※太線(━━━━━━━━━)は語り手の変わる場面転換、細線(─────────)は語り手の変わらない場面転換を表しています。 「あっついなぁテチス…」 「今日は最高気温38℃になるそうですよ、北条先生。」 「いくら夏だからって…勘弁してほしいよほんとー…」 今日は休診の日。いつもより少し遅く起きた先生は、暑さに不満たらたらの様子だった。休みの日の先生は仕事中よりも気が抜けていて、そんなところも…私は好きだ。 「私は暑い日、そんなに嫌いじゃないです。」 「えぇー…変わってんねー…」 そう。今日みたいに蒸し暑い日は、過ごしにくいけど好きだ。 貴方に出会った日を思い出せるから。 ────────────────── 「待てやコラァ!!!」 「追いかけてくんなこの燃えカス野郎!ビビサンダー!」 「んだとコラ!」 背後から火の玉が飛んでくる。ウチはそれを華麗に避け、相手の懐に潜り込んで強力な一撃をお見舞いする。 「ボルトナックル!!!」 渾身の一撃は、あっさりと受け止められた。 「テメエみてえなガキの攻撃が効くと思ってんのか…?」 燃え盛る腕でウチの足はがしりと掴まれ、逆さに持ち上げられた。もがいても全く力は緩まらない。熱い…体が焼ける…! 「ワシのシマ荒らしてタダで済むと思っとんのか?今のうちに謝るんやったら命だけは助けてやってもええで。」 「メラ…モン…!オマエの炎…!全然…熱くないな!そろそろ燃え尽きて消えて無くなるんじゃないか?この…おいぼれの燃えカス!!」 「はぁ…聞き分けの悪いガキやな…燃えカスになるのはお前や!エクスラディケート!!!」 メラモンの炎がまるで巨大な龍のように燃え上がる。炎は空気を食い、ウチの体を焼き尽くす。悲鳴を上げることすら、できなかった。 ───────── ───────ぅ…あれ…まだ…生きてんの…ウチ… ラッキー!と、素直に喜べる状況でもなかった。 全身はヒリヒリと痛いし、メラモンに掴まれていた足は全く感覚がない。 喉が渇いた。水がのみたい。痛む体を無理やり引きずって、少しずつ動き出す。あいにく、近くに川は見当たらなかった。 意識が薄れていく。ウチ…死ぬのかな… その時だ。さっきは何も聞こえなかった方から、水の流れる音が聞こえた。 その方を見ると、ガラスの破片が宙に舞っているかのような見た目の光があった。ウチはそれに向かって這いずって行った。 その光を抜けると、目の前に噴水があった。 ここ…どこだろ…でも…どうでもいいや… 私はその噴水の中に落ちた。もう立っていることすら辛かったからだ。 ━━━━━━━━━ 「あー…あっちぃ…早く帰って寝てぇ…」 当直の勤務を終えた俺は、新しく建てた病院兼自宅へと帰っていた。 独立を目前に控え、もう少しで有給消化。開業まで少しの間、ゆっくりと休める。こんな体に悪い当直からももう少しで解放される。 しかしこんなにも蒸し暑いと解放感も台無しだ。さっさと帰ろうと、俺は近道の公園を通ることにした。 噴水が特徴的だが、他に目立った遊具もない公園。いつもなら気にも留めることのない噴水が、今日は妙に気になった。 「ん…?」 水に何か浮いている。ビニール袋かと思ったが違う。これは…クラゲ?いやそれも違う。これは…! 「人!?」 5歳程度の背丈の子供のような姿をした、クラゲのような何かが水に浮いていた。UMA?いや、それともこれがデジモンとか言うやつか…? よく見ると、それは全身に水ぶくれができていた。熱傷。Ⅱ度以上だろう。 足に至っては黒くなっている。Ⅲ度の熱傷。重症だ。今すぐにでも治療の必要がある。 救急車!…を呼んだところでこんな謎の生き物を乗せてはくれないだろう。かと言って放っておくのも、俺の医者としての心が許さなかった。 俺はそれを掬い上げ、急いで自分の病院へと連れていくことにした。 ───────── 病院へと走りながら、俺はユウに電話をかけた。 「はいこちら神月「おいユウ!今すぐ俺のとこに来い!」 「なんだいこんな時間にいきなり…僕は研究で忙しいんだが…」 電話口から、ユウの気だるげな声が聞こえてくる。 「お前がこの前言ってたやつ!デジモンで合ってるか!」 「君も興味があるのかい?話だったらいくらでもするが…」 「多分そのデジモンを拾った!」 「なんだって!?どんな見た目だ!」 「子供ぐらいの姿でー…クラゲみたいな見た目だ!重度の熱傷を負ってる!お前なら助けられないか!」 「ふーむ…データベースにないデジモンだね…興味深い。機材を持って君のところに行こう。少し待っていたまえ」 とりあえずユウの協力を取り付けることはできた。いつも俺のことを振り回しているのだ。これぐらいはしてもらわないと困る。 ───────── 診察室のベッドにその謎の生物──────デジモンを寝かせる。熱傷はまず流水で冷却することが一番重要だ。幸い噴水に浮いていたおかげで、冷やされはしていたみたいだ。 明らかにⅡ度熱傷が全身の15%を超している。入院治療を必要とするものだ。 感染症対策を考えると抗生剤を投与したいが、そもそもデジモンに効くのかもわからない。