「ねえダー、恐竜博物館って知ってる?」 美濃部ひまわりの言葉にとうとう来たか、とキンダーハイモンは思った。 その存在は彼女も把握していた。福井県に日本最大の恐竜専門の博物館があると。 少し前から特撮だけでなく恐竜に興味を持つようになったひまわりがそれにたどり着くのは時間の問題であった。 きっかけは先月の校外学習であった。 午前は全員で上野動物園を、午後は上野公園内の美術館・博物館を選んで見学する内容だった。 ひまわりとキンダーハイモンが選んだのは国立科学博物館。そこでひまわりは展示されていた恐竜の骨格標本に魅せられた。 トリケラトプス、ティラノサウルス、アパトサウルス……その巨体に特撮作品の怪獣と近しいものを感じたのだろうか。 校外学習から帰ったあとも、学校の図書室、あるいは「ユーカリのいえ」の図書室で恐竜の本を読みまくっていた。 支給のタブレットでも恐竜のことばかり調べて見ているようだった。 その様子を見ていたキンダーハイモンにとってついに来るべき時が来た、という感じであった。しかし…… 「知ってるわよ……行きたい?」 「うん!」元気いっぱいなひまわりの返事にキンダーハイモンは内心で頭を抱える。 「あのねえ、アタシとヒマちゃんだけで福井まで行くのはちょっと無理じゃない?」 キンダーハイモンはこれでも成熟期相当の力がある。しかし元々は豊洲から出たことのないデジモンが作った分身だ。 東京都の外へ出たことはないし、これから世界のことを見て回ろうというまだ無知なデジモンである。 ひまわりの方も催眠学習が中断されて覚醒したクローン体であり、外見相応の知識と能力しかない。 いわば子供二人だけで旅行に行くようなものである。通常なら誰か保護者がいればいいのだが…… 「今はデジ対も施設の人も忙しいから一緒に行く余裕は無いのよ。」 「えー、でも行きたーい!」ひまわりは食い下がってきた。 「そりゃアタシだって遠くにお出かけしたいけどさ……」 自身が外の世界を見るために生み出されたサプリング体であるキンダーハイモンも出来ることなら旅行に行きたい。 しかし最近はデジ対もデジ学もFE社崩壊後の後始末で多忙を極めている。 しかも異世界探査船「さいが」の建造がそれに拍車をかけていた。 保護者代わりにデジ対や施設の人員を借りられる余裕はとても無い。 「行こーよ―!ふくい―!きょうりゅうはくぶつかーん!」 ひまわりがキンダーハイモンの肩を掴んで前後に大きく揺さぶる。 コレ以外のことではあまり自分の要求を出さないおとなしい子がここまでしているのだ。 キンダーハイモンとしても何とかしてあげたかった。 「……はぁ、しょうがないわねぇ。」 「えっ!?まさか!?」 「アタシのお小遣いから一緒に行ってくれる大人の人を探しましょうかね?」 「ありがとー!ダーだいすき!」嬉しそうに、ひまわりが力いっぱいキンダーハイモンに抱きついた。 出発当日、東京駅地下中央コンコース、銀の鈴広場。 待ち合わせ時間の15分前に到着したひまわりとキンダーハイモンの目に写ったのは、こちらを見つめてくる若い女性だった。 どうやら背の低さを履物で嵩上げしているようだが、もっと年長でもっと背の低い人物を知っている二人には妙な生暖かい気持ちが湧いてくる。 だがそれ以上に色の薄い金髪と左右で異なる瞳の色が目についた。その翠と紅の瞳が二人を捉えた。 するとキンダーハイモンはてとてとと前に出て声を掛けた。 「センネン……じゃなかった、チトセザクラ・オリヒ……ベガさん、で合ってますか?」 キンダーハイモンの声に彼女は軽く微笑んだ。 「こうして直接お話するのははじめてでしたわね。私が千年桜織姫です。」 丁寧で上品な口調は家柄を感じさせる。