スプシ図書館上空、空を飛ぶ輸送艦『ちた』。 すでに戦端が開かれているのを確認して俺、海津真弓はパートナーのプテラノモンの背に乗って発艦する。 続いてジェットレオモンにまたがった茉莉が発艦する。その手には最近誂えたばかりの新武装ミトゥム・イナンナがある。 デジゾイド複合材の500kgオーバーなハンマーのせいでジェットレオモンの動きが遅い。 (茉莉、まずは状況把握だ。情報収集にかかるよ。) 『オッケー真弓ちゃん!降下するね―!』 通信デバイス『シャルウル』を使って俺が思考言語で話しかけると、音声と思考の両方で同じ返事が来た。 やっぱりあいつには口と頭で別々に喋るのは無理みたいだ。 『早く図書館ブッ潰して、真弓ちゃんの手掛かりを探そう!』 ……やっぱりか。名張さんに何か吹き込まれたようで、図書館に行けば俺の過去について何か分かるかもしれないと思ってるようだ。 FE社に実験用として売られてた時点でろくなもんじゃないって想像できるだろうに。 自分だってネグレクトの果てに実の親に売られたのを忘れたのか?……いや、それは忘れてほしいんだけどね。 まあとにかくいつにもまして作戦プランをちゃんと聞いてないし守る気配もない。 一応はテストパイロットだけあって普段はここまでじゃないんだけどな。 このままだとまたいつかの時みたいに我を忘れて暴走しかねない。 その可能性は一応名張さんには伝えたし、カウンターも用意しておいたけど……。 (まあ元から君達の役割は情報収集と陽動、そして制圧後の情報分析だ。攻略本隊じゃないから問題はないよ。) そう言った名張さんは珍しく苦笑いしてた。艦内の空気も何かよくなかったし、どうにも不安がよぎる。 「マユミ、おそらくアレじゃないか?」プテラノモンが通話を切って声を出す。 「……みたいだな。」図書館の北側にある山の上にメタルティラノモンの姿が見えた。 その肩の上に黒い服の人間が立っている。遠くてよく見えないが、おそらくあれが……。 俺は指向性の強い低出力レーザーでそちらに発光信号を送る。茉莉には気づかれないはずだ。 ……向こうからも発光信号。間違いない、『†雷霆の龍騎王†』だ。 『シャルウル』の光学センサーを最大望遠にする。……俺が高校のデータベースから盗んだ画像データと同じ顔だ。 「茉莉、図書館の北側にまわれ。そっちの様子が知りたい。」 茉莉をあいつの目の届く範囲に誘導しようと俺は指示を出す。 『オッケー真弓ちゃん!』茉莉とジェットレオモンは高度を下げながら旋回し、図書館北の谷間に差し掛かった。 『あーマイクテストマイクテスト、聞こえているかしら夏井茉莉さん?』いきなり響く大音響。 ちょっと待てあの女!監視しつつ暴れたら出てくる手筈じゃなかったか!? 『私と貴女には縁もゆかりもないし、どんな事情があるのかも一切合切知らないけれど、依頼を受けたからには……汝の道は、ここに途絶えるわ』 おもしれー女なのは分かってたけど!今ここでそういうのは求めてない!TPOをわきまえてくれ! 『真弓ちゃん!あそこにいる女!あいつ私を名指ししてる!』さすが目がいいな茉莉は。もう見つけたのか。 「あー茉莉待ってくれ、あれは……」どう説明する?正直に言うわけにもいかないし、敵だって言うと問答無用で殴り合いだし……。 味方だって説明しようにもいきなりあの宣戦布告だ。何考えてんだあの女!俺だって……いや、やるな? 名張さんにスカウトされる前の自信に満ち溢れた頃の俺なら多分同じような事やってるね。 『……真弓ちゃん、何か隠してる。』何でこういう時はいつも鋭いんだ茉莉は! 『ここがアンタの終わりよ!』あの女まだ続けるか! 『ちょっと何あの女!真弓ちゃん浮気!浮気なの!?』 「ちょっ、待って茉莉、あれは違う、あれはそういうのじゃないんだって。だからそのハンマーをしまって。」 ハンマーを振り回しながらこちらに近づいてくる茉莉。怖い怖い怖い! 『………ヒトの事イチャつく出汁にしてるんなら帰るわよ?』呆れたような声が大音量で響く。 ハンマーを振り回したままの茉莉の顔が山の上の方を向く。 『あなたが最初に突っかかってきたんでしょーが!!』やばい、茉莉がキレた! 『大佐!あの山!あの上まで行って!』 『でも茉莉!』 『いいから!』 『ああもうわかったから叩くな!しょうがねえな!』茉莉とジェットレオモンのやり取りが聞こえる。 背に腹は変えられない。俺は緊急連絡用の通話アプリを開く。 「すまない茉莉がそっちに行った!自力で何とかしてくれ!」 『こっちでも見えてるわよ!何あの女、いきなりキレて襲いかかってくるとか!』 初めて聞く†雷霆の――いや、龍泉伊舞旗の声。ずいぶん伸びの有りそうないい声だな。 「そっちが厨二病全開な煽りをするからだ。茉莉はそういうセンス皆無なほうの筋肉バカなんだ!」 『はぁ!?私が悪いって言うの?ふざけな……っと!』茉莉のハンマーをかろうじて避ける伊舞旗。 『……っぶないわね!殺すつもり!?』 『!!!!―――――!!!!』ダメだ茉莉の言葉が言葉になってない。完全に自我が沸騰して暴走してる。 『仕方ないわね、メタルティラノモン、アンタはあのメカっぽいデジモンの相手をなさい。』 伊舞旗の両手に棒状の武器が握られる。 『吠えなさい、“ベイビーワルキューレ”。』 左手に構えたロッドを上に向け、右手のロッドの先端を茉莉に向ける。 『我が“雷霆”の二つ名、その意味を己が身を以て思い知りなさい!』 『大佐、すまないが茉莉を止めてくれ。せめてハンマーだけでも妨害を。彼女は俺が雇った傭兵だ。後で説明する。』 俺は個別通話でジェットレオモンに指示をする。 