【クラック・イン・スノーフィールド】#6(後半) 「……!」マツユキは声にならぬ悲鳴を上げた。誰だ。なぜ自分がここに居ると。頭が働かない。思考が乱れる。足音は近づいてくる。 マツユキは震えながら部屋の中を見渡し、音を立てぬよう慎重にベッドから降りる。ゆっくりと床を這い、壁際の収納棚の戸を開けた。 そして身を小さく縮めその中に隠れた、気休めに過ぎない。やがて足音は部屋の中に侵入した。 「ほら見ろ!ビンゴだ!」「……確かに、誰か住んじゃいるな」意気揚々と踏み込む音から、布を漁る音。ベッドの横の衣装ケース。 「やっぱり女物だぜ!たまんねぇや!」「だがもぬけの殻だ。座標は合ってるみたいだが、下の階にでも逃げ込んだか?」 「まぁゆっくり探そうや、どのみち袋の鼠だ」マツユキはギシ、と振動を感じた。この棚に寄りかかっている。 「なあ?捕まえたら何発か味見してもいいだろぉ?野良のオイランドロイドなんてどのみちしこたま使用済みだ」マツユキは青褪めた。 「好きモンが。まあ実際いい収入だ、それぐらい許してやるインシステント=サン。済んだら手足詰めて持っていくぞ。後で幾らでも直せるからな」 「そうこなくちゃな!早速下から行こうぜ」再び振動。足音が遠ざかっていく。 (逃げないと)満足に歩けぬこの足でどうやって?見つかればあの男達に弄ばれた挙句、また以前のような闇カネモチの所有物に逆戻りを? 今度はウキヨであることが知られている。かつてにも増し、どんなおぞましい行為を強いられるか。マツユキの電子心拍数は乱れに乱れていた。 (カスガイ=サン……!)だが今マツユキに最も恐ろしかったのは、このままカスガイに二度と会えなくなる事だった。手の内の携帯端末を操作し、 たどたどしくメッセージを入力する。 『たすけ』とまで打ったところでマツユキの指は止まった。どれだけ自分が頼りにしていても、カスガイはただの学生だ。そして侵入者は口ぶりからして 危険なスカベンジャーの類。巻き込める筈がない、出くわせば命は無いだろう。 惨たらしく痛めつけられ、機能停止したウキヨめいて血だまりに転がされた動かぬカスガイの姿を幻視する。マツユキは固まり……その時である! 「バハァーッ!」「アイエエエエッ!」バキバキと音を立て棚の戸が剥がされた!マツユキは強引に腕を掴まれ床に引き摺り出される! 「なぁーンてなぁ!安心したか?最初からバレてんだよ!」 二人組の男だ。仁王立ちでマツユキを見下ろすのは、奇妙な装置を接続したハンドヘルドUNIXを片手に装備した肥満体。ベッドに腰掛け、マツユキの本を 暇潰しにめくっているのは神経質なアトモスフィアの痩身。どちらもテックウェアの上に黒帯を締め……おお、見よ!メンポを装着している! ニンジャである! 「頼むぜコンシューマブル=サン!そのためにおめぇを呼んだんだ」コンシューマブルと呼ばれた痩身のニンジャはやれやれと嘆息すると両腕を掲げた。 「コソク・ジツ!イヤーッ!」「ンアーッ!?」コンシューマブルの袖からLANケーブルの束がひとりでに飛び出し、生き物めいて一瞬でマツユキに絡み付く! 両腕は背中できつく縛り上げられた! 「ヘェーヘヘェーッ!」そしてインシステントはマツユキをうつ伏せに転がし、体重をかけのしかかった!両脚が閉じぬよう間に身をこじ入れ、 荒い息遣いで自身のベルトを外し始める。マツユキはこれから何をされるか察した。 「ヤアァーーッ!?ヤアァーーッ!」マツユキは叫び、おぼつかぬ足をジタバタと動かすが、インシステントは意に介さず、既に下半身を剥き出しにしている。 「そいつのその顔でよくやるもんだ。趣味がわからん」コンシューマブルはわざとらしくマツユキの破損した左の顔を覗き込み、侮蔑の半笑いで首を振った。 「へへ、俺ぁこいつみてぇなタッパのデカい女を組み伏せるのが好きなんだ。それにいい声で鳴きやがる、勃つぜ!顔ぐらいこうすりゃあ」インシステントは 違法基盤や部品回収用の巾着袋をマツユキに被せ、首元できつく締めた。 「ンンーッ!?」オイランドロイドに窒息死の心配はない。それゆえに容赦のない圧迫にマツユキは悶えた。