しかしその服装は…… 「あーっ!アイゼンボーだーっ!」ひまわりが声を上げる。 「ええ、今回の行き先は恐竜博物館と伺いましたので、やはりこれしかないかと。」 そう語る織姫のパーカーの開いた胸元からは、彼女の瞳のように右が緑で左が赤いヒーローのプリントが覗いていた。 「お姉さん、昔の特撮とか好きな人なの?」嬉しそうにはしゃぐひまわり。 「はい、大好きですよ。」こちらも嬉しそうな笑顔である。 「ホラ、ヒマちゃんまずは挨拶と自己紹介でしょ!」 「あっごめんなさい!……美濃部みまわりです。今日と明日はよろしくお願いします。」 キンダーハイモンに促されてそう言うとペコリとお辞儀をする。 「はじめまして、ひまわりさん。こちらこそ、よろしくおねがいしますね。」 「アタシはキンダーハイモン。ま、こっちは小さい子もいるしさ、そう堅苦しい喋り方しなくても大丈夫さ。」 「そうおっしゃるのでしたら……留意いたします。」そうは言うがまだ少し堅い。 10分余りが過ぎた待ち合わせ時間の少し前になって、若い女性と大柄な人型が近づいてきた。 その人型はベルゼブモンのようだが、微妙に細かい部分が違う。 「あーっ、もう全員集まってるよ!」 「だから言ったじゃねえか、ちょっと早めのほうが良くないかって。」 二人の速歩きが小走りになった。 「すいません遅くなりました!」女性の言葉にキンダーハイモンは右手を上下に振る。 「いいのよぉ、まだ時間前だし。アタシはキンダーハイモン。アンタたちが……」 「出海、ほむらです。」女性は息を整えながら名乗り、 「ベルゼブモンだ。よろしく頼むぜ。」息ひとつ乱れさせずにデジモンのほうも名乗った。 互いに自己紹介を簡単に済ませると、一行は新幹線ホームへと向かった。 しかし向かったのは東北・北陸新幹線ではなく東海道新幹線の乗り場である。 キンダーハイモンが新幹線から富士山を見たいから、という理由で米原経由を選んだのだ。 手渡された『のぞみ』のチケットを見てほむらが小さく驚いた。 「えっグリーン車!……いいんですか!?」 「まーちょっと理由があってねー。大丈夫大丈夫、予算は十分あるから。というかね……」 語りだすキンダーハイモンの声には憂鬱な響きがあった。 「家賃として給料貰っても使えない状態が長くてね……」 キンダーハイモンの本体は建造物型デジモンであり自発的な意思疎通や移動ができない。 一応、賃貸料という名目でお金を貰ってはいたが自力で使う方法を最近まで持たなかったのである。 ちゃんと給料を設定して流用もせずにいてくれたデジ対には感謝である。 山側の座席を向かい合わせにして窓側にキンダーハイモンとひまわりが、通路側に織姫とほむらが座る。 ベルセブモンは海側の通路よりの席である。 品川を発車した直後にキンダーハイモンはスマホを操作していたが、程なくして席にパーサーがやってきた。 「これこれ、これがやってみたかったのよー!」嬉しそうなキンダーハイモン。 「これは……アイスクリームですね?」そう言う織姫の脳裏に疑問が浮かぶ。 「あれでも……駅の自販機におんなじ奴がなかったっけ?」その疑問と同じ内容のことを、ほむらが口に出していた。 「ああ、それはね、モノ自体はおんなじだけど、状態が違うのよ。」そう言うとキンダーハイモンはポシェットから何かを取り出した。 「じゃーん!あらかじめ買っておいたスプーン!」それはアイスクリーム専用のアルミ製スプーンだった。 4つ色違いで、それぞれに異なる新幹線のイラストが入っている。 「ハイこれ使ってねー。アタシとヒマちゃんはおんなじの使うから。」そう言って青いカップのアイスとスプーンを三人に配る。 「ふうん、どれどれ……うわっ固っ!