"紫色の香り" ──迷いの森、人間界と魔界の間にあるいくつかの森林地帯の一画。 オークの墓と呼ばれる森や遥か東方にあると言われているウサビットたちを初めとする獣人の故郷とは違い、 青々と高くそびえる巨木とうっすら肌寒さを覚えるような霧の立つ、清んだ空気の自然の要塞。 そんな森の奥深くにとある伝説が潜んでいる。 かつて魔王軍を壊滅まで追い込んだ勇猛果敢なパーティの要にして人間の王に裏切られた不遇のパーティの魔術師、 この世のすべての魔法を会得していると言われている聖剣の防人ことマーリン。 マーリンといっても巷を騒がせているペテン師でもなければ男でもない、彼女こそ知る人ぞ知る真なるマーリンの名の持ち主のほうだ。 そんな伝説の潜む迷いの森の中を、霧のカーテンを縫うように突き進む二人の人影があった。 一方は神速のジュダ、超高速の剣技「瞬転剣」を扱う女剣士。 彼女の身のこなしは目で捉えることが困難なほど素早く、その機動力をもって敵の背後に回り込む戦法を好んでいる。 彼女はこの日暗黒卿レイスの依頼で迷いの森奥深くに潜む魔女マーリンの様子を見に来たのだ、ちょっとした手土産を添えて。 手土産こともう一人の人影こそ巷を騒がせているペテン師の方のマーリン、自称魔術師マーリンことジャック。 日銭稼ぎのために王国の広場で白昼堂々手品を披露しているところを兵士に厄介になり、 かつて魔女マーリンと組んでいたレイスの耳にも逮捕の知らせが届いたためにジュダの手土産として同行させられていた。 「それにしてもえらい濃い霧してはりますわぁ。ジャックはんの目くらまし術もこんな感じしてはるんかなぁ。」 「な、なにもしてねーよ俺は。ここが特別霧が濃いだけだろ。くそ……牢屋ならともかく本物に突き出されるなんて……。」 「突き出すなんてそんな人聞きの悪い、ウチはたぁだ名前借りるほど贔屓にしてる人に会わせてあげたいだけですて。」 「くそ……笑いながら嫌なこと言いやがって……。そもそもマーリンなんてのほんとに実在するのかよ。おとぎ話かなんかの人物だろ。」 「それ言うたらレイスはんえらい怒りますさかい、そんなことになったらウチ自分のパーチィめんばぁに顔向け出来ませんて。」 軽口を叩き合いながら霧深い森を分け進んでいくと周囲の大木よりも更に大きく、太く育った巨木とぶつかった。 眼前には可愛らしい木製のドアが備え付けられ見上げれば木のうろから温かな湯気が立っている。 ほのかにハーブティーの香りが冷たい空気に乗って漂ってくる、恐らく目当ての人物はこの巨木の家主でもあるのだろう。 一見メルヘンな絵面に呆然とするジュダとジャックを正気に戻すようにキィと音を立てて木製の扉が開き家主が声をかける。 「来たねジュダ、それと偽物。私がマーリン。レイスに言われて来たんだろう?とりあえずおいで。」 魔女マーリンの伝説のひとつ千里眼だろうか。二人の素性も依頼主までもズバリ一瞥しただけで見抜かれてしまった。 木の玄関をくぐり、下草茂る石の階段を一段ずつ踏みしめるように上っていく。 薄暗さを感じさせないのは方々に生える発光するキノコのおかげだろうか、自然の力を取り入れた家屋をジュダはじっくり見まわす。 実家の呉服屋も自然に近い家造りだが流石にここまでのものではなかった。幼少のみぎりに夢見た絵本の世界そのままの光景にすっかり心を奪われてしまった。 「素敵やわぁ……。ウチこんなめるへんちっくな可愛らしいお家憧れてたんですわ。 わぁ!切り株切り抜いた木ぃの家具!ふふ、なんだか早口言葉言うてるみたいになってしまいますわぁ……。」 