリンクあるしそっちだけで」 「お、お酒って…た、頼まないから」 「そうしときな」 「ってかお嬢ちゃん、こういうところ初めて?」  クロウの肩に肘を置きながら聞いてくる。 「え…あ、はい」 「マジで?おいおい、女の子の初めて貰っちゃったぞ?ごっちゃんですクロウちゃーん」  そんなことを言う店主をクロウは軽く小突く。 「バカいってんじゃねーっての、ってかそういう関係じゃないとは言え俺のツレだぜ?あんまりビビらせるようなのはやめてくれよ?」 「わーってるっての、ほんじゃ2人とも楽しんでってくれよ?」  手を振りながら去っていく店主の背中を見送る。嵐のような男だった、それがいつもの事のようにクロウも軽く手を振り返す。そこには知らない世界があった、あるいは知らぬクロウの過去が。普段の義侠心やどこか抜けたところとは違う、つまりはそうだ、クロウの口からだけ聞いたことのある不良だったという過去とそれを裏付ける空気感を纏っている。 「こういうところ通ってたの?」 「通ってたって言うか…何だろうな…用心棒的な?」 「は…?用心棒って映画とかのあれ?」 「それ、まあ、こっち来た時いろいろあってノした先輩に気に入られてよ…んで、その人がまあ結構悪い人でその伝手でちょいとね」  虚無だった過去を話すその表情は笑っているはずなのに何も見ていない。 「クロウ…あんた」 「んー?」 「その…本当に不良だったんだ」  何度も言われていたはずなのに冗談めかしてたそれが、今実感を伴っている。今まで見ていたはずなのに、それが幻だった時のような感覚。 「怖いか?」  虚無の顔が向けられる。瞳の奥に何もないうつろの顔がそこにはある。空っぽで、薄っぺらい。本当に同じ人間を見ているのかと感じるほどの。 「ちょっとね」  本当は全然と言いたいはずだった、だが口から出たのは全く違う言葉だった。虚無が消える、見知ったクロウの顔に戻っている。だよな、と容貌を崩した。 「正しいぜ、怖くないなんてありえねーからさ」  口の端が軽く上がる。その笑いはどこかニヒルで年老いて見えた、クロウの笑みなのにクロウではない様に思える。今は見知ったクロウの顔のはずなのに。 「……そんな顔もするんだ」 「ちげーよ…こんな顔が先だ…不良だったんだぜ、俺」 「でも、それだけじゃないんでしょ?」  知っている。恐れ以上に優しさを、勇気を。  驚いた顔が来る、予想外と言った顔だ。そして、すぐに変わる今度は壊れそうで儚い笑いがある。 「……結構失礼なこと言うとさ」 「ん」 「もっと単純なヤツだと思ってた」  本当に失礼な事を今口走った。もう軽口では済まないことを、今知ったクロウの過去を思えば一撃殴られてもおかしくはない。頭では理解している、もうそんなことをするような男ではないと。だが心はどうかと言えば、無理だ、傷の痛みを知れば傷つく怖さを知るように、牙を立てられれば小さな犬の口には凶器があると知るように、目の前の男には暴力の匂いがありそれが自分に向けられるのではないかと思うわずかな思いを止められない。 「単純だぜ、良子」  見られる、双眸が次は鋭く。 「単純だから吐き出し方が暴力だったんだ、どうにもならねーことを殴って解決しようとした…まあ光太郎さんに止めてもらったわけだけど……あってるんだよ、ただの単純な男さ」 「そっか……でもそれでも…何があってもクロウだよ、きっと」 「なんだそれ、答えになってねぇぜ」 「かもね……自分でも結構無理筋だと思ってる…でも」 「あン?」 「結局あたしにとってさ、さっきのは知らないクロウの顔を知っただけ、なんだよね」  数時間どころか今のほんの数十分でしかないはずなのに、デジタルワールドだけでは見られない沢山の顔を垣間見た、きっと綺麗とはいいがたい、しかしそれでもクロウだ、誰が何と言おうとも。 「…そうかい」  小さく笑みをこぼした、困ったように。しかしどこか晴れやかな笑み。手を引かれる。 「湿っぽくして悪かったな、行こうぜ…踊り方分かる?」 「流石に分からない!」 「まあ運動神経かなりある方だしすぐ勘掴めるかな…」 「ってか、あんたは踊れんの?」 「へ…!用心棒して立って毎日喧嘩起きるわけじゃねーんだぜ!その間に簸ましたのから教わったんだ…見てろ、驚くからよ!」 「あ、ちょっと!」  跳ねるようにホールのなかへ、そのままステップ、緩い雰囲気が一気に変わった。クラブミュージックがやテンポの速いものに、つないでいた手が離れる。 「見てな良子っ……!」  クロウの動きが一気に変わる、テレビで少しだけ見た事がある。ストリートの何とか、みたいな見出しだったはずだ。画面で見るよりよほど派手な動き、ブレイクダンスと言ったか。  ダンスとは程遠い良子にもそれがダイナミックなものだと分かる。地面に倒れ込んだかと思うと、頭を軸に回転が始まる、そこだけ重力が変わったかのように見えた、シャツが汗で張り付き、髪の毛が勢いよく宙を舞う。気づけば歓声、口笛、このクラブの中心が確かに引き寄せられている。目が回らないのか、などという疑問はもはや置き去りになっている、回転が止まればすぐに次の動き、次の動き、分からないがおそらく1つ1つに名前があるのだろうその動きどれもが沸かせる、熱気とともに伝播する。男が、女が見境なく踊り狂いだす。  