「そいつを片付けてほしいの」
 九頭竜幹部、プーシャの右の頭が、左の頭に顎を乗せ、慈しむように頬をつける。とろりと眠たげな口調に反し、語る内容は残酷そのもの。
「確実に、くたばらせてほしいのよ」
 写真の男、シリョカ=ネモネーヨは、かつて非合法の品を仕入れ、流通させる商人だった。しかしある時突然、プーシャの魔薬を抱え込んだまま支払いを踏み倒し、ギャンブランドに高飛びした。
 賭博公国、ギャンブランド。強力な結界に守られたそこでは、賭博の結果ならぬ殺しは不可能だ。数年引きこもっていたそいつ、ほとぼりが醒めたと思ってか、近く首脳会談が開催される、コーモリウス共和国に現れるという。
「へ。そいつはあたしで構わないんですかい?」
 プーシャと同格の幹部、ヴルストラが、大きな体躯を震わせ、彼が決して示すことのない、おどけた調子で答えた。
「ギャンブランドに居るんでしょう?わざわざ殺しにしなくとも、賭博に持ち込んで吐き出させるとか」
 小柄な竜人、チキンディナーが、左右色違いの目で見上げる。
「キョンシーに変えてこき使うとか?」
 金貸しロンローンは、貼った相手をキョンシーに変える札を、ひらひらとたなびかせて見せた。
「要らないの、そういうの。金の問題じゃないの」
 プーシャの二つの頭が、顎を擦り合わせる。言葉の内容には相応しからぬ、甘く溶けた声音。
「私たち、あいつが生きてるのが嫌なの。あいつが今、息を吸って、吐いてるのが許せない」
「承知しました」
 ひょろりと痩せた、貧相な竜人の男が答えた。ヴルストラも、チキンディナーも、ロンローンも、この男が姿を変えていたのだ。
 九頭竜傘下、殺し屋ジャクソン。高度な変身魔術の使い手。体表の鱗が、奇妙な芸術作品のように色を変えた。
「念の為聞いておきますが、消すだけでよろしいんで?殺し方に指定は?」
「構わない、なんでも。死ねばそれでいい」
 プーシャは宙に視線を漂わせ、夢見るような口調で答えた。
「さようで。ありがたいことです」
 ジャクソンは、組織の求めるあらゆる殺しを請け負う。幹部に限らず、誰からもだ。依頼人は時として、訳のわからない殺し方を指定してくる。どう殺してもいい、というのは実にありがたいことだった……勿論、依頼そのものは簡単ではないのだが。

 この国は貧しい。富んだ地域にしか通されずとも、ヘルノブレスにはわかってしまう。
 たとえば異なる国の様式が入り混じる、どこかちぐはぐな建築物、たとえば輸入された物品だけから成る調度品。たとえば、他国の料理を正確にコピーした、晩餐会の食事のメニュー。
 すべてが一流の職人の手によるものであるだけに、歪さはなお、浮き彫りになった。コーモリウス独自の文化がどこにも見えない。そもそもが、多くの国や種族が集まってできた国であるというのに。
 こんなことを考えてしまうのは、晩餐会の席があまりに静かだからだ。交わされるべき会話が一切ない。微かな衣擦れ、わずかに食器が触れ合う音以外には、何も聞こえてこない。
 そっと、隣に座るダースリッチの顔を盗み見る。彼は普段通り、どこか苛立った顔つきで、黙々と食物を口に運んでいる。粘土と取り替えても気づかないのではないかという、食事内容への興味のなさだ。四天王勢揃いではないのは、エゴブレインとエビルソードには、国外との交渉など不可能だからである。
 彼の向かいに座っているのがズルムケリウス。その向こうに、サイラントの女王アイルノヴァ・サイラント。レンハート勇者王国ユーリン王は、王妃シュガーと仲睦まじく並んでいる。戦場でしか見えることのない、人族の王たちに対し、どう振る舞うべきか、ヘルノブレスには理解しきれていない。
 兄ならば、何ら戸惑いなくこの席についたのだろうか。王たちの視線を避けた目が、ウァリトヒロイ国王シュティアイセ・アンマナインに行き当たる。彼女はヘルノブレスのまなざしに気づき、指をひらひらさせて、微笑んで見せた。笑い返すことがどうしてもできず、ぎこちなく頷く。兄様。兄様ならどうなさいましたか。
