0 今日も月は、太陽の輝きを真似している。 今日も梟は、月の輝きに目を眩ませる。 1 「手毬、手毬」 「うるさい。話しかけないで」 なぜ私は大切な食事の時間をこんなのと共にしているのだろう。 食事の時は一人で集中していなければならないのに。なんならこんな混雑した食堂で食べること自体若干嫌なのに。 なぜこの女は、篠澤広は、こんなにも私に近づいてくるのだ。 「なんで私の前に座るの、他に空いてる席あるでしょ」 「……?友達と一緒に食べようと思って」 「友達?誰が?誰の?」 「手毬が、わたしの」 「冗談。友達なんかじゃないから」 「……?手毬のジョークは難しい」 「これから冗談言うよの『冗談』じゃなくて、冗談みたいに信じられないこと言うのやめての『冗談』」 「"不可能なものを消去していけば、最後に残ったものがいかに信じられないようなものであってもそれが真実である"」 「誰の言葉それ」 「根尾先生」 「その根尾先生の言葉の大元を聞いてるんだけど、ああ、いやもういいよ。で?何の用なの」 私は抵抗もそこそこに根負けする。いちいち拒絶する方が面倒くさい。 この子がこんな風に寄ってくるのは初めてじゃなく、多かれ少なかれ何かしらの用事があってのことだ。 くだらない挨拶の時もあれば、私にはちんぷんかんぷんな専門的な話題を振ってきたり。真面目に答えを求めているわけではないのはわかるけけれど、それならいちいち構わないでほしい。 「聞いて聞いて」 「聞くから話せって言ってるんだけど」 眼を輝かせる篠澤広は、普段よりもやや紅潮しているように見える。テンションが高いの? 「あのね、手毬ってどういうアイドルなのか聞きたくて」 「はぁ?」 突拍子もない質問に思わず私は声をあげる。 「宿題。授業で出された」 「前授業は免除されてるって言ってなかった?」 「一般教養はそう。アイドルのレッスンは違う。受けなきゃいけない」 「ふーん」 この子の事情なんて知らないけれど、さすがに一日中暇してるって訳じゃないらしい。 アイドル課の宿題で他人に質問するというモノは中等部の時に経験がある。 同級生の実力を客観的に分析しようとかそういう、どっちかというとプロデューサー課がやるような内容だったけれど、あれはまだ自己分析が難しい子たちにまずは他者を分析する能力を獲得させようとしてのもの。 おおかた今回もそんなところだろう。1組とは授業の進行が少しズレてるらしい。 「そんな感じ」 篠澤広にしては少し歯切れが悪い気がするが、まあいいか。 「それで?なんで私に聞くの。他にもいるでしょ。同じクラスに美鈴だっているんだし。まあ、私ほどの実力じゃないけど、そっちで十分じゃないの」 「美鈴、は、仲間だから」 「────私が敵だって?」 カッと頭に血が上る。 その言葉はあまりにも傲慢だ。 あなたごときが?私のことを? そんなラインに立っているとでも思っているのか。思い上がりも甚だしい。 比較する段階にないし、勝負する土俵にいない。 あなたなんか敵未満だ。 「アイドルはみんな敵だって、手毬が言ってた」 私の言葉だった。 急に上がった体温は急に冷やされる。 確かに、なんか、どこかで説教した時にそんなこと言った記憶がある。いや確かに今もそういう心づもりだから意見を翻したとかじゃないけれど。 すっかり忘れていた。 「…………そういえばそんなことも言ったかも」 「うん。言った。手毬は嘘を言わない」 「言わないことはない」 この子の信頼は何だ。無邪気すぎる。有邪気な金色を脳裏に思い浮かべて、比較する。何もかも違うな。どっちがいいかと言われると判断に迷うけど。 「それで?」 「え?ああ……質問か……」 私がどういうアイドルか。 自己分析ができなかった頃とは違う。私は私を正しく認識している。 「歌」 「うた?」 「そう。歌で、殺す。そういうアイドル」 端的に、けれど断定的に明言する。 