「ねえダー、恐竜博物館って知ってる?」 美濃部ひまわりの言葉にとうとう来たか、とキンダーハイモンは思った。 その存在は彼女も把握していた。福井県に日本最大の恐竜専門の博物館があると。 少し前から特撮だけでなく恐竜に興味を持つようになったひまわりがそれにたどり着くのは時間の問題であった。 きっかけは先月の校外学習であった。 午前は全員で上野動物園を、午後は上野公園内の美術館・博物館を選んで見学する内容だった。 ひまわりとキンダーハイモンが選んだのは国立科学博物館。そこでひまわりは展示されていた恐竜の骨格標本に魅せられた。 トリケラトプス、ティラノサウルス、アパトサウルス……その巨体に特撮作品の怪獣と近しいものを感じたのだろうか。 校外学習から帰ったあとも、学校の図書室、あるいは「ユーカリのいえ」の図書室で恐竜の本を読みまくっていた。 支給のタブレットでも恐竜のことばかり調べて見ているようだった。 その様子を見ていたキンダーハイモンにとってついに来るべき時が来た、という感じであった。しかし…… 「知ってるわよ……行きたい?」 「うん!」元気いっぱいなひまわりの返事にキンダーハイモンは内心で頭を抱える。 「あのねえ、アタシとヒマちゃんだけで福井まで行くのはちょっと無理じゃない?」 キンダーハイモンはこれでも成熟期相当の力がある。しかし元々は豊洲から出たことのないデジモンが作った分身だ。 東京都の外へ出たことはないし、これから世界のことを見て回ろうというまだ無知なデジモンである。 ひまわりの方も催眠学習が中断されて覚醒したクローン体であり、外見相応の知識と能力しかない。 いわば子供二人だけで旅行に行くようなものである。通常なら誰か保護者がいればいいのだが…… 「今はデジ対も施設の人も忙しいから一緒に行く余裕は無いのよ。」 「えー、でも行きたーい!」ひまわりは食い下がってきた。 「そりゃアタシだって遠くにお出かけしたいけどさ……」 自身が外の世界を見るために生み出されたサプリング体であるキンダーハイモンも出来ることなら旅行に行きたい。 しかし最近はデジ対もデジ学もFE社崩壊後の後始末で多忙を極めている。 しかも異世界探査船「さいが」の建造がそれに拍車をかけていた。 保護者代わりにデジ対や施設の人員を借りられる余裕はとても無い。 「行こーよ―!ふくい―!きょうりゅうはくぶつかーん!」 ひまわりがキンダーハイモンの肩を掴んで前後に大きく揺さぶる。 コレ以外のことではあまり自分の要求を出さないおとなしい子がここまでしているのだ。 キンダーハイモンとしても何とかしてあげたかった。 「……はぁ、しょうがないわねぇ。」 「えっ!?まさか!?」 「アタシのお小遣いから一緒に行ってくれる大人の人を探しましょうかね?」 「ありがとー!ダーだいすき!」嬉しそうに、ひまわりが力いっぱいキンダーハイモンに抱きついた。 出発当日、東京駅地下中央コンコース、銀の鈴広場。 待ち合わせ時間の15分前に到着したひまわりとキンダーハイモンの目に写ったのは、こちらを見つめてくる若い女性だった。 どうやら背の低さを履物で嵩上げしているようだが、もっと年長でもっと背の低い人物を知っている二人には妙な生暖かい気持ちが湧いてくる。 だがそれ以上に色の薄い金髪と左右で異なる瞳の色が目についた。その翠と紅の瞳が二人を捉えた。 するとキンダーハイモンはてとてとと前に出て声を掛けた。 「センネン……じゃなかった、チトセザクラ・オリヒ……ベガさん、で合ってますか?」 キンダーハイモンの声に彼女は軽く微笑んだ。 「こうして直接お話するのははじめてでしたわね。私が千年桜織姫です。」 丁寧で上品な口調は家柄を感じさせる。しかしその服装は…… 「あーっ!アイゼンボーだーっ!」ひまわりが声を上げる。 「ええ、今回の行き先は恐竜博物館と伺いましたので、やはりこれしかないかと。」 そう語る織姫のパーカーの開いた胸元からは、彼女の瞳のように右が緑で左が赤いヒーローのプリントが覗いていた。 「お姉さん、昔の特撮とか好きな人なの?」嬉しそうにはしゃぐひまわり。 「はい、大好きですよ。」こちらも嬉しそうな笑顔である。 