 冷たい空気の中、グラスを優雅に傾けるのが、コーモリウス共和国国王カホール。蝙蝠の獣魔である彼の、尖った大きな耳は、絶えず細かく動いている。実際に国の舵を取るのは、その両隣に座す人魔の議員たちであって、彼は実権のないお飾りに過ぎない。土地の先住民であったこの種族に、国が敬意を払っていると広告する、それだけが彼の存在意義だ。
 獣魔。実にこの国の王にふさわしい種族。魔族からは獣魔、人族からは獣人と呼ばれる生き物たち。人族支配域には、彼らをヒトとして認めていない地域も多い。一方魔族にも、彼らを獣と蔑むものは少なくない。明確に人族とは異なる姿を持ち、多くは魔族ほど強力な魔力を持たない。彼らは人族と魔族、どちらでもあり、どちらでもない。
「ヘルノブレス様」
 カホールが口を開く。この晩餐会で初めての会話である。その声は甲高く、かなり耳障りだった。
「料理はいかがです。何分野卑の国でありますので、お口に合えばよいのですが」
「素晴らしいと思いますわ」
 王の目がまたたき、微かに微笑んだ。今の言葉がお世辞に過ぎないことを、理解しているのだろう。
「お褒めに預かり光栄です」

 コーモリウス共和国は、首脳会談を前にして、厳戒態勢に入っていた。道道に兵士が並び、海辺を武装船が巡回し、魚人の警備兵が水中に潜む。入国審査の物々しさといったら、滑稽なほどである。番犬のように尖った表情の入国審査官は、その手に握った剣を、今にも突きつけんばかりの剣幕で問う。
「入国目的は?」
「観光です。高名なレンハート王のお顔を、一目拝みたいと思いましてね」
 そこに、堂々と正面から入る。入国審査官が、ためつすがめつ身分証明書を確かめ、まさしく犬のように臭いを嗅ぎ、鼻を鳴らして判を押すまでの一連の様子を、ジャクソンは一点の曇りもない笑顔で見守る。変身は完璧だ。疑われるはずがない。
「入国」
「ありがとうございます」
 瞬時に興味を失った入国審査官に笑顔で手を振り、コーモリウスの街に足を踏み入れる。一歩建物を出れば、降って湧いた大きなイベントに、街は湧いていた。底抜けに明るく、しかしどこかに怯えを抱えて。
「バナナ!バナナバナナバナナ!」
「魔鯵だよ!一口で天上に昇る味わいだよ!魔界の外じゃまず口に入らないよ!」
 呼び込みの声かしましく、道のそこここに屋台が立ち、土着の民ではないであろう、華やかな服装の人々が行き交う。こんなにカモが集まっていれば、後ろ暗い連中だって、やってくるというものだ。そう、ジャクソンのような。
「花を買っていきませんか?」
「ああ、いいともいいとも……」
 差し出された手に小銭を渡し、花を帽子に差す。夕方には萎れて散るだろう。
 コーモリウス、掌返しの国。力弱い土着の獣族と、国を追われた魔貴族や魔族、元は小国を持っていた人族、そんな半端な連中が寄り集まり、いやいやながら手を組んでできた国。風向き次第で、魔族と人族どちらにもよろめきながら、国内にも国外にも火種を抱えたまま、ぎりぎりの独立を保っている。
 弱く、脆く、決して平和ではない土地。真に和平のための話し合いならば、国そのものが暴力を拒むギャンブランドか、永世中立を謳うドッティモで行うだろう。
 つまりこれは茶番だ。全滅戦争の前に、話し合いの意志があったのだと、周囲に、あるいは後世に示すためだけの。

 数人の護衛を連れて、ひょこひょこと歩く小男。鳥のように首を回して周囲を伺う様子は、まるで事情を知らぬ者からでも、後ろ暗いところがあると見抜かれるだろう。
「怪しい者はいないか」
「心配ありません、ブラザー」
 世界の破滅と、次の世界への旅立ちを願うという、邪竜教徒過激派の小男。破滅を望むくせに、やたらに不安がる様子は、なんとも滑稽だ。
「何も感づかれていないな」
「心配ありません、ブラザー」
 得られた情報は、この男がターゲットと面会するというところまでだった。どこから入ってきた話なのだろう、教団の長に納まっている、ペテン老師からだろうか。してみると、あの気位の高いプーシャが、他の幹部に借りを作ったのか?いやむしろ、ペテン老師が隠していたことを、プーシャが暴き出す方がありそうだろうか。
