「log date.未来バルロス、古の勇者」 ──未来バルロス。 灰色の雲に包まれた空、日の光が差し込むことは滅多になく常に曇りか雪に天候を支配された空。 そんな灰色の天蓋に包まれるのはかつてエビルソードに滅ぼされた機械文明の栄えた都市バルロスだった。 だった、というのは今もそう呼んでいいのか不明だからだ。 ここはバルロス跡地。人魔の争いの遥か未来まで残ってしまった灰色の土地。 この時代は機械のゴーレムが各地を飛び回り人も魔物もお構いなしに襲われる一つの可能性を体現したいいモデルだろう。 灰色の天地に挟まれ世界を温かく照らす焚火がひとつと、その火に当たる人影がいくつか揺らめいていた。 「こうも寒いと気が滅入るでござるな。」 未来世界のゴジョーブリッジを持ち場としていた体格のいいアンドロイド、BEN-K1が冗談めいて呟く。 多少土埃は被っているもののピカピカの灰色のボディをした彼も寒さなんてものに弱いのだろうか。 彼と共に火に当たる残り二人の人影がクスリと笑う。 「君といるとなんだか気が楽になるよ。」 冗談めかして返したのはかつて魔王軍のエゴブレインに改造手術を施されたダークエルフの青年タイムホッパー。 改造された直後は色々な目に合い、あまりにも長い自分探しの旅に出ていたらしい。 その放浪があまりにも長すぎたのか気が付く頃には街の多くは荒廃し、多数の巡回アンドロイドに追いかけまわされてやっと事態の変化に気付いたとか。 そんなタイムホッパーをBEN-K1と共に迎え入れたのはさながら死神のような様相をした青年グレィス=カルだった。 「最近はよく冗談も言えるようになって来たじゃないか。ぼくらが初めて会った時は目も合わせようとしなかったのに。」 「荒廃した世界がなのか、女性が居ないからなのかは知らないけどすごく落ち着くんだ。昔のことはあまり思い出したくないけどそれを差し引いても楽しいよ。」 タイムホッパーとグレィス=カルは一見接点が無い様だが、二人とも時空事故を遭遇している過去がある。 タイムホッパーはエゴブレインによる改造手術を受けるきっかけとして。 グレィス=カルはBEN-K1と共に過去から来たという勇者一行を送り返す手伝いの最中に。 そんな妙なシナジーのせいもあってか荒廃した未来の世界では似た境遇同士すぐに打ち解け合った。 彼らが仲良くし始めた当初はBEN-K1も多少の嫉妬を覚えたものだがそれも一時的なもので、 感情も凍り付きそうな未来世界でわずかな友人同士パーティとして身を寄せ合うこととなった。 「昔はなだめるのに苦労したもんだけど最近じゃ二人とも仲良くしてくれるからやっと心配の種が一つ消えたよ。」 「当たり前でござる。拙者がグレィスどのを困らせたことは一度たりとも無いでござるからな。」 「よく言うよ。まぁ、君は"どの世界"でもぼくの友達で居てくれてたからな。そこで言えば間違いなく支えになってくれてるよ。」 「俺と出会う前から一緒に行動してたんだってな、羨ましいよ。なぁグレィス、"いま"はどうだい?君が言ってた故郷かい?」 「ぼくの故郷ではないけど"いま"だって大切な時間さ。視野を広げると特に実感するよ。」 グレィスは時間事故の後遺症で時間や世界改変の耐性を身に着けてしまった。 そのため彼の眼には"いま"が時々ノイズが掛かり、変動しつつある"別のいま"も観測出来てしまう。 今の"いま"は誰が支配しているのか、それとも支配されずとも滅んでしまった世界なのかは不明だが、 時折グレィスの目には灰色の冬の世界が暖かな春の世界や大昔と何ら変わらない人と魔族に溢れる世界にも見えている。 「頻度が多いもので言うと……誰も支配していない世界、魔王モラレルが健在している世界、モラレル討伐後にニオワセルが、またはポーン=プライマルが主権を握ってる世界が見える。 時々大樹バオ=バーブが生えている世界も見えるけど大体勇者かポーン=プライマルに切り倒されているよ。」 「目まぐるしいな。俺なら酔って耐えられないかも、グレィスは大丈夫なのか?」 