─皆様。 皆様御機嫌よう、毎度ありがとうございます、アスタ商会です。 さて皆様、我らがコキュートスの女王は、彼女をよく知らない者たちから「慈悲深い」と評されることがあります。 えぇ、全く持って見当違いも甚だしいのですが。 その理由は恐らく、彼女が「怒り」を表すさまを見たことがないからでしょう。 コキュートスの支配者として幾度となく襲撃を退けてきた彼女ですが、最前線にいた者たちは皆言います 「顔色一つ変えずに戦っていた」と。 それもそうでしょう、彼女にとって自分に向けられる敵意とは、戦いとはベルゼブモンに与える「食糧」なのですから。 生き残りの殲滅戦なども行われません、なぜなら生き残った者たちが、再び徒党を組み襲ってくれば「おかわり」を与えられるのです。 その様を見て「女王の慈悲によって見逃されているのだ」などと勘違いした輩が後を絶ちません。 そんな彼女の「怒り」を引き出すにはどうすればよいのでしょう? 自分に向けられる敵意すら是とする者の逆鱗は何処にあるのか 答えは「家族」です。 …えぇ、本当に笑ってしまうような答えでしょう? 七大魔王を従えコキュートスの全土を支配する彼女の逆鱗が、まさか自身の家族などという脆弱なニンゲンらしさの極地だなんて。 しかし残念ながら…これは事実です。 ですので貴方たちとの取引は本日で打ち切らせていただきます。 よりにもよって彼女の両親を攫おうとするなど、愚かな… ─ 「あむ」 パキリ、と小気味いい音を立て、煎餅が2つに割れる。 この街の特産であるという「あすろんせんべい」を、隣に並ぶリリスモンの分も買ってみたはいいものの 「…普通だね」 「そうね…」 案の定と言うかなんというか、街のシンボルを焼き付けただけの、ごく普通の煎餅だった。 「買い物は済んだし、帰ろうか」 「半分持つわ」 「ん、ありがと」 そうして帰路を歩み始めてすぐ、リリスモンが急に立ち止まった。 「どうしたの?」 「マコト、あれ見て」 リリスモンにそう言われ、指刺す先を見てみる。 この街の住民であろうレナモンの後ろを、複数の幼年期デジモン…確かポコモンとレレモンか。 それが連れ添って道を歩いている。 帰るぞチビ共、とか、遅くなるとねーちゃんに怒られる、と言った言葉が聞こえてくる。 そこから推測するならあの子たちはきっと 「レナモンの家族、って感じだね、あの子達がどうかしたの?」 デジモンはその生を終えるとデジタマへと還り、再び幼年期から新しい生が始まる。 生殖によって産まれてくるわけではない。 つまりデジモンの家族とは血縁関係ではなく、その場にいたデジモンたちで自然に形成された関係性だ。 二人で歩みを再開し、話を続ける。 「えぇちょっとね、あのレナモン達を見てたらマコトのお母様のこと想像してね…」 「いやぁそれはもうマコトに似てちっちゃくてふへへっ可愛らしいんでしょうねぇって!」 「…」 真面目に聞いて損した… 「別にお母さんは小さくないよ…どちらかと言えばこれはお父さんの方の遺伝だと思う」 成人男性にしては大分背が低いほうだし、何なら母より父のほうが背が低い。 何より小さくて可愛らしいと言えば 「私より小さくて、そしてとても可愛いと言えば」 「私の妹、綴だね」 「え!?マコトって妹ちゃん居たの!?」 「うん、今5歳のね、綴は、あの子は…」 「一言で言えば天使だね」 「……うん?」 予想もしない言葉が出てきた、とでも言いたげな顔をされる。 「まずね?ほっぺたがむにっとしてて可愛いの、あんまり突くと怒られるんだけど怒ってるとこも可愛いんだよね」 「私の部屋の本棚にある絵本を読み聞かせたりするんだけど、いつも途中で寝ちゃってね?寝顔ももう可愛いの」 「綴のパートナーのチョコモンと並んで寝てるとこなんてもう…!あ写真見る?」 「そ、そう…天使って言うのはどういう?」 なんで若干引き気味なのか。 「あの子が始めて話した言葉は何だと思う?」 「さ、さあ?」 「『ねーね』…つまり『お姉ちゃん』だよ」 「い、一旦落ち着きましょう?」 「もうその時確信したね、この子は天使だと!」 思わず声に熱がこもる。 「うん?待って?綴が天使ということはその姉である私も…天使なのでは?」 「お前は間違いなく悪魔だろ」 デジヴァイスの中からベルゼブモンの言葉が聞こえた気がしたが、気のせいということにする。 「マコト…今のでよくわかったわ」 リリスモンが私の頬に触れる 「貴女の愛は、愛情は妹ちゃんに向けられているのね」 「愛、愛か…」 そう言われてみると、何かストン、と腑に落ちる物がある。 「私は、私は綴を愛している」 その言葉を聞いたリリスモンがグッ!と拳に握り込む。 来てるわねって何が来ているんだろうか。 「うん…いいね、いい響きだ」 「二人共、盛り上がってるところ悪いけど、もう帰らないと留守番のバルバモンが待ちくたびれてるよ」 デジヴァイスの中のルーチェモンから声がかかる。 