「尾行などされていないだろうな」
「心配ありません、ブラザー」
 どうでもいいことを考えながら、堂々と姿を晒して尾行する。決して怪しまれはしない。演技には自信がある、明日から大劇場の主役を張ってみせてもいい。怪しまれたとしても、姿はいくらでも変えられるのだ。
 男は護衛と共に、乗り合い馬車に乗り込む。ジャクソンは素知らぬ顔で、彼らの隣に座る。男らが馬車を乗り換える。姿を変えて後ろに座る。何度か馬車を乗り換えた後、男らは迎えに来ていた馬車に乗り込んだ。おお……。
 ジャクソンは子供に姿を変えた。視認されないよう、死角から車の下に潜り込み、本来の姿に戻って車体にへばりつく。壁に貼り付くのはジャクソンの特技だが、こうも揺れる場所に身を隠すのはちょいと応える。「竜は我慢しない」とは、九頭竜頭首、ザモの言葉だが、暗殺者は我慢の連続だ。

 走る馬車の下、石や障害物にぶつからないよう祈りながら(何に?神など信じてはいないが?)待った時間は報われ、ジャクソンはめでたく五体満足のまま、馬車を降りることができた。
 やはりきょろきょろと周囲を見回す男を、屋根の上から悠々と見下ろしつつ、その後を追う。自分にできないことは、他者にもできないと思い込んでいるのが、人族の愚かなところだ。
 古びた建物の扉が開く。中で待つ、人族と魔族の混成集団が見えた。人を見る目に優れるジャクソンは、その集団が、はっきりと二つに分かれているのを瞬時に見て取った。集団の片方は人族のみ、もう片方は魔族のみ。互いが互いに対して、深い憎悪を燃やしている。その中に所在なげに、ターゲット、ネモネーヨが佇んでいる。
 年取った人族の男が、急いだ様子で駆けてきて、扉の前をすり抜けようとした。魔族のひとりが無表情に銃を向ける。ぱすっと間の抜けた音。あらっ。
 邪竜教徒の男が、言葉もなく顎を震わせる。ネモネーヨが震える声で問うた。
「何故殺した?」
「コーモリウスでは、殺人は異常事態ではないのですよ」
 撃った者とは違う魔族が顎を上げ、せせら笑う調子で返答した。下っ端であろう若者が、建物から無言で出てきて、死体を抱え引きずってゆく。
「平和なギャンブランドでは、そうではないらしいですがね」
「ギャンブランドだって平和じゃない」
「少なくとも、誰にも顧みられない死体が、市街の道端に転がっていることはない。そうでしょう?この国は貧しい。魔族、人族、どちらの勢力とも手を組めないからです」
 今度は人族の女が答える。
「我々は魔族と人族の融和など、信じていないのです。二種族が並び立つことはありえない」
「そうだ。皮肉だが、その点だけは意見が一致している」
 なんだこいつら面倒くせえ。ジャクソンは、音を立てないように注意しいしい、顎の下を掻いた。
 屋根の縁にとまっていた、小さな黒い蜘蛛が毒牙を震わせる。ジャクソンの鋭い目すら、その存在には気づかなかった。ましてこの急ごしらえの混成集団が、気付けるはずはなかった。

 コーモリウス旧市街の一角、元繁華街、今は貧民街。古びて崩れかけた建物が立ち並ぶ。屋根の凹凸の隙間、道路からは死角になる位置に、異形の影がひとつ、うずくまっている。骨の露出したような身体を丸め、細長い腕を背に折り畳む姿は、その体本来の大きさに比して、異様に小さかった。
 ダースリッチ軍、ナイトスイーパー。魔王軍の掃除屋。その赤い八つの目には、街に放たれた使い魔たちの視界が視えている。蜘蛛の魔族である彼は、こうして蜘蛛そのものの如く、警戒の網にかかる獲物を、待ち続けているのだった。
 彫像のように不動だった彼が、わずかに身じろぎする。
「ダークシャドウ」
『はい』
「奇妙な集会がありました。場所を伝えます」
 通信魔術の回線の向こう側、柔らかく中性的な声が返答する。ナイトスイーパーは手短に、要件と場所だけを伝える。
「状況確認をお願いします。何かあれば報告を」
『了解しました』
 ヘルノブレス軍、ダークシャドウ。夜を切り取ったようなフードの姿が、暗闇から滑り出る。

「日時は……だ。離宮に各国の王族が集まる……」
 ふうん?
