メリーは傷が高速で塞がっていくのを感じながら、怪人と化した少女がスマートフォン――メリーの知らない道具だ――に向かって増派を命じる言葉を聞いていた。
この世界の事情はまだよく分からないが、攻撃を受けた感触では、英子は常人を超えるなどといった生易しいレベルの強さではない。
既に幾度かの攻撃が直撃するのをかろうじて防いだが、その余波で、彼女たちのいたマンションの三階に当たるその部屋は半壊していた。
粉塵の舞う中、少女が小さな道具から顔を離す。
「さて……」
「…………!」
一方で、メリーも危険を顧みず接近してきたトナカイたちの橇から、いつの間にやら積み込まれていた『エウラリア』を回収していた。
『エウラリア』とは――知らない者がそれを見たならば、何であるかを解釈するのも難しい代物だ。
金属らしき物質で象られた、腕を取り除いた人間の上半身の骸骨。
その下部からは下半身の代わりに、握るのに適した多角柱が伸びている。
両方を併せた全長は2メートルほどもあろうそれは、かいつまんで表現すれば、鉄槌だった。
鉄で出来ているわけではないが、メリーの武器として、主に荒事に用いられる。
メリーがハンドルを握って構えているのを見れば、素人目にも武器なのだと、かろうじて理解が及ぶことだろう。
彼女とてプレゼントを渡すべき相手を攻撃したいわけではないが、襲い掛かってくるとなれば――そしてここまで強いとなれば――、徒手でいるのは賢明ではない。
スマートフォンを背後のベッドに放り出した英子が、禍々しい怪人の形相で、再びメリーを睨む。
「やる気満々だな。だが殺す……!」
そして再び、高速で飛びかかってくる。
今度はエウラリアで、その鋭い一撃を防ぐ。
が、英子は続けざまに脚を、尻尾を繰り出し、エウラリアを用いた防御をかいくぐってメリーを打った。
エウラリアはメリーに加護を与えてもおり、彼女は常人に比べて非常に頑健ではある。
傷つきにくく、傷ついたとしてもすぐに治る。
しかし、英子のもたらす猛威はそれを上回っていた。
鋭い手刀が、重い蹴りが、死角からの尻尾が、彼女の姿勢を崩し、身体を傷つけていく。
「このっ!」
それらを強引に無視してエウラリアを高速で振り抜くが、当たらない。
「その程度か!」
それどころか、床を這うように旋回してきた回し蹴りで、メリーは痛烈に腹部を打ち抜かれた。
「ぐ……!?」
思わずエウラリアから手が離れてしまい、彼女は玄関扉へと吹き飛び、激しく叩きつけられる。
「むんっ!!」
そこに何と英子は、自身の毛髪から無数の毛針を発射した。
殺到する針の群れが、メリーの身体に次々と突き刺さっていく。
「ぐうっ……!?」
腕で庇って目などへの直撃は防いだが、毛針はメリーを守る加護を貫通し、その肌を苛んだ。
メリーは激痛に小さく悲鳴を上げつつ、胸中でうめく。
(ダメだ、やっぱりわたしが思いっきり苦手なタイプ……!)
大質量のエウラリアから繰り出す一撃が、彼女の得手だ。
図体の大きな相手になら、エウラリアをライフル弾を越える速度で投擲して仕留めることも出来るが、英子に通用するとは思えなかった。
同等かそれ以上の攻撃力と速度を持ち、彼女を上回る手数で以て翻弄してくる敵に有効な手段は、メリーの普段の手札にはない。
言葉で説得している余裕はない。力で抑えつけられる相手でもない。『極刑再現』など、もってのほかだ。
ならば、やはり英子の言う通り、プレゼントを渡すのは断念して、トナカイたちと共にここを去るべきなのだろうか。
(……ここまで来てそれはしたくない……けど)
「死んだわけじゃないんだろう。逃げないつもりなら、もう少し無様に抵抗して見せろよ。サンタクロース」
粉塵の向こうから蹄の音を立てて歩いてくる英子に対して、今のメリーが出来ることといえば、もはや祈ることしかない。そう思われた。
(天の父よ、子よ、聖霊よ……せめて彼女の魂をお救いください……!)
その祈りに対して、ということだろうか?
果たして、メリーに答え、呼びかける声があった。
(念じろ。今の汝はサンタクロース……そして今はクリスマス。
鳥が空に、魚が水に入るがごとく。今のお前には、奇跡が味方している)
メリーは少し混乱しながらも、その声に尋ねた。
(え……どういうこと……?)
(ともかく、縋るように祈れ! それに応えて、奇跡は必ず訪れる!)