「おっと、そうだね」 「帰りましょう」 二人揃って歩みを早める。 ……そういえば、デジタルワールドに来てから向こうの世界のことはすっかり意識の外だけど、綴に関係した何か大事なことがあったような? ─ 「あ」 一時拠点として使っている廃墟に戻り、皆で食事を済ませた後、ふいに思い出した。 「あぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!??」 「なんだ、ついに頭がおかしく…いや元からか」 隣のベルゼブモンがなにか言っているがそれどころではない 「大変なことを忘れてた…!」 スマートフォンの日付を確認する 「明日は妹の、綴の誕生日だ!」 「それはおめでたい事だけど、どうする気だい?お祝いのメッセージを送るくらいしか出来ないと思うけど」 ルーチェモンの言う通り、デジタルワールドに居てはほとんど出来ることはない。 「問題はそこなんだよ、一体どうしようか」 「オグドモンに聞いてみたら?」 「え?」 以外な名前が出てくる 「彼の、大罪の門の力ならデジタルゲートを開けるはずだけど」 「本当に?」 周りの七大魔王たちではなく、デジヴァイスに向かって呼びかけてみる。 ─あぁ、可能だ、それが出来るほどに私は力を取り戻している。 「それじゃあ、明日一日だけで良いから、一度向こうに戻りたいんだけど」 ─…… 短い沈黙、また否定も肯定もしないという事だろうか ─それをして。 ─小娘、お前を向こう側に帰して、私に一体何の得がある。 「…なるほど、そう来る」 そう来たか、確かに、七大魔王の力を取り戻し、彼の封印を解くという目的を考えると、私を向こうの世界に返す理由はない。 何より 「私と君が出会った時の意趣返しのつもりかな」 ─くくっ…さてな。 意趣返しのつもりであれば。 私がオグドモンに然るべき対価を示せば、或いはなんとかなるかもしれない。 「そう…得、対価が欲しいわけだね」 ─ほう、小娘、お前が一体何を差し出せると? 「それは」 私の言葉を遮り、オグドモンは続ける ─と、言いたい所だが。 ─お前は私の予想を遥かに上回る速さで『強欲』『暴食』『傲慢』の力を開放してみせた。 ─良いだろう、明日、一日だけなら向こうに帰してやる。 「…思ったより気前が良いんだね」 ─但し オグドモンが語気を強め言葉を区切る、つまりここから先が私が払うべき対価ということか。 ─明日一日で誰かもう一人、七大魔王の力を開放してみせろ。 ─出来なければ。 「出来なければ?」 ─お前はもう二度と向こうの世界には帰れないと思え。 「……」 これは中々の対価だ、残る七大魔王は『淫蕩』『嫉妬』『憤怒』『怠惰』 彼らの内正直『怠惰』だけはどう開放するのか検討もつかない、ベルフェモンは一度たりとも目を覚ましたことはないし。 残る3つは他4つと違い、私だけでは成立しないものだ、性欲を抱く相手、嫉妬を抱く相手、怒りをぶつけたい相手。 どれも他者の存在が必要である以上、向こうの世界に帰ることで開放できる可能性を彼が見出すのは自然なことかもしれない。 問題はそれをどうやって達成するかだけど、まぁその、『淫蕩』だけはちょっと方法に心当たりがある。 「解った、その条件、飲むよ」 ─契約は成立した、デジタルゲートは明日開いてやる。 「言い出した僕が言うのも何だけどマコト、本当にこんな条件飲んでいいのかい?」 「うん、今は何よりも綴の誕生日が大切だから」 「そ、そうなんだ…」 だから何故皆若干引き気味なのか。 ─ 翌日、準備を済ませ屋外に出る。 とはいえデジタルワールドから持っていくものなど殆どない、デジヴァイスくらいだろうか。 家の鍵は肌見離さず持っているし、最低限だけ白衣のポケットに突っ込んで終わりだ。 「さてと」 デジヴァイスに向け告げる。 「オグドモン、お願い」 ─…… オグドモンは何も言わないが、目の前の空間に亀裂が入り始める。 小さな亀裂が瞬く間に広がっていき、中心部から空間がひび割れる。 そうして人が通れるくらいの大きさの空間の裂け目が出来上がった。 これがデジタルゲートという奴だろう。 「あの」 ─何だ 「こう、掛け声とか無いの?デジタルゲートオープン!とか」 ─下らん。 一蹴されてしまった。 「まぁいいか、行こう」 目の前に出来たデジタルゲートへと、片足を踏み入れる。 中の様子はどう表現しよう、一般的なフィクションにおける「サイバー」な空間とでも言おうか。 0と1の羅列が無数に飛び交う空間、けれど無秩序に飛び回っているわけではない、あちらから此方、此方からあちらへと双方向に指向性を持つ。 恐らくネットワーク内をデータが流れている、ということだろう。 