「そこで我々が突入し、殺す。全員だ」
 ほお。
「世界に混沌が訪れる……我々の手を伸ばす隙間も生まれるだろう」
 へええ。ジャクソンは天井裏に潜み、退屈しつつ話を聞いていた。内容にははっきり言って、全く興味がない。世界がいかに荒れようと、やくざ者の居場所がなくなることはない。もちろん、荒れなければ、全てが今まで通りだ。肝心なのは、ターゲットが、この後どこに行くかのみだ。
「言っておくが、私は武器の伝手を提供しただけだぞ」
「ええ。あなたの関与は誰にも知られません」
 あほらしい。ここまで首を突っ込んでおいて、口を拭って知らん顔で済むわけがないだろう。
「ところで、お約束のダハーカアジですが、蠟后会と交渉しました。我々が仲介しましょう」
「頼む。金はここだ」
 その見通しの甘さが、彼に死をもたらすのだ。あのプーシャに喧嘩を売って、無事で済むわけがない。ジャクソンは退屈しながらも、彼らの会議を最後まで聞いた。
 邪竜教徒の男が去り、魔族の集団のひとりが出ていく。続いてもうひとり。ジャクソンは屋根の上に這い出して、ターゲットを待つ。色を変え始めた空に対応し、鱗が地上からは見えづらい色に変わる。
 ネモネーヨが歩き出した。どこへ向かう?朝の迫るぼんやりとした闇の中、ゆっくりと後を追う。集団と離れ、護衛だけを連れて、路地を抜け、四つ角を曲がり、バラックの間を抜ける。さて、どこで殺すか。
 ふと、首筋に寒気を感じる。咄嗟に大きく捻った首に銀の糸が絡む。しゃがみこんで回避、体ごと転がるようにして、距離を取る。知らぬ間に真後ろに立たれていた。黒い体。白い顔に並ぶ八つの赤い目。蜘蛛の魔族。
「……」
 殺し屋は、初撃で相手を殺せなければ負けだ。その意味では、両者共に既に敗北していると言える。後は撤退戦だ。両手を上げ、降参のポーズを取ってみせる。
「よせよ、俺と戦っても何の意味もないぜ」
 ジャクソンは言うなり踏み込んだ。尾をカウンターウェイトに、強引に慣性を支配、横に出ると見せかけて後退し、一直線に壁面を駆け上がる。三十六計逃げるにしかず、この移動について来られるものはまずいない。
 だが蜘蛛男は対応してきた。細長い腕を伸ばして壁を掴む。腕を支点に瞬時に向きを変え、追尾してくる。
「ヒヒ、やーねぇ。この一発芸で飯食ってんのよ俺……!」
 屋根を蹴って、走る、走る。崩れかけていた瓦を見つける、蹴って破片をぶつけようとしたが、敵は腕立て伏せをするように、腕を伸ばして胴を持ち上げ回避し、迷いなく距離を詰めてくる。こいつは俺より上手だ。同等の動きをする敵と、戦った経験が何度もあるやつだ。
 こいつは、魔王軍だ。竜人は汗をかかないが、もし人間であれば、冷や汗まみれになっていただろう。ジャクソンの技術は隠蔽に特化していて、戦闘を専門とする相手には、直接戦闘力ではとうてい敵わない。
「チッキショー、ふざけやがって……弱い者虐めしちゃいけませんって、ママに教わらなかったのかよ」
 どこかへと追い立てられているのがわかる。人のいない方へ、いない方へ、おそらくその先にこいつの狩場が待っている。その意志に逆らい、人がいる方へ、いる方へと走ろうとする。壁を走り、屋根を跳び渡り、高速の鬼ごっこ、負ければ死が待っている。
 蜘蛛男が走りながら腕を振る。見えない何かが背にへばりつく。踏み出せない!糸かよこれ!ズルだろ!
 ジャクソンは息を吸い込み、首だけで振り向いた。開いた口から火炎が噴き出す、奥の手の一発芸、ブレスが糸ごと敵を焼き焦がす……いや、燃えたのは糸だけだ。本体は寸前で体を躱していた。
 長い指が素早く伸びる、ジャクソンはサブの一発芸を披露、体色を瞬時に迷彩に変更、距離感覚を狂わせながら後ろに跳ぶ。果たして伸びた手は空を切った。ジャクソンは落下する、運河へ、丁度訪れた、朝最初の船の屋根へ。落下しながら再び息を吸う。
「火事よおおお!」
 女の裏声で叫ぶ。騒がしくしていた成果が上がり、街の者たちは目覚めている。不安げな顔が窓から覗く。魔王軍、姿は見られたくないだろう?
 魔王軍の殺し屋は、無表情のまま、明け初めし街を見やった。建物の隙間を這って、たちまち姿を消す。俺の勝ち!
 ささやかな勝利を味わった後、大きな敗北に直面する。おいおい!ターゲット見失っちまったじゃねえかッ!