なんだこりゃあ?」ベルゼブモンが素っ頓狂な声を上げる。 「自販機だとここまで固くならないんだってー。車内で買ったものだけがこんな固いらしいよ?」 キンダーハイモンの説明を聞きながら各々アイスの蓋を開けてスプーンを刺してみる。 確かにそれは石のように固く、まるでスプーンが刺さらない。 「本来なら10分ぐらい待ったほうがいいんだけどこのスプーンなら……もういけそうね。」 全体に体温が伝わり、体温で溶かし切るスプーンがまだ固いアイスに徐々にだが入っていく。 小さく掬ってそれを口の中に運ぶ。 『!!』その独特な味と感触に、一同の目が見開かれる。 意図的に空気を抜いたことによる、粘膜と味蕾に密着してくるような重厚で柔らかい舌触り。 濃厚な、あまりにも濃厚な乳脂肪の甘さとバニラの香りが口腔内を圧倒する様はまさに暴虐。 それは普通に店で売っているどのアイスクリームとも異なる、独特の感触と味わいであった。 「なるほど……」ほむらも 「これが……」織姫も 「シンカンセンスゴイカタイアイス……。」キンダーハイモンも、いくばくかの余韻に浸る。 「おう、これスッゲーうめーな!」 「おいしーねー!」ベルゼブモンとひまわりは素直に感想を述べた。 新横浜を過ぎ、新丹那トンネルを過ぎ。「あっ富士山見えた!」「おっきー!ダー撮って撮って!」 富士山を見て、浜名湖を見て。「みずうみだー!」 「そういやここの名物って鰻だっけ……そうだ!ちょっと電話してくるわね。」 名古屋に到着した一行は長めに確保した乗り換え時間の間に昼食を買った。 「コーチンわっぱめしと……ひつまぶし巻きと……『矢場とん』のわらじとんかつ弁当と……」ほむらが買った弁当をチェックしていると、 「おーい、『あんぱんや』のカレーパンとアンパン買ってきたぞー!」ベルゼブモンが紙袋を持って合流し、 「『しら河』のうなぎまぶし、買ってまいりました。」織姫が、キンダーハイモンが車内から電話で頼んだものを取ってきた。 「うわぁ、そっちもおいしそう!」「みんなで分けっこして食べるわよヒマちゃん。」 ほむらと一緒に行動していたひまわりとキンダーハイモンが歓声を上げる。 彼らは特急『しらさぎ』に乗り込み、車中で舌鼓を打ちながら敦賀へと向かった。 そこで北陸新幹線『つるぎ』に乗り換え福井へ、更にえちぜん鉄道に揺られて勝山へと至る。 勝山駅に着くと、温泉施設の送迎バスが待っていた。今日は一泊し、明日午前の予約時間に合わせて恐竜博物館に向かう予定である。 一行は温泉施設に到着して、まずは入浴することにした。 「……っ!?」脱衣場でタイツを脱ぎかけている織姫を見て、ひまわりが何かに反応し、動きを止めた。 「?……ああ、これは昔ちょっとした『事故』に遭いまして。」自分の義足を見ていることに気づいた織姫が説明をする。 「この義足のおかげで生活に不便なことは全くありません。」 「ああ、ええと、ごめんなさい。ちょっと、びっくりしただけで。」申し訳無さそうな声でひまわりが慌てて言う。 「子供が気を使う必要はありません。ついでに申しますと、この右目も義眼ですのよ。」 織姫の言葉にひまわりが驚いた顔をする。 「ですがこちらもかなりの優れ物でして、不自由とかは全く……」 「えっじゃあ織姫さんのその目ってアイゼンボーリスペクトとかじゃなかったの!?」 ひまわりの言葉に今度は織姫の動きが止まった。 「ちょっ……ひまわりさん、これファッションだと思ってましたの!?」驚きのあまり、途中から口調が少し変わっている。 「あっ!……その、ごめんなさい……」しょんぼりするひまわりに対し、 「……ぷっ、あは、あはははは!」織姫は表情を崩しながら笑い出した。 「……え?」