取り残された気分になる、心持は周囲と一緒のはずなのにそれを表す術を持たない、その瞬間にまた手を引かれた。見知った顔に。 「クロウ!」 「放っちゃって悪かったな、でもいい感じにあったまったし…良子もやろうぜ」 「わ、分からないんだけどっ!」 「こんなの適当で良いんだよ!面倒なら俺の動き真似てみな!」  言われるがままに動く、もはや自分が何をやっているかすら理解ができない、盆踊りの方がまだちゃんとした踊りと言って差し支えないかもしれない。しかしこの熱気の波に身をうずめるのは酷く楽しい。段々と没頭していく、もともと習うより慣れろの感覚派側だ、一度動き出せば後は勝手に身体が動き始める。  踊る、笑いながら、体力が続くまで。  ふと笑みをクロウに向けた、笑い返してくる、いい笑顔だ。 〇  久しぶりに何も考えず体を動かすことは楽しかった、デジタルワールドを駆けまわるのも悪くないがただ心のままに踊るのは清々しさがある。勘が鈍っていなくてよかった、自信満々にフロアに乱入して無様を晒すのは流石にない。  大体1時間くらい踊って足腰がふらつき始めたころに2人でカウンターに向かう。スツールに座り水分補給のためにドリンクを頼む。汗を流すのは気持ちいいが、今は喉が渇いた。適当なウーロン茶を頼む隣で良子はコーラを頼んでいた。  手間のかかるものではないからすぐにドリンクがくる。示し合わせたように軽く飲み、先にグラスを置いた良子が声を上げる。 「…って言うかさ…むちゃくちゃ踊れるじゃん!」  人差し指で二の腕を突いてくるがくすぐったい。軽く避けてから笑い、 「まあ運動神経は良い方だしなー、ごり押しながら覚えてモノにしたんだわ」 「なーる、ってかそんな特技あるなら見せてくれたって良かったじゃん」 「……まあほらあれだ、敵追ってるってなるとなかなかこんな事話す機会もねぇってことよ」  本当のことを言えば少しばかり怖かっただけだ、不良という過去を明かしてはいるがそこから踏み込まれるきっかけとなったなるのが怖かった。今日の事は相手が良子で、1歩踏み込んでいて、そのうえで男女関係になるかもしれないという多くの積み重ねの上でのことがあったからともいえる。逆に言えばそれが無ければ言う事もなかっただろう、そもそも言いふらすことでもない、過去など。普通に考えれば荒れていたころのことなど知って欲しいと思うわけがない。更生し改めて過去を思い返せば恥部にしかなりえないし好き好んで教えたいとも思わない。  しかしそれをいつか言わなければならないというのであればそれは今だった。  踊り疲れて段々とハイなものが抜けた頭で考える。ならばなぜだろうか、フェアじゃないからか、それは違うだろう、フェアという視点ならば良子の過去だって知らなければならないが無理をして聞きたいとは思わない、ならばなぜ教えたのか結局のところ知っていた欲しかったんだろう、と結論をつける。  時折聞いた昔の暴力がまかり通っていたころとは違う、今はそんなものが野蛮だとされている時代に力を振るった愚かな自分すらも受け入れて欲しいというわがままにすぎない。しかし譲れぬ一線でもあるのは内心で理解している、隠し通すことだってできた更生したのだと。それを許すという選択肢がクロウに存在しない。そうしてしまえばもはや恩師と仰いだ男に向ける顔がなくなる、敵として真正面からぶつかった男の顔を見れなくなる。  クロウは男だ、人だ。矜持がある、己の意地に反することを行っていい訳がない、それは卑劣と卑怯という。一度吐けば男としての有様に泥を塗ることに他ならない。  ならばさらけ出すほかない。たとえその先に拒絶があったとしても自己満足のようなものであったとしても。  だからこそ受け入れられた…少なくともそう思える瞬間に安堵を覚えたのも事実だ。  女性にしてみればもしかしたならば自分に暴力の矛先が向くかもしれないと思えることを語った時点で見る目が変わってもおかしくはなかった。事実少しばかりの恐怖を感じられたし仕方ないと思った。  そのうえでお前はお前なのだと、だがそれがの人間ではないだろうと告げられたことがどれほどの事か言った本人には分かりはしないだろう。だが、それでいい、このことを知るのは今自分だけで。 「にしてもさ」  良子が再度コーラを流し込みながら言う。 「ん?」 「時々さ、なんか真面目な子が不良に引っかかるみたいな話ってあるじゃん」 「あるなぁ」 「別にあたしが真面目かって言うとそうじゃないけどさ、こう、いきなりこういうところでリードされたりなんてされたら刺激がヤバイ」 「なるほどね…良子はどうだよ」 「あたし?…ま、デジタルワールド分は多少刺激に慣れがあるかも」 「なるほどね」 「でも…」 「ん?」 「結構ドキドキした」  良子が笑う。にこやかに。 「楽しかったか?」  少しばかりからかうように笑い返す。 「うん、まあね」 「そいつは結構、初デート成功か?」 「花丸あげよう」 「お、やったー、褒められたわ!いえー」 「調子いいなぁ…でもあれだねハードル上がっちゃうかも、次はドコ連れてってくれるのかなってさ」 「うげ…そ、そうだなー」  頭の隅に追いやっていたことを思い出す。そういえば次はちゃんとデートプランを考えておかなければならない、とはいえ引き出しが無い。 「ま、楽しみにしとくよ、クロウ」  そんな風に笑う良子は、歳以上に艶があった。