 上官たちが話を終えて、三々五々、散っていく。護衛の任務もようやく終わりだ。
 気が緩み、つい、警戒を怠った。煙草の火を点けようと、ポケットに手を入れた瞬間、闇から伸びた手が、首に絡みつき口を塞ぐ。
「魔弾銃ですね。珍しい武器です」
 背後の何者かが銃をむしり取る。両手を捉えられ、地面に拘束される。
「あなた方皆が、同じ武器を持っていますね。誰から手に入れたものですか?」
 耳元で、ひたすら穏やかな声が囁き続ける。
「勿論、貴方には黙秘権があります。しかしながら、早期に告白して頂いた方が、お互い苦痛を伴わず済ませられると思うのですが」
 そこで声はふと言葉を切った。くぐもった囁きが聞こえてくる。話す内容までは聞き取れないが、背中の後ろの返答はよく聞こえた。
「ええ。ええ。承知しました……」
 再び話しかけてきた声は、やはり穏やかに告げた。
「申し訳ありません。事情が変わりました。あなたには死んでもらいます」

「コーモリウスの反政府組織か。更に別の組織と手を組んでいると言うのだな」
 ダースリッチは問いかけ続ける。
「はい……死なせてください……」
 ゾンビはもがきながら答えた。
「どこから来た組織だ?何を目的としている?」
「……我々はより良き世界を……死なせてください……死なせて……」
「こいつ、これ以上は何も知らんようだな」
 ダースリッチは忌々しげに歯をきしらせた。
「そのようですね。別の者を捕らえてくるべきでした。私のミスです」
 ダークシャドウは頭を垂れる。
「未知の竜人とやらも捕獲できずか。最初から死体を持って来いと命ずるべきだったな」
「彼らのせいではありませんわ。むしろ、早期に気づいたことを褒めるべきです」
 ヘルノブレスはとりなす。ダースリッチはもがくゾンビを放置して、赤い目をぎょろりとこちらに向けた。
「問題は、この情報をどうするかだ。どう思う、ヘルノブレス」
「ええと……公開すべき、ではないかしら?コーモリウスとは友好関係にありますし、人族国も敵であるにしろ、今は交渉相手ですもの。知りながら放置したとあっては、魔王国の名に傷がつくでしょう。少なくとも、コーモリウス側には伝えなくては」
 急に問いかけられ、ヘルノブレスは少し焦りつつも答えた。この男と話すと、子供の頃教育係に質問をされた時のような気分になる。相手がとうに知っている、正しい答えを探している時の、決まりの悪い感覚。ダースリッチが、本当に意見を求めているのは、わかっているのに。
「しかし、我々が市街に暗殺者を放っていたことが明らかになってしまう」
「すべてを明かす必要はありませんわ。コーモリウスは深く追求して来ないはず。テロの危険があることだけ、伝えればいいでしょう」
「うむ……」
「我々も、大した事を知っているわけではありませんもの。疑う点もないでしょう?」
 ダースリッチは頷いた。
「わかった。コーモリウスと話そう」
 ヘルノブレスは息をつく。どうやら正解は出せたようだ。

「全く、とんだ一時休戦じゃのう!」
 シュティアイセは屈託なく笑顔になった。
 魔王国からの報告を受け、コーモリウスの高官たちは、情報の出処を伏せて、人族、魔族双方への情報共有を行った。
 コーモリウスは、貧しく、軍人も乏しく、テロ対策ノウハウにも欠ける。魔王国人類国共に、伴う手勢はわずかだが、この国よりは遥かに情報、武力共に優れている。彼らに国内での活動を許可する、コーモリウスに協力してほしい、とそういった内容が各国首脳に向けて伝えられたのだった。
 現時点で国にいる王族は多くない。まだ国に到着していなかった者の多くは、テロの報を受けて、通信のみでの参加に切り替えている。そうした状況でも他国に頼らざるを得ないほど、コーモリウスは力のない国なのだった。
「ということで、よろしく頼むぞダースリッチ殿。いやはや苦労してそうな顔しとるのう」
 女王はダースリッチにずいずいと近づくと、当たり前のように手を握った。
「ん?んんん……?は……いや……」
「そもそも休戦を視野に入れた会談ではないか。何を変な顔しとるのよ」
 シュティアイセは周囲を見回し、やはり屈託なく文句を言った。ダースリッチは実に珍しいことに、険の抜けた表情でぽかんとしている。自分も彼と同じに、間抜けな顔をしているだろう。
