1 昼下がりの自室。紅茶を飲みながら時間を潰していると、コン……コン……と弱々しく扉を叩く音。その先にある客人の姿は、ありありと想像できた。 「入って良いわよ」 ちらと時計を見やると、約束の時間を数分過ぎていた。小言の一つでも言おうかと、文句を頭の中で並べながら、声を掛ける。勿論、居住まいを正し、ついでに軽く髪を整えるのも忘れない。 不自然に間が空いてガチャリと扉が開き、その先に居た予想通りの人物の――けれど、予想外の姿に、ぎょっとした。 「なっ……!どうしたの、貴方!?」 いつもなら明るい声の挨拶があるのに、それも無く。部屋に入って来た彼の顔色は明らかに悪く、足取りもふらついていて、慌てて駆け寄る。 まさか、シティや屋敷の中で誰とも会わずにここまで来た訳でもあるまいし。明らかに様子がおかしい彼に手を貸すなり、私に一声かけるなり……とにかく、何かやりようがあったはず――と、義憤と困惑の間で揺れていると、彼の口が弱々しく開いた。 「デュエマ……」 「デュエマ?もしかして貴方、真のデュエマで――」 そこまで口にして、気付く。異様な顔色に気を取られていたが、よく見れば彼の服装に乱れた様子は無く、外傷の類も見当たらない。真のデュエマをしたにしては、あまりに綺麗な格好だった。そもそも、真のデュエマが発生したなら、カイトやキリコから連絡が来るはず。 ならば、これは一体……?と首を捻った所で、彼が再び口を開く。 「デュエマ、しよう……ルカ……」 「………………。はあ?」 予想外の言葉に、変な声が出てしまった。 そんな私を他所に、「デュエマ……デュエマ……」とうわ言の様に、胡乱な目で呟く彼。その姿を見て完全に理解した。何故誰も、彼に手を貸さなかったのか。 単純に、気味が悪いからだ。 何せ、普段からデュエマをしたり遊んだり相談に乗ったり乗られたり……と交流のある私でさえそう感じるのだから、交流の浅い人ならば言わずもがな。 ここに来るまでにルピコやエレナ、グレン辺りと出くわしていたのなら、流石に放ってはおかなかったのだろうけれど……彼がこうしてここに来ている以上、運悪くも出くわす事はなかったのだろう。 途端に馬鹿馬鹿しくなって大きくため息を吐けば、ほとんど光の見えない黄緑色の瞳がぎょろりとこちらを見据えた。それは意思を以てのものではなく、ただ音に反応した原始的なもので。顔色も合わせて、少しだけ……ほんの少しだけ、怖い。 「もしかして、貴方……寝てないのかしら……?」 「うん……新デッキ……ちょうせい、してて……」 「馬鹿じゃないの、貴方……」 思わず溢してしまった言葉を意に介した様子も無く、相も変わらずデュエマを要求してくる。恐ろしい程のデュエマ馬鹿っぷりだった。 勿論私だって、闇の守護者として研究は欠かさないし、徹夜でデッキの調整をする事はあるけれど……それでも少なくとも、睡眠はとってからデュエマをする。そうしないと十分に頭が回らないし、そんな状態でデュエマするのは相手にも失礼だから。 「ルカ……デュエマ……」 「……する訳ないでしょう。見るからに体調が悪い人と、デュエマなんて」 「だいじょぶ……デュエマすれば……げんき、いっぱい……」 「………………」 事あるごとにデッキを構えて生き生きとデュエマ始める普段の彼を思えば、その言葉を馬鹿馬鹿しいと一蹴するのも、ほんの少し躊躇われた。 「……いえ、デュエマにそんな効果は無いから。いいから、寝なさい」 けれど即座に正気を取り戻す。デュエマにそんな効能は無い。例えデュエ粒子が異世界への扉を開く事はあっても、クリーチャー達へ影響を及ぼす事はあっても。純然たる人間の彼には影響しない。………………はず。多分。 