そしてインシステントの手がマツユキのヒップを 撫で回しながら下着を下ろしにかかる!マツユキは全力で身をよじり、逃れようと必死にもがいた。 「ンンーッ!ンンーーッ!」全力で仰け反った後頭部が覆いかぶさるインシステントの鼻先を掠める。「痛ェ!ジタバタすんじゃねぞコラーッ!」インシステントは 腰に吊るした警棒を抜き、マツユキの背中を打ち据えた!「ンアーッ!?」 その時、マツユキの意識は過去の瞬間に飛んだ。あの時もこうしてきつく縛られ、頭陀袋を被せられて殴られた。ソーマト・リコールめいて呼び起された凄惨な記憶が マツユキのニューロンを埋め尽くしていく。 ◆◆◆ ――両手足の自由と視界を封じられ、天井から裸で吊るしあげられる。『命令だ』被せられた袋の外からくぐもって聞こえる、冷凍チャンバーの音、 左右を挟む刑吏めいたクローンヤクザの唱える不気味なチャント。 『叫べ』漂う生臭い匂い。冷たく湿った、硬い何かで左右から交互に激しく殴りつけられる。『人間の女みたいに情けない大声で』全身を何度も、何度も、何度も。 『僕によく聞かせろ』恐怖。苦痛。絶叫―― 平安時代に考案された数々の凄惨なる拷問。オイランパレスにて目に余る粗相や、脱走を働いたオイランを罰するのに用いられた「ブリ・スイング」と呼ばれる ものもその一つだ。 ブリは幼体から成長と共に名を変えていく、いわゆる出世魚の最終形態である。市井の娘の心と未練を完全に削ぎ落とし、オイランとして完成されるべし。 との苛烈なミソギの意味を込め、その名の通り身の引き締まった見事なブリを用いて「ブリ(鰤)、ブリ(鰤)」と身に刻み付けるかのようなチャントを 繰り返しながら、裸で吊るしたオイランを滅多打ちにするものである。 江戸時代に入ると、それは当初のオイランへの罰の枠を超え、重罪人に対する更に苛烈なる拷問処刑法として発展。用いられる獲物はブリからカツオへと変わった。 読者諸氏もご存じの通り、古来より「堅き魚」「勝つ男」「武士」と表されるカツオは、荒海を渡り鍛えられた高密度の強靭な筋肉と、カタナめいたハガネの表皮を持つ。 伝統的イポン釣り漁にて、甲板を跳ね上がった殺人カツオのアンブッシュを受け、鋭利なヒレで身を切り裂かれた者。鉄塊で打たれたかの如く骨を砕かれた者。 無惨に死んだ漁師たちは数知れない。 いかに筋骨隆々のむくつけき罪人であろうと、これで打ち据えられてはひとたまりもない。加えて拷問の合間には、更に苦痛を与えるため、生じた全身の傷に塩や酢、 ショーユが叩きつけられるようにすり込まれた。 拷問室から響く凄まじい絶叫は刑場の外まで漏れ聞こえ、夏の初カツオ、秋の戻りカツオの時期、江戸の町には陰惨なアトモスフィアが漂った。やがてこの残虐なる刑罰は、 限度を越えた奥ゆかしからざるものとして禁止されることとなった。……少なくとも表向きは。 これと現代にも伝わるカツオの伝統的調理法のひとつ、「タタキ」との類似を指摘する文献も存在する。だがいかにして凄惨な拷問処刑法が食卓と結びついたか。 そしてタタキには金串で突き刺す、ワラの炎で炙る、氷水に沈めるといった工程が存在し、これが果たして何を意味するか……歴史の闇に容易に触れるべきではない、 とだけ言わせていただこう。 ◆◆◆ カメラは現在に戻る。「ア」マツユキは突如奇妙な一声を発し、びくりと震えると動きを止めた。「なんだこのポンコツ?ブチ込まれる前に壊れちまったか?」 「打ち所に気を付けろよ。頭か胸のマイコ回路だか知らんが、壊しちゃ元も子も」「ア」再び震え。「ア、ア」アトモスフィアの変化をニンジャ達は訝しんだ。 「ア……アアアアアアアアアアァーーーーーーーッ!!」 「アバーッ!?」「え」KRAAAASH!耳をつんざく凄まじい絶叫と共に、インシステントは晒した股間に強烈な後ろ足蹴りを叩き込まれ、背後の棚に突っ込んだ! 白目を剥き痙攣失神! インシステントを蹴り飛ばした形のまま、マツユキはゆっくりと、ジョルリ人形めいた不可解な動きでゆらりと立ち上がる。堅く身をを拘束していたケーブルは 弾けるように千切れ飛び、被せられた巾着袋は引き裂かれた。 