(何だかよく分からないけど、お祈りならまぁそれなりに……!)
メリーは両手を組んで目を閉じ、そして祈った。
(天にまします我らが父よ、彼女の怒りに凪を、悲しみに癒しを――心に平穏をお授けください!)
「お祈りか? 興ざめだ!」
メリーの目の前まで迫った英子は、その手の先に漆黒のエネルギーを集中していた。
彼女がそれを、メリーの頭部目がけて振り下ろそうとした、その時。
「――!?」
高速の電光が、ばちりとその手を弾いた。
英子は攻撃を中断して飛びのき、誰何する。
「誰だ……!」
問われた人影は、輝く刀を構えて名乗った。
「サムライ・アルダ。呼び声に答えて参上した」
「侍……? どこの所属だ」
彼は刀を構えたまま、再び英子に答えた。
「ブリッジズという集まりにいるが……どうやらここは異世界のようだ。説明をしても、知りはすまい」
「ふざけた輩が増え――」
吐き捨てかけた英子が、さらに増えた気配に気づき、メリーへと視線を移す。
そこには、羊を模したらしき装束をまとった、小柄な少女が寄り添っていた。
「だいじょうぶ? メリー」
メリーは驚いて、やってきた者たちを交互に見やる。
「え、え!? どうしてあなたたちがここに!?」
「二人だけじゃないぜ!」
すると今度は彼女の背後から、黒髪の青年が現れた。手には何やら、細長い紙片を持っている。
「大体のことは、白い耳の子から聞いてる。受けた恩は返さないとな!
あ、俺のことは衛士郎って呼んでくれると嬉しいなー、なんて」
更に横合いから、やや小ぶりな刀を携えた黒髪の少女が現れて告げる。
「グリゼルダ。まぁ、あたしとしても手伝うに吝かじゃないかなって」
右前方には、右目に包帯を巻いたアンデッドの少女が。
「アイリス……です……香水の……お礼……したい……!」
左には、マントを羽織った痩せぎすの少女が。
「リアといいます。微力ですが、力になります!」
彼ら、彼女らは、メリーを守るように取り囲み、英子に向かってそれぞれ構えた。
メリーも立ち上がりながら、感謝を述べた。
「みんな……ありがとう」
そして、わがままを伝える。
「わたしは、彼女にプレゼントを渡したい。力を貸してください!」
「ならばまずは、相手を落ち着かせねばな」
アルダが言うと、めぇが指笛を吹いた。
「さくせん きょーゆー」
彼女の髪の中から小さなめぇの分身――眠る彼女を警護していた分身と同じものだろう――が出現し、メリーと、彼女を助けに現れた者たちの体内へと入り込んでいく。
「え、何いまの!?」
慌てる衛士郎に、グリゼルダが推測を告げる。
「あ、思考がある程度共有できるようになるやつなのね。メリーさんの考えが分かる」
「こちらも理解した。ならば拙者と――」
「あたしが牽制すればいいわけね!」
アルダとグリゼルダがそれぞれの得物を構え、英子に向かって飛び出した。
スタン・カタナと霊剣レグフレッジが舞うが、英子はそれを、手の中に漆黒の剣を出現させて防ぐ。
「お前らがどこの誰だかは知らんが……このボスを宥められるなどと、思い上がるなよ!」
「まずは矛を収めよ! そうしなければ何も始まらぬ!」
残光舞い踊るスタン・カタナを振るうアルダが、説得を試みる。
が、英子は引かない。
「ならまず自分の矛を収めな! あたしに大人しく切り刻まれるなら、考えてやるよ!」
黒い剣を振るい、彼の言葉を棄却する怪人の首領。
「ちょっとは人の話を聞きなさいっての!」
「ガキの説教もだ、聞くものか!」
グリゼルダの呼びかけも同様だった。
だがそこで、英子の動きが急停止する。
「む……!?」
先ほどまでのメリーとの戦闘の余波で、部屋は大きく損なわれていた。
それでも生き残っていた天井のシーリングライトが、英子の足元に落とした影。
そこにはいつの間にか、大きな針を思わせる何かが突き刺さっている。
それは、リアが『影縫い』に用いる針だった。影使いである彼女が突き刺した針が、影を通して英子の動きを制限しているのだ。
既にその意図は、めぇの分身たちを通して全員に共有されており、
「今です!」
「私が……!」
そこに、アイリスが飛びかかった。
彼女はアンデッドとなってから得た怪力で以て、動きを止めていた英子に組み付く。
リアの影縫いは、長時間は持たない。
そこで足止めを引き継ぐのが、彼女の役割というわけだ。