「遠いところをよく来たね、朝食まだだろ?お茶とケーキで良ければご馳走するよ。偽物も食べるかい。」 「ジャックだ!……です。いただきますです……。」 「そうそうお利巧はんですわジャックさん。お行儀よぅしとくとお茶も美味しいですわ。」 「ふふん、ここまでの道中随分いぢめて貰ったと見える。ま、お上がりよ。」 ジュダとジャックのやり取りを聞きながら慣れた手つきで自作のバニラケーキを切り分け青色のお茶を透明なカップに注ぎ入れる。 カップの中の青色のお茶はまるでマーリンの瞳の色とも、ジャックのケープの色とも取れる不思議な色の揺らぎを披露する。 「わぁ綺麗。バタフライピー淹れてくれはりましたん?」 「いい見立てをしてるね。でも惜しい、こいつはマロウブルーだよ。ジュダの故郷ならウスベニアオイって名前が馴染み深いかな。」 マーリンとジュダの楽しそうなお茶談義を横目に、いつ刺されるか肝を冷やしながらジャックはマーリン手製のケーキを胃に押し込んでいく。 下手に口を挟むよりは大人しくしていた方がジュダの言う通り賢い行動と踏んでのこと、話を広げる女性二人に気取られない様静かに三切れ目を自分の皿に取り分ける。 「そういやあんたたちレイスのつかいで来たんだっけ、あの堅物忙しいくせによく公園でぼーっとしてるだろう?」 「言われてみればそんな光景何度か見ましたわ、日向ぼっこ好きなんと思うてましたけど。」 「あいつはむかぁしの楽しかった出来事をあそこで反芻しているのさ。そして時々忘れられずに私や姫のとこに使いをやって様子を見る。 あんたのとこのクリストもその手の依頼で別行動しているだろう?当人的にも一人の時間が欲しそうだったし丁度良かったんじゃないか。」 「そんなことまでお見通しとは恐れ入りますわぁ。……クリストはんたまにうちらといるとどこか遠く見るような顔してはるんすわ。」 「あんたらが原因じゃないよ。まぁああいう堅物はよくああなるのさ、レイスも時々なってたよ、しばらく時間をおやり。ところで……。」 マーリンがそれまでの話を区切り一息ついて二人の顔を見渡す。 「これから魔王城に突入する。」 なんやて。とジュダが驚くよりも先にお茶を飲んでいたジャックが激しくむせる。 荒くゴホゴホとせき込みながら地面に転がりマーリンを見上げる。 「あんた急になにバカなこと言ってんだ!?これ?このメンバーで?何しに行くわけ!?」 「昔守ってた聖剣が魔物どもに拾われちまってね。捨て置いてもいいんだが時々無性に気になるのさ。ほら、そこの壁に飾ってるもん見てごらん。」 マーリンが指差す方向にはガラスのケースに仕舞われた人間の腕の骨があった、恐らくサイズから女性の右腕だろう。 「うげぇなにこれ!?あんたこれ一体なにしちゃったわけ!?」 「かつての聖剣の持ち主の腕さ。これを見るたびもう一度剣を握ってるとこを見てみたくなってね。」 「それとウチらが魔王城に行くのってどういう繋がりが?乗り込むならもっと戦闘向きのメンツで揃えたほうがええんと違います?」 「強さでチョイスしてそのまま潰せればいいがね、昔の魔王軍とはメンツがだいぶ違うんだ。 たまに奴らの顔を見て回るついでに城の中を回って剣を探してやろうって魂胆さ。 試練の宝玉って呼ばれてる転移の魔法石でもあれば楽は楽なんだが、あんたら二人は逃げるのにちょうどおあつらえ向きなのさ。」 「正面切るより生き延びるための逃げのチョイスか……。流石に名前の元だけあって似た考え方してるぜあんた。」 「ジャック、一応言っておくけど"これ"からは逃げるんじゃないよ。