その後ろ姿が目に入ったのは偶然なのかそれとも。 (来たる水中戦に備えるために)泳ぎの練習に行くと伝えた時、プールには行かないと頑なだった彼女。 だが、垣間見えた後ろ姿はその彼女に似ていた。 (確か来ないと言っていたはず。…誰だ?) なぜそう一人問うたのかはわからない。けれど、目の前にいる華奢な後ろ姿は、よく似ていたけれど自分の知る彼女とは明らかに違っていたから。 「……?」  気配を察したのか、いつもと違う髪型を小さく振って振り向く彼女。今にも駆け寄ろうとしている自分に気づいた彼女は、思わずといった様子で声を発した。 「み、三上、くん……?」 「え……」 よく知る彼女がかつて呼んでいた呼び名だった。思わず動揺した。目の前にいる彼女は顔こそ同じだが良く知る彼女とは違って、でもかつての呼び名で自分を呼ぶ。 混乱する一方だった。彼女は何者で、何故自分を知るのか。  彼女になんと声をかけたら良いのかわからない。だって彼女は自分の知る人物ではないから。けれども見間違いようのないその悲しく歪められた表情は紛れもなく彼女で、思わず呼んでしまった。 「……魚澄さん……?」 「……ッ」  気付けば駆け出していた。逃げ出した彼女に釣られるように、彼女───真菜を追った。なんとか逃げ場所、隠れ場所を探している様子の真菜だが、開けた場所であるプールでは見失いようがない。  兄ほどではないが、そこまで遅くもない自分の足に感謝した。思えば足の速さについて他愛もない話を真菜とした記憶がある。戦いや険しい冒険に忙殺されて埋もれていた記憶が頭をもたげてきた。紛れもなく、彼女との記憶だ。 プールサイドを走らないでくださいという声が聞こえて来る。しかしそれを振り切るように自分は走った。 やがて真菜は足を縺れさせ、転びそうになった。考えている暇は無かった。自慢にもならないそれなりに大きな手で彼女の左腕を掴む。 「うあ……」 真菜の唇からまろびでた、その声は握った痛みからだろうか。普段の自分ならば咄嗟に手を離しただろう。けれど、真実を知らなければならない。それが使命感のように心に突き刺さり、楔となって握る力を強めた。 「魚澄さん、どうして」  自分はこの通り口下手で不器用だから、そんなありきたりな言葉しか吐けなかった。けれど、自分の知る彼女なら、それでも受け取ってくれるかもしれない。これは賭けだった。彼女が彼女か、そうでないかを見極めるための。 「……それだけじゃ、何聞きたいのか。私にしかわかんないよ」  ぽつりと呟かれたその言葉は、賭けが当たったことを表していた。 「変なとこまで、そっくり」 見知らぬデジモンがそう声をかけるまで、自分も、彼女も硬直したままだった。紛れもなく、真菜だった。 「……ごめん、三上くん。逃げちゃって。その、私……」 バツが悪そうに言う彼女。こういう時にかける言葉を自分は知らない。だからありきたりな言葉しかかけられない。けれど思いだけは届けたかった。 「大丈夫」  何かを言おうとした彼女は、そのまま口を噤んだ。目は口ほどに物を言う。自分の目は厳ついが、自分の思いを伝えるくらいの機能は果たしてくれるだろう。 「ゆっくりで大丈夫だ」 「……」 何かのっぴきならない事情があることはわかる。けれどもここに来た理由と意味はあるはずだ。それを聞き出せるのなら、自分はいつまでだって待つ。そう決めた。 「何から、話したらいいか……」 言葉を出しあぐねる彼女を堪りかねて遮ったのはあの見知らぬデジモン。 「……あのね、リョーマくん。あ、わたしレキスモン。この子の臨時パートナーみたいなものだと思って。本題に戻るけど、わたしたち未来から来たの」 「ちょっとレキスモン!?」 「もう話しちゃったほうがいいでしょ。いろいろあって一時的にこっちにいるの、それでの時間の真菜と絶対会わないようにプールにいたの」 「……本当?」  全てを伝えてくれたわけではないことは雰囲気で察した。けれど、自分に伝えるべきことは伝えてくれた。このレキスモンなるデジモンはなかなか話が早く、無駄がない。好ましく思う。 「本当だよ。未来から来たの、私。ほら、背もちょっと伸びたんだよ」 少しだけおどける真菜は、そうやって背を誇る。…どこが?自分には変わらず華奢で小柄な彼女に見える。けれど、事情を聞く限り未来から来たのは間違いないのだろう。彼女は俺のまだ知らない先から来たのだ。変わらないはずなのに変わったようで、大人びたように見える。 まるで自分だけ取り残されたような。 「まあ、そういうわけだから、よかったら他言無用、見なかったことにしておいてくれる?」 ぐるぐると渦巻く感情を振り切るように、レキスモンの言葉を受けて思考も詮索も打ち切ることにした。 「……わかった。魚澄さんも、それでいい?」 「あっ……うん」  もしかして自分はデジモンとの方が話がしやすいのか?あるいはこのレキスモンが話が早いだけとも考え得る。 「それじゃあ、俺もあんまり長居はしないほうが良さそうだから」 事情がある以上、自分と長くいるのは良くないだろう。話が本当なら、自分が知る彼女はやはりここにはいないのだろう。ここにいたのは知らない人。ちょっとだけ未来から来た、ちょっとだけ大人な。やはり自分が置いていかれた気がする。 「うん、……じゃあね」  彼女を解放するのが一番なはずだけど。ひと足先に大人になられたようでなんだか悔しかったから。 「……あ。その髪型、似合ってるよ」 「~~~~~~」 少しだけ柄にもなく意地悪をしてみた。 (完)