「酔いはいいんだがぼくの場合は見えてる娯楽が手に入らないのが辛いな。モラレル世界ならホビーもゲームも充実していたのに。」 「隣の磁場はなんとやらってやつでござるな。娯楽に目を向けると別の部分で苦労するでござるよ。」 「BEN-K1、俺が知ってるのは隣の芝だったぞ。」 焚火を囲みハラハラと降りゆく雪を払いながら冗談めいた話をする三人の姿は、まるで往年のファンタジーものの冒険道中にも似た和やかなものだった。 ここににもし違和感を覚えるとすれば彼らの傍らにある謎の演算装置のせいだろう。 バルロス跡地で見つかったこの演算装置はカプセルの中に何者かの脳のようなものが収められており遥か古代から演算を続けている痕跡を残す。 機械に表示される古代語を解読したところ「人類の永遠の繁栄と種の存続について」との文面が見受けられた、恐らくこれを古代から延々と演算し続けていたのかもしれない。 とはいえ現在のバルロスはじめ他の地域もこの有様ではその演算内容は皮肉もいいところだ。 ただ、古代から演算し続けるこの機械の処理能力は捨て置けないものがあると、BEN-K1が自身を経由させタイムホッパーと繋いで一種のタイムポータルテレビを作り上げた。 このポータルによって過去から来たいくつかの勇者パーティを元居た世界に送り返したり、過去を覗き見るテレビとして利用し娯楽の一部として再利用している。 「量子論的にはしばしば未来からの観測の光で過去が変わる事例もあるらしい、ぼくが見る世界の変動は恐らくその類だろう。」 「観測することで目まぐるしさを経験すると?卵が先か鶏が先かみたいに不思議な表現するじゃないか。」 「時間は直線的な構造とは限らないでござる。基点が今とすると過去に向けて直進する光が過去を変える要素だって十分あるでござるよ。 たとえば勇者一行を送り返すことでこの未来の姿を過去に教えたとするでござるな。そうなると過去の勇者一行はこの未来に繋がらない様に頑張るでござる。 結果過去が変わって過去の勇者一行はこの未来にたどり着くことが無くなるでござるよ。」 「俺には少し難しいけど……じゃあそうなると過去から来た勇者一行とは会わなかったことになるのか?」 「ところが実はその事実は揺らがないでござる。過去から来た勇者一行と送り返した勇者一行、過去が二つに分岐するでござるな。 勇者一行視点だとあくまでこの時代は通り過ぎるための地点でござる。でも拙者たちの視点から行くと……。」 「経験したことのない過去が増える。なんだか気持ち悪いよねぇ。タイムホッパー大丈夫かい?付いてこれた?」 「ぐ……やっぱり俺には難しい、お前らよく説明できるほど整理できてるな。」 頭を抱え知恵熱寸前のタイムホッパーにグレィスが水を勧める。 寒空とはいえ冷たい水は回転の増えた思考によく染みて美味いのか、水はタイムホッパーの喉をゴキュゴキュと音を立てて通り過ぎる。 タイムホッパーが頭と喉を冷やしている傍らグレィスはBEN-K1経由のタイムポータルを覗き込み過去のあらゆる場面を覗き見る。 過去のあらゆる歴史転換の基点となる場面は多い。 ポータルの画面の横に表示されるグラフが穏やかな波を打てばその出来事はいくら介入しても歴史に変化を及ぼさないが、 激しく波を打つような場面ではそこが歴史の重大な局面ということになる。 チャンネルをザッピングするようにあらゆる瞬間が映し出されるのを拾っては閉じ、拾っては閉じ、歴史変動のグラフが激しく波打つ瞬間を探して回る。 「古代にいくつか、この前勇者たちを送り返したときにいくつか、激しく変動の反応を示すのはこの二つと……。」 「その間に激しく突き破るような大きな波が一つ。ここの時期だけ時空障壁もぐちゃぐちゃでおかしなことになってるでござるな。」 「んく……ふぅ。その真ん中のすごいことになってるのはなんでそうなってるんだ?」 「ここに時空移動の痕跡がやたら多いのと、歴史の転換点になるイベントが集中してるからだよ。BEN-K1、リストアップしてくれ。」 