あたしの千里眼はインドでも魔東北でもお見通しだからね。 ルタルタや『邪眼』のエキドナに居場所の情報売られたくなかったら普段あたしの名前でケチなガラクタ売ってる清算してもらおうじゃないさ。」 「ぐぇ、なんでそいつらのことまで……。」 「マーリンはん、一応ジャックはん執行猶予中やさかい連れ帰らなあきませんのや。お手柔らかにお願いできます?」 「今回の突入に付き合ってくれたらこれまでの分はチャラにしてやるつもりだよ、断ったら……。」 「やる!やります!ジュダさんも付いてきてください!お願いですから!」 膝をついて顔面蒼白に懇願する偽マーリンことジャックの姿に押され断り切れずジュダも同行することになってしまった。 「あららら……ウチ今日中に街に帰れるやろか……。」 朝食を済ませマーリンの魔法で魔王軍近くまで転移する三人。 魔王軍のいくつかある城は常に改築工事を行っているため知っている間取りに飛ぼうとしても数日後にはその座標が壁の中という恐れもある。 敷地から少し離れたところに転移し、周囲の偵察も兼ねながら侵入する作戦だ。 「ふふん、かくれんぼみたいで面白いじゃないか。我ながら出不精だけどたまにはこんな散歩も悪くないね。」 「おいおい城の外まで魔王軍の兵士居るじゃねーかよ、マジでここ突破すんのか?」 「サッと行ってまえば見つからずに済むんとちゃいます?それにしても城の前にしては案外兵隊少ないような……。」 ジュダの読み通り、数日前まで城の正門だった場所は現在食糧搬入用の勝手口へと改められていた。 周辺の偵察の護衛や門番合わせて十人以下の無名の魔物が固める程度でマーリン一人で片づけられる程度の力量ばかり、 しかしこの急きょ転移してきた人間たちの匂いをいち早く嗅ぎつけた新兵が一人、いや一匹だけ居た。 魔王軍の訓練中の新兵、代々魔王に仕えるコボルト族の家系出身の若き獣人アルフレッド=コルボルトだ、 ピカピカの鎧に身を固めた茶色い毛並みの彼は風に乗って漂う人間の匂いを嗅ぎつけ一人足早に応援を呼びに駆ける。 「やばいぞ。若い女の人にペテンの匂いのする男の人、それに物凄い魔術の匂いがする……。教官に助けてもらわなきゃ!」 ──魔王城庭園の一画、植物系魔族の育成エリア。 若い植物魔族の寝床や遊び場、対人間軍の活動をしてきた植物魔族の治癒と多様な目的をもって作られたエリアで 時折にぎやかな場所に疲れた他の魔族も腰を落ち着けに来る憩いのスペースである。 そんな緑のスペースの一画でマーリンと因縁深い人物が下級魔族のシトラスの一株の相手をしていた。 「ショウキせんせぇもっと遊んでこうよー、もう行っちゃうのー?」 「すまんなシトラス、このあと約束があって人を待たせてるんだ。待たせっぱなしじゃかわいそうだろ?」 寂しがりやな若芽の植物族の魔物シトラスはオークの墓のある森へ出かける予定のあるショウキの腕を掴みだだをこねていた。 歴戦のアンデッド勇者のショウキもこれには流石に厳しく突っぱねる訳に行かず腰を落としたままたじろいでしまっている、そんな折。 「ショウキ教官!大変です!勝手口付近に人間のパーティが来てます!指示をください!」 「む、どんな連中だコルボルト?それに勝手口の護衛連中はどうした。やられちまったのか。」 「まだ接触してないんですけど、でも匂いが近づいてて……あっ、敵の特徴はかくかくしかじかワンワンで……!」 「ははぁ。マーリンめ、三人とはまたずいぶん余裕じゃないか。しかし神速のジュダに魔術師マーリンとはずいぶん厄介な。 私も出かける用があるしどうしたものか……。