 呆然としているのは魔族だけではない、人族もだ。武闘派として知られる王、ズルムケリウス、アイルノヴァ、いずれも驚愕をもろに表情に出している。他国の王や大臣も、あからさまではないにしても、動揺した様子だ。
 それが当然だ。誰も和平が成り立つとは思っていない。人族にとって魔族は侵略者、魔族にすれば人族は領土を奪う敵だ。戦禍に身内を失った人族は多く、ヘルノブレス自身、最愛の兄を人族に奪われた身だ。今朗らかに振る舞うシュティアイセとて、腹の中ではどう思っているかわからない。しかしこの時ばかりは、彼女の持つ明るさが必要なのではないか。
 兄様。兄様ならどうなさったかしら。
「魔王国軍四天王、ヘルノブレスです。よろしくお願いしますわ」
 シュティアイセの手は思いの外大きく、剣だこがあり、力強かった。国を担う者の手なのだ。
「わはは。よろしくよろしく」
 彼女はその手を、子供のように、上下にぶんぶんと振った。

「反政府組織?竜人?どこから来た情報だ?」
『会談の日程をずらした方がいい。公開されていてはいい的だ』
『逆に会談を囮として、一網打尽にするのはどうだ』
 通信・対面双方で活発に議論が交わされる。コーモリウス王カホールもそこに座していたが、何の意見も求められなかった。ただ、そこにいるだけ。姿が見えている分なおのこと、彼が単なる飾り物であると、くっきりと示される。
「姿が見えない相手を、待ってるだけってのは性に合わない。本当はこっちから打って出たいぐらいだ。俺が冒険者だったらなあ……」
 ユーリンが忌々しげに口走る。シュガーがその様子をじっと見ている。
「魔族と人族でそれぞれ別の反政府組織がおるんじゃろ?どこかから情報は掴めんか?」
「国内の魔族有力者と人族有力者から、情報収集を行いましょう」
 シュティアイセの提案に、コーモリウス高官が答えた。彼女の言葉に、ヘルノブレスも案を思いつく。
「コーモリウスは魔王国と商取引を行っていますわ。そちらから追ってみましょう」
「その手もあるのう!わしも知り合いに聞いてみる!」
 ヘルノブレスの言葉を聞いて、シュティアイセがぱっと花咲くような笑顔になった。

「ワースレイ様、なんとお懐かしい。わしのことを覚えていてくださったのですな」
 商人ヅィオーク、人族よりも、そしてほとんどの魔族よりも、遥かに長寿な種族。彼は今、長い生の終わりを迎えつつある。鱗の肌は干からびて生気を失い、目の色は白く濁っている。
 かつて彼は魔貴族だったが、敗戦の責任を取って爵位を剥奪され、国外追放刑を受けた。この老人との面会は、ヘルノブレスの持つノブレス商会と、古き魔貴族ワースレイ翁、そして他の魔貴族に嫁いで国に残っていた、彼の娘の遺子の交渉によって成ったものだ。
「死に際にも逢えませなんだ。何もしてやれぬ親でした。それでもあの子は、わしを父と思ってくれていたのですなあ」
 老人はしみじみと、涙を含んだ声音で言った。ヘルノブレスに聞かせるというよりは、こみ上げる気持ちを声にせねば納まらないという雰囲気であった。目頭を指先で払い、小さく息をつく。
「折角お訪ねいただいて申し訳ないのですが、わしは商売人です。たとえこの国のためだとしても、客の情報を差し出すことはできません」
「おっしゃることはわかりますわ……けれども国が失われれば、商売どころではなくなってしまうでしょう」
 ヅィオークは答えず、立ち上がった。杖を取り、扉を片手で示す。
「少し歩きませんか。街を見ていただきたいのです」
 隠蔽と変装の魔術を重ねがけして、正体を隠してはいても、コーモリウス街を歩くのは不安だった。治安の良くない街特有の、生き物のの体臭とごみの饐えた悪臭が混じった臭いが漂う。
 魔族街は、魔王国より遥かに混沌としていた。国を追われた種族たちが、それぞれてんで勝手に自身の好む環境を作りたがるからだ。街並みの揃わぬ様子は、激しい貧富の差を伺わせる。
「汚い街でしょう。そこの館は、サウスヴェルナ海戦の時に造られたものです」
 示された館は造りは立派なものの、年月に打ちのめされたまま修理もされず、ひどく傷つき、崩れかけていた。
「これはエビソニグ戦時にできたばかりです。こう言ってはなんですが、戦争成金のこさえたものですな」
 大邸宅の壁は魔法できらきらと輝き、美しいというより、玩具の宝石のような下品さを漂わせている。
「ここは先の魔王国大敗戦時から、貧民街のままです」