そして「あちら」とは私が元いた世界、現実世界だ。 ……現実世界って呼び方はおかしくないだろうか。 だってあちら側を「現実」とするなら反対側にあるデジタルワールドは『仮想』という事になる。 けどここデジタルワールドは仮想の空間ではなくネットワーク上に存在する実在する異世界だ。 だったらデジタルワールドだって『現実』だろう、なんで向こう側だけを現実世界と呼ぶんだ。 ─何を呆けている、下らんことを考えてないで早く行け。 言われてしまった、確かに考え事をしている場合ではない、急いで向こうで誕生日を祝う準備をしないといけない。 「ごめんね、ちょっと考え事してた」 私はデジタルゲートの中に両脚を踏み入れる。 瞬間 「っ、身体が」 最初は足を踏み外したのかと思った、けど違う。 身体がふわりと宙に浮かんでいる。 そのまま周りを流れるデータの流れに沿って、私の身体もあちらへと流されていく。 「思ったより快適な移動だね…」 ─無駄に動き回るな、一度妙な支流に飲まれれば何処にたどり着くか検討もつかん。 「そう、じゃあ大人しく流されていようかな」 身体の力を抜き、データの流れに身を任せる。 果たして今の私は川を流れる木の葉か、ネットワークという血管を流れる血球か。 流される間、そんなことを考えていた。 ─ 「よっ、と」 ゲートのあちら側、現実世界に空いた同じ裂け目から外に出る。 「ここは…」 見覚えのある景色、向こうに見えるのはりんかい線の駅か。 帰ってこれたのは間違いなさそうだ。 「今は何時だろ」 スマートフォンを取り出し時刻を確認……お昼ごろか。 デジタルゲートを通っている間にとんでもない時間が経過した、なんてことは別にないらしい。 「それで!マコトのお母様にはいつ会えるの!?」 リリスモンの興奮気味の声が、デジヴァイスから聞こえてくる。 「まだ家には戻らないよ、先にやることがあるから」 「ふっえぇへっ楽しみ!」 今からそのテンションで大丈夫だろうか… 「それで、やることってなんだい?」 「うん、先に綴の誕生日プレゼントを用意しないと」 歩き始めながら、ルーチェモンに答える。 何が良いだろうか。 去年はぬいぐるみをあげたような気がする、まぁ、すぐにチョコモンに取って代わられたが。 「そういえば」 確か前に綴がタロットカードをめくって遊んでいた覚えがある。 私の部屋に置いてあった雑誌の付録か何かだった筈だ。 付録だけあって、ボール紙に印刷しただけの簡素な仕様。 もっとちゃんとした作りのものを買ってあげようか。 よし、今年のプレゼントはこれで行こう。 もし飽きられても押入れの奥でひっそりと埃を被るだけだ、カードなら対して嵩張りもしない。 「…」 財布を開いて中身を確認する。 多分、平気、だと思いたい。 なんて考えながら歩いていると、突如デジヴァイスから音が鳴り始めた。 七大魔王達の誰かが呼んでいるのだろうか。 …しかし何か用があるなら直接呼びかけてくるはずだが。 「どうしたの?」 「僕じゃないね」 「私でもないわ」 「ワシでもない」 「……あ?知らねぇよ」 皆否定していく、となるとデーモンかリヴァイアモンか、考えにくいがベルフェモンという事になる。 ベルフェモンは眠り続けて一度も目を覚ましたことはない、まず除外していいだろう。 残るは二択だが… 「うわっ!」 頭の中で絞り込んでいると、突如デジヴァイスから黒い影が飛び出してくる。 小さい、一体何だろうか。 ぬるり、と地面を這い回るその姿は。 「…オロチモン?」 ─オロチモン ウイルス種 完全体 魔竜型 『嫉妬』を司るリヴァイアモン、それが力を封じられて退化した姿のオロチモン。 しかしその姿は大蛇(オロチ)と呼ぶには小さい。 加えて本来オロチモンが持つ7つのダミーの頭もなく、大きさもあいまって一見すると大きめの蛇にしか見えない。 というか。 「あの、もしかしてそこにいる蛙を狙ってるの?」 道端に居る蛙に狙いを定め、鎌首をもたげたその姿は本当にただの蛇だ。 「お腹が空いたから出てきた…ってところかな」 「…」 私には目もくれずに蛙を睨み続けている。 しばらく睨み合いを続けたかと思えば、チロリ、と舌を出し。 「あっ」 次の瞬間シュッ、と蛙に向かって飛びかかり、そのまま何処かに行ってしまった。 「どうしよう、どっかに行っちゃった」 「心配しなくても良いと思うよ、多分そのうち戻って来る」 ルーチェモンが言う 「どうして分かるの?」 「リヴァイアモンは、彼はオグドモンに一番近いから」 オグドモンに近い? 「それはどういう意味?」 「さて、ね」 はぐらかされてしまった、その後に続くのが沈黙な以上、恐らく今追求しても無駄だろう。 なにより先を急がないといけない。 「ま、今はいいや、買い物を済ませないと」 ルーチェモンの言葉を信じ、歩みを再開した。 ─ 「ただいま」 家の扉を開けながら帰りを告げる、しかし。 「…靴がない」 玄関に靴が一つもない、ということは3人共出かけているのだろうか。 「出かけてるのかな」 「そう、だと思う」 綴の誕生日に3人で出かけるとすると、候補は限られてくる。 私は科学未来館に連れて行ってもらえれば1日過ごせるが、綴はそうではない。 お台場周辺で出かけるとしたら…大型商業施設のダイバーシティだろうか。 「どうするの?」 「探しに行く」 私のスマートフォンにも見守りアプリの保護者側版が入っていれば、綴が持たされているスマートフォンの位置情報から特定できるが、まぁ仕方ない。 ハズレだったら大人しくSNSアプリで両親に聞こう。 「最低限、荷物を整理したら出発しよう」 あとはまぁ、二度と帰れないという最悪の場合に備えて書き置きでも残しておこうか。 ─ そうして駅に向け歩きだして暫くして。 「…?」 私の行く手に、男が一人立っている。 男とは言うが、顔はほぼ隠されていて見えない。 体格的にそうだ、と仮定しただけだ。 始めは気の所為だと思ったが、明らかにこちらに顔を向けている上、その場でじっと動かない。 男の様相は季節感ゼロの黒いコートにフードを深く被った、有り体に言えは「不審者」だ。 そんな男が子供をじっと見つめていたら10人中10人が通報を思い立つだろう。 一体私に何の用だろうか。 「ねぇ」 私は立ち止まり、「不審者」に向けて声を掛けてみる。 「…」 「さっきからずっとこっちを見てるけど、私に何か用かな」 「…」 始めは無視されたかと思ったが、やがてゆっくりと男が口を開く。 「……お前は」 「お前は一体何者だ」 「…はい?」 それを聞きたいのはこちらなのだが。 私の返答を待たず、男が続ける。 「この世界は、既に空(から)だ」 から、とはどういう意味だろうか 「…どういう意味?」 「もうこの世界には『選ばれし子供達』も、彼らが立ち向かうべき『敵』も居ない」 …この男は一体何を知っているんだ。 「どうしてそんなことを知っているのかな」 「だと言うのにお前は『知識の紋章』を得て、デジタルゲートを開いた」 「何故開かれたのか、それはオグドモンの仕業だ」 どうやら私の質問を受け付ける気はないらしい、男は一方的に告げ続ける。 「私は『デジモンイレイザー』、本来あるべきではない人間とデジタルワールドの過分な接触を止めに来た」 ようやく名前を名乗った。「デジモン」を「イレイズ」する者とは穏やかじゃないが。 「この世界はリアルワールドで穏やかに暮らすデジモンと人間達との共存、それ以外の要素は求められていない」 そんなことを一体誰が決めているんだろうか 「ねぇ…」 「お前は『それ』が、オグドモンが一体何をしたのか分かっているのか」 デジモンイレイザーと名乗る男は、私の言葉を遮りデジヴァイスが入ったポケットを指差す、どうしてここに入っていると知っているのか。 「何を、か、私が知ってるのはデジタルワールドの神様、『イグドラシル』に喧嘩を売って負けたってことぐらいだけど」 「それを知っていて何故お前はオグドモンの封印を解こうとしている」 私はポケットに手を入れ、デジヴァイスに触れる。 …いつでも取り出せるように 「何故、か」 「貴方は知ってるのかな、オグドモンが何故イグドラシルを攻撃したのか」 「……」 男は答えない、どうして誰も彼も沈黙を答えとするんだ。 知らないなら知らない、答えたくないなら答えたくないって言って欲しいんだけど。 「そうやって誰も答えてくれないからね、だから…」  一度言葉を区切り、男を見据える。 「オグドモンの封印を解いて自分で聞いてみることにした、大昔のデジタルワールドのことも色々と聞いてみたいし」 「何故、の答えはこれだね」 この答えで満足してくれると良いけど 「何を、何を馬鹿なことを、お前はそんなことのためにオグドモンの封印を解き、デジタルワールドを混乱に陥れようというのか」 「別にそんなこと考えてないんだけどな」 「愚かにも程がある…封印を解かれたオグドモンを制御出来るとでも」 「するつもりだけど」 ─ククク… 一瞬だけ、オグドモンの笑い声が聞こえてくる、なんだか心の底から愉快そうだ。 「何を根拠にオグドモンを御せるなどと言っている」 「理由なんてたった一つだよ」 デジヴァイスを前にかざし、答える。 「オグドモンは私のパートナーだから、それだけ」 ─クハハハハハハハ!!!! デジヴァイスからオグドモンの高笑いが聞こえてくる、そういえばオグドモンの声は私と七大魔王達以外にも聞こえているんだろうか。 ─デジモンイレイザーとか言ったか、貴様。 「…その声、オグドモンか」 どうやら他人にも聞こえるらしい。 ─この小娘は見ての通りの愚か者だ、その程度では動かんぞ? 