「えー…この表の横軸は階級、縦軸は度数を表していまして────────」 3時間目、退屈な数学の授業の時間。それは突然訪れた。 「ねえ何アレ!?」 「窓になんかいる!!」 最初は虫でもいるのかと思った。まあ…それはあながち間違ってもいなかったのだけれど。 「お姉ちゃ〜ん。こんなつまんないことしてないで私たちともっと楽しいことしようよ〜」 そう話しながら窓に張り付いていたのは、首から蟲の脚を生やした女の子だった。 凡そ人間のものとは思えない両眼をぬらぬらと光らせたそれは、明らかに私のことを見ていた。 「にっ…逃げろー!!」 誰かがそう叫ぶと、みんなは堰を切ったように教室の出口に殺到した。 「待て!押さずに並んで逃げるんだ!」 先生は焦った様子で避難訓練のようなことを言い出している。 アレがデジモンなのかなんなのかよくわからないけど、こういう時に頼りになる人を、私はひとり知っている。 「南雲!そっち上だぞ!逃げるなら外だって!」 「上の人たちにも逃げるように言ってきます!」 私は階段を駆け上った。 ───────── 3階。2年生の教室がある階だ。 「うわぁぁぁ!?なんだあれ!!!」 どうやらあの怪物はついてきているらしい。混乱はすぐにこの階にも広がり、それぞれの教室から人が逃げ出してくる。 見た限り、まだあの人は逃げてきていないようだ。 えっと…何組だったっけ… 「─────Zzz…」 いた。机の上に枕を置いて、突っ伏したまま寝息を立てている。 「ちょっと!司先輩!なんで学校に枕持ち込んでるんですか!?おきてくださいよ〜!!」 「うっせえな…これは枕じゃなくてベンケースにタオル巻いてるだけですよセンセー…」 体を揺さぶっても、彼は起きようとしなかった。 「何寝ぼけてんの!起きろ!」 「んぁあ?……あれ…みんないねえな…ん…楽音?なんで学校に…そんなに背ぇデカかったか…?」 「何親戚のおじさんみたいな事言ってんの…それに同じ高校なんだからいるのも当たり前じゃん…」 「あー…そうだったっけ…で…教室までなんの用だ?」 ようやく顔を上げた司くんに、私は窓の方を見るよう促した。 「窓の外見て!」 「ん?…⁉︎なんだあいつ!デジモンか!?…一旦外出るぞ楽音!」 彼はスマホとクロスローダーをバッグから取り出すと、私に外へ出るよう指示した。 私たちは人のいなくなった廊下を走り、階段の手前まで来た。 しかし、そう易々と外に逃げられそうにもなかった。 「よぉ姉貴!遊んでくれよ!」 床を割り現れた、巨大な頭部とそこから垂れ下がった人間の体が特徴的な怪物。 それが口を開くと、中にはさっきの子にも似た人間の顔があった。 「チッ…楽音、俺に体預けろ!」 「えっ⁉︎ちょっと!」 先輩は私の体を肩に担ぐと、窓を蹴破り飛び降りた。 ───────── 「ふう…久々にやったな…大丈夫か?」 「た…たぶん…」 うまく彼が衝撃を吸収してくれたらしく、私の体に異常はなかった。 「らくねーー!!!」 「あっ、エリくん!」 しまった…デジヴァイスの機能で透明にしたまま教室に置いていっちゃってた… 「置いていくなんてひどいです!」 「ごめんね〜…今度ハンバーガー食べさせてあげるから許して〜…」 「さて…奴らのお出ましみたいだぞ。」 司くんの示す先には、白い服の二人の少女がいた。 「随分と逃げてくれたね、お姉ちゃん。」 「お姉ちゃん…って、もしかして私のこと?」 「そうだよ姉貴」 「私たちはお姉ちゃん、あなたのクローンなの。」 く…クローン!? そんなことをしそうな奴に心当たりがないわけではなかった。 どうせネオデスモンの仕業だろう。 「あなたたち…なんなの?」 「知りたい?」 「教えてやるよ。オレはアラク。」 「私はナクア。」 [liberation.] 二人がチョーカーを操作すると無機質な音声が流れ、アラクと名乗った方の子の体からは巨大な口が現れ頭を飲み込み、ナクアと名乗った方の子は両眼と腕が人のものではなくなった。 「オレたちは…」「私たちは…」 「「バイオアルケニモン」」 アラクの巨大な頭部からは脚が生え両腕は肥大化し、ナクアの首からは蟲の脚が生える。 「なるほどな…さっきの怪物はお前らが変化してたってことか。」 「オレたちは戦いに来たんだよ、アンタとな!」 戦い…私にそんな力はない。この状況でこの二人に太刀打ちできるのは…多分司先輩とミネルちゃんだけだ。 あれ?そういえばなんでミネルちゃんいないんだろう? 「司先輩!ミネルちゃんは!?」 「さっき呼んだ!15分は来るまでにかかるぞ!」 「なんであんなに仲良いのに学校つれて来てないの!?」 「いると勉強にならねえんだよ!」 「さっき寝てたじゃん!勉強してないじゃん!」 「うるせえ!こっちにも色々あんだってば!」 「何二人で揉めてんだよ姉貴!」 アラクが私たちに向けて振るってきた爪を、ぎりぎりで司くんが受け止める。 「───────っ!…なかなかいい力してんな…究極…いや完全体ってとこか!」 「オメぇに用はねえんだよッ!」 