グレィスの指示でタイムポータルのテレビ画面とグラフの上に新たな画面レイヤーが形成され、いくつかの人物の顔がリストアップされていく。 鼻に傷のある男が二人、スプドラートに灰色マントの正体とされる男が画面に映る。 「この時期灰色マントと呼ばれる男の存在が複数確認されるのと、同時期に勇者スプドラートの質量が地上から消えてるでござる。 恐らく死んだか身分を変えたか時空の変動で別の世界に逃げたものと考えられるでござる。」 続けて金髪のカエルのような魔物が画面に映る。 「これはオリボスでござるな。裏魔界軍団を束ねる魔王で3000年前に魔王モラレルと戦った痕跡があるでござる。 しかしこの時期モラレルはまだ魔族の中では比較的若く、3000年前には生まれてすらいないでござる。何かしらの矛盾を感じるでござる。」 ぼさぼさ髪の筋骨隆々な男が画面に映る。 「これは当時活発に行動していた無名の勇者でござるな。銅像も建てられ各地にこの未来世界までも雄姿が伝えられる偉業を遺したでござる。 魔王モラレルとこの勇者が同じ日に誕生し、人と魔族の争いに緊張感が増したことは拙者のデータバンクにもあるでござる。」 最後に赤いマントに黒い髪とひげを携えた男の姿が映る。 「これはジャンデー=マガピオンVII世という王様、少年の心を忘れなかったシュダンカン国王でござるな。 レンハート勇者王国の一声を受けてブレイブバトルを主催したことで名高い王様でござる。ブレイブバトルの景品は……。」 「"時渡りの鍵"だな……。この時期時空の枝葉がウニみたいに無数に枝分かれしているのはそのせいか。やっかいな。」 「俺も当時放浪中にちらっと見かけたっけ。当時はただ勇者パーティを集めてなにかお祭りでもしてるものかと思ってたが。」 画面に映し出されたブレイブバトルという文字を遠い目で見つめるグレィスにタイムホッパーが語り掛ける。 当事者にしてみれば人間同士のほんのにぎやかしの祭りにしか見えなかっただろうイベントだが、振り返ってみればそこが大きな転換点というのはしばしばあることだ。 「グレィス、本当にアレをやるつもりなのか?」 「怖いのかいタイムホッパー?ふふ、まだもうちょっとだけ先延ばしにするつもりさ。もう少し情報を洗いたいからね。」 タイムホッパーの言うアレとは他ならぬ時間跳躍、タイムスリップのことだ。 今しがたまで開いていたタイムポータルを開くのと同様にタイムホッパーの持つ能力"自分限定で時間を操作する能力"をBEN-K1に繋いで変換しタイムポータルを開ける算段だ。 あくまで演算装置は座標計算や記録の取り捨て演算に使っただけで時間移動そのものはBEN-K1とタイムホッパーが居れば容易に可能である。 逆に言うと自分の采配でグレィスをどの過去に送るかを決められるので心にダメージを負っているタイムホッパーにはあまりにも荷が重い役目でもある。 グレィスのタイムスリップ延期を受けタイムホッパーはホッと胸を撫で下ろす。 「ブレイブバトルを中心に時空の流れはひどく傷ついてる。ここを通過するのも困難なぐらいにね。タイムホッパー、君が時空事故を受けたのもこれが原因じゃないのかい?」 「わからない……。俺を改造したのも能力を与えたのもエゴブレインだから。」 「エゴブレインか。"いま"この世界には居ないが過去の存命期間中なら頼れそうだ。 タイムスリップ後の帰還には彼を頼ることにするよ。 とにかく……。時空の流れはひどく傷ついてるんだ。この患部を直接攻めても前段階の因果が大きく絡んでいるだろう。 時空をいじるにはもっと過去を遡らないとだめなんだ。BEN-K1頼む。」 グレィスの合図を受けBEN-K1は新たな面々、大昔の原始人のような者たちをいくつかピックアップする。 「これは…原始人たちでござる。サピ族などいくつか種族が分かれているようでござるがこの頃人類も魔族もまだ同一の存在だったようでござるな。 それにしてもさっきのぼさぼさ髪の勇者同様名前が残っていないのはいささか説明しづらいでござるな。」 