「く、馬鹿力が……!」
腰に組み付いて英子を押し倒そうとするアイリスの背中に、漆黒の剣が突き立てられる。
「離れろ、鬱陶しい!」
「ぐがぁぁぁっ!!!」
うなるアイリス。しかし彼女の肉体は、損傷を受ければ受けるほど強さを増していく特性があった。
筋力も、防御力も、素早さも増大していく。
「何――!?」
そして踏みとどまっていた足をアイリスに蹴り払われ、英子は腰から床に叩きつけられた。
轟音が、鉄骨造りのマンションを揺るがす。
「ナイス、アイリスちゃん! みんな離れろ! 王縛ッ!!」
アイリスが素早く飛びのくと、それまで少し離れて準備をしていた衛士郎が呪を結び、どこからか現れた大量の札が彼の周囲に飛び、渦を巻き始めた。
それらは赤みを帯びた黄金色の鎖に変化して、英子に向かって殺到し、絡みついて行く。
「――!?」
これこそが、彼の流派最大の陰陽符術、『王縛』だった。相手の動きを封じ込め、力を抑制する術。
黄金色の鎖に縛り上げられ、粉塵の降り積もったフローリングの床に転がった英子に、衛士郎が告げる。
「悪いけど、しばらくそうしていてもらう!」
「この……!」
英子は全身に絡みついた鎖によって漲っていた魔力を抑制され、元の少女の姿に戻っていた。
「メリーちゃん、今ならプレゼントを――」
衛士郎がメリーに呼びかけた時、しかし。
「舐めるなぁぁぁぁぁッ!!!!!」
英子の雄たけびと共に、マンションがずぐり、と揺れた。
キラは居酒屋を出て、母のいるマンションへと走っていた。
本来ならばマンションは、妹のルイの管轄だ。
彼女の配下の怪人が人間の姿で管理人を勤めていた筈だが、キラはその怪人と直接連絡を取る手段を持たない。
ルイを通じて現地の状況を確認したかったが、彼女のスマートフォンは不通状態だった。恐らくは情交の最中で電源を切っているといったところだろう。
次善の手段として、キラは配下の空を飛べる怪人を現地に派遣していた。
到着したらしい怪人が、スマートフォンを通じてキラに報告する。
『ヤバそうです、ボスが囲まれてピンチに……!』
「何だと……!? 相手は魔法少女か!?」
『分かりません、リストでは見たことの無いやつばかりで……男もいるようです』
(……うちの作ったリストにない魔法少女に、男……どういうことだ……?
収録漏れがあったか、それとも外国勢力か……?)
不安が募った。
キラ自身も怪人としての姿を持っていたが、深夜とはいえ市街地で目立つのは避けたかった。
また彼女の怪人態はオオトカゲに近く、空を飛べない。
母の窮地など俄かには信じがたいが、キラはそれでも万が一を恐れ、指示を下した。
「あと3分ほどで増援が二隊着く。悪いがお前は何とかして敵の注意を――」
その時、彼女は気づいた。
「母さん……!?」
黒金市を、いや周辺市町村をも飲み込んでいるであろう、目には見えない母の力に。
英子の力の源は、負の感情であった。
それは、四つに大別される。
『嫌悪』――厭わしい、憎いといった、自分にとって好ましくないものを見たくない、遠ざけたいと感じる心。
『恐怖』――恐ろしいといった、自分を確かに脅かす者に対して起きる心。
『悲哀』――悲しい、切ないといった、自他に生じた良くない出来事を嘆く心。
『憤怒』――許せない、腹立たしいといった、自身に加わる危害などに抗い沸き起こる心。
英子は、それらの感情を自身を含めた人間や動物から奪い取り、自身の力に変えることができる。
重要なのは、それが直接相手に触れない距離であっても可能なこと。
また吸収された感情は、相手から一時的に失われ、減少するということ。
そして彼女のその能力は今や、英子にとっても完全には自由に操ることが出来ないということだった。
彼女の感情吸収の範囲は今や黒金市全域に及んでおり、黒金市の住民から嫌悪感や恐怖心といった感情を常に、少しずつ奪っていた。
これは住民の犯罪への嫌悪感や法的制裁への恐怖が薄れるということであり、黒金市とそこを中心とする市町村の犯罪件数の増加にも繋がっている。
未だその原因が英子にあると特定した者はいないが、ともあれ、彼女が努めて力を抑制した結果が、その現状だった。
ならば、英子――怪人たちのボスが意図してその力を解放したならば、どうなるか?