『ああ、そう言うことか。……もっと穏便な奴はいなかったのか?』 付き合いが長いだけあって察しが良い。 『他に適任が見つからなかった。』俺の返答にジェットレオモンのため息が返ってきた。 『……うちの青髪ゴリラを止められる奴がそうそう見つかる訳ないか。』 茉莉のハンマーが伊舞旗に向かって飛ぶ。 そのワイヤーにジェットレオモンが噛みついて起動を変える。 地面に叩きつけられたハンマーは大地をえぐって墓穴と呼ぶには広く浅い穴をうがつ。 『……コレ本気で戦わないとこっちが死ぬやつね。』伊舞旗の声には戦慄の響きがある。 「茉莉、聞こえているか、茉莉!」 『うがああああ!!』ダメだ、反応がない。 三撃目のハンマーはメタルティラノモンが爪と腕で受け流す。が、無傷とはいかず多少のダメージが通ったようだ。 『気ィつけろイブキ!コイツ人間なのに完全体ぐらいのパワーだ!』 『成程、私に声が掛かる訳だわ。っと!』すれ違いながら左手のロッドが茉莉の腹に食い込む。 『!!!』茉莉の動きが止まる。 『そこよ!』更に右手のロッドが背中を叩く。高圧電流が背中だけでなく茉莉の全身にダメージを与える。 『よし、これで……』 「まだだ!」俺が警告に、伊舞旗は茉莉の反撃の拳をスウェーでギリギリ回避する。 『……コイツ、まだ動くの!?』 「茉莉は耐久力も強化されてる!それじゃ足りない!」 ……電撃は相性が炎の次ぐらいによくない。 電気ショックぐらいなら『耐えてしまう』茉莉は、肉体的な限界が来るまで戦えてしまう。 アイツを止めるには水攻めとか落とし穴とかのもっと安直で単純な方法が有効だったんだが……教えておけばよかったな。 今更俺の判断ミスを伝えたところで伊舞旗を逆上させるだけだ。 「俺がアドバイスを出す。それを参考してくれ!」どうせ伊舞旗は指示に従え、とか言うと逆に従わないだろう。 「俺と茉莉は長年一緒に戦ってきたからあいつの動きは分かる。頼む、信じてくれ!」 『……ああもう、そこまで言われちゃしょうがないわね!』 メタルティラノモンの前で、伊舞旗はロッド二刀流を構え直す。 『さっさとしなさい、腑抜けたアドバイスをしたらアンタもまとめて吹っ飛ばすわよ?』 俺のアドバイスとジェットレオモンの妨害もあって、伊舞旗は有効打を積み重ねていく。 しかしそれでも茉莉は止まらない。もう全身に激痛が走っているはずなのに。 「茉莉、もうやめろ茉莉!」俺の呼びかけに反応は無いままだ。 ……仕方ない、覚悟を決めるか。 「プテラノモン、茉莉を直接説得する。近づいてくれ。」 「!!……いいのか?」 「頼む。」口数の少ない俺の相棒は何も言わずに接近する。 高度を下げ、タイミングを合わせて減速し、茉莉の頭上で一瞬だけ速度ゼロにする。 そのタイミングで俺が飛び降りると、プテラノモンはそのまま反転上昇する。 「茉莉!!」俺は茉莉の体にしがみつく。あちこちが焼け焦げていて、火傷しているのがわかる。 「ちょっ、アンタ何を!」背後から伊舞旗の驚く声が聞こえる。 「……もういいんだ、『あい』。」茉莉の耳元で、俺は声を掛ける。 「お願いだから止まってくれ、俺の大事な『あい』。」 「………………まゆみ、ちゃん…………」茉莉の手からハンマーのグリップが落ちる。 気を失ったのか、全体重が俺の腕に掛かる。 「……大佐、茉莉を頼む。プテラノモンはハンマーを回収してくれ。」 俺は簡単に指示を出すと、伊舞旗のほうに向き直る。 『……聞こえるかい?海津君。返事をしてくれ。』名張さんから通信が入る。 「………はい、こちらエコー。」 『そちらの様子はどうだい?』 「フォックストロットの停止を確認。死んではいませんが……」どう言えばいいのか、言葉が出てこない。 『そうか、こちらは状況終了した。僕らの負けだ。』 「負け……」茜さんの予想したとおりになったのか。 『自力で“ちた”まで戻れるかい?』 「……可能です。」 『ならそうしてくれ。こっちも全く余裕がない、オーバー。』そう言って通信が切れた。 顔を上げると、龍泉伊舞旗の顔が視界に入った。 「アンタ……」不安と後悔の入り混じった表情をしている。 「あんたが龍泉伊舞旗だな。俺は海津真弓、『エージェント・X2』だ。」 伊舞旗の顔が引き締まる。俺は返事を待たずに続ける。 「……苦労をかけさせて済まなかった。……俺は、やることが出来た。後はそちらの好きにしてくれ。」 俺はそう言うと近づいてきたジェットレオモンに茉莉の体を預けた。 「…………………悪いけど謝らないわよ、一応パンピーに軍人の鎮圧なんてやらしたんだから、どうなっても文句は受け付けないわよ。」 その声に振り向くと、伊舞旗は腕を組んで仁王立ちでこちらを見ていた。 先程までの表情とはうって変わって、自信に満ちた……いや、違うな。 無理をして強がっているのだ、あの顔は。俺達に心配させないように。 「あと見返りもいらないから、そんなツラされたら何かふんだくってやろうって気も失せるわ。それじゃあね。」 そして、自分にヘイトを向けさせて悪役になることで、仲間同士で争ったこちらのわだかまりを少しでも減らそうという、気遣いだ。 それを指摘したら怒るだろうから、俺は彼女を見ないようにしてただ、 「……ありがとう、すまない。」それだけ言うとプテラノモンと共にその場から飛び去った。 茉莉は『ちた』の医務室には収容しなかった。 一華ちゃんが図書館に持ち込んでいた簡易ハウス、そこの一室を即席の病室として茉莉を治療することになった。 治療用のアイテムを買い集めて応急治療を施し、治癒できるというテイマーを連れてきて処置をしてもらったりはしたが状況は捗々しくなかった。 ……まあ薬局で手に入る薬では限界があるだろうし、正式な医者でない者に過度な期待はできないのはわかっていたが。 俺は防衛と分析作業の合間に茉莉の看病にあたった。こちらも名張さんと一華ちゃんとの三交代制だ。 どれもキツイ作業だった。 分析作業の合間にコーヒーを出してるスタンドを見つけた。 「……無闇に情報を求めるのは……やめておけ。必要な情報だけを拾い、身に危険が及ばないうちに速やかに撤退する。それが諜報というものだ。」 そんな会話が聞こえてきた。会話の主はコーヒーを提供しているブロッサモンのようだ。 「俺にも一杯頼めるかな、濃くて甘いので。」少しは疲れが癒せるだろうか、そう思って俺はコーヒーを注文する。 身に危険が及ばないうちに、か……。だとしたら俺は、諜報員失格だな。 「……なあ、守りたいものを守れない諜報員に、価値なんてあるのかな。」 思わず零していた。何をやっているんだ俺は。自分が諜報員だとバラしてるようなものじゃないか。 店主がため息をつくのが聞こえた。そりゃそうだろう、こんな間抜けなスパイがいたら俺だって呆れる。 「まずは飲め、注文のものだ。濃いめの甘め、砂糖ではなくデジハチミツを入れておいた。」 出てきたコーヒーをすする。……うまい。主張しすぎない柔らかなハチミツの甘さが沁みる。 「俺は今回ここでサボっていた身だ、あまり多くは知らないが…そうだな。守りたいものを守れず、必要な情報さえ手に入らない。そんなものはよくあることだ。」 店主が口を開く。俺はコーヒーをすすりながら黙って聞いている。 「あまり気負いすぎるのはやめておけ、…情報など、生きてさえいればいつでも手に入れられるものだ。」 「……ありがとう、コーヒー、美味かったよ。」俺はそれだけ言うとスタンドを後にした。 戦闘の被害を受けないようにしつつ、ある程度は状況を把握しようと少し遠回りをして戻ることにした。 その途中で見慣れない、しかし記憶に引っかかる人物を見かけた。 あれは確か……FE社のエージェントであんな奴がいなかったか? しかし以前見た画像とは服装が違うしメガネを掛けて……変装の可能性もあるか。 連れているマメモンも、偽装のために退化させているだけの可能性もある。 とりあえず、探りを入れてみるか。 「あんた、野次馬かい?あんまり近づくと危ないよ。」 歳は俺と大差ないくらいか? 「ああ、物見遊山のつもりだったんだが…なかなか、凄いことになっているな。」 俺だってここまでの騒動になるのは予想してなかった。 「…君こそ随分疲れているようだが、大丈夫か? この辺りは安全地帯のようだから、少し休んでいくといい。」 ……気遣われてしまった。先程のブロッサモンの態度といい、俺は今よっぽど酷い顔をしてるようだ。 「ああ、ありがとう。」……話が続かない。何か、何か話題は……! あるにはあるというか、今の俺の頭の中を一番大きく占めてるのがあれしかない。 「……これは例え話なんだが、自分の大事な人が、よかれと思ってやらかして人に迷惑を掛けて、おまけに深く傷ついた時、あんたならどうする?」 何を訊いてるんだ俺は!どう考えても初対面の相手に振る話題じゃないだろ! ……つまり今の俺はそれぐらい参っていて弱ってるってことか。 「難しいことを聞くな……。」そう言って男は少し考え込む。 申し訳ない、俺の気の迷いだ、忘れてくれ、と言いかけたときだった。 「そうだな。これはあくまで私の話だが、私は私のパートナーが何か人に迷惑をかけてしまった時は動機はどうあれまずは叱っていた。この時怒ってはいけない、怒りをぶつけても意味はないからな。」 ……真面目に答えてくれた。中断させるわけにも行かず、俺はそのまま黙って聞く。 「叱って、何がまずかったのかを諭して、それから何がしたかったのかを訊ねるんだ。慰めるのはそのあとだな。」 ……この男、FE社のエージェントにしては随分と理知的で優しくないか? 「……彼女の聞きわけが良いからこそできる手段ではあるが。」そう言って男はマメモンの方を見やる。 「まあ、照れますわお兄様ったら」マメモンは少女のような声で照れている。 ……やはり情報にあったヒメマメモンなのか? 「そうか、そうだな。まずは話し合わないとだな、目が覚めたら……ああいや、例え話だったね。」 そうだ、まず俺は俺がどう思っているかを茉莉に伝えなくてはならない。 その上で、茉莉がどうしたいのかのちゃんと確認しないと…… 「俺は俺のするべき仕事に戻るよ、話を聞いてくれてありがとう。」 俺がそう礼を言って立ち去ろうとすると、 「構わないさ。ああ、それと、もう一つ。」呼び止められた。 「あまり気負いすぎないように気を付けておくといい。過度な肩代わりや干渉は、互いにとっての毒になりえる」 ……そうだな、それは俺にも茉莉にも言えることだったのかもしれない。 「肝に銘じるよ。じゃあ」俺は少しすっきりした気持ちでその場を後にした。 その男の正体を確かめようと声を掛けたことを思い出したのは部屋に戻ってからだった。 しまったな、普通に会話して助言を受けてしまった……。 (後編に続く) 茉莉の他に、話をしておくべき相手がいる。そう思った俺は、彼女を呼び出した。 「こんなところに呼び出して何の用よ?」 仮設ハウスのリビング、間仕切りを開けて隣の部屋で寝ている茉莉の様子が見える。 そこに俺は伊舞旗を呼び出した。 「……帰る前に少し話したいことがある」俺がそう言うと、 「ああんっ!!?この期に及んでまだ………………」そこまで言って彼女は俺の顔を見ると、頭を掻きながら 「はぁ〜〜〜〜〜、手短にしてよね。」大きなため息をついてソファーに座った。 