「じゃあね〜せっちゃん」 「またねー」 「うん、また明日」 遠くなっていくクラスメイトの背中にルーチンワークのように手を振る。 今日も一日が終わる。昨日と同じ。多分明日も同じ一日。 朝起きて、ご飯食べて、学校行って勉強して、クラスメイトと他愛もない話をして、帰ってきてのんびりして、ちょっと勉強して寝る。概ねそんな一日の繰り返し。 多分これからもそんな一日を何千回と繰り返すんだろう。変わることといえば学校が職場になって、ばいばいって手を振る相手が変わるくらいかな。 それなりの高校に行って、それなりの大学に行って、それなりの会社に就職して、ちょっと焦る年になって妥協みたいにそれなりの相手と結婚……結婚はどうだろう?ちょっとまだよく分からないや。それでおばあちゃんになって、最期は布団の中でぽっくり逝っちゃうような、多分そんな人生。 受験や就職は多分苦労はするだろうけど、何やかんや人生積むような失敗はしないんじゃないかな?見積もり甘いかな? テレビに出てくる有名人みたいにみんなにすごいって言われるようなことなんてできないし、みんなが見てなくても必要とされる大きなことに関わるようなこともない。夢も目標もやりたいこともない。 友達と腹を割って喧嘩して、一生の友情を築くみたいなこともない。そもそも別の高校に行ったら会うこともなくなって、大人になってあーそんな子いたねって思い出してくれたら儲けものみたいな付き合いしかしてない。自分の運のなさは知っているし、あんまり迷惑かけたくないしね。 みんなも察しているのか、賑やかしか数合わせみたいな扱い。まあでも、いじめてこないだけありがたいかな。嫌われないよう様子を伺いつつ、波風立てないような人付き合い。 人生かけて取り組んできたことを不慮の事故で奪われることもなければ、家族を悪い人に傷つけられることもないし、優秀な兄弟と比べられて家族仲がこじれるとか(そもそも兄弟いないし)、ましてや大事な人に目の前で死なれたり、周りの人たちが助けを求めるなかを逃げ回るような、そんな大事件起こったこともないし、多分今後も起こらない。 間違っても実は隠された力がとか、実は親が秘密組織の構成員でとか、そんなこともありえない。 大きな出来事の主役になることも、誰かの人生を変えるような影響を与えることもない。日常系マンガでも没になりそうな、山も谷もない物語ですらないもの。 まあ長々語ってきたけど、それがわたし、霜桐雪奈の人生だ。それで満足だけどね。 「…………」 帰ったら何しようかなんて考えながら歩き出す。 こんなとき趣味の一つでもあればいいんだけど、何かしようにもピンとくるものがなかった。 お母さんがアイスクリームでも作っててくれないかななんてことを考える。最近なんか嵌まっているみたい。これが結構美味しい。 昼にちょっと降った雨はもう上がっている。空にはまだどんよりした雲が漂っているけど、合間から空が見えているからうちの地域では晴れ判定だ。 おかげで朝持ってきた傘は単なる荷物になってしまった。学校に置いてきたけど、多分明日は降るんだろうなって思った時にはもうだいぶ歩いていた。きっと明日は傘を2本持って帰ることになるんだろうなってことを考えると今からちょっと憂鬱… 唐突に話は変わるが、わたしはさっき言った通り運がない。 赤信号には必ず引っかかるし、二択は絶対に外すし、くじ引きは実質ポケットティッシュ引換券だ。 そんなわけで、水はけの悪いタイルに溜まった水たまりに足を取られて滑るなんてことも起こりうるわけでして…… 「うわっ!?っととととと!?」 周りに人がいなくてよかった。流石に恥ずかしい…… 前のめりで倒れそうになるのを、とっさに腕で顔を庇ってぎゅっと目を瞑り、直後に来るであろう衝撃に備える。手に持っていた鞄は思わず放り投げちゃった。思えばこっちで庇えばよかったな…… とにかく、どっちかと言えば素足の膝よりは袖で覆われている肘のほうから倒れたい。結局痛いものは痛いけど、なるべくケガはしたくない。 「……ってあれ?」 なかなか痛みが来ないのを訝しがって恐る恐る目を開いてみる。 視界には見慣れた通学路の風景が消え失せ、いつの間にか見知らぬ一面雪だらけの銀世界になっていた。 開けた場所はどこもかしこも真っ白で、申し訳程度に立っている岩にも雪が積もっている。 「どこここ!?」 思わず普段出さないような大きな声で叫んでしまった。もしや昨今流行りの異世界転移かなんて考えている余裕もない(実際はその通りだったけれど) 吹雪いてこそいないけど、空からは雪がちらちらと舞っている。 寒さで身体が震えてきた。わたしの住むところも冬はこれくらい雪が降るけど、だからといって寒さに強いわけではない。そもそも人間なんだから寒い地域に住んでいれば寒さに強いなんてのは迷信だ。あれは暖房設備とか寒さ対策とか、そういう文明の力あってこそのもので……と、そんなことを考えている場合ではない。 とにかく移動しようと一歩踏み出す。それがよくなかった。 足元には氷が張っており、普通のローファーでは滑るのは当たり前である。 「うえぇ!またぁ!?」 転ばないように必死で踏ん張る。