即ち、感情吸収の範囲は更に広がり、吸収される感情の量も増す。
自治体を一つ隔てた土地においても住民が感情の高揚を見せ、後先を考えない無軌道な行動に出始める。
そしてその力は、最も近くにいるメリーたちにも及んでいたが――
「むっ……拙者は今異世界にいる、サニー、聞こえるか? ……応答なし!」
アルダは生身の脳でわずかな不安を感じていたが、恐怖に分類されるこれらの感情は英子に吸収されていた。
結果として、普段との違いは誤差程度にとどまっている。
「これは……たぶん マイナスの かんじょうを とおして エネルギーを うばう ちから……
わたしは ぼうぎょ できる けど みんな だいじょうぶ……?」
めぇは少女と羊の霊魂が集合して形成されたエネルギー体であり、エネルギーを奪おうとする行為に対しては防御手段を身に着けていた。
(ククク……小僧、感謝しろよ。あの小娘の不埒な吸い取りの影響を受けねえのは、俺様のお陰だ)
「クソ、よく分からんが癪だな……!」
衛士郎は、アンノの持つ特性のために。
(めぇの言う通り、負の感情を奪い取ってエネルギーに変え、吸い取っているらしい。
私の加護が無ければ、君は今ごろ極度の高揚状態になっていたことだろう)
「そうね、ありがと!」
グリゼルダは、霊剣レグフレッジのもたらす加護で。
「私の……怒りと……憎しみは……奪わせないっ……!」
アイリスの力の源である憤怒と憎悪の感情は、英子によって体外に吸いだされるより前に、彼女のアンデッドの肉体を維持するために消費されていた。
彼女の莫大な怒りのエネルギーが、英子に更なる力を与えることはなかった。
「これは……もしかして、吸血鬼の血液の効果……?」
リアは家族と自身の両腕を失った惨劇の際、体内に襲撃者である吸血鬼《ミミック》の血液が入り込んでいた。
忌まわしい出来事ではあったが、彼女が影を操る力を得たのも、吸血鬼の血液に人間のまま適合していたためだった。
「ハイにならないで済むのは、ありがたいけども……!」
メリーは降下教会の修道女であり、彼女たちは全員が、多数の高度な儀式によって、精神を物理的なエネルギーに変換する能力と、それを制御する能力とを兼ね備えていた。
即ち、感情を吸い出してエネルギーにするといった形而上学的な侵襲行為に対し、極めて高い耐性を持つ。
とはいえ、その場に会したメリーたちに、英子が広範囲から感情を吸収する行為を止める手段はなかった。
彼女はこのマンションを中心とした、極めて広い範囲に住まう人々や動物から大量に負の感情のエネルギーを吸収し、そして――
「オラぁッ!!」
衛士郎の施した黄金の縛鎖を引きちぎり、英子は即座に怪人の姿へと戻った。
今度は髪が足よりも長く伸びており、それらはメリーたちを威嚇するかのように、いくつもの束を作ってのたうっている。
「マジかよ!?」
「お仕置きだ……殺してやるぞクソガキどもッ!!」
髪が鞭のようにしなり、メリーたちを打ち据えようと――あるいは貫こうと延びた。
彼女たちはそれぞれ髪の鞭を防御・回避し、めぇの力で作戦を共有しながら、次の手段に出た。
(俺様に代われ小僧! こんな小娘なんぞ、一発で堕として――)
「やかましい、座ってろ! ンなことしたら、メリーちゃんたちがどうなるか分からんだろうが!」
衛士郎がアンノを抑えつつ、再び英子から殺到した髪の鞭を、ノコギリ刀で防ぐ。
「ンギギ、ギギっ……エーコちゃん……攻撃……しないで……」
アイリスは怪力で髪の鞭を抑えつつ、英子に近づこうとする。
「スタン・カタナ、ケーブルモード!」
「落ち着いて、エーコさん!」
そこにアルダがフレキシブル・メタルで形成された武器をしなやかな索状に変形させ、リアが影の腕を伸ばし、それぞれ英子を拘束しようと試みる。
「無駄だァッ!!」
彼女の全身から発せられた漆黒の気体の奔流が、嵐のように半壊した室内に渦巻く。
戦闘の余波で破壊された家具什器の破片や粉塵が舞い飛び、メリーたちも大きく姿勢を崩された。
が、そこに、変化が生じる。
初めて見る者には、自身の正気を疑わせかねない変化。
それは、雨だった。
「…………何だと……?」
気づけば室内であるにもかかわらず、雨が降っている。
しかも、赤い。血の雨というほどではないが、目に見えて赤いと分かる液体の粒が、英子に向かって降り注いでいるではないか。
彼女は小さく掲げた掌を見るが、しかし、水で濡れた様子はない。
戦闘の余波で滅茶苦茶になってはいるが、天井も、床もだ。
この赤い雨は、物理的な影響力を持ってはいないのだ。
だが、ならばこのザアザアと鳴る音はどうしたことか?