一体俺はどうすればいいんだ…! 「エル!新種のデジモンってのはどこだ!」 神月がパソコンやら巨大なカプセルやらを、目元の隠れた男に持たせてやってきた。 「ユウ…と…どちら様?」 「私ですか?神月さんの助手です。お気になさらず。」 「まあまあ、彼に正体を隠す必要もないだろう。」 「そうですか?では失礼して…」 彼はそう言うと背中から3対の翼を生やした。それが体を包んだかと思うと次の瞬間、彼は純白の衣を纏った天使へと変貌した。 「彼はエンジェモン。僕の助手だよ。」 「デジモンってのも…色々いるんだな…」 目の前の光景に圧倒され、俺はその程度の感想を漏らすことしかできなかった。 ───────── 「ふむ…やはり私のデータにないデジモンだな…」 患者をカプセルに入れ、解析しているユウ。 「それで…助かるのか?」 「わからん。体を構成しているデータの20%近くが破損してエラーを起こしている。…まあやるだけはやってみるさ。」 「そうか…」 「とりあえず名前がいるな。いつまでもアレとかソレとかじゃ呼びにくいしな…なんか案ないかエル?」 「そうだな…」 俺は机に積んであった本を手に取る。タイトルは『消えた海』テチス海という太古の昔に存在した海についての本だ。 「テチスなんてどうだ?その子クラゲっぽいし」 「テチスくんか…まあいいだろう。とりあえずデータ修復のプログラムを組んでみよう。君も手伝いたまえ。」 「えっ…俺はプログラミング…HTMLぐらいしかできないぞ…?」 「そうじゃない。デジモンは生命体だ。普通に薬を使った治療も試してみる価値はある。そっちは君の領分だろう?」 「なるほどな…この病院で俺が最初に治療する患者がデジモンだとは…まぁ、やってやるか」 ━━━━━━━━━ ん……あれ…ウチ…どうなったんだろ… 薄く目を開けると、ウチのことをエンジェモンが覗き込んでいた。 ああ…やっぱウチ…死んだんだな… なんだかとても眠い。ウチはその欲求に従った。 ───────── また目が覚めた。体が軽い。 「神月さん、北条さん。彼女が目を覚ましたようです。」 エンジェモンが誰かを呼びに行った。 「本当か!?」 あれって…人間…?ウチ…死んだんじゃ無かったんだ… 「えっと…あんた人間だよね?ここどこ?」 「ここは俺の病院だ。気分はどう?テチス」 癖毛の白衣を着た男。コイツが助けてくれたのかな? 「えっと…大丈夫。ちょっと火傷痛いけど…テチスって何?」 「あー…君の名前わからなかったから…勝手に付けちゃった。本当は何て言うの?」 名前…名前かぁ… ウチらデジモンに固有の名前というモノはない。みんな種類の名前で呼び合う。 ウチはジェリーモン。ウチじゃないジェリーモンもジェリーモン。それが普通だったし、不満もなかった。 テチス。ウチだけに付けられた、名前というモノ。それはなんだか、とても愛おしかった。 …テチスでいい!それより…ここどこ?」 「それについては私がご説明いたします。」 エンジェモンが何やら紙を持ってきていた。 「まず、ここはデジタルワールドではありません。リアルワールドです。」 リアル…ウチ…いつの間にか人間の世界に来てたんだ。 「で?」 「今私たちが持っている技術では自由にゲートを開くことはできません…なので…そのー…」 「なに?はやく言いなよ」 「えっとですね…あなたはデジタルワールドには帰ることが…できないんです…」 気まずそうにエンジェモンが話した内容は、ウチにとってはさほどショックでも無かった。 あんなところ、帰れなくても困らない。 「そっかぁ…ねえ、そこの人間。名前なに?」 「俺?」 「そう、アンタ。」 「北条だけど…」 「ホージョーせんせー、アイツのいう通りウチもう帰れなくて行くとこないからさ、ここに住まわしてよ。」 「えぇー…」 「もちろんタダとは言わないよ。ウチもここで働く!」 ────────────────── あれから、随分と色々なことがあった。 淑やかでない言葉使いは相応しくないと言われた私は、必死に丁寧な話し方を学んだ。 それだけじゃない。北条先生のところにあった本は全て読んで、知識をつけた。時間はかかったけど。 その必死な姿に根負けしたのか、先生は私のことを少しずつ認めてくれた。私はこの病院の看護師になったのだ。 私の治療のため用意された器具は何故かそのまま放置されていた。そのためか、デジモンがたまに運び込まれるようになった。 設備は段々と充実していき、病院の地下へと移された。デジモン科がこの病院に誕生したのだ。 そして私は段々と進化していった。もっと先生の役に立ちたい。その想いが、私を完全体にまで昇華させた。 「…どうしたのテチス?俺の顔見てボーッとして。」 「えっ!?あ…なんでもないです北条先生!」 「まあ暑いしねぇ…座りなよテチス」 そう言って、彼は自分の隣に座るよう促してきた。 「あ…ありがとう…ございます」 あの時貴方に助けられて良かった。 この世界に来て良かった。 私はテチス。私は…幸せだ。