みっともなく手をばたつかせる。 こんなところでケガしたらどうなることやら。救急車呼べるのかな?昔滑って転んで足を挫いたことがあるけど、結構痛かったのを覚えている。取り合えず転ぶとしてもケガしないようにゆっくりと……できるかなぁ? そんなわたしのあがきは、唐突にかけられた声と共に終わりを告げた。 「――おっと、大丈夫か?」 突然後ろから腰を支えられた。これが漫画ならわたしには不釣り合いなほどのイケメンがキラキラしたエフェクトと一緒に出てくるんだろうけど、でも感触が人間の手じゃない。もっと大きくて硬くて、それに声もなんだか低いところから聞こえたような? 恐る恐る振り向くと、そこにいたのは青くて小さい二足歩行の……トカゲ?犬?恐竜?とにかく人間ではなかった。 慌てて飛びのいてちょっと距離を取る。 その生き物の全身がよく見えた。頭やしっぽや爪が氷でできていて、首元はマフラーみたいに温かそうな毛で覆われている。身体は全身青くて私よりちょっと小さい。まるで物語に出てくる竜みたいだった。これがさっき人間の言葉を喋っていたの? もう何が何やら分からなくなって、思わず素っ頓狂な声を上げてしまった。 「え、ちょ、誰!?何!?喋った!?さっきから何なのもう!!」 「落ち着け。ここはデジタルワールドだ。察するに、お前がおれのパートナーだな。デジヴァイスを通じてお前との繋がりを感じるぞ」 頭の中がハテナマークでいっぱいになった。デジタルワールド?パートナー?デジヴァイス? 聞いたことのない単語だらけだ。 少なくともここがさっきまでいた通学路でないことだけは辛うじて分かった。 「ちょ、ちょっと待って……いきなりそんなこと言われても分かんないよ」 「む、それもそうか。すまん。何から説明するべきか……」 きっとこれは何かの夢だななんてことを思い始めたけど、身体を刺すような寒さが現実だということを分からせてきた。 取り合えず目の前の生き物が首を傾げているうちにスマホを取り出そうとポケットに手を突っ込む。電波が通じるなら助けを呼べるし、マップで今の位置も分かるかもしれない。文明の利器バンザイ。 しかし手に触れた感触はいつもの四角い板ではなく、何だかよく分からない通信機みたいなものだった。 「何これ?スマホどこ行ったの?」 「おお、それがデジヴァイスだ。テイマーとデジモンとの繋がり、パートナーの証だ。やはりおれとお前はパートナーらしい」 「だから知らない単語増やさないでって……」 落とした覚えはないし、同じポケットに入っていたということは、なぜだか知らないがこれは元スマホだったのだろう。信じられないけどそう結論付けた。取り合えずデジヴァイスとやらをいじってみる。ボタンを押すと急に空中にディスプレイが浮かび上がってびっくりした。いくつか機能があるみたいだけど、色々ありすぎて確認は後回しにした。取り合えずスマホ並みに便利そうだなとは思った。 「それで、ここがデジタルワールドとやらで、あなたがパートナーで、スマホが何故かデジヴァイスとやらになったのは分かったよ。何でわたしはここに来たの?どうやったら帰れるの?あなたとパートナーになるとどうなるの?」 「それは分からん。人間とデジモンのパートナーは他にも何組も存在しているが、皆目的は様々だ。だが、恐らく皆何か理由があってパートナーとなったのだろう。それよりも、お前は自分の世界へ帰りたいのか?」 「それはまあ……いきなり知らない場所に来させられてもそうとしか言えないでしょ?」 「……ふむ、よし分かった!おれが手伝ってやろう!」 「え!?……いいの?その、何かやることがあるからわたしとあなたがパートナー?になったんでしょ?」 「それはそうだが、具体的にお前とパートナーになって何がしたいということはない。しいて言うなら困っている者に手を貸してやりたいくらいだな。そういうわけだから、一緒に帰る方法を探そうではないか」 この謎の生き物が自分の胸をドンと叩いた。 正直右も左も分からないこの状況ではこんなのでも頼りにするしかないかもしれない。 取り合えず悪い子ではなさそう。 何故かは分からないけど、この子を信用してもいいと、そう思えた。 「えっと、じゃあ……よろしくお願いします?」 「うむ、よろしく頼む!」 差し伸べられた手を握る。何だか不思議な感じがした。 これから何かが始まるような、そんな予感が。 「あ、そういえばあなたの名前は?」 「ああ、まだ名乗ってなかったな。おれはブルコモン。お前は?」 「……霜桐雪奈、です」 これがわたしの旅の始まり。命の危機を救ってもらったとか、力を合わせて強敵に立ち向かったとか、奇跡的なめぐり合わせがあったとか、そんな劇的なものでもなんでもない、これまでの私の人生らしい、わたしらしいパートナーとの出会い。 これからたくさんの友達ができて、仲間ができて、親友ができて、大好きな人ができる。嬉しいことや悲しいこと、怒りたくなること、楽しいことがたくさん起こる。どこにでもあるはずのありふれた人生が変わり始めた、冒険の第一歩だ。 「……へくちっ!」 ……まずはあったかいところを目指したいな。