その様子にきょとんとするひまわり。 「あははは!ええと、ごめんなさい。私の目のことをそのように言われたのは初めてでしたので。」 目尻に滲む涙を拭いながら織姫は笑うのをやめない。 「ですからその、本当に気になさらないでください……ぷくく、あはは!」 「うん、わかった、ベガお姉ちゃん……ぷっ、あははは!」とうとうひまわりまでつられて笑い出した。 その様子をキンダーハイモンは少し嬉しそうな顔で眺め、 「……。」ほむらは何かを押し殺すような表情で見ていた。 「そういや寝袋持って来いって話だったけど、今夜はここに泊まるんじゃねえのか?」 男湯から出てきたベルゼブモンがそう質問すると、キンダーハイモンが両手を腰に当てて胸を張った。 「この温泉にはキャンプサイトがあって予約済みよ。夕食はここの食堂だけど、明日の朝食はアタシたちで作るから。」 「えっアンタ料理できるのか?」 「アタシはこれでも児童養護施設なのよ?……まぁ、あちこち行くときのために練習中、ってトコだけど。」 キンダーハイモンは少し照れくさそうに言う。 「でもテントはどうするの?持ってきてないよね?借りるの?」ほむらの言葉にキンダーハイモンは再度胸を張る。 「アタシが、テントよ!」 「アタシがテントってそう言う意味かぁ……。」 温泉施設敷地内のキャンプサイト、そこには丸屋根の円柱状テントが設置されていた。 その中でほむらは上を見上げながら微妙そうな表情をしていた。 ほむらだけでなく、ベルゼブモンや織姫までなんとも言えない表情で同じ方向を見上げている。 ただひまわりだけがテンション高めに寝袋を広げて寝床の準備をしている。温泉施設の随所が恐竜をフィーチャーしたデザインで嬉しかったのだろう。 「何よ、最大で10人は寝泊まりできて防寒性能も高い立派なテントよ。」上から聞こえるキンダーハイモンの声。 「いやでも……」 「その絵面はよォ……」 「ちょっと不気味と申しますか……」口々に漏らす三人。 テント内の最上部、屋根の中心に頭からぶら下がっているキンダーハイモンが身体全体を横に回転させて三人の方を向く。そのシルエットはどう見ても首を吊った小人であった。 「しょうがないじゃないのさぁ!これがアタシの能力なんだから!」 キンダーハイモンの本体は樹木型と家屋型のニ種類の人工デジモンをジョグレスして生み出された木造建築型デジモンである。 その元になった家屋型デジモンの成熟期、バオモンの持つ能力をキンダーハイモンは自らの分け身たるサプリング体に与えた。 強固なマントシールドにもなる頭部の花弁を巨大化させることで、10人前後が寝泊まりできる防御力と防寒性に優れたテントを形成する。 しかしそのテント形態は、必然的に屋根の中心からサプリング体が頭からぶら下がる格好となる。 「ひまわりちゃんは平気なの?」 「慣れた。」ほむらの質問に一瞬で冷めた眼差しになって答えるひまわり。 ひまわりは培養中の睡眠学習プログラムである程度の一般常識は刷り込み済みであった。 しかし『首吊り』などの概念やイメージを学習する前に培養中断されたため、その辺りの感覚が欠落していた。 その状態でキンダーハイモンのその形態を目にするたび、周囲が不快そうにする中で自分だけは無反応であった。 それを他の子達にドン引かれて以来、ひまわりはキンダーハイモンのその姿があまり好きではなくなった。 「さすがテイマー……って言っていいのか?」ベルゼブモンは困惑した。 夕食にソースカツ丼やおろし蕎麦を堪能した後は酒盛りとなった。 未成年であるひまわりと酒に弱いベルゼブモンは普通にジュースであったが、他三名はイケる口であった。 「わかってんな?今日は『お仕事』なんだからセーブしとけよ?」 