【これまでのあらすじ】 欲望のままオイランドロイドを無惨に弄び破壊する邪悪な猟奇ニンジャ、ダメージド。その犠牲者は日に日に増えていった。 一方、ダメージドのもう一つの顔。素朴な青年カスガイは、傷ついたウキヨ・マツユキと共に過ごす時間の中、次第に心を通わせいく。 だがダメージドとカスガイ、ニンジャとモータル、矛盾なく渾然し両立していた筈のバランスにはしだいに綻びが生じ始めていた。 カスガイは親友を殺した。 【クラック・イン・スノーフィールド】#6(前半) チキチキチキ……ウィーンガガガ。ギュイイイ!「この前さ。友達が死んだんだ」 ギュイイイ、ギュイ、ギュイイイイ!「小さい頃からいつも一緒で。すごく、いいヤツだった」 ギュイイイイ!ガガガ。「なのに変だよね、悲しくない。ちょっと違う、頭じゃ悲しい筈なのに胸が痛くないって言うか」 ギュイイイイイイイ、ガガッ。ギュイイイイイイイ!「逆かな?胸が痛い筈なのに頭じゃ悲しくない。どっちも同じかな」 ガガガガガ。ギュイ、ギュイイイイイイ!「おれが殺したのにね。虫でも潰すみたいに」 ウィーン、ギュイ、ギュイイイイ!「ずっとこうなのかな、おれ。それとも最初からこうだったのかな」 ギュイ、ギュイイイイイイイ!「どう思う?」ギュイイイイイイイ、ガッ。「ねえ」 「何か言ってよ」 ◆◆◆ 「カスガイ=サン」マツユキの声、帰り支度を整えるカスガイは何度目かの呼びかけでようやく振り向いた。「大丈夫?」 「うん、大丈夫。明日も来るから」カスガイは曖昧に笑い返す。 「そうじゃなくて、カスガイ=サン今日も元気ないから。よく考え事してる」「かもね。もうじき学期末の試験だし、気が重いよ」 それだけ言うとカスガイはキャリーケースを閉じ、立ち上がった。 マツユキの足の回復は順調だ。センセイへの相談から、マツユキの脚部の不調が心因性に寄るとみたカスガイは、まず環境から変えようと 部屋を整え、食物や本やIRC、様々な外的刺激になるようなものを持ち込み勧めてきた。 だがそれらはごく小さな要素だ、マツユキの精神状態に寄与したものは別にある。カスガイと時間を過ごす度、言葉を交わす度、 触れる度。マツユキはしばしば思いを表に出すように、笑うように、泣くように、時には怒るようになっていった。 実際マツユキの足は回復の速度を上げていき、今は介助付きで部屋の中を歩く程度まで可能になった。時折ふらつく度にカスガイが支えに入った。 一方、このところのカスガイの様子は逆だった。毎日のようにマツユキの元に通うのは変わらない。だがその日のリハビリが終わった後もそのまま居座り、 たわいもない話から共に食事やIRC動画などを見て過ごしていた以前に対し、この半月ほどは早々に切り上げすぐに帰るようになっていた。 放っておけばいつまでも回っていた口数も減り、時折見せる上の空の様子にマツユキの不安は日に日に募っていった。何かあったのかを聞いても、 先ほどのように曖昧に笑いはぐらかすだけだ。 ひょっとするとこのまま帰ればもう二度と現れないかもしれない。後ろ姿にそのような不安をマツユキは何度も抱いた、そして今この瞬間も。 「待って」気付けばマツユキはカスガイの背中に声をかけ引き留めていた。数秒の間。「何でもない」と喉元まで出かかった言葉を堪え、 意を決したように口を開く。 「ねえ、前にカスガイ=サンが言った事。ちゃんと歩けるようになって、ここを出て。住む先が見つかるまで……」「ああ。あの時はごめん、アレなら」 苦笑するカスガイをマツユキは制した。 「ちがうの。ほんの少しでも、冗談でなかったら。もし、嫌じゃなかったら」マツユキは俯き逡巡した。これから言葉にする事で何かが 終わってしまうかもしれない。