「やだ……でゅえま……」 「『やだ』、じゃないわよ……」 しかし、それでも食い下がってくる彼。 その台詞の字面だけを見れば子供の駄々の様で、見ようによっては微笑ましくも感じられるかもしれない。けれど実際は、同い年の男の人が異様な顔色で、生気の感じられない瞳と声で言うものだから、ホラー映画のワンシーンレベルの悍ましさがあった。 「でゅえま……」 「寝なさい」 「でゅえま……」 「駄目」 「でゅえま……」 「……しつこいわよ」 「でゅえま……」 「駄目なものは駄目」 「でゅえま……」 「……意思が固すぎないかしら、貴方!?」 焦点の合わない目に暗い炎を燃やし、「でゅえま……でゅえま……しんでっき……」と呟く様は、最早リビング・デッドのそれだった。狂気と妄執を持ってこちらに迫り来るその様は、リビング・デッドよりもある意味恐ろしい物があって。私が……闇の守護者たる、この私が。僅かな恐怖と共に少しだけ……ほんの少しだけ、身を引いてしまうくらいには、彼のその様は、闇に相応しかった。……どちらかと言えば、相応しいのは『病み』の方だっかもしれないけれど。 「っ……じゃあ、こうしましょう。一旦寝て、体調を整えたらデュエマしてあげる。今の貴方を相手にしても――」 「すぅ……すぅ……」 「――面白くない、から……」 私が言い切るのすら待たず、彼はベッドに倒れ込んでいた。 「………………」 デュエマを盾に、眠る事を強制したのは私なのだけれど。眠気で頭が回っていないのだろう事は、分かるけれど。それを考慮しても、マイペース。「我」の極。エゴイスト。 穏やかな寝顔を冷ややかな目で見下ろしていると、彼は眠ったまま器用にベッドへ潜り込んでいく。その様は、眠気がピークに達した時のJJを思わせて、なんだか穏やかな気持ちに―― 「……ふーっ。しっかりしなさい、ルカ」 大きく長く息を吐いて、思考をリセット。ついつい笑みが溢れていた様な気がするが、多分気のせいのはず。闇の守護者たるこの私が、この程度の事で心を動かされるはずがないのだから。 「さて、どうしようかしら。この調子だと数時間は起きないでしょうし……」 彼が眠るベッドの端に座り、時間の潰し方を探す。 私も、それなりには……少しは、彼とのデュエマを楽しみにしていた訳で。そのために予定も調整していた訳で。それが無くなったとなると、途端に手持ち無沙汰になってしまう。仕事も片付けてしまって、新しいデッキの調整も今日のデュエマを基に進めようと思っていたから、尚更。 こんな時、どうすれば良いのだろう。エレナなら、寝起きの彼に向けて軽食でも用意するのだろうか。ルピコなら、時代遅れなドラマを観たりするのだろうか。チュリンなら……一緒になって、のんびり眠っていそう。 「……そう言えば、貴方の寝顔は初めて見たかもしれないわね」 考え事の最中、ふと気づくと下がっていた視線。その先にある寝顔を眺めて、呟く。 すやすやと穏やかな寝顔は初めて見たもののはずなのに、どこか知っている様な……と言うよりも、予想通りなものだった。彼の、裏表のない真っ直ぐな所が、ここにも出ているのだろうか。 不覚な事に、私の寝顔は何度か彼に見られてしまっている。……原因は大体、夏に弱い私だった気もするけれど、それはそれ。一度見ただけでは釣り合わないし、折角だからと写真を撮ってみる。 「すぅ……すぅ……んぅ……?」 思ったより大きく響いたシャッター音と、それに反応した様に小さく上がった声。どきりとしつつも、それでも目を覚ます気配はなかった。 「……」 少し癖のついた、淡い灰色の髪にそっと手を伸ばす。迎えたのは、思ったよりも柔らかい感触。一撫で二撫でした後、顔の輪郭に沿って手を下ろしていく。