アイドルに必要なものはいくつもあるけれど、私は自分が愛嬌に優れてるとは思わないし、特別ダンスが上手いわけでもない。 だけど、歌は好き。好きだから訓練して、好きだから磨き上げてきた。 私の武器は声だ。この喉から放たれるメロディだ。 「手毬、歌得意なんだ」 「ん……」 そういえば、この子の前で歌ったことはなかったっけな。 というかレッスンをまともに見せたこともなかった気がする。クラスが違うのだし当然と言えば当然。 「じゃあ、聞かせてあげるよ」 だったら、この辺で格の差を見せつけてあげるのもいいかもしれない。 いい加減鬱陶しかったし、雲の上にいるんだとわからせてあげて、突き放してあげよう。 「ここで?」 「食堂で歌うとかヤバいやつだよ」 そのくらいの分別はある。 それに、やるんなら全力だ。半端にチラ見せなんて性に合わない。 「明日の放課後、ミニステージやるの。一曲しかないし豪勢な舞台でもないけど、人前で本番同様に演技できるかっていうレッスン。だから、あんたも来ればいい。場所は屋上、時間は5時」 おののけばいい。自分との圧倒的な差に。 それで折れるなら、それまでだ。 2 私のミニステージはそれなりに人が多い。 同級生だけじゃなく、下級生までチラホラ見にきている。 私の実力を聞きつけて、手本代わりにしようと思っているのかもしれない。 その評判に中等部の頃の残滓が相当に混じっているのは癪だけれど、集客能力が高いのはアイドルの強みだ。 だから、歌い終えるまで、歌い終えて周囲を見渡すまで、篠澤広がどこにいるのか気づかなかった。 彼女は、正面にいた。 ど真ん中に陣取って、行儀良く体育座りをして私のステージを見ていた。 彼女の眼は。 その、輝きを見つめる眼は。息も忘れてしまうくらいに見開かれた蕩けるような眼は。 どこで見たものだったか。 だれの眼だったか。 3 「で………どう?私の歌は」 学園内のベンチで、私と篠澤広は並んで座っていた。 私の次に歌う生徒が遠目に見える位置で、火照った体を休ませる。 一曲きりですら、全力で歌えばスタミナが切れてしまうのは本当に問題。もっと体力をつけないと。 この手のミニステージはもう何度もやっているけれど、今回披露した歌は人前では初めて見せるものだった。 この間できたばかりの、私の持ち歌だった。 まだまだ100%の出来とは言えない。それでも、私が私を歌うためにはこれが一番ふさわしいと思えた。 「すごかった」 篠澤広は静かに答える。 誰だろうと、誰からだろうと、褒められるのは気分がいい。 私は気分よく鼻を鳴らす。 「見直したでしょう」 圧倒的な歌唱力を。高い表現力を。 比べものにならないくらいの実力を。 「それはない」 「はあ?」 何?私がここまでしてもまだ私のことを舐めているのか。 そこまで身の程知らずだとは思っていなかった。 私は呆れ、憤慨しそうになったが、その後の言葉にまたも気概を削がれる。 「手毬は最初からずっとすごいから」 赤らんだ頬は仄かで、上擦った声は微かで。きっと彼女をよく知る人間じゃなければ気付かないような表情の差異。 彼女は興奮していた。私のステージを見て、当てられていた。 でもそれは今植え付けられたものではなくて。前からずっとそこにあったもので。 「─────ああそう」 手に持ったドリンクを吸う。 まだ歌唱後の熱が私にも残っている。この熱は歌の熱だ。 決して決して、気恥ずかしさとかそんなものじゃない。 私たちはしばらくダンマリで、徐々に沈む夕陽に照らされていた。 4 「聞いてよ手毬〜」 「聞きなさい手毬!!!!!!!」 翌日、登校した私を待ち受けていたのは例の金色と赤色。 まるで非対称な顔色をしたことねと咲希だった。 いやなんなのさ。 流行っているの?こういうのが。人の事情に興味ないんだけど。 そんな私の顔色を向こうは伺ってなんてくれず、席に着くやいなや一方的に話し出す。 「ほら、私十王会長に追われてるじゃん?」 