「で、話したいことって何よ?」 俺は対面に座るとちらりと茉莉を見てから話し始める。 「俺……いや、俺とそこで寝てる茉莉は、元々はファイブエレメンツ社の実験体だった。」 「……実験体?何よそれ、アンタ、うちの会社が人体実験でもしてるって言うの!?」 声を荒げる彼女に俺は言葉を続ける。 「心当たりは無いのか、全く?……いや、あるはずだ。お前ほどのハッカーなら。」 「うっ、それは……」一瞬目を逸らした。やはり勘づいてるか。 「だいたいあんただって見ただろう、あの茉莉の怪力を。完全体デジモンと殴り合えるパワーが普通の人間にあるものか。」 「……アンタは普通の人間じゃない!」……まぁ、そう見えるよね。 「俺は頭脳強化実験の被検体だ。肉体強化型の茉莉とは同じプロジェクトの実験体だった。」 「……っ。」彼女の顔が僅かに歪む。 「Dr.ポタラ、と言う人物がいるはずだ。役職は人事部長。」 「アイツ!?」明確な反応、これはDr.ポタラと直接面識があるのか。 「彼が以前進めていたチェンレジ計画、そこから半年前に脱走したのが俺達だ。」 「半年前……ってちょっと待ちなさい、アンタの活動って」 すぐに気づいたか、やはり聡いな。だが俺はそのまま説明を続ける。 「それから15年に渡ってFE社から逃げ続けてるのが俺達だ。」 「待ちなさいよ!半年前に脱走して15年逃げ続けてっておかしいじゃないの!」 伊舞旗は身を乗り出してテーブルを叩く。 「だいたいアンタ半年どころかもっと前から活動してるじゃない!脱走前からそういう事してたって……」 「Dr.ポタラのパートナーデジモンはクロックモンだ。」彼女の言葉を遮るように俺は言う。 「!!」 「脱走の際にソイツの能力が暴走して俺と茉莉は15年前のデジタルワールドに飛ばされた。」 「……確かに、それなら辻褄は合うでしょうけど……」彼女の語勢が弱まる。 「今の名前も事故死した一家の戸籍を乗っ取って名乗っているものだ。」 茉莉を見る。起きてくる様子はない。 「……俺は実験体になる前の記憶が無い。本名も不明だ。」後半は嘘だ。検証中のデータの中から俺の過去らしきものが見つかった。 ……いや、あれを名前だと定義できるのなら、だが。 「茉莉は……アイツは、それが許せなかったらしい。自分だけ本当の名前があって、俺に無いのは不公平だ、って怒ってた。」 「……それで、図書館に?」伊舞旗の質問に俺は首を横に振る。 「茉莉はそうだが、俺は違う。……俺は国のとある機関に所属するいわゆるスパイだ。」 「!」……その顔は、驚き半分、納得半分、ってところか。 「俺の任務は指揮官、鈴木助蔵の監視だ。」さすがに本名は明かせない。 「どうせ俺の過去なんて、実験体にされてる時点で察しがつくだろうに……」 「……だとしても、ほっとけなかったんでしょ。」 少しぶっきらぼうに、伊舞旗が茉莉を見ながら言う。 「自分のことを思ってくれる人がいるんなら、もうちょっと大事にしなさいな。」 ……耳が痛いな。 「それで、どうする?俺達のことはDr.ポタラには先日の襲撃でとっくにバレてる。」 俺は退出しようとする伊舞旗に声を掛ける。 こいつが知らなかったということは、あのDr.ポタラはそのことを社内に報告していないようだ。 「だからFE社に報告しても構わない。俺達のやることは決まっている。」 伊舞旗は少し悲しそうな顔をしている。 「俺達はFE社を潰す。俺達が、何者にも怯えずに、自由に生きるために。」 「今までみたいに逃げるっていうのは……」 「あんたが俺だとしたら、それで満足できるか?そんな状況に我慢できるか?」 「それは……」伊舞旗は言い淀む。 彼女もできないはずだ。誰かに支配され、隠れて生きていくなど。 「あんたもだ、龍泉伊舞旗。」もう一つ、言いたかったことを言う。 「あんたのその才能はすごい。間違いなく超一流だ。だがその才能はFE社にいる限り、人を不幸にするためだけに使い潰される。」 「なっ……」 「FE社を出ろ。あんたにふさわしい場所じゃない。もっとあんたの力と才能を活かせる場所があるはずだ。」 「……そんなの、余計なお世話だって言うのよ!」そう強がっているが、言葉に動揺がにじみ出ている。 「……言いたかったことはそれだけだ。」俺は一歩後ろに下がる。 「……次会う時は敵同士よ、覚悟なさい。」伊舞旗が玄関のドアに手を掛ける。 「……そうだな、さようなら。」ドアが開かれ外の光が入る。 「……さよなら。」軽い音を立ててドアが閉じられた。 「……浮気相手じゃなくて、敵の人、だったんだね、あの女。」 「茉莉……!」部屋に戻ると、茉莉が目覚めていた。 ベッドの上で上半身を起こし、俺をまっすぐに見てる。 「おはよう、真弓ちゃん。」その言葉に思わず俺は茉莉に駆け寄って抱きしめる。 「茉莉!茉莉!」 「……ちょっと、真弓ちゃん痛いよ。」 「あっごめん……。」しまった、つい。俺は慌てて茉莉から離れる。 あれだけのダメージを負ったんだ。あちこちまだ痛むだろうに……。 「……ごめんね、真弓ちゃん。真弓ちゃんは、私がああなりそうだって気づいてたんだね?」 「……うん、そうだよ。」前にもあったからな、茉莉の暴走は。 「……それで、図書館は結局どうなったの?」少し不安そうに茉莉が訊いてくる。 「あーそれは……名張さんは負けたけど、図書館のデータは見せてもらえてる。」 「……どゆこと?」頭に疑問符がいっぱい浮かんでる顔だな。 「最初から戦う必要なんかなかったって事だよ、茉莉。」 「ああ、なーんだ、そういうことかー!じゃあ私の調べたいことも……」 「それなんだけど」茉莉の言葉を遮って割り込む。 