それはマツユキにとってある意味で、自身の過去を打ち明けた時よりも遥かに重い選択だった。 だが、かつて想いを寄せた……自分以外の別の相手を愛し、そのまま二度と手の届かなくなった存在。臆病とモラトリアムに甘えてあれこれ理由をつけ、 何も踏み出さないまま終わってしまうのはもう嫌だった。マツユキは顔を上げた。 「一緒に住みたい」 思いもよらぬ一言にカスガイは目を丸くした。そしてやはり曖昧に笑い冗談めかして首を振る。「不用心だよマツユキ=サン、女の子が男の部屋に」 「カスガイ=サン、いつもここに来てる。私の部屋に」「そうだけど」 「最初に服も下着も全部脱がされて、体中触られた」「そうだけど、いやそうじゃなくて」「やっぱり私じゃ嫌?」「そんなことない」 カスガイは即座に否定した、そこに曖昧な笑いは無い。 マツユキはカスガイを見つめる。有無を言わさぬ口調に反した、今にも泣きだしそうな不安げな右目と剥き出しの左目。目を逸らす事はできなかった、 やがて沈黙を破ったマツユキの一声。 「私、カスガイ=サンが好き」 カスガイは息を呑んだ、言葉が出ない。体温と血流の高まり、心音。窓の外の喧騒も遠い、時間の止まったような数秒或いは数十秒が経過した。 やがてマツユキの視線は揺らぎ、小さく背中を丸めて床を見つめた。カスガイは歩み寄り、マツユキの隣に腰掛ける。 「ダメだったらハッキリ言ってほしい。諦めるから」問い詰めるような先程までと一転し、その声は小さく弱弱しかった。 「わかってる。カスガイ=サンは人間で、私はウキヨで、壊れかけのオイランドロイドで……面倒だよね、ごめんなさい。でも」 「マツユキ=サン」今度はカスガイがマツユキを遮った。 「おれもマツユキ=サンがよければ……違う、今のはナシ」カスガイはバツが悪そうに首を振った。「……うん」マツユキは消え入りそうな声を漏らす。 その肩にカスガイが手を添え、ゆっくりと起こした。 「それじゃ卑怯だ、カッコつかない」カスガイはマツユキの左頬に手を添え、顔を上げさせた。マツユキの潤んだ瞳を見つめながら、深く息を吸う。 「おれは、おれもマツユキ=サンがいい」 「……!」マツユキは頬に触れるカスガイの手に己の手を重ねる、脈拍と体温を感じる。以前感じたそれよりも早く、熱い。 「約束する。足が直ったら、一緒に」その続きは塞がれた、マツユキの唇が塞いでいた。触れ合う頬に伝う濡れた感触、涙。 今、マツユキの自我には鮮やかな色彩が満ちていた、それはカスガイ・オカベの色だった。 ◆◆◆ 深夜、ガスランプの灯る廃墟の室内。ベッドの上のマツユキは、携帯端末でIRC-SNSを眺めている。先日見つけ、「良い」とチャンネル登録をした ドロイドボディ向けコスメ、美容サイバネを取り上げる動画配信チャンネルだ。 このところマツユキは、このチャンネルのアーカイブされた動画をひとつひとつ追いながら夜を過ごしている。配信者は少女めいた小柄な体躯の 鮮やかな紫髪の女性。そのバストは豊満だった。 マツユキとは対照的な外見。彼女は人間であるがニューロンチップ再生者、その身体はオイランドロイドと同じだという。継ぎ目ひとつない美しいボディは 傍目には人間と区別がつかない。サイバネ・アイの輝きだけがかろうじてそれを証明している。 (すごく綺麗)動画を再生する度に、マツユキは思わず見惚れる。その美は外見だけではない、内面から放射される気高さと自信、芯の強さに彩られている。 マツユキはこれまで、自身の外見や服装にさして頓着してこなかった。そうした自由のない生活が長かった事もあるが、むしろただでさえ目立つ高身長型で あることを嫌い、没個性で在りたいと願っていた。 だがこのところマツユキは、時間さえあればこの動画チャンネルをはじめ、IRCを経由しファッション、ライフスタイルといった情報を目にしては、普通の 年頃の女性のような様々な自分を思い浮かべている。 