マツユキの顔は恐怖に引きつった表情で固まっている。剥き出しの左目と、ガラス玉めいて見開かれた右目は涙を流し、緑色に発光していた。サイバネ・アイの 発光とは根本的に異なる、ゆらめくカラテの灯。 「こいつ、ニン……」思わず零したコンシューマブルの声に反応し、ギュン。とバネ仕掛けめいた動きでマツユキの首は廻った。発光する二つの点が、 動揺し立ちすくむニンジャを捉えた。 「ヒ……!」射竦められたコンシューマブルはさながら、アワレにも山で腹を空かせたクマに遭遇した登山者めいて全身を粟立たせ、じりじりと後ずさる。 「マ……マッタ」降参と言わんばかりに掌を剥けるコンシューマブル「俺は何も」 刺激してはなら「アアアァーーーーッ!」「アイエエエエーーッ!」絶叫と共に駆け出したマツユキに慄き、コンシューマブルは廊下に飛び出し全力で駆ける! 背後から破砕音! (アレはなんだ!?)完全な予想外の事態に、ニンジャソウル憑依者とは言え、まともなイクサを避けてきたケチなスカベンジャーのヘイキンテキは完全に乱れていた。 先ほどまで悲鳴を上げ、嬲られるばかりであった無力な壊れかけのオイランドロイド、ウキヨが?ウキヨの……ニンジャ?馬鹿げている! その背中に、目につく障害を薙ぎ払い、打ち壊しながらさながら獣めいた前傾姿勢でマツユキは迫る。フロアの端、階段の踊り場に辿り着いたコンシューマブルは屋上に 駆け上がろうと「アアァーーーッ!!」「グワーッ!?」 体側に叩きつけられた質量。飛び掛かってきたマツユキと共に、コンシューマブルは下階までの崩落に投げ出され、もつれあいながら一階まで落下!「グワーッ!」 数階の高さからオイランドロイドの重量の下敷きとなったコンシューマブルは、突き立った瓦礫に背中を突き刺し悲鳴を上げる。 そしてその上に立ち上がったマツユキは、長い脚を振り上げ、力のセーブの外れたストンプを振り下ろした! 「アァーッ!」「グワーッ!?」顔面!「アァーッ!」「グワーッ!?」顔面!「アァーッ!」「グワーッ!?」肋骨!「アァーッ!」「グワーッ!?」鳩尾! 「アァーッ!」「アバーッ!?」股間!「アァーッ!」「アバーッ!?」股間!「アァーッ!」「アバーッ!?」股間!「アァーッ!」「アバーッ!?」股間! 跳ねる返り血にまみれたオイランドロイドはもはや馬乗りになり、何度も拳を打ち下ろし続ける。コンシューマブルの眼球は破裂し、鼻骨も、前歯も残らず砕けた。 もはや悲鳴にならぬヒューヒューとした音を吐くだけの血袋。湿った重く鈍い音だけが静まり返った廃墟に響く、やがて。 「サヨナラ!」コンシューマブルは爆発四散した。だがマツユキは止まらず、そのまま暫し、爆発四散跡の血溜まりの瓦礫を殴り続けた。しだいに瞳の発光が弱まると、 その勢いは衰えていき、やがて止まった。 マツユキの右目は二、三度瞬きをし、唖然とした顔でゆっくりと目の焦点を合わせる。眼前の凄惨な血だまりと自身を染める大量の返り血に悲鳴を上げた。 「ア……アイエエエッ……!」 これが起きたのは初めてではない。負の記憶を刺激する出来事に遭遇し、竦んだ心が限界に達したとき、ニューロンにあふれ出す恐怖と苦痛。その度にマツユキは叫び、 無我夢中で発生源を徹底的に叩き潰した。 最初はウキヨポリスに居た頃。戦闘訓練に参加した折、マキワラに宛がわれた捕虜の野盗たち。ひとりがヤバレカバレの挑発に吐き捨てた、思い出すのも憚られる 猥褻の度を超えた汚言。奇しくもそれはかつての所有者の小男が、マツユキに喜々とぶちまけたものと偶然一致した。 瞬間的にニューロンを恐怖と痛みと恥辱が埋め尽くし、なにもかも振り払おうと死に物狂いでもがき、叫び、気付けば三人の男だったものが血だまりに沈むネギトロに 変わっていた。あまりのただならさに、仲間たちはマツユキの抱える深い心の傷を慮り、努めて明るく気遣おうとしたが、その笑顔は引きつっていた。 その時である!「ARRRRRGH!」「アイエエエエエッ!?」雄叫びと共に上階から落下してきた物体にマツユキは後ずさる。インシステントが追ってきたのだ! よろめき立ち上がった何も纏わぬ股間は赤く染まり、ボタボタと血を垂らしている。 