「だーっ!流石に疲れたなぁー」 「いやーサーフィンも泳ぐのもめちゃくちゃ楽しいなークロウ。屋台のご飯も美味しー!」 サーフボードと共に引き上げたプールサイドの一角、小さな丸テーブルを囲い手を合わせて料理に舌鼓を打つ鉄塚クロウとルドモン 朝イチから乗りに乗った造波プールハイエボリューションの大波、先程までいたそこには未だ他の客たちも楽しそうに戯れていた。……意外や意外、レジャーなどに勤しんだことの無かった自信にあったサーフィンの才能 修行の最中に偶然見出した『ルドモンの進化体の盾モードをボードとして用いた変則機動格闘戦』の感覚をモノにするべく立ち寄った新装開店レジャープール《マリンパークエーギル》においてそれは着実に開花していった 人間が使いこなすには難しい凍結・感電…それぞれの理由から持て余しぎみだったティアルドモン・ライジルドモンの盾モードの新たな開拓とともに、釣りの他にもう一つの趣味としても手応えがあり、鉄塚クロウが満足げに露店で買った焼きビーフンを頬張る 「うっま!どうだズバモン、うまいか?」 「すみませんボクまでご馳走様になっちゃって…」 その右隣、見慣れぬ黒金の刃物を頭頂部に携えた絢爛なデジモンが丁寧な口調でお辞儀をする 「まぁ相変わらず影太郎のヤツはムカつくが『迷子』のお前ほっとく訳にはいかねぇしなぁ」 「そーいうこった、クロウのおごりだズバモンもたくさん食え食えっ」 「うん!」 このレジャープールは造波プールを含め多数の区画が存在。しかも人間、さらにはデジモンに向けても作られている都合それぞれの施設が非常に大型であり広大……即ち、めちゃくちゃ迷う 秋月影太郎(※クロウとめちゃくちゃ仲が悪い因縁の相手である)のパートナーであるズバモン亜種もまたその被害者であり、迎えを待つがてら絶賛餌付けされている 戦いを忘れて全力で遊び倒す、なんと心地よい時間なのだろうか …が、 「ねぇ次あっちいこうよー」「ははっそんな慌てなくてもプールは逃げないぞー」 ふとプールサイドを横切る軟派な声色。知り合いのテイマーでは無いようだが…どこかから来た選ばれし子供なのだろうか。自分よりずっと歳下に見える男女が腕を組みはしゃいでいった 「リア充だ…」 「ハヤノもセツナもあんな風にはしゃいでたなー」 「仲良くて羨ましいこった」 「"ツユホ"がいれば良かったのになークロウ?」 ルドモンが口にしたその名前にコーラを咽せた ───大神露穂。DWの旅を開始してまもなく行き倒れたクロウを介抱してくれた命の恩人の女性 過酷な半生と復讐の旅を歩む中で、おおよそ戦いとは程遠い彼女の『普通の優しさ』に心支えられた事も多かったからこそ……惹かれるようになったのは必然だったのかもしれない 「スマホで誘えば良かったじゃねーか、一緒に遊ぼうぜーってさ」 「む、無茶言うなよ…そんな都合よく会えねえ人だってお前も知ってて言ってんだろ」 しかし彼女は自分たちのパーティとは別の目的をもって旅をしており、最近までお互い満足な連絡手段を持たない中で偶然に任せた数度の再会があったくらいだ。DWのどこにいるかもわからない相手を唐突に呼び出すのは迷惑ではないかと気が乗らなかったのだ 「勇太に見せてもらったヒーロー番組で言ってたぜ?『1度目偶然・2度奇跡・3度目必然・4運命』───クロウオマエもっとツユホに会ってるだろ!」 「なんつーキザなセリフだ!でもソレ言えんのかっけえな…けどなぁー!」 「…? あっ…───」 「んじゃ聞くぞクロウ!オマエはツユホに会いたくねぇーのかよー?」 「ッ!?」 「クロウさん、影太郎もそうだけど自分のキモチは正直に言ったほうがいいですっ!」 「ズバモン!? うぐぐ……」 頭を抱えたままテーブルに突っ伏してから、瞼に浮かんだ面影はあっという間に心の蟠りを溶かしてしまい、答えはすんなりと口を注いで出た 「───露穂さん、会いてえな……」 「だーれだっ」 「「「!?」」」 