そうだコルボルトお前今から特別編成のリーダーだ。メンバーはこのシトラス、いいな。 よかったなこのワンコのお兄ちゃんが遊んでくれるぞシトラス、帰ってきたら私とまた遊ぼう。」 「ほんとぉ!?コルボルトお兄ちゃんありがとう!」 「えぇっ!?そんなむちゃくちゃな……。教官来てくださいよぉ!あの魔女なんだか手ごわそうですし……。」 「待て待てこの時間ならあいつらがまだ城に居るはずだ。コルボルトちょっとひとっ走りしてゴニョゴニョ……を連れてこい。」 「はぁあ〜っ!?そんな編成で本当に大丈夫なんですかぁ!?それに僕がリーダーって、うぅ、お腹が痛くなってきた。」 「あとは三つ指示を覚えろ、これさえ守ればとりあえず撤退はさせられるはずだ。じゃあ本当にもう行くからなっ!任せたぞ!」 「教官〜……。大丈夫かなぁ。」 同じころ魔王城勝手口、コルボルトの嗅ぎつけた通り門番たちがマーリン一行を見つけ交戦が行われていた。 しかし交戦と言ってもかなり一方的な戦闘で、ジャックが火薬で注意を引いた隙に反応の一手遅れた魔族の兵たちをマーリンとジュダが的確に刈っていくシンプルな作戦だった。 十人足らずの門番や衛兵たちはあっという間に鎮圧されマーリンたちの侵入を許してしまう。 「おいおいほんとに魔王城に乗り込んじまったよ、この魔女とんでもねーことしやがる。」 「おだまり、いずれあんたたちも自分のパーティ組んで改めて乗り込むだろうさ。予行演習みたいなもんだよ。」 「ウチのぱーちぃでもいつか乗り込むんかなぁ。なんやドキドキしてくるわぁ。」 「おや、ごらんよ。今度は可愛い刺客がお出ましのようだ。」 軽口を叩きながらズカズカと城の勝手口を超え敷地内に侵入していく三人の眼前にショウキ謹製コルボルトパーティが立ちはだかる。 中心に立つのは不安げな冷や汗を流しながら尻尾をだらりと垂らしたコルボルト。 その両脇を固めるのは無邪気な表情で笑うシトラス。 そして巨大なダンゴムシの魔物、ヘルノブレス軍部隊長が一人チャリオットホイールを小脇に抱える彼の部下ストライカー・キッカーナ。 一見すると公園に遊びに来た子供のようなたたずまいの三人と一匹だが、名ありの魔王軍構成員だけあり個々の実力は確かだ。 絵面の可愛らしさに気の抜けるジュダとジャックを横目にマーリンの目つきは深く鋭くなる。 「可愛い魔物たちだね、何もんだい?誰か……の指示で集まったのかな?」 「ぼっ、僕たちはショウキ教官に選ばれたエリート編成部隊だぞっ!これ以上魔王城への侵入を許すわけにはいかない!」 「ほうあの子のチョイスか。気を引き締めないといけないね。」 「なんや可愛らしいワンちゃんですわぁ。大人しゅう道開けてくれたらお姉さんたち顎の下撫でてやるさかいそこ通してや。」 「おい、あのガキの小脇に抱えてるのチャリオットホイールだぜ。姉ちゃんたち油断するなよ。」 マーリンに続いてジャックが敵パーティの異様さに気付く。 転倒魔法を扱えるジャックは以前戦地でチャリオットホイールと対峙した際、自身の魔法が通用しなかった苦い経験がある。 ましてやそんなチャリオットホイールとペアを組んでいるだろうストライカー・キッカーナもまた警戒の対象として捉えざるを得ない。 そして何より得たいがしれないのはシトラスだ。 彼女の種は育成の仕方によってどうとでもスキルの組み立てができる並外れた成長率を持つ魔植物、眼前に居る個体がどんな特性で成長してるか把握のしようが無かった。 「あのお姉ちゃんたちがシトラスたちと遊んでくれるの?こんにちはショウキせんせぇのお友達さん!」 