「ぬぅおあっ!?」 「司!」「つかささん!」 巨大な腕に掴まれて吹っ飛ばされる先輩。 「だ…大丈夫!?」 「俺は平気ー!ほっといて逃げろー!」 吹っ飛ばされた先にあった倉庫から声がした。よかった… …どういう耐久してるんだろう、あの人。 「逃げようらくね!」 「そうだね、進化しよう!」 「エリザモン進化〜!ディメトロモン!」 私が体の大きくなったエリくんにまたがると、彼は走り出した。 ───────── 「逃げんじゃねえよ姉貴〜!」 「そんなことしても無駄だよお姉ちゃん!」 二人はやはり追いかけてきた。 「エリくん右!」 「はい!」 このままじゃすぐ追いつかれる。考えろ私…どうすれば… 「これでも喰らえっ!」 道路のアスファルトを剥がしたアラクは、こちらに向けてそれを投げつけてくる。 「やばいやばい早くなんとかして!」 「ルミナスヒート!」 ヒレからの熱線は投げつけられたものを次々と破壊した。 「そうだ!この先を左に曲がったら地下鉄の駅がある。そこに入ろう!」 「わかりました!」 ───────── 地下なら入り口は狭いし、二人も気づくのに少しは時間がかかるはず。 ゲートを開いて逃げるか…ミネルちゃんが助けにくるのを待つか… どちらにせよ、一旦体制を立て直したい。 そんなことを考えながら、エリくんと階段を降りていた。 「この後どうするんですか…?」 「どうしよっか…」 「デジタルワールドににげるとか?」 「やっぱりそうするのが一番だよね…」 私は左手を伸ばす。 「ゲートオープン!」 そう唱えると空間が歪んでいき、目の前に割れ目ができる。 しかし、そう簡単に逃げられるわけもなかった。 「おりゃあ!!!」 天井が突然崩落する。 「何!?」 「つれないなぁお姉ちゃん。これぐらいで私たちから逃げられると思った?」 あの二人が地面に穴を開けてここまで降りてきたらしい。無茶苦茶だよ…! 「なぁナクア…オレたちのオリジナル…こんなに弱いのか?もっと強いはずじゃ…?」 「不思議だねアラク。ネオデスモンはもっと強いって言ってた…あれ…?言ってなかったっけ…?」 二人はなぜか困惑し出していた。 「らくねから…離れろ!!エリザモン進化!」 その隙を狙って、エリくんは再びディメトロモンに進化し飛びかかった。 「成熟期ごときがオレたちに勝てるわけねえだろ!」 「水を差さないで!」 「うわあぁぁぁっ!!!!」 敢えなくエリくんは壁に打ち付けられ、エリザモンに戻ってしまう。 「エリくん!!!」 「さて…どうしてあげようか、アラク。」 「ただバラすだけじゃ面白くねえよなぁナクア。」 二人はゆっくりと私に近づいてくる。私は何も出来ない。私は無力だった。 その時突然、二人が開けた穴から誰かが現れた。 「私利私欲のために力を使う者達…全て私が消し去る。」 彼女を…私は知っていた。 その姿を見た時私の脳裏に浮かんだのは、貫かれたイグニートモンの姿。 なぜか私の左手に、ぬるぬるとした血の感触が蘇った気がした。 「誰だか知らねえけど…オレ達は今姉貴と遊んでんだよ!」 「……。」 「なにっ!?」 彼女はアラクの腕を軽く受け止め、逆に捻りあげる。 「アラクを放せ!」 ナクアの脚の棘が刺さるのをものともせず、彼女は二人をまとめて投げ飛ばした。 「─────────ッ!なんなのあれ!」 「あなた達も…消え去りなさい。」 彼女が指を鳴らすと、その周囲に三体のデジモンの幻影が出現した。 「オメガモン、オメガモンズワルト、オメガモンズワルトdefeat。」 彼女が右腕を伸ばすと、幻影もそれと同じように動いた。 「トリプルガルルキャノン。」 「ナクア…マズい…!」 光弾が二人に直撃する。 [Damage Excess. restraint.] またも無機質な音声が響き、二人は人間の形に戻っていた。 「くっ…なんて…強さなの…!」 「おいネオデスモン!撤退させろ!」 『やれやれ…仕方ありませんね。』 影から声が響き、二人はそのまま沈むように消えた。 「ネオデスモン…!………逃した。」 彼女は焦ったようなそぶりを一瞬だけ見せた。 …やはり、その姿は…あの子の仇そのものだった。 「…あなた…イグニーを殺した…!」 「…………」 「どうしてあの子を殺したの!あの子は…私を守るために力を使ってくれてたのに!」 「……私は…全ての力を奪う。ただそれだけ。」 彼女は私にも爪を向けた。 その瞬間彼女の顔にかかっていた髪が崩れ、はっきりと顔が見え…目が合った。 「─────!」 その顔は…目と髪の色を除けば…さっきの二人に…そして小学生の頃の私によく似ていた。 「うっ……!」 彼女は苦しむような様子を見せ、私から離れた。 「待て!」 「…………cd present_world/digital_world/Forest_zone.↲」 彼女は呪文のような言葉を唱えると、そのままどこかへ消えてしまった。 私は無意識に自分の左手を見た。 それが人間の形のままであることが、なぜだか不思議に感じた。