「実はもう俺の過去のことは分かってるんだ。」 「えっ!そうなのそうなの!じゃあじゃあ真弓ちゃん!」すごく嬉しそうな顔して。尻尾があったらすごいブンブン振ってる感じだ。 「真弓ちゃんの本当の名前って何だった?」 ……………………言わないと、納得してくれないよな。 「……12番。」 「じゅうに、ばん?それって……」 「あとはチビとかお前とか売約済みとか……それから……」 「ちょっと待って待って!真弓ちゃん、それ本当に人間の名前!?」 「じゃないよね、どう考えても。」言ったら悲しむよな。 「つまりさ、FE社に売られる前の俺って人間扱いされてなかったみたいなんだ。」 「………!!!」あー……だから言いたくなかったんだ。 茉莉の顔がくしゃくしゃになっていく。目から涙が溢れてる。 「そんな……そんなの……」茉莉が俺の胸元に顔を埋める。 「そんなのってないよ―!ああーっ!!」大声を上げて茉莉が泣き出した。 俺はそんな茉莉を、泣き疲れるまでハグすることしかできなかった。 何だよ、泣きたいのは俺の方だっていうのに……。 「……そんなに俺に名前が無いことが嫌?」 泣き疲れて俺の胸で鼻をグスグスさせている茉莉の頭を撫でながら俺は訊く。 「だって、そんなの当たり前じゃん……」あーもう、しょうがないな…… 覚悟決めるか。 「だったらさ、俺にくれよ。」 「?」涙目のまま、茉莉が俺を見上げる。 「『あい』の持ってる、初幡って名字を、俺にもくれよ。」 「えっ、それって……」 「俺の名前も、お前がつけてくれよ。」 「えっ、えっ、えっ!」 「結婚しよう、あい。」 「えっ、嘘、だって、真弓ちゃん、これ、ホント?」 ……完全にパニックになってる。仕方ないな。 俺は茉莉……『あい』を抱き寄せて、頭を軽く撫でた。 「……落ち着いた、あい?」 「……うん、まゆみぢゃん、ごんなあだぢでよがっだら、もらっでくだざい……」 ……せっかくのプロポーズが台無しだ。でも、ある意味俺達らしい。 「……それで、報酬代わりにこの仮設ハウスが欲しいって?」 翌日、名張さん夫妻と話し合った。 「はい。俺達はデジタルメキシコに移住します。」 「リアルワールドの日本じゃダメなのかい?」名張さんの疑問はもっともだ。しかし…… 「……俺達の戸籍は知っての通り『乗っ取って書き換えた』状態です。」 俺達はずっと、この事を負い目に思っていた。それをどうにかしないと、前に進めない気がする。 「俺と茉莉の戸籍を本来の持ち主にちゃんと返してあげたいんです。」 そう言えば、俺が名張さんにスカウトされたのがその辺りの騒動が発端だったな。 「……そうか、そうだね。いいよ、もともと図書館探索のために作ったものだ。君達に譲ろう。」 スプシ図書館上空、空を飛ぶ輸送艦『ちた』。 すでに戦端が開かれているのを確認して俺、海津真弓はパートナーのプテラノモンの背に乗って発艦する。 続いてジェットレオモンにまたがった茉莉が発艦する。その手には最近誂えたばかりの新武装ミトゥム・イナンナがある。 デジゾイド複合材の500kgオーバーなハンマーのせいでジェットレオモンの動きが遅い。 (茉莉、まずは状況把握だ。情報収集にかかるよ。) 『オッケー真弓ちゃん!降下するね―!』 通信デバイス『シャルウル』を使って俺が思考言語で話しかけると、音声と思考の両方で同じ返事が来た。 やっぱりあいつには口と頭で別々に喋るのは無理みたいだ。 『早く図書館ブッ潰して、真弓ちゃんの手掛かりを探そう!』 ……やっぱりか。名張さんに何か吹き込まれたようで、図書館に行けば俺の過去について何か分かるかもしれないと思ってるようだ。 FE社に実験用として売られてた時点でろくなもんじゃないって想像できるだろうに。 自分だってネグレクトの果てに実の親に売られたのを忘れたのか?……いや、それは忘れてほしいんだけどね。 まあとにかくいつにもまして作戦プランをちゃんと聞いてないし守る気配もない。 一応はテストパイロットだけあって普段はここまでじゃないんだけどな。 このままだとまたいつかの時みたいに我を忘れて暴走しかねない。 その可能性は一応名張さんには伝えたし、カウンターも用意しておいたけど……。 (まあ元から君達の役割は情報収集と陽動、そして制圧後の情報分析だ。攻略本隊じゃないから問題はないよ。) そう言った名張さんは珍しく苦笑いしてた。艦内の空気も何かよくなかったし、どうにも不安がよぎる。 「マユミ、おそらくアレじゃないか?」プテラノモンが通話を切って声を出す。 「……みたいだな。」図書館の北側にある山の上にメタルティラノモンの姿が見えた。 その肩の上に黒い服の人間が立っている。遠くてよく見えないが、おそらくあれが……。 俺は指向性の強い低出力レーザーでそちらに発光信号を送る。茉莉には気づかれないはずだ。 ……向こうからも発光信号。間違いない、『†雷霆の龍騎王†』だ。 『シャルウル』の光学センサーを最大望遠にする。……俺が高校のデータベースから盗んだ画像データと同じ顔だ。 「茉莉、図書館の北側にまわれ。そっちの様子が知りたい。」 茉莉をあいつの目の届く範囲に誘導しようと俺は指示を出す。 『オッケー真弓ちゃん!』茉莉とジェットレオモンは高度を下げながら旋回し、図書館北の谷間に差し掛かった。 『あーマイクテストマイクテスト、聞こえているかしら夏井茉莉さん?』いきなり響く大音響。 ちょっと待てあの女!監視しつつ暴れたら出てくる手筈じゃなかったか!? 『私と貴女には縁もゆかりもないし、どんな事情があるのかも一切合切知らないけれど、依頼を受けたからには……汝の道は、ここに途絶えるわ』 おもしれー女なのは分かってたけど!