「教官のお友達だって?じゃあアタシとも友達になってよ。」 「我こそはチャリオットホイール。コルボルトよあのペテン師どもに開戦の合図を告げてやれ。」 「グルルル…行くよ!ボールは友達作戦開始!」 コルボルトが合図を出すとキッカーナは何かの魔法をコルボルトとシトラスにかけ、シトラスと共に駆け出しマーリンたちの背後に回る。 コルボルト、キッカーナ、シトラスの三名でマーリン、ジャック、ジュダを三角形に取り囲むような陣形を取る。 「あらら、囲まれてしもたわ。ウチらなにされてしまうんやろ。」 「嫌な予感しかしねぇ……どうすんだよマーリンさんよぉ。」 「これは……ちょっとまずいな。やってくれたなショウキめ……。」 誰ともなくパスパス!と言い始めマーリンたちをぐるりと導線で囲う様にチャリオットホイールを馴れた足さばきで回していく。 先ほどキッカーナがコルボルトとシトラスに掛けたのはサッカー魔法、誰が相手でもサッカーが出来るようになるという身体能力増強魔法だった。 「わぁいボールだ!それっ!」 コルボルトはコボルト族として自前の反射神経でチャリオットホイールを追い上手にパスをシトラスに回す。 「あはははっ!それっ!」 成長性の高いシトラスはサッカー魔法のバフにより急速に他二人と遜色ない技術でチャリオットホイールをキッカーナに回す。 一見パスを回して遊んでいるようだが次第にパスのスピードは指数関数的に上がり、時折マーリンたちの間をすり抜けるようにチャリオットホイールが飛んでくる。 鋼より固い装甲を持つチャリオットホイールが超スピードでぶつかれば鎧を着こんでいたとしてもただでは済まない。 「あかん、隙が無くて後ろに回りこめへん。避けるので手いっぱいや。」 「犬っころはダメ、サッカー小僧も転倒慣れしてる。となるとあの植物だ!食らえ転倒魔法!」 ジャックが得意の転倒魔法を唯一隙のつけそうなシトラスに転倒魔法をかける、がまるで通じず魔法が弾き飛ばされてしまう。 シトラスは物理攻撃にこそ弱いが魔法体制は非常に高く、マーリンの転倒魔法すら受け付けなかった。 なおもビュン、ビュン、とチャリオットホイールが風を切る音を発しながらマーリンたちの間を駆け抜ける。 「シトラスに魔法は効かないよ、でも周囲の地形を崩してやればいい。はぁ……っくしょん!」 マーリンが魔法の準備をするや否や猛烈な鼻と喉のかゆみに襲われる。 シトラスが放つ毒の一種を疑うが対毒魔法が通じない。これはシンプルな花粉症の症状だった。 身動きの取れないマーリンの様子を確認し先ほどまで不安げだったコルボルトの尻尾が元気に振り回される。 「教官の三つの教え。一つ、相手を囲んでパスを回し続ける。二つ、魔法使いに魔法を使わせない。すごいぞ!あの強そうな魔女を封じ込められてる!」 「おいおいマーリンさんよぉ、あんたが唯一の戦力みたいなもんだったじゃないかどーすんのさ!?」 「ジャックはんさっきの火薬ぶつけられへんの?一瞬でも足止め出来れば……。」 「さっきの門番たちに使った分で品切れだよ。」 「ぶぇっくしょん!くそ……目が開かなっ、んにゃははははっ!?」 花粉症に苛まされるマーリンの足元から植物のツタが一斉に伸び、ダボ付いたケープの袖や首筋から侵入しマーリンをくすぐり始める。 魔法使いに詠唱させないなら笑わせるのが最も効率的だろう。ついに地面に崩れ落ち魔女マーリンは子供のいたずらに完封されてしまった。 「こちょこちょこちょこちょ〜っ。せんせぇもこれ苦手なんだよっ。魔女さんも苦手?」 「んはははは!