穏やかな目元に、意外と柔らかい頬。ぴったりと合わさった唇は少しだけ乾燥していた。尖った喉仏をつんと押すと苦しげな呻き声が上がって……少しだけ、楽しい。 閉じられた瞼を見つめる。その奥にある、黄緑色の瞳――普段は優しげで。デュエマしている時は真面目で、けれど爛々と輝いて。私を見つめる時は、子供っぽくも、どこか静かで……。 「……っ」 思い出すだけで、胸の奥がきゅうっとなる。……その理由は分かっているけれど、認めたくない。 姿を見かけると思わず足早に駆けてしまっても。 隣に居る事が心地良いと思ったとしても。 ふとした拍子に彼の事を想ってしまっても。 一緒にいる時でさえ、デュエマの事ばかり考えている様な、そんな人に抱く気持ちなんて……。 「……絶対に、認めてあげないから」 2 「……ふんっ。大体、この私の予定を崩すなんて生意気なのよ、貴方は」 そんな考えを振り払う様に首を振っては、少しでも気分を晴らそうと穏やかに寝ている彼の鼻を摘む。 「すぅ……す……、……ん……ふがっ……!?」 不格好に口を開け、苦しげに歪む寝顔。その両手は空中にまっすぐ伸び、夢の中の何かと戦っている様だった。とは言え、その息苦しさを生む元凶――つまり私の手は、そこには無いのだから、まったくもって無意味な奮闘なのだけれど。 「……ふふっ。いいわ、私の手でもっと踊りなさい」 間の抜けたその様を見て、少し溜飲を下げる。いつまで経っても息苦しさから解放されないからか、激しく両手がもがきだす。 それに掴まれては一大事と、鼻を摘んでいた手を離す――けれどそれよりも早く、彼の手が私の腕を掴んでいた。 戦うべき何かを見事討伐した彼の腕。それは安らかな眠りと共に力を失い、重力に引かれて落ちて行く。勿論、掴んだ私の腕と共に。 「きゃあっ……!?」 思ったよりも強い勢いのままに、ベッドに倒れ込んでしまう。彼の耳元で上げてしまった悲鳴に咄嗟に口を塞ぐけれど、覆水盆に返らず。救いだったのは、彼が一向に目を覚まさない事だった。どきどきとうるさい鼓動を抱えたままに暫く待っても、それは同じで……小さく息を吐く。 「っ……だから、生意気なのよっ、貴方は――!?」 掴まれた腕からは抜け出せないまでも、なんとか体を起こしてベッドの縁に座り直した矢先。ふと部屋の扉に視線を送れば、いつの間にかそれは、少しだけ、開いていて。その奥にはさらりと流れた金の髪と、同じ色の瞳。 視線が。ばっちりと。合った。 血の気が。さあっと。引いた。 「……アタシ、知ってるよ。こういう時は、『後は若い二人でごゆっくり』って言うんでしょ?」 「ちっ、違うわよ、JJっ!これは、その……そういうアレじゃないからっ!第一、貴方の方が若いでしょうっ!」 多分、突っ込む所はそこじゃないけれど。とにかく何かを言わないと不味い事は分かっていたから、吟味する余裕もなく必死に舌を回す。 「隠さなくてもいいよ、ルカ姉。正直、けっこう前から見てたし」 「ぁ、な……っ!?」 にししと小さく笑うJJに、かあっと顔が熱くなる。誰かに見られていただけでも十分恥ずかしいのに、よりにもよって、一番身近なJJに見られていたなんて……! 「大丈夫!アタシ、誰にも言わないから!」 「いや、そうじゃなくてっ……本当に違うのっ!待ちなさい、JJっ!」 扉の奥に逃げて行く彼女を追おうとして……けれど、掴まれた手を振り解けず、ベッドの側を離れられなかった。 「ああ、もうっ……!全部、貴方のせいよっ!」 「すぅ……す――ん、ぶがっ!?」 咄嗟に振り上げた手。けれど下ろす先が見当たらず、代わりにもう一度彼の鼻を摘む。間抜けな声を響かせて、それでも彼は目を覚さないのだった。