これこそが、霊剣レグフレッジに隠された機能、通称『赤い雨』。
使い手と霊剣を中心とした半径約6メートル以内の空間と、そこに所属する物体や生物の来歴を、使い手に対して教える作用を持っていた。
つまり、そこで起きた過去の出来事や、そこにいる人物の過去などを知ることが出来る。
今、グリゼルダは相棒と共に、英子の過去を探り出していることになる。
赤い雨の作用によって、怪人たちの首魁の記憶が、めぇによって表層意識を共有されたメリーたちへと流れ込み始めた。
英子は39年前のクリスマスに、双子の兄と共に世に生を受けた。
裕福で善良な両親たちによって、英子たちは、愛情を注いで育てられたといって良いだろう。
だが、11歳の誕生日に、その悲劇は起きた。
「お父さん……!?」
その男に額を指さされた父は、脱力して倒れ伏し、動かなくなった。
英子と兄とを庇っていた母は、夫に何が起きたかを察したのだろう、涙を浮かべながら男に懇願する。
「やめて……子供たちだけは……こ、殺さないでっ……!!」
「…………」
請われた男が母に向かって無言で指を突きつけると、今度は母までもが、力を失い倒れた。
「お母さん!?」「お母さ――」
その次は、動かない母に縋りついた兄が同様に。
「ひ――!?」
最後が、英子だった。
父がクリスマスということで掛けていたカセットテープから流れる、ジングルベルの曲が流れる中、彼女はその人生を終えた。
だが、英子の人生は意外にも、すぐに再開する。
「あぁあああああッ!!!」
激しい感情の渦と共に、英子は自身の心身が燃え上がっているかのように感じていた。
「何――!?」
家族を殺した男が、異変を目にして初めて声を上げる。
英子自身には客観的なことは意識できていなかったが、立ち上がった11歳の彼女には強大なエネルギーが集中しており、周囲にはゆらめくオーラのようになった余剰が放射されていた。
後にして思えば、手違いで殺し損ねただけと考えたのだろう。
男は再び、英子の顔に向かって右手の人差し指を向けた。
だが。
「ぐぁあああああ!?」
英子がその指を睨むと、男の右手がパンと弾け、血と肉と骨とが飛び散った。
男は手首を抑えて後ずさり、姿勢を落とす。
「あぁあああッ……!? な、何だ、こいつっ……!?」
「どうした、先生!」「チャカか!?」
悲鳴を聞きつけて、どこにいたのか他の男たちが駆けつけてくる。
英子は当時知らなかったが、家族を殺した魔法使いを雇った暴力団員たちだった。
裏仕事を請け負う魔法使いに実行犯を任せ、そうでない団員たちは見張りや移動などを担当していたらしい。
全員が成人で、男だ。
当時11歳だった英子との体格差は、歴然としている。
だが、多少恐ろしくは感じたものの、彼女にとっては怒りと嫌悪と、悲しみが勝っていた。
英子は感情と共に溢れるエネルギーに任せ、その場にいた魔法使いと暴力団員たちを、全て殺した。
彼女の第二の人生は、その時始まったと言えるかも知れない。
その後、英子は表社会から姿を消した。
人里離れた山における大量殺人事件は報道こそされたが、警察の捜査や依頼を受けた魔術結社による調査の結果も芳しくなく、生存しているであろうと考えられた英子自身の行方も含め、次第に忘れ去られていった。
一方で英子は、ある時自身に新たな生命を生み出す能力があることを知った。
怪人である。
英子は怪人を生み出し、またその怪人たちも新たにも怪人を創り出すことが出来ることが分かっていった。
彼女は最初に怪人を四人生み出し、やや時間を置いてまた四人を生み出した。これがのちに、直属の配下である『娘たち』となる。
その集団を統率の取れた組織として拡大していく過程で、彼女は魔法使いに家族の殺害を依頼した暴力団の詳細を突き止め、探し出した。
聞けば家族を消したのは、英子の父が当時地域で盛んだった地上げに対する抵抗運動のまとめ役をしていたからという理由だったらしい。
英子の生家も取り潰されて跡地は商業ビルになっていたが、怪人たちの力で暴力団はあっけなく滅びた。
世間では謎の集団失踪として扱われているが、英子の作り上げた組織は見事に犯行の痕跡を消し、魔術結社の追跡すらも欺いききった。
その後、英子はすっかり気が抜けてしまっていた。
既に家族の復讐は完遂し、過程で立ちはだかった邪魔者もことごとく消し去っている。
(……もう、生きてる意味なんかないのかな。死ぬ意味もよく分かんないんだけど……)
組織は『娘たち』に任せ、自分はぼんやりと人生に倦む。
そこに起きたのが、全世界的に続発した公的魔法少女制度の設立と、彼女に迫る驚異的な潜在能力を秘めた新世代の若者たちの登場だった。
怪異や妖魔に危害を加えられたことはありませんか? 怪異・妖魔は平和な生活を壊そうと、今もあなたを狙っています。
危険な怪異や妖魔を見たり、聞いたり、感じたりした時は、公認魔法少女の出番です!