……っくしょい!きゃはははははっ!はぁっくしょぃ!あははは……。」 「マーリンはん大丈っ!?うっぐぅ……っ!」 涙と鼻水でぐしゃぐしゃになりながら顔を真っ赤にして笑い続けるマーリンに目をかけた瞬間ジュダにチャリオットホイールが強烈な一撃を撃ちこむ。 幸い顔には当たらなかったが胴体に着込んだ鎧は渦を巻いてベコべコにへこみ、その圧迫感でジュダの気道を圧迫する。 得意の機動力も陣形に封じられさらにスピードの乗った大ダメージを受けジュダもその場にへたり込む。 「やべぇ全滅する……!おいっ!一瞬隙を作れたら逃げられるか!?」 マーリンを囲んでくすぐり続けるツタを引きちぎりながら質問するジャックに声も出せないのかコクコクと首を振ってマーリンが応える。 胸を押さえてゼェゼェと呼吸するジュダを引き寄せジャックは隠し玉を披露した。 「目ぇ開けてると潰れるぞ……!」 瞬間、あたり一帯が一瞬カッと眩くなるとマーリンたちの姿はその場から消えていた。 ジャックの目くらましの魔法と姿を消す魔法の併用で魔族たちが一瞬目を反らした隙に、マーリンが転移魔法で帰還したのだ。 標的が消えたことに驚き自然と魔族たちのパス回しが止まり、チャリオットホイールが声をかける。 「逃げられたようだな。どうするコルボルト?今はお前がリーダーだ。お前が決めろ。」 「深追いはしません。教官の三つの教えその三、深追いするなを実践します。……それにしても! やったぁ!僕たちだけで人間たちを撃退出来たぞ!すごいすごい!キャンキャン!」 「楽しかった〜、また遊ぼうね。」 「サッカー最高!ウーッ!」 急場結成の魔族たちのパーティが人間たちを退けたことでこの日魔王城では表彰が行われることになる。 そして翌日天啓を受けたコルボルトが勇者を倒す旅に出かけるが、それはまた別の話。 ──マーリン宅に戻りマーリン、ジュダ、ジャックは各々呼吸を整える。 ジュダは鎧を脱ぎ、マーリンはようやく花粉症が収まったようだった。 「ひどい目にあった……笑いすぎておかしくなるところだったよ。巻き込んですまなかったね。」 「いえ。ウチら腐っても冒険者、いずれかはあんな連中に当たるやろうし必要な経験でしたわ。 魔物いうても雑魚とちごぅて名ありはやっぱり手ごわいゆうことが改めてわかりました。勉強させていただきました。」 「それにしてもあんたの読み通り帰還前提の編成でよかったぜ、下手に戦闘に振ったパーティだったらあそこで全滅してたかもな。」 朝に食べたケーキの残りをもそもそと食べながら反省会が行われる。 ひとしきり休息を終えたのちマーリンの魔法でジュダとジャックは街に送り届けられた。 「はぁ、この鎧じゃいざ戦闘になったらあきまへんわ。デザインは気に入ってるからもっと強い素材で作って貰ったりできひんやろか。ねぇジャックはん?」 ジュダが一瞬目を反らした隙にジャックはすでに姿をくらませていた。また例のごとくどこかで詐欺でも働くために逃亡したのだろう。 「……ウチ独り言言うとるみたいですやん。いけずやわぁ。」 翌日、別件で出かけていた暗黒卿レイスに事の次第を報告するジュダ。 ジャックを逃がした件については特に咎められず無事の帰還とマーリンの元気そうな様子を聞き喜んでいた。 「お手間を取らせましたねジュダ。代わりと言ってはなんですが好きな装備を整えてください、請求はすべて私が請け負いますよ。」 「ほんまぁ?悪いですわぁ〜、ではお言葉に甘えてそうさせていただきますぅ。そうやレイスはん、お出かけどうでしたか?」 「中々新鮮な刺激を貰いました。