今ここでそういうのは求めてない!TPOをわきまえてくれ! 『真弓ちゃん!あそこにいる女!あいつ私を名指ししてる!』さすが目がいいな茉莉は。もう見つけたのか。 「あー茉莉待ってくれ、あれは……」どう説明する?正直に言うわけにもいかないし、敵だって言うと問答無用で殴り合いだし……。 味方だって説明しようにもいきなりあの宣戦布告だ。何考えてんだあの女!俺だって……いや、やるな? 名張さんにスカウトされる前の自信に満ち溢れた頃の俺なら多分同じような事やってるね。 『……真弓ちゃん、何か隠してる。』何でこういう時はいつも鋭いんだ茉莉は! 『ここがアンタの終わりよ!』あの女まだ続けるか! 『ちょっと何あの女!真弓ちゃん浮気!浮気なの!?』 「ちょっ、待って茉莉、あれは違う、あれはそういうのじゃないんだって。だからそのハンマーをしまって。」 ハンマーを振り回しながらこちらに近づいてくる茉莉。怖い怖い怖い! 『………ヒトの事イチャつく出汁にしてるんなら帰るわよ?』呆れたような声が大音量で響く。 ハンマーを振り回したままの茉莉の顔が山の上の方を向く。 『あなたが最初に突っかかってきたんでしょーが!!』やばい、茉莉がキレた! 『大佐!あの山!あの上まで行って!』 『でも茉莉!』 『いいから!』 『ああもうわかったから叩くな!しょうがねえな!』茉莉とジェットレオモンのやり取りが聞こえる。 背に腹は変えられない。俺は緊急連絡用の通話アプリを開く。 「すまない茉莉がそっちに行った!自力で何とかしてくれ!」 『こっちでも見えてるわよ!何あの女、いきなりキレて襲いかかってくるとか!』 初めて聞く†雷霆の――いや、龍泉伊舞旗の声。ずいぶん伸びの有りそうないい声だな。 「そっちが厨二病全開な煽りをするからだ。茉莉はそういうセンス皆無なほうの筋肉バカなんだ!」 『はぁ!?私が悪いって言うの?ふざけな……っと!』茉莉のハンマーをかろうじて避ける伊舞旗。 『……っぶないわね!殺すつもり!?』 『!!!!―――――!!!!』ダメだ茉莉の言葉が言葉になってない。完全に自我が沸騰して暴走してる。 『仕方ないわね、メタルティラノモン、アンタはあのメカっぽいデジモンの相手をなさい。』 伊舞旗の両手に棒状の武器が握られる。 『吠えなさい、“ベイビーワルキューレ”。』 左手に構えたロッドを上に向け、右手のロッドの先端を茉莉に向ける。 『我が“雷霆”の二つ名、その意味を己が身を以て思い知りなさい!』 『大佐、すまないが茉莉を止めてくれ。せめてハンマーだけでも妨害を。彼女は俺が雇った傭兵だ。後で説明する。』 俺は個別通話でジェットレオモンに指示をする。 『ああ、そう言うことか。……もっと穏便な奴はいなかったのか?』 付き合いが長いだけあって察しが良い。 『他に適任が見つからなかった。』俺の返答にジェットレオモンのため息が返ってきた。 『……うちの青髪ゴリラを止められる奴がそうそう見つかる訳ないか。』 茉莉のハンマーが伊舞旗に向かって飛ぶ。 そのワイヤーにジェットレオモンが噛みついて起動を変える。 地面に叩きつけられたハンマーは大地をえぐって墓穴と呼ぶには広く浅い穴をうがつ。 『……コレ本気で戦わないとこっちが死ぬやつね。』伊舞旗の声には戦慄の響きがある。 「茉莉、聞こえているか、茉莉!」 『うがああああ!!』ダメだ、反応がない。 三撃目のハンマーはメタルティラノモンが爪と腕で受け流す。が、無傷とはいかず多少のダメージが通ったようだ。 『気ィつけろイブキ!コイツ人間なのに完全体ぐらいのパワーだ!』 『成程、私に声が掛かる訳だわ。っと!』すれ違いながら左手のロッドが茉莉の腹に食い込む。 『!!!』茉莉の動きが止まる。 『そこよ!』更に右手のロッドが背中を叩く。高圧電流が背中だけでなく茉莉の全身にダメージを与える。 『よし、これで……』 「まだだ!」俺が警告に、伊舞旗は茉莉の反撃の拳をスウェーでギリギリ回避する。 『……コイツ、まだ動くの!?』 「茉莉は耐久力も強化されてる!それじゃ足りない!」 ……電撃は相性が炎の次ぐらいによくない。 電気ショックぐらいなら『耐えてしまう』茉莉は、肉体的な限界が来るまで戦えてしまう。 アイツを止めるには水攻めとか落とし穴とかのもっと安直で単純な方法が有効だったんだが……教えておけばよかったな。 今更俺の判断ミスを伝えたところで伊舞旗を逆上させるだけだ。 「俺がアドバイスを出す。それを参考してくれ!」どうせ伊舞旗は指示に従え、とか言うと逆に従わないだろう。 「俺と茉莉は長年一緒に戦ってきたからあいつの動きは分かる。頼む、信じてくれ!」 『……ああもう、そこまで言われちゃしょうがないわね!』 メタルティラノモンの前で、伊舞旗はロッド二刀流を構え直す。 『さっさとしなさい、腑抜けたアドバイスをしたらアンタもまとめて吹っ飛ばすわよ?』 俺のアドバイスとジェットレオモンの妨害もあって、伊舞旗は有効打を積み重ねていく。 しかしそれでも茉莉は止まらない。もう全身に激痛が走っているはずなのに。 「茉莉、もうやめろ茉莉!」俺の呼びかけに反応は無いままだ。 ……仕方ない、覚悟を決めるか。 「プテラノモン、茉莉を直接説得する。近づいてくれ。」 「!!……いいのか?」 「頼む。」口数の少ない俺の相棒は何も言わずに接近する。 高度を下げ、タイミングを合わせて減速し、茉莉の頭上で一瞬だけ速度ゼロにする。 そのタイミングで俺が飛び降りると、プテラノモンはそのまま反転上昇する。 「茉莉!!」俺は茉莉の体にしがみつく。あちこちが焼け焦げていて、火傷しているのがわかる。 