「……今からでも遅くない、そのデジヴァイスを寄越せ」 オグドモンの言葉を無視し、突然そんなことを言い出す。 「渡して、その後は?」 「お前は日常に帰ると良い、かつての選ばれし子供達が、戦いの果てに得たこの尊い平和、日常を」 「それは取引のつもり?」 「そうだ、私にデジヴァイスを渡せばオグドモンを『安全』に始末してやる、お前は普段通りの生活を取り戻す、悪くない取引のはずだ」 なんだそれは 「……はぁ〜」 呆れて思わずため息が出てしまう 「それに一体私になんのメリットがあるのかな、私は別に日常に帰りたくてデジタルワールドを旅してるわけじゃないんだけど」 「そんなものは取引でも何でもないよ、本気で言ってるの?」 いい加減この男との無駄話は切り上げて、綴の所に向かいたい。 「…そうか」 今まで無表情で喋り続けた男の口が、ほんの少し歪んだ気がした。 「そんなに利が欲しいか」 男の影が、「動いた」 男の周りをぐるりと囲むように円形に膨らんだ影、その中から『人』が出てくる。 人、小さい子供か、…いやまさかあれは 「これでどうだ」 「は」 何故、どうして 男が腕を回して抱える小さな子供は 「なんで綴がそこに居る」 私の妹、綴だった。 ─ 「今すぐそのデジヴァイスを渡せ、そうすればお前の妹は返してやる」 そう言って男はもう片方の手にナイフを持ち、綴の首筋に近づける。 綴は目を瞑ったまま動く様子はない、寝ているのか気を失っているのか。 「おい、今すぐその汚い手を離せ」 「動くな」 男がナイフを持つ手に力を込める、下手に動いたら喉を切る、そういうことだろう 「……」 すぅ、と一度深く息を吸い込み、気持ちを落ち着ける。 「…私の両親はどうした、綴と一緒に居たはずだけど」 そもそもあの綴が本物の綴かどうか分からない、よく出来た偽物かもしれない。 本物は両親と一緒に楽しくお出かけをしていて欲しい。 「その両親に確認してみたらどうだ、スマートフォンを取り出すくらいなら認めてやろう」 言われた通り、スマートフォンを取り出し、メッセージアプリを起動。 …両親からすごい数のメッセージが入っている その内容は全て「綴が居なくなった」「そっち、デジタルワールドに迷い込んでいないのか」「見守りアプリに反応がない」だ。 綴は今日こんな服を着ていたと添付された写真と、人質にされた綴の服装が一致している。 「見ての通りだ、お前の両親には何もしていない、今頃居なくなった子供を探している所だろう」 なんでこいつはいちいち私の神経を逆撫でするような言葉を吐くのか。 人質を取って脅しをしたいなら与えるべきは恐怖であって怒りじゃないだろう。 まぁいい、人質が本物である可能性が非常に高い、ということは最優先は綴の奪還、この男をどうするかはその後だ。 「そろそろ答えを聞かせてもらおうか」 男が両腕に力を込める、早く決めろ、そう言っていのだろう。 「…」 私はデジヴァイスの画面を見る。 …画面に表示されるオグドモンと目が合った。 ─小娘。 「なに?」 オグドモンが心底愉快そうな声で言う。 ─さて、オロチモンは何処に行ったのだろうな? 「っ!」 その手があったか。 「どうした、早くデジヴァイスを渡せ」 男が急かしてくる 「…今行くよ、直接手渡すから、そのまま綴と交換しろ」 「いいだろう、こちらに来い」 一歩ずつ、ゆっくりと男に近づいていく。 男はナイフを首筋に突きつけたまま微動だにしない。 まだだ、まだ隙がない。 「デジヴァイスを前に突き出せ、私が受け取り次第この子供は離してやる」 「分かった」 距離は十分近づいた、男はデジヴァイスを受け取るために綴の首元からナイフを離す。 今だ。 「オロチモンッ!!」 「何、ぐっ…」 男の背後から忍び寄っていたオロチモンが、男の腕に巻き付き締め上げる。 そのオロチモンを引き剥がすために、男は反射的に綴から腕を離す。 「しまっ…」 「ルーチェモン!」 その隙を突きデジヴァイスから飛び出したルーチェモンが綴の身を確保する。 「綴を連れて家に戻って!そのまま綴の警護を!」 「分かった!」 ルーチェモンが羽を広げ飛び去っていく。 「やってくれたな」 「これでお前の優位性は消えた、で?後はどうする気?」 「勿論」 男の影が先程より更に大きく膨らむ、いや、今度は膨らむだけではない。 影の中に、無数の『眼』が開いていく。 ─アイズモン 成熟期 ウイルス種 魔竜型 「力づくで持って行く」 男の影から、眼が次々に飛び出してくる。 この男の影、ただの影ではないと思っていたが、まさかデジモンだったとは。 アイズモン達は瞬く間に増殖し、私達の周囲全てを覆い尽くしていく。 『黒』と『眼』で出来たドームとでも言おうか。 「これで逃げ場はないぞ」 「それはこっちの台詞なんだけど」 「…バルバモン!リリスモン!ベルゼブモン!ベルフェモン!スカルサタモン!」 