「じゃあ説明しやすいように名前を付けてしまえばいい。どうせ眺めるのはぼくたちだけだ。 そうだなぁ……、このコングロードみたいな大柄の男はコングセンゾでどうだろう。」 「コングセンゾ、面白いでござるな。こっちの羽の生えた女性はさながらサキュバスといったところでござろうか。」 「ははっ、いいセンスしてるじゃないかBEN-K1。君はどうだ?タイムホッパー。彼らに現代風の名前を付けるとしたら?」 「ならあの魔女だ。昔見かけたペテン師のマーリンと本物の魔女マーリンにどことなく似てるから……魔ーサー王伝説から取ってマルジンなんてどうだろう。」 「コングセンゾ、サキュバス、マルジン、面白いじゃないか。じゃああの左目に傷が入ってる彼は……、アンスロープから取ってアンスロだ。」 グレィスが最後に名前を決めたところでいよいよ太古の世界の歴史の転換点観測に挑む。 最初の男アンスロ、始祖の魔女マルジン、コングセンゾ、サピ族、サキュバス、そして巨大な海洋生物ヘルノカリスがBEN-K1の投影した画面に顔を連ねる──。 ──太古の世界。 気候暖かく、緑豊かな土壌。赤く栄養豊富な大地に黄色く眩い日の光照らす青空。 辺りを飛び交う昆虫もまだ豊富な酸素で大きく育ち、現代においては見たこともない原始的な植物が地平線を塞ぐ。 景色だけでなく、色とりどりな生命に恵まれた地上にはいくつかの人型の生き物の生活が垣間見える。 後に魔ネアンデルタール族やサピ族などと呼ばれる原始人たちが各々集落を築いて定住したり、あるいは集団で何世代にもわたって土地を転々と移動していた。 暖かな日差しに照らされて深緑の芝生に寝そべる原始人が一人、まるで昼寝でも興じているような様子を見せる。 だが彼は決して昼寝をしているわけでも、ましてや集落から置いてけぼりにされたわけでもなかった。 彼は仮称アンスロ、たった今この世に生を受け存在することを決められた男。 現地になじむ肉体を持つがその精神は遥か先の未来の人間と同様のものを持つ。 彼に収まる精神の正体は異世界からの転生者だった。 「……うそ、うそうそうそ!?マジで転生しちまったのか俺!?いったいなんだよこれ!?」 筋骨隆々の毛深い体を撫でまわし、近くの水辺で新しい自分の顔を見るアンスロ。 彼はいわゆる"現代"からこの時代この姿で新たな生を受けたようだがその結果はかなりの不服なようだった。 「俺でも知識チートできる世界に最強の肉体で生きたい!……って願ってこれかよ……。 こんな、こんないつだかわからないような原始時代に放り出されてやっと俺が活躍できるってことなのかよ……!?」 このときおよそ二百五十万年ほど遡る過去。確かに知識はこの世界の現地人に比べればある方だがそれも宝の持ち腐れでしかない。 鈍くぐるりと鳴らした腹をさすり空腹を満たさんとどこへなりとも歩き出す。 肉、魚、果物。アンスロがアンスロになる前の人生で得た知識を頼りに食料を求めて広大な命の高原を彷徨う。 そして日も落ち深い夜が訪れる。 丸一日歩き詰めでも食料を得られないどころか、食糧を得るための道具一つ作れない始末。 せっかく持ち込んだ知識も現代人だった頃の経験の浅さからくる不器用さで生かすことが出来ない事実にアンスロはひたすら泣いた。 目に涙を浮かべたまま空を見上げると不意に心を奪われる。現代人として生きていたころには決して拝むことの叶わなかった満点の星空が目に入ったからだ。 星屑を詰めた小瓶を倒したようにギラギラと夜空を横切る天の川。はじける銀の粒は一等星よりまばゆい恒星。 隙間なく詰め込まれたパウダーのような星々がアンスロの不安な心を慰める。涙はこぼれ落ちることなく光を捕まえるレンズの役割を大いに果たしていた。 「夜空って真っ黒だと思ってたけど、紺色というか藍色というか。深い青色をしているんだな……。」 潤う瞳で大いなる自然の美しさに包まれくじけかけたアンスロの心は再び立ち上がるための気力で満たされる。 ふと何の気もなしに顔を下した一瞬、森の奥にオレンジ色の明るい光が目に入った。 