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「「「「「待ってま~す!」」」」」(五人の魔法少女たちがカメラに向かい、にこやかに両手を振る)
魔法少女たちは世間の賞賛を受けながら、日の当たる場所で才能を輝かせながら活動し、そして華やかだった。
そんな彼女たちに、人生の過半を裏社会で生きてきた英子は、あるいは嫉妬したのか。
ある日英子は、半ば放任していた自分の配下たちに号令をかけた。
「いるだろう、噂の魔法少女ってやつら。
あいつらはいつか、このボスの邪魔になる。
強いからうかつな手出しは許さないが、うちらは今まで通りやりつつ、あいつらの抹殺も目指す!」
幻と化しつつあった最上位者であるボスによって打ち出された、新方針。
組織がざわめく中、英子は胸中に熱が宿り、脳裏に火花が散るのを感じていた。
(立ちはだかってやろうじゃないか。張り合いがないだろう? 野良の怪異や悪党だけじゃあ?
才能も人気もある、あんたたちにはね……!!)
今の英子は、そんなある意味、屈折した情熱と共に生きていた。
もっとも、ジングルベルを聞いて震えが止まらなくなる症状だけは、治る様子がない。
下手に外出すればそれとの遭遇が避けがたいクリスマスだけは、やり過ごすようにして閉じこもっていたが――。
赤い雨の降りしきるマンションの、破壊され尽くした一室。
英子の過去を覗き見たグリゼルダが、息を呑んだ。
「……あなたも、復讐者だったってわけね……!」
「っ、見たのか!?」
その声を聞いた英子が、背後で構えていた霊剣使いに向かって尻尾を繰り出す。
だが、動揺していた彼女の動きは、先ほどまでの激しさや精彩を欠いていた。
「すきありー」
尻尾による攻撃は回避され、今度は彼女の背に、小さく暖かな感触が襲い掛かる。
天井付近を浮遊して近づいていた、めぇの分身だった。
「ごめんね えいこ。 あなたも みんなと つながって みて」
「何を――!!」
そういうと、分身は英子の背に溶けて消える。
すると、英子の背筋に電流のような感覚が走った。
めぇの本体と、その場にいる彼女たちの体内に入り込んだ分身との間の繋がりを通じて、それぞれの記憶や思いが流れ込んでくるのだ。
よって、前方に立つ覆面をした金髪の青年の言葉が本心だと、心の底では理解できてしまう。
「エーコよ聞いてくれ。お主と同じく、拙者は一度死んだ身だ。
しかし幸運にも蘇り、こうして生き続けることを許された。
ならば拙者が為すべきことは、己の信じる正義だと感じたのだ。
友から授かったこの身を捧げる価値が、この世界にはあると信じたい!
お主にもそうせよとは思わぬが、まずはサンタのプレゼント、開けてみてはもらえまいか?」
英子はしかし、その提案を拒否した。
「ふざけるな……ならなんであたしの家族は殺されなきゃならなかった!
そんな不条理が残ったままの世界に、何の価値がある!?」
「すくなくとも わたしは あなたを たすけたい。
いたみと かなしみを いやして あげたいよ」
羊と人間のあいの子のような少女から目を逸らし、英子は手中から魔力を放った。
「黙れ……余計なことをしやがって、あたしをたぶらかす魂胆か!?」
威力の乗り切らないそれを符術で防ぎながら、黒髪の青年が反駁する。
「そんなことねえよ……そりゃあ、殺しがいいことだなんて言えねえけどさ。
でも君は、殺された家族のために復讐をやったんだろ?
