山をかなり登った先、森の木々で覆われて薄暗い空間にそれはあった。 「……着いた。」名張茜の口から言葉が漏れる。 そこにあったのは二階建ての大きめの住宅サイズの建造物……の成れ果てだった。 茜の記憶よりもはるかに酷く傷んでおり、過ぎた歳月を思い起こさせた。 「こんな山奥に遺跡があるなんて……」建物を見上げながら浮状希理江が呟く。 彼女のパートナーであるジャザモンとその各進化系には道中おおいに助けられた。 「んーでも、遺跡って言うにはちょっと新しくね?」蛇走砂霧が首を傾げる。 「……だな。せいぜい数十年ってところかぁ?」同意するディノヒューモンは砂霧のパートナーだ。 どちらも見た目は生真面目さとは無縁だが戦闘時のセンスには目を瞠る物があるというのが茜の評価だった。 「そんなことよりも、ここにデジタルゲートがあるんだよな?」ぶっきらぼうな物言いの少年は三上竜馬。 しかしその少年の人となりを茜は烏頭すみれから聞き及んでいる。そしてその実力は別の界隈から聞いていた。 「中に誰かいる様子は無いようです。特に音も聞こえません。」式神を飛ばして中を確認したレナモンが報告する。 この式神は少し前にデジ対のドウモンから貰ったものだ。最初に使った時はその出来具合にレナモンは心底驚き、そして微笑んでいた。 「多分無いとは思うけど、一応罠チェックしてから入るわよ。」 茜は忍者であり、罠の感知や解除はお手の物である。これだけは未だに息子の侘助には負ける気がしない。 罠の類が無いこと、そしてかなりの長期間ここに立ち入った者がいないことを確認し、一行は中へ入った。 厚く積もった埃から赤子を守るため、トリケラモンの背負う3つの籠には覆いを被せた。 幸いなことに籠を背負ったトリケラモンでも問題なく通れるぐらいに内部は広かった。 どうもトラックなどを通すように作られている構造であり、デジタルワールド由来ではない様子を茜以外のテイマー三人は感じていた。 「なあ、ココってもしかして、リアルワールドから転移してきた何かの施設なんじゃ……」 「さあ?私も詳しくは知らないわ。見つけたのも偶然だったし。」砂霧の質問をそうはぐらかす茜。 嘘ではないが、おおよその察しはついている。しかしそれを話すことは自らの出自を明かすことになる。 今回の旅が初対面の相手にできることではない。 おそらくそれは、茜たちが生まれた世界の、そして不要になって廃棄されたデジタルゲート発生施設だったのだろう。 だがそれを確かめる術は今は無い。手に入れる手段もおそらくは失われた。 「……どうしたんです、茜さん?」不意に希理江が茜の顔を覗き込むようにしていた。 「なんか怖い顔してましたよ?」表情に出ていたようだ。産休で忍者業を休んでいると表情を隠すのが下手になる。 「なんでもないわ。ただちょっと緊張してただけよ。」長い休みはこれが怖い。思えば侘助や一華のときも似たようなことがあった。 「竜馬だけじゃなくって茜さんまでそんな顔してちゃこの先保たねえぞ。」からかうように砂霧が言う。 それが彼女なりの気遣いであることは、これまでの道中で全員が察していた。 「悪かったな怖い顔で。」わざわざ竜馬が口に出して言うということは、同じように気を遣っているのだということもすでに全員が察している。 気に入らない場合の彼は、とりあえず黙ったまま表情だけで不服を表明するのだ。 1階の最奥部にあるコントロールルームに入ると、見覚えのあるコンソールデスクがあった。 ……忘れるわけがない、忘れられるわけがない。 「それじゃあデジタルゲートを発生させるわね。レナモン、やりかた覚えてる?」 「お任せください主殿、あれは絶対に忘れま……いや、忘れられませんね。」 レナモンの表情が険しくなったことに茜だけが気付いた。 他の面子からは無表情で淡々とコンソールを操作しているように見える。 『デジタルゲート、発生シークエンス開始。発生まで、あと300秒。』合成音声が日本語でそう告げる。 大型トラック1台がちょうど収まるぐらいの広さの転送ルームに茜とレナモンは急いで入る。 他の面々はすでに中で待機している。 『……3、2、1、ゼロ。ゲート発生します。』転送ルームのスピーカーから合成音声が告げると同時に、揺られるような感触が全員を襲った。 不快に感じた三つ子たちがトリケラモンの背中でむずがって泣き出した。しかし誰もすぐには動くことが出来ない。 浮き上がるような感覚と落下するような感覚が交互にやってくる。 通常のデジタルゲートとは明らかに違うこの感触を知っているのは茜とレナモンだけだ。 やがて転送ルームの壁がまばゆく光ったかと思うと消失し、真っ暗になった。 同時に揺られるような感触は全て消え失せ、周囲に三つ子たちの泣き声が大きく響いた。 幾重にも反響するその様子から、見えなくてもそこが広大な閉鎖空間であることがわかる。 急に光が灯り、一同の顔が照らし出された。 レナモンが式神を狐火に変化させたのだ。そのまま出力を上げて光量が増すと、人工的な壁ではなく岩肌が見えてきた。 そこは広い洞窟の中だった。床面だけが平らに加工されていて、空気は湿っぽくひんやりとしている。 「ここは……?」警戒感もあらわに竜馬が周囲を見回す。 「鍾乳洞……の一部を加工した空間、ここはもうリアルワールドよ。」 トリケラモンの背中から三つ子を降ろしてあやしながら茜が答える。 レナモンは空になった籠に肩紐をつけて背負子にしている。程なく三つ子は泣き止んで眠りだした。 「それじゃあ竜馬くん、トリケラモンを退化させて。竜馬くんはキッカを、ディノヒューモンは荷物ををお願い。」 竜馬は籠をすべて降ろしたトリケラモンをエレキモンに退化させる。 次女のナデコは茜が、三女のカガリをレナモンが、四女キッカを竜馬が、それぞれ籠に入れて背負う。 荷物の入った籠はディノヒューモンが請け負った。 歩いていくと階段があった。そこを登った先には鉄製のドアがあり、そのサムターンを回して茜がドアを開けた。 「あっ……」入ってきた光の眩しさに希理江が思わず手を目の上にかざす。 7月下旬の容赦ない陽光が刺さる。森林特有の湿気を含んだ熱気が一同を覆う。 外に出ると茜はピッキングツールで素早くドアを施錠した。 周囲は木々に覆われており、日陰の中で小径が伸びている。周辺の傾斜からすると山の中のようだ。 一行が小径を下っていくと開けた場所に出た。広い駐車場と、それを半分囲むように配置された土産物屋と食堂。 駐車場の一角には軽自動車ぐらいが中に入りそうな巨大な鍋が置いてあった。側面には「日本一宿儺鍋」と書かれている。 建物の看板には「飛騨大鍾乳洞」の文字が見えた。 「えっ……飛騨?」希理江がきょろきょろと建物や駐車場を見回す。 「ここは岐阜県高山市丹生川町の……簡単に言えば高山の東の山の中よ。」茜が説明する。 「西に向かえば高山市、こっちのほうが早く街に出られるけど東京へは遠回りになるわね。」 西の方、谷側のほうを指差す。 「東に向かえば長野県松本市、こっちは山越えで市街地まで時間がかかるけど、東京へは近道になるわね。」 今度は東の山側を指さして言う。 「高山か松本まで出ればトラックを調達できるはずよ。さて、どっちにしようかしら?」 早くトラックを調達できる高山ルートか、道のりが短い松本ルートか。 「あなたはどっちがいいと思う?」