その時、ルドモン・ズバモン・そしてクロウにも気づかれぬまま忍び寄っていた気配が指先を伸ばし彼の頭を撫でていた 「その声はまさか、露穂姉さ───……!!?」 彼女の名を呼び振り返った瞬間、クロウの脳天をまさに"轟雷"が貫いた 「やっほー鉄塚くん。お姉さんがキミに会いに来ちゃったよ」 顔の横で小さく手を振り、大神露穂が笑った 「ツユホー久しぶり!」 「ルドモンくん元気ー?あれっその隣のキミは秋月さんの…?」 「お久しぶりです大神さん、あれからお鍋は大丈夫ですか」 「うんっおかげさまで。もしかしてルドモンくんとズバモンくんはお友達だったんだ?」 露穂の口から天敵の影太郎の名を出されても無反応なクロウは、先ほどから椅子から立ち上がって固まったまま露穂を見つめている 「……」 「て、鉄塚くん?」 「………か、か………かわいっ…」 つまり完全に見惚れていた証左である 誤魔化しきれないほどに照れ切った顔でようやく感嘆を絞り出した彼の精一杯な姿と言葉 ほわほわと胸の中が温かい気持ちに満たされて露穂がさらに嬉しそうに笑みを浮かべる 「ふふ、声ちっちゃーい!新しい水着似合ってるかな…どう?ちゃーんと見てほしいな」 自慢げに一歩前に出て迫った彼女の美貌に直視できなくなり逸らした目線の先に、彼女がくいと身体を回り込ませて上目遣いに覗き込むと観念したように彼が細い声で肯いた 「め……めちゃくちゃ似合ってます。すげー…すげー綺麗っす」 「ありがとっ。鉄塚くんは…今日はサーファーさんなのかなーかっこいいね」 「おう、クロウのやつすげー上手かったぜ。ツユホもサーフィンできるのか?」 「あぇっわ、私?私はその…」 ルドモンがふと彼女の脚元を見やる。そういえば彼女の水着や素肌にはまだしっかりと水に浸かった形跡がないようだった。…せっかくの水浴びの場というのにもったいない そう思ってからふと、ルドモンが閃きクロウの脚を小声に小突いた 「───クロウ、おいクロウ」 「ん、んだよルドモン」 「オレこのままズバモンと影太郎探しにいくからツユホと泳いでこいよ、デートだぜデート」 「デッッ!? ちょ、チョットマテ心の準備ガ…」 「なに言ってんだオメー、オラッ神様がくれたチャンスだ腹括ってカッコつけようぜ!」 「ど、どうしよ…私実は泳げな…ひゃあ!」 何かを呟いて固まっていた露穂の前に、相棒のルドモンに蹴り出された赤ら顔のクロウが急接近。お互い目線だけがじりじりと結び合ってまごついていると、 「……あの、よかったら一緒に……一緒に泳ぎませんか!」 沈黙を切り裂くのに相当勇気を振り絞ったのだろう、ただの一言にぜぇぜぇと息を荒らげて項垂れる年下の後輩の姿に、迷いと後ろめたさと嬉しさのせいで一気に胸を締め付けられて頬が熱くなって…それからフゥと溜息をひとつ 「あのね…実は私、泳げないんだ」 「な…!?」 「───だから鉄塚くんに、ちゃんとエスコートしてほしいな」 「…お、おう!任せて下さいッ!!」 「───お待たせしました露穂姉さん、浮き輪借りてきましたよ。コイツに掴まって一緒にマリンパークエーギルを冒険しましょう!」 「冒険かぁ…いいね、鉄塚くんとのはじめての冒険だー!」 普段DWにお互い別々の旅路をゆく者同士たまに再会し語らう寄る辺こそいくつもあったが、肩を並べて共に歩くことは初めての経験だった 「さてと…責任重大だなこりゃ」 しかし泳げない彼女とこの水辺に繰り出す以上、溺れる危険性を考慮して万全にサポートしなければならない。無難に泳げはするが水泳の授業サボんなきゃ良かったと一抹の後悔と緊張を深呼吸で追い出してクロウが意を決して手を取り、それを頼りにたどたどしく水にぷかりと浮いた彼女を招き寄せる 「ええと……手、このまま繋いでてもいいっすか」 「よろしくおねがいします…ふふっ、鉄塚くんの手大きいね。