「わ、わかってるわよベルゼブモン!二人にあわせて呑むって!」 「あら、キンダーハイモンさんもお酒、いけますのね?」 「こんなナリでも一応成熟期だからねー。あっヒマちゃんおかわりちょうだい。」 「はい、ダー。あんまり飲みすぎちゃダメだよ?」 一応は付き添いという立場上ほむらが抑えめなこともあり、和気あいあいとした酒宴と共に夜は更けていった。 そして翌朝、ほむらの目を覚まさせたのはどこかから漂ってきたパンの焼ける匂いだった。 「おはようございます出海さん。」織姫はすでに着替えを終えていた。 本日のTシャツの柄は恐竜つながりでチタノザウルスなのだが特撮知識のないほむらにはただ怪獣であるとしか認識できない。 「あらホムラさん目ぇ覚めた?今朝ご飯作ってるから着替えちゃってちょうだい。」 天井から首吊……ではなく、キンダーハイモンが呼びかけた。 着替えてからベルゼブモンの姿を探して外に出ると、テントから少し離れた厨房小屋に緑の蔦が伸びていた。 キンダーハイモンが「エレキアイビー」の電撃を消して調理作業をしているのだろう。 視界を確保するためか小屋の扉が開いていて、中にベルゼブモンとひまわりの姿が見える。 ひまわりがガスコンロで何かを焼き、ベルゼブモンはコーヒーを淹れているようだ。 「ベルゼブモンさん、そんなテリジノサウルスみたいな手でコーヒーつくれるのすごいねー。」 心底感心した声で目を輝かせるひまわりに対しベルゼブモンは、 「えっ、そうか?……そう言われると、なんか照れるな。」まんざらでもない様子だった。 朝食は缶詰やレトルトのおかず類、バナナなどを使ったホットサンドだった。 聞けば、ひまわりとキンダーハイモンは将来デジタルワールドを旅する時のためにアウトドアな料理を中心に勉強しているのだという。 その事を嬉しそうに話す二人を見て、ほむらは胸の奥で何かが疼くのを感じていた。 ホットサンドは普通においしかった。 温泉施設から恐竜博物館へは送迎バスが出ていた。 正確には、勝山駅から温泉施設を経由して恐竜博物館とスキー場までを往復するバスなので昨日乗ったものと同じなのだが。 途中、バスの中から秘密基地めいた銀の球体が森の中に見え、丘を登るとあちこちに恐竜を模した遊具やモニュメントが出現する。 ひまわりだけでなく、他の一行もなんとはなしにテンションが上がってきた。 「……ここが!」バスを降りたひまわりは、眼の前の銀の球体を見上げた。 森で下半分が隠れていると球体に見えたが、隠すものがなくなるとそれは卵型であるのがわかる。 入口に近づくとベンチの後ろにメガネを掛け白衣を着た恐竜の人形があった。恐竜博士とキャプションされている。 「ダー、写真撮ってー!」はしゃぐひまわりと撮影するキンダーハイモンを見ながら、 「なあアレって……」ベルゼブモンと 「どう見ても……」ほむらと 「アグモン博士、ですわね……」織姫は奇妙な既視感を覚えていた。 入場するとまずは長いエスカレーターで下へ下へと下りていった。その先はトンネル状の通路になっていた。 通路の左右には恐竜登場以前の生命の化石などが展示されていた。 それらの中にある一つの展示の前でひまわりは立ち止まり、他の者も足を止めた。 それはカブトガニと、その足跡と思しき大きなパネル状の化石だった。 カブトガニの周辺だけ足跡が乱雑で多くなっており、「死の舞踊」という名がキャプションされている。 「……歩いていて突然埋まったのか?」ベルゼブモンがそう口にするとひまわりが 「違う。」首を横に振った。 「よく見て。これ、足跡が盛り上がってるでしょ。つまりこれは下から見た状態の化石なんだよ。」 