私は残りの七大魔王達全員を呼び出す。 「皆」 私は皆を一瞥し、告げる 「全力でお願い」 七大魔王達は皆ニタリ、と口角を釣り上げた。 ─ 『ベレンヘーナ!』 『パンデモニウムロスト!』 先陣を切ったのはバルバモンとベルゼブモンの二人、ショットガンの散弾と超高温の熱波がアイズモンを消し去る。 しかし向こうの数が圧倒的に多い、空けた包囲の穴をすぐに埋められる。 「ドコ撃っても当たるのはいいがよ!ちっとも減らねぇなぁ!」 「いかな成熟期とはいえここまで数が集まると簡単にはいかんの」 『ナザルブレス!』 リリスモンが腐食の力を込めた息を放つ、それに当たったアイズモンがドロドロに溶けていくが、やはりアイズモンの増殖の勢いのほうが強い 「もー!本当ならこんな連中一瞬で溶かしてやれのにぃー!」 『ネイルボーン』 スカルサタモンが杖をブーメランのようにアイズモン達に投げつける、杖の先から放たれる光に当たったアイズモンはアイズモン同士で体当たりし合い、同士討ちしてゆく。 「デジモンのデータに異常を発生させる」とはこういうことか。 あとはオロチモンだが…地面に落ちたアイズモンを丸呑みしている。 「…」 「…」 さて、七大魔王達は皆一様に頑張ってくれている。 そんな中私はアイズモンを操るこの男と、ただ黙って睨み合いをしている訳には行かない。 何より綴を誘拐したコイツを許すつもりは無い。 ご親切にも周囲からはアイズモン達で作られたドームで視線が遮られている、ためらう理由も無い。 コイツを直接攻撃しよう。 「オグドモン」 ─何だ 「何かこう、武器とか出せない?」 ─……可能だ。 あるんだ、言ってみるものだ。 ─私の脚には剣(つるぎ)が突き刺さっているのは知っているだろう。 思い当たるのは、オグドモンが描かれたカードゲームと、あの遺跡の奥で見た壁画だ。 「うん、カードと壁画にも描かれてたね」 ─それを引き抜け。 「ええと、どうやって?」 ─その辺りの好きな場所から、お前が今胸に抱く感情を形にしろ、そうすれば適した剣がお前の手に現れる。 「…空間から剣を引き抜くような感じかな」 ─ああ、それが最も近い。 私が今胸に抱いている感情か。 そんなものは一つだ、コイツは絶対に許さない。 つまりは『怒り』だ。 ─ (む、) この感覚は。 この姿に、我の本来の姿である「デーモン」から「スカルサタモン」へと身を窶して以来の久しい感覚がじわり、と滲み出してくる。 これの出所は何処か、主である七津真だ。 本来であれば、我がニンゲンなどを主とするなど絶対に有り得ないことではある、が、事実として現在そう「契約」されているのだから仕方がない。 悪魔型デジモンの中でも最も「悪魔」という定義に近い我はその『形式』から逃れることは出来ない。 さて、件の主であるが、今まで彼女から「怒り」というものを強く感じたことはない。 日常における些細な苛立ちなどは露ほども我の力にはならない。 自らに敵意を、悪意を向けるものが居ても、それは最後にはベルゼブモンに「食わせる」ための戦いへと変わり、怒りは生み出されない。 「ちょっと〜!『憤怒』サァン!ボーっと突っ立ってないで戦いなさいよ!そういうのは『怠惰』の役目でしょ!」 リリスモンが喧しいが今はそれどころでない。 その主から今、確実に『怒り』が流れ込んで来ている。 今なら、今であれば我の本来の力を取り戻せるやもしれん。 ─ 私のほんの少しだけ後ろ、なにもない空間に拳を置く、指を少しだけ開いて、「何か」を掴むような形で。 すぅ、と再び深く息を吸い込む。 コイツをどうしたいか、か。 コイツは今日という日、綴の誕生日を台無しにした。 本来なら私は今頃家族3人に合流し、皆を驚かせた上で楽しく綴の誕生日を祝っていたははずだ。 それをコイツがぶち壊しにした、綴は拐われ、両親は綴を必死に探し回っている。 ふざけるな、コイツは生かして返さない。 そう強く思った瞬間、手の中に何かが触れる感触があった。 だがまだ弱い、とてもこれを「剣」とは思えない。 足りない、もっと強く。 ─スカルサタモン 殺してやる。 次に思い付いた言葉を胸の中で口にする。 それに応えるように手の中の感触がよりはっきりと「剣」に変わっていき、重さを感じ始める。 でも剣として引き抜くにはまだ足りない。 「これ」に相応しいのはもっと余分なものを削ぎ落とした言葉だ。 ─憤怒進化(ラースエボリューション) 手の中に感じていた重みが、完全な実体を持つ剣へと変わる。 そして空間から剣を引き抜きながら、宣言するように口にする 「殺す」 ─デーモン 究極体 ウイルス種 七大魔王 ─ 「オォォォォォォォォォォ!!!『フレイムインフェルノ』!!!!!!」 鬱陶しく飛び回るアイズモンが消し炭に変わってゆく、愉快だ。 「うっるさ!何よいきなり!」 「いいねぇ!