火だ。誰かが森で火を焚いている。 一日晴れてたこの日に落雷を呼ぶ雨雲は一つもかからなかったし、空気もそれほど乾燥していないから枯れ葉が静電気で着火することもない。 ありえるとしたら誰かが火をつけたとしか考えられない。でも誰が? 疑問は不安を呼び不安は恐怖を呼ぶ。恐怖が呼ぶのは混乱と、それに立ち向かう勇気だ。 アンスロは恐怖を握りしめたまま勇気を振り絞り灯りに向かって歩き出す。 生き物が生き残るのに必要なのは強さよりまず、恐れ学び観察する臆病さである。 かつて現代人だった頃に漫画かなにかで知ったそんな言葉を胸にしまい、灯りを付けたと思われる人影にアンスロが声をかけた。 「なぁ、あんた。火つけたのあんたか?言葉、わかるか?」 アンスロの問いかけに振り返ったのはどうやらこの時代の女性のようだった。仮称マルジン。 紫のアイシャドーに青と黒のストライプの衣服と帽子を身にまとっている、その不思議な様相はまるで魔女のようだった。 「言葉、わかる。お前は何者だ。サキュバスかコングの手先か?」 「サキュバス?コング?何のことかさっぱりだけど俺はただ火を見かけて気になって来ただけだ。森で火事でも起こされたら困るからな。」 「ひ?これはお前たちの部族では"火"というのか?火、狩りに来たのか?」 「光?まぁ光に寄って来たといえばそうだけど。」 アンスロとマルジンの会話を遮るようにアンスロの腹が大きくごろりと鳴る。探求心は埋められたが肝心の空腹は未だ埋まらず。 するとマルジンは自分で狩っただろう動物の肉を木の枝に刺してアンスロに枝ごと差し出した。 「腹減ってるなら食え。この肉は命差し出してくれた、私たちは命受け止め繋いでく。それと……。」 「それと?」 「火で焼くと美味い。」 マルジンから肉を受け取り言われたとおりに肉を焼き頬張るアンスロ、味覚もクリアになっているのか染みだした肉汁のジューシーな脂が舌に痛いぐらいの旨みを伝える。 新しい人生初めての食事。火の通った暖かい食事。アンスロは深く感謝し丁寧に頂く。 満足げに眺めるマルジンの表情を見て黒曜石でもあればいいのにとアンスロの思考に小さなひらめきが走る。 簡素だが、現代の知識で料理の技術を振る舞い命の恩人に感謝したいと思ったからだ。 食事を続けながらお互い身の上などの情報交換を行う。 アンスロの身の上はマルジンにはいささか理解しがたかったようだが、それでも何かしらの神と呼ばれる大いなる力の介在を認めさらに理解まで示した。 逆にマルジンの身の上をアンスロはすぐに理解した。 マルジンはのちに人と魔族の主な先祖となる部族の一人で、時折魔法を発明しては部族のためにその力を奮う善良な魔女だった。 しかしある日突然彼女の部族は生気を抜かれたようにうつろな目をし生活もままならなくなってしまった、 原因はいつの頃からか山向こうに現れたという悪なる魔女、サキュバスの仕業。 マルジンは一度自分の集落に現れたサキュバスと対峙したがサキュバスは他者を操る不思議な力を持っていたため敵わなかった。 どこからか空を舞う古代の海洋生物、ヘルノカリスを呼び出し大地を削り取りながらマルジンを襲った。 マルジン一人にヘルノカリスの討伐までは不可能ゆえ撤退を余儀なくされ、逃げ落ちて野営をしていたところにアンスロと出会ったというわけだ。 「そんな化け物まで居るのかこの世界は……恨むぞ神様。」 「一度引いたが諦めるつもりはない、今度は山の反対側から襲って驚かせる。だけど途中でサピ族の集落にぶつかって厄介だ。 アンスロ。お前食い物の礼にサピ族の戦士と戦って集落通り抜ける権利勝ち取れ。」 「俺に戦えって!?そんな馬鹿な、いやまてよ。確か……。」 アンスロは転生前の願いを思い出す。 "俺でも知識チートできる世界に最強の肉体で生きたい!" 彼はこの世界に元居た知識だけでなく最強の肉体も持ち込んでいたことを思い出す。 「やってみるか……どんな相手かわからないけど。」 翌朝、予定通りにサキュバスの根城の山を背後から回り込むためにサピ族の集落のひとつとぶつかった。 