満開のサクラ散るアッパーガイオンの街並み、オキナワの煌めく太陽とサファイアの海。奥ゆかしきモミジに湯煙のかかる中国地方の山麓。 そして雪に白く染まる夜景を見下ろすスゴイタカイビルのレストラン……服にメイクに髪、思い思いに着飾り彩った自分の隣にはカスガイが居る。 その想像にノイズめいてザラつく箇所。マツユキは自身の左の額から目元を指でなぞる。冷たく無骨なクロームの骨格とサイバネ・アイが剥き出しの傷顔。 当初全身に負っていた皮膚の損傷部位は、マツユキの肌と同型の補修用オモチシリコンを用いて塞がれたが、顔の傷だけは手つかずで残っていた。 専門知識と設備なしに修復するのは難度が高いこともあるが、マツユキはこの傷には実際複雑な感情を抱いていた。 これは当初マツユキにとって人間の欲望から自分を守るための仮面、拠り所。だった。しかしあの人間、カスガイには最初から意味を為していなかった。 そして必要が無い。 だがこの傷はマツユキにとって、もうひとつ意味がある。弱さ、執着、嫉妬、憎悪……己が憎む内なる醜さ。決して切り離せぬ自身の一部の象徴。 そしてカスガイが手放しに肯定せず、されど無いものとして否定もせず、そのまま受け入れたもの。それを完全に消してしまうのは躊躇われた。 やがて指は傷痕から頬、そして唇に、確かめるようになぞる。昼間のカスガイの体温と吐息、感触がまだ残っている。 (いつから、だったのかな)最初は気味が悪かった、ウキヨ……しかも自分のような醜い傷物に、何の魂胆や欲望の類なく手を差し伸べる人間が現れる筈がない。 自分にはその資格が無いと思っていたからだ。 そう悲観する一方で、もしかしたらと淡い期待を抱いている己を俯瞰し、浅ましさに自己嫌悪を抱いたこともあった。恐怖とわだかまり、自身への憤りは 拒絶となって現れた。だが、それはどれだけ突き放しても相手にしなくても、変わらずそこに居た。いつもいつも呑気に笑う、お喋りなとぼけた男。 全てを失くした虚無と孤独。生と呼ぶには程遠い、死んでいないだけの微睡。そこに紛れ込み、勝手に掻き回していく苛立たしい異物。その存在に支えられていた。 マツユキがそれを認めた頃には、もう始まっていた。後は階段を一歩ずつ上るような小さな積み重ねだ、そしてそれは実を結んだ。熱と感触の記憶がマツユキの マイコ回路の回転数を上げる、胸の内を温かい感覚が満たしていく。 (私は、カスガイ=サンに貰ってばかり)カスガイは何かを抱えている。自分には話してくれない何かを。自分がカスガイにそうしたように、カスガイも 何かに苦しんでいるなら全てを打ち明けてほしい。マツユキはそう願った。 もっとカスガイを知りたい、分かち合いたい、より深く。そして今度は自分がカスガイに何かを与えられるなら。 その時、遠くからガタン。と物音がした。カスガイ?違う、こんな深夜に現れる筈がない。合図のノックも聞こえない。マツユキは反射的に端末の動画とランプを消し、 聴覚感度を上げた。 バイオネズミの類がトラップにかかったか、或いはビルの老朽部分の崩落だ。そうに違いない、そう思いたかった。だが聞こえるのは足音、それも二つだ。会話が耳に入る。 「―当にそんな―に引っか―るのか?」「―ザン―ド―って―ジャの手下が使っ―もんだ。近くに行きゃ―応する。こんな風にな」会話は次第に鮮明になる。近づいてきている。 「仕事サ―ってそんなモン手に日がなブラブラしてたのか。呆れたもんだ」「本物ならデカい稼ぎだろうが。分け前要らねぇのか?ヘンタイのカネモチに高く売れるぜ」 「バカバカしい、こんな廃墟にぽつんと居るってのか?」「おぅ居るともさ、ウキヨが」 【NINJASLAYER】