俺も同じだ……好きだった子の仇を取りたいから、戦ってるんだ!」
「うるさい……同情するな……! お前らにあたしの何が分かる!」
癇癪と共に放った髪の鞭の群れは、しかし剣を携えた黒髪の娘によっていなされた。
「ごめんね。でもあたしも家族の仇を取ったから、分かるつもりだよ……
いい家族だったんだよね、今でも会いたいくらいに」
「やめろ! 人の過去を盗み見るだけじゃなく、挑発までするってのか!!」
ネイルを伸ばして斬りかかる英子だが、今度はアンデッドの娘に割り込まれ、組み合う格好になってしまう。
「違うよ……私も……村ごと……滅ぼされて……自分だけ……生き返った……
復讐の……邪魔を……する人は……許せないって……思うから……」
「黙れ……黙れ……死にぞこないの癖に!」
そこに、両腕を失った影使いの少女が影の腕で加勢する。
「エーコさん、本当は分かってるんでしょう? みんな、あなたの苦しんでいた気持ちが分かるんですよ……
少しはあなたの助けになりたいって、思ってるんです! 私だって!」
「あたしは誰の助けもいらない! これからも求めない! 消え失せろ!!」
破れかぶれで四方八方へと魔力を放射するが、攪乱された感情がうまくエネルギーにならず、少女たちを遠ざけるにとどまった。
その上、サンタクロースの装束を着た娘の接近を許してしまう。
彼女――メリーが素手で、英子の振りかざした腕を防ぎ止めながら告げる。
「助けを求めちゃいけない人なんて居ない! わたしはあなたも助ける!」
「あの時助けに来て欲しかったって言ってるんだよ!!」
「ならせめて、あなたの苦しみを、少しでも和らげます!
あなたのトラウマを刺激してしまったこと、まずはごめんなさい!」
そう言うと、彼女の服装が変化した。
サンタクロースを模した赤と白のコスプレ衣装から、黒を基調とした修道服に変わる。
「…………!?」
気づけば、瞳の色までが変化していた。黒目から、まばゆい金色へと。
それは、奇跡が起きている証だった。
メリーの周囲には、羽根も雪ともつかない小さな白い発光体が複数、ゆっくりと揺らめきながら滞空している。
(何だ……嘘みたいに……落ち着く……?)
英子の精神はいつの間にか、凪のように静まり返り、沈静化していた。
悟りを得た覚者の境地とは、あるいはこのようなものであったか。
崩壊しきっていた部屋の内装すら、完全に元通りになったように見えた。
「…………」
思わず変身が解け、英子は目の前の修道女と視線を合わせていた。
既に奇跡の時間は終わり、彼女の目の色は黒に戻っている。
そしてその手からは、平たいプレゼント箱が手渡された。
「お誕生日おめでとう、エーコちゃん!」
メリーが、破顔する。
先ほどまで矛を交えていたとは思えない、朗らかな笑顔。
(誕生日、か……)
家族の命日でもあったため、英子は分身である娘たちや怪人たちに、自身の誕生日を祝わないように命じていた。
だが思えば亡き両親も、クリスマスと同日である英子と兄の誕生日を――ツリーも飾るしジングルベルも流すが――、あくまで誕生日として祝ってくれていたか。
プレゼントが年に1度しかないことに不満を覚えていたことを久方ぶりに思い出し、眉根を寄せて口を尖らせつつ、英子はプレゼントを受け取った。
「…………礼は言わん」
「いいよ、今はそれでも。これからのあなたの人生に、幸多からんことを」
「……フン。仲間ともども、もう帰れ。そろそろあたしの部下たちが押し寄せるぞ」
「では、拙者はお暇頂こう。エーコ、達者でな。
サンタ殿には仲間たちの分までプレゼント、かたじけない」
そう言うと、アルダの姿は雪のような粒子となって、弾けて消えてしまった。
「おつかれさま、メリー、えいこ。あなたたちに さちあれ」
そう言って、同様にめぇが姿を消す。
「俺もそろそろ、タバコ休憩ってことで……邪魔したな、英子ちゃん。
メリーちゃん、ライターありがとう。さっそく使わせてもらうぜ」
そう告げて消えたのは、衛士郎だ。
そして、 グリゼルダと相棒の霊剣が。
「ありがとう、泣くほどおいしかった。じゃあね、シスター、エーコ」
(さらばだ)
アイリスが。
「さようなら……エーコちゃん……
メリー……香水……うれしかった……」
リアが。
「ありがとうございました、メリーさん。エーコさんもお元気で」
皆、いなくなった。
奇跡の要請した使命を終えて、それぞれの世界へと帰っていったのだろう。
メリーは彼らを見送ると、床に転がっていたエウラリアを回収し、ベランダの外にやってきていたトナカイたちと合流した。
「それじゃあ、エーコちゃん! お邪魔しました! よいお年を!」
彼女が手綱を握るとトナカイたちが走り出し、橇は夜空へと加速し、消えた。
ベランダからそれを見送った英子は、落ち着いた心持ちで室内に戻る。
そこへ、スマートフォンに着信があった。娘のキラからだ。
「もしもし」
応じると、不安げな声が軽く耳をつんざいた。
『母さん! 今マンションの前に着いた! 大丈夫か!』
「あ、あぁ……その……変な奴らは帰った。あたしは何ともないよ。
心配かけたな、キラ」
『母さん……!? 何があった!?』
娘の声音にやや失礼な響きを感じつつ、誤魔化す。
「とにかく! 何でもなかったから大丈夫だ。
それより、せっかくだから出前でも取って、一緒に夜食でも食うか?」
ブチ切れたところをサンタに宥められて誕生日プレゼントをもらいました、などとは言えない。
英子は娘たちの追求を全力ではぐらかしつつ、プレゼント箱を開けた。
それは、飾り気こそないが質実で優美なフレームを備えた、一点の写真立てだった。
(……当時の写真なんて一枚も残ってないんだが、どうするかな)
英子は少し悩んだが、すぐに答えを出した。
翌日、クリスマス当日。
降下教会の根拠地に戻ったメリーを待っていたのは、試練だった。
「なぜ、クリスマスくらい予定通りに起きられないのですかメリー?