「テメェー……このデク人形がぁ……!」歯を剥き出し目を血走らせる、オニめいた形相に睨まれ、マツユキは震えあがった。 「アイエエエエエーーーッ!」先ほどまでの獣めいた俊敏さとは打って変わった、グラグラとした遅い足取り。壁に手をつきながら、這う這うの体で傍らの非常口から 裏路地に出たマツユキ。明かりを目指して通りへ駆けようとする。 しかし「アッ!」足をもつらせ転倒!そして背後に迫るインシステント。完全に腰を抜かしたマツユキはそのまま腕の力だけで後ずさる。「嫌……嫌……!」 インシステントは手の中の警棒のスタン機能をアクティブにした。バチバチと音を立てスパークが生じる。脂汗を浮かべた血走る狂気の眼でマツユキを睨み、 絶縁グローブで警棒をしごきながら、内股のぎこちない足どりで迫る。 「許さねぇ、許さねぇぞ粗大ゴミが……!折角有難く使ってやろうとした人間様によお……!」だが怒りに燃える下劣ニンジャの顔は、この期に及んで欲望に歪む。 「代わりにコイツをテメェの股座に咥え込ませて中から焼き切って……」 「ア……」震えて見上げるマツユキはふと訝しんだ。インシステントの背後、ビルからビルの上を尾を引いて飛ぶ紫のネオンめいた光、速度を上げ近づいてくる……人? やがてそれは路地の壁から壁をピンボールめいて高速で跳ねまわり…… 「イイイイィヤーーッ!」「ア?」インシステントが振り向くと同時、脳天に暗紫色のエンハンス光を迸らせた渾身のカタナが叩き降ろされた!「アバーッ!?」 正中線から真っ二つに裂けながら、インシステントは爆発四散!「サヨナラ!」 爆発四散のパーティクルを洗い流すかのように、ぽつりぽつりとにわかに重金属酸性雨が降り始めた。「ハァーッ…ハァーッ…」やがて、荒い呼吸で凄まじいキリングオーラを 放射するニンジャはザンシンめいてカタナを収めると立ち上がり、マツユキを見た。マツユキは叫んだ。 「アイエエエエエーーーッ!」「マツユキ=サン!おれだよ!」ニンジャは、ダメージドはメンポを外し、顔を見せた。黒いジャケットとパンツに「すどうふ」とショドーされた 白のシャツ。カスガイだ。 カスガイは、マツユキの端末から届いた途切れた不穏なノーティスに目を開け、全速力で駆け付けた。廃ビルを視界の中に捕らえた時、耳に届いたマツユキの悲鳴。 そして路上で這うマツユキに迫るヨタモノの姿。憤怒が思考を焼き、カラテが全身を駆け巡った。 「カスガイ=サン……?ニンジャ……ナンデ……カスガイ=サン、ナンデ…?」「……話そうと思ってた、いつかは。ごめん」重金属酸性雨は雨足を増していく。 近寄るカスガイにマツユキは後ずさった。「ア、アイエエエエ……!」「大丈夫だよマツユキ=サン。怖い所見せちゃったけど、もう平気だから……」 やはりこうなるか。とカスガイは目を伏せたが、マツユキが恐怖したのはインシステントの爆発四散でも、カスガイがニンジャである事でもなかった。 震えるマツユキの傍ら、生じた水溜まりを見てカスガイは気付いた。自身の目に、口に。愉悦に歪んだ笑みが張り付いていることを。 そしてマツユキの姿を。己の体温と血流の激しい高まりを。ダメージドは自覚した。 己から発せられる紫のエンハンス光に照らされる、雪のような白いオモチシリコン。露出した無骨なクローム。染め上げる大量の返り血。そして剥き出しの左のサイバネ・アイ。 紫、白、鉄、赤、紫、白、鉄、赤……幼い頃の記憶、あの夜の光景。違う。 ……鮮やかな紫色の髪。違う、透き通る白と力強い黒のモノトーンだ。……少女めいた小柄な体躯。違う、モデルめいたしなやかな長身だ。……手に収まりきらぬほどのスゴイ豊満。違う。 何もかもが。 キレイだ。 「カーーッ!」「ピガーーッ!?」ダメージドはカナシバリ・ジツを放った!暗紫色に発光する瞳と目を合わせたマツユキは悲鳴を上げ、死後硬直めいた直立状に固まりながら激しく痙攣! やがてマツユキの主電源は落ち、全身がだらりと脱力した。 「効いちゃった」 降りしきる重金属酸性雨の中、張り付いた笑みのままダメージドは茫然と呟いた。 【エピソード最終セクション ♯7 に続く】