「ちょっ、アンタ何を!」背後から伊舞旗の驚く声が聞こえる。 「……もういいんだ、『あい』。」茉莉の耳元で、俺は声を掛ける。 「お願いだから止まってくれ、俺の大事な『あい』。」 「………………まゆみ、ちゃん…………」茉莉の手からハンマーのグリップが落ちる。 気を失ったのか、全体重が俺の腕に掛かる。 「……大佐、茉莉を頼む。プテラノモンはハンマーを回収してくれ。」 俺は簡単に指示を出すと、伊舞旗のほうに向き直る。 『……聞こえるかい?海津君。返事をしてくれ。』名張さんから通信が入る。 「………はい、こちらエコー。」 『そちらの様子はどうだい?』 「フォックストロットの停止を確認。死んではいませんが……」どう言えばいいのか、言葉が出てこない。 『そうか、こちらは状況終了した。僕らの負けだ。』 「負け……」茜さんの予想したとおりになったのか。 『自力で“ちた”まで戻れるかい?』 「……可能です。」 『ならそうしてくれ。こっちも全く余裕がない、オーバー。』そう言って通信が切れた。 顔を上げると、龍泉伊舞旗の顔が視界に入った。 「アンタ……」不安と後悔の入り混じった表情をしている。 「あんたが龍泉伊舞旗だな。俺は海津真弓、『エージェント・X2』だ。」 伊舞旗の顔が引き締まる。俺は返事を待たずに続ける。 「……苦労をかけさせて済まなかった。……俺は、やることが出来た。後はそちらの好きにしてくれ。」 俺はそう言うと近づいてきたジェットレオモンに茉莉の体を預けた。 「…………………悪いけど謝らないわよ、一応パンピーに軍人の鎮圧なんてやらしたんだから、どうなっても文句は受け付けないわよ。」 その声に振り向くと、伊舞旗は腕を組んで仁王立ちでこちらを見ていた。 先程までの表情とはうって変わって、自信に満ちた……いや、違うな。 無理をして強がっているのだ、あの顔は。俺達に心配させないように。 「あと見返りもいらないから、そんなツラされたら何かふんだくってやろうって気も失せるわ。それじゃあね。」 そして、自分にヘイトを向けさせて悪役になることで、仲間同士で争ったこちらのわだかまりを少しでも減らそうという、気遣いだ。 それを指摘したら怒るだろうから、俺は彼女を見ないようにしてただ、 「……ありがとう、すまない。」それだけ言うとプテラノモンと共にその場から飛び去った。 茉莉は『ちた』の医務室には収容しなかった。 一華ちゃんが図書館に持ち込んでいた簡易ハウス、そこの一室を即席の病室として茉莉を治療することになった。 治療用のアイテムを買い集めて応急治療を施し、治癒できるというテイマーを連れてきて処置をしてもらったりはしたが状況は捗々しくなかった。 ……まあ薬局で手に入る薬では限界があるだろうし、正式な医者でない者に過度な期待はできないのはわかっていたが。 俺は防衛と分析作業の合間に茉莉の看病にあたった。こちらも名張さんと一華ちゃんとの三交代制だ。 どれもキツイ作業だった。 分析作業の合間にコーヒーを出してるスタンドを見つけた。 「……無闇に情報を求めるのは……やめておけ。必要な情報だけを拾い、身に危険が及ばないうちに速やかに撤退する。それが諜報というものだ。」 そんな会話が聞こえてきた。会話の主はコーヒーを提供しているブロッサモンのようだ。 「俺にも一杯頼めるかな、濃くて甘いので。」少しは疲れが癒せるだろうか、そう思って俺はコーヒーを注文する。 身に危険が及ばないうちに、か……。だとしたら俺は、諜報員失格だな。 「……なあ、守りたいものを守れない諜報員に、価値なんてあるのかな。」 思わず零していた。何をやっているんだ俺は。自分が諜報員だとバラしてるようなものじゃないか。 店主がため息をつくのが聞こえた。そりゃそうだろう、こんな間抜けなスパイがいたら俺だって呆れる。 「まずは飲め、注文のものだ。濃いめの甘め、砂糖ではなくデジハチミツを入れておいた。」 出てきたコーヒーをすする。……うまい。主張しすぎない柔らかなハチミツの甘さが沁みる。 「俺は今回ここでサボっていた身だ、あまり多くは知らないが…そうだな。守りたいものを守れず、必要な情報さえ手に入らない。そんなものはよくあることだ。」 店主が口を開く。俺はコーヒーをすすりながら黙って聞いている。 「あまり気負いすぎるのはやめておけ、…情報など、生きてさえいればいつでも手に入れられるものだ。」 「……ありがとう、コーヒー、美味かったよ。」俺はそれだけ言うとスタンドを後にした。 戦闘の被害を受けないようにしつつ、ある程度は状況を把握しようと少し遠回りをして戻ることにした。 その途中で見慣れない、しかし記憶に引っかかる人物を見かけた。 あれは確か……FE社のエージェントであんな奴がいなかったか? しかし以前見た画像とは服装が違うしメガネを掛けて……変装の可能性もあるか。 連れているマメモンも、偽装のために退化させているだけの可能性もある。 とりあえず、探りを入れてみるか。 「あんた、野次馬かい?あんまり近づくと危ないよ。」 歳は俺と大差ないくらいか? 「ああ、物見遊山のつもりだったんだが…なかなか、凄いことになっているな。」 俺だってここまでの騒動になるのは予想してなかった。 「…君こそ随分疲れているようだが、大丈夫か? この辺りは安全地帯のようだから、少し休んでいくといい。」 ……気遣われてしまった。先程のブロッサモンの態度といい、俺は今よっぽど酷い顔をしてるようだ。 「ああ、ありがとう。」……話が続かない。何か、何か話題は……! あるにはあるというか、今の俺の頭の中を一番大きく占めてるのがあれしかない。 