交渉役にはマルジンが買って出て褐色細身のなんだか頼りなさげなサピ族との会話を進める。 アンスロは最初戦う相手が細身で非力そうな種族だと思い胸を撫で下ろしたが安心したのもつかの間、サピ族が連れてきた集落の猛者を見て心底驚く。 ゴリラだ。それも目つきが鋭く服まで来ている。恐らく現代で言う魔物の類だろう。 アンスロとほぼ同じ体格や筋肉量を誇るサピ族の戦士仮称コングセンゾが胸を叩いて雄たけびを上げる。 「コングセンゾ!最強無敵!お前ここを通りたければコングセンゾ倒すしかない! でもお前バカ!コングセンゾ頭いい!なぜならコングセンゾ誰にも負けないからだァ!!」 「うひぃおっかねぇ……。こんなゴリラのお化けと戦うのか。……いや、俺ならやれる。自身もて!」 とびかかるコングセンゾに応戦するアンスロ。ゴリラ対ゴリラの夢の対決が繰り広げられる。 力量こそほぼ互角だったがコングセンゾは生来の戦闘センスと集落の戦士として鍛えたテクニックで、 アンスロは神の恵みの強靭な肉体の誇る防御力で、押しつ押されつの攻防を繰り広げる。 埒の明かない戦いに思われたがコングセンゾの左顔面に爪を突き立て縦一線に深くアンスロの顔面をえぐる。 激痛と視界を埋め尽くす緋色に一瞬怯むアンスロだったがこちらも負けてはいられない。 自らの顔面に刻まれた傷跡をさらに深く指先でえぐり、たっぷりの血液をコングセンゾの目へと向けて弾き飛ばす。 不意の目つぶしに驚きコングセンゾの攻撃の手が止まった隙をついてアンスロがゴリラの腕力でコングセンゾをひたすらに殴る、殴り続ける。 アンスロの猛攻に耐えきれずコングセンゾの巨体はズシン、と大きな地響きと土煙を立てて倒れこむ。 「待て!参った!コングセンゾ降参する!お前みたいな強いやつ初めて……!集落通り抜けていいぞ。」 「昨日肉食ったおかげ、やったな。」 「いてて……あんただって強かったじゃないか。もしよければサキュバス退治についてきてほしいぐらいだがどう思う?」 「私はいいと思う。強い戦士多いほうがいい。」 「お前ら、コングセンゾ必要なのか……?だったらついてく、俺お前たちのしもべ。戦士はより強いもののしもべ。 でもコングセンゾ一つだけ知りたい。お前たち名前なんというか。」 「魔女と呼ばれてる。名前は明かせない。」 マルジンが答える。魔女のセオリーはこの頃からあったのだろうか、強力な術者は滅多に人に名前を教えたがらない。 続けてアンスロが答えようとするが……。 「名前か……。俺の、この体の俺はなんて名前だったんだろう。」 この日、アンスロとマルジンは集落を突っ切ることはなくサピ族の集落みんなとコングセンゾに旅の理由を説明する。 サキュバスに奪われたマルジンの集落の者たちの生気、魂を取り戻すため討伐しに向かっていること。 サキュバスを倒すためにまず彼女の従えている魔獣ヘルノカリスを打ち取らなければならないこと。 コングセンゾ含むサピ族はことのいきさつに驚き息を飲み込む。 「コングセンゾも集落もそんなことになってたの知らなかった。サキュバス悪いやつ。ほっといたらコングセンゾの集落も魂抜かれる!そんなの許さない!!」 「だからこそあんたの力を見込んでついてきてもらいたい。一人では無理でも力を合わせれば怪物だって倒せるはずだ。」 「私の集落襲った海の魔物は空を飛ぶ。それにデカい。怖いものはついてこなくてもいいが、どうか……。」 マルジンの懇願にざわつくサピ族。当たり前だ。 ただでさえ集落の誇る戦士コングセンゾを倒した奴がこれから立ち向かおうという相手を前にしてこれといった強みもない細身の彼らが何を出来ようか。 怖気づくものが続出するがそんなざわめきをかき消したのはアンスロの言葉だった。 「確かに怖いのはわかる、俺だってコングセンゾと戦った時は怖かった。夜一人で彷徨っていつ動物に襲われるか怖かった。 それでも灯りを求めて歩き出したらそれに見合った成果はあった。怖くていい、大事なのは逃げないことだ!」 