「うわあああああああああ!?」 拝啓、お父ちゃん、お母ちゃん。 俺は今、空から落ちています。 真下には森が見えてます。もう駄目そうです。 「さっきまでトイレにいたはずなのに、なんでこんなことにいいいいい?!」 俺は何か悪いことでもしたのでしょうか神様。突然空に飛ばされ落とされるほどの悪事とはいったい何なのでしょうか。神様は何も応えてはくれません。 あ、意識が遠のいてきた……そういえば飛び降りると高低差か何だかで気絶するとか聞いたことがあるな……。 まあ…………痛いよりは…………マシかなぁ…………。駄目だ………………もう……限界…………………。 □────── そこに行ったのは、家族三人での最後の思い出を作ろうと父ちゃんが言ったことがきっかけだった。もうしばらくしたら弟が生まれるため、遠出が難しくなる。その前に、行きたい場所に行ってみようという話だった。 近年急速に発展を遂げた人工島・オノゴロ市。デジタル観光地としても有名であるそこは、たしかに魅力的な町だった。自動清掃車が走る街並みは清潔に保たれており、立ち並ぶショッピングモールが日の光を反射し大通りを照らしあげる。製薬会社のお膝元だけあってか、化粧品も安く売っているらしく、母ちゃんがほくほく顔をしてた。 そして、その日の夜、泊っているホテルの近くに屋台を取り揃えた地域があったため、そこで夕飯を食べることにした。医食同源の信条の元、最近のFE社は健康料理の開発にもいそしんでいるらしく、その新商品のプロモーションを兼ねてこうした場を設けてるとのこと。観光資源と活用しながら商品の生の声を集めるなんてちゃっかりしてるなあ、と父ちゃんが言っていた。 試供品の胡乱茶(烏龍茶にではない。緑茶と麦茶の中間みたいな味がする。厳密にはFE社の独自商品ではないらしい)を飲みながら、それぞれ見繕った豆腐ハンバーグや焼き鮭、鯨の竜田揚げなどを楽しんでいると、俺はふとトイレに行きたくなってしまった。トイレの場所自体は買い物をしている間に確認したので、一人で席をたつ。確認した場所は、鯨の竜田揚げを買った屋台のすぐ裏だ。席からもそんなに離れていなかったので、ささっと移動して、ちゃちゃっと小さいのを出して、手を洗ってトイレを出ようとしたとき、───耳元で鯨の鳴き声が聞こえて、 それで、 おれは、 そらに─── 「───いっっってえええええ!!!」 激痛で目を覚ました。ものすごい高いところからしりもちをついたような感じの痛みだ。多分お尻が真っ赤になっている。前に一回だけ母ちゃんにやられたお尻ぺんぺんを思い出す。痛いわ恥ずかしいわでもう二度とやられたくないと思ってたんだけどな……。 しかし長い夢だった。なんで観光地のトイレから大空に飛ばされるのかさっぱりわからないけど、夢と思えばそんなもんかもしれない。せめて自由に飛行させてくれればいいのになんで自由落下だったんだろうか。余計な恐怖を味わったじゃないか。 でも、どうやらまだ夢の中みたいだ。こんな自然あふれる森、行ったことがないし、あんな不思議な体つきをした動物も見たことがない。だから、夢の中だというのが正解だろう。 そう信じてほっぺをつねる。痛い。そもそもケツの痛みで目を覚ましたんだ。そりゃ痛いに決まっている。でもさ、信じたくない気持ちもわかってほしい。さっきまで観光地で家族と一緒に夕飯食べていたのに、トイレから出ようとしたら空から落ちてこんなサバイバル生活まっしぐらの森に落ちたのだ。夢だって思いたくなってもおかしくないと思う。 「ここ、どこだよ~~~!?!??!」 俺は穂村 拝。12歳。渾身のでっかいデシベルは、残念ながら鳥を木から羽ばたかせるだけで終わってしまった。 □───── 「ほんと、見たことないのがいっぱいいるなここ……」 まるで教科書で見た熱帯雨林か、あるいは図鑑で見た恐竜時代か。どちらにせよ普段見ることのない植物の宝庫だ。 そして植物以上に初めて見るもの揃いなのが動物だった。ピンクの果実がいっぱいあると思ってたらそのうちの一つが動き出してひっくり返った。あるいは、遠くににわとりがいると思って近づいたら、なんか知ってるよりもでかくて牙生えてて気づかれないうちに逃げだしたりもした。頭から花が生えてて二足歩行してる謎の生き物を見つけたときは一回確認したにもかかわらず改めて夢じゃないか疑うほどだった。 