「下から、ということはこのカブトガニはひっくり返ってるという……変ですね?」織姫が何かに気づいた。 「うん、これはね?カブトガニがひっくり返ってもがき苦しみながら死んだ化石なんだよ。」 『……!』ひまわり以外の全員が言葉を失う。 「どうも脱皮に失敗したんじゃないかって推測らしいよ。」ひまわりがさらに補足する。 「……成程、それで『死の舞踊』ってワケか。」ベルゼブモンがそう言葉を発するまで数秒の時を要した。 「命っていうのは一生懸命生きて、やがて死ぬのが定めなのさ。それは誰も変わりはしないのさ。」 一言も発せられずにいるほむらからは、そう語るキンダーハイモンの表情は花弁に隠れて窺い知れなかった。 常設展示エリア、広大な空間に多数の恐竜骨格標本が展示されている日本一の、いや、世界でも屈指の恐竜展示室。 そこに入ったひまわりはまず止まり、ゆっくりと空間を見回し、やがて目を見開き口を半開きにして歩き出した。 「ちょっとヒマちゃん!一人で勝手に行かないで……ああもう!」キンダーハイモンの制止の声は耳に入らないようだ。 「私がついていきます。」織姫はそう言うとひまわりを追いかけた。 キンダーハイモンとベルゼブモン、そしてほむらは常設展示エリアの入口に取り残される形となった。 「あー、行っちゃった……。丁度いい、アタシもアンタとは少し話がしたかったんだ、出海、ほむらさん。」 キンダーハイモンのその言葉に、ぽかんとしていた二人は一斉に言葉の主のほうを見た。 「話……?」 「アンタさぁ、ヒマちゃんには何か秘密があるんじゃないか、って思ってるんじゃないかい?」 「!!」キンダーハイモンが横目で見ると、ほむらは明らかに驚いた顔をしていた。 意味がわからない、というものではなく、なぜ分かったのか、という表情だ。 「図星のようだね。ま、アタシもこう見えてデジ対なんでね。アンタの事情ってやつは知ってるのさ。」 正確にはデジ対のメンバーではなくデジ対の庁舎であるが、この場合は大した違いではない。 「こっちも事情が事情なんでね、応募者は追加の身辺調査したのさ。」知り合いの忍者がほむらの事情にがっつり関わっており、さして手間は掛からなかった。 「あの子は特に何かが仕掛けられてる訳でもない、ただDr.ポタラの娘のクローンであるというだけの、普通の女の子だよ。」 「そう……なの?」絞り出すようなほむらの声。 「発注仕様書、遺伝子構造、使用材料……どこを調べても、何らかの実験を行うための変更点が見つからなかったのさ。」 そう言いながらゆっくりと歩き出すキンダーハイモンに、二人も続いて歩き出す。 「かと言って十把一絡げな量産品でもない、特注の『普通の人間』……しかも費用はDr.ポタラの個人負担だ。」 「えっ待ってよ、それじゃあひまわりちゃんは……」 「アンタと同じだよ、出海ほむら。」ほむらのほうを黒い目が一瞥する。 「作った人間がFE社の技術者で、普通の人間とは作られ方が違うってだけの、もはやFE社とは無関係な、『ただの人間』さ。」 「ただの……人間……」 「アンタを調査した人が言ってたよ。『あの親子は普通の親子にならなくちゃいけないし、あの娘は人間として幸せにならなくちゃいけない』ってさ。」 その調査した人間が何者なのか、二人にはそれで察せられた。 「実を言うとアタシはさ、親元に帰れない子供と行き場のないデジモンを守るという目的で作られたデジモンでさ。」 三人は壁際、人の多くない休憩スペースへと近づいていく。 「誰かに望まれて生み出された、っていう点じゃアタシもヒマちゃんも、そしてアンタも何一つ変わらないのさ。」 「望まれて、生まれた……」 「だからさ、これはアタシの個人的なわがままと言うかお願いなんだけどさ。」 