おぉ、とざわめきの声色が変わる。集落の若い衆はよし、と意気込み立ち上がるものや喜々としてはしゃぐものも現れる。 アンスロの本心からの発言は恐怖そのものに恐怖していたサピ族を奮い立たせ立ち上がらせた。 だがその歓声は突如空を横切る巨大な魔物の影によって成熟と緊張へと書き換えられた。 この集落の上空にもヘルノカリスが来てしまった。その背に腰を下ろすサキュバスの姿も遠目からでもはっきり見つけられた。 「現れたなサキュバス、私の集落を襲った忌まわしき魔女!」 アンスロもマルジンも集落を突っ切らずとどまってよかったと心底思った。 もし留まらずに通過してしまっていたらコングセンゾが手負いのまま何も知らないサピ族をヘルノカリスの餌にされてしまうところだったから。 突如訪れた決戦の機会に一同が奮い立つ。 渦巻く灰色の雲がどこからともなく集まり空を覆う。先ほどまで青天の午後だった空はあっという間に闇に包まれおどろおどろしい顔色を見せる。 ピギィーッ!っと叫びながら遠くの民家を一飲みにしたヘルノカリスが地面すれすれを飛び集落の人間が集まっている集会場所めがけて突っ込んできた。 鋭い歯を携えたヘルノカリスの触角の右と左をアンスロとコングセンゾが全身で受け止め捕獲する。 二人のゴリラ雄姿の姿を見てサピ族は男も女もなくヘルノカリスに掴みかかり、数の力で空を飛ぶ怪物を地面へと抑え込むことに成功した。 だがヘルノカリスの馬力も相当なもので、体をよじって一人、二人、とサピ族を吹き飛ばしていく。 押さえつけていないと隙は生まれないが攻撃するためには隙を作らなければならない。明らかにゴリラ二人とサピ族では人手が足りなかった。 どんどん日が傾き曇り空は夕日の赤を蓄えて毒々しい血の色に染まっていく。 あぁ夜が訪れる。 海深く生息していたヘルノカリスに追い風が吹くようにどんどんあたりも暗くなっていく。 目と鼻の先も闇に包まれ深海の化け物のホームグラウンドとにか環境が整えられていく。 その様子をサキュバスがにやにやと眺めていたが、何かを見つけてそのしたり顔は驚愕へと変貌していった。 「驚いたかサキュバス。私太陽の贈り物手に入れた。火と呼ばれる物手に入れた!」 アンスロが持ち歩いていたこん棒に煌々とまばゆい灯りが灯る。濁る血の色をした空を切り裂くようなまばゆさが辺りを照らす。 右手に松明を持ち頭上に掲げるマルジンの勇ましい姿がそこにあった。 一度故郷の深海に似た環境を整えられたヘルノカリスにはマルジンのもつ松明の灯りは眩しすぎる。 光の強さゆえか生体ゆえかショックを受けたヘルノカリスは身動きを止め完全に地上に墜落する。そしてその隙を逃さなかったのはコングセンゾだ。 「!!!!!!!!!!全 軍 突 撃!!!!!!!!!!」 一度弾き飛ばされたサピ族たちが再び集まりもういちどヘルノカリスへと攻撃を仕掛ける。 身動きの取れない海洋生物ならいくら巨大でもどうとでも調理ができる。 コングセンゾと共に固いヘルノカリスの外殻を砕いたアンスロはサピ族へと指示を出し解体作業へ移させる。 ペット代わりに操っていた魔獣が斃されサキュバスは恐ろしい形相で群衆を睨みつけた。 煌々と松明を掲げるマルジンにとびかかるサキュバス、だがどこからともなく二本、三本と槍が一斉に飛んできてサキュバスの体を貫通した。 槍を投げたのはサピ族たち、誰ともなく一斉に槍を投げてあれよというまにサキュバスを斃してしまった。 ここにまた、無名の猛者たちが新しく生まれた。 勇猛、勇敢、勇ましき者。 この日無名だったアンスロは現地の言葉で"勇者"を意味する名前を授かった。 当人はチームプレイのおかげと否定するが熱を帯びた群衆にはそんな謙遜が届くことは無かった。 後のことはあまり追跡が上手く及ばなかった。 仮称アンスロこと石器時代の勇者はいつの間にかどこかへと旅立った。 道中でのたれ死んだか、別の土地で別の名前で名を上げたか、はたまた過去の時空事故の類に巻き込まれて現代のどこかに飛ばされたかそれはわからない。 