「改めて当たり前の前提情報みたいに言われるととんでもないな」 前聞いたから知ってるけど、何をしてるんだこの子は。 貸してくれるというなら力を借りればいいだろうに。柔軟性があるくせに、変なところで強情だ。 「でも追われてるのはいつものことでしょう?」 日常茶飯事すぎて咲希も不思議そうにしている。 生徒会長のストーキングが日常なのは大丈夫なのだろうかこの学園。将来のストーカー対策とでもいうのだろうか。 「そうなんだけど今回はちょっと特別。会長だけじゃなくって他の諸々まで追ってくるんだもん」 「何?ことねストーカーが増えたの」 「アタシのじゃなくて十王会長のストーカー」 なんてことだ。ミイラ取りがミイラになっている。 「なんかさあ2組の方で『憧れのアイドルについて調査しましょう』なんて課題が出たらしくってさあ。だいたいプロか上級生選ぶんだけど、十王会長ファンの子らは熱あって。会長の一日の行動全把握とかしだしてるんだよ。だから私も実質追われてるってわけ。もー勘弁してよ〜」 憧れのアイドルについて、調査しましょう。 何か、最近似たような話を聞いた覚えが───── 「あら、私はその課題大歓迎よ、だってだって〜佑芽が私を調査してくれたんだもの!憧れのアイドルなのよ私!!!もう何でも答えちゃったわ!!!」 憧れ。アイドル。調査。質問。課題。 「そっちは平和でいいねえ。手毬は?なんかあった?」 「あなたも中等部の頃結構有名だったんだし、同級生にファンの子がいてもおかしくないわよね」 そんなことがある、のか?ファン?憧れ?え?私が?誰の? 自分の実力に自信はあった。人をねじ伏せられる自覚もあった。 だけど、そんな。 「あれどしたん手毬?顔真っ赤だけど?具合悪い?」 「あらダメよ。健康管理はアイドルの絶対条件なんだから」 何か言ってる周りの音が耳に入らない。 ただ私の中にあるのは、昨日の夕焼けだけ。 "手毬はずっとすごいから" アレは、そういう意味だったのか。 私は勢いよく立ち上がる。衝撃で机が大きな音を立てたので、周囲の視線が一瞬集まる。 「うわっ!どうしたんだよ!」 「…………まだ始業まで時間あるよね」 「え、ええ。あと10分くらい」 「ちょっと出てくる」 唖然とする二人を放置して私は教室を出る。 頭が落ち着かない。脳裏が整理できない。 何を言うべきなのかもわからないし、何を言えばいいのかもわからない。だけど、それでも、じっとしてるのは耐えられなかった。 2組の扉を勢いよく開け放つ。 教室をぐるりと見回して目当てを探す。美鈴が見えたけど、今日は無視。冷戦中だ。 咲希に似てる朱色を発見。ということは近くに─────。 「見つけた」 あの透明な亜麻色に、言ってやらなきゃ気が済まない。 「つ、月村さん?どうしたんですの?」 おろつくポンコツを押し除けて、別の劣等生に相対する。 少女は今日も触れれば折れそうなほどにあえかで、儚げだった。 私はこいつに、言うことがある。 「手毬。怖い顔してる」 知るか、誰のせいだと思ってる。 「昨日言ってた課題。進捗はどう」 「バッチリ。レポートにまとめた。手毬のおかげ」 ふふんと得意げに笑う少女。 そのレポートとやらに私がどう書かれてるのか気になるけど、本題はそこじゃない。 言うべきことがある。言わなきゃいけないことがある。 「言っとくけど。私、まだ本物じゃないから」 これからだ。私が本物になるのは。偽物の羽根を、本物の翼にするのは。 今はまだ、憧れの模倣でしかない。 こんなものを、私の本気と思わないで。 だから、いつか。 「見てなよ。そのレポート。赤線だらけにしてあげるから」 これは宣戦布告だ。 私を敵視するアイドルに向けてじゃなくって、私を憧れの目で観るファンに対する決意表明だ。 聡明なあなたならわかるでしょう。 篠澤広は一瞬きょとんとした後、見たこともないような笑顔で。 「待ってる」 そう笑った。 かつてテレビを見ていた月村手毬のように。 無邪気に笑った。