ほぼすべてにおいて未知の世界。そう俺は体感した。空の青と草の緑、土の茶色と水の透明度が元の世界と同じなのだけがまともな心を守っていた。 「こんな世界、本当に他の人いるのかな……」 いわゆる自然豊かな土地といわれるようなところには小学校の遠足とかで行ったことはあるけど、それでもここよりは人の手が入ってる印象はあった。ここはその更に奥、人の作った柵の向こう。だからこそ、こんな動物図鑑では見たことがないような変な生物であふれているのだろう。いっそのこと、俺の言葉のわかるやつもいてくれたら案内してもらえるかもしれないのに。 そんなことをぼんやり考えていたからだろうか。 「……うわぁっ!」 何かにけっつまづいた感じがしてバランスを崩してしまう。幸い転びはしなかったけど、危ないところだった。未知の世界で独りぼっちなんだから、ぼーっとしていちゃダメだよな。 「しゅるるるる……」 ……ふと、音が聞こえた。顔を上げてあたりを見渡すと、前方に黄色い体の、目に黒いイナヅマ模様が入った巨大なイモムシがいた。大体俺の膝ぐらいの高さだろうか。比較的虫は大丈夫な方だと思ってたけど、この大きさだと流石に怖い。で、その巨大イモムシの近くにはそれなりの大きさの石が転がっているわけで、その石は俺の足元にあるくぼみと同じくらいの大きさなわけで……。 「……その、ごめんな?」 「シャアッッッ!」 「やっぱ言葉通じないかぁ~!」 謝っても許してもらえなかったので全力で逃げます。いくら見た目がイモムシでもこんだけデカいと普通に怖い。というかニワトリに牙が生えてるような世界のイモムシがまともなわけないし! 「ブシュゥッ!」 「あっぶね!」 大きくてもイモムシなのかしっかりと糸を吐いてきた。不意打ちだったけどノーコンだったので何とか回避はする。もしかして、図体がデカいだけで案外生態は元の世界と変わらないのかもしれない。……いや、別に元の世界のイモムシは敵に向かって糸は吐かなかったような……? 「ぴぃぃぃ……」 か細い鳴き声が聞こえて思わずそちらの方を向く。見ればさっき見た果物に擬態してた鳥が逸れた糸にひっかかって目をまわしていた。やっぱまともじゃなかった!イモムシの糸で鳥が気絶するってどうなってるんだよ!絶対ひっかかっちゃいけないやつだ!というか思ってた以上に射出距離が長い! 幸い、イモムシの足の速度はそこまで早くなく(それでももたもたしてると追い付かれそうなくらいには早い。イモムシのくせに!)、口元の様子をみながら発射されるときに避けるのはそこまで難しくはなかった。ただ、森のでこぼこした地形に注意しつつ、引っかかったら一発アウトの遠距離攻撃を避けながら逃げ続けるのは、滅茶苦茶疲れる! 「はぁ……はぁ……流石にきつい……!森の外まではさすがに追ってこないよな……?!」 木々の隙間からの光が強いところがあったので、方向転換して全力で走る。さっきよりも早く走ってるのに全然距離が離れない……!というかあいつ糸を木に引っ掛けて高速移動してる!スパイダー〇ンかよ! 避けて、走って、しばらくして、ようやく木々の間を抜けて森の外に出た。それはいいんだけど……。 「崖……かあ……」 吹き抜ける強風が否が応でもその先がないことを教えてくる。本当にどうしよう……マジで打つ手がないぞ……! 「キュピィィィィィ!!!」 振りむけば、遅れて森から出てきた巨大なイモムシがくちばしを開いてかちどきを上げていた。イナズマ模様もどことなく笑ってるように見える。多分、ここまで予定通りなんだろう。糸を使って木々を飛び回ってたあたりから薄っすら思ってたけど、さてはこいつしゃべらないだけで頭いいな……? しかし、本当にどん詰まりだ。逃げ場はないし、戻る道はイモムシに潰されている。脇をすり抜けるのは……どうだろう、さっきまでの動きが全力ならできる気もするが、ここまで狡猾なところを見せられると、手を抜かれていただけな気が…… 「ブシュァ!!!」 「考える時間すらくれないのかよ!」 イモムシがさっきまでのように糸を吐く。ただし今までと違って直線的な糸ではなく広範囲の糸だ。しかも相当広範囲に広がっている。やっぱ手を抜いてやがったあいつ!前に出るのは距離がありすぎて無理だし、そもそも抜ける前に体に当たる!もう一か八か、やるしかない! 「うおおおお!!!」 