「ホラ、ヒマちゃんまずは挨拶と自己紹介でしょ!」 「あっごめんなさい!……美濃部みまわりです。今日と明日はよろしくお願いします。」 キンダーハイモンに促されてそう言うとペコリとお辞儀をする。 「はじめまして、ひまわりさん。こちらこそ、よろしくおねがいしますね。」 「アタシはキンダーハイモン。ま、こっちは小さい子もいるしさ、そう堅苦しい喋り方しなくても大丈夫さ。」 「そうおっしゃるのでしたら……留意いたします。」そうは言うがまだ少し堅い。 10分余りが過ぎた待ち合わせ時間の少し前になって、若い女性と大柄な人型が近づいてきた。 その人型はベルゼブモンのようだが、微妙に細かい部分が違う。 「あーっ、もう全員集まってるよ!」 「だから言ったじゃねえか、ちょっと早めのほうが良くないかって。」 二人の速歩きが小走りになった。 「すいません遅くなりました!」女性の言葉にキンダーハイモンは右手を上下に振る。 「いいのよぉ、まだ時間前だし。アタシはキンダーハイモン。アンタたちが……」 「出海、ほむらです。」女性は息を整えながら名乗り、 「ベルゼブモンだ。よろしく頼むぜ。」息ひとつ乱れさせずにデジモンのほうも名乗った。 互いに自己紹介を簡単に済ませると、一行は新幹線ホームへと向かった。 しかし向かったのは東北・北陸新幹線ではなく東海道新幹線の乗り場である。 キンダーハイモンが新幹線から富士山を見たいから、という理由で米原経由を選んだのだ。 手渡された『のぞみ』のチケットを見てほむらが小さく驚いた。 「えっグリーン車!……いいんですか!?」 「まーちょっと理由があってねー。大丈夫大丈夫、予算は十分あるから。というかね……」 語りだすキンダーハイモンの声には憂鬱な響きがあった。 「家賃として給料貰っても使えない状態が長くてね……」 キンダーハイモンの本体は建造物型デジモンであり自発的な意思疎通や移動ができない。 一応、賃貸料という名目でお金を貰ってはいたが自力で使う方法を最近まで持たなかったのである。 ちゃんと給料を設定して流用もせずにいてくれたデジ対には感謝である。 山側の座席を向かい合わせにして窓側にキンダーハイモンとひまわりが、通路側に織姫とほむらが座る。 ベルセブモンは海側の通路よりの席である。 品川を発車した直後にキンダーハイモンはスマホを操作していたが、程なくして席にパーサーがやってきた。 「これこれ、これがやってみたかったのよー!」嬉しそうなキンダーハイモン。 「これは……アイスクリームですね?」そう言う織姫の脳裏に疑問が浮かぶ。 「あれでも……駅の自販機におんなじ奴がなかったっけ?」その疑問と同じ内容のことを、ほむらが口に出していた。 「ああ、それはね、モノ自体はおんなじだけど、状態が違うのよ。」そう言うとキンダーハイモンはポシェットから何かを取り出した。 「じゃーん!あらかじめ買っておいたスプーン!」それはアイスクリーム専用のアルミ製スプーンだった。 4つ色違いで、それぞれに異なる新幹線のイラストが入っている。 「ハイこれ使ってねー。アタシとヒマちゃんはおんなじの使うから。」そう言って青いカップのアイスとスプーンを三人に配る。 「ふうん、どれどれ……うわっ固っ!なんだこりゃあ?」ベルゼブモンが素っ頓狂な声を上げる。 「自販機だとここまで固くならないんだってー。車内で買ったものだけがこんな固いらしいよ?」 キンダーハイモンの説明を聞きながら各々アイスの蓋を開けてスプーンを刺してみる。 確かにそれは石のように固く、まるでスプーンが刺さらない。 「本来なら10分ぐらい待ったほうがいいんだけどこのスプーンなら……もういけそうね。」 全体に体温が伝わり、体温で溶かし切るスプーンがまだ固いアイスに徐々にだが入っていく。 小さく掬ってそれを口の中に運ぶ。 『!!』その独特な味と感触に、一同の目が見開かれる。 意図的に空気を抜いたことによる、粘膜と味蕾に密着してくるような重厚で柔らかい舌触り。 濃厚な、あまりにも濃厚な乳脂肪の甘さとバニラの香りが口腔内を圧倒する様はまさに暴虐。 それは普通に店で売っているどのアイスクリームとも異なる、独特の感触と味わいであった。 