キンダーハイモンが立ち止まる。ほむらの方を向いて、その顔をじっと見上げる。 「あの子も、アンタも、幸せになって頂戴。それがアタシの幸せだからさ。」 「!!」 「…………まぁそのさ、辛くなったらいつでも豊洲においでよ。アタシはこれでも、帰る場所のない『子供』を守る寮母さんだからさ。」 「……うん、ありがとう。」俯くほむらの肩を、ベルゼブモンの大きな手が優しく叩いた。 「見てベガお姉ちゃん!ブラキオサウルス!おおきいねー!」目を輝かせて見上げるひまわり。 「嬉しそうですわねひまわりさん。」それを一歩後ろから眺めている織姫。 「……ベガお姉ちゃん、もしかしてあんまり楽しくない?」振り返りながらひまわりが言う。 「いいえ、別にそんな事ありませんわ。」即答する織姫だったが、 「ボーンフリーやアイゼンボーグに出てくるような恐竜じゃなくてちょっとがっかりしてる?」 ひまわりがそんな事を言うものだから、織姫は少し慌てたような反応をした。 「私だって恐竜の研究が進んであの時代と今とでは恐竜の復元が違うことは理解していますわ!」 「……そうだよね、四脚のはあんまり変わんないもんね。」もしかしたら揶揄われたのかしら?と織姫は思った。 もしそうなら、それは幼いながらもひまわりなりの気遣いなのだろう。 「……今日のお姉ちゃんのTシャツ、チタノザウルスだよね。」 「ええ、そうです。ひまわりさん、チタノザウルスはお好き、ですよね?」それは質問ではなく確認であり、返答は不要であった。 「……ベガお姉ちゃん、チタノザウルスの相方、っていうか、その時のゴジラの中の人、なんだけどね?」 「はい?」突然そう振られて織姫は意図が読めない。 「普段から子供が本気で怖がる演技をすることを考えてて、親戚の子供とかにも会うたびに怖がらせてたんだって。」 まあそういうこともあっただろう、と織姫は思った。 「そうしたら、その子供からすっかり避けられるようになっちゃったんだって。」 何を仰りたいのかしら?と訝しんだがそう尋ねることはせずに話を聞き続けた。 「他にもいろいろ大変な目に遭いながらもその人は怪獣の中に入り続けたんだって。」 「……クリエイターの苦悩、というものですかしらね?」 「それを聞いた時、この世に存在しないもの、自分の欲しいものを自分で作ろうとする人間ってすごいなって、ひまは思ったんだ。」 「……そうですね。」 「……あのね、ひまね、クローンなんだ。昔死んだ女の子の。」 「………伺って、います。」泣くでも笑うでもなく、すました顔のひまわりに、おなじようにすました顔で織姫が答える。 その辺りの事情はキンダーハイモンとのメールのやりとりの中で口外無用の重要事項として伝えられていた。 「ニセモノなんだ、ひまは。」 「!」どう返したらいいのか、織姫は咄嗟には言葉が出てこなかった。 「ひまね、その死んだ女の子のこと知らないし記憶とかもないし、作らせたパパもしらない。でも自分がクローンだってことはわかってるんだ。」 「……。」 「おそらく睡眠学習プログラムの影響らしいんだけど、ひまは最初から特撮映画が好きだったんだ。」 「そう、なんですか……。」 「だから特撮映画をいっぱい見たし、そういう本もいっぱい読んだんだ。そしたらある時気づいたんだ。」 「気づいたって、何にですか?」 「特撮って、存在しないニセモノをまるで存在するかのように作ることじゃないかなって。」 「!……それは、確かにそうです、けど。」ニセモノと断言されて、即座には首肯しかねる様子を見せる織姫。 「特撮で作られたものはニセモノかもしれないけど、作った人の心と、見た人が感じたものは、ニセモノなんかじゃないって。」 