また夜更かしをしていたのでしょう!」
(うぅ……がんばってサンタクロース役をこなしたのに、私へのプレゼントは院長の説教ですか本物のサンタさん!?)
「聞いているのですかメリー!!」
院長室に引きずり込まれて半時間ほども絞られたメリーは、自室の枕元にエウラリアを模したチャームが置かれていることに、就寝前まで気づかなかったという。
奇跡的に撮影スタジオに集まった彼女たちは、貸衣装で着飾り、並んでシャッター音を待っていた。
「では、撮りますよ皆さーん……はい、チーズ!」
英子たちをフレームに納めたカメラマンが、シャッターを切る。
英子の作った今の家族で撮る、記念写真だ。
写るのは、彼女と八人の娘たち。
本当であれば組織の全員を収めたかったが、広い場所の確保が難しく、また組織の運営上全員の都合を揃えるわけにもいかないと、断念した。
「ではもう一枚、はい、チーズ!」
ぱしゃり、と再び、シャッターが鳴る。
クリスマスが過ぎたこともあるが、その日の英子は何となく上機嫌だった。
カメラマン――組織の怪人だった――が、タブレットで写真の印刷プレビューを英子に見せながら、恐る恐るといった様子で訊ねる。
「こんな感じで撮れましたが……どうされますかボス。
今日は他の予定は入れていないので、お好きなだけ撮り直しも、お色直しも出来ますが……」
そこには、椅子に腰かけたドレス姿の英子を、それぞれに正装で着飾った娘たちが取り巻く姿が写っていた。
英子は感心して、素直な感想を口にする。
「いや、こんなもんだろ。良く撮れてるんじゃないか?」
「もったいないお言葉……それでは、サーバーにアップロードして、用紙に印刷いたします」
「ああ。やってくれ」
「かしこまりました」
組織の運営を任せている娘たちは、基本的には忙しい(例外もいる)。
英子は手を叩いて、彼女たちに促した。
「よーし娘どもー。今日は付き合わせて悪かったな。着替えて解散だ」
そこに、ピンク色の髪の娘――「退屈」のアキが提案する。
「かーちゃん、せっかく外出たんだからみんなで何か食べようよ? ねーちゃんたちもさ」
「あら、たまにはいいかもね?」
「悪くないが、店は決めてあるんだろうな?」
「こちとら忙しいんだ、さっさとしろ」
「怖い人がいないとこだよねアキちゃん……?」
姉妹たちはそれぞれの個性を出しつつ、彼女に同調した。
もしかしたら、あらかじめ姉妹で共謀して、予定を多めに空けておいたのかも知れない。
「よし、じゃあそうするか? もたつくんじゃないぞ、娘ども」
英子はドレスの裾を持ち上げて、娘たちと共に更衣室に向かった。
Merry Christmas!
お読みいただきありがとうございます。短編初の前後編となりましたが、いかがでしたでしょうか。
メインキャストの起用については、今回は「復讐という行動原理を持つorそれに近いキャラクター」という基準を設けています。
アルダさん、めぇさんについては当てはまりませんが、以前のクリスマス作品でサンタやトナカイ役であったという縁で登場してもらいました。
メリーさんについては完全に、メリークリスマスと言わせたいというだけでサンタ役をお願いしました。お説教オチでごめんね…!
EDテーマに好きな曲!
10-FEET Heart Blue
各キャラクターをお借りしましたこと、最後に御礼申し上げます。ありがとうございました。