「なるほど……」ほむらも 「これが……」織姫も 「シンカンセンスゴイカタイアイス……。」キンダーハイモンも、いくばくかの余韻に浸る。 「おう、これスッゲーうめーな!」 「おいしーねー!」ベルゼブモンとひまわりは素直に感想を述べた。 新横浜を過ぎ、新丹那トンネルを過ぎ。「あっ富士山見えた!」「おっきー!ダー撮って撮って!」 富士山を見て、浜名湖を見て。「みずうみだー!」 「そういやここの名物って鰻だっけ……そうだ!ちょっと電話してくるわね。」 名古屋に到着した一行は長めに確保した乗り換え時間の間に昼食を買った。 「コーチンわっぱめしと……ひつまぶし巻きと……『矢場とん』のわらじとんかつ弁当と……」ほむらが買った弁当をチェックしていると、 「おーい、『あんぱんや』のカレーパンとアンパン買ってきたぞー!」ベルゼブモンが紙袋を持って合流し、 「『しら河』のうなぎまぶし、買ってまいりました。」織姫が、キンダーハイモンが車内から電話で頼んだものを取ってきた。 「うわぁ、そっちもおいしそう!」「みんなで分けっこして食べるわよヒマちゃん。」 ほむらと一緒に行動していたひまわりとキンダーハイモンが歓声を上げる。 彼らは特急『しらさぎ』に乗り込み、車中で舌鼓を打ちながら敦賀へと向かった。 そこで北陸新幹線『つるぎ』に乗り換え福井へ、更にえちぜん鉄道に揺られて勝山へと至る。 勝山駅に着くと、温泉施設の送迎バスが待っていた。今日は一泊し、明日午前の予約時間に合わせて恐竜博物館に向かう予定である。 一行は温泉施設に到着して、まずは入浴することにした。 「……っ!?」脱衣場でタイツを脱ぎかけている織姫を見て、ひまわりが何かに反応し、動きを止めた。 「?……ああ、これは昔ちょっとした『事故』に遭いまして。」自分の義足を見ていることに気づいた織姫が説明をする。 「この義足のおかげで生活に不便なことは全くありません。」 「ああ、ええと、ごめんなさい。ちょっと、びっくりしただけで。」申し訳無さそうな声でひまわりが慌てて言う。 「子供が気を使う必要はありません。ついでに申しますと、この右目も義眼ですのよ。」 織姫の言葉にひまわりが驚いた顔をする。 「ですがこちらもかなりの優れ物でして、不自由とかは全く……」 「えっじゃあ織姫さんのその目ってアイゼンボーリスペクトとかじゃなかったの!?」 ひまわりの言葉に今度は織姫の動きが止まった。 「ちょっ……ひまわりさん、これファッションだと思ってましたの!?」驚きのあまり、途中から口調が少し変わっている。 「あっ!……その、ごめんなさい……」しょんぼりするひまわりに対し、 「……ぷっ、あは、あはははは!」織姫は表情を崩しながら笑い出した。 「……え?」その様子にきょとんとするひまわり。 「あははは!ええと、ごめんなさい。私の目のことをそのように言われたのは初めてでしたので。」 目尻に滲む涙を拭いながら織姫は笑うのをやめない。 「ですからその、本当に気になさらないでください……ぷくく、あはは!」 「うん、わかった、ベガお姉ちゃん……ぷっ、あははは!」とうとうひまわりまでつられて笑い出した。 その様子をキンダーハイモンは少し嬉しそうな顔で眺め、 「……。」ほむらは何かを押し殺すような表情で見ていた。 「そういや寝袋持って来いって話だったけど、今夜はここに泊まるんじゃねえのか?」 男湯から出てきたベルゼブモンがそう質問すると、キンダーハイモンが両手を腰に当てて胸を張った。 「この温泉にはキャンプサイトがあって予約済みよ。夕食はここの食堂だけど、明日の朝食はアタシたちで作るから。」 「えっアンタ料理できるのか?」 「アタシはこれでも児童養護施設なのよ?……まぁ、あちこち行くときのために練習中、ってトコだけど。」 キンダーハイモンは少し照れくさそうに言う。 「でもテントはどうするの?持ってきてないよね?借りるの?」ほむらの言葉にキンダーハイモンは再度胸を張る。 「アタシが、テントよ!」 「アタシがテントってそう言う意味かぁ……。」 温泉施設敷地内のキャンプサイト、そこには丸屋根の円柱状テントが設置されていた。 その中でほむらは上を見上げながら微妙そうな表情をしていた。 