私のおててがすっぽり収まっちゃう」 「は、恥ずかしいこと言わなんでくださいよ…露穂姉さんの手はちっちゃくて綺麗だと思います」 「ありがとう、鉄塚くんはいつも褒め上手だね」 出航。最初のプールで浮き輪での泳ぎ方と水の冷たさに慣れながら、長大な流れるプールへの合流地点へと向かう 「んー、冷たくて気持ちいい…」 「ずっとプールサイド歩いてたんすか?」 「ワー様が50mプールですっごいはしゃいじゃってね、私はこの通りだからひとりぼっちで露店を見て回ってたんだけど…キミに、ナンパされちゃったかな」 「ナッ!?」 「じょーだん冗談、そんなに顔を真っ赤にしてたら私より先にのぼせちゃうね。あとで何か飲み物買おっか」 「う、ウス…!」 ───そんな彼等の姿を遠目に捉え慄く者たちがいた 「は…颯乃ちゃん、アレ…!」 「ああ……そうか、なかなか隅におけないじゃないか鉄塚!」 (アイツ見たことない顔してる…) 「私たちに内緒でいつの間にかそういう関係のヒトが───これは…これはっ見逃せない気がする!追いかけなきゃ…」 (霜霧さんの目が怖いんだけど?) 「鉄塚さんがあんなんなってますけど、いったいどうやったんでしょう…私気になります!」 「遥希ちゃんも行こ!ほら三上さんも!」 (!?) 一方、そのころ 「さてさてうまくやれよクロウ」 ルドモンとてそれなりに人間との交流を深めてきた、ゆえに色恋の機敏というヤツのニオイもなんとなーく察せられるものがあると自負している ……まさか自分のパートナーの荒っぽい粗忽者にそれが巻き起こるとは露ほどにも思ってなかったんだが… それでもDWでクロウと共に冒険をはじめてから出会った中で、復讐とトラウマに苦しむ彼に《安寧》を与えてくれる存在がいてくれたことは何よりもかけがえのない奇跡だろう そしてソレを知った以上、誰より先に自分が日和らぬよう喝をいれてやるが友情というヤツだ―――と、ルドモンは考えていた 「せっかくだからオレたちは影太郎探すついでにアイツらをバックアップ…」 「ねえ何か向こうのプール騒がしくないルドモン?」 「エッ?なんだなんだ…」 クロウと別れた道すがら、影ながら相棒の恋路を見守るのもまた一興とルドモンがしたり策を練っていると、ズバモンが人混みの向こうを見やり首を傾げているではないか ……よく聞くと耳馴染みのある声までする するすると足元を掻き分け前に出た時、原因はハッキリとした 「ウォオオオオオオオ!?なんじゃこりゃああああーーーー!!」 「はっはっはっはっ、ゆけえホエールガルモン!」 「「わーっ!!?」」 「助けてくれェーー!!」 「ツユホのワーガルルモン、それにアイツはイレイザーの…無量塔(兄)じゃねーか!」 50mプールを爆速で犬かきで逃げ惑う人狼、その背後からまるで狼のような牙をもたげる大口を開けて暴れるクジラとそれをニマニマと見やる男性 「うぉーいワーガルルモン大丈夫かーっ!?」 「ルドモンかぁ!?おあっぷ、喰われる!オレ様喰われちゃう!」 「まっじぃぞあんなのが暴れたせいでプールが中止になったらクロウとツユホのデートがぁー!」 「オレ様の心配は!?」 「えっ!?ってことはアカネが楽しみにしてた影太郎との予定も……わぁぁそれはダメだ!」 「ズバモン!こうなりゃオレたちだけで鯨狩りするっきゃねーぞ!」 「お、おおっ!ボクらレジェンドアームズのチカラでプールを救うんだ!」 がしっと腕組み闘魂注入 意外にも鎧をつけたまま水中を駆け抜けることのできるルドモンと頭頂部の刃物での突貫力を組み合わせた即興の水中専用形態───ルドモンがズバモンを肩車し、ツノを背鰭、両手を腕鰭のごとく翻して、プールサイドのジャンプ台に黒い勇姿が飛び出す 「「ワーガルルモン今行くぞー!