「……これは例え話なんだが、自分の大事な人が、よかれと思ってやらかして人に迷惑を掛けて、おまけに深く傷ついた時、あんたならどうする?」 何を訊いてるんだ俺は!どう考えても初対面の相手に振る話題じゃないだろ! ……つまり今の俺はそれぐらい参っていて弱ってるってことか。 「難しいことを聞くな……。」そう言って男は少し考え込む。 申し訳ない、俺の気の迷いだ、忘れてくれ、と言いかけたときだった。 「そうだな。これはあくまで私の話だが、私は私のパートナーが何か人に迷惑をかけてしまった時は動機はどうあれまずは叱っていた。この時怒ってはいけない、怒りをぶつけても意味はないからな。」 ……真面目に答えてくれた。中断させるわけにも行かず、俺はそのまま黙って聞く。 「叱って、何がまずかったのかを諭して、それから何がしたかったのかを訊ねるんだ。慰めるのはそのあとだな。」 ……この男、FE社のエージェントにしては随分と理知的で優しくないか? 「……彼女の聞きわけが良いからこそできる手段ではあるが。」そう言って男はマメモンの方を見やる。 「まあ、照れますわお兄様ったら」マメモンは少女のような声で照れている。 ……やはり情報にあったヒメマメモンなのか? 「そうか、そうだな。まずは話し合わないとだな、目が覚めたら……ああいや、例え話だったね。」 そうだ、まず俺は俺がどう思っているかを茉莉に伝えなくてはならない。 その上で、茉莉がどうしたいのかのちゃんと確認しないと…… 「俺は俺のするべき仕事に戻るよ、話を聞いてくれてありがとう。」 俺がそう礼を言って立ち去ろうとすると、 「構わないさ。ああ、それと、もう一つ。」呼び止められた。 「あまり気負いすぎないように気を付けておくといい。過度な肩代わりや干渉は、互いにとっての毒になりえる」 ……そうだな、それは俺にも茉莉にも言えることだったのかもしれない。 「肝に銘じるよ。じゃあ」俺は少しすっきりした気持ちでその場を後にした。 その男の正体を確かめようと声を掛けたことを思い出したのは部屋に戻ってからだった。 しまったな、普通に会話して助言を受けてしまった……。 (後編に続く) ……前々から思ってたけどこの人結構気前いいな。だれかブレーキ役がいないといつか会社潰すんじゃない? でも今回はありがたく貰っておこう。 「……ありがとうございます。」 「それで、C別の方はどうするんだい?」 「辞めます。」俺が短くそう言うと、名張さんは短く驚いた後、フッと軽く笑った。 「そうか……じゃあ僕の復隊も考えなきゃいけないね。」 「……すいません、俺達のために。」 「そこはありがとう、だろ?」いつものような不敵な表情で、手にした紙コップで俺を指す。 「そうですね……ありがとうございます。」 龍泉伊舞旗がリアルワールドに帰ってきてからしばらくした頃、彼女の家に一枚の絵葉書が届いた。 差出人は『初幡 魁・藍』、住所はデジタルメキシコ。 見覚えのある仮設ハウスの前で、あの二人が並んで写真に写っていた。 文面には簡潔に『わたしたち結婚しました』と書かれていた。 「……何よ、結局私を出汁にしていちゃついてたんじゃないの。」 そう毒づく彼女の口元には、わずかに笑みが浮かんでいた。 その数日後、FE社・本社、『木行』オフィス。 社のシステムに外部からの攻撃が加えられ、伊舞旗は対処に追われていた。 上司の中野はピノッキモン30体の暴れ方が激しくなったので一時退席している。 「しつっっっこいわね!ホント……こんな時に何!」彼女の私物のスマホの通話アプリの呼び出し音が鳴り響く。 「はいもしもし!ちょっと今忙しいから後に……」 『や、どーも、久しぶり。システム防衛大変そうだね?』 「あっ、アンタ……!」声の主は先日の絵葉書に写っていた男、海津真弓だった。 『ごめんねー、俺の攻撃で忙しくなっちゃって。』 「バッ、アンタ、ふざけんじゃないわよ!この通話が聞かれたら……」 FE社内での通信・通話はすべて自動的にモニタリングされている。 この通話が聞かれたら彼女に何らかの嫌疑がかかるかもしれない。 「あーそれなら大丈夫、検閲システムにはあんたが担任から出席日数が足りないってお説教食らってる様子が聞こえてるから。」 さっと操作してモニタリングシステムの様子を覗き見する。……彼の言う通りの内容の通話が聞こえてきた。 「なんでうちを攻撃してるのよ!デジシコに引っ越したんじゃないの!?」 『いやー、職場に出した辞表が受理されなくってさ―。』 平坦な感情の読みづらい口調で海津は言う。 『仕方ないから平日はリアルワールドで週末だけデジシコに帰る日々だよ。』 あの感傷的になった自分の気持ちを返せ!とは言えず、伊舞旗は小さく歯噛みする。 『いいところだよデジシコはー。あんたもこっちおいでよ、そんなブラックな会社辞めちゃってさ。』 「あのねえ、こっちにだって義理とかしがらみってもんがあるのよ!それを放り投げて行ける訳ないでしょ!」 『……あー、そうだねそっちにはそっちの都合があるよね。そっか、じゃあそういうしがらみが無くなればいいのか。』 「ちょっとアンタ、何考えてるのよ?」 『じゃ、しばらくの間は敵同士ってことで、よろしくね。』 「ちょっとアンタ何するつもりなのよ!答えなさい!……ああもう、切れてる!」 すでに向こうから切られている通話アプリを閉じながら自分がキレそうになる伊舞旗。 ほぼ同時に外部からの攻撃は終息していた。 「……デジシコ、か。」 システムに何か仕掛けられていないかをチェックしながら、彼女はひとり呟いた。 ピノッキモンたちを宥めた中野がオフィスに戻ってきた。 (了)