 互いにもたれ合い、なんとか形を保っているぼろぼろの小屋は、それでも度々作り替えられているのか、形状や材料が異なる部分が、モザイク状に組み合わさっている。老いた魔族は、歩きながら語る。
「わしはこの国と、そこに住む魔族と人族の、いい時も悪い時も見てきました。いい時も悪い時も、この国自身が決めるのではないのです。人国が安定している時は人族が栄え、魔王国が強い時は魔族の羽振りが良くなります。すべてがどん底の時期に生まれ、一生をどぶの中で生きる者もおります。念願の子供を授かった翌日に没落し、乞食の身に落ちる者もおります。人も魔も皆が憎み合う、その理由がわしにはわかります、仕方がないのです。明日すべてを失うかもしれないなら、どうして隣人を愛せましょう」
 汚い格好の魔族の子供らが、我が物顔に道を駆け回る。時たまその中に人族の子が混じる。子犬のようにじゃれ合い、追いかけっこをするその子らも、いずれは憎み合うようになるのか。
 ヅィオークは歩調を緩めると、声をひそめてささやいた。
「しかし、不当に隣人を憎んでいる者は知っておりますよ。そこの邸宅をご覧下さい。わかりますかな、人喰いラパ=ラパの持ち物です。わしは客の名は流せませんが、奴が汚らわしい差別主義者だと、あなたに伝えることはできます」
 ヘルノブレスは目を見張った。
「……ありがとうございます」
 老人はいいえと小声で答え、歩きながら、更に何人かの魔族の家を示した。
「わしは長いこと、この国を見てきました。孫のようなものです、貧しくとも汚くとも、愛さずにはいられない。まことの孫には、一度もお目にかかったことはないのですがね」
 ヅィオークは、ふふ、と悲しげに笑った。
「さあ、わしがお役に立てるのはここまでです。高貴な方に随分な距離を歩かせてしまって、申し訳ございませんでしたな」
 老人は疲れた様子で、杖に寄りかかった。
「ありがとうございます。本当にありがとう」
 ヅィオークは頷き、うつむいて、少し口を閉じていた。そして躊躇いながら口を開いた。
「わしとあなたは二度と会わないでしょう。最後にひとつ、ひとつだけ。この老いぼれの愚痴を聞いて、そして忘れてはいただけませんか」
「ええ、わたくしでよろしければ、何なりと」
 ヘルノブレスは姿勢を正し、傾聴の態度を示した。落ち窪んだ、悲しげな眼が一度こちらを見て、再び伏せられた。
「コーモリウスはわしの国です。今更魔王国に帰りたくはありません。人にも魔にも、かけがえのない友がおります。ここに来ねば知らなかっただろうことも、ここに来るまで知らなかったのを恥じる物事も山ほどありました。わしはこの国を愛しています。しかし、しかし……」
 もう魔貴族ではない男は唾を飲み込み、2、3度喉仏を動かした。そして、血を吐くように言った。
「わしはあの時、ああなってよかったとは、どうしても言えないのです」

「どうじゃった?」
 戻ってきたヘルノブレスに、ハチロクの中のシュティアイセが話しかける。
「目星は付きましたわ」
「そうか!よかったわい!わしはこれからじゃが、一緒に来ぬか?」
 ヘルノブレスはたじろぐ。
「よろしいんですの?」
「もちろんじゃ!」
 シュティアイセは元気よく答えると、人族街の奥へ奥へと、どんどん入っていく。
「シュティアイセ様?」
「今はティアと呼んでくだされ」
「ティア様。この奥ですの?これではまるで……」
「盗賊ギルドに知人がおりましての」
 暗く陰気な路地を通り過ぎ、呪術の触媒が並ぶ店の前を抜けて、明らかに堅気向けではない構えの店が並ぶ区画へ、彼女はずんずんと突き進んでいく。
「つるつるぴかぴかの真っ白な国など、この世のどこにもありませんでしょう。暗い場所にしか住めない者も、明るい場所に行けなかった者もおりますわい。そりゃあ、悪人は処罰せねばなりませんがのう、きれいな場所だけ見ていれば良いとは、わし、思うておりませんのじゃ」
 シュティアイセは複雑な彫刻がある門の前に立ち、呼び鈴を鳴らした。
「宵の明星の紹介で参った者ですじゃ!ロータス珠子殿にお会いできますかの!」
「伺っております。こちらへ」
 漆黒のベルベット地に水辺の植物を刺繍した派手なドレス、肘まである長い指抜き手袋、年齢もわからぬ濃い化粧、朱に塗った唇、そして髪に差した蓮の造花。その姿は、一目見れば二度と忘れ得ない、強烈な印象をもたらす。
「あたくしがロータス珠子です。紹介がなければお会いしませんでしたわ」