派手にやるじゃねぇの!」 「目覚めたならば丁度良い、デーモンよ、合わせろ」 「承知」 『パンデモニウムロスト!』 『フレイムインフェルノ!』 二重の熱波がアイズモン共をかき消してゆく。 的はいくらでも湧いて出てくる、久々に暴れさせて貰うとしよう。 ─ 「シッ!」 「ぐっ…こいつ!」 怒りに任せて剣を振り回す、勿論剣術の型なんてものはない。 しかしデタラメに振り回しているのにも関わらず、剣先は確実にコイツを捉えている。 …まるで怒りに任せ振り回すことこそが、正しい使い方とでも言うように。 ─その剣は。 ─本来私が持つ物の一割にも満たない劣化版も良いところだ、しかし… ─小娘が振り回す玩具としては十分だろう? オグドモンが誰に聞かせるでもなく語りだす。 「ナイフは先ほどお前に叩き落された、こちらは丸腰だというのに、随分と躊躇わずに切りつけてくるのだな」 今更ゴチャゴチャ煩い、先に人質なんて取ったのはお前だろうが 「フッ!」 「聞く耳持たずか、厄介な」 先程から剣筋は確かにコイツを捉えてはいるものの、すんでのところで全て躱されている。 まだ一手足りないか。 なら 「らぁっ!」 横薙ぎの一閃を避けるために男が大きく後ろに避ける。 そのまま斬撃を繰り返し、男をある地点へ誘導していく。 「ふん…本当に子供が玩具を振り回しているようにしか見えんな」 それでいい、そのまま避け続けろ。 「何度繰り返しても当たらないぞ」 後ろに避け続ける男が、最後の一手を「踏みつける」 「ぐっ!何だ!脚が!」 先程呼び出して放置していたベルフェモンに男が躓く。 ここまで誘導した甲斐があった。 「取った」 体勢を崩し後ろに大きく転んでゆく男をついに切先が捉える。 頭から股にかけての縦の両断。 剣は男の体を何の抵抗もなく進み、男を真っ二つに切り裂く。 ……おかしい。 何故なんの抵抗感も無い?別に生き物を縦に真っ二つに切った経験など無いが、それでもこれは異常と分かる。 人の体には肉と骨がある以上、どうやっても切った感触が柔らかい部分と硬い部分があるはずだ。 しかし今感じた手応えには一切変化がなく、一定の感触で剣が通っていった。 何より 「…血が出ない」 男の切断面からは本来流れるべき赤い血が一切出ていない。 代わりに「アイズモン達と同じ」黒が覗いている。 そしてその中心、人であれば本来心臓があるべき場所には。 「これは…デジコア?」 両断され、消滅しかかったデジコアがあった。 つまりコイツ、いやコイツ等はアイズモンとそれを操る人間、ではなく 始めからアイズモンとその分裂体の集合体だった、ということか。 「あ、」 「ガァァァァァァァァァアァァァ!!!???」 自分が切られたことにようやく気がついたのか、男、いやアイズモンが断末魔を上げる。 それに合わせて、周辺を覆い尽くしていたアイズモンの分裂体たちも次々に消滅していく。 どうやらコイツが本体だったらしい。 程なくしてアイズモンは完全消滅し、周囲に漂うデータの残滓が形を取り始める。 何になろうとしているか、デジタマだ。 ……いや駄目だ。 「デーモン!」 私は振り返り、いつの間にか覚醒していたらしいデーモンに指示する。 デーモンは言葉なく頷き、データの残滓に向けて炎を放つ。 『フレイムインフェルノ』 …デジモンはその生を終えると、デジタマへと還り、再び幼年期へと産まれ直す。 これがデジモンの一生とその次の生だ。 しかし七大魔王達はこの輪廻の輪を止めることが出来る。 本来デジタマに還るデータを分解し、自身の力へと変える、七大魔王達にはそれが出来る力がある。 デーモンの炎で、デジタマへと還ろうとしていたデータが分解されデーモンへと吸収されていく。 こいつをデジタマになど還してたまるか。 『デジモンイレイザー』などと大層な名を名乗る者の正体がただのアイズモンなんて事はないだろう。 このアイズモンを操っていた者がいると仮定して、データを渡さない意味でもデジタマは残しておけない。 「……終わったかな」 残滓を全て吸収し終わり、周囲に静寂が戻る。 ─ 「ふぅ…」 私は剣を地面に突き立て、改めて剣を見渡してみる。 先端部が丸みを帯びた出刃包丁のような形の大剣、但し私が持って振り回せるサイズなので、大剣と言ってもそこまで大きくはないが。 私の身長より少し大きい、ぐらいだろうか。 …140cmちょっと、数字にすると対して大きくなさそうに見えてしまう。 この大きさの剣を私の体格で軽々と振り回せるのはオグドモンなりの心気遣いだろうか。 柄の先からは七大魔王の紋章の一つ、『憤怒』を司るデーモンの紋章が浮かび上がる。 これに実体はなく、剣を手に持つことで腕をすり抜けた紋章が腕輪のように見える。 そして刀身にはデジ文字で『ira』という文字が刻まれている、この剣の銘だろうか。 