「そう!……そうですね!」やや食い気味に言う織姫の顔が少し明るくなる。 「だから、ひまの……『わたし』の命はニセモノかもしれないけど、だけど、」 そこでひまわりは織姫に向き直る。目尻には涙の乾いた跡が残る。 「わたしが生きてることと、わたしが感じたことは、ニセモノじゃないって!」両手を後ろで組んで前かがみになる。 「スーツアクターの人ががんばった事も、その親戚の子が本気で怖がったことも、どっちの気持ちもホンモノだったみたいに!」 上を向いて織姫を見る顔が、笑顔をしてみせる。 「それに気づかせてくれた特撮が、大好き!」 「……私も、大好きですよ、特撮。」織姫がそっと優しくひまわりをハグし、 「うん、知ってる!」ひまわりもそっと織姫を抱き返した。 それからしばらくして一行は合流し、館内をくまなく見学し、やや早めの昼食をミュージアムショップのレストランで摂った。 様々な恐竜イメージメニューやボルガライスを堪能した後はベルゼブモンを除く4人で化石研究体験に参加した。 帰りのバスの時間ギリギリまで恐竜博物館を満喫したひまわりとその御一行は夕方近くになって博物館を後にした。 帰りの電車は予約していたえちぜん鉄道の恐竜列車に乗り、そのまま福井からは北陸新幹線で東京まで一直線である。 それでも東京駅の到着は夜八時半近くになり、一日中ハイテンションではしゃいでたひまわりは軽井沢あたりですでに眠ってしまっていた。 「ヒマちゃん起きて、ヒマちゃん!」 「うー……」キンダーハイモンが起こしてもすぐに寝てしまう。完全に電池切れ状態である。 「しょうがねえ、俺がおぶって降ろすか。そんでタクシーでも捕まえて……」 ベルゼブモンにおんぶされたひまわりを連れて一行は東京駅で新幹線を降りた。 「連絡ついたわ。デジ対で残ってる人がいるから地下駐車場まで迎えに来るって。」 キンダーハイモンの言葉にほっと安堵する一行。 一行が八重洲地下駐車場まで下りてきて程なく、銀色のワンボックスカーが近づいてきた。 「お待たせ!」運転席から出てきたのはデジ対職員の詩虎ヨリオである。 「おう、ヒマは俺が預かるぜ!……って、アレ?」助手席から彼のパートナーのベルゼブモンが出てきた。 「おい、車から俺が出てきたぞ。」ひまわりを背負うベルゼブモンが目を丸くしている。 「あー、そういや聞いたな。付添人に俺以外のベルゼブモンがいるって。」 そう言うと車から出てきたベルゼブモンが右手を差し出す。 「デジ対のベルゼブモンだ。よろしくな、ベルゼブモンの……ライブモードだっけか?」 「おう、そのライブモードって奴だ。こっちこそよろしく。」左腕一本でひまわりを背負い直すと握手に応じた。 デジ対のベルゼブモンはライブモードのベルゼブモンからひまわりを受け取り、車のベンチシートに横たえた。 「ごめんねヒマちゃんがこんなんで。まだ今度改めてちゃんとお礼を言いに伺うわ。報酬の愛払いも兼ねてね?」 そう言うとキンダーハイモンは後部座席に乗り込んだ。 「それじゃまたねー!」窓から手を振るキンダーハイモンを、三人は見えなくなるまで手を振って見送った。 旅行から一週間ほどが経過した。 昨日キンダーハイモンとひまわりは織姫とほむらを訪ね、お礼を言って報酬を支払った。 ひまわりは織姫と、キンダーハイモンはほむらと個人的に交流を続けている。 ひまわりは特撮の話ができる相手ができたことがよっぽど嬉しかったようである。 そんな二人が食堂で昼食を摂っていると、ひまわりが口を開いた。 「あのねえ、ダー?」 「なあに、ヒマちゃん?」 「ダーちょっと恐竜型に進化してよ。」 (そッ……そう来たかァ〜〜〜ッッッ!)キンダーハイモンは心の中で叫んだ。 (続く)