ほむらだけでなく、ベルゼブモンや織姫までなんとも言えない表情で同じ方向を見上げている。 ただひまわりだけがテンション高めに寝袋を広げて寝床の準備をしている。温泉施設の随所が恐竜をフィーチャーしたデザインで嬉しかったのだろう。 「何よ、最大で10人は寝泊まりできて防寒性能も高い立派なテントよ。」上から聞こえるキンダーハイモンの声。 「いやでも……」 「その絵面はよォ……」 「ちょっと不気味と申しますか……」口々に漏らす三人。 テント内の最上部、屋根の中心に頭からぶら下がっているキンダーハイモンが身体全体を横に回転させて三人の方を向く。そのシルエットはどう見ても首を吊った小人であった。 「しょうがないじゃないのさぁ!これがアタシの能力なんだから!」 キンダーハイモンの本体は樹木型と家屋型のニ種類の人工デジモンをジョグレスして生み出された木造建築型デジモンである。 その元になった家屋型デジモンの成熟期、バオモンの持つ能力をキンダーハイモンは自らの分け身たるサプリング体に与えた。 強固なマントシールドにもなる頭部の花弁を巨大化させることで、10人前後が寝泊まりできる防御力と防寒性に優れたテントを形成する。 しかしそのテント形態は、必然的に屋根の中心からサプリング体が頭からぶら下がる格好となる。 「ひまわりちゃんは平気なの?」 「慣れた。」ほむらの質問に一瞬で冷めた眼差しになって答えるひまわり。 ひまわりは培養中の睡眠学習プログラムである程度の一般常識は刷り込み済みであった。 しかし『首吊り』などの概念やイメージを学習する前に培養中断されたため、その辺りの感覚が欠落していた。 その状態でキンダーハイモンのその形態を目にするたび、周囲が不快そうにする中で自分だけは無反応であった。 それを他の子達にドン引かれて以来、ひまわりはキンダーハイモンのその姿があまり好きではなくなった。 「さすがテイマー……って言っていいのか?」ベルゼブモンは困惑した。 夕食にソースカツ丼やおろし蕎麦を堪能した後は酒盛りとなった。 未成年であるひまわりと酒に弱いベルゼブモンは普通にジュースであったが、他三名はイケる口であった。 「わかってんな?今日は『お仕事』なんだからセーブしとけよ?」 「わ、わかってるわよベルゼブモン!二人にあわせて呑むって!」 「あら、キンダーハイモンさんもお酒、いけますのね?」 「こんなナリでも一応成熟期だからねー。あっヒマちゃんおかわりちょうだい。」 「はい、ダー。あんまり飲みすぎちゃダメだよ?」 一応は付き添いという立場上ほむらが抑えめなこともあり、和気あいあいとした酒宴と共に夜は更けていった。 そして翌朝、ほむらの目を覚まさせたのはどこかから漂ってきたパンの焼ける匂いだった。 「おはようございます出海さん。」織姫はすでに着替えを終えていた。 本日のTシャツの柄は恐竜つながりでチタノザウルスなのだが特撮知識のないほむらにはただ怪獣であるとしか認識できない。 「あらホムラさん目ぇ覚めた?今朝ご飯作ってるから着替えちゃってちょうだい。」 天井から首吊……ではなく、キンダーハイモンが呼びかけた。 着替えてからベルゼブモンの姿を探して外に出ると、テントから少し離れた厨房小屋に緑の蔦が伸びていた。 キンダーハイモンが「エレキアイビー」の電撃を消して調理作業をしているのだろう。 視界を確保するためか小屋の扉が開いていて、中にベルゼブモンとひまわりの姿が見える。 ひまわりがガスコンロで何かを焼き、ベルゼブモンはコーヒーを淹れているようだ。 「ベルゼブモンさん、そんなテリジノサウルスみたいな手でコーヒーつくれるのすごいねー。」 心底感心した声で目を輝かせるひまわりに対しベルゼブモンは、 「えっ、そうか?……そう言われると、なんか照れるな。」まんざらでもない様子だった。 朝食は缶詰やレトルトのおかず類、バナナなどを使ったホットサンドだった。 聞けば、ひまわりとキンダーハイモンは将来デジタルワールドを旅する時のためにアウトドアな料理を中心に勉強しているのだという。 その事を嬉しそうに話す二人を見て、ほむらは胸の奥で何かが疼くのを感じていた。 ホットサンドは普通においしかった。 (後半へ続く)