「ねぇオグドモン」 ─何だ 「この剣、名前はあるの?」 ─無い、ソレは私の身体の一部のようなものだ、お前は手や指に一本一本固有の名を付けたりはしないだろう。 「じゃあ刀身に刻んである『ira』って文字は?」 ─……知らん、何だそれは、私の持つ物には銘など刻まれていない。 持ち主すら知らないと来た。 ─有り得るとすれば、お前が手にすることで変異した、くらいだ。 「そっか、剣を引き抜いたときには夢中で見てなかったや」 「じゃあこの剣の名前は私が勝手に決めちゃうけどいい?」 ─知らん、好きにしろ。 「ありがと、なら刻まれている通りにこの剣の名前は『ira』だ」 ira、ラテン語で「怒り」を意味する言葉。 憤怒を司るデーモンの剣としては最適だろう。 「さて、と」 私は来た道を振り返る。 「そろそろ家に帰ろうか」 ─ 「すぅ…」 可愛らしい寝息を立てる綴の頭を撫でる。 あの後ルーチェモンと合流し、両親に綴の無事を連絡。 その後は目を覚ました綴と帰ってきた両親達とで予定通り綴の6歳の誕生日会を開いた。 裏で両親にはしこたま怒られた、デジタルワールドへと行って以降、写真付きで定期的に近況報告はしているとはいえ急にいなくなったのだから当然だ。 まぁ必要経費だろう。 私だって久々に直接両親の顔を見れたのは嬉しかったし。 そして目を覚ました綴は何も覚えていなかった、…拐われていた記憶など、覚えていないほうが良い。 その後疲れて眠りについた綴を私の部屋の二段ベッドの下に寝かせ、今に至る。 「…そろそろかな」 ─ああ、そうだ、もう帰る時間だ。 家に帰って以降一言も発さなかったオグドモンが、終わりの時を告げる。 「オグドモン」 ─何だ 「ありがとうね」 ─何の話だ。 「今日は君が還してくれたおかげで綴を守れたし、誕生日もちゃんと祝ってあげられたから」 ─お前は契約通りにデーモンの力を開放してみせた。 ─交わした契約の履行、これはそれ以上でも以下でもない。 「…そっか」 もしかして照れ隠しだろうか。 ─また下らないことを考えている顔だな。 「どうだろうね?」 そのまま私は、眠る綴の横にベルフェモンを寝かせる。 ─それは何のつもりだ。 「悪いけど、綴が狙われた以上このまま放置しては戻れない、護衛としてベルフェモンを置いていくよ」 あのデジモンイレイザーとかいう男が一度で諦めるとは考えられない。 ─何を勝手に 「それに」 オグドモンの言葉を遮り、私は続ける 「その気になったらオグドモンはいつでもベルフェモンを呼び戻せる、違う?」 ─…… 短い沈黙 ─良いだろう、下らんことでいちいち帰るなどと言われては面倒だ 「うん、ありがとうね、オグドモン」 ─部屋の空いている場所にデジヴァイスを向けろ、ゲートを開く。 「分かった、…デジタルゲート、オープン」 ─…なんだそれは。 「せっかく2つの世界を繋ぐ道を開くんだし、掛け声くらい欲しいから」 ─下らん。 また一蹴されてしまった。 来た時と同じく、空間に亀裂が走り、裂け目へと変わる。 最後に確認したが忘れ物はない、書き置きは内容を「行ってきます」に変えたものを置いてきた。 あとは 「綴、行ってきます…愛してる」 すやすやと眠る綴の頬に口づけをし、離れる。 「よし、行こう」 「マコトよ」 足を踏み出そうとした瞬間、後ろから突如名前を呼ばれる。 「…びっくりした、チョコモンか」 綴のお気に入りのリュックサックから、パートナーのチョコモンが顔を出していた。 自らの足で歩くことを何よりも嫌うチョコモンは、こうして常に綴のリュックサックに入って移動している。 「もう行くのか」 「うん、まだ向こうでやることがあるから」 「…目を覚ました時姉が居なければ、綴はまた悲しむぞ」 「それは…」 そこを突かれると非常に苦しい、私だって綴の悲しむところなど見たくはない。 だが 「だとしても、それは私が足を止める理由にはならない」 「私は綴のことを心から愛している、けど同じくらいデジタルワールドに残された謎だって解き明かしたいし、まだまだ向こうを旅して回りたい」 そしてオグドモンだって私の大事なパートナーだ、放り出すつもりはない。 「私はどれ一つだって諦めるつもりはない、だって私は『強欲』らしいから」 「そうか…」 チョコモンは数秒だけ考える様子を見せ、私に告げる 「ならば征け、己の果たすべきことを果たすが良い」 相変わらず、幼年期のデジモンとは思えない不遜な態度だ。 「案ずるな、綴はわれが守る」 「うん、ベルフェモンと一緒に宜しくね」 「…ベルフェモンとな?」 チョコモンは綴の横に眠るベルフェモンにようやく気がついたようだ。 「じゃあ、行ってます」 「おい、待て、われはこれからこの山羊モドキと共に寝食を共にするのか、待て!」 今度こそ私は、デジタルゲートへと飛び込んだ。