うおおおおおおデジクロス(組体操)!『サメ』ェー!!」」 「───むっ、えらいハリキリシャークが来たじゃないか。じゃあ私はカメラ回すから相手してやれホエールガルモン。今年のサメ映画祭に間に合うかも知れないからな」 クロウや露穂が過ごすひとときの向こう───人知れず(?)いままさに狼鯨vsサメの胡乱な火蓋が切られた 「さすがに深いところが多いな、デジモンも泳ぐから大きく造ってんだな」 「なかなか足がつかないねー、でも広いしキミと浮き輪のおかげで快適だよ。あっあそこ行ってみたいな」 浮き輪に追従しながら流れに揺られていると時折露穂が何かを発見しては指差しはしゃいで、なんとも眩しい笑顔に気分良く返事をして彼女の手を引いて泳ぐ この長大な流れるプールは大半の施設へと繋がっているようで見るほどに景色と姿を変えて彼等を新鮮に迎えてくれた。なんなら道中に水族館と見まごう景色やプラネタリウムのようなトンネルまで そして新天地の面白おかしいアトラクションを2人きりで堪能、充実…圧倒的に充実 途中ぶつかった巨大なフワフワドリモゲモンのアクシデントすらも楽しく、そのテイマーと思しき女性からはとおりすがりにエスコートを褒められたりした 「あははっホントにおかしくて凄いねここのプール!冒険のしがいがあるねー」 「ホントですねーサーフィン以外にもびっくりするほどいろいろあって…」 何度目かの流れるプールに戻り談笑してると、浮き輪に頬杖を付きながら露穂が彼をにんまりと見つめていた───最初に会った日の夜に見た憂いの横顔と重ねながら 「鉄塚くん、楽しい?」 …彼女は彼の大きな戦いの果てを知らない。自ら根掘り葉掘り聞きただす真似もしない それでもいつか彼の口から、あるいは自ら聞くときがくるのかもしれないが……きっとその記憶に捕らわれてはいけないのだと、無意識に彼女は思っていたのかもしれない だからいつも、そっと寄り添って微笑みかける そんな彼女の在り方を彼は受け入れていた 「えっ?もちろんスゲー楽しんでますよ」 「……よかった。やっぱりキミは笑ってるほうが素敵だな」 「ンーッ!?ブクブク…アリガトウゴザイマス…」 「私が泳げたらキミともっと全力で遊べるのになぁー。そしたら、もっともっと笑ってくれるのかな」 「……俺は、露穂さんがそばに居てくれるだけでスゲー嬉しいんすけど」 「…っ!ふーん、なかなか洒落たことを言ってくれて嬉しいけど…そういうのはちゃーんと目を見て言った方がかっこいいよー。つんつん」 顔を半分沈めてニヤケ顔を隠すクロウの頬をつっついてからかうが、同時に彼の言葉に感じた頬の熱さを見られるには照れ臭い気もしてしまうから、彼の仕草を許容してあげた 「ンー…泳ぎの練習かぁ、次の浅いプール見つけたらやってみます?」 「単純に泳ぐのがもともと得意じゃ無いのもあるんだけど、その…やっぱり」 視線を落とし浮き輪にのしかかっている胸元に手を乗せる…やはり泳ぐには不利な体型なのは否めないが、このひとときにはそれがいつもより少し恨めしい気もした 「───大丈夫!俺は、えーと…大きいの、素敵だと思ってますから」 「…ぁっ」 言葉を選びながら必死に慰めながら、ぎゅっと握られた掌はそのままに顔を沈めて逃げるクロウを引き寄せ頭を撫でてあげた 「もー…」 そのまま横目に水から顔をあげると、ふと案内看板───その文字列に目が留まり、食い入るように見やる 深海回廊……? 「───コレだぁ露穂姉さん!」 「ほ、本当にこの中に入るの……?」 「説明じゃ呼吸もキチンとできるって書いてあったが…」 入口の前に立ち往生。浮き輪は使えないため返却してしまったが、水の中に飛び込んだ浮遊感そのままにカップ麺すら啜れるというおおよそ現実世界にはありえない事象を可能とした施設…つまり溺れる心配は無いということのはずだ これならば泳げない露穂にも安全に水中遊泳の感覚を味わえるのではないか?