 長い睫毛の下で、強い眼が二人を見た。ヘルノブレスが普段接しない人種だが、生まれついての性を、努力によって塗り替えた彼女の姿には、確かに大輪の花のような、人を惹き付けて離さない美があった。
「お座りくださいな。今お茶をお出しします」
 ロータス珠子は席を示した。シュティアイセがすとんと座ったので、ヘルノブレスも恐る恐る席につく。
「魔族に対して不満を抱いている者は、この街には無数におりますの。人族国が負ければ負けるだけ、人族の立場は弱りますから」
 爪が紅色に塗られた手が、ティーカップに茶を注ぐ。彼女の身体は一分の隙もなく、彼女の意志の通りに飾られている。
「この国も民も、辛いでしょうな。珠子殿も魔族を嫌っておいでですかのう?」
「あたくし自身は、いいえ。人族が勝てば魔族に、魔族が勝てば人族に、必要な物を売り捌く。それがあたくしです。でもね、国が潰れてしまえば、商売はおじゃんです」
 ロータス珠子は美しい爪の先に紙片を挟み、ぴしりと卓に置いた。
「蠟后会の紋章です。質の悪い薬物を流す、ちっぽけなやくざですわ。少し前から、ここがダハーカアジ麻薬を大量に輸入しておりますの。そのくせ市場に流す様子は見えませんでしてね」
 珠子は冷静に語りながら、眼に火を燃やしていた。彼女を満たす憤りは、口からは漏れ出さず、内側で燃え盛るだけだった。
「怪しんで覗いてみたら、妙な相手と取り引きを始めておりました。武器を随分仕入れて、まるで戦争でもするみたいな様子の連中。おかしいと思っていましたのよ。ティア様のお話を伺って、あたくし腑に落ちました。何か起きるとしたら、彼らが関わっているはずです」
「ありがとうございます、ロータス珠子殿。恩に着ますぞ」
「いいえ、おかまいなく。ここはあたくしの国です。盗られてたまるものですか」
 ヘルノブレスの口をついて、質問がこぼれ出した。なぜか、聞かずにはいられなかったのだ。
「あなたはこの国を、どう感じていますの?」
「ここまで歩いて来られたなら、おわかりになりますでしょ?どぶ池でしてよ、コーモリウスは」
 ロータス珠子は朱の唇に、ニヒルな笑みを浮かべる。
「しかし蓮はどぶの中から咲くものですの」

「やめてください、やめてください、許してください……」
 強烈な恐怖と絶望の臭いがした。ラパ=ラパが何よりよく知るものだ。
「何を謝る。すべては運だ。お前は運が悪かった」
 ごきっ、と骨の砕ける音。鮮烈な恐怖の臭いが、残り香に変わる。代わって強い血臭が立ち昇る。ラパ=ラパは無表情に、口だけをくちゃくちゃと動かした。
「人族に生まれたことも、このおれの目に止まったこともだ」
 人喰いラパ=ラパ、コーモリウスの凶獣。
 彼は週に一度、人を食う。
 うまいから食うのではない、確認のために食うのだ。彼を捕える絶望が、何ら瑕疵のない異種族にも、実に容易く訪れると。死は確率に過ぎず、生もまたそうだと。人族に生まれることも、魔族に生まれることも、この土地に生まれることも、全ては運なのだと。
 彼は生に絶望していた。
 無表情のまま、ごつりごつりと骨を食む。ひと噛みごとに、スプーンで掬うように、きれいな歯列の形の断面が残る。
 コーモリウス、泥濘の底。強大な魔族として生まれついたラパ=ラパにとって、この国は狭すぎた。誰もが弱々しく押しのけ合い、身を寄せ合いながら暮らすこの国の中、巨体を魔術で縮め、か弱い仮初の姿で日々を過ごした。弱々しい人間共が、彼に人間並みの生き方を押し付けた。
 若い頃は魔族領に出ていくことも考えた、だができなかった。彼に流れる追放された魔貴族の血が、魔族領に立ち入ることを許さなかったのだ。
「ラパ=ラパ様、邪竜教団から連絡が。術は予定通り進行中とのことです」
「よかろう」
 部下はラパ=ラパの視野に入るのを避けた。人族が溢れさせていたのと全く同じ、恐怖の臭いを嗅いで、ラパ=ラパは何も思わなかった。強者を避けて、こそこそと生きるのは、弱者に許された唯一の権利。そうであるべきなのだ。本来は。
「おれの運はどちらに向くかな」
 長年、息を潜めて生きた。抑圧の歳月のうちに、強すぎる体は歪み、心もそれを追って歪んだ。
 彼は人族を憎む。他に何も許されてこなかったからだ。
「楽しみだ……」
 ラパ=ラパは滅多に笑わない。しかし今はその裂けた口に、微かな笑みが浮いている。決行の日は近い。戦いはもたらすだろう、彼の望む二つのうちひとつを。世界の混沌か、彼の死を。