全力で崖へと走りそこから飛び出す!この世界に来た時にもっと高いところから落ちて生きてたんだ、勝算はなくはない!……いややっぱ死ぬほど怖い!!! 「誰かあああああ!!!助けてえええええ!!!!!」 恥なんて知ったこっちゃないとばかりに泣き叫ぶ。地面が刻一刻と迫ってくるのが怖すぎる!ちくしょうなんで俺はダイビング飛び降りしたんだ、足から落ちればよかった!!! ……あれ、なんか、ピンク色の物体が、こっちに来て……。 「ぐえっ」 何かやわらかいものにぶつかった感触とともに、潰れたカエルのような声が出て俺は意識を手放した。この世界に来てから、なんかこういうことばかりだな……。 □───── ボクはララモン。その日は、とてもお日様の光が気持ちがいい日でした。絶好の日向ぼっこ日和だったので、お気に入りの草原に足を運んだんです。 温かい日差しに照らされて、心も体もぽかぽかして、なんだかとってもいい気分だったなぁ。 しばらくそのままうとうとしてると、不意に男の子の声が聞こえてきたんです。誰か、助けてと。 目を開ければ、崖から何かが、いえ、ボクはそれを人間の男の子だってわかってました。まあ、そういうデータが混ざってますからね。ともあれ、崖から男の子が落ちているのを見て、このままじゃまずいとすぐに飛んでいったんです。 ボクの小さい体じゃ、そのまま受け止めるのはまず無理。せめて衝撃を和らげるために。真下から体当たりをすることで落下速度を抑えます。ぐえっとかわいそうな声が聞こえたけどここはあえて無視。緊急事態なので仕方ないです。ボクの体はやわらかいからそのまま地面に落ちるよりはよっぽどマシだよね? で、弾んだところを襟をキャッチ。ちょっと彼にはきつい態勢になっちゃうけど、気道を確保しつつボクが持ち上げるにはこうするしかなかったんだ。小さい自分の体が恨めしい……。力もないから重いけど……彼の命を救うためには、やるっきゃない! …………はぁ……はぁ……。何とか、彼を地面に横たえて、改めて草原に寝っ転がる。一仕事を終えた後の日向ぼっこはとても気持ちがいい。いいことをしたら、なんだか眠たくなってきた……それじゃあ、おやすみなさい……。 □───── 「……はっ」 崖から飛び降りたと思ったら、草原で横たわっていた。流石に二回目となるとそんな都合のいいことはないとはわかるけどやっぱり夢であることを期待してしまった。 周りを見渡したら、ピンク色の頭をしたプロペラのついた謎生物が目を閉じていた。うん、やっぱりこの世界は元の世界とは別物だ。そういえば、気絶する前にピンク色の物体を目にしたような気がする。もしかしたら、こいつが助けてくれたのかもしれない。 頭を撫でてみると、予想外の弾力が返ってきた。いや本当にぷにぷにもちもちしてる。なんか、こういうの元の世界にもあったな……そう、たしか、人をダメにするクッション。 「……。……?」 「あ、ごめん。起こしちゃった?」 「……♪」 「そうか?ならよかった」 ……初めて見た生物。言葉のないコミュニケーション。動かない表情。それでもなぜか言いたいことが伝わってくる感じがする。身振り手振りとか、そういうのだろうか。ともあれ、この植物だか動物だかわからない生き物は、俺に対する悪意はないようだった。 「さっきは助けてくれてありがとな!俺は、穂村拝!おまえは?」 「…………」 限りなく無声に近い、そよ風の音にもかき消されそうな小さな声。それでも確かに俺の耳にははっきり聞こえたんだ。 「そうか、ララモンっていうのか!ありがとう、ララモン!」 「……♪」 「ところでララモン、ちょっと聞きたいことがあるんだけどさ……」 「…………?」 「ちょっと、この世界がどういう場所か、教えてくれないか!?俺ここに落ちてきたばっかでなんもわからなくて……!」 「……!……♪」 これが、俺とララモンの初対面。長いようで短かったあの旅の始まりの始まり。あるいは、俺とララモンがテイマーとパートナーになった日。 この後、俺はここがデジタルワールドという世界で、元居た世界、リアルワールドとは別の異世界であること、ここに住む生き物をデジモンと呼ぶこと、そして俺を襲ってきたイモムシはクネモンといういじわるで知られるデジモンだったことをララモンから教えられる。とりあえず今一ついえることは、もう落ちるのはごめんだってことだ……。