というクロウの気遣いは不安も同居していたが… 「大丈夫、露穂姉さん。いざって時は俺が助けますから!」 信じて。願いと共に今一度手のひらを握りしめたとき彼女の不安げな表情が和らいで、小さな頷きと共に握り返してくれてたことでクロウもまた覚悟を決められた 「行きますよ。いち、に……さんっ!」 目を開き、呼吸をする───水の中にいながらそのどちらも身体が何不自由なく順応していた 「露穂姉さん、あれ」 彼女の肩を揺すり、地上と同じように通った声で呼びかける。ぎゅっと身体ごと縮こまって閉じられていた瞳を開け、クロウの眼前で露穂の表情がみるみる明るく目を輝かせて惚けはじめる 「わぁあ…!」 「ハハッめちゃくちゃ綺麗っすね!」 クロウに連れられながら人の少ない場所へ陣取るとウェイターらしき人物が注文を取りに来る 「あっコレお願いします」 メニューからピンときたものを先にクロウが、次に露穂が指差すと丁寧なお辞儀と共に店員が去っていった 待つ間あたらめて周囲をじっくりと見渡す陽光をたっぷりと含んで揺れる透き通った水色の揺籠。偶然か人がほとんど居らず、隣り合う彼と落ち着いて揺られていた 「今日はありがとう鉄塚くん、私ひとりじゃこういうトコまで見て回れなかったから。───すごく綺麗で、すっごく楽しいよ」 ずっと繋いできた手を支点に体をくるりと浮かせてクロウの前へ、もう片手の指を握りながらお礼を述べる …ここまでずっと、DWに巻き込まれてから露穂にもまたいくつも苦難はあった。それでも巡り会えた大切な人との時間がこうしてあって、彼も彼女も報われていた 感謝の気持ちで溢れていた 「さて、お姉さんはいますっごく気分がいいからお礼に何かひとつキミの願い事を聞いてしんぜようー」 「!?」 「さぁさぁ、キミのしたいこと言ってみて…ねっ?」 「あがが……ちょ、ちょっと考えさせてください」 彼はどんな願いを言うのだろう、少しの不安。だが彼になら何を言われても嫌な気がしないと思ってしまう …やはり期待している自分がいるのだろうか、早鐘を打つ心臓に手を重ねて返答を待つ 「……んじゃ『露穂さん』」 そのときクロウが珍しく『姉さん』という敬称を使わずにキチンと問いかけてきて、ひとつ心臓が強く跳ねる 「───最初に会ったときから言い間違いと照れ隠しでずっと姉さんなんて呼んじゃってたけど、俺もちゃんと名前で呼ぶんで。だから……俺のこともできれば名前で呼んでもらえると、嬉しいっす!」 グッと力強く親指を立てながら彼が言い放った願い。きょとんとした露穂の肩の力が抜けて、なんとも無邪気な願いに安堵と笑いが込み上げる 「ふふ、キミは無欲なんだね」 ……もっと欲張ってもいいのに。 聞こえぬほど小さな声で告げ足したそれを誤魔化すようにやや大袈裟に改めて、クロウの頼みを聞き届けようと露穂が顔を寄せて口を開いて 「じゃあ……」 「……ん?」 「あれーごめんね、なんか」 ───キミの名前、すごく呼びたいのに……すごく緊張しちゃって…… 長い沈黙を経て、彼女はもどかしさと恥ずかしさを溢した唇を指先で覆い隠しながら目を逸らす それまでの歯切れの悪い応答に首を傾げていたクロウの顔が一転何やら意識したことでみるみる緊張に染まっているがわかって、それを見た彼女にもさらに水中の冷たさに顔の熱がますます際立って感じられた 「…!!」 「……なんてね、あははっお顔真っ赤でかわいいー」 コツン。くすぐったそうに露穂はおでこを合わせて微笑んだ 「───また"デート"しようね。クロウくん」 「ハイッ!」 「ところで…あそこで見てるのって、キミのお友達かな?」 「えっ?」 「あっ気づかれちゃうからこっそり見て…ホラ」 「アイツら…!?」 ―――揃いも揃ってムーミンみてぇな顔しやがって… 露穂が水着に忍ばせてたとても小さな手鏡越しに見つけた仲間の姿にクロウが眉を顰めて、背中越しに視線をビシバシ送り付ける野次馬をどう追い払おうかと頭をひねっていたとき横から声がした 「お待たせしましたーブルーハワイドリンクでーす」 「んっ…えっコレ!?」 差し出された大きなグラスに注がれ飾り付けられた濃い青の液体が、物理法則など知らんと言わんばかりに我が物顔で周囲の水と混じらずに健在しているでんじろう先生も驚愕の光景 だが今はそこよりも、《1つのグラス》に刺さった《2つのストロー》の意義のほうがずっとクロウを動揺させていた 「えへへ頼んじゃった。……あの子たちに見せつけちゃう?」 「じ、女子大生強えー…ッ」 「…バ、バレた?」 「いやクロウにはまだ気づかれてないようだ…」 「あの人何歳なんでしょう…」 「むっ、ちょっと待てアレは…!」 ガタッ(カップルで飲むやつ…!?) 「あっあのヒトこっちに手振ってる…!?」 「む、むむ……いかんいかん雪奈・遥希・竜馬ここまでだ、これ以上水を差すのはさすがに私も無粋と思う…!」 (俺なにもしてないんだけど…!?) 「えっ、ええーっ、ここからもっとなんかいい雰囲気になりそーなのにぃ!あっ颯乃ちゃん待って引っ張らないでー……───!」 「…アイツら今どうなってます?」 「帰っちゃったみたい、ざんねん」 「よ、良かったァー…!」 露穂の言葉にようやく振り返ると、やはりそこに雪奈たちキブリモンどもの姿はなく深海回廊にはより深い静寂が訪れた 「じゃあ飲もっかクロウくん」 「…照れ臭いが、よろこんで」 「かんぱーい」 「「ぜぇ…ぜぇ…とったどぉおおおおお!!!」」 「「「「「ウォオオオオオサメの勝ちだ!!」」」」」 「フフッいい映像が撮れたな。では失礼するよ諸君、楽しませてもらった」 「…ハァッ!?おいルドモンなにやってたんだお前…なんだこの騒ぎ!」 ようやく戻ってきた出発地点から程遠くない50mプールにルドモンを探しにきたクロウらは、彼等が知らぬ間にずっと繰り広げられていた胡乱ファイトの決着に居合わせる形となった ギャラリーには博徒やカメラを回す野次馬、なんか見知った顔もいたような気がしたがあえて見なかったふりをする その主演たるサメがデジクロス組体操を解き、口からぷかりとエクトプラズムを垂れる人狼を引きずりながら手を振っている 「うおおクロウにツユホ、プールの平和は俺たちヒーローが守ったぜっ…!!」 「よ、よくわかんねぇがでかした!?」 「ツユホさん、クロウさんとの冒険は楽しめましたか?」 「うん、いい思い出になったよー」 「つ、ツユホォ……おまっ何処にいたんだ」 「えっワー様?もー、プールが楽しいからってそんなグロッキーになるまで、はしゃぎすぎだよ」 「違…チガウ…」 「すっかり日も暮れちまったなー…そろそろお開きか。今日はありがとうございました露穂さん」 「うん、ありがとクロウくん。でも…もしよかったら晩御飯も一緒にどうかなー?」 「むっ!そりゃあー…いくっきゃないでしょう!」 「ズバモンくんは秋月さん見つかった?」 「ああっ!どうしようオオカミクジラと戦ってたからすっかり忘れてたー」 『───ピンポンパンポン…迷子のお知らせです。黒と金色のズバモン亜種様、保護者の秋月影太郎様が〇〇区でお待ちです』 「ブッハッハ迷子センター!?」 「もぉー影太郎ー!あっボクも楽しかったです、みなさんありがとうございましたー!」 「おうーまたなーズバモン!」 「行っちゃった…。じゃあ、私たちもいこっかクロウくん?」 すっと手を差し出して、それをクロウが取って、歩み出す 「キミは何が食べたい?」 「んー…そういや露穂さんの好物って何ですか?」 「それはねー…」 ルドモンもワーガルルモンも仲睦まじいその仕草にすべてを忘れておおーと感嘆し、それから慌てて後を追いかけるのだった