イザベラもヴリッグズも貴女の不在を嘆いていましたよ。」 「へぇ、それはさぞ愉快なことが起きたんやろなぁ。教えてくれたりはしまへんよね。」 「貴女から直接聞いたほうが盛り上がると思いますよジュダ。なにはともあれご苦労様でした。」 そう言うとレイスは部屋を後にし、例によって古い像のある公園に向かっていった。この後クリストの報告を聞く約束をしているのだそうだった。 「あの様子じゃイザベラちゃんうっかり口滑らせたんやろなぁ。ふふっ、可愛いとこ直接見たかったわぁ〜。」 ──魔王城強襲の翌日、迷いの森奥のマーリン宅に一人の客人の姿があった。 長い黒髪に緑の服、魔王軍の勇者かつ教官役のショウキがマーリン宅の玄関前に立っていた。キィと音を立てて扉が開く。 「いらっしゃい、ちょうど来る頃だと思った。」 「上がらせてもらうよ。」 慣れたように石の階段を上がり光るキノコの照明を抜け魔女の客間へたどり着くショウキ。 彼女が座るだろう席の前にはマーリン手製の濃厚なチョコをふんだんに使ったデビルズフードケーキとウスベニアオイのハーブティーが用意されていた。 「いつ来てもあんたの焼くケーキはたまんないね、これがあるから成仏出来ない。それに珍しい茶も飲める。」 「魔法は厨房で生まれるとはよく言ったもんさ。喜んでもらえて嬉しいよ。」 清んだ森の空気にマーリン謹製の茶と菓の香りが立ち、白い湯気がゆらゆらと舞う。 「あの骨、まだ飾ってるんだな。」 「捨てられるわけないだろ。私の宝物のひとつだ。聖剣握ってたあんたの右腕。」 「昔のことだよ。ダースリッチが洞窟に隠してるっていう魂の入った棺は見つけたけど、魔物の私はもう聖剣なんて握れないからね。 それに今じゃ可愛い生徒もたくさん居るんだ。守るものが多すぎる。」 「ショウキ、昨日のあんたのチョイスしたパーティ手ごわかったよ。結局撤退させられちまった。」 「ふふ、こもりっきりよりたまにああやって運動するのもいいもんだろうマーリン?それに私の生徒(エネミーズ)もレベルアップしてるだろ。」 ショウキもマーリンも、度々こうしてパーティを編成しては魔王城で攻防ゲームをしているらしい。 マーリンの突発的な挑戦もショウキが命じた深追い禁止の命令もお互いが定めたルールの上での行動だった。 お互いに経験の浅い冒険者や兵士の育成にと始めた余興だが、未熟なものつま弾きものも含めてチャンスが与えられるためしばしば好んで行われているようだった。 「それにしてもマーリン、このお茶なんて言ったかな。レモンを垂らしたら物凄い紫色になるやつ。これ好きなんだ。」 「ウスベニアオイだよ。魔法みたいに色が変わるだろ。あたしもけっこう好きだよ。」 「あんたの髪と瞳の色──。」 「あんたの放つ魔力の色──。」 しばし見つめ合ったあとお互いにフフッと笑いあうショウキとマーリン。 姿も立場も違えどきっと知らない時間、遠い昔と変わらない行動を取っているだろうという確証すら得られる雰囲気がある。 「そうだ。昨日あんたんとこのプランターが言ってたけど、アンデッドになってもまぁだくすぐられるの苦手なんだって?」 「えぁっ!?どうしてそれを!?……シトラスあいつ!」 「昨日さんざ笑い泣きさせられた礼だ!覚悟しろ勇者!弱点はわかってんだぞ!うりゃうりゃ!」 「ひやぁ!やめろわるい魔女めっ!あはははっ!降参、降参!」 じゃれつく二人の姿は勇者でも魔女でも無く……ただ気の置けない友人同士の姿がそこにあった。 深い森の奥でハーブティーの湯気と甘い香りが二人の笑い声と共に白い霧の中へ溶けていく────。