だがきっとどこかでまだ広大なフィールドを冒険し続けているのかもしれない。 マルジンこと始祖の魔女はサキュバスから解放された集落の仲間の魂を持ち帰り、また生気溢れる集落へとお戻すことに成功した。 彼女自身は当面サキュバスが蘇ることのないように灰にしてどこか険しい自然の要塞に封印するため旅立って行った。 のち、各地の遺跡跡には帽子を被り松明を掲げた女性の姿が刻まれる謎のきっかけとなる。 コングセンゾとサピ族たちも各地へと散らばり将来的に勢力を増やしていくこととなる。 進化の過程で後に人類と魔族に種族が大別されていくことになるが、その多くはサピ族たちとの交流で彼らの血の中に溶けていった。 決して滅ぼされたのではなく、在り様を変えてはるか未来へと生き延びていくことを選び選ばれて行った。 既知の人類史よりもはるかに速い火の発見はまさしく歴史の転換点と呼ぶにふさわしい重大イベントだった。 彼ら古代を生きた者たちからカメラが遠のき、BEN-K1の制御によりタイムポータルテレビは今一度閉じられることとなった。 ──未来バルロス。 「ありがとうBEN-K1、すこし休憩しようか。」 ひとしきり大昔の歴史の転換点を見届けたグレィスが満足げに言う。 望む結果では無かったものの興味深い歴史の一端を目撃できた充実感は相当なものだったと伺える。 「思ったよりすごかったでござるな。歴史の転換点には間違いないでござったから時空の乱れを示す波がこの時代で反応していたのも伺えるでござる。」 BEN-K1もいささか興奮を抑えきれずしみじみ反芻する用意軽く頷く。 未来の凍えるような風も演算で熱を帯びた彼の体には心地よいものだった。 「待ってくれ二人とも、俺はやっぱりこの時代にもタイムポータルや時空の傷跡のようなものがあるように思えるんだ。 その、記憶違いかもしれないけど昔ブレイブバトルの会場にこんな感じの勇者が混じっていたような……。」 頭を抱えながら必死に思い出そうとするタイムホッパーを二人がなだめる。 入り口があれば出口もある、どこかのポータルが原始時代に繋がっていることもありえると。 そして何かを決意したグレィスが切り出す。 「決めた、やはりこのブレイブバトル時期が明らかにおかしいところまで絞り込めた。 僕はこれからこの少し前に飛んで調査してみることにする。この辺りを調査すればぼくの元居た時間軸にきっと帰れるはずだ。」 「やはり行くでござるか、寂しくなるでござるな。」 「BEN-K1、タイムホッパー。二人とも世話になったね。また別の時間軸でも仲良くしてくれたら嬉しく思うよ。」 「昔の俺を説得するのは骨が折れると思うけど、もし戻ってくるつもりなら声をかけてみてくれ。」 「ありがたいけど……この時間軸には戻ってくるつもりはないよ。名残惜しいのは本当だけどね。」 つつましい別れの挨拶を述べ、先の提案通りBEN-K1とタイムホッパーの連携でタイムポータルを開く。 お互いを目に焼き付けるように眺めてとうとうグレィスの過去へのタイムスリップが行われる。 グレィスはタイムポータルの中を通り抜けながら灰色の未来ではなく元居た自分の未来へ戻るにはどんなアクションを起こせばいいのか算段を立てる。 「大きな事件だけでなくても過去の人物の血筋の有無も大きく未来へ影響を及ぼすはずだ。なるべく取りこぼさす接触するには司祭の身分でも獲得しておこう──。」 グレィスを見送ったBEN-K1とタイムホッパーの側もまた別のアクションがあった。 「タイムホッパー、この間この世界に紛れ込んできた勇者一行からの救援要請をキャッチしたでござる。今度のは今までとは比にならない事態に見舞われているようでござる。」 「場所はゴジョーブリッジ付近か……。俺もいくらエルフとはいえ部品の一部は機械だからな。覚悟を決めていかなきゃな。」 怪しく光る演算装置の傍らに焚火跡を残し、BEN-K1とタイムホッパーはこの時間軸に紛れ込んできた勇者一行たちの助力に入るべく最後の力を振り絞る────。